鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第19話 廃貴族

 集合場所は都市下部の外部ゲートだった。傷付いた都市に行くためのランドローラーが何台か並んで置いてある。

 今この場にいる一人を除いた全員が、顔面蒼白になって視線を様々な方向に向けている。

 もちろん誰一人として口を開く者もいない。

 既にルシフ以外は戦闘衣とその下に着る汚染物質遮断スーツの着用を完了させていた。

 改良された汚染物質遮断スーツは薄くて軽い。故に、身体のラインが浮き出てしまう。普段のシャーニッドなら女子が着用した姿を想像して、真剣な表情で「……エロいな」とか言っていたかもしれない。

 だが、普段当たり前のように笑みを浮かべ軽口を叩くシャーニッドですら、冷や汗を浮かべて黙りこくっている。

 ニーナも同様だった。

 こうなっている原因は明白だ。もちろんルシフのせいである。

 ルシフの纏っている剄が、いつにも増して威圧的で苛烈なのだ。近付いただけで叩き潰されるような錯覚すら覚える。

 第五小隊隊長であるゴルネオを壁にして、赤い髪の少女シャンテはルシフから隠れている。シャンテは身体を縮こまらせて、ゴルネオの背にしがみつくようにしていた。

 

「ゴル……あいつ、怖いよ……」

 

「シャンテ……」

 

 声すら震わして呟いたシャンテの言葉は、ゴルネオの胸に確かな痛みを与えた。

 ゴルネオは物分かりが良い性格である。

 無謀な賭けや分の悪い賭けは避け、堅実に、確実に勝てる戦術を常に選ぶ。

 だからこそ、自分ではシャンテの心に巣食う恐怖を取り除けないと理解してしまう。

 恐怖の元凶であるルシフに、自分は立ち向かおうとする勇気も出せない。その無力さが刃となってゴルネオの心を突き刺していた。

 

『……あ、あの~ルシフ君、嫌なら君は外れてもいいよ』

 

「――は?」

 

 外部ゲートの壁に取り付けられていたモニターにカリアンが映る。

 カリアンはフェリの念威端子でこの状況を観ていた。この場にいないからこそ、こうしてルシフに意見を言えたのだろう。もしこの場にいたら、卒倒している筈だ。

 カリアンの言葉に、ルシフの纏っている剄が更に激しさを増した。

 更に気まずくなった場の空気をカリアンは察し、モニター越しに苦笑を浮かべる。

 

『いや、こうして念威端子越しに観ても、君の不機嫌さが伝わってくるからね。そんな状態で任務などこなせないだろう?』

 

 そこで初めてルシフは自分の纏っている剄が激しくなっているのに気付いた。

 

「ああ、そういうことか。別に不機嫌なわけではない。むしろ上機嫌だぞ。乗り気じゃないと通信で伝えたが、よく考えれば謎の多い都市を探検しに行くというのは、男子には堪らないシチュエーションだ」

 

 紛らわしいと、その場にいたニーナたちが呆れながら思った。

 

『……遊び気分でも困るのだがね』

 

 ルシフは纏う剄を制御し、普段と同じにした。

 圧迫感と威圧感が弱まったことで、ニーナたちは息苦しさから解放された。無意識に硬直させていた身体をほぐそうと、ルシフ以外の全員がそれぞれ身体を伸ばす。

 ニーナが軽く息をついて、ルシフに視線を送った。

 

「ルシフ、お前はもう少し他人に配慮することを覚えろ」

 

「ふん、この俺が軟弱者など構うものか。貴様らが俺の剄に慣れればいいだけの話だ」

 

「それが出来たら苦労しない。そもそもわたしたちとお前じゃ実力に差がありすぎるんだ。レイフォンは別だがな」

 

 ニーナの言葉に、ルシフは舌打ちした。

 

 ――貴様らが剄に呑まれるのは実力のせいではなく、強靭な精神力を持っていないからだろうが!

 

 その理屈が通るなら、ルシフはアルシェイラと闘うことすら出来なかった筈だ。

 だが、ルシフは闘えた。自分より圧倒的な実力を持つ強者に挑み、己に出来る全てをぶつけた。

 やはり根から変える必要がある。

 強靭な精神力を当たり前のように養える世界。それこそ人が成長し続けるために必要な土台。

 ルシフはランドローラーのサイドシートに食料を放り込み、ランドローラーに跨がる。

 次に戦闘衣のポケットからメガネ型のフェイススコープを取りだし、それをかけた。

 そして、マイの念威端子とフェリの念威端子をフェイススコープに接続。

 マイは第十七小隊でも第五小隊でもないため、ツェルニに待機する。

 しかし目的地は都市の移動速度で二日といったところにあり、マイの念威が届く範囲だったため、マイはルシフのサポートをすると決めた。

 当然ルシフしかマイはサポートしないし、マイがサポートするのを知っているのもルシフしかいない。

 念威端子の接続は有線ではなく、無線。本人から教えられなければ、誰の念威端子が接続されているか知ることは出来ない。

 ニーナたちもヘルメットを被り、ランドローラーに乗り込んでいく。

 ニーナはシャーニッドのランドローラーのサイドシートに座り、フェリはレイフォンのランドローラーのサイドシートに座る。

 第五小隊は既に全員準備が完了していた。

 ハーレイが外部ゲートを操作するボタンを押し、外部ゲートが開かれていく。

 

『十分用心したまえ。君たちから良い知らせが伝えられるのを期待しているよ』

 

 全員がカリアンの言葉を聞きながら、汚染された大地へと飛び出した。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 傷付いた都市に近付くのに半日かかった。

 傷付いた都市の間近まで近付いた第十七小隊の面々は、その都市の酷い有り様に顔をしかめた。

 事前に写真で都市がどういう状態か知っていたが、それでも実際に目にすると写真よりも酷く見えた。

 折れた足の断面が眼前に広がり、そこが苔と蔓で覆われている。

 

『――ルシフ様、エアフィルターは正常に稼動。外部ゲートはロックされ、停留所は完全に破壊されています。通常の方法で都市内部に入るのは不可能かと』

 

「そうか」

 

 マイから伝えられた情報と寸分違わない情報を、フェリと第五小隊の念威操者が通信で全員に伝えていた。

 

「アントーク、俺が先行して都市内部の安全を確保する」

 

「分かった。気を付けろよ」

 

「誰に向かって言っている?」

 

 ルシフはサイドシートにある食料が入ったバッグを持ち、都市の側面の僅かな凹凸を足場に上へと上がっていく。

 その姿を、シャーニッドはため息をついて眺めている。

 

「……あいつ、なんかすげぇ乗り気だな」

 

「……浮かれているようにも見えます」

 

 フェリが冷めた目でルシフが消えていった方を見ていた。

 フェリは念威で既にこの周囲が安全だと知っているし、ニーナたちに伝えてもいる。

 つまりルシフの行動は、都市に早く入りたいだけの行動。

 ニーナも一応ああ言ったが、本気で心配しての言葉ではなく、形式的に言っただけの言葉。

 その証拠にニーナは固い表情をしているが、不安そうな表情ではない。

 

「隊長、どうやらルシフはマイさんのサポートを受けているようです。マイさんのものらしき念威端子も見つけました」

 

 フェリがニーナに近付き、小声で耳打ちする。

 ニーナは軽く息をついた。

 

「あいつは全く! 邪魔してこないなら、大目に見てやれ。ただし、邪魔だと感じたらすぐに教えてくれ。その時はルシフに言ってマイのサポートを止めさせる」

 

「了解しました」

 

 フェリは無表情で頷く。

 レイフォンもニーナの方に近付いてきた。

 

「隊長、僕も鋼糸で都市に上がります。ルシフだけに任せてはおけない」

 

「レイフォン、私も一緒に上げてください」

 

 レイフォンの持つ青石錬金鋼(サファイヤダイト)が青い光に包まれ、剣身が消える。柄だけが残った錬金鋼を握りしめ、レイフォンは都市を見上げた。

 鋼糸を都市に繋ぐと同時にフェリを鋼糸で支え、ルシフに続いて都市に上がる。

 エアフィルターを突き抜け、レイフォンとフェリは外縁部の地面に着地。

 ルシフは既にレイフォンたちの前に立っている。

 レイフォンとフェリにやや遅れて、ニーナとシャーニッドもワイヤーを利用して上がってきた。

 エアフィルターで汚染物質は都市内に入ってこないため、ヘルメットを被っている者はヘルメットを外した。

 第五小隊は第十七小隊とは反対側の調査担当と決まったため、この場にはいない。

 

「状況は?」

 

「死体一つありません」

 

「人が居そうな建造物か避難シェルターは?」

 

「幾つかあります。シェルターの入り口も見つけました。

というか、調査ならこのまま念威端子で出来ますが?」

 

「フェリの能力が高いことは知っているが、実際にその場に行って確認する以上に精度の高い情報を手に入れる方法はない。

まだ十分時間はある。それは最終手段だ」

 

「……了解しました」

 

 ニーナの言葉に、フェリは渋々といった表情で頷いた。

 

「まずは避難シェルターに人がいるか調べよう」

 

 ニーナの言葉に第十七小隊の面々が頷き、フェリから指示される方向に向かって歩く。

 

 

 

 避難シェルターの中はやはりと言うべきか、腐臭が充満していた。

 だがおかしなことに、その原因ともいうべき死体がなかった。死体どころかその肉片すら見当たらない。

 

「フェリ、生命反応は?」

 

『ありません』

 

 ニーナの問いに、通信機からフェリが応える。

 フェリは腐臭が充満している場所に行きたくないとシェルター内部に入るのを拒否し、シェルターの入り口前で待機していた。

 ニーナたちは生存者がいないと分かっても、シェルターを隅々まで調べる。この任務の目的が生存者の救出ではなく、ツェルニが近付いても大丈夫かどうかの安全確保だからだ。

 

「――どうやら危険はないようだな」

 

「でも死体どころか、肉片の一つもありません。間違いなく人は此処で死んでるのに」

 

 レイフォンがところどころ壁に付着している黒い染みに視線をやる。それは間違いなく血の跡だった。

 次にレイフォンは天井を見る。天井には大穴が空いていて、あそこから汚染獣は此処に侵入し、避難した人々を殺したのだろう。

 これだけ派手に殺した跡が残っているのに、肉片が一つも残らない筈がない。誰かが死体を片付けなければ、こんなにも綺麗に死体を消すなんて出来ない。ならば、その誰かとは――。

 疑問は深まるばかりで、気味悪さが増大する。

 

 何も危険がないと確信してから、全員シェルターから出た。

 

「一体この都市はどうなっている?」

 

 ニーナが顎に指を当てて呟く。

 

「危険な反応はありませんから、ツェルニが近付いても問題ないと思いますが?」

 

「だが、死体がない理由を説明できない。これでは、この都市は安全だと胸を張って言えん」

 

「まあ、ニーナの言う通りだけどよ。今日はここらで止めにしようぜ。もうすぐ暗くなるしな」

 

 空は少し赤みがかっている。あと一時間もすれば日が暮れるだろう。

 

「第五小隊から合流場所の連絡がきています」

 

「分かった。今日はここまでにして、第五小隊と合流しよう。フェリ、座標を表示してくれ」

 

「了解しました」

 

 第十七小隊はひとまず探索を終了し、第五小隊が見つけた宿泊場所を目指して歩き出した。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 宿泊場所に決まったのは、都市中央近くの武芸者の待機所だった。

 この建物は電気がまだ生きているらしく、照明と空調を使えた。特に空調は建物内に充満していた腐敗臭を外に追い出し、建物内を清潔な空気に入れ替えた。それだけでも、随分居心地が良くなった。

 フェリは身体に染みついた腐敗臭を消そうとしているのか、入り口を開けてすぐの廊下の空調の風を自身の身体に浴びせている。

 ルシフはフェリの向かいの長椅子に座り、軽く両膝を揺すっていた。

 それをフェリが鬱陶しそうな表情で見る。

 

「随分今日は落ち着きがないですね」

 

「いつも通りだと思うが?」

 

「……いえ、いつもと全然感じが違います。というか、何故あなたが此処に居るんです? レイフォンたち同様周囲の安全確認にあなたも行くべきでは?」

 

 レイフォンとシャーニッドは周囲の安全を確かめるために、建物の外に出ていた。

 ニーナはゴルネオと部屋割りについて話すために、別の部屋に行っている。

 つまり今この場は、ルシフとフェリの二人きりになっていた。

 

「無駄な労力だな。念威操者に周囲の状況把握をさせればいいだけの話だ。お前もそう思うだろう?」

 

「……ええ、まあ」

 

 だが、自分の目で確認しなければ気が済まないという気持ちも、フェリにはなんとなく分かっていた。だから、別にその行為を馬鹿にする気は一切ない。

 そこで入り口が開き、シャンテが入ってきた。

 シャンテはまず目に入ったフェリを睨み、次に目に入ったルシフを見た瞬間、フェリの方に身体を寄せた。

 

「……あの、ウザいです」

 

「し、仕方ないだろ。お前しかいないんだから」

 

「……念威操者に隠れて、それでも武芸者ですか。この無能」

 

「う、うるさいっ」

 

 フェリは心の底から嫌そうに目を細めた。

 さっき感じた一瞬の敵意。

 今のシャンテからは見る影もないが、心当たりのない敵意をぶつけられて平然と流せるほど人間ができていないことを、フェリは自覚している。

 故に、言葉に容赦がない。

 

「お、おい。お前ら、あの一年生がどんな奴か知ってんのか?」

 

 シャンテが声を震わせながら問いかける。

 

「知ってるが、それがどうした?」

 

 ルシフは立ち上がり、シャンテに向けて一歩近付いた。シャンテはルシフが怒ったと思ったのか、フェリをルシフの前に出して縮こまる。

 フェリは無言。だが、額に青筋が立っているように見えた。

 

「知ってるならさ、あいつがどれだけ卑怯な奴か分かるだろ? あいつを倒すのに、協力してほしいんだ。お前の力なら、あいつを倒せるだろう?」

 

「……何も知らないくせに」

 

 フェリがシャンテを振り払い、シャンテの方に身体が向けた。

 シャンテはフェリがルシフの間にいるおかげでなんとか平静を保ち、鋭い眼差しをしているフェリを睨み返す。

 

「あんな卑怯な奴、武芸科に要らない。会長はなんであんな奴つかってんだ? あたしらはそんなにも頼りないのか?」

 

「……そうなったのは、あなた達のせいじゃないですか」

 

「――なんだって?」

 

「あなた達が二年前の武芸大会で負けなければ、あの人は一般教養科のまま、ツェルニを卒業できたんです。

守護者たりえない武芸者なんて、都市に要りません。一から出直してきなさい」

 

「なっ……て、てめぇ――」

 

 シャンテは反射的に剣帯から錬金鋼を抜き出す。

 そして起動鍵語を口にしようとした瞬間、ルシフがシャンテの首を掴み、床に叩きつけた。

 

「ぎゃんッ!」

 

「鬱陶しい」

 

「シャンテ!」

 

 そこに、別の部屋でニーナと話をしていたゴルネオが奥から現れ、シャンテの元に駆け寄った。

 

「貴様ァ!」

 

「……だ、ダメだよ、ゴル……」

 

 シャンテの言葉を聞かず、ゴルネオは錬金鋼を復元させて、ルシフに襲いかかる。

 ルシフはその場から動かず、顔面に向かって飛んでくる拳をじっと見ていた。

 ゴルネオの右拳がルシフの顔面を捉え、打撃音が廊下に響く。

 だが、ルシフは無傷。そのままゴルネオの右腕を掴み、捻りあげる。

 

「ぐあッ!」

 

 ルシフは捻りあげたままゴルネオの背を踏みつけ、床に押し付けた。

 

「……アルセイフと何があったか知らんが、いちいち癇に障る。このまま腕を折るか」

 

 ゴルネオとシャンテの顔が青くなる。

 ゴルネオの右腕を、ルシフが両手で持って力を込め――。

 

「ルシフ、止めろ!」

 

 ニーナが奥から慌ててルシフに近付く。

 ルシフの動きが止まった。

 

「コイツらが悪い。俺に武器を向けようとした。それをしたらどうなるか分からせなければ、俺の気が収まらん」

 

「……ルシフ、その腕を放すんだ」

 

 入り口が開け放たれ、レイフォンが青石錬金鋼を復元させた剣をルシフに向けて構えている。

 そのレイフォンの後ろでシャーニッドは肩をすくめていた。

 ルシフはため息をつき、ゴルネオの方を見る。

 

「お前、もういい歳だろう? 時と場所を考えろ。別にアルセイフと喧嘩しても構わんが、周囲の人間に迷惑をかけるな」

 

 この場にいる誰もがお前が言うなと心の中でツッコミを入れたが、口に出して言う者はいなかった。

 ルシフはゴルネオの腕から両手を離し、背に置いていた足をどけた。

 

「シャンテ・ライテ。貴様もだ。本能的に俺がどういう奴か分かっている貴様なら、次にこういう事をしたらどうなるか、分かるな? 今のは警告だ。次はないと思え」

 

 シャンテは身体を震わしながら小さく頷いた。

 ルシフは入り口の方に足を進め、レイフォンの横を通って外に出る。

 

「馬鹿が。あのまま外にいれば、手を汚さず奴を潰せた」

 

「……僕は、そんなこと望んでいない」

 

 レイフォンとすれ違いざま、ルシフは小さく呟いた。

 レイフォンもルシフに小声で返す。

 ルシフは鼻を鳴らし、暗闇の中に消えていった。

 ニーナがゴルネオに軽く頭を下げる。

 

「その、すまない。わたしの隊員が迷惑をかけた」

 

「いや、最初に錬金鋼を抜いたのはシャンテだった。こっちこそ、すまなかった」

 

「ゴルッ! 言葉で喧嘩売ってきたのはあっちが先だ!」

 

「……あなたの方でしょう?」

 

「なっ、このっ――」

 

「シャンテ、いい加減にしろ!」

 

「うぅぅぅぅぅぅぅッ!」

 

 ゴルネオがシャンテを叱り、シャンテは唸り声をあげて奥に走り去った。

 

「うちの隊員が迷惑かけてすまなかった」

 

 ゴルネオはフェリの方を見て、謝罪する。

 

「だが、あいつの言葉は俺の気持ちを代弁しただけだ。それだけは知っておいてくれ」

 

「なら、わたしが言った言葉も、わたしの気持ちをそのまま口にしただけです。

兄のやり方に納得しているわけではありません」

 

「承知した。

レイフォン・アルセイフ。俺は天剣授受者のサヴァリス・ルッケンスの弟、ゴルネオ・ルッケンス。いつかお前には報いを与えてやる」

 

 鋭い眼差しでレイフォンを睨みながらゴルネオはそう言い残し、シャンテの後を追った。

 

「なんか知らんが、やけに恨まれてるなぁ、レイフォン。ルシフにあそこまで言われても、まだあれだけ威勢がいいなんざよっぽどだぜ。

なにか心当たりでもあるか?」

 

「……いえ、身に覚えはないですけど」

 

 そう口にして、いや、とレイフォンはある事が頭をよぎった。

 自分を絶対に許せない人物。

 つまり、自分が傷付けたガハルド・バレーンの関係者だったとしたら――。

 レイフォンは身体が少し重くなった感じがした。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 夕食の時間。

 携帯食料があったが、火を使えるならと夕食はレイフォンが作った。

 冷たい携帯食料よりはマシだろうという気持ちでやったことだが、ニーナたちに好評だったため、レイフォンも満足していた。

 ルシフは夕食になっても外に出ていったきり、戻ってこなかった。

 まあルシフに限って何かあるとは思えないし、ルシフがいる場所はフェリが把握しているため、先に食べていようと決まった。

 夕食時にニーナが今度強化合宿をやろうと考えていて、料理が出来る相手を探していたと言っていたが、レイフォンが料理を作れると知って喜んでいた。

 そして夕食後、レイフォンは応接室のソファに座っている。ニーナも一緒だ。

 フェリはあてがわれた自分の部屋に戻り、シャーニッドもどこかに行ってしまった。

 

「レイフォン、話がある」

 

「……なんです?」

 

「本当に、身に覚えがないのか?」

 

「……」

 

 レイフォンは黙り込んだ。

 

「わたしはお前の過去を知っているし、隊長でもある。わたしは何があってもお前の味方だ」

 

「隊長……危険です。ルシフが釘を刺しましたけど、何もしてこないとは言い切れない」

 

 レイフォンにそう言われて、ニーナは笑みを浮かべた。

 

「心配するな。そんなことを恐れてはいない。お前が何かしようとする時は、まずわたしに相談しろ。

わたしが一緒になって考えてやる」

 

 レイフォンは重くなっていた身体が、ニーナの言葉で軽くなったような気がした。

 レイフォンは軽く頬を指でかく。

 グレンダンにいた頃はなんでも一人で決めて、そのまま真っ直ぐ走っていた。それが正しいかどうかも興味がなく、ただ心のままに進み続けた。

 その結果が、今の自分だ。

 どんどん悪い方に進み、それに気付かず最後まで突き進んでしまった。

 でも今度は大丈夫だろう。間違った選択をしても、取り返しがつかなくなる前にニーナが正しい道に引き戻してくれる。

 そんな根拠のないことを、レイフォンは確信した。

 

「隊長がいてくれて、本当に良かったと思います」

 

「い、いきなり何を言い出すんだ」

 

 ニーナが顔を赤くして、そっぽを向く。

 レイフォンはそれがおかしくて微笑んだ。

 それから少しニーナと話をして、ニーナと別れた。

 

 

 その後、レイフォンはフェリの部屋の前に足を運んだ。

 フェリの部屋の扉をノックする。

 

「……はい」

 

「レイフォンです。ちょっといいですか?」

 

「どうぞ」

 

 レイフォンはフェリの部屋に足を踏み入れる。

 部屋に入ったら、扉を閉めた。

 

「……要件は?」

 

「さっきのことです。僕が原因でフェリに迷惑をかけてしまって……」

 

「全くです」

 

 シャンテとのやり取りを思い出し、フェリは露骨に不機嫌な表情になった。

 

「……フォンフォン。わたしは念威操者になりたくないです」

 

「知っています」

 

「でも、念威を使ってしまいます。念威を使うのが、人間が呼吸をするように当たり前のことだからです。

だから、我慢するのが疲れてきました」

 

 寂しそうな表情でフェリは呟いた。

 その感覚に、レイフォンも覚えがあった。

 入学式の時、何故武芸者になりたくなかったのに、剄を使ってしまったのか。

 レイフォンはツェルニに入学するために、勉強漬けの毎日だった。剄も一切使えなかった。

 そのせいで、剄脈が疼いていたのだ。

 剄を使うのが当たり前の身体構造をしている武芸者の身体は、剄を使わないことこそ異常。

 それを、あの時に思い知らされた。

 

「わたしたちはどうして、人間ではないのでしょう?

人間なら、こんな事で苦しまなくてすむのに……」

 

 レイフォンは何も言えなかった。

 しばらく沈んだ表情をしていたフェリだが、はっとしたように顔をあげた。

 

「外、南西二百メルに生体反応。家畜ではありません! ルシフもそこに移動を開始しました」

 

 レイフォンは内力系活剄で全身を強化し、窓から外に飛び出して座標に向かった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 レイフォンが座標に辿り着いた。

 そこにはルシフと、放射状に伸びた角を生やした黄金色の牡山羊(おやぎ)がいた。

 ルシフの横顔をレイフォンは見る。

 ルシフは凄絶な笑みを浮かべていた。背筋が凍り付くような錯覚をしてしまうほど、その表情は恐ろしかった。

 

「アルセイフ、貴様も来たか」

 

 ルシフは視線を牡山羊から外さず言った。

 レイフォンは改めて牡山羊を見る。

 

「なんだ、こいつ?」

 

 牡山羊の大きさは、角も含めてレイフォンの身長ほどあった。

 レイフォンの身体は、汚染獣を前にしたような緊張感に支配されていた。

 直感が告げる。

 こいつはヤバい。

 何故かは分からないが、この牡山羊が放つプレッシャーは尋常ではない。

 

「……お前は違うな」

 

 ルシフでもレイフォンでもない声が、辺りに木霊した。

 この場で話した可能性があるのは、目の前の牡山羊しかいない。

 

「……今喋ったのは、お前か?」

 

 半信半疑で、レイフォンが牡山羊に問いかける。

 牡山羊からの返事はない。牡山羊の口も動いていない。だが、再び声が聞こえてくる。

 

「我が身はすでに朽ち果て、もはやその用を為さず。魂である我は狂おしき憎悪により変革し炎とならん。新たなる我は新たなる用を為さしめんがための主を求める。炎を望む者よ来たれ。炎を望む者を差し向けよ。我が魂を所有するに値する者よ出でよ。さすれば我、イグナシスの塵を払う剣となりて、主が敵の(ことごと)くを灰に変えん」

 

「差し向ける必要などないッ! 何故なら、お前を所有するに足る存在がお前の眼前にいるからだ!」

 

 ルシフが一歩前に進み出る。

 牡山羊がルシフの方に顔を向けた。

 

「お前は……面白いな」

 

 レイフォンもルシフと同じように一歩踏み出そうとして、踏み出せなかった。

 身体が硬直して、身体が動いてくれないのだ。

 考えられる原因は一つ。

 レイフォンが、牡山羊の放つプレッシャーに呑まれている。

 そんなレイフォンの姿を、ルシフは振り返って勝ち誇った表情で見た。

 

「動けんかアルセイフ! こいつの前に立つための資格は力ではなく、強い意志だからな! 貴様のようにブレている奴では動けんのも道理!」

 

「ルシフ、君はあいつがなんなのか知ってるのか!?」

 

 その言葉を無視し、ルシフは牡山羊にゆっくりと近付く。

 もしかしたらレイフォン同様動けなくなるかもしれないと考えていたが、多少プレッシャーを感じるだけで普通に動ける。

 つまり自分はこの牡山羊を手に入れる資格があるということ。

 ルシフの顔に自然と笑みが浮かぶ。

 この時を、どれだけ待ったことか。

 

「我は道具なり。故に我は何者でもない」

 

 牡山羊からの声が響く。

 ルシフは牡山羊の眼前まで近付いた。

 手を伸ばせば、牡山羊に触れる距離。

 

 ――俺以上に、お前に相応しい者はいない。お前は俺のものになるんだ。

 

 ルシフは手を伸ばす。

 そして牡山羊に手が触れる瞬間、牡山羊が浮かび上がった。

 

「……何?」

 

 ルシフは頭上を見上げる。

 牡山羊がルシフを見下ろしていた。

 

 ――一体どういうことだ!?

 

 牡山羊の身体が闇に呑まれるように消えていく。

 

「……待て……行くな」

 

 ルシフは必死に牡山羊に向かって手を伸ばす。

 お前は俺が気に入ったんじゃないのか。

 待て、行くな、行かないでくれ。俺はお前が必要なんだ。頼む、帰ってこい。

 お前がいなければ、俺は――。

 跳ぶという行為も忘れ、ルシフは手を伸ばし続ける。

 牡山羊はそんなルシフを嘲笑うように、光の粒子へと変わっていく。

 

「行くなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 

 ルシフの絶叫が周囲を震わせる。

 もう視界に牡山羊はいなかった。

 ルシフの目は牡山羊が溶けた暗闇を映し、その場で崩れ落ちるように両膝をついて座りこむ。

 

「……何故だ……条件は全て満たしていた……なのに何故……俺に憑依しない……何故俺を拒絶した……何故だ……何故……」

 

 呆然とした表情で呟き続けるルシフ。

 レイフォンはただその場で、その様子を声もなく見守ることしかできなかった。


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