鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第28話 友

 ニーナは一直線に飛び出した。

 グラウンド内に罠は仕掛けられていない。

 一騎打ちの邪魔になりそうなものは全てグラウンドから排除されている。

 向かいから、ディンが先端に(おもり)が付いた複数のワイヤーを周囲に漂わせて突っ込んでくる姿が見えた。

 周囲に他の隊員はいない。

 どうやらルシフの勝負に乗ったらしい。

 全員レイフォンやシャーニッドをターゲットにしているようだ。

 そんなことを考えていたら、いつの間にかディンのワイヤーの距離に入ったらしい。

 ディンのワイヤーが生き物のようにうねり、複数のワイヤーがそれぞれ別方向から襲いかかってくる。

 

「レストレーション」

 

 ニーナの両手に鉄鞭が握られる。

 両手に持つ鉄鞭で自分の進行方向の邪魔をするワイヤーを弾き飛ばし、ディンの懐に潜り込む。

 目を見開いたディンの顔が間近に迫った。ニーナは身体をひねり、右足での廻し蹴りでディンを後ろに蹴り飛ばす。

 

「ぐっ」

 

 小さく呻き声を漏らし、ディンはグラウンドに後ろから倒れた。蹴られた勢いはそれだけで殺せず、そのまま数メートル地面を滑る。

 ディンは跳び上がって体勢を立て直し、ニーナを見る。その表情に戸惑いの色が含まれた。

 

「こんなにも容易く一撃当てられるとは……。ニーナ・アントーク! 一体何をした! まさか貴様も──」

 

「お前とわたしを一緒にするな!」

 

 ニーナが再びディンに肉薄。右手の鉄鞭でディンの横腹を狙う。

 ディンは咄嗟にワイヤーを編んで鉄鞭を受け止めた。そのまま流す。ニーナの鉄鞭の軌道が斜め上の方に変わった。

 ディンは安堵の息をつこうとして、目の前のニーナが微かに笑ったのを見た。

 直後、ディンの横腹にニーナの右足がめり込んだ。

 ディンの身体が真横に吹き飛ぶ。

 ディンは地面をごろごろ転がった。

 

「な、なんだと……こんな、バカなッ!」

 

 ニーナが当たり前のように足技を使うところを、ディンは初めて見た。

 

「……ディン、わたしに勝ちたいんだろう? なら、もっと死に物狂いでかかってこないと、わたしには勝てないぞ!」

 

「調子に乗るな!」

 

 ディンが複数のワイヤーでニーナに猛攻撃をかける。

 そのことごとくが、ニーナの軽やかな動きにかわされる。

 かわしながら、ニーナはディンに向かって前進する。

 数秒後には、ディンの目の前にニーナが立っていた。

 

「な、なんなんだ貴様は! なぜアレ無しでその動きが──がはッ!」

 

 ニーナが右手の鉄鞭でディンの腹を突いた。

 ディンの身体がくの字に曲がる。

 ニーナが身体を半回転させ、もう一方の鉄鞭を下から振り上げた。それがディンの顎にクリーンヒット。

 ディンの身体は宙を舞った。

 ニーナは跳び、宙に舞っているディンに右の鉄鞭を振るう。

 ディンは地面に叩きつけられた。

 ニーナは更に追撃。

 ディンの腹部に一回転しながらかかと落としをする。

 

「ぐぅ……!」

 

 ディンの口から苦悶の声が出る。

 ディンは全てのワイヤーを操り、自分の上にいるニーナ目掛けて一斉攻撃を仕掛けた。

 ニーナは後方に跳躍して回避。

 

「ごほっ、ごほっ……」

 

 ディンが咳き込みながらも、ゆっくりと立ち上がる。

 後方に跳んだニーナは、二本の鉄鞭をディンに向けていた。

 

「やはりか……」

 

 ニーナが静かに呟いた。

 内力系活剄の変化、旋剄でディンに瞬く間に接近。

 

「ディン。今日は違法酒、飲んでないな?」

 

 耳元で囁かれたニーナの言葉に、ディンは目を見開く。

 ディンの脳裏に、対抗試合が始まる前に隊員たちと話し合った時のことがよぎった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 対抗試合が始まる直前、ディンは違法酒を片手に悩んでいた。

 周囲にいる第十小隊の隊員たちは訝しげにディンを見ている。

 

「隊長、早くディジーを飲みましょう。数時間後には試合です」

 

「……ああ、そうなんだが……」

 

 ディンは違法酒の栓を開け、口元に近付ける。

 

『今、俺はニーナ・アントークを鍛えている。お前よりずっと弱い武芸者だ』

 

『まだまだ貴様には伸び代がある』

 

 脳内に脅してきた時のルシフの声が甦る。

 そこで、違法酒を飲もうとする手が止まる。

 違法酒は強くなるためではなく、勝つために飲むのだ。

 違法酒には副作用がある。

 飲む回数を増やせば増やすほど、武芸者としての命が失われる可能性が高くなる。

 そのことに怖気づいたわけではないが、無駄に命を危険に晒す必要はないんじゃないかと考えてしまう。

 弱い相手に何故、リスクをとる必要があるのか。

 

「……お前たち、今日はディジー抜きで対抗試合に臨む。第十七小隊の人数はルシフを除いた四人。俺たちは七人。十分に勝算はある。

それに俺たちは守り手だ。隊長のニーナ・アントークを戦闘不能にすれば、俺たちの勝利。俺があんな卑怯者に負けるものか」

 

「……本当にそれでいいのか?」

 

 隊員の一人が尋ねる。

 ディンは静かに頷いた。

 

「分かった」

 

 そう言った隊員の顔は、少し嬉しそうだった。いや、他の隊員たちの顔にも笑みがこぼれていた。

 ディンは首を傾げる。

 

 ──こいつらは一体何を嬉しそうにしている?

 

 しかしその疑問は一瞬で霧散し、ディンは錬金鋼に視線を落とす。

 

 ──俺がこの都市を守る。この都市を守るのは俺でなくてはならない。絶対に!

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ディンはワイヤーを握る手を離し、眼前のニーナに殴りかかった。

 予想外の行動だったのか、ニーナは微かに眉を動かす。ニーナが金剛剄を使用し、その拳を受け止めた。

 ニーナの死角から、一本のワイヤーが飛んでくる。

 ニーナが横に跳ぶように移動し、ワイヤーを回避。

 ディンは踏み込み、ニーナに追いすがってワイヤーを放つ。

 ニーナが紙一重でよけた。

 ディンは手に持つワイヤーを力の限り握りしめる。

 

「俺は負けん! 負けてたまるか! 貴様のような卑怯者に!」

 

 ワイヤーによる変幻自在の攻撃。

 ニーナは最小限の動きで回避。そのまま、ディンの方に駆けてくる。

 

 ──ふざけるな! 勝つ! 必ずこいつに! 勝つ!

 

 ディンの中の全神経がニーナに集中していく。

 その時、不思議なことが起きた。

 少なくとも、ディンはそう思った。

 自分の中を流れる剄が、爆発的に増大したような気がした。

 ディンはその感覚のままに複数のワイヤーを繰り出した。

 ニーナ目掛けて鋭く飛んでいく複数のワイヤー。ニーナは少し驚いた表情をしたが、右頬に傷を作りながらなんとかよけた。

 その瞬間、時間差で放たれたワイヤーがニーナの横腹に突き刺さった。

 

「くっ……」

 

 しかし、金剛剄で防いだため、ダメージはそんなにない。

 ニーナの視線が一瞬横腹に突き刺さったワイヤーを捉える。

 そして、再び視線をディンに戻そうとして、ニーナの身体が後方に吹き飛んだ。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 ディンが息を荒くして、呆然と吹き飛んだニーナを見ている。

 ディンは自身の剄の全てを込めた右足の蹴りを、ニーナに叩き込んだ。

 今までワイヤーでの攻撃と防御しか考えてなかった自分に、新しい可能性が見えた気がしたのだ。

 

「……今のはなかなか効いたぞ、ディン。アレ無しでも、それだけ戦えるじゃないか」

 

 ニーナが立ち上がり、鉄鞭をディンに向けた。

 

「……黙れ」

 

 ディンがそう吐き捨てた刹那、ニーナがディンに旋剄で近付き、鉄鞭を振るった。

 ディンの身体はふわりと浮かび上がり、ディンはそのままグラウンドに叩きつけられた。

 ディンは身体を震わせてグラウンドに倒れている。最後の一撃にディンは全てを賭けたため、もう起き上がる余力すらないのだ。

 この瞬間、ニーナの勝ちが決定した。

 この後、予定では第十小隊の違法酒を飲んだ面々にレイフォンが剣で封心突を使い、神経系にダメージを与える段取りだった。

 しかし、今の試合で彼らは違法酒を使用していなかったため、とりあえずそれは中断し対抗試合を普通に戦うことにした。

 結果として、第十七小隊が勝利。

 試合終了のサイレンが、野戦グラウンド中に鳴り響く。

 これで対抗試合は終わり──。

 

「試合しゅぅぅりょおおおお! 第十七小隊が見事勝利を収めました! 見応えのあった両隊長の一騎打──ち、ちょっと! 誰だ! 僕のマイク取ったや……つ……は……ル、ルシフ・ディ・アシェナ!? ひ、ひぃぃぃぃぃぃ!」

 

「この場にいる全員に、伝えたいことがある」

 

 野戦グラウンドのスピーカーからルシフの声が聞こえてきた。

 まさかルシフの奴、あの事をこの場で暴露する気か、と事情を知っている全員が思い、顔から血の気が引いた。

 そんなことをすれば、更に武芸科とそれ以外の科の溝が深まる。

 

「今、対抗試合をした第十小隊は違法酒を密輸し、前の対抗試合まで違法酒を使用していた」

 

 事情を知っている全員が頭を抱えた。

 野戦グラウンドがしんと静まりかえる。

 

「ふ、ふざけんじゃねええええええ!」

 

 数秒後、野戦グラウンドを怒号が埋め尽くした。

 

「この大切な時期に違法酒!? 武芸大会そのものが不戦敗になったらどう責任取るんだ!」

「やっぱり武芸科は腕っぷしばかりで頭が弱いわね! 本末転倒じゃないの!」

「そいつらだけじゃねぇ! 武芸科の奴らが好き勝手やるのを止められなかった武芸長、生徒会長も問題あるだろ!」

「武芸科は本当に今のツェルニの状況分かってるの!? 余計なことしないでよ!」

 

 等々、野戦グラウンドの観客席にいる生徒の声が絶えない。

 

「静かにしろ!」

 

 スピーカーから強烈なルシフの一喝。

 野戦グラウンドは水を打ったように静まった。

 

「確かに違法酒は違法だから違法酒と呼ばれる。当然ツェルニでも違法。だが、貴様らのそういう態度が、あいつらに違法酒という選択をさせた」

 

 前の武芸大会でツェルニは敗北し、セルニウム鉱山を一つ失った。

 ツェルニが所持するセルニウム鉱山は残り一つ。次の武芸大会で敗北すれば、ツェルニは補給できなくなり死ぬ。

 だからこそ、武芸大会に出る武芸科の生徒は、武芸科以外の人間からプレッシャーがあった。武芸大会に負けたのをネタに、武芸科を糾弾する輩も少なからず存在していた。

 

「違法酒を飲んだ八割以上の武芸者は、武芸者として使い物にならなくなる。そんな危険を冒してまで、第十小隊の連中は違法酒を飲んだ。

違法酒を飲むのにどれだけ覚悟が必要だったか、貴様らに想像つくか?」

 

 第十小隊の面々は俯いた。身体を震わせている者もいる。

 彼らは違法酒の恐ろしさを身を持ってよく理解している。

 

「だ、だからと言って違法酒の使用が正当化されるわけじゃない!」

 

「その通り。第十小隊もそれに気付いた。だから、今の試合で違法酒を飲まなかった。そうだな? レイフォン・アルセイフ」

 

「え、僕!? た、確かに彼らの纏う剄は違法酒の影響を受けていなかった。違法酒を飲んでいたら剄を制御できなくなるから、今も彼らの身体から剄が漏れだしてないとおかしい」

 

 レイフォンのところに一枚の六角形の念威端子が近付く。

 レイフォンは戸惑いつつも、念威端子に答えた。

 観客席の生徒たちがざわついている。

 

「分かったか? 第十小隊は違法酒が間違っていると都市警に捕まる前に気付いた。これからはそんなものに頼らず、正しいやり方で力を付けていくと彼らは決意したのだ」

 

 ディンが上半身を両肘をついて起こす。「それは違う!」とディンは叫びたかった。

 今回彼らが違法酒を使用しなかった理由は間違いに気付いたからではない。

 単純に相手が違法酒を飲まなくても勝てるくらい弱いと考えていたからだ。

 それをルシフは更正したから違法酒を飲まなかったと周りに思わせようとしている。

 

「違法酒の使用と密輸は、ツェルニの法では即退学処分。法で裁くなら、第十小隊の面々はツェルニを出ていくことになる。

自らの身体を犠牲にしてまで武芸大会に勝とうとした強い意思を持つ武芸者を、ツェルニを死ぬ気で守ろうとした武芸者を、このまま退学処分にしていいのか? それはツェルニにとって損失じゃないのか?」

 

 ルシフの言葉に、野戦グラウンドが再び静まった。

 それから数秒後、野戦グラウンドは生徒たちの声で揺れた。

 

「第十小隊! そこまでお前らが追いつめられていると知らずに、今まで酷いことを言ってすまなかった!」

「俺たちもツェルニを守るために必死に戦う! だから、お前らだけで背負いこまなくていい! 俺たちと共にツェルニを守ろう!」

「これからは違法酒なんざ絶対使うんじゃねぇぞ! もっと俺たちを信じろ! ツェルニを何がなんでも守りたいのはお前らだけじゃねぇんだ!」

 

 ディンは目を見開いた。

 俺がツェルニを守らなければ駄目だと思っていた。

 シャーニッドが俺たちの前から去り、俺自身の力しか信用できるものはないと思っていた。

 他の武芸科の奴らは、俺たちよりツェルニを守りたい気持ちが弱いと思っていた。

 しかし、そんなことはなかった。

 冷静に考えれば当たり前だ。

 自分たちが住んでいる都市を守りたくない者などいないだろう。

 俺だけじゃない、誰もが俺と同じ思いを持っていたのだ。

 それに、ニーナ・アントークと戦った時、違法酒を使用しなくてももっと自分が強くなれる可能性を感じた。

 結局ニーナ・アントークの言った通り、俺は違法酒という容易く手に入る力に逃げていただけだったんだ。

 ディンの元に、一枚の六角形の念威端子が飛んでくる。

 

『あとはお前次第だ』

 

 念威端子から微かにルシフの声が聞こえてきた。

 ディンは念威端子を凝視する。

 わざわざニーナと一騎打ちをさせた理由。

 ニーナを弱い武芸者と言った理由。

 俺に伸び代があると言った理由。

 それら全ての点が一本の線で繋がった。

 全ては、違法酒を飲まずにニーナと戦うという選択肢を選ばせるため。

 ルシフがいた実況席の方を、ディンは活剄で視力を強化して見た。

 ルシフは立ち上がって、野戦グラウンドの観客席の方を歩いている。野戦グラウンドから出ていくつもりだろう。

 ディンは隣を見た。

 ダルシェナが目に涙を溜めていた。

 

『ディン、お前はなんでも抱え込み過ぎだ。深呼吸して、周りを見てみろよ。きっと違うもんが見えると思うぜ』

 

 不意に、シャーニッドに言われた言葉が脳裏に浮かんだ。

 

 ──ああ、そうか。俺は大切なものが何一つとして見えていなかったのか。

 

 ディンはゆっくりと息を吸い込んだ。

 そして、今の思いを力強く念威端子にぶつける。

 

「違法酒を使用して、みんなに迷惑をかけてすまなかった! 許してもらえるかどうかは分からんが、もし許してもらえるなら、これからは真っ当なやり方でツェルニを守りたいと思う! 俺が──じゃない、ツェルニに住む仲間たち全員で!」

 

 実況席のマイク付近に浮かんでいる別の念威端子にディンの声が伝わり、マイクを通して野戦グラウンド中にディンの声が響いた。

 ディンの言葉を聞いた生徒たちの歓声が、ディンを包みこむ。 

 ディンはゆっくりと息を吐き出し、隣にいるダルシェナを再び見た。

 

「……シェーナ、今まで心配かけて悪かった」

 

 ダルシェナの瞳がこの上なく見開かれる。

 その後、ダルシェナは視線を下に持っていき、地面についているディンの右手を包みこむようにそっと自身の両手を重ねた。

 ダルシェナは両目から涙を溢れさせつつ、ディンに優しく微笑んで小さく首を横に振る。

 それを見たディンの顔にも笑みが生まれた。

 

 

 お互いの手を重ね合わせている二人の姿を、遠目から嬉しそうに眺めている人物がいた。

 

「……ったく、あのヤロォ、はなっからこの絵が見えてやがったな」

 

 ルシフはこうなるのが分かっていて、ディンに勝負を持ちかけたのは疑いようのない事実だった。

 誰もがディンを救えないと諦め切り捨てようとしていた中、ルシフだけがディンを救うのを諦めていなかった。

 

「まったく、ルシフにも困ったものだ。『遊び』だの『暇潰し』など、そんな誤解を生む言い方をせずに、ディンたちを助ける策があると言えば良かったものを」

 

 ニーナがシャーニッドの隣で呟いた。

 

「ルシフのやつ、違法酒の責任をツェルニ全員に押し付けやがった。他にもディンの性格を考慮して、違法酒を飲まないよう言葉巧みにディンを操り、第十小隊が更正したように周りに思わせた。

ホントにどんだけだよ、あいつは! 何より気に入らねぇのは当然のような顔をしてディンたちを助けたことだ。人助けをしても、その行為に一切見返りを求めねぇ。くそっ、かっけぇじゃねぇか」

 

 本気で悔しがっているシャーニッドの様子がおかしくて、ニーナが吹き出した。

 

「ふふっ、それよりもだシャーニッド。お前はさっきルシフにはあの絵が見えていたと言ったな」

 

「ああ」

 

 シャーニッドの視線の先にはディンとダルシェナがいる。

 

「きっとまだ絵は完成していないぞ」

 

 シャーニッドの背を、ニーナが軽く押した。

 

「おわっ! いきなり何すんだ」

 

「行ってこいシャーニッド。あの二人のところに。きっとディンとダルシェナもそれを望んでいる」

 

 ニーナが再びシャーニッドの背を押した。今度は力強く。

 シャーニッドは前につんのめりながら前進し、ディンとダルシェナの前で体勢を立て直した。

 

「……シャーニッド」

 

 ディンがシャーニッドの方に顔を向けた。

 

「……すぐ熱くなりすぎなんだよ、タコ頭が」

 

「何だと!? もう一度言ってみろ!」

 

「あーあー、そんなに怒るなよ。タコっぷりに磨きがかかってるぜ」

 

「……ぐっ! この……!」

 

「……ぷ、あはははははは」

 

 ダルシェナが口元を手で隠して笑う。

 ディンとシャーニッドは顔を見合わせ、二人もダルシェナにつられたように笑った。第十小隊に入隊し、三人で笑い合っていた頃のように──。

 

 

 その後、ディンは隊員たちと共に違法酒を持って都市警に出頭。

 生徒会長のカリアンは違法酒の密輸と違法酒の使用に関しての罰として、現第十小隊の解散を指示。

 ディンはそれを快く承諾した。第十小隊は彼にとってかけがいのないものだった筈だが、彼は憑き物が落ちたような晴れやかな表情をしていたらしい。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 対抗試合があった日の夜。

 ディンとダルシェナはルシフの部屋を訪れていた。

 二人は茶色の椅子に座り、二人の前にあるテーブルには緑茶が入った紙コップが置かれている。

 

「なんの用だ? そもそも、よく俺の部屋が分かったな」

 

「……その、マイに聞いた。用があるわけじゃないが、お前はディンを助けてくれたから、礼を言っておきたいと思ったんだ」

 

「助けた? 礼? 何を勘違いしてるか知らんが、俺は勝負に勝ったから、約束通り違法酒のことを私見を交えてバラしただけだ。それのどこに助けた要素がある?」

 

「お前が助けたつもりはなくとも、俺は助けられたと感じた。だから、お前がどう思っていようが、お前に感謝する。本当に助かった。ありがとう」

 

「……ふん」

 

 ルシフはそっぽを向いた。

 自分の前にあるコップを手に取り、一気に飲み干す。

 飲み干した後、コップを静かにテーブルの上に置いた。

 

「……ディン・ディー。一つ聞くが、この世界から都市間戦争を無くせるとしたら、どうする?」

 

「……都市間戦争を無くす? そんなことできるわけがない!」

 

 セルニウム鉱山は自律型移動都市(レギオス)にとって必須のエネルギー補給場所。

 セルニウム鉱山の数が決まっている以上、奪い合いになるのは仕方ない。

 これがこの世界の人間にとって当たり前の考え。

 頭から信じないのも当然と言えよう。

 

「可能か不可能かは置いといて──だ。 もしそれが可能だったならどうするか? と聞いている」

 

「そんなもの決まっている! 俺のような人間を増やさないためにも、俺は都市間戦争を無くすために全力を尽くす!」

 

 今回のことで、ディンは身をもって知った。

 都市間戦争がもたらす恐怖。負ければ都市を失うという極限状態が、どれだけ人の視野を狭くし狂わせるのかということを。

 ルシフはディンの答えを聞き、満足そうな表情になった。

 

「俺には都市間戦争を無くす方法が分かっているし、その方法を実現させるためにずっと前から動いている。

ディン・ディー。お前が都市間戦争を無くしたいと思うなら、この俺に力を貸してくれないか?」

 

「本当にできるのか?」

 

 ディンとダルシェナが信じられないといった表情でルシフを見ている。

 

「できる。ただ、一つだけ覚悟してもらいたい。俺の都市間戦争を無くす方法は、世界中の人間から悪魔だの鬼だの罵られる、外道極まりない方法。お前が世界中を敵に回す覚悟、地獄に身を置く覚悟ができないなら、お前は必要ない」

 

「……いいだろう。俺は一度破滅しかけた身だ。大したこともできんちっぽけな力ではあるが、俺が協力することで少しでも都市間戦争を無くせる可能性が上がるなら、俺はお前に力を貸そう」

 

「──ダメだ!」

 

 ダルシェナが勢い良く椅子から立ち上がった。

 

「……シェーナ、いきなりどうしたんだ?」

 

「ディン、この男だけは信用してはいけない。この男は平気な顔をして父親を死に追いやったんだ! それも、傍から見ても我が子を大事にしていると分かるほど良い父親を! それだけじゃない! ルシフの父親は弱い人や困っている人に進んで手を差しのべる、とても素晴らしい人だった。そんな人を、こいつは!」

 

「……ホントか?」

 

「……確かに、俺が殺したようなものだな」

 

「父親が嫌いだったのか?」

 

「いや、好きだったが」

 

「なら、何故?」

 

「……一言で言えば、俺の思い描く世界には不要の存在だったから、だな。

俺を信じられないなら、別にそれでもいい。無理強いするつもりもない」

 

 ディンはしばらく顎に指を当てて考え込んでいた。

 数分後、ディンは結論が出たらしく、ルシフを見据えて口を開く。

 

「……お前がいなかったら、俺は今でも違法酒に手を出していただろう。お前のお陰で今の俺がある。俺をゴミみたいに扱おうが、俺はそれを受け入れる。

それに、お前が並外れた人物でないのは今回の件で十分に理解した。だから、都市間戦争を無くすなんて夢物語だと思う一方で、もしかしたらと思ってしまう。多分、俺はお前が何をやろうとしているか近くで見たいんだ」

 

「ディン!」

 

 ダルシェナが悲痛な面持ちで叫んだ。

 ディンはダルシェナに視線を向ける。

 

「シェーナ、お前はルシフを嫌っているようだから、俺に付き合わなくていい」

 

「……ディン、私はディンを支えるとずっと前から決めている。だから、ディンがルシフに協力するなら、私も協力しよう。

ルシフ、イアハイムの王の娘とか関係なく、私を好きなように使ってくれていい。お前のことは気に入らないが、恩もある。ただし、ディンを痛めつけたら許さないからな」

 

 ダルシェナがルシフを睨みつけた。

 

「そんなことはしない。今この瞬間から、お前たちは俺の同志なのだから。

ディン、ダルシェナ。これからよろしくな」

 

 ルシフはいつもの威圧的な笑みではなく、無邪気な少年のような笑みを浮かべた。

 それを直視した破壊力は、異性のダルシェナだけでなく、同性のディンすら顔を赤くするほどの破壊力だった。

 

「お、俺はこれで失礼する!」

 

「わ、私もだ! 夜に訪ねて悪かった」

 

 二人は慌てて椅子から立ち上がり、ルシフの部屋から出ていった。

 ルシフ一人になった部屋。

 ルシフは椅子に座り、最近買った小説を読み始める。

 そんなルシフの正面に、廃貴族が顕現した。

 

「なんだ?」

 

 本から目を逸らさず、ルシフが言った。

 

《本気か? 都市間戦争は創世以来の理。無くせる筈がない》

 

「無くせるかどうかじゃない。無くすんだよ。どんな手を使っても。だが、俺一人の力では不可能。お前の力が必要だ、廃貴族」

 

《……我はすでに汝の力ではないか》

 

「違う。お前はただ宿主が望んだから望むだけの力を貸しているに過ぎない。お前自身の意思で、俺に力を貸したいという気持ちがない」

 

《我は道具。道具に感情などない》

 

「なら何故、廃都市で死んだ奴らの墓を作った?」

 

《…………気付いていたのか》

 

「廃都市を探索した時、死体どころか肉片の欠片すら見当たらなかった。誰かが片付けなければ、そんな状態にはならない。そして、片付けた可能性のあるものはお前しかいない」

 

 廃貴族はじっとルシフを見ている。

 ルシフは読んでいた本を畳み、テーブルの上に置いた。

 

「お前のイグナシスとやらへの憎悪と怒り。イグナシスが汚染獣に関わるものだとはなんとなく理解できる。

だが、そもそも何故お前はそれ程までにイグナシスを憎む? その答えは廃都市がお前の都市で、そこに住んでいた住民を愛していたからだ。だから、その住民の命を奪ったイグナシスに関わるものが許せない」

 

 ずっと無表情だった廃貴族の表情が、少し変化した。人間の表情で例えるなら、はっとした表情にみえる。

 

「お前がイグナシスを滅ぼしたい理由。それは、死んでいった都市民の復讐。だが、もういいだろう」

 

《……何?》

 

「俺は都市間戦争を無くすつもりだ。それと同時にお前が憎むイグナシスとやらも滅ぼそう。死んでいった者たちのためではない。今を生きる者たちのために。

お前も、死んだ者たちのためではなく、この先を生きる者たちのために、その力を振るえ。

お前は優しすぎるがゆえに、大切なことが見えていない」

 

 廃貴族はルシフの顔をじっと見つめる。

 

《……メルニスク》

 

「……は?」

 

《我の名だ。汝は知りたがっていただろう?》

 

 それを聞いて、ルシフは本当に嬉しそうな笑みを浮かべる。

 

「そうか。メルニスク……メルニスクか」

 

《我は力。だがルシフよ。汝が我に心を望むなら、お前の傍らにいる間は心を持とう。今生きる者のために力を振るおう。主の命ゆえに》

 

 ルシフはメルニスクの頭に手を置き、動物を撫でるように撫でた。

 メルニスクは驚いたようにルシフを見ている。

 

「……俺は誰よりも先を歩き、人類を導く『王』。故に、誰一人として、俺の隣を歩くことは許さない。だが、メルニスク。お前だけは、俺の隣を歩くことを許そう。俺の理想を実現するための力としてではなく、俺と同じ理想を追い求める友として。だから、これから俺を主と呼ぶな。お前に命令はせん」

 

 メルニスクは自分を友と呼んだ男をまじまじと見つめる。

 平気な顔で人を騙し、人を痛めつけ、他人の心など一切考えない。

 その一方で、他人を助けるために動く。

 

 ──外側は誰よりも歪んでいる。だが、その内にある芯は誰よりも真っ直ぐ……か。

 

 だから、こんなにも人を惹き付け、人外である我の心すら動かすのか。

 

 

 この時から、ルシフとメルニスクは主従の関係ではなく、対等の関係になった。ルシフにとっては唯一の──。

 

「メルニスク。ずっと同じことを繰り返す、停滞しきった世界の時を、共に動かそう」

 

 だからこそ、ルシフは心からの笑みを、メルニスクに送った。




……おや!?メルニスクのようすが……!

しんかさせますか?

>しんかさせる。

 しんかさせない。

おめでとう!メルニスクはデレニスクにしんかした!


てなわけで、原作4巻終了です。

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