鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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今回は個人的にかなりの胸糞展開だと思います。
苦手な方はご注意ください。


第10話 見つけた世界

 ルシフが規則正しい寝息を立てている。

 マイはルシフからゆっくりと顔を離すと、肩越しに扉の方を見た。

 

「──そこで何してるんです?」

 

 扉の壁から息を呑む気配がする。

 それから数秒間静寂が続き、観念したように隠れていた人物が姿を現した。

 ニーナ、レイフォン、シャーニッド、フェリの四人だ。

 

「ルシフの様子が気になってな、悪いと思ったが尾行させてもらった」

 

 いつものルシフなら、尾行など許さなかっただろう。

 弱りきって自分のことだけで精一杯だったから、周りに注意がいかなかったのだ。

 

「丁度良かったです。ルシフ様を病院まで運ぶの手伝ってくれませんか?」

 

 ニーナたちが目を見開く。

 

「それをしたら怒るだろ、アイツは」

 

「そうですね」

 

「そうですねっておまえ……」

 

「ルシフ様は自分に対して怒ります。誰かの手を借りてしまった不甲斐なさに、醜態をさらしてしまった自身の弱さに」

 

 マイは無表情で淡々と口にした。

 ニーナたちは意外そうな顔をする。

 

「自分に怒るのか? 運んだ人にではなく」

 

「ルシフ様は他人に八つ当たりするような小さいお方ではないんです」

 

「一つ……聞かせてくれないか?」

 

 レイフォンが口を開いた。

 

「なんです?」

 

「どうしてキミは、ルシフに力を貸すんだ? ルシフは人の命を軽く見る最低なヤツなのに──」

 

 レイフォンは言葉を止めた。止めざるを得なかった。

 マイから殺気に似たものが放たれているからだ。

 

「もしルシフ様を最低だと思うなら、それはルシフ様の表面しか見ていないからです。

ルシフ様の内面に目を向ければ、最低なんて言葉は出てきません。

それから言い忘れましたが、男は私の部屋に入らないでください」

 

 レイフォンとシャーニッドはマイの怒気に一瞬呑まれ、慌てて一歩後ろに下がった。

 部屋に足を踏み入れてはいなかったが、扉のすぐ近くに二人はいたため、部屋から少し距離をとった。

 だが、シャーニッドは不満そうな顔でマイを見る。

 

「ルシフだって男だぜ? 男がダメだってんなら、ルシフもダメだろ」

 

「ルシフ様は特別です。

それと、さっきの質問にお答えしますが、私がルシフ様に力を貸すのは私の生きる理由そのものだからです」

 

「……キミはルシフと陛下の闘いを念威で見たかい?」

 

 マイは頷く。

 

「ルシフが陛下にした最後の攻撃、膨大な剄を収束させた熱線。あれをもし陛下が防がなかったらどうなっていたと思う?」

 

 マイは黙ったままだ。

 レイフォンもマイの答えは期待してなく、話を続ける。

 

「──ツェルニが、破壊されていた。ツェルニに住む僕たちもろとも」

 

 ニーナたちは絶句した。

 マイはなんとなく予想がついていたのか、何の反応もない。

 

「分かるだろう? 命を大切に思っている人間なら、あの攻撃を都市の方に撃てるわけないんだ。あの攻撃を使うなら、何もない上方向目掛けて使うべきだった。

それでもキミは、ルシフが人の命を軽く見ていないと言えるかい?」

 

「ルシフ様は目的を果たすのに夢中で、頭に血が昇り過ぎる時があります。

今の言葉を、ルシフ様に直接言ってください。

それで、ルシフ様のことが分かります」

 

「言っても意味ないよ。

きっと謝りもしないさ、あいつは。自分が絶対正しいと思ってるタイプの人間だから」

 

 レイフォンは吐き捨てるように言った。

 事実、ルシフはそういうタイプの人間だ。しかし、機械のようなプログラムで動いていない限り、そういうタイプといっても例外は起こり得る。感情は時として自身すら()じ曲げる場合がある。

 

「──ルシフ様は、誰よりも人の命を考えています。もしそれが分からないのなら、目が曇ってるんです。目をしっかり開いて、ルシフ様を見るべきです」

 

 レイフォンはニーナたちと視線を交わして、ため息をついた。

 目が曇っているのはマイの方だと、レイフォンは断言できる。ルシフを慕いすぎて、ルシフが何をしても良く見えてしまうのだろう。

 

「とりあえず、ルシフが寝てる内に病院に運ぼう」

 

 ニーナがルシフの左腕を肩に回す。マイは折れている部分を触らないように右腕の付け根あたりを持って、ルシフを部屋の外へと運ぶ。

 

「こっから先は俺とレイフォンが運んでやるよ。レディーに力仕事は似合わねぇからな。なあ、レイフォン?」

 

「分かりましたよ、運ぶの手伝います」

 

 レイフォンは抵抗するのを諦め、ニーナの肩に乗っている左腕を自身の肩に回す。

 そして、シャーニッドとレイフォンは力を合わせてルシフを病院に送り届けた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 ルシフ・ディ・アシェナが重傷を負い入院した──。

 この情報は生徒たちの口から口へと連鎖し、ルシフと女王が闘った次の日には、ほとんどの生徒がルシフの入院を知っていた。

 朝一番に伝えられた生徒会長のカリアンの話では、ルシフに重傷を負わせたのはルシフに対して個人的な感情をもつ他都市の武芸者の仕業であり、その武芸者はルシフに重傷を負わせたすぐ後に放浪バスに乗り、ツェルニを立ち去ったらしい。

 ツェルニに住む武芸科の生徒たちの目には、その武芸者はルシフに天罰を与えにきた神様のように見えた。

 ざまあみろ。

 バチが当たったんだ。

 これで平和ね。

 等々、ルシフが入院して喜ぶ声が後を絶たない。

 その中でも一番ルシフの入院を喜んでいるのは、近々第十七小隊と闘う予定の第十四小隊だ。

 ルシフさえ出てこなければ、試合として成立する。少なくとも理不尽な目にあわなくて済む。

 モチベーション最悪だった第十四小隊は、この出来事で息を吹き返した。むしろモチベーションはいつもより遥かに高くなっている。

 

「ラッキー……と、言っていいのか?」

 

「君たちならそう言えるが、私はそう言えない。

なにしろこの学園の生徒でない者を許可なく滞在させていたわけだからね。

警備の強化、人選の見直し、今後のセキュリティに関して全生徒を納得させられるだけの根拠の提示と説明──と、やることは山積みだよ」

 

 カリアンはお手上げと言わんばかりに両手をわざとらしく挙げた。

 ヴァンゼはそんなカリアンを冷めた視線で一瞥したが、咳払いを一度して頭を切り替える。

 

「それよりもだ、今早急に対処しなくてはならないものがあるだろう」

 

「……」

 

「入学式から今日まで、ルシフは好き勝手に振舞い先輩に対して敬意も全く示さない。それどころかバカにしたような態度で常に接していた。

──この入院を機に、ルシフに鬱憤を晴らそうとする輩が必ず現れるぞ」

 

 ヴァンゼの懸念はもっともだ。普段のルシフには手も足も出なくても、入院して弱っているルシフならば勝てるだろう。

 今まで侮辱されていた上級生のルシフ襲撃。それは十分に起こり得る問題だった。

 

「で、キミは私にルシフ君を護るよう取り計らえと、そう言いたいのかい?」

 

「むっ……」

 

 カリアンは机の上のツェルニの警備に関する資料に目を通しながら言った。

 胸の内を見通されたヴァンゼは苦い顔をする。

 

「もし生徒会長である私が素行に明らかな問題のある生徒を必死に護ろうとしたら、私刑(リンチ)をしようとした上級生はどう思うかな」 

 

 資料から目を逸らさず淡々と話すカリアンに対し、ヴァンゼははっと息を呑みカリアンの顔に視線を向ける。

 その場合、下手すれば生徒会も私刑の対象になる可能性がある。問題児を庇う腐った上層部という烙印を押されて。

 

「武芸科のほとんどの生徒は、ルシフ君に良い印象を持っていないだろう。

それらの生徒全てを敵に回すか、それともルシフ君が今よりも重傷を負うか──さて、どちらを選ぶのが正しいと思う?」

 

 明るく、それどころか楽し気にさえ聞こえる声。カリアンの顔はうっすらと笑っていた。

 普通の神経なら、この状況で笑えない。笑えるはずがない。何故なら、どっちを選んでも味方を失うからだ。選択肢は失う味方をどちらにするか決めるものでしかない。

 ヴァンゼはその顔を見て、冷たいものが自身の中に入ってくるような感覚を覚えた。

 

「──それなりにお前とは長い付き合いだが、お前はこういうヤツだと忘れていた。

お前はきっとルシフを護らない選択肢を選ぶつもりだろう」

 

 合理的に考えるなら、間違いなく敵になる上級生たちより、敵にならない可能性もあるルシフを切り捨てた方が良い。

 ルシフの性格ならば、襲撃されたのは自分がそうされる隙を見せたからだという考えになるかもしれないからだ。護らなかった生徒会に対し、怪我人を何故護ろうとしなかったと糾弾してこない可能性も高い。

 カリアンは更に笑みを深くした。

 それだけで、ヴァンゼは自分の予想が当たったのが分かった。

 分からないのは、何故カリアンがこうも余裕そうなのかだ。

 ルシフの恐ろしさは、カリアンのような人物こそ理解できる。その都市の管理者にとって、自分の地位を脅かす力を持つ者を恐れないなどできない。

 

「勘違いしないでくれ。この選択肢は生徒会として動いた場合だ。

仮の話になるが、ルシフ君をよく思わない生徒がこの機会にルシフ君を襲撃しようとしているといった内容の噂話が流れたら、状況はどう動くかな」

 

 ここでようやくヴァンゼはカリアンの策を理解した。

 生徒会が命令を出さずに自主的に生徒がルシフを護ろうと動けば、生徒会が私刑の対象になることもなく、不満を覚える上級生もいない。

 生徒会はそうさせるための火種を密かに作ればいい。つまりはルシフを狙っているという噂話を作るだけで、どちらも失わずに事を収めることができる。

 

「最初からそれが狙いか」

 

「そういうこと。わざわざ自分から敵を作るほど退屈していないのでね、この件は他人任せで解決してもらうとするよ」

 

「ならば、噂話のでっちあげは俺がしておこう」

 

「キミなら安心して任せられる。面白い噂を期待しているよ、ヴァンゼ」

 

 ヴァンゼは大きくため息をつき、呆れた表情になった。

 

「遊びじゃないぞ」

 

「物事は少し楽しむくらいが一番上手くいくものだよ」

 

 にやりと笑ったカリアンは、再び机の上の資料を読む作業に戻った。話は終わり、と暗に言っている。

 ヴァンゼはもう一度息をつき、生徒会長室から退室した。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 今の時刻は深夜の一時。暗闇の中に、真っ白な壁が浮かびあがっているような錯覚がする部屋。

 光があるときに見たこの部屋は全てが白く清潔な印象だったが、今はそれが逆に無機質な冷たいもののように感じた。生活感がないからだろう。

 目の前には白いかけ布団に包まれたルシフがベッドで寝ていた。かけ布団から意図的に出された左腕には管のある針を刺され、近くのパック製の点滴容器から点滴を受けている。

 マイは少し離れた窓際の椅子に腰掛けていた。窓際は若干だが明るかったため、なんとか文字が書ける程度の光は確保できた。

 マイは日記帳に何かを書いている。その日記帳の表面には『ルシフ様との記録 パート九』と題名があった。

 マイは日記を書くのが日課だった。自分のことではない。ルシフが何をしたか、それが原因で何が起こったか、ルシフは何を思っていたか、そういったのを日記帳に書いていく。

 マイは日記帳にペンを走らせながら、昨日医者が言った言葉を思い出す。

 

 

 医者は感心したような、それでいて呆れたような声色で眠っているルシフの状態を口にした。

 

「右腕、右足ともに完全骨折、肋骨も三本完全骨折、左太股に深い刺創、内臓も胃と肝臓が損傷。しばらくは流動食になるな。それ以外にも身体中に打撲傷。

こんな状態でよくもまあ自力で歩けたものだ。普通なら歩くどころか意識を保つのさえ難しいだろう。その強靭な精神力に、呆れを通り越して逆に感服するよ」

 

 医者はルシフの上半身の内部が分かる写真を何枚もその手に持っている。

 

「内臓の損傷は手術で縫合しないといけない。しかし、彼の内臓は既に縫合されている。おそらく勁を使用して自力で縫合したのだろうが、こんなことは簡単に出来ることじゃない。常識外れだ。噂は本当だな」

 

「噂?」

 

「ルシフ・ディ・アシェナは常識が通用しない化け物だと、一部の生徒が言っているらしい。だが、あながち間違っていないようだ。

それよりも、勁糸による縫合はあくまでも応急処置のようなもので、一時的にしか縫合できない。

やはり手術は必要になるな」

 

「──ルシフ様を助けてくれますか?」

 

 マイの声は少し震えていた。

 その気になれば医療ミスという名目で殺す、または再起不能の後遺症を残す技術が、医者にはある。

 そんなマイの内情を知ってか知らずか、医者は不敵な笑みを浮かべる。

 

「私は医者だ。救いを求めるならそれが聖者でも、たとえ悪魔だったとしても最善を尽くす。

それが私の医者としての信念だ」

 

 マイはぱちくりと瞬きして、その後に深く頭を下げた。

 そしてルシフの手術がその後にすぐ行われ、今は体力が回復するまで安静にしていればよくなった。

 手術が行われるまでは第十七小隊の面々がいたが、手術が始まったら後は自分に任せてほしいと言って帰ってもらった。

 もう遅い時間になっていたし、寮には門限もある。バイトがあれば例外で出歩けるが、基本は外出禁止となるため、帰った方がいいと判断したからだ。

 

 

 ぼんやりと昨日のことを考えていたマイだが、何かに気付いたようにはっとした表情に変わって、近くに置いていた復元済みの錬金鋼(ダイト)を手に取る。

 錬金鋼を手に取ったのと、病室の扉がゆっくりと開いたのは同時。

 そして、音を立てないように慎重な足取りで病室に三人の男が入ってきた。

 男たちはルシフ以外いないと考えていた。だから、マイの姿を見た時に顔を強張らせた。

 しかしそれも一瞬のことで、すぐに冷静さを取り戻す。

 こっちには三人、相手は念威操者ただ一人。

 念威操者は後方支援が基本であり、闘い方も念威爆雷を仕掛けるといった罠の設置。

 武芸者三人に念威操者はどう足掻いても勝てない。

 その確信に近い勝利の二文字が、彼らを落ち着かせた。

 

「そんなヤツを護る意味があるのかい? なあに、殺しはしない。ただな、世の中にはルールがあるんだよ。そのルールを破ったら、キツいお仕置きがあるって教えてやるのも先輩としての義務──」

 

 喋りながらルシフに近付いてきた男の右頬に、刃物で切られたような横一文字の切り傷が生まれた。傷口から血が流れる。

 

「……え?」

 

「──それ以上、寄るな」

 

 マイの周囲には六角形の結晶が多数浮かんでいて、その中の一枚に血が付着している。

 あの結晶は人を切れるらしい。

 それが分かった時には、三人の男の首筋に一枚ずつ結晶が添えられている。

 男たちの顔が青くなった。

 

「そこから一歩でも近付こうとしたら──首を切り落とす」

 

「分かった、離れる、離れるよ」

 

 マイから放たれる殺気。脅しじゃないと悟った三人は、ゆっくりと後ろに下がり廊下に出る。

 首筋にはピッタリと結晶がくっつき、後ずさっても付いてきた。

 

「おい、首筋にあるヤツ……どかしてくれないか」

 

「……」

 

「おい!」

 

「──そこなら、ルシフ様の病室が血で汚れない」

 

「は?」

 

 首筋にあった六角形の結晶が、男たちの肩に深々と突き刺さった。

 結晶はすぐに抜かれ、肩から噴き出す鮮血。痛みでもがく男たちの、次は太股に結晶が飛び込み刺さる。またもすぐ抜かれ、六角形の結晶は空中を舞いながら、次々に男たちの身体を突き刺していく。

 

「ああああああああぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 男たちの絶叫が、病院内に響き渡る。

 何事かと廊下に顔を出した病人や看護師は、廊下の惨状を見て息を呑んだ。

 純白の廊下が、赤い絵の具でもぶちまけたように紅く染まっていた。

 それと、床にできた血だまりに横たわる三人の男。身体は上下しているから生きてはいる。

 そして、息も絶え絶えの彼らの前に立つ少女。

 

「私が、ルシフ様を害しようとした貴様らを許すとでも?」

 

 男たちは顔を上げた。背筋が凍る。

 彼らが見たものは、刃のような鋭さと、氷のように冷たい瞳で見下ろすマイの顔。

 無表情なその顔を見て、自分たちの命など彼女にとって害虫の命と等しいものだと気付いてしまった。

 

「……もう二度と、しない。しないから──頼む、助けてくれ、助けて……」

 

 必死に命乞いをする男たち。

 マイは冷たい目で彼らを一瞥すると、そのままルシフの病室に帰る。

 ピシャリとルシフの病室が閉まる音で、廊下の惨状を目の当たりにしていた人たちが我に返った。

 

「先生をッ! 早く先生を呼んでッ!」

 

「担架! 担架を早く準備しろ!」

 

「とりあえず布だ! ありったけの布を持ってこい!」

 

 深夜の病院に似つかわしくない怒号と悲鳴。

 その声を遠くに聞きながら、マイはルシフの顔を覗きこむ。

 その顔を見ながら、マイはルシフと初めて出会った日を思い出す。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ──十年前 法輪都市イアハイム──

 

 

 助けてくれる人なんていない。

 どこにもいない。

 手を貸してくれる人なんていない。

 どこにもいない。

 住んでいた家にも、この都市にも、この世界のどこにも──。

 わたしに味方はいない。

 

 ──ネ!

 

 そう思う。振り下ろされる拳を見て、そう思う。

 男の拳がわたしの腹にめり込んだ。

 

 ──ネ!

 

 胃液が逆流するような衝撃。その衝撃に任せて、私は口からそれを吐き出した。

 

「ああ~汚ねえな~。お前みたいなゴミのゲロなんか浴びちまった」

 

「調子に乗って強くしすぎるからだろ。自業自得ってヤツだよっと」

 

 笑ったもう一人の男が、うずくまっているわたしの横腹を蹴った。

 

 ──ネ!

 

「……ッ!」

 

 そのままゴロゴロと横に転がり、ゴミ袋の山に突っ込む。

 

「ははっ、見てみろよ、ゴミがゴミの山に突っ込んでらあ!」

 

 ──ネ! ──シ、ネ!

 

 楽しそうに笑う男の声が、本当に不快だった。

 

 ──シネ!

 

 わたしの両親は武芸者だった。

 でも、数ヶ月前の汚染獣の襲撃で他界した。

 その後は父の弟である叔父が、わたしの家族になった。

 最初の一ヶ月は優しかった。

 人が変わったのは、ふとした拍子に髪が念威の光で淡く輝いた時だった。

 

「お前も! お前も俺をバカにするのか!」

 

 叔父は武芸者としての才能が全くなく、いつも周りから蔑んだ目で見られていた。

 わたしは何を怒っているか分からず叔父の顔を見た。

 その顔がますます叔父の癇にさわったらしい。

 

「俺をそんな顔で見るな! こいつ! こいつめ! 養ってやってる恩を忘れやがって!」

 

 叔父は怒鳴りながら何度も蹴りをいれてきた。

 わたしはただ耐えることしかできなかった。

 それから毎日のように虐待された。服を脱がされ動物のように扱われたこともある。

 

 ──ここにいたらしんじゃう。

 

 そう思った。食には困らないが、いつか叔父に殺される。

 そして、両親と暮らしていた家を逃げるように飛び出した。何着かの服と少しのお金、少しの食糧を持って。

 それから、裏路地で暮らす生活が始まった。

 生活を始めて分かったことが一つある。

 生きるのは意外とお金がいる。

 すぐに食糧もお金も尽きた。

 身体は公園の水で洗えるし、そこで水は飲める。

 問題なのは食糧とお金だ。

 働きたいとたくさんのお店を訪ねたが、冗談と思われてどの店からも断られてしまった。

 

 ──ネ!

 

 声が聞こえる。

 

 ──ネ!

 

 聞こえるはずのない、世界の声。

 

 ──シネ!

 

 わたしの死を心から願う世界の声が。

 わたしは痛いくらいに歯を食いしばる。

 絶対負けない。絶対生きてみせる。どんなことをしても。

 わたしには何もない。わたしの死を哀しんでくれる人も、生きる目的も、生きる価値も、わたしにはない。

 でも、叫んでいる。

 

 ──いきたい!

 

 心が、世界の声を掻き消すほどの大声で。

 

 ──いきたい!

 

 何もないはずなのに、何故こんなにも生に執着しているのか。

 分からない。

 きっと憎かったんだと思う。

 両親を殺した汚染獣が。

 両親の家に居座り、我が物顔で暮らす叔父が。

 わたしの言葉を真剣に聞いてくれなかったお店の人たちが。

 わたしを死に導こうとする世界が。

 どうしようもなく、憎かった。

 だから、生きる。

 必死に食らいついて生にしがみつく。

 生きることが、そのままこの世界への復讐になると思ったから。

 だから──。

 わたしはゴミ袋の山から這い出て、男たちを見た。

 男たちの顔が僅かに険しくなる。

 男がわたしの髪を力の限り掴んで持ち上げた。

 

「なんだその目は? 元はといやぁお前が万引きするからわりぃんだろ?

罰金が払えねえからってストレス解消のサンドバッグで許してやってんのに、被害者みてえなツラすんなよ!」

 

 男はゴミの山にわたしを投げつけた。

 たしかに男の言う通りで、わたしは万引きをした。

 それがこの結果だ。

 これは正当な理由のある罰。

 どれだけ心が綺麗だったとしても、汚ない場所にいれば汚れていく。

 身体だけでなく、心もゆっくりと蝕み(けが)していく。

 みんな知ってる。汚ないものの近くにいたら、自分も汚なくなるんだって。

 知ってるから、汚ないものを受け入れない。

 お店の人たちもきっとそういう理由でわたしを拒んだんだ。

 なら獣になるしか、生きる道はない。

 人の心なんて、いらない。

 そんなもの、生きるうえで邪魔でしかない。

 心なんて──。

 

「まるで躾のなってねえ犬みてえだな。

動物に服なんざ要らねえだろ」

 

「……ひッ!」

 

 男はそう言って、わたしの着ていた服を破り捨てた。

 

「ほらッ、おすわり!」

 

 きょとんとした目をしたわたしの左頬を、男は殴った。

 

「おすわりっつってんだろッ! 言葉も分かんねえ駄犬かてめえは! いい加減殺しちまうぞ!」

 

 殺す……。

 それだけはイヤだ。絶対にイヤだ。

 わたしはおすわりのマネをする。犬のように。

 

「ははっ! いいぞおまえ、それでいいんだよ!

次はこれをやってみろ──」

 

 その後も次々に犬がするようなことをやらされた。

 

 ──男なんて全員死ねばいい! 女に己の欲望をぶつけることしか頭にない獣! わたしよりも汚ない!

 

 男の言う事を従順に聞きながらも、わたしは心の底から軽蔑していた。

 

「よーしよし、よく頑張ったな! こいつはご褒美だ!」

 

 何かくれるのだろうか。

 ほんの少しの希望と期待。

 しかし、それらは呆気なく砕け散った。

 男が座っているわたしの左頬を思いっきり殴り飛ばしたのだ。

 

「なかなか楽しめたぜ。はははははッ!」

 

 男は連れのもう一人と裏路地から去っていった。

 わたしは倒れながら、傍に落ちている服だったものに手を伸ばし、それを取る。

 そして、その布切れを身に纏った。

 

 ──もう、誰の言葉も信じない。わたしの味方になってくれる人なんていない。

 

 薄れてゆく意識の中でも、世界は音頭をとるように叫んでいる。

 

 ──シネ! ──シネ! ──シネ!

 

 まるで世界にわたしはいらないと言うように。

 

 ──シネ! ──シネ! ──シネ!

 

 わたしはしんでたまるかと言い返しながら、意識を失った。

 

 

 

 一体どれだけの時間、気を失っていたのだろう。

 気付けば、同い年くらいの男の子がわたしの前に立っていた。

 逆光で顔はよく見えなかったが、日の光でキラキラと紅く輝く髪と、何よりそれ以上に輝く深紅の瞳。その瞳は、少し前にお店で見かけたルビーという名前の宝石の輝きと似てると思った。

 人じゃないとも感じた。

 纏う雰囲気だとか、その瞳の持つ強さとか、そういったものが見事に調和されていて、まるで痺れを切らした世界が送り込んだ死神じゃないかとさえ思った。

 その顔をじっと見ていると、男の子の両目から涙が流れた。

 

「──どうして?」

 

 今までわたしの前で涙を流した人はいない。

 分からなかった。何で泣いたのか。

 だから、声が出た。

 男の子は何を言っているのか分からないといった表情をしている。

 

「どうして、ないてるの?」

 

「──え?」

 

 男の子はそう言われて初めて自分が泣いていることに気付いたようだった。

 男の子は自身の手で自分の頬を触った。

 そして、両手を下ろして力いっぱい握りしめている。

 男の子は数十秒間ずっとそのままだった。

 それから静かに右手をわたしのほうに差し出してきた。

 

「一緒に行こう」

 

 ──だまされちゃダメ!

 

 わたしはその手が怖かった。

 今までだって、こういう優しい言葉を言って油断させて、その後に乱暴してきたことが何度もある。

 きっと、この男の子も同じ。

 すぐに本性が分かる。

 自分の思い通りにいかなかったら、きっと怒って本性をさらけ出す。

 しかし、予想と外れて男の子はすぐに手を引っ込めた。怒っている感じもしない。

 乱暴されると思っていたわたしは、ほっとして息をついた。

 そして、また予想外のことが起きた。

 男の子が自分の上着をわたしの方に放ってきたのだ。

 

「それ、あげるよ」

 

 男の子はそう言って、背を向けた。

 

 ──立ち去る気だ。

 

 わたしは咄嗟に男の子の左腕を掴んでいた。

 この男の子は、今まで出会った男の中で一番優しかった。服もくれた。

 

「……いっしょに、つれてってください」

 

 この男の子のところなら、わたしは生きれるかもしれない。

 そんな気の緩みからか、念威の制御が甘くなった。

 わたしの髪が、念威で淡い燐光を放つ。

 それを見た男の子が、片膝をついて目線をわたしと同じにした。

 念威操者だとバレたら、叔父にされたように暴力を振るわれるかもしれない。

 なぐられる。絶対なぐられる。

 男の子はそのまま左手を伸ばして、わたしの右頬を優しく撫でた。

 不安でいっぱいだったわたしは、男の子が殴らないどころか優しく撫でたことに驚いた。

 でも、イヤじゃなかった。こんなに優しく撫でられたのは久し振りだった。

 それが、本当に嬉しくて──。

 

「キミは念威操者だったんだね」

 

 わたしは小さく頷く。

 わたしはやっぱり殴られるのだろうか。

 身体が震える。

 目の前の男の子が、豹変しないとは言い切れない。

 

「ならキミは、ぼくの──いや、俺の目にならないか?」

 

 ──目?

 

 それってつまり、『念威操者』のわたしがほしいってこと?

 今まで生きてきて、誰かに必要とされたことなんてなかった。

 わたしの存在に、意味を持たせてくれた人なんていなかった。

 わたしの右目から、涙が流れた。

 

 ──ああ、そうか。

 

 がむしゃらに生きたいと思っていた理由、必死に生にしがみついていた理由。

 

 ──わたしはこの男の子から命を授けられるために、今まで必死に生きてきたんだ。

 

 わたしは大きく頷いた。

 そして、頭に乗っている上着を取り、身体を包んでいた布を外す。

 男の子が右頬から手を離し、照れくさそうに慌てて背を向けた。

 わたしはその姿を見て、少し微笑ましくなった。

 男の子は背を向けたまま、しゃがむ。

 

「俺の背に乗れよ。靴履いてないんだから」

 

 わたしは自分の姿を見る。

 泥だらけのアザだらけ。

 こんな状態で背に乗ったら、間違いなく男の子が汚れる。

 

「……でもわたしきたないし、よごれちゃうよ」

 

「汚れても洗えばいい。

俺が来いと誘ったんだ。つまり、キミは客だ。

客人には優しくしろって、父上にも言われてる」

 

 汚れても構わないと、そう言ってくれた。

 みんな汚れるのがイヤだってわたしを拒絶したのに、この男の子は──。

 わたしはゆっくりと男の子の背に抱きついた。

 とても温かい。本当に久し振りの誰かの体温。

 男の子は裏路地を出て少し歩いたところで口を開いた。

 

「ルシフ・ディ・アシェナ」

 

「……え?」

 

「俺の名前さ。キミはなんていう名前だ?」

 

「──マイ……マイ・キリー」

 

「マイ……か。これからよろしくな、マイ」

 

 ──誰の言葉も信じない。誰の言葉も──。

 

 でも、信じたい。この男の子の言葉を。捨てたと思っていた心が帰ってくるような、温かい言葉を。

 わたしは返事が出来ず、ただ男の子に掴まる腕に力を入れた。

 それから数十分後、男の子の家に着いた。

 凄い豪邸だった。ここでわたしはようやくミドルネームが意味するものを思い出した。

 ディ──王家の資格を有する武門の一つ。

 つまりこの男の子は、ものすごく偉い家の子供なのだ。

 

 ──きっとわたし、おいだされちゃうな。

 

 残念。本当に残念。

 わたしみたいなのを、受け入れてくれるわけがない。

 男の子が家に帰ると、使用人と思われる人が慌てて近付いてきた。

 

「若様! 後ろの子は──」

 

 やっぱり。ここでわたしは追い出されちゃうんだ。

 

「この子の手当てをしてくれ」

 

「は、はい! かしこまりました!」

 

 男の子がわたしを使用人の人に渡し、使用人の人は嫌な顔せずわたしを抱っこした。

 

 ──どうして?

 

 どうしてわたしみたいな汚ない人間に、優しくしてくれるの。

 偉い家の人の考えは分からない。

 その後はお湯で濡らしたタオルで全身を拭かれ、それぞれの傷に適切な処置をしてくれた。

 それをしている間に別の使用人の人がわたしの服を買ってきてくれたらしく、わたしはその服に着替えさせられた。

 

「……あの、どうしてここまでしてくれるの?

わたしみたいな、ただのこどもに」

 

「この家の当主様と若様が、とてもお優しい方たちだからです。

若様は素直じゃないので、優しいというと不機嫌になられてしまいますが、その反応が可愛くて微笑ましいんですよ。

あなたを連れてきたのも、若様が助けたいと思ったからでしょう。

でしたら、わたしたちは全身全霊をかけて力になります」

 

「それが、りゆう?」

 

「バカみたいですか?」

 

 わたしは首を横に振った。

 

「すごくうらやましいです」

 

 わたしは、誰かのために何かしたいと思ったことがないから。

 だから、この家の人たちはみんな輝いて見えた。

 

 ──わたしも、そうなれるかな。

 

 それから暫くして、寝かされている部屋に男の子が来た。

 男の子はベッドの近くに椅子を置いて座り、わたしの右手を両手で握る。

 

「マイ、キミは俺の目になった。

だから、ずっと俺の傍にいろ。

俺はこの世界を壊す。

俺の傍で、キミをこんな目にあわせた世界が壊れるのと、新しい世界の始まりを見届けてくれ」

 

「……わたしは、ずっとそばにいていいの? めいわくじゃない?」

 

 アシェナ家──王家の資格を有する由緒正しき武門。

 そんな家に、わたしのような場違いな人間がいる。

 それはアシェナ家の品格をも貶めるのではないか。

 わたしのせいで、この家に住む人たちが後ろ指をさされるのではないか。

 でも、この家にいたい。この家は温かい。この家ならわたしは、人らしく生きられる気がする。

 わたしの右目から涙が流れ、男の子の両手を握り返すように右手に力がこもる。

 

「──ああ、迷惑なものか」

 

 温かいものが流れこんでくる。

 

「……うれしい」

 

 わたしはやっと、人間になれた。

 

 

 

 初めて男の子──いや、ルシフ様と出会った日から数日後の夕食の時間。

 ルシフ様が重晶錬金鋼(バーライドダイト)を一つ渡してきた。

 

「マイ、キミが使う錬金鋼だ」

 

「──あ、ありがとうございます」

 

 わたしは頭を下げた。

 

「あ、あの、復元してもいいですか?」

 

「まっ──」

 

「れすとれーしょん」

 

 復元された錬金鋼は六角形の結晶を集めたようなゴツゴツした杖だった。

 その先端にある六角形の結晶が剥がれ、不規則に動き回って部屋にあるものを片っ端から切り刻んでいく。

 その結晶体を、アゼル様がつまむように掴んだ。

 

「マイ、元に戻すのだ」

 

「は、はい、アゼル様」

 

 六角形の結晶体は杖に戻り、錬金鋼はルシフ様に渡された時の形に戻った。

 アゼル様が拳を握りしめている。

 

「こっのぉ──大バカものがッ!」

 

 アゼル様が拳を振り上げる。

 わたしは思わず目を閉じた。

 しかし、拳骨のターゲットはわたしではなく──。

 

「いッ……たぁ……!」

 

 おそるおそる目を開けると、ルシフ様が両手で頭を抱えている。

 ルシフ様は若干涙目だ。

 

「初めて渡す錬金鋼に殺傷力を与えるなど何を考えとるかッ!

安全装置を付けて渡すのが普通であろう!?」

 

「安全装置など甘えです! 安全装置無しで扱えてこそ意味があり、価値があります!」

 

「まだ言いたいことはある! 何故念威操者の錬金鋼に殺傷力を持たせる!? 念威操者は後方支援が基本であり、常に護衛も付いているから殺傷力など必要ではない!」

 

「父上の考えは前時代的過ぎるのです! 念威操者だから直接闘えない──そんなキセーガイネンなんて俺が叩き潰します!」

 

「ならあのセンスはなんだ!? 六角形の形が切るのに適した形とでも言うつもりか!? もっと優れた形があるだろう!」

 

「機能性だけでは華がありません! 機能性と美のリョーリツこそ武器に必要なものです!」

 

 

「──ッ……あはははははは!」

 

 この時、わたしは初めて心から笑うことができた。

 舌戦を繰り広げていた二人が驚いたような顔でわたしの方を見る。

 わたしは恥ずかしくなって口を手で隠した。

 

「申し訳ございません。その──楽しかったので」

 

 二人は顔を見合わせた後、笑みを浮かべた。

 二人だけではない、この場にいる使用人の人たちも、ジュリア様も、みんな笑みを浮かべている。

 

「ルシフ様! この錬金鋼、大切にします! 本当にありがとうございます!」

 

 きっとあの時ルシフ様に出会わなければ、わたしはずっと獣のまま生き、獣のまま死んでいっただろう。

 

 ──あれ? そういえばいつの間にか世界の声が聞こえなくなってる。

 

 あれだけ死を望んでいたくせに、世界はちょっとしたことで気が変わる。

 わたしは、わたしが生きていてもいい世界を見つけた。

 わたしの味方になってくれる人がいた。

 その世界を護るためなら、わたしは──。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ルシフの頬を、マイは優しく撫でた。

 

 ──誰にも、ルシフ様を奪わせない! 私がいてもいい唯一の世界!

 それを護るためなら私は──鬼にも悪魔にもなれる。

 

「あっ、廊下の掃除してこないと……」

 

 自分がやったのだから、自分がしっかり後始末をする。

 そんな思いでマイは廊下に出て、大量の雑巾をもらいにいく。

 ルシフの病室はルシフただ一人。

 しかしルシフの傍には、寄り添うように六角形の結晶が置かれていた。




まさか脳内設定を文章にするだけでここまでキツいとは……。
モチベーションがごりごり削られてました。
胸糞展開の小説を間を置かずに書ける人は、本当に尊敬します。


あと、1つお知らせがあります。
原作2巻と言いつつ、この話まで全く原作2巻の内容が出ていないので、この話までをオリジナル第1章として、次回から原作2巻の内容に突入していくという形にしたいと思います。

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