鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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原作6巻 レッド・ノクターン
第36話 あなたがいない都市


ツェルニの外部ゲートで、約三十人の人たちがそれぞれ走り回っている。

 一台のランドローラーがゲートの前に準備された。

 

「ランドローラー補給完了しました!」

 

「よし! 次はレイフォン・アルセイフ! お前が行ってこい!」

 

 武芸長のヴァンゼがレイフォンに命令する。

 レイフォンは静かに頷き、ランドローラーに跨がった。

 

「状況をもう一度確認する。念威端子の探査範囲内に幼生体の反応を感知。数は約五百。今更になるが、味方はいるか?」

 

「いりません。幼生体ごとき、何万いようがなんとかなります」

 

「ふっ、頼もしいことだ」

 

 ヴァンゼが微かに笑みを浮かべた。だが、その表情はすぐに引き締まり、左手をあげる。

 外部ゲートにいた人たちはレイフォンを残して外部ゲートから離れ、室内に移動した。

 外部ゲートを開ければ、汚染物質が外部ゲートを通して中に入ってくる。汚染物質に身体を侵されないようにするためである。

 レイフォンの前にある外部ゲートがゆっくりと開いていき、レイフォンは外部ゲートから視線を逸らさない。

 半分外部ゲートが開いた頃にはランドローラーのエンジンをかけ、レイフォンがアクセルを回す。獣の唸り声のような音が辺りに響いた。

 外部ゲートが完全に開いた瞬間、レイフォンの乗るランドローラーは汚染物質舞う大気を切り裂きながら、荒れ果てた大地に着地。勢いを殺さず、目的地に向かって走る。

 ルシフが行方不明となってから五日になる。

 ツェルニの暴走は止まらない。

 機関部から電子精霊ツェルニとルシフが消え失せても、都市の足は動き続けている。汚染獣を避けずに。

 レイフォンは何故暴走が止まらないのか分からなかった。

 ニーナの話では、廃貴族がツェルニを暴走させていたらしい。

 しかし、その廃貴族は再びルシフに憑依し、ルシフと共に消えたのだ。

 暴走させていた筈の原因が消えたにも関わらず、状況は変わっていない。いや、むしろ悪くなっている。

 どうすればツェルニの暴走を止められるか分からなくなった。

 

『もうすぐ目標地点に到達します』

 

 通信機からフェリの声が聞こえた。

 レイフォンは内にいっていた意識を外に戻し、錬金鋼(ダイト)を握る。

 

「レストレーション02」

 

 錬金鋼が柄だけの形に復元される。

 レイフォンは柄の先にある千を超える鋼糸を操り、幼生体の群れがおぼろげに見える大地に鋼糸を巡らす。

 レイフォンは柄を微かに動かした。鋼糸が跳ね上がる。

 幼生体の群れ五百が一斉に縦に両断された。

 

『……幼生体の反応、全て消滅』

 

 フェリの声には少しだけ驚きの色が含まれていた。

 レイフォンはランドローラーを停止させ、ランドローラーに跨がったまま、大地に両足をつける。

 レイフォンは数秒、遠くで動かなくなった幼生体の死体の群れを眺めた。

 レイフォンはアクセルを回し、ランドローラーをその場で半回転させてツェルニの方向に向ける。

 

『また別方向に汚染獣の反応を感知しました。雄性体の数、四。そちらには教員のアストリットさん、レオナルトさん、それから隊長が向かいました。

フォンフォンはそのままツェルニに帰還してください』

 

「隊長が!? 隊長に雄性体の相手はまだ……!」

 

『隊長の判断です』

 

「でも!」

 

 いくらあの二人がいようとも、死の危険がある。

 汚染獣──それも雄性体との戦いに、並の武芸者が絶対に勝てるという道理はない。

 一つ間違えれば確実に死に至る世界。

 ニーナはそこに自らの意思で飛び込んだ。

 

『おそらく……責任を感じているのでしょう。一緒にいながら、ルシフが行方不明になったことに』

 

 レイフォンはニーナの表情を思い出す。

 ニーナは下唇を噛み締め、両拳を震わせていた。

 

『マイさんに言われた言葉も、隊長の心にきっと深く突き刺さっているのでしょう。

なんにしても、あなたのランドローラーの燃料はツェルニに帰還する程度なら余裕でありますが、寄り道して帰還できる余裕はありません。

なので、余計なことをしようとしないでください』

 

 胸の内をフェリに見透かされたような気がして、レイフォンの顔がフルフェイスヘルメット越しに引きつった。

 ランドローラーの燃料の制限。

 これは勝手な行動ができないよう首に付けられた首輪のようなものだ。

 ルシフがいなくても、ルシフが呼んだ五人の教員は雄性体を余裕で倒せる実力がある。

 ルシフがいなくなったら、ツェルニを汚染獣から守れる者がレイフォンしかいない以前のような状況ではない。

 だからこそ、レイフォンに負担をかけさせないように物理的に無理ができないやり方をとったカリアンや武芸長のヴァンゼは正しい。正しいが……。

 

 ──どうしようもなく、もどかしい。

 

 今、ニーナは死地にいるというのに、その死地を切り拓ける力が自分にあるというのに、自分はただ待つことしか許されていない。

 

「……了解。レイフォン・アルセイフ、ツェルニに帰還します」

 

 レイフォンはランドローラーのハンドルを更にひねり、加速。

 ランドローラーは汚染物質を大気に巻き上げて、ツェルニ目指して走る。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ニーナはランドローラーを岩場の陰に隠し、雄性体四匹を岩場に隠れて見る。

 アストリットとレオナルトもニーナ同様に雄性体を隠れて見ている。

 二人は既に復元させた武器を握っている。アストリットは狙撃銃。レオナルトは薙刀。

 

「レストレーション」

 

 ニーナは静かに復元鍵語を唱え、ニーナの両手に一本ずつ鉄鞭が握られた。

 

「あの大きさ……雄性三期が一匹、雄性二期三匹の中に紛れこんでやがる」

 

「……どうでもいいですわ。さっさとあの汚物どもをぶっ殺してやりましょう」

 

「お前、ちょっと地が出てんぞ」

 

「あぁ?」

 

 アストリットから発せられる苛立ちと怒気が、ニーナの身体をすくませた。ニーナは一言も喋っておらず、ニーナに向けられた怒気ではないが、それでも緊張が走った。

 ルシフが行方不明になって以来、アストリット、バーティン、マイの女三人は平常心を失っている。

 不意に、マイに言われた言葉が脳裏をよぎった。

 

 ──なんで傍にいながらルシフ様の行方が分からなくなるんです!? どこにルシフ様が行ったか知ってるんでしょ!? 早く教えてください!

 

 マイの顔は、わたしを見ていなかった。

 涙を必死にこらえているマイの両目が映していたのは、ルシフの幻影だった。

 ルシフの影響力はツェルニにおいて絶大。

 たった数日でルシフの行方不明はどの生徒も知った。

 レイフォンがいるのに。ルシフ自身が連れてきた五人の実力者がいるのに。カリアンもヴァンゼもいて、今のツェルニは心強い人間が多くいるというのに。

 ツェルニの生徒たちは、何か問題が起きたらどうしようと不安の声が多数あがっていた。

 ルシフさえいればどんな問題もどうにかなる。

 そんな認識が、いつの間にかツェルニに住む人々全員の頭に深く刻まれていた。

 

 ──わたしがルシフをもっとしっかり見ておけば。

 

 少なくともツェルニにいるかいないかの判断はできた筈だ。

 あの時、何かの拍子で都市の外に弾き出されたのではないか。

 この考えが、カリアンたちが出したもっとも可能性が高いルシフ行方不明の原因。

 ルシフは生身で汚染物質が蔓延する外にいられる剄技が使えるため、そうだったとしても死んではいないだろう。

 だが、未だに姿を現さないということは、何らかの理由で気を失った。そしてツェルニを見失い、帰れなくなったと考えるのが自然。

 その場合、ルシフが再びツェルニに現れる可能性は限りなく低い。

 放浪バスが無く、念威操者のサポートも無く都市を探すなど、汚染物質で覆い隠された大地から宝石一粒を見つけ出すがごとき行い。九割九分九厘は見つけられず餓死する。

 

 ──今のわたしに何ができる?

 

 どれだけルシフを見つけようとしても、見つけるための情報がない。

 ルシフを探そうとしたところで、心当たりは調べ尽くした。

 ならば、今のわたしにできることは、ルシフが帰ってくるのを願いつつ、ツェルニに降りかかる災禍を切り払う。

 それしかない。

 ニーナは両手の鉄鞭を強く握り、岩場の陰から飛び出した。

 アストリットとレオナルトは意表を突かれた素振りをみせる。

 

「いきます!」

 

 内力系活剄、旋剄で雄性体四匹の足元に近付く。

 雄性体四匹と目が合う。

 ニーナの全身から汗が噴き出した。

 ニーナの後方から火線が放たれ、雄性体一匹の頭を貫いた。

 ニーナ目掛けて雄性体の一匹が尻尾を振るう。

 ニーナは跳躍して尻尾をかわす。

 別の雄性体が跳躍したニーナに爪を振るった。

 ニーナは爪を見向きもせず、今尻尾で攻撃してきた雄性体を空中から睨んだ。

 爪がニーナを捉える瞬間、雄性体の腕が飛んだ。

 腕はニーナの頭上を舞って落ちていく。レオナルトが薙刀で雄性体の腕を斬っていた。

 

「割れろぉ!」

 

 ニーナが右の鉄鞭に全身の剄を集中させ、すぐ下にある汚染獣の頭に叩きつける。

 インパクトの瞬間、鉄鞭に集中させた剄を浸透剄として使用した。割った頭から汚染獣の体内にニーナの剄が入り込み、汚染獣を内側から破壊する。

 汚染獣は最期に咆哮し、横たわった。

 その時には、レオナルトが腕を飛ばした汚染獣を八つ裂きにしている。

 残るは一匹。

 雄性三期であり、四匹の中で一番強い汚染獣だが、三人を同時に相手にできる程の力は無かった。

 三人から一斉攻撃をされ、何もできずに汚染された大地に散った。

 大地に降る汚染獣の肉の雨の中で、ニーナとレオナルトはゆっくりと息を吐き出した。

 

「……帰るぞ」

 

「はい」

 

 二人はアストリットがいる岩場の方に歩き出す。

 

「すまないな」

 

「……え?」

 

「ウチの女ども、大将のことが好きで好きでしょうがないんだよ。そのせいで、行方不明になる直前まで一緒にいたお前に冷たい態度をとってる。そんなことしたって大将は帰ってこないっつうのに」

 

 ニーナは首を軽く横に振った。

 

「……いえ、大丈夫です。暴言を言われたわけじゃありませんし。

あなたは、わたしを責めないのですか?」

 

「責めたって何も変わらない。俺たちにできるのは大将が現れるのを信じて、今やるべきことを精いっぱいやるだけさ」

 

 ニーナは頷き、前を向く。

 アストリットが岩場にもたれていた。怒気と苛立ちは相変わらずアストリットの全身から発せられている。

 

「早く帰りましょう。こんな穢らわしい場所、一秒たりとも長くいたくありませんわ」

 

 アストリットは一秒でも早く、ルシフが現れる可能性があるツェルニに帰りたいのだろう。ツェルニで、ルシフが戻ってくるのを待っていたいのだろう。

 

「はい、帰りましょう……ツェルニに」

 

 自信満々な顔で、周囲をあらゆる意味で震えさせる男がいないツェルニへ。

 アストリットとレオナルトはランドローラーに跨がり、ニーナはレオナルトが乗るランドローラーのサイドカーに乗り込んだ。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ツェルニ外縁部近くに停止しているサリンバン教導傭兵団の放浪バス。

 バス内部で鈍い音が響いた。

 

「一体どういうことさ……!」

 

 ハイアが横になった状態のまま、バスの内部を殴った。

 ルシフにやられた傷はまだ完治していないが、あと数日もあれば完治できるだろう。

 ハイアの傍にはフェルマウスがいる。

 

『分からない。だが、ルシフがツェルニから消えたのは事実だ』

 

「人が突然消えるなんて有り得ないさ! アイツのことだ、何かトリックを使ってこっちをからかってるに決まってる」

 

『ハイア……』

 

 フェルマウスは呆れたように首を横に振った。

 

『ルシフは私たちを相手にしていない。そんなこと無意味だ』

 

 ハイアはギリッと奥歯を噛みしめた。

 

「……おれっちたちはサリンバン教導傭兵団さ。天下に轟く、サリンバン教導傭兵団さ! そのおれっちたちが、全く相手にされてないっていうのかい!」

 

『ハイア、お前はサリンバン教導傭兵団に長くいすぎた。世の中には、サリンバン教導傭兵団など容易く潰せる武芸者が小数だがいるのだ』

 

 ハイアは深呼吸し、怒りを鎮める。傍にあったコップを右手に持ち、水を一口飲む。ゆっくり喉に水を流し込んだ後、ふぅと一息つく。

 

「……分かってる。ルシフがその気になれば、おれっちたち全員潰せることくらい。けど、弱みのない人間なんていないさ」

 

 ハイアは視線をフェルマウスに向ける。

 

「あの念威操者に、ルシフが呼んだっていう教員、五人。こいつらに気付かれないよう、こいつら六人を監視しろ。もしかしたら、ルシフの弱みをふとした拍子に口にするかもしれないさ。あんたならできるだろ?」

 

『……それで、お前の気が済むのなら』

 

 グレンダンから応援が来るまでにルシフの弱みを見つけられなければ、大人しく廃貴族の確保はそいつらに譲る。

 これがきっとラストチャンス。

 

「ルシフがまたツェルニに現れるか分からない。けど、おれっちは現れる方に賭けるしかないさ~」

 

 その日が来るまでに、やれることは全てやる。

 そして……どこまでも傲岸不遜、卑劣にして外道なあの男──ルシフ・ディ・アシェナの膝を折ってやるのだ。

 どんな手を使おうとも、あの悪魔相手なら許される。

 それに、あんな悪魔に廃貴族の力なんて持たせては、全レギオスが安心して暮らせない。

 自分のやろうとしていることは間違いなく正義だ。

 

 ──ルシフ! お前が二流と評した奴に膝を折られる! その屈辱を味わわせてやるさ!

 

『それと、これは極秘のようだが、ツェルニが暴走し、汚染獣の群れに突っ込むようになっている。私の念威端子が何度も汚染獣の反応を感知するなど普通ではない』

 

 ハイアは笑みを浮かべた。

 

「それは吉報さ~。フェルマウス、この都市の主に都市の異常を知った経緯を話し、無償でサリンバン教導傭兵団の武を貸すと伝えてくれ」

 

『無償で団員を使わせる理由を問われた場合は?』

 

「おれっちたちは同じ都市に住む運命共同体だから……とか、それっぽくて耳障りの良い理由を並べればいいさ~。信用をこの都市から得て、この都市を歩いていても違和感を感じないレベルまで溶け込めたら最上。そこまではいかなくても、あんたの念威端子が飛び回っていることが自然と思われる状況になれば良し」

 

『それで、ルシフの弱みを見つけ、ルシフが現れたら?』

 

「決まってるさ~」

 

 ハイアの目に刀剣のごとき鋭い光が宿る。

 

「一気にその弱みを攻める!」

 

 フェルマウスは念威端子にため息の音を響かせ、僅かに頷いた。

 

『分かった。だが弱みによっては、その時団員全員が協力するとは思わないことだ』

 

 弱みをつくやり方が人道に外れたことだった場合、多くの団員は是としないだろう。サリンバン教導傭兵団は金次第で誰とも戦う傭兵だが、武芸者としての誇りを持った者たちである。後ろ指を指されるようなやり方など、たとえ団長に言われてもやらないだろう。もしかしたら今のハイアのようにルシフに対する個人的な感情でやる団員はいるかもしれないが、それでも少数しかいないのは間違いない。

 

「……そんなこと……分かってるさ」

 

 ハイアは寝返りを打ち、フェルマウスに後頭部を向けた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 暗闇の中で、青い光を放つ人間だけが幻想的に浮かびあがっている。

 マイ・キリーの部屋。

 明かりも付けずに、マイは杖を握っていた。

 マイはルシフが行方不明となった日から、念威と念威端子を駆使してルシフを捜索している。

 マイは一睡もせずにルシフを捜し続けていると思っているが、実は夢の中でもルシフを捜す夢を見ているため、自分がいつ眠ったかすら分からない境地にいた。

 日中は学び舎に通いながらも念威端子での捜索を止めず、学び舎から寮に帰れば自室でずっと座り込んで念威端子を操る。

 ルシフが行方不明になって以来、念威を外に発していない時間はマイが記憶する限りない。

 ツェルニは常に足を動かし移動しているため、捜索が遅くなればなるほどルシフを発見できる可能性は低くなるが、それでも今のマイは異常であった。

 

 ──ルシフ様がいない世界……。

 

 想像して、マイの全身が震え始めた。顔に汗が浮かびあがる。

 何も見えない暗闇が眼前に広がっているだけの世界。どこに自分が行けばいいのかすら分からず、ただその場で立ち尽くすしかない世界。

 マイは慌てて首を横に振り、頭の中に形成された未来を消し去ろうとする。

 

 ──ルシフ様が死ぬわけない。早く……早く見つけて念威のサポートしないと……。

 

 マイにとってルシフの喪失は、自身の存在価値の消滅である。

 ルシフが死ねば、マイはこの先なんのために生きていけばいいか分からない。

 だから、死に物狂いでルシフを捜す。

 今夜もまた、マイに安息の時間はない。

 

 

 

 翌日、マイは若干俯いて復元された杖を右手に持ち、学び舎の廊下を力ない足取りで歩いている。

 マイがこういう状況になっても学び舎に通い続けるのは、それ自体がルシフの指示であり、ルシフとの繋がりを感じられるからだろう。

 マイの向かいから男子生徒二人が談笑しながら歩いてくる。マイは慌てて男子二人から距離を取った。

 マイは男に近寄らないようにしている。ルシフが教員として呼んだマイにとって仲間である筈の人間であっても、それを徹底した。むしろ教員としてきた男たちの方を、マイは警戒している。

 エリゴ、レオナルト、フェイルスの三人はその異常なまでの警戒心から、マイに近付かないようになっていた。

 ルシフが行方不明になってから、マイの男への恐怖は膨れあがっている。

 

「ん? マイ……か?」

 

 その声に、マイは顔をゆっくりと上げた。

 ニーナが驚いた表情でマイを見ている。ニーナがマイと顔を合わせるのは六日ぶりだった。

 

「……ニーナさん」

 

「いつもツインテールなのに今は髪を結んでいないから、ぱっと見で分からなかった。

どうしたんだ? 顔色が悪いぞ。それに、その髪は?」

 

 マイは腰まである青い髪を一房手に取って見る。

 見ただけで乾燥しているのが分かった。

 ドライヤーで髪を乾かす時間すら惜しく、タオルで無理やり水分を拭って髪を纏めてタオルを頭に巻き、自然に乾くようにしていたのが原因だろう。

 しかし、別に何も感じなかった。

 良く見られたい相手がいないのに、自分を良く見せることになんの意味があるのか。

 マイにとってルシフ以外の他人など、そこらに転がっている石ころみたいなものだ。

 余裕があればそれでもルシフの傍にいる者として美しく在るよう心掛けるが、今のマイにその余裕はない。そんなものに気を配るより、やるべきことがある。

 ニーナは目の前の人物がマイだと信じられない気持ちだった。

 髪はボサボサで、清潔感がまるで感じられない。ブラッシングすらしていないその髪は、マイの印象を百八十度変えてしまっていた。

 容姿端麗で優等生という普段のイメージは掻き消され、地味で暗い劣等生のような、快活さをまるで感じない少女という印象を受けた。

 正直錬金鋼の杖がなければ、ニーナもマイと気付かず通りすぎていただろう。

 マイは目を数瞬泳がせた後、意を決したようにニーナの顔に視線を定めた。

 

「私、ニーナさんに言いたいことがあって……」

 

「……なんだ?」

 

 ニーナはまた責められるんじゃないかと思い、無意識に身体が硬直した。

 マイは静かに頭を下げる。

 

「ルシフ様が行方不明になったと聞かされた時、酷いこと言ってごめんなさい。

あの時、頭の中が真っ白になっちゃって……」

 

 ニーナは我知らず息をつき、表情を柔らかく崩した。

 

「いや、気にしていない。大切な人が急に消えれば、誰だって取り乱すのが普通だ」

 

「あ……ありがとうござ──」

 

 最後まで言えず、マイは前のめりに崩れ落ちる。

 ニーナは咄嗟にマイの身体を支えた。

 マイの意識はない。

 この倒れ方に、ニーナは覚えがあった。

 

 ──これは……剄脈疲労か!?

 

 ルシフが入院している時に、ニーナが倒れた原因。

 

「お前……まさかあの日からずっと念威を使い続けたのか!?」

 

 マイ……お前の中で、ルシフという男はそこまで大きかったのか。

 

「マイが倒れた! 手を貸してくれ!」

 

 ニーナはマイを抱きかかえながら、近くを通りがかった生徒に声をかけた。


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