鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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弟39話 レギオスを暗躍するもの

 リーリンはいつでも動けるようにまとめておいた荷物を持って、廊下に飛び出した。

 既に廊下は荷物を持った人たちでいっぱいだった。

 汚染獣の危険が迫ったら、戦えない者はシェルターに避難する。

 どの都市もそれを徹底しているらしい。

 

「皆さん、ご安心ください! 汚染獣にはマイアスの武芸者が全力で対応します! 慌てないでください! あなた方の安全は必ず守ります!」

 

 マイアスの武芸者が大声で叫んでいる。

 叫んでいる武芸者に、リーリンは見覚えがあった。

 リーリンの事情聴取と荷物検査をした人物。名を、ロイ・エントリオと言ったか。

 

「リーリンさん」

 

 サヴァリスがリーリンに声をかけ、カルヴァーン、カナリスとともにリーリンの近くにきた。

 

「サヴァリス様! カルヴァーン様! カナリス様!」

 

「シェルターまでお送りします」

 

「え?」

 

 カナリスがリーリンの腰に手を回し、リーリンを持ち上げる。

 

「え? えっ!?」

 

 カナリスはリーリンを持ち上げたまま、跳躍した。廊下の壁に足をつく。

 そのまま、疾風となって壁をカナリスが走り出した。

 

「……ッ!」

 

 リーリンはあまりの恐怖に悲鳴をあげそうになった。

 ただ担がれて高速の世界を体験するだけでもリーリンの限界を超えるのに、今のリーリンは壁を走っていることで平衡感覚を失っている。平然でいられるわけがない。

 カナリスの後ろをサヴァリス、カルヴァーンも間隔をほとんど空けずに付いてきている。

 一息に宿泊施設の入り口に到着した彼女らは廊下に着地し、入り口のすぐ外にいるマイアスの武芸者数人の案内を受けて、宿泊施設の外に出た。

 たった十数秒の体験だったが、リーリンの精神を限界まですり減らすには十分な時間。

 リーリンはふらふらとした足取りで、シェルターがある場所へと歩いている。

 対する三人の天剣授受者は何事もなかったようなしっかりとした足取りで、リーリンを囲むように歩いていた。

 

 ──なるほど。

 

 今までは気にならなかったが、守ろうとしていると聞いた後に天剣授受者三人の一挙一動を見ると、確かにリーリンを守ろうとする明確な意思を感じられた。

 

「皆さんは、わたしを守ろうとしてるんですね」

 

 天剣三人は一瞬慌てたように見えたが、すぐに平静さを取り戻す。

 

「リーリンさんは出発した時から一緒ですし、剄を使えない一般人ですから。グレンダンの守護者たる私たちがお守りするのは当然です」

 

「はぁ。でも、わたし以外にもグレンダンから放浪バスに乗った一般人の方はいると思いますけど、その方たちはどうして守らないんです?」

 

 天剣三人は互いに顔を見合わせながら、黙り込んでしまった。

 リーリンの問いはカナリスの言葉の矛盾を的確に突いており、咄嗟に他の一般人を守らない理由が思い付かないのだ。

 

「……リーリンさんはほら、か弱い女の子だから、優先的に守らないと」

 

「……天剣授受者の方お一人いらっしゃれば十分かと思いますけど」

 

 リーリンは意を決して、天剣授受者三人の顔を真剣な表情で見た。

 

「……もう止めにしません? 誰かの指示でわたしを守ろうとしているのはなんとなく分かりました。そして、天剣授受者に指示を出せる人は、女王陛下お一人だということも分かっています。

わたしが知りたいのは、何故女王陛下がわたしを守ろうとしてくださっているか、です」

 

 カナリスは観念したように、一つため息をついた。

 

「……分かりました。正直に話します。言われる通り、私たちはリーリンさんを守るよう、指示を受けています。

守る理由につきましては、陛下は友達だからとおっしゃっていました」

 

「友達?」

 

 リーリンの頭に、シノーラの顔が浮かんだ。

 リーリンはシノーラなら女王陛下でもおかしくないと、ごく自然に納得してしまった。

 そう仮定すると、以前のガハルドの件で天剣授受者のサヴァリスを護衛として付けてくれた、女王陛下の寛大な対応も説明がつく。

 

「黙っていて申し訳ありません。陛下からはなるべく自然に、と言われていましたので」

 

「いえ、別に責めてるわけじゃないです。はっきりさせておきたかっただけで……。

ところで、電子精霊が罠にかかったらしいんです。ルシフが電子精霊のところに向かっているみたいですけど」

 

 天剣授受者三人は切羽詰まった表情になり、カナリスに至ってはリーリンの両肩を掴んで激しく揺さぶった。

 

「ルシフが現れたんですか!? いつ!? どこで!? なんのために!?」

 

「か、カナリスさん、揺さぶるの止めてッ!」

 

「はッ!? リーリンさん、申し訳ありません」

 

 カナリスはリーリンから両手を離し、頭を下げた。

 

「いえ、大丈夫です。ルシフはホントについさっき会ったばかりで……別にこれといって何かされたわけでもないです。──ただ、皆さんが言っていた通りの人物だったのは分かりました」

 

 リーリンから僅かに怒りが滲んでいるのを察知した天剣授受者三人は視線を交わし合う。話題を変えよう、とアイコンタクトで互いに意思を伝え合った。

 その重大な役目はサヴァリスに回されたらしく、サヴァリスがわざとらしい笑みで口を開いた。

 

「──それで、電子精霊はどこで罠にかかったんです?」

 

「……え? いやいや、あんなに不自然に光が走ってるじゃないですか」

 

「光?」

 

「ほら、あそこの空に……」

 

 リーリンは小鳥の群れが舞い、光が幾筋も走っている空を指差した。

 

「小鳥の群れが飛んでいますが、別におかしくありませんよ。汚染獣の接近を本能で察知し、逃避行動をしているだけです」

 

「……え?」

 

 リーリンはカナリス、カルヴァーンを見る。

 二人とも、サヴァリス同様に訝しげな表情を浮かべていた。

 

 ──あの光はわたしにしか見えない?

 

 しかし、それはおかしい。ルシフには見えていた。少なくとも、わたし一人だけが認知できる光というわけではない。

 ここで重要になってくるのは、リーリンの行動である。

 どんな理由かは分からないが、ルシフとリーリン以外にあの光は見えない。

 逆に言えば、ルシフとリーリンだけが電子精霊を助けられる人間、ということになる。

 そしてリーリンは、本性を知ったルシフに電子精霊の救出を丸投げできるほど、無関心で無責任な人間ではなかった。

 リーリンがルシフと自分しかあの光が見えないと理解した時、リーリンはマイアスの武芸者の隙を突いて走り出していた。

 まさかこの場からリーリンが離れるなんて夢にも思わなかった天剣授受者三人は、呆気に取られた。

 

「サヴァリス様、カナリス様、カルヴァーン様、後のことはよろしくお願いします!」

 

 天剣授受者三人は、リーリンの言葉にぽかんと口を開けていた。が、一瞬で頭を切り替える。

 リーリンの言葉はつまり、護衛しなくていいから汚染獣をどうにかしてくれ、という意味。

 確かに汚染獣はリーリンを傷付ける可能性の一つであるが、可能性の前に極めて低いという文字が入るだろう。

 今把握している敵対戦力の中で最も注意すべき可能性は、やはりルシフである。

 ──ゆえに、彼らの選択は正しい。

 天剣一の殺剄の使い手でもあるカナリスがシェルターに向かう人の群れから離脱し、陰からリーリンの監視と護衛をするという選択は。

 リーリンは一般人であり、内力系活剄で脚力を強化できない。

 カナリスがリーリンの姿を捉え、建物の陰から様子を窺うまで、それほど時間はかからなかった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 リーリンは小鳥の群れを見上げながら、建物と建物の狭い間を走り抜け、小鳥の群れの真下を目指す。

 しばらく走り続けた後、リーリンは目的の場所に辿り着いた。

 

「ルシフはどこ……?」

 

 光が当たらない安全な場所に身を寄せつつ、リーリンはルシフを探す。

 ルシフはすぐに見つかった。

 というより、リーリンの前にルシフが一瞬で現れた。

 ルシフの右手は、真っ黒な人の形をした物体を掴んでいた。

 それが人だと分かったのは、ルシフがその物体を地面に無造作に叩きつけたからだ。そのせいで、その物体の背ではなく、正面が(あらわ)になった。

 顔がある部分は、犬のような動物の顔を模した仮面。戦闘衣に身を包み、頭はフードのような黒布で覆われている。

 リーリンはルシフとその謎の人物から、咄嗟に距離をとった。

 

「……なんなの、その人?」

 

「簡単に言えば、今回の事件の黒幕ってとこか」

 

「黒幕ッ!?」

 

 つまり、この仮面をした人物こそ、電子精霊を盗もうと企み、罠を仕掛け、わたしの貴重な一週間を台無しにした元凶。

 そう思ったら、面識が無くても恨めしくなった。

 リーリンは仮面の人物を睨む。

 睨んでいると、ルシフがリーリンの視界に入った。

 

「……え? ちょっ……!?」

 

 ルシフはリーリンの視線など意に介さず、謎の人物の仮面をとった。

 リーリンの視線が、まるで引力に引き寄せられるように、仮面を外された人物の顔にいく。

 仮面の下の顔を見た瞬間、リーリンは悲鳴をあげそうになった。

 仮面の下にあると思われていた人の顔は、顔ですらない何かだった。黒い(もや)のようなものの中に、握り拳程度の大きさの光が三つ、逆三角形で配置されていた。

 ルシフは仮面の内側を見る。

 仮面を通して、ルシフの頭に直接、大量の思念が叩き込まれた。

 

「見たな」

 

 声がした。機械音声のような、作られた声。

 仮面を外された何かが起き上がり、ルシフの方に三つの光を向けた。

 

「汝は運命の輪に組み込まれた」

 

「そうとも」

 

 顔がない何かの隣に、同じ仮面、同じ服装をした別の物体が現れた。一体だけではない。四体がルシフを囲むように顕現し、ルシフは計五体の人型に包囲された。

 

「廃貴族を宿し、世界の変革を願う者よ」

 

「我らは同志だ」

 

「オーロラ・フィールドはいかなる戦士も拒絶しない」

 

「イグナシスの夢想と汝の理想は重なっている」

 

「我らの目的が完遂されれば、自律型移動都市(レギオス)そのものが必要なくなる」

 

「世界平和が実現される」

 

「醜い争いに終止符が打たれる」

 

「ルシフ・ディ・アシェナ。異端の境地に立つ者よ。我らのもとに来い」

 

 ルシフは冷めた表情で周囲を見渡した。

 

「……色々教えてくれた礼に一つ、俺が心の底から嫌っているものを教えてやろう」

 

 ルシフの全身から金色の剄が迸る。

 包囲していた五体は跳びずさり、ルシフから少し距離をとった。

 

「夢や理想を語るのはいい。それは、人間だけに与えられた特権。それを除けば、人は獣に成り下がる。だがな、ただ口に出すだけで熱量が伴っていない夢や理想ほど、不愉快な気分になるものは他にない。

消え失せろ、人形ども」

 

 ルシフから迸っていた金色の剄に赤色の剄が混じり、朱色の剄に変化。

 ルシフは朱色の剄を衝剄にし、全方位に放出。放出された剄は驚くべき正確さで、五体の人型だけに猛威をふるった。

 

「がっ……! 馬鹿な……!」

 

 四体は消滅し、一体だけ残った。

 痛みで地面をのたうち回っている。

 

「まさか……すでに使いこなしているとは……」

 

「貴様らごとき何を企もうが、俺の相手にならんよ。せめて、痛みを思い出して死ね」

 

 やがて、のたうち回っている一体の全身に黒い痣のようなものが浮き上がり、絶叫して動かなくなった。

 数秒後、動かなくなったその一体が地面に吸い込まれるように、跡形もなく消えていく。

 その光景を、リーリンは声すら出せずにただ見ていた。

 あまりにも非現実すぎる。人に顔がなく、身体が地面に溶けていくなど、リーリンの理解を超えている。

 それに興味深いことを聞いた。

 世界平和。

 本性を隠していた頃のルシフならば、リーリンはその言葉を聞いても疑問に思わなかっただろう。だが、今のルシフから世界平和の言葉は疑問しか感じない。

 

「あなたって世界平和を目指してるの?」

 

「はぁ? そんなくだらんもの、誰が目指すか。平和な世界を実現したいなら、誰もが聖人にならねばならん。そこに、俺の求めるものはない」

 

「……だと思った」

 

 予想通りの答えに、リーリンは呆れ顔になる。質問したのをバカバカしく思ったほどだ。

 

「あの人たちについて何か知ってるの?」

 

「知らん。初めて見た」

 

「向こうはあなたを知ってたみたいだけど……」

 

「──リーリン・マーフェス。この世界は複雑だ。その最たるものが、奴らとの闘争。残念なことに、その闘争には因果の強い者しか参加できない。それ以外の者は傍観に徹しざるを得ないうえに、奴らを知覚すらできん。が、奴らはこちら側から知覚されずにこちら側を探れる。俺のことを知っていたのは、密かに俺を探っていたからだろう。全く忌々しい」

 

「う、うん?」

 

 リーリンはルシフの言葉の半分すら理解できず、頭の上に疑問符が浮かぶ。

 とりあえず、ルシフが何かに機嫌を悪くしたのだけは分かった。

 ふと、リーリンはルシフがわざわざ仮面を外した光景が頭に浮かんだ。

 

「……そういえば、どうして仮面を外したの? 別に外す必要なかったじゃない」

 

 ルシフが仮面を外したせいで、リーリンは見たくもないものを視界に入れてしまったのだ。その時の感情を思い出し、リーリンの口調は少し責めるような感じになった。

 

「言っただろう? 因果の強い者しか、奴らの闘争に参加できないと。奴らの仮面は奴らの親玉と繋がっている。その内側を見るとはつまり、奴らと強い因果を作るのと同義。これで俺は、奴らが何を仕掛けてこようとも知覚でき、対処できる。奴らに邪魔はさせん」

 

「……おかしくない?」

 

「何が?」

 

「だって、仮面の内側を見る前から、あなたはあの人たちと戦ってたじゃない。元々知覚できてたってことなのに、わざわざ知覚できるようにしたっていうのはおかしいわよ」

 

「……お前、なかなか頭は悪くないようだな」

 

 リーリンは頭にかっと血が上った。以前の性格が良いルシフを知っている分、その反動で余計性格が悪くみえる。

 

「じゃあ、本当のこと教えてくれる?」

 

「単純な話だ。今は奴らとの因果があるが、一時的なものでしかない。だが、俺個人が因果を強くすれば永続的になる」

 

 電子精霊は奴らを知覚できる。電子精霊の因果を一時的に取り込んでいるだけで、ルシフそのものに因果は少ししかない。

 それをルシフは嫌い、自分単体でも奴らを知覚できるようになりたかった。

 そのための行動。

 リーリンは難しい顔をしている。

 

「……眉間のしわが消えなくなるぞ。可愛い顔が台無しだ」

 

「ほんっとに腹が立つ人ねッ! 別にあなたに心配されることじゃありませんよーだッ!」

 

「うん、元気になったな。──とっとと電子精霊を捕らえている罠を壊すぞ」

 

 ルシフが頭上の光を一瞥し、頭上に化練剄で変化させた雷撃を放つ。

 

「ちょっ!? 小鳥の群れまで巻き添えにするつもりッ!?」

 

 リーリンは叫びながら、両手で頭を抱えてその場にしゃがんだ。リーリンはその雷撃を止める力も防ぐ力もない。できるのは、その雷撃の被害から逃げようとすることだけだ。

 リーリンの予想に反して雷撃は光に絡み付き、光をなぞるように走っていく。その一瞬後、激しい破壊音とともに光の檻が消えた。

 光の檻に捕らわれていた小鳥たちのほとんどは四散し、別の場所で合流して飛び去っていく。何羽かの小鳥は力尽きたようにその場に降りてくる。

 リーリンは咄嗟に両手の側面を合わせて器を作った。その器の中に、一羽の小鳥が舞い降りた。リーリンの部屋に入ってきた小鳥だ。冠のような金色の羽毛が特徴的だったため、一目で気付いた。

 

「……あれをあんな方法で壊すなんて……」

 

 リーリンは背後から聞こえた声に振り返る。

 宿泊施設でシェルターへの誘導をしていたマイアスの武芸者──ロイが息を切らせて、光の檻があった上空を見上げている。どうやらここまで宿泊施設から走ってきたらしい。

 

「マイアス……」

 

 ロイはリーリンの手に乗っている小鳥を見て呟いた。

 

「え?」

 

「その小鳥が電子精霊マイアスです。なので、早く機関部に戻さないと……ッ!」

 

 ロイがリーリンに手を伸ばす。

 ロイとリーリンの間を裂くように、雷の柱が通りすぎた。ロイは素早く一歩下がる。雷の柱は地面を抉りながら建物にぶつかり、建物を破壊した。

 ロイとリーリンは自然に雷の柱が来た方を見る。

 

「マーフェス、そいつが実行犯だ」

 

 ルシフが悠然と立っていた。

 リーリンは反射的にロイから二、三歩下がる。

 ロイは怒りの表情でルシフを睨んだ。

 

「この都市に住んでいる僕がどうしてそんなことをしなければならないッ!? 言いがかりだ!」

 

「マーフェス。小鳥の群れを捕らえていた光、お前以外の奴に見えていたか?」

 

「え? いいえ、見えてなかったと──」

 

 リーリンははっとした表情になる。

 リーリンはルシフが言いたいことを理解した。

 光は特定の人間にしか見えない。当然、その光が消えたのを視認できる人間も限られている。

 ロイは最初になんて言った?

 

「そういえばあなた、あれを壊したって言ってたわよね?」

 

 あれを壊した。

 ロイを犯人と仮定した場合、あれとは光の鳥かごを作っていたなんらかの機械をさしている。

 そうした場合、ロイの言葉はごく自然な言葉になる。

 

「──ああ、何も口に出さなければよかった」

 

 ロイの顔が歪んだ。ロイの手には、いつの間にかさっきの人型が付けていた仮面が握られていた。

 

「電子精霊が死んだら、この都市がどうなるか分かってるの?」

 

「この都市? そうですね、大を救うための小の犠牲……と言ったところですか」

 

「大を救う?」

 

「世界平和ですよ。それを実現するため、我々は仙鶯(せんおう)都市に行かなければならない。仙鶯都市との縁を繋ぐために、マイアスから縁を奪う必要がある」

 

「だから、マイアスを狙ったってわけ? 最低な人ね」

 

「……渡す気がないなら仕方ありません。こうなれば力ずくで──ッ!」

 

 ロイとリーリンの間にルシフが立ちふさがった。

 ロイは驚いたが、すぐに歪な笑みに変化させる。

 

「はっ、知っているぞ。君はしょせん、縁を使ってやってきた仮初めの旅人。同じ位相の奴らなら倒せるかもしれないが、最初からここにいる僕には手を出せな──」

 

 ロイが話している途中、ルシフの右拳がロイの顔にめり込み、ロイの身体が飛んだ。後方の建物にぶつかり、前のめりに倒れる。

 

「手をだせな……なんだ? その先を言ってほしいな」

 

「な、何故だッ!? 何故僕にダメージを与えられる!?」

 

 ロイが殴られた顔を押さえて立ち上がった。その表情には明らかにルシフに対する恐怖が見える。

 

「何度も確認した」

 

 ルシフはこの都市に来てから扉を開けたり、食事もした。サヴァリスやカルヴァーンといった、この都市に元々いる人間が自分を認識できることも確認した。

 もし自分が仮面の奴らと同じ位相にしか立っていないなら、サヴァリスやカルヴァーンに自分を認識できるわけがない。食事や扉を開けるにしても、位相が違えばルシフが食事をしていたり、扉を開けたりする姿が見れるわけがない。

 これらの情報が一体何を示しているか?

 簡単な答えだ。

 自分は元々の位相に干渉している。

 

「俺はお前と別の位相に立っているんじゃない。別の位相に立ちながらも、同じ位相に立っている。つまり、俺は境界線をまたぐ者だ。どちらの位相も選べる。お前を潰すなど容易だぞ」

 

「ひぃッ!」

 

 ロイはルシフに背を向け、姿を消した。強風が一瞬吹き抜ける。

 

「バカが……」

 

 ルシフもその場から姿を消した。

 数秒後、リーリンの前に再びルシフが現れる。右手はロイの首を掴んでいた。地面にロイを叩きつける。

 

「ぐぅ……!」

 

「さて、これからお前を思う存分殴りたいと思うんだが……言い遺す言葉はあるか?」

 

 ルシフがこれ見よがしに拳をロイの眼前に突きつけた。

 

「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だイヤだイヤだイヤだイヤダイヤダイヤダッ!! やめてっ、やめてくれぇ……!」

 

「……おいおい、仮にも武芸者がお漏らしか」

 

 ロイは失禁していた。

 殴られる痛みを想像し、殴られる前に白目をむいて気を失っている。

 

「殴る価値もないゴミが。目障りだから消えろ」

 

 ルシフはロイの身体を軽く蹴り飛ばした。身体がくの字に曲がり、後方の建物にぶつかる。おそらくロイの身体は全身骨折しているだろう。ルシフにとってはどうでもいい話だが。

 

「マイアスを機関部に戻すぞ」

 

「あ、う、うんッ!」

 

 唖然としていたリーリンは、ルシフの言葉で我に返った。

 機関部目指して走る。

 ルシフは何も言わず、リーリンより少し前を走っている。

 リーリンは運動が得意な方ではなく、足もそんなに速くない。しかし、ルシフはリーリンとの距離を一定に保っている。

 冷たい人間に、この気配りができるだろうか。

 機関部に辿り着くまでの途中、何度も仮面の奴らが襲ってきた。

 しかし、襲ってきたと思った時には、ルシフが衝剄で倒している。どれだけ数で攻めてきても戦闘は一瞬で終わった。まるで無人の野を行くように、走りが乱れることは一切なかった。

 機関部に到達した時には、もはや誰も襲いにこなくなっていた。ただ被害を増やしていくだけと悟ったのだろう。

 

「マーフェス、あれにマイアスを戻せ」

 

「分かった!」

 

 ルシフを横切り、リーリンは機関部の中心部に行く。リーリンの手の器に乗っているマイアスはぐったりとしていた。

 早く戻さなければならない。

 リーリンがそう決意しながらマイアスを見ていると、マイアスはゆっくりと目を開いた。

 

「……え?」

 

 マイアスの瞳に何かが映っている。

 小鳥の瞳に何が映っているかなど、人間の目に見える筈がない。だが、リーリンの目に映った。まるでマイアスの瞳に吸い込まれ、マイアスの瞳の中を拡大して見ているようだ。

 映っているのはルシフだ。

 黄金の雄山羊と長い髪の童女と黒い影がルシフに被さっている。

 

《ルシフ・ディ・アシェナ……異端の存在》

 

 声が聞こえた。リーリンは周囲を見渡すが、誰もいない。

 

「誰……? もしかしてマイアス?」

 

《そう》

 

 リーリンは手の器に乗るマイアスを見つめる。

 

「ルシフが異端の存在ってどういう意味?」

 

《そのままの意味。他の人と根本的に違っている。だから、とても不安定》

 

「……そうだったとして、わたしに何ができるのよ?」

 

《逆。あなたにしかできない。あなたはルシフの暴走を止められる唯一の存在になり得る》

 

「わたしにそんな力はないわ」

 

《いいえ、忘れているだけ。魂の奥深くに刻まれた因子を》

 

 リーリンは困惑した表情になる。

 ルシフの強さは間近で見た。それも、少しも本気でやっていないだろう。

 あの強さに対抗できる強さを自分が持っている。

 とても信じられない。

 

《今は覚醒の時じゃない。この会話もすぐにあなたは忘れてしまう。でも、覚醒すれば思い出す。その時のために、一つだけ言わせて。──ルシフに気を付けて》

 

 それだけ話すとマイアスは光に包まれ、機関部に戻った。

 

「…………え?」

 

 リーリンは呆然と機関部の前に立っている。

 

「わたし……なんでこんなとこにいるんだっけ?」

 

 ここまで来た理由をリーリンは思い出せない。大事なことがあった気がするが、思い出すとっかかりすら見つからない。

 必死に思い出そうとしていると、振動音が周囲を震わせた。機関部が動き出したのだ。

 

「これで……マイアスの足が動く」

 

 汚染獣に襲われる可能性が格段と低くなる。マイアスの危機は去ったのだ。

 

「やった!」

 

 リーリンは振り返り、呆然とした。

 誰かにこの喜びを伝えようと思ったのだ。

 だが、後ろには誰もいない。誰かが後ろにいると確信して振り返った筈だった。

 リーリンは自分の行動に更に頭を抱えることになった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ルシフは物陰に隠れて、リーリンの姿を見ていた。

 

 ──やはり、強い因果がなければ別の位相に関することは全て忘れるか。

 

 ルシフの身体は徐々に消えていっている。

 この都市に呼び出された役目を終え、この都市に存在する意味が消えた。

 ルシフは再び電子精霊の縁を利用し、別の都市に行くだろう。それがツェルニか、それとも別の都市か、ルシフに知る術はない。

 

 ──あいつら、ああ見えて過保護だからな。ツェルニで大騒ぎしているかもしれん。俺を心配するなど、俺を侮辱するのと同義。それをいい加減理解してほしいものだ。

 

 ルシフはツェルニにいる人間の顔を思い出し、軽くため息をついた。その顔が少しも不快そうでないのは、周りに誰も人がいないせいかもしれない。

 やがて、ルシフの姿はマイアスから完全に消えた。


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