鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第43話 散花

 フェリはゆるゆると目を開けた。

 どこかの室内らしかった。

 それなりに広く、ベッドが二つ向かい合って置いてある。ベッド以外の家具は一切なく、少し上に窓があった。立てば、問題なく窓の外を見れるだろう。

 窓からは日の光が差しこみ、外の明るさから朝か昼のどちらかだと悟った。

 自分がハイアに会い、意識を失ったのが夕方。そこから計算して、半日以上経っていることになる。

 ハイアのことを考えると、苛立ちが身体を支配していった。

 暴力による誘拐。

 交渉がどうのこうの言っていたが、そんなものはハイアの都合であって、フェリからすればとばっちりを受けたという気持ちが強い。

 フェリはベッドから起き上がり、ベッドを椅子代わりに座った。

 向かいのベッドに誰か寝ている。マイ・キリーだと、青い髪で気付いた。

 マイはゆっくり起き上がり、目をこする。何度も何度もこすり、完全に目が覚めた後、マイは周囲を見渡した。

 フェリの姿は目に入らないらしく、フェリを見ても何も反応しなかった。

 マイの目が、唐突に見開かれる。

 布団をひっくり返し、自分のベッドの下に潜り込み、さらにはフェリの布団もひっくり返した。

 

「いきなり何するんです?」

 

 フェリはベッドから立って、不快そうにマイを見た。

 

「ない……ないないないないないッ! ないのッ! 錬金鋼(ダイト)が!」

 

 なるほど、とフェリは合点がいった。

 いつも持っているあの杖の錬金鋼を、マイは探しているのだ。

 

「あれがないとダメなの、わたしぃ……」

 

 マイの身体が、小刻みに震えている。

 マイが室内に一つだけある鉄製の扉を開けようとするが、びくともしない。

 マイが取り乱し、室内の壁のあらゆる場所を拳で叩き始めた。

 

「いやッ! いやッ! いやいやいやいやいやぁ!!」

 

 念威操者の、それも女の力で、壁に穴は開かない。

 マイはやっとそれに思い当たり、念威でこの部屋の外を探ろうと決めた。

 マイの青い髪が輝き、念威を部屋の外に放つ。

 

「つぅッ!」

 

 外に出ようとした念威は、見えない壁に阻まれた。見えない壁から思念のようなものが溢れ、マイの念威を逆にたどってマイの頭に直接流れ込んでくる。それは頭痛という形で、マイに存在を強調した。

 念威妨害だ。サリンバン教導傭兵団のフードの人物──あの念威操者がやっているのだろう。

 

「あのとき……ころしておけばよかった」

 

 マイは悔しげに、唇を噛みしめた。

 重傷を与えれば、こちらに敵対しようと思わなくなるだろうと考えていた。しかし、今自分の敵として立ち塞がっている。

 

 ──ネ!

 

 マイの身体が、ビクリと大きく震えた。

 フェリは不思議そうにマイを見る。

 今のマイに、フェリは見えていない。見えてはいるが、全く意識していない。意識しないのなら、いないのと同義だろう。

 マイは座り込み、両手で両耳を塞いだ。

 

 ──シネ!

 

「いやぁ! ききたくないききたくないッ!」

 

 マイはぶんぶんと首を横に振った。

 フェリは慌ててマイに寄り、耳を塞いでいる右手をはがす。

 

「どうしたんですか?」

 

「こえがぁ! こえがきこえるのぉ!!」

 

「……声?」

 

 フェリは耳を澄ます。

 マイの声以外、何も聞こえない。

 

「何も聞こえないですよ?」

 

 ──シネ! シネ! シネ!

 

「ウソよッ! ほらッ、いまだってこえがしてるじゃないッ!」

 

 マイは扉を激しく叩き始める。

 

「だしてッ! はやくここからだしてッ! だしてよぉ!!」

 

「マイさん、落ち着いてください」

 

「どうしてあなたはおちついていられるのよッ!?」

 

 マイがフェリをきっと睨んだ。

 対するフェリは困惑した。

 どうして落ち着いていられると訊かれても、むしろ落ち着けない理由の方が分からない。

 室内に閉じこめられているとはいえ、身体の自由は奪われていない。誘拐した相手が、自分たちに危害を加えるつもりがないのは明白だろう。

 それに、取り乱したところで何も変わらない。冷静に現状を把握してこそ、打つべき手も考えられる。

 こういう思考こそ念威操者の思考、とフェリは思っていたのだが、マイは違うようだ。

 マイの顔は青ざめ、怯えるように小刻みに身体を震わせている。

 

「何を怖がってるんです?」

 

「なにいってるのよッ! いまからわたしたちはいぬのマネとかさせられるのよ!? おとこのオモチャにされるのよ!? そんなのいや! もういやぁ!」

 

 何度も、何度もマイが扉を叩く。

 フェリは絶句していた。

 サリンバン教導傭兵団は傭兵である前に武芸者だ。武芸者は誇り高く、そういう欲のために剄を使うのを嫌っている者が多数いる。

 世界にその名を轟かせるサリンバン教導傭兵団が、そんな下劣で低俗なことをしようなど、考える筈がないではないか。

 マイは涙を流して、今度は窓を必死に叩き始める。

 

「ルシフさまぁ……はやくきてよぉ……ルシフさまぁ!」

 

 フェリは信じられない気持ちで、マイを凝視した。

 

 ──泣き叫び、暴れまわるこの少女が、マイ・キリー?

 

 フェリが知っているマイは、いつも落ち着いていて、ルシフのそばで笑い、自分の念威に絶対の自信を持っている少女だった。冷静に物事に対処し、どんな危険や恐怖にも屈しない強い少女だった。

 それが、今はどうだ?

 子どものように癇癪を起こし、思い通りにならないと暴れる。まるで幼児化してしまったようだ。

 フェリは知る(よし)もないが、マイの精神的成長はルシフに出会った六才の時点で止まっていた。マイの心は壊れたままだった。今まではルシフという接着剤で、壊れた心を繋ぎ止めていた。接着剤が消えれば、当然心は再び壊れる。

 マイにとって世界とは、常にルシフというフィルターを通して見るものだった。必要な物は全てルシフから与えられ、ルシフという庇護の籠から出ず、ルシフによって全てが完結していた。

 何かルシフの存在を感じられるものがあれば、そのフィルターは外れなかった。ルシフからもらった錬金鋼の杖は、マイにとって武器であると同時に安定剤なのだ。自らがルシフと繋がっていることを示す、とても重要な物。

 それがあったから、ルシフと離れた一年間も、マイは平常心で過ごすことができた。常に杖を常備し、肌身離さず持つことでルシフの存在を近くに感じ、フィルターの中で生きられた。ツェルニの武芸者が軒並み自分より弱かったのも、マイが平常心でいられた要因の一つ。

 だから、ルシフが近くにおらず、ルシフと自分とを繋ぐ唯一の物を持っていないマイの世界は、崩壊した。マイをいままで守ってくれていた殻は砕け散ったのだ。

 マイは窓を何度もがんがん叩いていたが、鉄製の扉の鍵が外れる音で叩くのを止めた。

 マイは扉付近に転がるように近付く。

 扉が開けられ、トレイを持った眼鏡の少女が顔を出した。

 

「あのう……きゃッ!」

 

 マイがその脇をすり抜けようと身を低くして駆ける。マイの腕をハイアが掴んだ。ハイアは眼鏡の少女のすぐ近くに潜んでいた。

 

「はなしてッ! はなせッ! この、けだものッ!」

 

 マイは必死に暴れるが、武芸者の力を、一般人の力しか持たないマイがどうにかできるわけがなかった。

 ハイアは室内にマイを無理やり入れる。その時の勢いで、マイは尻餅をついた。

 

「あ……ああ……!」

 

 マイは尻餅をついたまま、自分を見下ろすハイアの目に釘付けになった。

 ハイアは哀れみの視線をマイに送っていたわけだが、マイにはそう見えなかった。

 今の自分の行動が、ハイアの気分を害した。マイはそう考えた。

 マイは身体を震わせながら、両腕で自分の身体を抱く。両手は、叩きまくった影響で痣だらけになっていた。

 

「ぼうりょくは……ぼうりょくはやめて……なんでもいうこときくからぁ! いたいのやだぁ! なにしてほしいかいって! いわれたとおりにやるからぁ!」

 

 その場にいた三人は絶句していた。

 あまりの痛々しさに、ハイアと眼鏡の少女はマイから目を逸らした。

 眼鏡の少女はトレイを室内に置く。二人分の料理がトレイにのっていた。

 

「何もしません。食事を持ってきただけですから。それに、その……犬のマネとか、オモ……オモチャとかにもしませんから、安心してください」

 

 眼鏡の少女が、真っ赤な顔で恥じらいながら言った。

 どうやら室内の声は外にも聞こえるらしい。フェリはそう思った。

 

「ウソよ……そうやってよろこばせたあと、どんぞこにつきおとすつもりでしょッ! もうだまされないからッ!」

 

 マイは眼鏡の少女を睨みつけている。

 ハイアは眼鏡の少女の肩に手を置いた。

 

「ミュンファ、出るさ。おれっちたちにできることは何もない」

 

 ミュンファは悲しそうに頷き、震え続ける少女から目を逸らした。

 室内から出たら、扉の鍵を閉める。

 閉めてすぐ、室内を叩く音が響き始めた。

 

「ルシフさまぁ! ルシフさまぁ! たすけて、ルシフさまぁ!」

 

 扉越しに、少女の絶叫が聞こえた。

 扉の外は、気まずい沈黙が流れている。

 サリンバン教導傭兵団の放浪バスの中だ。団員はほとんど揃っている。

 

「……本当に、あの女がお前らに重傷を負わせたのか?」

 

 青髪の少女と闘っていない団員の一人が、不審げに周りの団員たちを見た。

 

「フェルマウスとミュンファに重傷を与えた。俺だってやられた。間違いない。しかし……冷酷な少女だと思っていたが、まさかあそこまで豹変するとは……」

 

 苦い顔で一人が呟いた。

 どういう経緯や理由があれ、あの少女をあんな風にしたのは自分たちだ。それが罪悪感を覚えさせ、いやでも気持ちが暗くなった。

 

「わたし……許せません! ルシフって人」

 

 ミュンファは両膝の上で拳を握りしめた。

 

「きっと自分以外外道ばかりだってあの女の子を洗脳して、自分の言うことをなんでも聞くようにしたんです。暴力されたとか言ってましたけど、それだってルシフが命令してやらせたのかも……」

 

「本当に畜生以下だぜ、あの男は! あんな男に廃貴族なんて力を持たせちゃいけねぇ!」

 

 それが、サリンバン教導傭兵団を納得させた原動力だった。

 ハイアはルシフが廃貴族の力を持つことの危険性を、団員たちに必死に説いた。結果として、廃貴族を捕らえた報酬目的ではなく、全レギオスの平和のために、団員たちは今回の人質作戦に参加した。

 かなり誇張して、ルシフが廃貴族を持っているとこういう危険があると想像に任せて言いたい放題言った。その虚言が、今回の少女の件で現実味を帯び始めていた。

 後ろめたさは、もちろんあった。よく知らないルシフを徹底的な悪者にして、戦意を煽ったのだから。

 だが今は、後ろめたさはほとんどない。ルシフは想像通りの外道だったのだから。

 少女を自分無しでは生きられないよう徹底的に洗脳して、自分の命令をなんでも聞く人形にする。

 そんなヤツが、廃貴族などという強大な力を使いこなせるようになったら、一体何人の犠牲者が生まれる?

 ハイアは廃貴族に魅力を一切感じなかった。力は自分の内から生まれ、腹に蓄積されるものだと、師のリュホウから教えられたからだ。

 廃貴族は所詮、外から人の内に入り、入った身体を食い破る力。凡人に許される力ではない。

 ならば、ルシフは凡人か? 違う。ヤツは、傑物だ。ヤツならば廃貴族に食われず、逆に廃貴族を食い尽くすかもしれない。

 ルシフの性格は最悪と思っているが、ルシフの能力の高さは痛いほど理解していた。正直、その恵まれた能力が何故自分に与えられなかったのか、と嫉妬している部分もある。

 廃貴族など、あの男は持ってはいけないのだ。ルシフという男は外道らしく、それなりの力でそれなりに生きればいい。

 

 ──全レギオスの平和のために。

 

 心の中で、そう呟いてみる。驚くほど、何も感じなかった。

 結局、自分は武芸者ではなく、傭兵なのだ。目先の利や物で戦う、欲に生きる者なのだ。天剣という物に動かされ、自らの心を満たすためだけに戦う。なんとも小さい男ではないか。

 だが、天剣さえ手に入れることができれば、自分は大きくなれる。今とは違うところにいける。

 そんな気がしていた。

 廃貴族を見つけ、回収するという任務を終えれば、きっとサリンバン教導傭兵団は解散するだろう。サリンバン教導傭兵団は、ハイアにとって家族であり、家だった。

 サリンバン教導傭兵団の解散は目前まで来ている。ルシフを捕らえようが失敗しようが、どちらにせよサリンバン教導傭兵団は無くなる。帰る家も家族も、何もかも消える。

 戦いだ。ルシフとの戦いでもあるが、それ以上にサリンバン教導傭兵団にしがみついている自分との戦いだ。サリンバン教導傭兵団が無くなるのを嫌がっている自分を倒す。

 大きくならなければならない。今の自分を倒す力を、手に入れなくてはならない。今の自分を倒す力こそ天剣だ、とハイアは信じている。

 ハイアのそばで、念威端子が舞った。

 

『ハイア。他都市との接触まで、あと四時間』

 

 他都市がツェルニに近付いている。だから、ハイアは行動を起こした。都市間戦争を利用し、ツェルニの武芸者がこちらに来ないように。

 ハイアはズボンのポケットから手紙を取り、団員に渡した。カリアン宛の手紙だ。それと、剣帯に吊るしていた錬金鋼も一緒に渡した。

 手紙と錬金鋼を持った団員は、バスの外に出ていく。

 

「はやくここからつれだしてぇ! ルシフさまぁ!」

 

 少女の悲痛な叫びはまだ続いていた。

 少女の声の刃が扉を越え、ハイアに突き刺さる。

 ハイアは放浪バスから外に出た。少女の声が届くところにいたくなかった。

 

 

 

 フェリは扉を叩いて叫び続けるマイを、ベッドに座って見ていた。視線を移動させる。床に、料理とフォークとナイフがのっているトレイ。

 

「マイさん、食事にしましょう。そうしていても、ルシフに声は届きません」

 

 マイは振り向き、フェリを睨んだ。いつもの大人しめで清純そうな顔の面影が、全くなかった。獣のように目をギラギラさせつつも、顔色は蒼白だった。

 

「うるさいッ!」

 

 フェリはマイの剣幕に、一瞬怯んだ。再び口を開く。

 

「……とにかく、食事をして一旦落ち着きましょう」

 

 マイは床のトレイを見た。生唾を飲み込む。視線を、トレイから逸らした。

 

「いらない」

 

「どうしてです? お腹すいてないんですか?」

 

「すいてない」

 

 タイミング悪く、マイのお腹が鳴った。マイは気まずそうな表情になる。

 

「すいてるじゃないですか。食べましょう」

 

「いらないっていってるでしょッ! なにがたべものにはいってるかわからないものッ!」

 

 フェリは、マイが頑なに食事を拒む理由を理解した。

 食事に、毒か何かの薬を入れられているかもしれないと疑っているのだ。

 フェリは少し悲しくなった。過去に、一体どれだけひどいことをされたのだろう。

 危害を加えられたわけではないし、拷問されてるわけでもないから、食事に何か入れるなどあり得ない。

 フェリはそう確信している。

 フェリが床に座り、ナイフとフォークを手にとった。マイがじっとフェリを見ている。フェリは野菜炒めの人参にフォークをさした。食べる。人参の甘みと味付けの塩が口の中にひろがった。なかなか美味しい。

 フェリがマイを見た。

 

「大丈夫です。変な物は何も入ってません」

 

「……あなたのほうにだけ、はいってないかもしれないでしょ」

 

 料理は左右対称に分けられていた。フェリは自分の方に近い右側の料理を食べた。

 フェリは左側の料理にナイフとフォークを伸ばす。豚肉ステーキの左端にフォークをさし、ナイフで切った。一口サイズになった小さな肉を、フォークで口に運ぶ。甘辛いタレが、豚肉本来の味によくからんでいた。これも美味しい。

 フェリがトレイにのっているふきんで、口元をぬぐった。

 

「……こちらも、何も入っていないようです」

 

 マイは驚いた表情で、フェリを数秒凝視している。無言で、マイはフェリの向かいに座った。ナイフとフォークをフェリと同じように持ち、左側の料理を食べ始める。フェリは微かに表情を緩ませた。

 食事を食べ終わり、マイが口をふきんでぬぐった。

 フェリは再びベッドに座る。

 マイが視線を逸らしながら、口を開いた。

 

「……あの、えっと、ありがとう」

 

「お礼を言われるようなことは、していませんが」

 

 フェリは照れくさくなり、目をふせた。

 

「あなたのとなりに、すわってもいい?」

 

 マイのすがりつくような目が、フェリを捉えている。

 

「どうぞ」

 

 マイはフェリのベッドに座った。寄り添うように、身体をフェリに預けてきた。身体が震えているのが分かった。

 だから、少しでも安心させようと、フェリは口を開いた。

 

「きっと、すぐにルシフが助けにきてくれますよ。ルシフはあなたを、とても大切に想っているようですから」

 

「……そうだと、いいな」

 

 マイの呟きが聞こえた。

 

「こえがね、ずっときこえるの。シネ、シネって。でも、ルシフさまがいるときこえないの。きっとわたしのいのちのかちは、ルシフさまのそばにしかないの。だから、ルシフさまにすてられたらわたし、どうすればいいかわからないの」

 

 フェリは言葉が出てこなかった。黙ってマイの肩を抱き、自分の方に寄せた。下手な言葉をいくつも並べるより、こっちの方がマイには良いと思った。

 しかし、フェリの身体が小さすぎてマイはバランスを崩し、ベッドの方に身体が転がった。

 寝転がったマイは、フェリと目を見合わせる。フェリの顔はわずかに赤くなっていた。マイはここにきて、初めて笑みを浮かべた。フェリは無表情のままだった。本当は、マイのように笑みを浮かべたかった。念威操者なのに感情表現が上手いマイを、少しだけ羨ましく思った。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 カリアンは深刻な表情で、生徒会長室の椅子に座っている。前にある執務机の上に、錬金鋼と折り畳まれた手紙が置かれていた。

 カリアンは深くため息をついた。

 おかしいとは、思っていた。部屋に帰ったときにフェリの姿がなく、朝になってもフェリが帰ってきていなかったからだ。

 フェリも年頃の女の子だから、たまには友だちの部屋で一晩過ごすこともあるだろう。校則違反だが、そういうのをしたくなる時もある筈だ。

 そう自分を納得させ、動揺しないよう心掛けた。朝一番に、他都市接近の報を受けたからだ。もしその報告がなければ、都市警か念威操者に、フェリを探す依頼をしていただろう。

 結果的に、フェリを探さなかったことが事態を更に悪化させた。誘拐されているなど夢にも思わなかったのだ。

 折り畳まれた手紙を見て、もう一度深くため息をついた。

 フェリだけでなく、マイ・キリーも誘拐した、と手紙に書かれていた。そっちが本命だった。

 サリンバン教導傭兵団が、ルシフの中にある廃貴族を狙っているのは知っていた。ルシフが廃貴族のせいで危険だと、団長のハイアがたびたび言ってきたからだ。

 ハイアは、なんとかしてルシフの身柄を拘束しようとする傾向があった。拘束作戦の手助けを陰ながらしたこともある。ルシフをツェルニから追放するためではなく、サリンバン教導傭兵団とのパイプを得るために。

 しかし、それも考え直さなければならないかもしれない。自分たちの手に負えないからと、平気で弱者を人質にするような集団など、信用できない。

 カリアンが唸っていると、部屋の扉がノックされた。

 

「十七小隊、ニーナ・アントーク以下六名、教員五名、ただいま参上いたしました。入室してもよろしいでしょうか?」

 

「どうぞ」

 

 カリアンは十七小隊と教員全員を、生徒会長室に呼んでいた。

 カリアンの気が一気に重くなる。これからルシフに、マイが誘拐されたことを伝えなければならないからだ。

 

「失礼します」

 

 ニーナが最初に部屋に入り、後ろから続々と人が入ってくる。生徒会長室はそれなりに広いが、十一人も入ると少し窮屈な印象を受けた。

 

「一体どのようなご用件でしょう? 十中八九、武芸大会に関することだと思いますが」

 

 他都市が接近中なのは、全生徒が知っていた。他都市の名前がマイアスなのも、すでに掴んでいた。

 小隊員にはいつ武芸大会が始まってもいいよう、練武館に集まるよう指示も出していた。

 武芸大会について呼ばれた、と考えるのが自然だった。

 カリアンは首を振った。

 大小の違いはあれ、だれもが驚いた表情をしている。

 

「では、どのようなご用件でしょうか?」

 

「フェリとマイ君が、サリンバン教導傭兵団に誘拐された」

 

 部屋にある花瓶が全て同時に割れた。ルシフの苛烈な剄が部屋中を駆けめぐったからだ。花瓶に入っていた水が床に滴り落ちていく。

 ルシフの方に全員顔を向けた。ルシフは無表情だった。

 

「確かか?」

 

「これを……」

 

 カリアンが執務机の上の手紙と錬金鋼をルシフに渡した。

 ルシフは錬金鋼を顔に近付けた。紛れもなく、ルシフがマイに渡した錬金鋼だった。次に手紙を広げ、手紙の内容を読む。

 

「……ハハ、ハハハハハッ! アハハハハハハッ! ハハハハハハハハハハハハハハハ! アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ……!」

 

 手紙を読み終えた後、ルシフは腹を抱えて笑った。高笑いが部屋に響き続けた。

 

「……ルシフ、一体何が書かれていたんだ?」

 

 ルシフは笑いながら、手紙をニーナに渡した。

 ニーナは手紙に目を通す。ニーナに顔を寄せるようにして、周囲の者たちが手紙を覗きこむ。

 手紙に書かれていたのは、ルシフに対する指示と、ツェルニの武芸者は一切関わるなという内容。もし言うことを聞かない場合、自由意思で人質二名を処理するとも書かれていた。処理──とぼかして書いてあるが、要は殺すということ。

 ニーナは怒りが沸き上がった。ニーナだけではない。その場の全員がサリンバン教導傭兵団の卑劣なやり方に反感を覚え、それぞれの剄が部屋を荒れ狂った。

 

「女を人質にするなんざ、男の風上にも置けねぇ!」

 

 レオナルトが怒りをあらわにして吐き捨てた。

 

「こんなやり方、武芸者がすることか! 恥知らずどもめッ!」

 

 ニーナが手紙を握り潰した。ニーナに共感するように、何人も頷いている。

 ルシフは壁に左手を置き、右手で腹を押さえて未だに笑っていた。どこに笑える要素があったのか分からない周囲の者は、困惑した表情でルシフを見ている。ルシフの性格なら、マイに手を出したサリンバン教導傭兵団に対して怒り狂うと全員が思っていた。

 ようやく落ち着いてきたのか、ルシフの笑いがおさまった。乱れた呼吸を整えている。

 

「旦那、何がそんなにおかしかったんです?」

 

「ハイア・サリンバン・ライアが、まさかここまで身体を張ったギャグをしてくるとは思わなかったからな」

 

「ギャグ……?」

 

「ヤツは俺が手に負えないから、マイを人質にした。そのマイを排除してみろ。俺を遮るものは何もないぞ。こんなバカげた茶番、滅多にお目にかかれん」

 

 手紙に殺すではなく、わざわざ処理と回りくどく書かれているのも、ハイアが内心報復を恐れているからこそだろう。マイとフェリを殺す覚悟も度胸も、ヤツらには一切ないのだ。

 

「それで、どうするんだい? 言うことを聞くのかい?」

 

 カリアンが慎重に言葉を選んで言った。

 

「命令された時間まで、あと一時間を切っている。おそらく人質を救出する作戦を考える時間を、俺に与えたくなかったんだろう。命令を守らざるをえない状況を必死に作ったつもりのようだ。それに、念威端子が俺たちを監視している」

 

 ルシフが窓を指さした。

 窓の外に、花びらのような形の念威端子が浮かんでいた。念威端子は、指をさされたら移動し見えなくなった。バレないように監視しろと、ハイアに命令されているのだろう。

 

「こちらの動きは全て筒抜けか……!」

 

「こっちの動きが念威端子で監視されている以上、ヤツらにバレずに救出するのは無理だ。念威端子を壊してもいいが、壊した時点で救出行動してくると読まれ、人質の警備は厳重になるだろう。端子を壊すと同時に人質を救出となると、色々面倒な策を使わなければならない。ここは言うことを聞いた方が楽だ。俺に命令した落とし前はいずれつけさせてもらうがな」

 

「分かった。なら、ツェルニの武芸者は手を出さないよう指示を出そう。君たちもルシフ君を信じて、勝手な行動はしないでくれ」

 

「……はい」

 

 ニーナは不服そうな顔をしながらも頷いた。次に、ルシフの方に顔を向ける。

 

「フェリとマイを頼んだぞ。こんな卑怯な手を使ったヤツらを、絶対に許すな」

 

 レイフォンがルシフの肩に手を置く。

 

「僕からも頼む。フェリ先輩を助けてほしい。君なら、きっとやれると信じている」

 

「私からも頼むよ。問題は色々あるけど、大切な私の妹なんだ」

 

「分かった、任せておけ。俺はこいつら五人を引き連れて、指定された場所に向かう」

 

 ルシフが視線を教員五人に向けた。教員五人は頷く。

 カリアンを残して生徒会長室を出て、ルシフと教員五人は駆け出した。

 指定された場所は、武芸者の足でなければ絶対に指定された時間に間に合わないほどの距離があった。

 建物の屋根に跳びのり、屋根の上を駆ける。次々に屋根に跳び移りつつ、まっすぐ駆け続けた。後ろから、念威端子が距離を空けてついてくる。

 アストリットは錬金鋼を復元し、駆けながら銃のスコープを覗きこんだ。念威端子を狙い撃つ。念威端子から念威の光が溢れ、剄弾を弾いた。端子は逃げるように建物の陰に移動。

 アストリットは少し感心した。

 

「なかなか腕の良い念威操者のようですわね。まぁ、一人くらい優秀な人物がいていただかないと期待外れですが」

 

 並の念威操者ならあの場面、射線から端子を移動させようとするが、間に合わず端子を破壊される。

 一瞬で回避は無理と判断し、念威で受け流すようにした。優秀と呼んでいい能力がある。

 

「……アストリット」

 

「はい」

 

「お前はこの辺りで狙撃ポイントを見つけ、合図したら狙撃できるようにしておけ」

 

「了解いたしました!」

 

 アストリットが集団から離れ、跳躍してこの辺りで一番高い建物の屋上に立った。

 ルシフたちはアストリットが離れても、駆ける速度を落とさない。

 

「フェイルス」

 

「はっ!」

 

「指定された場所から西に四百。古びた建物がある。お前はそこを狙撃ポイントとし、待機」

 

「了解しました!」

 

 フェイルスが集団とは別方向に進路を変え、離脱。瞬く間に姿が見えなくなった。

 更に駆ける。

 指定された場所には、サリンバン教導傭兵団の放浪バスがあった。バスの外に、四十人ほど人がいる。

 

「バーティン、レオナルト、エリゴ。お前らはここで待機」

 

「了解!」

「了解!」

「了解した!」

 

 ルシフの後ろをついてきた三人が足を止めた。ルシフは駆け続ける。

 ルシフはバスから二百メートル離れた地点で、ようやく足を止めた。

 バスの外に出ている四十人は一斉に身構えた。

 ルシフはゆっくりと歩いて近付いていく。外に、マイとフェリの姿は見えない。

 ルシフの後方に、ニーナたち十七小隊が姿を見せた。必死にルシフの後を追ってきていたらしい。

 ルシフは呆れた表情で振り返る。

 

「お前らな……」

 

「邪魔はしない。武芸大会が始まったら、そっちに向かう。だが、それまでは成り行きを見守らせてくれ」

 

 マイアスはすでにツェルニに接触していた。武芸大会が始まるまで、後三十分もないだろう。

 それでも十七小隊全員、フェリやマイが心配で仕方ないのだ。

 

「それ以上、こっちに来るな。とりあえず、ヤツらの出方を見る」

 

「……分かった。お前に従う」

 

 十七小隊はバスから二百メートル離れた地点で待機した。その場所からでも、内力系活剄で視力を強化すれば十分見える。

 ルシフは歩みを再開した。四十人はルシフを半円で囲むようにじりじりと動いていた。ルシフはそれを気にも留めず、歩き続ける。

 ルシフは努めて冷静を装いつつも、腹の中は怒りで満ちていた。ハイアの出方によっては、この場にいる全員を痛めつけようと決めている。

 

「止まれ!」

 

 バスとの距離が三十メートルになった時、遠巻きにルシフを囲んでいた団員の一人が言った。

 ルシフは大人しく従い、足を止めた。バスを見据える。バスから、人が降りてきた。二人。ハイアとマイだった。マイの首に、刀が添えられている。

 

「……ルシフ……さまぁ……」

 

 マイの声が、震えていた。

 ハイアが刀を握る手に力を込め、低く呟く。

 

「勝手に喋るな」

 

 一気に頭に血が上った。剄が溢れ、周囲を竜巻のように荒れ狂う。

 

「ルシフ、剄を抑えろ。驚いて手元が狂うかもしれんさ」

 

 ルシフは舌打ちし、剄を抑えた。

 ハイアは満足そうに笑みを浮かべる。

 

「それでいいさ」

 

「ハイア・サリンバン・ライア。貴様があまりにも稚拙な手を打ってくるから、笑い転げてしまったぞ。可哀相だから、少しくらいなら言うことを聞いてやろう」

 

 ルシフが一歩、踏み出す。

 

「動くな!」

 

 団員の一人が声をあげる。

 ルシフは足を止め、ハイアの周囲を注意深く見た。

 

(アストリットにハイアを狙撃させるか? アストリットの狙撃を陽動に、フェイルスでハイアを狙撃するか? 逆の方がいいか? 足元に石。蹴り飛ばしてハイアに当てるか?)

 

「バスに近付かないで、どうやって俺をグレンダンに連れていく? ハイア・サリンバン・ライア。お前もマイの身体で自分の身体をぴったり隠して……そんなに俺が怖いか?」

 

 ハイアの顔に、僅かに動揺がはしった。

 

(ハイアが挑発に乗り、少しでもマイから身体を離したら、二人に狙撃させるか? 距離は三十。剄糸も届く。剄糸でマイの首の刀を奪うか? 一か(ばち)か、衝剄で刀を弾くか? いや、それはマイも危険)

 

「それ以上、恥を上塗りするな。傭兵なら傭兵らしく、己の力を頼れ。本当に見下げ果てたヤツだ」

 

 ハイアを挑発しながらも、ルシフはいくつもマイ救出の策を考えた。だが、どれもしっくりこなかった。ハイアの実力が中途半端にあるからだ。

 強者なら、人質を傷付けずに自身を守れるだろう。弱者なら、攻撃に反応できず人質を危険に晒さないだろう。

 しかし、ハイアは違う。ほんの一瞬、こちらの攻撃に反応できてしまう実力があるかもしれない。その一瞬は反射に近い動きになるため、マイの首元の刀が動いて、マイの首を切ってしまう可能性がある。

 ハイアが反応できない速度でハイアを殴り飛ばすことはできるが、近付いた時に生まれる衝撃の余波でマイを傷付けてしまうだろう。

 マイは絶対に傷付けない。傷付けさせない。

 その信念にも似た意志を守るため、ルシフは今まで全力を注いできた。

 ルシフが頭脳をフル回転させていると、ハイアがルシフを睨みつけた。

 

「お前のような外道が、偉そうなことを言うな!」

 

 ハイアがマイの方に一瞬、視線を送った。

 

「この女の子。軟禁した部屋を叩きまくりながら、お前の名を必死に呼んでたさ!」

 

「……叩きまくる?」

 

「やめて! いわないで!」

 

 マイが悲痛な表情で叫んだ。

 ハイアはマイの言葉を無視した。ルシフの印象を悪くしないために、自分の醜態を隠そうとしていると思ったからだ。

 ルシフの評価を下げたら、罰を与えられる。きっとそういう風に刷り込まれているのだろう。

 

「この女の子の両手を見てみるさ! 青痣だらけになってるだろう! それが証拠さ! それだけじゃない! 暴力されるくらいなら、なんでも言うこと聞くとも言ったさ! 自分がいないと精神が崩壊するようこの女の子を洗脳した外道に、何か言われる筋合いはない!」

 

「いっちゃだめぇ!」

 

 ──洗脳……? 精神崩壊……?

 

 ルシフは、ハイアが言ってる意味が分からなかった。

 マイを洗脳など、していない。しようと思ったこともない。

 なら、今のハイアの発言はなんだ? 何故、マイはこの世の終わりに遭遇したような顔をしている?

 

「あ……ああ……」

 

 マイの眼から、涙が流れていた。

 何故、涙を流す、マイ? 怖いのか? 安心しろ。すぐに助けてやる。

 しかし何故、それが言葉として出てこない? 言葉で伝えなければ、意味ないではないか。

 

「ルシフさま……だいすきです」

 

 マイは涙を流したまま、笑みを浮かべた。

 マイにとって、ルシフは世界そのものである。ルシフのところ以外に、マイが生きたい場所はない。

 十年前から始まった夢は終わったんだ、とマイは思った。

 

「は……?」

 

「……いままで、ありがとうございました」

 

 どうしようもなくきたなく、醜い私を知られてしまった。ルシフ様から幻滅されるのは耐えられない。

 ルシフを見た瞬間に、マイはルシフのいる世界しか考えられなくなっていた。

 その世界から否定される恐怖が、生への渇望を上回った。

 

「マイ!? よせッ!」

 

 ルシフが咄嗟に手を伸ばす。

 マイは刀の刀身を両手で掴み、首筋を深く切った。

 ルシフの視界で、紅が舞った。

 その紅が、マイの首から噴き出しているものだと理解した時、ルシフの中の何かが壊れた。頭が割れるように痛くなり、右手で頭を軽く押さえる。

 スローモーションの世界にいた。

 ハイアが驚き、刀を引こうとしていた。マイの涙が散っている。救いを求めるように伸ばされる手。

 それらの情報が目から体内に入り、ルシフ自身気付いていない何か、しかし確かに存在していた何かを徹底的に壊した。

 それがなんなのか。ルシフには分からない。分かりたくもなかった。一つ分かったのは、マイに死を選ばせたのは自分、という事実だけだった。

 世界がどうこう考える前に、そばにいたマイをもっと理解しようと努力するべきだったのではないのか。もっとマイと分かり合おうとするべきだったのではないのか。

 後悔の泡が生まれては、弾けた。

 

『……わたしは、ずっとそばにいていいの? めいわくじゃない?』

 

 幼い少女の声が、脳裏に再生された。

 そばにいろ。そう言った。その約束を、ずっと守るつもりだった。

 

『ルシフ様!』

 

 マイの笑顔が浮かびあがり、砕けた。表情が豹変する。絶望に染まった表情に。

 マイと目が合った。蒼い目。光は消えていない。まだ、生きている。

 身体の奥底に、微かな火が灯った。

 助けられるか? 分からない。そばにいこう。そう思った。たとえ命の灯火が消えるとしても、マイのそばで最期を見届けよう。助けられるなら、どんな手を使っても助けよう。

 そばにいこう。とにかくそばにいかなければ、何もできない。

 ルシフは動こうと身体を低くした。視界の端を、何かがよぎった。花びらか。そう思った。花びらの形をした念威端子だった。

 何度散っても、根さえあれば、花はまた咲く。人も、同じだ。きっとそうに違いない。根さえあれば、また美しい花を咲かせられる筈だ。ならばマイにとって、根とは何か。自分ではないのか。そういう根に、自分がしてしまったのではないのか。だとすれば、助けたところで──。

 ルシフはそれ以上、考えるのを止めた。

 力強く踏みこみ、ルシフは紅に染まった世界へ飛び込んだ。


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