もう日が暮れかかり、夜の帳がおりていく中、ニーナは殺剄で気配を殺してじっと身を屈めている。
ニーナの視線の先には、ディン・ディーと第十小隊隊員たちの後ろ姿がある。
ニーナはディンを尾行していた。
フォーメッドからディンの違法酒を持っているところか、明確に違法酒を使用した証拠を手に入れてきて欲しいと言われている。
実はレイフォンもディンを尾行していてニーナの後方にいるが、ニーナは気付いていない。
余談だが、レイフォンはこのおかしな状況に困惑し、動くに動けずただニーナの後を追うだけになっている。
そうしてしばらく尾行していると、ディンに付いていた隊員たちが自分の寮に帰っていき、ディン一人になった。
そうなった時を見計らったように、ニーナは殺剄を解きディンに近付く。
尾行対象に自ら存在を明かすなど、正気の沙汰ではない。
余談だが、この時レイフォンはニーナの行動を見てとても取り乱した。
「ディン・ディー」
レイフォンがそんな状態であるのも露知らず、ニーナがディンの後方から声を掛けた。
ディンは後方を振り返る。
「ニーナ・アントークか。何の用だ?」
「単刀直入に言う。違法酒に手を出すのを止めろ」
「……ルシフから聞いたのか?」
ディンの予想外の返答に、ニーナは困惑した表情を浮かべた。
「何故ルシフの名前が出てくる?」
ニーナの反応を見て、ディンは薄く笑った。
「以前奴が俺を呼び出し、違法酒のことで脅迫してきた。奴はこう言った。対抗戦で第十七小隊と当たったら、貴様と一対一で勝負しろとな。勝てば違法酒は黙認してやると言わんばかりの口振りだった。
奴の気性はシェーナから聞いている。奴に黙って勝手なことをして、都市警も貴様も無事で済むと思うか? 痛い目を見たくなければ、第十七小隊との対抗戦が終わるまで、余計なことはしない方が身のためだと思うがな」
ドクンと、ニーナの心臓が大きく跳ねた。
ルシフが違法酒の件を自分たちよりも早く知っていたのにも驚いたが、一番驚いたのは自分とディンの一対一をさせようとしている部分だ。
一体それに何の意味があるのか。
ディンがツェルニの武芸者の中でも上位にいるのは間違いない。
しかし、今の自分の相手にはならないと、ニーナは当たり前のように思ってしまった。
ニーナは次の対抗戦のために、第十小隊の今までの試合を映像で分析していた。
違法酒をしていると聞いてから改めてその映像を確認すると、確かに大量の剄がディンの身体から漏れ出ていた。――そう。漏れ出ていたのだ。
つまり、大量の剄を違法酒で得ていても、その恩恵をあまり受けれていない。通常よりちょっと強くなっている程度の実力。
ルシフと鍛練している自分にとって、ルシフより遥かに実力が下の相手が弱く見えてしまうのは仕方ないことだろう。
たとえディンが違法酒を使用したとしても、今の自分は勝つ自信がある。
ルシフにそれが分からない筈がない。
ディンを自分の実力を確かめる試金石にするつもりなのだろうが、ディンでは試金石にもならないと分かっている筈だ。
――ルシフ……一体何を考えている? いや、それよりも……。
考えるべきはディンのことだ。
ルシフのことは後でルシフに直接聞けばいい。
「違法酒は自分の身体を壊してしまう危険な物なんだぞ! 壊れてからじゃ遅いんだ! 今ならまだ間に合う! 違法酒から手を引け!」
「……ニーナ・アントーク。貴様には次の武芸大会でこうしたいと思うものがないのか?
対抗戦で最も成績が良かった小隊が武芸大会の核となり、武芸大会の時の発言力も大きなものになる。分かるか? 勝たなければ! 俺の作戦は他の小隊の作戦と同列に扱われ、武芸大会で使用されるかも分からない! それでは駄目だ! それでは、武芸大会に勝てない! 俺の作戦、俺のやり方で武芸大会に勝利し、ツェルニを守るのだ!」
「別に核とならなくても、その作戦が勝てると判断されれば、周りからも支持は得られる筈だ」
ディンはニーナを嘲笑った。
「何を基準に判断する? 対抗戦で負けてばかりの小隊の作戦が最良と周りが思うか? 対抗戦で勝ち続けた実績こそ、周りから信用される判断材料になる。もっと現実を見ろ」
「お前も理想ばかり見ていないで、現実を見ろ。己の能力を磨く努力を放棄し違法酒に逃げるような行為でどれだけ勝ったところで、そんなもの何の意味もない」
「卑怯な手でシャーニッドを引き抜き、俺の理想を壊した奴がそれを言うか!」
「……わ、わたしは引き抜いてなんか……」
ニーナは落雷に打たれたような衝撃を覚えた。
ニーナの瞳から力が無くなる。ディンに定まっていた視線が逸れ、叱られた子供のように見当違いな方向を視線が彷徨っている。
ディンは力強く両拳を握りしめた。
「――お前には必ず勝つ。勝って、俺は悪魔の後ろ盾を手に入れる。誰も、俺の邪魔は出来なくなる。この都市を守るのは俺だ」
ディンは振り返り、ニーナに背を向けてニーナの前から去っていく。
ニーナはそれをただ見送ることしかできなかった。
◆ ◆ ◆
翌日の昼。
練武館の一室に第十七小隊は集まっていた。
ニーナがナルキの手を引き、ルシフたちの前に立つ。
「新しい隊員だ。仲良くしてくれ」
「今日から――!」
ナルキが一歩進み出て――盛大に転んだ。
室内には訓練のために大量のボールが転がっている。そのボールにナルキは足を取られてしまったのだ。
ナルキは顔を真っ赤にしながら、咳払いをして気を取り直す。
「んっ! んんん! き、今日から第十七小隊に入隊しました、ナルキ・ゲルニです。よ、よろしくお願いします!」
足元にあるボールを怒りを込めて足でどかし、ナルキは一歩前に出て軽く頭を下げた。
ニーナは苦笑して、ナルキの肩を軽く叩く。そして、ニーナも一歩前に出てナルキの隣に立つ。
「それから、明後日に予定していた強化合宿の件だが、諸事情により中止にする。これは決定事項だ」
「なんでまた……」
「私用が入った。強化合宿はまた別の機会に行う。
話は終わりだ。訓練を始める」
室内にある大量のボールの上に全員が立ち、その上で普段通りの動きをする。
単純だが、基礎能力をバランス良く向上させるのにはうってつけの訓練方法だ。
ナルキは何度も転んでいたが、それ以外は全員危なげなく動き回っていた。
そして訓練終了後、ナルキは汗だくで壁にもたれかかり座り込んでいた。どうやら動けないらしい。レイフォンがナルキにスポーツドリンクを渡している。
そんな光景を横目に、シャーニッドは近くにいるニーナに近付いた。
「あの子、都市警の人間だろ? ってこたぁ、ついに都市警がディンたちに目を付けたか?」
「お前、気付いて……」
「あいつらとは長い付き合いだからな、違法酒なんざ使ってたら一目で分かるぜ」
「……確かにお前の言う通り、都市警は違法酒を使っている決定的な証拠を手に入れようとしているが――」
ニーナの視線がルシフを捉える。
「ディンの話では、ルシフが既に違法酒の件で行動を起こしていたようだ。なんでも対抗戦でわたしとディンが一対一で戦い、ディンが勝てば違法酒を見逃すらしい」
「……なんだそりゃ」
シャーニッドが眉をひそめた。
ニーナは首を横に振る。
「わたしにも分からん」
「アントーク、ディンと接触したのか。なら、分かるな? 対抗戦が終わるまで余計な事はするな」
その会話はルシフに聞こえていたらしい。
気付けばルシフがニーナのすぐ近くまで来ていた。
ニーナがルシフの顔を睨む。
「……ルシフ、一つ聞きたい。わたしとディンが戦うことで何の意味がある?」
「貴様なら分かる筈だ。ディン・ディーとの一対一、必ず貴様が勝つ。それは確定している。貴様が勝てば、俺は違法酒の件に関与しない。どこに問題がある? 対抗戦は明日だろう? それまでに、違法酒の決定的な証拠を手に入れられるのか?」
「答えになっていないぞ。お前、一体何を企んでいる?」
「……強いて言うなら、暇潰しにディン・ディーを利用しただけだ。それ以上の意味などない」
「そいつぁ、聞き捨てならねぇな。ディンの心を弄ぶような真似しやがって……許さねぇ!」
シャーニッドが剣帯に吊るしてある二本の錬金鋼を瞬時に復元し、両手に拳銃が握られる。
元々この拳銃は打撃に重きを置いた拳銃であり、銃身部分が分厚くなっている。
その部分でルシフに殴りかかった。
ルシフの頭に銃身が直撃。
しかし、頭に触れた瞬間、シャーニッドの持つ拳銃にヒビが入り、シャーニッドの手の中で一気に砕けた。
「――なっ! うぐッ……」
ルシフがシャーニッドを蹴り飛ばす。
シャーニッドは壁にぶつかり、そのままずり落ちた。
レイフォンは今ルシフがしたことを目を見開いて凝視している。
一言で言えば、常識外れ。
金剛剄は攻撃を反射させる剄技であり、触れた武器を破壊など出来ない。
だが、今ルシフは金剛剄と武器破壊を同時にしてみせた。
「――剄技、金剛絶牙。俺が創ったオリジナルの剄技だ。活剄衝剄混合変化の剄技であり、金剛剄に使った剄をそのまま相手の武器に流し込み、武器破壊を行う。
俺に攻撃を仕掛けた錬金鋼は、もはや形すら留められん」
まさしく悪魔、鬼畜の技である。
錬金鋼で戦う武芸者にとって、錬金鋼は戦う術そのもの。それが、攻撃を加えた瞬間に破壊される。一撃にして、攻撃手段が砕けるのだ。
武器を手に己に刃向かうことを許さないどころか、刃向かう者は武器を手にすることすら許さない。
そんなルシフの心が具現化したような剄技。
この剄技により、ルシフを傷付けられるのは天剣と呼ばれる特別な錬金鋼を持つ者だけに限定された。
ルシフはハイアから盗んだ武器破壊の剄技を昇華させ、金剛剄と組み合わせることでこのえげつない剄技を完成。
着実と最強への頂きに登りつめつつある。
「くそっ」
シャーニッドが残る一つの錬金鋼を復元させ、狙撃銃を握る。そのままルシフの額目掛けて狙撃銃を構え、引き金を引く。
放たれる剄弾。
ルシフは羽虫でも払うように鬱陶しげに手を払い、剄弾をシャーニッドの方に弾いた。
剄弾はシャーニッドの額に命中。
「つぅ~~~~!」
シャーニッドは額を片手で押さえてうずくまる。
ルシフは呆れた顔でため息をついた。
「何がしたいんだお前は?」
そんなルシフに向かって、ようやく動けるようになったナルキが口を開く。
「ルシフ、あたしは都市警に所属する人間として、ディンを捕まえて助けなくちゃいけない。都市を守るためだからと言って、違法酒を黙認するわけにはいかないんだ。法で禁じられているのだから。
遊びでディンを利用しているなら、それを止めてディンを捕まえるために協力してくれ」
「ディン・ディーを捕まえて助ける――か。助けを望んでいない者を助けようとしたところで、何も意味はない。無駄な努力だ」
――周囲の人間にできるのは、道を示すくらいしかない。
ルシフは心の中でそう呟く。
ナルキが目を吊り上げた。
「なら! このまま壊れるまで何もしないと、お前は言うのか! 見損なったぞ!」
ルシフはナルキの言葉を鼻で笑った。
「ふん、どう思われようが、俺は一切気にせん。壊れるなら所詮その程度の奴だったというだけの話だ」
ルシフはボールの上をまるでボールが無いかのような自然体で歩き、扉の方に向かう。
「どこに行くつもりだ?」
ニーナがルシフに問いかけた。
ルシフは顔だけニーナの方に向ける。
「カリアン・ロスのところだ。もし誰かがカリアンの手を借りたり、都市警が勝手に動き出すと面倒なことになりそうだからな。先手を打つ」
「確かに、ディンたちの件はカリアンの旦那も含めて話した方が良さそうだな」
シャーニッドがそう言いつつ立ち上がった。
「生徒会長か……よし!」
ニーナは思案顔で僅かばかり逡巡した後、意を決したように鋭い眼差しになった。
「わたしも生徒会長のところに行くぞ。別に構わないな?」
「好きにしろ」
こうして第十七小隊の面々は、生徒会長室へと向かった。
◆ ◆ ◆
「……ふむ」
カリアンは執務机を前に座り、顎に指を当てて頷いた。
「第十小隊が違法酒を使用――ね。私のところにその話はきていないが、話は理解した。
で、わたしにどうして欲しいのかね?」
「武芸大会が間近に迫ったこの時期に、こんな問題が明るみになったら、武芸長のヴァンゼの旦那や、生徒会長のあんたが責任を問われてクビになるかもしれない。それはまずいだろ? できるなら、内密の処理を頼みたい」
シャーニッドがここぞとばかりに、話を展開される。
「確かに君の言う通り、この問題が明るみになれば武芸科以外の生徒たちから非難の声が上がるだろう。私やヴァンゼの罷免もあり得る。前回の武芸大会で敗れているため、武芸科の印象も悪い。特に武芸科以外の上級生は不満がかなり溜まっているし。
かと言って放置すれば、もっと厄介な問題になる。最悪のケースは武芸大会で違法酒を使用することだ。武芸大会での違法酒の使用は禁止されている。もし学連にバレたら、来期からの援助金の問題や、学園都市の主要収入源である研究データの販売網を失うかもしれない。
事態は思った以上に深刻だね。そう思わないかい、ルシフくん?」
「別に」
カリアンは言外にもう遊びは止めろと言っているわけだが、ルシフは大して気にもせずに言った。
その場にいるルシフを除いた全員が顔をしかめる。
ツェルニの一大事だというのに、この男はまだ遊びを優先するらしい。
「もうすぐ対抗試合で第十小隊と戦う。第十七小隊は攻め手だ。アントークがディン・ディーを倒しても、対抗試合は終わらない。そこからなら、何をしても俺は邪魔をせん。例えば第十小隊に、少なくとも半年は動けない怪我を負わせようとしても、俺は止めない」
「なっ……!」
ルシフの言葉に、その場にいるカリアン以外の全員が絶句した。
ルシフは意外そうに周囲を見渡す。
「貴様ら……一体どうやって違法酒の件を解決しようとしていたんだ? あいつらは自分の意思で違法酒を使用している。身体の自由を奪わない限り、ありとあらゆる方法で違法酒を手に入れようとするだろう。となれば、武芸大会が終わるまで、違法酒を使用している第十小隊の隊員全員を物理的に動けなくしなければならない。内密の処理を願うなら――だ。まぁ第十小隊を退学か都市外退去させる手もあるが、その場合内密の処理は無理だな」
都市外退去、退学となった時点で、何かしらの罪をでっち上げなければならない。
その場合武芸科が問題を起こしたという事実に変わりはなく、それに伴う問題も解決しない。
ルシフを除いた第十七小隊全員が、カリアンに視線を向ける。
カリアンは沈んだ表情で、それらの視線を受け止めた。
そのカリアンの反応から分かってしまった。
違法酒の件を内密に解決するための方法は、今ルシフが言った解決方法と同じなのだと。
「しかし、半年以上の怪我となると……」
ニーナが血の気の引いた顔で呟いた。
ツェルニの医療技術はかなり優秀であり、肉体の欠損や骨折、内臓破壊程度では半年以内に治療出来てしまう。
半年以上となると、神経系の破壊をするしかない。
武芸者の神経は剄路に近い位置にあり、剄路から流れる剄によって守られている。
神経系を破壊しようとすれば、剄脈に対しても何かしらの影響が出る。その場合ほぼ確実に後遺症が残るだろう。ツェルニの医療技術では治せないほどの。
ディンを廃人にしてしまう危険性がある。
「神経系の破壊……か。どうやるんだ? 頭に衝剄でもぶち当てるのか?」
シャーニッドが今にも怒鳴りそうな表情になる。
カリアンは深く息をついた。
「……実際問題、そうしてもらう以外に方法はない。彼らには悪いが、ツェルニの命運と秤にかけて彼らを取れる程、私は優しくないんだ。
で、神経系の破壊は可能なのかな? レイフォン君」
レイフォンは表情を曇らせた。
正直に言えば、出来る。
サイハーデンの剄技の中に封心突という名の剄技があり、その剄技は神経系に影響を与える。
それを使用すれば、外傷なく半年は動けなくなるダメージを神経系に与えられる。
しかし、それにはある問題があった。
それは、自分の得物。
サイハーデンの剄技は刀を使うのが普通であり、剣ではサイハーデンの剄技を最大限
ディンたちを止めるには刀を握るのが必須。
だが、刀は握りたくないのだ。何があっても。たとえそのせいで全力を出せずに命を落としたとしても。
他人から見れば、「なんだその理由は?」と呆れられるかもしれない。
自分でも、刀を握りたくない理由が意地に近いものだと思う。
だとしても、自分はそれを貫くと天剣授受者になった時から決めたのだ。
天剣を失っても、そこだけは失いたくない。
「……生徒会長、少し時間をもらえないだろうか」
いつまでも口を開かないレイフォンを見かねて、ニーナが口を挟む。
カリアンは周りの顔を見た。
ルシフは平然としているが、他は辛そうな顔をしている。
「……そうだね。でも、対抗試合が始まる前までには、返事がほしい。君とディン君の一対一が終了した後、どうするかをね。
都市警に関してはこちらから言って、それまで逮捕しないようにしてもらうよ」
ニーナは静かに頷いた。
「なら、この話は終わりにしよう。実は君たちには私からも別件で用があった。君たちが傷付いた都市から持ち帰った物の解析についてだ」
第十七小隊は廃都市からツェルニに戻った時、廃都市から球体状の物を回収していた。
それを生徒会長に渡し、どういう物か調べてもらっていたのだ。
ニーナたちの表情が引き締まる。
「簡単に言えば、かなり昔――最低でも五十年以上前の戦闘記録だった。女性の形をした兵器と君たちが戦ったという巨人、それらと武芸者たちが戦っている映像。
これが何を意味するかは分からないが、とりあえずこれを持ってきた君たちには教えておこうと思ってね」
「分かりました。ありがとうございます。他には何か?」
「他には……そうだね、ルシフ君だけ話がある。他の人は外してもらえないかな?」
「ルシフだけ?」
ニーナが眉をひそめて、カリアンの顔を凝視する。
「俺だけご指名だ。他の連中はとっとと出ていけ」
「お前は本当に……」
ニーナはルシフの言い草に反感を覚えた。
なんでこの男はこういう言い方しかできないのだろうか。
しかし、カリアンが用があるのはルシフだけなのは事実。
ニーナたちにその場を立ち去る以外の選択肢はなかった。
ルシフとカリアンを除いた全員が生徒会長室から出ていく。
「――さて、俺に用とはなんだ?」
カリアンと二人きりになったのを見計らい、ルシフが口を開いた。
「実は外縁部付近の郊外で、生徒が襲われ物を奪われるという事件が発生しているんだ。被害はまだ三人だが、犯人が捕まっていない以上、被害者が増大していく可能性は否定できない。
そこでルシフ君には、明日の午前中に被害があった場所を調査してもらいたい。そしてもし可能ならば、犯人も捕まえてほしい」
「……ほう?」
ルシフの顔に笑みが浮かんだ。
だが、目は刃物のような鋭さと冷たさを放っている。
カリアンの身体が恐怖で強張った。
間違いなく気分を害した。
カリアンはそれを確信した。
「犯人の目星すら付いてなく、被害があった場所などという今となっては無価値な場所で、明日の午前中が間違いなく徒労で終わるのが分かっていて、そこら辺の武芸者や都市警を使えば事足りることを、あえて俺にやらせると? 頭脳も力も人類史上最も優れるこの俺に? ……その眼鏡かち割って、ついでに曇り切ったその両目も抉りとってやろうか?」
「まっ、待ってくれ! 君はよくその辺りに鍛練をしに行くと聞いた。だから、鍛練のついでに調べてもらいたいと考えただけなんだ。気を悪くしたなら、謝る。すまなかった」
カリアンが深々と頭を下げた。
ルシフは下げた頭を机に叩きつけようと左腕を伸ばす。
半分ほど左腕を伸ばしたところで、ルシフは動きを止めた。
カリアンの性格からは考えられない頼み。
カリアンの性格からすれば、俺に対して積極的に借りを作るような真似はしない。こんな些事、その辺の奴らを使う筈だ。
だからこそ頭にきたわけだが、逆に言えば俺でなければならない理由がある。ならば、その理由は――。
ルシフは左腕を引っ込めた。
「顔を上げろ」
「許して……くれるのかい?」
カリアンがおそるおそる顔を上げる。
ルシフはカリアンに向けて満面の笑みを浮かべた。
「水臭いことを言うな。俺とお前の仲だろう。今のはお前を驚かせたかっただけだ。今住んでる部屋の礼もある。そんな些事、この俺がぱぱっと片付けてやる」
「え゛っ!?」
「心配するな。俺が必ず解決してやるから」
「ちょっ、ちょっとルシフ君、急にどうしたんだい!? すまない! 本当にすまない!! 私に出来る範囲で何でもしよう! だからその笑みを! その笑みを止めてくれぇ!」
「何を取り乱しているんだ? さては、俺に悪いと思っているのか? はははははー、お前の頼みを嫌がるわけないだろー」
「棒読み止めて! 気分を害したTUGUNAIならしよう! だから棒読み止めて!」
身体をガタガタ震わせて、カリアンが悲痛の叫びをあげた。
「……話はそれだけか? なら、俺は帰る」
ルシフは身を翻し、生徒会長室の扉に向かう。
「――ルシフ君。明日の調査にあたり、一つ言いたいことがある」
カリアンが眼鏡を指先で直した。
「何だ?」
「私は、その、決して君をどうにかしようと思ったわけではなく、君なら問題ないと判断した上で、君に調査を頼んだ。そのことを、忘れないでほしい」
ルシフは不敵に笑う。
「……ああ、分かっている」
◆ ◆ ◆
次の日の朝。
ルシフはカリアンから言われた場所に来ていた。マイには内緒で来たため、近くにマイはいない。
だが、マイのことだから念威で見ているだろう。
ルシフの周囲から、何十人もの剄が空に迸った。
事前に潜んでいたのだ。つまり、待ち伏せ。
「さあ、楽しませてみろ! サリンバン教導傭兵団!」
ルシフは勝ち気な笑みで、物陰から飛び出してきた武芸者たちを見据えた。