カリアンがルシフの部屋の椅子に座っている。
ルシフに呼び出されたからだ。
弱みを握られているカリアンに断るという選択肢はなく、ルシフの呼び出しに応じざるを得なかった。
カリアンの前にあるテーブルには湯飲みがある。
カリアンが湯飲みを持ち中を見ると、翡翠のような綺麗な色をしたお茶が入っていた。湯気には清らかなお茶の芳香が含まれ、部屋全体に仄かなお茶の香りが充満している。
「カリアン・ロス、よく来てくれた」
ルシフがカリアンの向かいの椅子に腰掛けた。
「一体なんの用だい? 私だっていつも君の呼び出しに応じられるわけじゃないんだ。生徒会長室に来るなら話は別だけどね」
「……カリアン・ロス。一から十まで説明しないと分からないのか?」
若干不機嫌になったルシフの雰囲気を感じとり、カリアンの身体は硬直した。
「まず、何故生徒会長室ではなく俺の部屋なのかは、この部屋が完全防音であり、俺とお前以外いないからだ。つまり、お前以外の人間に聞かれたくない話をするために、こうして俺の部屋に来るよう言った。それに、この寮はお前の寮から近い。
次に、いつも呼び出しに応じられないとか言ったが、だから生徒会長としての業務が落ち着く夜にした。つまり、俺はお前が来れる時間帯にしか来いと言わない。
俺はお前を買っているんだ。これくらい察しろ」
カリアンはルシフを驚きの表情で見た。
てっきり弱みを握り優位に立ったから、自分のことしか考えず自分の部屋や時間帯を選んでいると思っていた。
まさか自分が比較的時間を作れる時間や、自分が行きやすい場所を考慮したうえで自身の部屋を選んでいるとは思いもしなかった。
──そうだ。この男はこういう男だ。
自分自身のことしか眼中にないような立ち振舞いや言葉を吐きながら、その実他人のことや事情をしっかり考えている。
第十小隊の違法酒の件でとったルシフの言動、行動こそその最たるものではないか。
「それはすまない。君は自分のことしか考えない男だとまだ思っていた。私は君を見誤っていたようだ」
「カリアン・ロス。俺は変わっていない。ツェルニに来た時から、十年前から何一つな。だが、周りの奴等は皆、印象が変わったと言う」
カリアンはハッとなってルシフを見た。
ルシフは勝ち気な笑みになる。
「いい、カリアン・ロス。好きなように俺を評価しろ。他人にどう思われようが、俺は一切気にせん」
「君は……本当に強いね」
人の上に立つ者にとって一番大事なものは人望。
故に、他人が自分をどう思っているか、それを一番気にしなければならない。
そして、他人に好かれる態度や言動、行動を心掛ける。
カリアンがルシフの言いなりになってしまっているのも、ルシフがカリアンの人望を地に落とせる情報を握っているからだ。
その点、ルシフは違う。
ルシフは他人を一切気にすることなく、自分の好き勝手に行動する。
だが、それが結果として他人のためになり、他人から慕われるようになる。
この男には天性のカリスマがあるのだと、ツェルニに来てからのルシフの行動を見ていてカリアンは思った。
「──そろそろ本題に入ろう」
カリアンは自然と居住まいを正した。
「単刀直入に言う。俺の同志になってほしい」
「……同志? えっと、すまない。一体なんの話か分からないんだが……」
「全
「全てのレギオスを掌握? 君でも冗談を──」
言うんだねと言おうとして、カリアンは口を閉ざした。
ルシフの表情は真剣そのもの。
冗談で言っている雰囲気ではない。
「お前も夢物語だと笑うか?」
「いや、だってレギオスはそれぞれ不規則に移動してるんだよ? それを掌握なんてできるわけがない。できても一つのレギオスが精一杯だと私は思うんだが……」
ルシフはかすかに唇の端を上げた。
「まぁ、そう考えるのが普通だな。お前は合理的な奴だ。まずどう俺がそれを実現するのか教えてやろう」
そしてルシフは話し始める。
どう全レギオスを掌握するのかを。
レギオスを掌握した後どうするのかを。
ルシフの話を、カリアンは呼吸すら忘れて聞き入っていた。
ルシフの話を最後まで聞いたカリアンは、この男なら本当に実現してしまうのではないかと思った。
カリアンの表情は沈んでいる。
無理もない。カリアンは法輪都市イアハイムの現状を知っているのだ。
カリアンはようやく理解した。
ルシフが法輪都市イアハイムで実質的な指導者になり、様々な政策を行った理由を。
ルシフは全レギオスのモデル都市を法輪都市イアハイムで作っていたのだ。
「……そんな重要なことを事前に話して、私が今君が言った計画をバラすとは考えなかったのかい?」
「別にバラしてもいいぞ。大した問題はない。ただ、お前ならどっちの選択が正しいか分かる筈だ」
カリアンは喉が渇いていくのを自覚した。湯飲みを手に取り、お茶を飲んで喉を潤す。
確かに計画を知られても問題はない。
ルシフの全レギオス掌握方法を一言で言えば、力で無理矢理奪い取る、シンプルな方法。ルシフより弱ければ、計画を知っていようが何もできない。
「……しかし、そんなことが許される筈がない。ルシフ君、君のやり方は全てのレギオスに暴虐の嵐を巻き起こす」
「今までのレギオスには暴虐の嵐が吹き荒れなかったとでも?」
「それは……」
「何故お前はアルセイフを武芸科にした? 武芸大会──都市間戦争に対抗するためだろう。
今言った俺の計画が完遂されれば、セルニウム鉱山のためにレギオス同士で争うことは無くなる。定期的に行われる、不毛な争いを無くせるのだ。
お前とて、後一年もすればツェルニを卒業する。ツェルニのためにお前ができることは何も無くなる。俺に付けば、ツェルニは都市間戦争や汚染獣で滅ぼされない、ツェルニの武芸者の質に関わらず存続できる都市になる」
ルシフが全レギオスを掌握すれば、弱小都市の滅亡を防げるというメリットは確かにある。それは、カリアンが心から望んでいるものでもあった。
しかし、分からないことがある。
何故カリアン・ロスという人材をルシフが望んでいるのか。
ルシフの計画を聞く限り、自分が必要だと思える部分はどこにもない。
ルシフが必要ない人材をわざわざ味方に引き込むような物好きにも見えなかった。
カリアンは両肘をテーブルに付き、ルシフを見据える。
「君の言い分は分かった。ただ、一つ聞きたい。私をどうして味方に引き込む? それも、大事な計画までバラして」
「お前が得がたい人材だからに決まっている。
剄を持たない弱い人間でも他に光るものがあれば、俺は評価しそれに見合う地位と報酬を与える。
お前はその体現者になる。剄を持たぬ一般人に、自分もやればああ成れるかもしれないと希望を持たせる存在に」
ルシフの味方は今のところ武芸者しかいない。それでは、武芸者だけが優遇される政治になるのかと、支配したレギオスの全住民が不安になる。
そう思わせないために、剄を持たない一般人に高い地位を与え、一般人でも出世できると示す広告塔が必要。
カリアン・ロスはその役目にうってつけの人物だった。
「君はもうそこまで考えて……本当に君は凄い、そして恐ろしい男だ」
「世辞はいい。返答を聞こうか」
カリアンは目を閉じた。
両手を握りしめる。
静寂が部屋を包んだ。
それから数秒後、カリアンはゆっくりと目を開いた。
「……分かった、君の力になろう。でも、一つ条件を付けてもいいかな?」
「なんだ?」
「全てのレギオスを掌握する時は、できる限り流れる血を少なくしてほしい」
「……努力しよう」
カリアンは静かに笑みを浮かべた。
「今はその言葉だけで充分だよ」
ルシフはカリアンの前に右手を差し出す。
「これからよろしくな、カリアン」
「ああ、こちらこそ」
差し出された右手に自身の右手を持っていき、カリアンは握手した。
「では、私はこれで失礼するよ」
「うむ、気を付けてな」
カリアンは椅子から立ち上がり、ルシフの部屋から出ていった。
ルシフが一人になったのを見計らったように、黄金の粒子がルシフの隣に集まり、牡山羊の姿を形作る。
「成る程、汝はそうやって全レギオスを強奪するつもりだったか。汝にしては、少し雑な計画な気もするが」
「ふむ、さすがに俺をよく分かっている。雑なのは当然だ。計画の重要な部分は隠してカリアンに話したからな」
メルニスクがルシフの方に澄んだ青の瞳を向ける。その瞳には少し非難めいた色が混じっていた。
ルシフはその瞳を見て勝ち気な笑みになる。
「カリアンを味方に引き込むとはいえ、この俺が馬鹿正直に計画の全てを話すとでも思っていたのか? 案外、お前は甘いな。お互い腹を割って話すべきだったと思っているんだろうが、カリアンと俺は対等じゃないんだよ」
ルシフは自身の前の湯飲みを手に取り、冷めきったお茶を一気に飲み干す。
「うん、
「……ルシフ、そろそろ我はツェルニを暴走させてこよう。それが汝には必要なのだろう?」
「ああ、重要だ。お前には辛い思いをさせるがな」
「気にするな。苦難をともに分かち合う。それが、汝ら人が言う『友』の定義だと最近理解した」
メルニスクの言葉に、ルシフは一瞬呆気に取られた表情になったが、すぐに愉快そうな笑い声をあげた。
「くくっ、ははははははッ! 友に定義などない! 人の数だけ定義があるだろう! だが、俺とお前の間ならそれが定義でいいかもしれん!
メルニスク、まさかお前にそんな
ルシフの言葉を不快に思ったのか、メルニスクはそっぽを向いた。
「……我はもう行くぞ」
「ああ、行ってこい。そして、必ず俺のところに帰ってこい」
「承知した」
牡山羊の姿が霧散し、黄金の粒子が部屋をすり抜けて天に消えていく。
その光景を、ルシフは美しいものでも見ているように視線を逸らさず眺めていた。
部屋から黄金の粒子全てが消えると、今まで自分が感じていた別の剄の波動の感覚も消えた。
メルニスクと一時的とはいえ、リンクが切れたらしい。
だが、ルシフはそれで不安な気持ちにはならなかった。
メルニスクは自分の元に帰ってくると確信しているからだ。
───『レギオス統一計画』、
その日の夜、突如としてツェルニは進行方向を変更した。
それに気付いているのは、今のところルシフしかいない。
◆ ◆ ◆
慌ただしく、ニーナが廊下を駆ける。目指しているのは生徒会長室。
目的の場所の前に到達したニーナは、ノックもせずに扉を勢いよく開けた。
「一体どういうことですか!?」
ニーナが声を荒げながらカリアンに詰め寄る。
カリアンはニーナの怒気に少し怯みながらも、ニーナから目を逸らさない。そして、静かに言った。
「ツェルニが、汚染獣の群れに突っ込もうとしている。計算ではあと半日後」
「ですから、何故そのようなことになっているかと聞いて──!」
「都市が暴走している」
カリアンの一言が、ニーナを黙らせた。
生徒会長室にはカリアンの他に、レイフォンとルシフ、フェリ、マイ、教員の五名がいる。
「何故……?」
「分からない。だが、公にこの情報は公開できない。したらパニックになる」
カリアンの判断は正しい。
自ら死地に向かうような行動を取る都市に住んでいると知れば、誰だって不安になる。
故にカリアンは、汚染獣を倒せる武芸者だけにこの情報を伝えた。
「本来なら君にも秘密だったんだが、レイフォン君がどうしてもと言うんでね」
「レイフォン……」
ニーナはレイフォンを見る。
レイフォンは軽く頷いた。
それだけで、ニーナはレイフォンが自分にこの情報を教えた意図を悟った。
ニーナは電子精霊のツェルニと仲が良い。ニーナならツェルニの暴走を止められると考えたのだろう。
「当然だが、ツェルニが汚染獣の群れに接触するのを待つつもりはない。ランドローラーで汚染獣の群れのところに行き、接触する前に全滅させる。幸い、今のツェルニにはそれができる戦力がある。
問題は誰を行かせるかだが……」
カリアンはその場にいる全員を見渡す。
「生徒会長さんよ、ここは俺ら五人に任せてくれねぇか?」
レオナルトがカリアンに言った。
カリアンはレオナルトの方に顔を向ける。
「汚染獣の数は十二。それなら、俺ら五人で殲滅できる。教員ってのは生徒を守るもんなんだろ?」
「しかし……」
「僕も行きます。ただ待ってるだけなんて性に合わない」
レイフォンが口を挟んだ。
「生徒は大人しくしてりゃいいんだぜ?」
「もし一体でも逃がしたらどうするんです? 保険はあった方がよくないですか?」
レイフォンの言葉に、アストリットとバーティンが不愉快そうに眉を寄せた。
自分の力を侮られていると感じたのだろう。
「私の狙撃から逃げられる雄性体がいるとは思えませんが、そんなに信用できないならあなたの目の前で汚染獣を撃ち殺して差し上げますわ」
アストリットが胸を張って豪語する。
カリアンは苦笑し、口を開いた。
「とりあえず、ランドローラーは三台でいいのかな? ルシフ君、君はどうするんだい?」
「そうだな……」
全員の視線がルシフに注がれる。
「こいつら五人とアルセイフがいれば、十二体の雄性体など相手にならんだろう。俺は都市の暴走の方に興味がでてきた。都市の機関部に行ってみようと思う」
ルシフの意外な言葉に、全員が目を丸くした。
ニーナとレイフォンは絶句し、言葉を失った。
ニーナはいち早く立ち直り、ルシフの方に体を向ける。
「ルシフ、わたしも行く。お前だけに任せておけない」
「勝手にしろ」
話が纏まったらしいと悟ったカリアンは、一度両手を叩いた。
「決まり……だね。なら、今からすぐに汚染獣の群れを殲滅する六人は外部ゲートに行ってくれ。君たちが行く前にランドローラーは通信で準備させておく。
ルシフ君とニーナ君は、機関部にいる生徒の移動が完了してから突入してくれ。
次に念威操者のサポートだが、ちょうど二人いるから分担してサポートさせよう」
「わたしがレイフォンの方をサポートします」
「私がルシフ様の方をサポートします」
カリアンが言い終えたのと同時に、フェリとマイが声をあげた。
綺麗に分かれている言い分に、カリアンは笑みを浮かべた。
「分かった、それでいこう」
人の配置と役割は決まった。
後は行動に移すだけである。
◆ ◆ ◆
そこはまるで巣だった。
大地にすり鉢状の穴があり、その穴の斜面の地面に十二体の汚染獣が半分埋もれたような形で蠢いている。
その姿を、ツェルニからランドローラーで来た六人の武芸者が、岩場の陰から視力を強化して確認していた。
「あの感じじゃ、雄性一期か二期っていったところか」
その言葉に全員が軽く頷く。
ツェルニに住む多数の人の匂いを感じ取り、汚染獣は休眠状態から目覚めようとしていた。
「来るのがあと少しでも遅れていたら、飛んでるあいつらを相手してましたわね」
アストリットの手には身の丈程の大きな狙撃銃が握られている。
この人は銃使いか、とレイフォンは思った。
それもシャーニッドと同じく狙撃を得意とするらしい。
だが、どうでもいいかとレイフォンは他人への興味を切り捨てた。
味方がどんな武器を使い、どんな剄技を使うかなど、レイフォンには必要ない情報だった。
いつも通り目の前の汚染獣を片付ける。自分にできることはそれだけだし、それでいい。
「お待ちを」
岩場の陰からレイフォンが飛び出そうとして、その行く先をフェイルスが右手で遮った。
レイフォンはフルフェイスヘルメット越しにフェイルスの方に顔を向ける。
「眠っている状態より完全に起きた状態の方が、汚染獣は柔らかいです。もう少し待った方が楽ですよ」
「……分かりました」
レイフォンは再び視線を汚染獣の方に戻す。
汚染獣は身もだえしているだけで、動き出す様子はない。
今まで寝ている汚染獣と遭遇していなかったため知らなかったが、殻が硬い状態では動けないのかもしれない。それをああやって身もだえすることで硬度を下げ、動ける体にしているのだろう。
完全に休眠状態から抜けきった汚染獣たちは翅を広げ、ツェルニの方向に飛び立とうとしている。
「──いくぞ!」
教員五人の剄が爆発し、周囲に剄の奔流が巻き起こる。
レイフォンは驚いた表情で彼らを凝視した。
天剣には及ばないが、それでもハイア以上の剄量を全員が持っていた。
レストレーションという声が連鎖する。
レオナルトは二つの錬金鋼の内の一つだけを復元。
レオナルトの手に薙刀が握られた。
エリゴは刀。フェイルスは弓。バーティンは双剣。
アストリットはすでに狙撃銃を汚染獣の方に向けている。
スコープをヘルメット越しの右目で覗きながら、アストリットは引き金を引いた。
狙撃銃から剄弾が放たれる。それは剄弾というよりレーザーだった。
赤い閃光が直線上にいた数体の汚染獣の翅を消し飛ばす。
アストリットの狙撃銃の先端から煙が立ち上ぼり、アストリットは狙撃銃の構えを解いた。
「あと何回撃てるかしら? できたら惨めったらしく逃げ回ってほしいところですけど」
剄が尽きない限り延々と撃ち続けられるという銃の特性上、弾切れは存在せず、アストリットの呟きはレイフォンにとって首を傾げたくなるものだった。
しかし、数秒後の光景を見て、レイフォンはアストリットの言葉の真意を悟った。
汚染獣が突如の狙撃に驚き怒りの咆哮をあげた時にはすでに、レオナルト、エリゴ、バーティンは内力系活剄、旋剄で汚染獣の群れの間近まで迫っていた。
薙刀、刀、双剣が汚染物質が充満する視界に一瞬煌めいたかと思うと、その場にいた汚染獣十二体の内、四体がバラバラになった。それも翅を傷付けられていない汚染獣を選んでいる。
更に銀色の光が閃光を描いた。翅を傷付けられた三体の汚染獣が断末魔の叫びをあげて斜面を滑り落ちていく。
残り五体。
その内の一体がいち早く翅を広げ、空へと舞い上がる。
その汚染獣の横面に剄矢が突き刺さった。
汚染獣は悶え、そのまま下に落下していく。その汚染獣をレオナルトが薙刀で一閃し、左右に両断した。
ここでアストリットが狙撃。
今度は翅ではなく、頭。二体の汚染獣が赤い光に呑み込まれ、胴体だけになった汚染獣が力なく崩れ落ちる。
「歯ごたえなくてつまらないんですの」
残った汚染獣は二体。
ここでようやく自分たちの方が狩られる側だと気付いたらしい。
翅を広げて空に逃げることも忘れ、脚を必死に動かして武芸者たちの逆方向を目指す。
しかし、見えない何かに汚染獣二体は潰され、身動きが取れなくなった。
レイフォンの鋼糸が汚染獣を縛り付けているのだ。
エリゴとバーティンが駆け出し、弾丸のような速度で汚染獣二体とすれ違ったかと思うと、汚染獣二体はそれぞれ血を噴き出して倒れる。
エリゴとバーティンは武器を復元前の状態にし、レイフォンたちがいる方に戻ってきた。
『いい援護だったぜ。ありがとな、少年』
通信機からエリゴの声が聞こえた。
「いえ、僕の助けなんて微々たるものでした。お礼を言われるような程でも……」
『何謙遜してんだか……、素直に喜べよ』
エリゴは笑いながらそう口にした。
レイフォンは内心で、ここまで優れた武芸者たちがグレンダン以外にもいたのかと驚愕していた。
いや、グレンダンでも雄性体を圧倒して殺せる武芸者は、天剣授受者を除けばそんなに多くない。
そういう意味では、ここにいる五人はグレンダンでも一流として認められる実力があるだろう。
それに、まだまだ彼らが実力を隠していることもレイフォンは分かっていた。
『残るはルシフ様の方か……』
バーティンがツェルニがあるであろう方向に顔を向けている。
バーティンに釣られるように、全員が同じ方向に顔を向けた。
残る問題は都市の暴走だけである。
◆ ◆ ◆
鉄柵で囲われただけのエレベーターに乗り、ルシフとニーナは機関部に到達した。
機関部を管理している生徒はちゃんとカリアンからの指示に従ったらしく、誰一人として機関部に人はいなかった。
ニーナとルシフは機関部の中心に向かって駆けている。
会話はない。
無言で問題があると思われる、電子精霊ツェルニを探す。
ニーナはツェルニが暴走しているなんて信じられなかった。
ニーナはツェルニを知っている。触ったこともあるし、愛らしく笑う姿も見た。ツェルニに住む学生たちを心から好きなんだとなんとなく理解もしていた。
そんな優しい電子精霊が、ツェルニに住む学生たちを危機に陥れている。
──とにかく、何が起きているか確かめなければ……。
そして、二人は中心部にたどり着いた。
やや曲線を描いた何枚ものプレートでできた小山が、二人の眼前にある。
いつも、ツェルニはこの中にいる。
しかし、中に入れそうな扉のようなものは見当たらない。
「ツェルニ!」
一縷の望みをかけてニーナが呼び掛ける。
だが、それに応えるものはいない。
ニーナはプレートの周囲を歩き回りながら、再び呼び掛けた。
「ツェルニ!」
ルシフはプレートが動かないか、プレートの様々な部分を触っている。
それを見たニーナは、まさか隠し扉があるのかと、ルシフ同様にプレートを手で触り、扉を探し始めた。
隠し扉はすぐに見つかった。
ニーナが触ったプレートが内側に開き、滑り台のように斜め下に向かう急な斜面の床がニーナの眼前に姿を現した。
「ルシフ、ちょっと来てくれ」
ニーナの元にルシフが近付き、ニーナ同様ルシフもプレートの内部に視線を向けた。
「暗いな」
確かにルシフの言う通り光源は一切なく、斜面の床がどこに繋がっているのかここからは判別できない。
ニーナは覚悟を決めて、暗闇の先を睨む。
「だが、行くしかない」
「そうだな」
ルシフがまず先にプレート内部に入り、急斜面の床を滑り落ちる。
ニーナもルシフのすぐ後にプレート内部に入った。
二人がプレート内部に入ったら、まるでプレートに意思があるかのように、開いていたプレートが元に戻った。
いきなり機関部の光が閉ざされ、プレート内部は暗闇に覆い尽くされた。
唐突な暗闇にニーナは驚いたが戻るような真似はせず、床が続く先をじっと見ている。
床の終点はたいして遠くなかった。長さにしてせいぜい七、八メートルといったところだろう。
もうルシフとニーナの周りは暗闇ではなくなっていた。床の先にあった空間に、淡く輝く光源があったからだ。
黄金と青の光が瞬き、暗闇を押しのけている。
ニーナとルシフは光の中心にゆっくりと歩を進めた。
そこには台座のようなものがあり、その台座に人一人入れるくらいの大きさの宝石が置かれている。宝石は水面のように澄んだ透明だった。
それが光源の正体であり、その宝石の中にツェルニもいた。
「ツェルニ!」
ニーナは宝石に近付いた。
「ツェルニ……?」
ツェルニをよく見ると、明らかに様子がおかしかった。
ツェルニは焦点のあっていない瞳をして、虚空を見ている。童女の姿をしたツェルニの体は、まるで水の中にいるかのように宝石の中で浮かんでいた。
ニーナの瞳に困惑の光が入り、ルシフを一瞥する。
「なにをしている……」
ルシフの声が、空間を震わせた。
ニーナは再びツェルニが浮かんでいる宝石を見る。
ツェルニの背後に、黄金の牡山羊がいた。
黄金の牡山羊はツェルニとともに宝石の中にいる。
「なんでこいつが……。ルシフ、こいつはお前の中にいた筈じゃ……」
「確かにいたが、最近は反応がなかった。てっきり俺の中で寝ているかと思っていたら、まさかこんなことをしているとは……」
ルシフにとってこんなやり取りは茶番だが役者になりきり、予想外の事態に巻き込まれた人間をしっかりと演じる。
「おい! 何勝手な真似をしている!? ふざけたことは止めて俺のところに戻ってこい!」
『ふむ、威勢がいいな。よかろう、汝が我が魂を所有するに足るものか、再び試させてもらおう』
宝石の中から、黄金の牡山羊の姿が消えた。
黄金の光が濁流となって空間を呑みこみ、激しい光の渦がルシフを中心に生まれる。
「なんだこれは……!?」
ニーナは顔の前に右手を翳し、光を防ぐ。
時間にして数秒間、光の渦は消えなかった。
そして、ようやく光の渦が消え、ニーナの視界はさっきと同じ光景に戻った。
さっきと違う点があるとするなら、宝石の中の牡山羊とツェルニが消え、黄金と青の光が瞬いていた空間は、青の光だけになっている。
ニーナの表情が驚愕に染まった。
「ツェルニも消えた……? ルシフ、お前は何か──」
分かるかと言おうとして、ニーナは固まる。
ニーナの隣にいたルシフの姿が消えていたからだ。
「ルシフ……? おい、ルシフ! 悪ふざけは止めて出てこい! ルシフ!」
どれだけ空間の中を呼び掛けても、ルシフの姿はおろか気配すら感じられない。
──一体何が起きた!?
ニーナは空間の中を隅々まで探す。しかし、どこにもルシフの姿はない。
空間には先がある。中枢内部と呼ばれる場所だが、そこは誰も手が出せないブラックボックスであり、迂闊な真似をすれば都市が故障するかもしれない。
ニーナは中枢内部に足を踏み入れるのを止めた。
下手に触って都市を壊すわけにはいかないし、ルシフがこの奥に行く理由が分からないからだ。
「あの光に呑み込まれて消滅したとでも言うのか。あのルシフが……」
ニーナは訳が分からず、呆然とその場で立ち尽くした。
ルシフとニーナを念威でサポートしていたマイは、自分の念威がもたらした信じられない情報に、唖然とした表情で床に崩れ落ちた。
「……ルシフ様の反応が……消えた……?」
ツェルニからルシフ・ディ・アシェナ、消失。
この出来事はツェルニを大きく揺らした。
これにて原作五巻終了になります。
原作未読の方々は「なんだこの超展開……オリジナルか?」と思われるかもしれません。
安心してください!原作通りですよ!