鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第30話 女王命令

 グレンダンにある寮の一室。

 リーリンは椅子に座り、自分の前にある机の上に置いてある小さな木箱を眺めていた。

 この木箱を貰った経緯は一月前まで遡る。

 リーリンとレイフォンの育ての親であり、レイフォンにサイハーデン刀争術を教えた師匠のデルクが、サイハーデンの技を全て伝授した証として、レイフォンにこの木箱を渡してほしいとリーリンに渡してきたのだ。

 木箱の中身は鋼鉄錬金鋼(アイアンダイト)

 養父のデルクから、この木箱を渡すためにレイフォンに会いに行ってもいいと言われた。もし嫌なら郵送でツェルニに送ればいいとも。

 デルクはリーリンに選択肢をくれたのだ。

 しかし選べずに迷い、一月が過ぎてしまった。

 いや、自分が選びたい選択肢は分かっている。

 レイフォンに会いたい。とても会いたい。会いたくて仕方がない。

 しかし、移動し続けている他都市に到着する正確な時間が分からない。ある人が言うには、遅いと三ヶ月もかかる場合があるらしい。早くても数週間は確実。

 ツェルニに行ったら、今通っている学校を半年は休まないといけない計算になる。そうなれば出席日数が足りなくなり、留年してしまう可能性が出てくる。

 余分に一年学費がかかってしまう。

 レイフォンが闇試合に出てまで稼いだお金を一年無駄に使うことになる。

 それをレイフォンが喜ぶのか? 許してくれるのか?

 レイフォンが闇試合に出てまでお金に執着した理由に、リーリンは心当たりがあった。

 レイフォンが天剣授受者になる前にあった食料危機。

 グレンダンの生産プラントの家畜に原因不明の病気が流行(はや)ってしまい、食糧の生産力が一気に低下した影響で、多くの餓死者を出してしまった。あちこちで市民の暴動も起きた。食糧は配給制となり、武芸者の方がたくさんの食糧をもらえていた。当然レイフォンも武芸者だったため、孤児院の他の子よりもたくさんの食糧をもらっていた。

 一番苦しかった半年間を過ぎても、しばらく物価が高かった。

 その出来事が、レイフォンの心に何かを刻みこんでしまったのだ。

 何においてもお金が大事だと考えるようになってしまったのだ。

 そんな思いでレイフォンがなりふり構わず必死に稼いできたお金を一年も無駄にしたら、レイフォンはどう思うだろうか?

 結局、レイフォンに会った時に何を言われるか分からないから、一ヶ月も尻込みしているのだろう。

 そして、その答えはグレンダンにいる限り永遠に分からないのだ。堂々巡りをずっと繰り返して時間だけが過ぎていく。

 ずっとこの無意味に迷う時間が続くと思っていた。あの人に会うまでは──。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 

 ──何か奢るから、一緒にどこか行こう。

 

 同じ学校の先輩──シノーラ・アレイスラがそうリーリンを誘って、リーリンを半ば強制的に停留所近くの公園に連れてきた。

 二人の手の中には紙で包まれた揚げパンがある。

 一度食べてみたかったと口に出しながら美味しそうに揚げパンを食べるシノーラの姿を見て、リーリンは呆れたように息をついた。

 

 ──揚げパンを食べたことがないなんて、一体どれだけお金持ちなんだろう?

 

 リーリンはそう思いつつ、手の中の揚げパンをかじる。

 美味しい。

 口の中にパンのやわらかさと香ばしさ、そしてパンの上にまぶされた砂糖の甘さが広がっていく。

 

「美味しい。いいね、これ」

 

 シノーラは満足そうな表情でそう言った。

 そして、シノーラは一つ食べ終えたら大きな紙袋の中からすぐ次の揚げパンを取り、食べ始めた。それを食べ終わるとまた次、それも食べ終わるとそのまた次──。

 ……食べすぎじゃない?

 リーリンはその光景をぽかんと眺めていた。

 そうして、あっという間に揚げパンが無くなった。

 

「食べたりない」

 

「いや、食べすぎですから」

 

 シノーラはリーリンの二倍以上食べていた。

 それだけ食べてもまだ食べたいと言えるシノーラの抜群なプロポーションの身体を見て、リーリンはため息をついた。

 

「──で、悩みがあるんでしょ? 先輩に話してみなさい」

 

「悩みなんてそんな──」

 

「いいから」

 

「別に悩みってほどでも──」

 

「いいからいいから。話してみなさい。お姉さんがスパンと解決してあげるから」

 

 どれだけ否定してもぐいぐい押してくるシノーラに、リーリンはついに観念した。

 

「……会いたい人がいるんです」

 

 その言葉を皮切りに、今自分が抱えているものを全部シノーラに話した。

 

「──で、なんで会いに行かないの?」

 

 リーリンの現状を把握した上で、シノーラが平然と言った。

 

「……え? だって──」

 

「会いたい人に会いに行ってどう思われるか──なんて、その会いたい人しか答えを持ってないよ。考えるだけ無駄」

 

 シノーラはいつもの軽薄な笑みを消していた。

 

「なのに、君はずっと無駄なことを考えて、答えを先延ばしにしている。どうしてか分かるかい?」

 

 リーリンは言葉が出てこなかった。

 その先の言葉は聞きたくないと心が必死に叫んでいるが、言葉が喉の奥でつっかえている。

 

「君は怖がってるんだ。もう君は答えが出ている。だけど、その答えの先には想像もつかない痛みが待ち受けているかもしれない。その痛みに触れたくないだけなんだよ。痛みから逃げてるんだ」

 

「ッ!」

 

 そんなことはないと言おうとして、シノーラの言葉を否定できる材料がないことに気付いた。

 

「誰だって傷つくのは嫌だよ。でも、痛みを知らない、挫折を知らない人間ほど薄っぺらい人間はいない。

人は痛みを知り、挫折を知ることで深く、美しくなっていく生き物じゃないかな。

痛みの中に飛び込んだ人間は、きっと飛び込む前より辛い思いを味わうだろうけど、飛び込む前よりもずっと輝いているとわたしは思うよ」

 

 シノーラはそう言うと、リーリンを置いて公園を出ていった。

 

 

 その後、リーリンは寮に戻り、ベッドに倒れこんで眠った。

 リーリンの中で何かが変わっていた。

 その何かを受け入れるために、リーリンには睡眠が必要だった。

 

「ツェルニに行こう」

 

 夕方から早朝までぐっすりと眠ったリーリンは、身体をゆっくりと起こしてそう呟いた。

 身体はとても軽い。

 眠り過ぎた倦怠感もない。

 もう腹は(くく)れた。身体がそう言っているようだ。

 リーリンは静かにベッドから降りた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 シノーラ・アレイスラは今、グレンダン中央に位置する王宮にいる。それも王家が暮らす区画の一室。

 シノーラは高級そうな椅子に座り、自分の前のテーブルの上に置いてある書類の数々を気だるそうに眺めている。

 不意に扉をノックする音が聞こえた。

 

「……入れ」

 

「失礼いたします、陛下」

 

 シノーラ──アルシェイラは面倒くさそうに部屋に入ってきた人物の方に顔を向ける。

 入ってきたのはアルシェイラによく似た女性だった。

 カナリス・エアリフォス・リヴィン。天剣授受者の一人。

 黒髪を腰の下くらいまで伸ばしている美人。

 

「何、カナリス。もうこれ以上書類はいらないんだけど」

 

「サリンバン教導傭兵団三代目団長──ハイア・サリンバン・ライアから手紙が届きました」

 

「ふ~ん。で? なんて書いてあったの? あなたのことだから、内容は確認してるんでしょ?」

 

 アルシェイラは頬杖をついて、あくびを噛み殺している。

 

「ツェルニで廃貴族を発見したようです。しかし、もうすでに宿主を見つけた後だと」

 

「……何だって?」

 

 アルシェイラの脳裏に、何故かルシフの顔が浮かんだ。

 いや、それはさすがに都合が良すぎる。あり得ない。

 アルシェイラは顔を引き締めて、右手をカナリスの方に伸ばした。

 

「ちょうだい」

 

「はい、どうぞ」

 

 アルシェイラの右手に手紙が置かれる。

 アルシェイラは手紙を広げ、内容を読んだ。

 要約すると、ツェルニのルシフに廃貴族が宿り、ルシフを捕まえるためにサリンバン教導傭兵団が総力をあげて挑むも、廃貴族の暴走により捕獲に失敗した。応援をツェルニに送ってほしい──という内容。

 アルシェイラの目が大きく見開かれた。

 

「廃貴族を宿したのはあのルシフ・ディ・アシェナです。彼に関する報告は以前から聞いていますが、元々の地力ですでに天剣並みとか。

まぁわたしより、直接お会いして闘われた陛下の方がより正確な分析ができると思いますが」

 

「間違いなく天剣並みよ。それも、リンテンスをも上回るかもしれないくらいの──ね」

 

「まさか。ご冗談でしょう?」

 

 カナリスが緊張でごくりと唾を呑み込んだ。

 

「言わなかったけどわたし、この子に無傷で勝ってないのよね」

 

「………………え? 今、なんとおっしゃいました?」

 

 カナリスが信じられないという表情をしている。

 アルシェイラは軽く息をついた。

 

「だから、この子には火傷を負わされたのよ。右手の平一面に」

 

「いくらなんでも手を抜きすぎでは?」

 

「確かに手は抜いてたよ。でも、天剣三人同時にぶっ潰した時くらいの力で闘った」

 

 カナリスがあんぐりと口を開けている。

 かつてアルシェイラに牙を剥いた三人の天剣の内の一人であるカナリスには、当時のアルシェイラの実力を身をもって知っていた。

 故に、余計に信じられない。

 

「まぁ次闘う時は、無傷でボコボコにできるけど」

 

 こんなことを口にする辺り、アルシェイラはかなりの負けず嫌いだと分かる。

 

「本当ですか?」

 

 カナリスが疑いの視線をアルシェイラに送った。

 

「本当──と言いたいところだけど、百パーセントとは言えないわね。あの子は何してくるか読めない怖さがあるから。廃貴族を手に入れて、更に厄介になったし」

 

 ルシフの怖さは剄量や剄の扱いよりも、勝つために頭脳をフル活動させるところだろう。そして、勝つために手段を選ばない。

 大抵の人間には型がある。この人間がどう行動してどう闘うか、ある程度予想できる。

 しかし、ルシフには型と呼べるものがない。型破りというべきか、想像もつかない行動、闘い方を平然としてくる。

 

「ルシフは廃貴族を制御できていないので、廃貴族は戦力から外してもよろしいのでは?」

 

「なんでそう思うの?」

 

「手紙に書いてあるじゃないですか。廃貴族の暴走により、失敗した──と」

 

「ああ、それね。廃貴族に暴走されて、身体の自由を奪われる。それが本当なら、ルシフは大した脅威じゃない」

 

 カナリスがハッとした表情になる。

 

「この手紙が捏造だとおっしゃられるのですか? サリンバン教導傭兵団の名を騙り、ルシフ自身が書いたものだと? ですが、しっかりサリンバン教導傭兵団を象徴する印が押してありますし、何よりこんなものをグレンダンに送る意味が分かりません。

廃貴族がいるという嘘情報をグレンダンに伝えて、戦力を分散させるのが目的でしょうか」

 

 地力で天剣並みのルシフが廃貴族を手に入れたとなれば、同じく天剣並みの武芸者で対応せざるを得ない。

 そこを各個撃破して確実にグレンダンの戦力を削いでいくつもりか、とカナリスは考えた。

 

「……それくらい浅い考えの奴だったら楽なんだけどねぇ」

 

 アルシェイラはテーブルの端の方に置いてある透明なグラスを取り、水を飲んで喉を潤した。

 

「この手紙は十中八九、ハイア・サリンバン・ライアが書いたものだよ。だからこそ、この手紙の内容は信憑性が高まる。

仮に、わざと廃貴族が暴走したようにみせてサリンバン教導傭兵団を壊滅させたと仮定したら、どうなる?」

 

「……実際は廃貴族を使いこなせていることになりますから、油断を誘うため……でしょうか」

 

 カナリスが顎に細い指を当てて答えた。

 

「誰の?」

 

「誰ってそれは当然……まさかッ!?」

 

 アルシェイラは椅子に深くもたれかかった。

 

「……サリンバン教導傭兵団はグレンダンの命で外に出ている。自分たちの手に負えない相手がグレンダンから命じられた目標なら、グレンダンに応援を頼むのは必然。なんたってグレンダンが(ほっ)しているものなんだから、断られる可能性は低い。

ルシフはグレンダンを長年探り続けていた。これくらいの予測はサリンバン教導傭兵団と闘う前からつくかもしれない。

それに、ルシフの言葉、行動は嘘にまみれている」

 

「と、おっしゃられますと?」

 

「わたし、ルシフと闘う前に訊いたのよ。なんでグレンダンを長年探っていたのかって。あいつは平然と自分に相応しい錬金鋼がグレンダンにあると考えたから、と言った。その時は深く考えなかったけど、よくよく考えてみればおかしいのよね。この答えは」

 

 天剣の存在はグレンダンでは当たり前である。一部の武芸者しか知らないとかではなく、それこそ剄を持たない一般人ですら知っている。

 つまり、探り始めてすぐにルシフは目的の物を見つけた筈なのだ。しかし、何年間もグレンダンに人をやってグレンダンの情勢に目を向け、グレンダンに関する資料を買い漁っていた。

 これらから導き出される解──ルシフの目的は天剣ではなく、グレンダンそのものだった。

 カナリスにそう伝えると、カナリスの表情が強張った。

 アルシェイラは話を続ける。

 

「わたしはサリンバン教導傭兵団とハイアって奴がどれくらい強いのか知らないけれど、ルシフの強さはよく分かっているつもり。多分、全力でわたしに勝ちにきてたから。

そもそもの話。廃貴族無しのルシフの力で十分だと思うのよ。サリンバン教導傭兵団を壊滅させるなんて」

 

 廃貴族は宿主が危機に陥らなければ余計な手出しをしない筈だ。暴走状態になるには、ルシフは強すぎる。

 と考えていけば、自ずと廃貴族が暴走したというのがルシフの策略であり、その策略は他でもないアルシェイラ自身に向けられていると分かる。

 そして、そうアルシェイラが読むこともルシフは計算済みなのだろう。

 あえて自分を警戒させるような手を打っている。 

 これが一体何を狙っているのか。

 

「──随分と面白そうな話をされていますね」

 

 カナリスの背後から男の声が聞こえた。

 カナリスは振り返って声の主を見る。

 サヴァリス・クォルラフィン・ルッケンス。天剣授受者の一人。長めの銀髪を後ろで括った長身の男。

 カナリスは不愉快そうに顔を歪める。

 

「何の用? 用もなくこんなところに散歩しにくるあんたじゃないでしょ」

 

 アルシェイラがサヴァリスを見た。

 

「今陛下が話されていたことについてです。僕の弟はツェルニに通っていますので、弟の手紙で廃貴族がツェルニの学生に憑依したと知りまして。しかも、その憑依した学生が以前から要注意人物として名があがっている人物ならば、これは陛下にお伝えしなければとこうして陛下の元に訪れたのです」

 

 サヴァリスはニコニコとわざとらしく笑みを浮かべている。

 今のサヴァリスの話から、ハイアからの手紙はルシフの捏造ではなく本物だと分かった。

 

「……で、伝えにきただけが目的じゃないでしょ。ルシフと闘ってみたいの?」

 

「さっすが陛下! 僕のことをよく分かってらっしゃる。その通りです。僕に廃貴族の回収任務を任せていただきたいと思いまして。

ツェルニには弟がいる分、僕が一番動きやすい。それに、他の連中じゃツェルニを壊してしまうかもしれませんよ。リンテンスさんはレイフォンがいるのでやりにくいんじゃないですか? 自身の技を伝授した弟子みたいなものでしょうから」

 

「……レイフォンね。そういえばツェルニにいたね……あっ!」

 

 アルシェイラが何かに気付いたように声をあげた。

 

「どうされたんです? レイフォンに何か問題でも?」

 

「レイフォンに問題というか、レイフォンに会いにいく人間に問題がある」

 

「リーリン・マーフェスですか。陛下のお気に入りの」

 

 カナリスが微かに暗い笑みを貼り付け、唇の端を吊り上げる。

 アルシェイラはサヴァリスの方を見ていたため、気付けない。

 アルシェイラはカナリスの方に視線を向ける。

 

「友達は大事にしないとね。リーリンがツェルニに行く途中で汚染獣に襲撃されたり、都市間戦争に巻き込まれて危険な目にあったらかわいそうでしょ。

てなわけでサヴァリス。あんたに廃貴族回収任務を任せてあげるから、リーリンをしっかり守ること。傷一つつけたらあんたを潰すから。プチッと」

 

「……分かりました」

 

 サヴァリスはやや引きつった笑みになった。

 

「それとカナリス。あなたもサヴァリスと共にリーリンを護衛しなさい。正直ルシフの相手はサヴァリス一人じゃ確実といえない。そして、もし勝てそうになかったら、他の天剣囮にしてでもリーリンを連れてルシフから逃げること。いい?」

 

「陛下! 天剣授受者を二人も外に出すなんて前例がありません! それに、わたしに行く気は──」

 

「二人じゃないわ。天剣をもう一人つける。あなたに関しては女王命令。拒否権はない」

 

 カナリスとサヴァリスの顔が驚愕に染まった。

 天剣三人も一般人の護衛につける。正直、正気の沙汰ではない。

 それほどまでに、アルシェイラの中でルシフの評価が高いのだ。

 

「それで、あと一人は……?」

 

「そうねぇ。ティグ爺がいいかと思ったけど、結構年いってるし……決めた! カルヴァーンにしよう。あの性格なら断れないでしょ。

以前わたしに歯向かった天剣三人をリーリンの護衛と廃貴族の回収にあてる。あなたたちのわたしへの忠誠、しっかりと示しなさい。あと、カナリスは髪型変えて行きなさい。その髪型だとわたしだって思われるかもしれないから。

それと、天剣の持ち出しを許可する。その代わり、死んでも奪われるな」

 

 カナリスは諦めたようにうなだれた。

 サヴァリスも一人ではなく二人も余計なものをつけられて不満気な様子。純粋に戦闘を楽しめないとでも考えているのだろう。

 二人とも力なく礼をし、部屋から立ち去った。

 

 

 

 そして数日後、リーリンと天剣三人を乗せた放浪バスはグレンダンを旅立っていった。

 地平線の向こうに消えていく放浪バスを、アルシェイラは外縁部の端からずっと眺めている。

 不安要素はある。それも爆弾と呼べるほどに致命的な不安要素。

 天剣三人が護衛する一般人。

 ルシフは天剣がグレンダンにとってどういう存在か理解している筈だ。

 天剣三人に護衛されている一般人を見て、グレンダンにとって重要な存在と考えてしまったら?

 グレンダンの女王にとって有効なカードになると考え、リーリンを捕まえて監禁しようと考えたら?

 もちろん、こう考える可能性がとてつもなく低いのは分かっている。だが、(ゼロ)じゃない。

 アルシェイラにとって、ルシフは何をするか分からない怖さがある。たとえ女でも平然と人質にするんじゃないかと思わせる危うさがある。

 それに天剣授受者三人がもし負けたら、天剣を三本も奪われるかもしれない。

 

「う~ん。あの時、首根っこ掴んででもグレンダンに連れてくれば良かったかな? そうすれば、こんな風に悩まされることもなかったのに」

 

 ルシフをボコボコにしてそのまま放置したから、こんな面倒事になっている。

 あの時息の根を止めておくべきだったか?

 半ば本気でアルシェイラがそう考えていると、アルシェイラの隣に犬に似た蒼銀色の獣の姿が顕現した。

 獣の名はグレンダン。

 

「あなたの同類のせいで、もう最悪よ」

 

「我に言われても……な」

 

 メルニスクと同類の狂った電子精霊。かつて廃貴族と呼ばれていたもの。それがグレンダンの正体であった。

 

「そのルシフ・ディ・アシェナという者……興味深いな」

 

「……へぇ。あなたがそんなことを言うなんてね」

 

 アルシェイラは意外そうな表情で、隣にいるグレンダンを見下ろした。

 

「……我らは、ただ力を求める者に惹かれはしない。強靭な意志こそ、我らが望むもの。

ツェルニにいる同類はその男の心に何を見たのか……」

 

 アルシェイラは再び視線を放浪バスの方に向けた。

 ルシフはただ力だけを求める男だと思っている。

 『剣狼隊』なる屈強な武芸者集団を組織し、イアハイムの武芸者向上に力を入れていたのは、イアハイムに潜りこませていた者から聞いていた。

 しかし、そう思うのは間違いなのか。

 力を求め続ける裏には、何かとんでもない野心を持っているのか。

 

「強靭な意志……ね。力を手に入れる以外で一体どんな望みがあの男にあるのかねぇ。

なんにせよ、ルシフはまたわたしに喧嘩を売った。しっかり高値で買わせてもらうわ。いずれ────ね」

 

 放浪バスは地平線の彼方に消えていった。

 強大な力を持つアルシェイラですら、もう放浪バスは見えない。

 しかし、アルシェイラは目を逸らさずにずっと放浪バスが消えていった方向を見ていた。

 ルシフは廃貴族を事前に知っていた可能性があると手紙に書かれていた。

 もしそうなら、闘う前にルシフが言っていた『いつか力を付けて』という言葉に信憑性が出てくる。

 努力ではどうにもならない差があるのを分かっていながら、自分をいずれ超えられると考えていた。

 力を付ける手段で廃貴族を当てにしていたのだとしたら?

 

 ──まるで運命がルシフの望む形になっているようね。

 

 アルシェイラはため息をついた。

 ツェルニなどというなんの変哲もない都市を選び、そこで都合良く望む力を手に入れる。

 運命がルシフの味方をしているとしか思えない。

 

「さて、運命は次にどちらの味方をするのかな」

 

 アルシェイラは静かに呟いた。

 

「ルシフという男がお前の言う通りの者なら……荒れるな」

 

 グレンダンはアルシェイラと同じ方向を眺めながら、腹を地面につけてごろんと寝転がった。

 


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