鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第44話 業火

 ルシフが瞬く間にマイに近付いた。まっすぐ近付かず、半円を描くように近付くことで、近付いた際の剄の余波がマイに当たらないようにした。

 サイレンが鳴っている。武芸大会という名の都市間戦争が始まった合図。しかし、今のルシフは一切興味なかった。

 ルシフが刀を引こうとしているハイアの顔面を裏拳で殴り飛ばしながら、マイの後ろに立つ。首から噴き出している血が、ルシフの顔を赤く染めた。

 ルシフが左手で制服の右腕部分をちぎり、右手首をそれでぐるぐる巻きにする。

 マイの正面に回り、ルシフは左手で傷口を無理やり押さえた。噴き出している血が行き場を無くし、マイの全身が血まみれになった。

 次に布で巻いた右手首を強引にマイの口に突っ込み、噛ませる。

 左手の剄を、化練剄で熱に変化させた。熱で傷口を焼き、止血する。原始的な方法だが、それ以外ルシフは思い付かなかった。鋼糸を武器にするリンテンスなら、鋼糸で傷口を縫うことができ、痛みも最小限に抑えられただろうが、ルシフは鋼糸に設定した錬金鋼(ダイト)を持っていない。

 こういう万が一に備え鋼糸の錬金鋼を持つべきだった、とルシフは後悔した。剄糸では一時的に傷口を縫い付けておくことしかできず、傷口を焼いて止血できない。あの血の勢いで剄糸による止血が正確にできる、確固とした自信もなかった。

 肉が焼ける嫌な音とにおいがしだす。

 マイは苦痛に顔を歪ませながら暴れた。

 マイの身体を首に置いている左手で押さえる。

 マイに噛ませている右手首の布が噛み切られ、右手首にマイの歯が食い込んだ。歯の隙間から血が滴り落ちる。

 剄による防御は最低限しかしていなかった。マイの歯をボロボロにしないためだ。

 激痛だった。声が出そうだった。表情が苦悶に歪みそうだった。しかし歯を食い縛り、それらを強靭な精神力で全て抑えこんだ。

 血に染まったルシフの顔では目立たないが、ルシフの顔や身体は我慢している証拠のように、多数の汗が浮かんでいた。

 マイの身体を押さえても、暴れる力は弱まらない。

 首を焼いている左手を引き剥がそうと、マイの両手が左腕を力いっぱい掴んだ。服の左腕の部分が、マイの両手の爪でズタズタになった。それで終わらず、マイの両手の爪が左腕に幾筋も引っ掻き傷を遺していく。多数の引っ掻き傷から血が流れた。

 防御しようと思えば、余裕でできる。しかし、ルシフは最低限しかしなかった。

 防御することは、転じてマイの身を傷付けることになるからだ。鋼鉄に爪を立てるのと人肉に爪を立てるのでは、当然鋼鉄に爪を立てた方が爪を傷付けやすい。

 これらのマイの行動は全て、本能と苦痛からの逃避による無意識下で行われていることであり、力加減すらできていない。

 ルシフは必死になって、火事場の馬鹿力による反動でマイの身体がこれ以上傷付くのを防ごうとした。たとえ、自分がどうなろうとも。

 

 ──死ぬな。

 

 声にならない声をあげ、真っ赤に染まっているマイの苦痛に歪みきった顔。まるでマイの顔でなくなってしまったようだ。

 マイの爪が左腕をえぐる。左腕の肉が軽く削ぎ落とされた。血が溢れだす。

 それでも、ルシフは静かな表情でマイの顔を見続けた。

 

 ──死なないでくれ。

 

 ルシフの脳裏に、アルシェイラの顔がよぎった。

 

  ──嫌だ。ああなるのは嫌だ。

 

 ルシフにとってアルシェイラは、マイに出会わなかった自分の姿だと思っている。

 夢も理想もなく、力に溺れ、今さえ楽しければいい、本能にまかせた獣のような生き方。

 アルシェイラと昔の自分が重なるが故に、ルシフはアルシェイラを徹底的に嫌う。見下す。こきおろす。ルシフの異常なまでのアルシェイラ嫌いは、同族嫌悪のようなものに近い。

 マイを喪ったら、自分はアルシェイラのようになってしまうのではないか。ただ今だけを楽しむ、獣に成り下がってしまうのではないか。

 身体が震えた。今も襲い続けている、灼熱に身を投じているような苦痛からではない。今の自分が消えてしまう。そんな恐怖からだった。

 それと、マイを喪えば、自分はただの獣に戻ることすらできないだろう、と漠然と予感している。きっと、深く心に傷を負った手負いの獣になるのだ。今までよりも暴力的になり、一切の慈悲もなく、余裕すら無くし、生き急ぐように周りに当たり散らす獣に。

 ルシフはマイの顔に再び意識を戻した。

 マイの目は涙で滲み、歯を右手首に食い込ませながら、必死に声なき叫びをあげていた。聞こえるのは言葉でも、声でもない。ただの音だ。だが、言葉よりも声よりも、ルシフの心に響くものがあった。

 ルシフは左腕を見た。引っ掻き傷が左腕を根のように張り巡っている。ところどころ、白いものが見えた。骨だ。右手首からは血が流れ続けている。

 ルシフは食い縛る顎に力を込めた。

 こんな痛みがなんだ。マイは、これ以上の痛みを感じた。今も、自分よりも辛い痛みに耐えている。それに比べれば、自分の痛みなど大したことはない。

 ふと、自分はなんでこんなことをしているのだろうと、疑問に思った。

 マイは自ら死を選んだ。それはマイの選択であり、理不尽な死ではない。マイ以外だったなら、こうして助けようなど一切していない筈だ。相手の意思を、受け入れただろう。

 ずっと自分の内に埋もれていたものが形になっていくような感覚を、ルシフは感じた。それは王にとって必要な人材とか、自分が新世界を見せる最初の相手などという、思惑とかけ離れたもの。ただ純粋な、好意。だが、ルシフは信じられなかった。

 

 ──俺は……お前に惚れているのか? いや、そんなのあり得ない。多分、家族愛のようなものだ。

 

 ルシフはそう結論づけた。

 それでも、マイが大切な気持ちは変わらない。

 ルシフはマイに向けて、微かに笑みを浮かべてみせた。

 

「お前がどう思おうとも、俺はお前に生きていてほしい。それじゃダメか? マイ」

 

 マイの目に、光が灯った気がした。

 もしかしたらそれは、自分の願望が見せた幻覚かもしれない。それでもいい。たとえ幻覚でも、助かる可能性を信じられるなら。

 取り返しのつかないことをした。

 だからこそ、このまま終わりなど、許せる筈がないのだ。

 

「旦那ぁ!」

 

 エリゴの叫び声が耳に入った。

 左頬を何かがかすめ、横一線の傷が生まれた。傷口から血が流れる。

 ルシフは傷を一瞥したが、なんの感情も湧いてこなかった。再びマイに視線を戻す。

 今はマイの身の方が大事。自分のことなど、二の次でいい。

 ルシフの意識はマイにしか向いていない。

 しかし、ルシフの意識の外側では、ルシフが死にかねない状況になっていた。

 

 

 

 ほんの少し時を遡り、マイの元にルシフが駆け寄った直後。

 サリンバン教導傭兵団の団員たちは、予想外の展開に数秒唖然とし、それを過ぎたら慌て始めた。

 予定では、マイに武器を突きつけ続けてルシフに言うことを聞かせ、ルシフをグレンダンに連行するつもりだった。

 しかし、人質のマイは自ら命を断とうとし、今はルシフのそばにいる。

 マイが生きようが死のうが、もうルシフを脅せる人質じゃない。この一件が、ルシフを激怒させる可能性もあった。

 現状はマイをルシフが必死に助けようとしているが、それが一段落ついたら、こちらに牙を剥くだろう。そうなれば待っているのは、確実な死。

 助かりたければ、死にたくなければ、マイに気をとられている間に、ルシフを殺す。または行動不能の重傷を与えなければならない。

 故に、サリンバン教導傭兵団の次の行動は、いわば必然だった。

 銃や弓を使う団員たちがルシフに照準を合わせ、撃った。ルシフの左右前方から、剄弾と剄矢が襲いかかった。

 エリゴ、レオナルト、バーティンが旋剄で射線上に割り込み、剄弾と剄矢を弾く。エリゴは刀で。レオナルトは棍で。バーティンは双剣で。

 剄弾と剄矢は全て弾いたが、エリゴが弾いた幾つかの剄矢の内の一矢、それがルシフの方に向かっていた。

 三人は突然のサリンバンの攻撃に対応が遅れ、最初からルシフを守る体勢になっていなかった。全てを完璧に弾くまではできなかった。

 

「旦那ぁ!」

 

 エリゴが叫んだ。

 剄矢がルシフの左頬をかすめた。横一線の傷が生まれる。ルシフは微動だにしない。

 三人は愕然とした。ルシフが一切反応しなかったことに、じゃない。ルシフの頬に傷が生まれた事実に。

 いつものルシフなら、あの程度で傷など負わない。自身の防御を捨てて、マイを救うことに全力を注いでいる。その事実に、三人は思い至った。

 ルシフの両腕は、マイの歯と爪で傷まみれになっている。それでも表情一つ変えず、静かな表情でマイを見つめているルシフ。

 その光景は、美しかった。人が人を想い、助けようとする姿。そこには、人の持つ光が凝縮されているような気がした。

 そして、その姿に武器を向け、あまつさえ撃ったサリンバン教導傭兵団に対し、エリゴは怒りを覚えた。

 剄弾と剄矢の雨は未だに止むことはない。三人は各々の武器で弾き続けた。今は完全に防御の体勢になっているため、全て防ぐことができている。

 

「人間相手に薙刀使いたくなったのは久しぶりだぜ」

 

 レオナルトが険しい表情で吐き捨てた。

 エリゴは弾きながら、レオナルトの武器を見る。棍だった。

 レオナルトの元々の得物は薙刀。だが、汚染獣相手にしか薙刀は使わなかった。

 以前、それを不思議に思い、何故武芸者相手に薙刀を使わないのか、と訊いた。レオナルトは笑みを浮かべ、たとえ殺されても人殺しはもう嫌だから、と答えた。そんな男が、人間相手に薙刀を使いたがっている。相当頭に来ているのが分かった。

 

「ルシフちゃんの……ルシフちゃんの顔に傷を……許さない。許さないッ!」

 

 バーティンの横顔を一目見るだけで、激怒しているのを悟れた。

 バーティンはルシフを弟のように想っている。普段は堅苦しく真面目なくせに、ルシフの前に立った途端甘えた顔になるのだ。その豹変ぶりを、剣狼隊の仲間と笑って眺めていた。

 刀を握っている手に、力がこもった。

 不意に、光の筋が二本、射撃しているサリンバン教導傭兵団の団員たちに吸い込まれた。二人の団員が吹っ飛んでいく。アストリットとフェイルスの狙撃だと、瞬時に理解した。

 

 

「不愉快ですわ……ほんっとうに不愉快ですわ」

 

 アストリットは狙撃銃のスコープを覗きつつ、呟いた。

 もし自分が自殺を図ったとして、もしくは瀕死の重体になったとして、ルシフはあそこまで必死に自分を助けようとしてくれるだろうか。

 サリンバン教導傭兵団には殺意しか湧かない。一番見たくないものを見せたという理由で。

 さらに、弱者を守るべき武芸者が弱者を盾にし、挙げ句の果てに弱者を傷付けてしまうなど、ゴミクズ以下の所業。これがアストリットの不愉快な気分に追い打ちをかけた。

 

「……腐りきったゴミクズども……後で撃ち抜かさせていただきますわ」

 

 アストリットの狙撃銃が再び火を吹いた。

 

 

 フェイルスは弓の構えを解いた。

 内力系活剄で視力を強化し、ルシフを見ている。

 フェイルスは呆れた表情でため息をついた。

 

「あれがマイロードの欠点なんだよなぁ。あれさえなければ完璧なんだけどなぁ……」

 

 たかが一人の女に自分の全てを投げ出す。

 そんな人間が、人の上に立てるか?

 ルシフは理で動いているように見えて、その根本に情がある。

 人の上に立つ人間に、情など不要。そんなもの、支配される側を甘やかす毒にしかならない。

 しかし、その欠点も含めて、自分はルシフという男が好きなのだ。

 情があるから、考えもつかない内政や、信じられない理想や信念を持つ。

 汚れ仕事は自分がやればいい。ルシフはただ思うまま突き進めばいい。

 フェイルスの顔が鋭くなった。

 

「……あいつらみたいなバカは、やっぱり社会に要らないなぁ」

 

 さっきの欠点の話は、あくまで臣下としての感情。個人としての感情は、いずれ頂点に立つ男の心を深く傷付けたサリンバン教導傭兵団に、報いを与えてやりたい。

 フェイルスが弓を構えた。

 

 

 エリゴが後方を確認すると、多数の光の線が向かってきていた。それらはエリゴを通り過ぎ、サリンバン教導傭兵団に襲いかかる。サリンバン教導傭兵団は射撃を止め、アストリットとフェイルスの射撃の回避に専念した。誰一人、当たった者はいない。世界で一番優秀な傭兵集団なだけあって、射撃される方向さえ分かっていれば回避できるらしい。まぁ、今の射撃は当てるよりも射撃を止めさせるのに重点を置いていたから、連中にもかわせたわけだが。

 射撃が止むと、レオナルトとバーティンが動こうとした。

 

「レオナルト! バーティン! おめぇら二人は旦那を守ってくれ!」

 

 二人の動きが止まり、顔だけエリゴの方に向ける。表情は不満そうだった。

 

「こいつらごとき、俺一人で釣りがくるぜ。アストリット、フェイルスの援護もあるしな。だから、おめぇらは動かなくていい」

 

「だったらあんたが守りゃいいだろ。俺があいつらをぶちのめす」

 

「その役目は、この中なら私が一番適任だろう。私があいつらの身体をズタズタにしてくるから、あなた方はルシフ様の守りを」

 

「二人の気持ちも分かる。ただ、この場は俺に譲ってくれや。頭にきてんだよ」

 

 ピリッとした殺気が、二人を打った。二人は驚いている。

 エリゴは滅多に怒らない。それが今、怒りを隠そうともせず、殺気が駄々漏れになっている。

 レオナルトとバーティンは間隔を置いて襲ってくる剄弾と剄矢を弾き落とした。回避しながら撃ってくる奴らがいるのだ。

 二人は渋々頷いた。

 エリゴも頷き返し、サリンバン教導傭兵団を見据える。

 

「俺言ったよな? 旦那の邪魔したら、斬り倒すってよ」

 

 エリゴから放たれる怒気に、団員たちが身体をすくませた。

 

「てめぇらは、やっちゃなんねぇことをやっちまったんだ! 覚悟できてんだろうな!?」

 

「エリゴ」

 

 ルシフの声が、後方から聞こえた。

 

「旦那、待っててくだせぇ。すぐにこいつら片付けますから」

 

「そんなことどうでもいい。それよりも、水だ。バケツ一杯の冷水を早く持ってこい」

 

「……旦那?」

 

「レオナルトとバーティンもだ。一刻も早く持ってこい。これは命令だ」

 

 三人は言葉を失った。

 今のルシフを無防備にすれば、サリンバンの奴らに確実に殺される。

 レオナルトとバーティンは剄弾を弾きつつ、エリゴの方を窺った。

 エリゴは一度深呼吸した。

 

「……聞けねぇ」

 

「何?」

 

「旦那、その命令は聞けねぇよ。今のあんたを放っておけねぇ」

 

 ルシフがようやく顔をマイから逸らし、エリゴの方に向けた。血まみれだった。無表情なのも相まって、人でない何かに見える。

 

「俺に、逆らうのか?」

 

「今、あんたから離れたら、あんただけじゃなくマイも死ぬ。あんただって分かってんだろ」

 

「こいつらに俺は殺せんし、マイは殺させん。体内の強化はしている。どの攻撃も、身体のなかばで止まる」

 

「止まるからなんだってんだ。接近して旦那の首を直接落としにくるかもしんねぇ。今のこいつらなら、それくらいやりかねねぇよ」

 

「……頼むから、早く冷水を持ってきてくれ。俺は剄を水に変化させれるが、水を冷たくするのはまだできない」

 

 火傷の応急処置は、流水で患部を冷やすのが最善であり、早く処置すればするほどいい。

 それは、エリゴも理解している。

 

「それでも、あんたから離れられねぇ」

 

「エリゴ! いい加減にしろ!」

 

「あんたこそ、いい加減にしろよ! あんたがマイを大事に思っているのと同じように、俺たちはあんたを大事に思ってんだよ! 命令違反の責任なら、あんたを守りきった後に、自分からこの首を落とす。それで文句ねぇだろ!?」

 

「エリゴさん!」

 

 レオナルトとバーティンが制止の声をあげた。

 死ぬな、と暗に言っているのが分かった。

 昔は、死ぬことが何よりも怖かった。自分さえ生きられればそれでいい、と思っていた。

 だが、今は違う。こんなちっぽけな命一つで、世界そのものを変える男の命を救えるなら、それも悪くないと思った。

 『人間凶器』という名前は好きじゃなかったが、武器と呼ばれることには納得していた。俺に、主体性はない。使い手あってこそ、俺は生きられる。使い手を助ける武器に、俺はなりたくなったのだ。

 一陣の、風が吹いた。

 瞬く間に、二人の気配が近付く。エリゴは反射的に刀を向けそうになった。気配の主を確認する。レイフォンとニーナ。

 武芸大会は始まっているのに、何故この場に? という疑問はあった。

 レイフォンとニーナが、周囲の団員たちを蹴散らした。ナルキとシャーニッドは、水の入ったバケツを持っていた。

 

「ルシフたちは僕らが守ります! 三人は早く水を! あれだけじゃ足りないかもしれない」

 

「ここからなら、農業区画が一番近いです!」

 

 レイフォンとニーナが言った。

 色々言いたいことや、聞きたいことはあった。

 しかし、ここに来たというだけで、それらの答えは出ていた。

 エリゴはレオナルト、バーティンと視線をかわす。

 二人はすぐに農業区画がある方に走った。

 

「おめぇら、ありがとよ! 恩にきるぜ!」

 

 二人より一瞬遅れて、エリゴも農業区画に駆けていった。

 

「レイフォン! お前はフェリの救出を! きっと奴らの放浪バスの中にいる!」

 

「はい!」

 

 レイフォンが、放浪バス目指して駆けた。

 教員たちと入れ違いになったニーナは、ルシフに襲いかかってくる剄弾を鉄鞭で弾いた。ニーナの顔が怒りで滲む。

 ナルキとシャーニッドは、ルシフにバケツを渡した。その後、ニーナと同様にルシフの近くに立ち、ルシフを守る。

 

「お前ら、ありがとう」

 

 ルシフがマイから目を逸らさず、呟いた。

 ルシフはマイの火傷した首に衣服の千切れたものをあて、その上から水をかけている。ルシフの両腕が、ニーナの目に入った。ニーナは言葉を無くした。

 

 レイフォンが立ち塞がる団員たちを吹き飛ばす。放浪バスの内部に飛びこんだ。一つ、鍵がかかっている扉があった。鍵を壊す。扉を蹴る。

 銀髪が、目の前で揺れていた。フェリが、レイフォンの胸に抱きついている。

 

「えっ……フェ、フェリ先輩!?」

 

「遅いです」

 

 抱きついたまま、フェリが呟いた。

 

「すっ、すいません! でも、あの、これは……」

 

「あなたはわたしに、武芸者が多数いる戦場を自分の足で突っ切れと言うのですか?」

 

 レイフォンはようやく、フェリが抱きついた意味に気付いた。

 一般人と同程度の身体能力しかないフェリが、サリンバンの武芸者相手に自力でここから逃げれる筈がない。

 レイフォンはホッとしつつも、どこか寂しい気分になった。

 レイフォンはすぐに気持ちを切り替え、放浪バスから出ようと考えた。

 レイフォンがフェリをお姫様だっこする。

 レイフォンはもうフェリの顔を見ず、サリンバンの武芸者の方ばかり意識を向けていた。故に、フェリの顔に微かに赤みがさしていたことには、一切気付かなかった。

 

「いきます。しっかり掴まっててください」

 

「はい」

 

 レイフォンが放浪バスの外に出た。

 サリンバンの武芸者が四人、一斉に襲ってくる。レイフォンは高く跳躍してかわした。視線の端を、光の筋がかすめる。四つの光が、足の下で弾けた。レイフォンに気を取られた隙を見逃さず、アストリットとフェイルスが狙撃していた。四人は放浪バスに叩きつけられた。四人はかろうじて生きている。

 元々、フェイルスとアストリットは殺す気がないのだろう。威力を抑えているように感じた。

 レイフォンはそれが意外だった。てっきり殺してくると思っていたのだ。

 レイフォンはサリンバンの連中に対し、余計なことをしてくれた、という言葉しかない。

 マイはルシフにとって大切な相手だと、病院でのルシフとマイのやり取りで気付いた。そんな相手を、死の境に追いやった。

 これからルシフがどう動くのか、だいたい予想はつく。

 ため息が出てくる。もしとばっちりでツェルニに住む人も危険になったら、全力で止めなければならない。本気で怒ったルシフを。

 止められるか? おそらく、無理だ。だから、ため息が出てくる。

 

 ──サリンバンの連中で満足してくれたらいいけど。

 

 サリンバン教導傭兵団はグレンダンが結成した。団員に、グレンダン出身の者も多くいるだろう。しかし、同郷ゆえの同情などは一切なかった。マイだけでなく、フェリも目的のために誘拐した。そんな奴ら、ルシフにボコボコにされようが、最悪殺されようがどうでもよかった。

 レイフォンは着地すると同時に旋剄を使用。ニーナたちのところまで移動した。

 サリンバン教導傭兵団の中に、ルシフを射撃してくる武芸者はもういなくなっていた。武器をこちらに向けながらも、こちらの動きを窺っているようだ。

 レオナルトたち三人が遠くから走ってきているのが見えた。両手にバケツを持っている。

 ルシフに近付いた三人はバケツを渡した。

 ルシフはバケツの水を、マイの首にかけ続ける。

 マイが、激しく咳き込んだ。口から血が吐き出される。

 

「ルシフさまぁ……」

 

 マイが、うっとりとした表情で、ルシフを見た。

 

「わたし、こんなにみにくいのに、きたないのに、ルシフさまはいきてほしいって、おもってくれるんだぁ」

 

 吐き気がした。

 マイの目の光は、濁っている。

 マイは、こんな目だったか?

 

「いいんだよね? わたし、ずっとルシフさまのそばにいていいんだよね?」

 

 気持ち悪い。

 人間は、心が壊れたらどうなるか。その答えの一つが、ここにある。

 心は、本性を隠す鎧でもあるのだろう。心が壊れたら、本来の自分しか出てこれなくなる。

 本来のマイはきっと臆病で、さみしがりやで、自分に自信が持てない人間なのだろう。しかし、その姿を見せてしまえば、俺に嫌われる。マイはそう思った。自立している人間を俺が好んでいるのを、マイはなんとなく分かっていた筈だ。

 だが、本性を知ってなお俺が助けたことで、本来の自分でも俺に受け入れてもらえると気付いたのだ。

 

 ──ダメになる。

 

 ここでマイを受け入れてしまったら、マイの世界はさらに閉塞してしまう。それは、マイのためにならない。

 

 ──言え。『今のお前に、俺のそばにいる資格はない』と言え。言わなければ、マイは確実に堕ちる。

 

 マイの顔は、汚れを知らない無垢な子供のような、純粋な笑み。拒絶されるなんて、微塵も考えていない。

 

 ──言えよ! 俺は『王』だろ! 私情を殺して、本当の意味でマイを救え!

 

 脳裏で、マイの笑顔が絶望に染まった。

 ルシフは、両拳を握りしめた。

 

「……言っただろ、マイ。俺のそばに……いろって」

 

 ──何を言ってるんだ、俺は。

 

「うんッ!」

 

 マイがルシフの背中に両腕をまわした。

 

 ──何故だ……。

 

「ずっと、ずぅっとわたしは、ルシフさまのそばにいるよ」

 

 抱きついてきたマイの身体は柔らかく、あたたかかった。

 

 ──何故俺は……こんな風にマイに必要とされるのを、少し嬉しいと感じているんだ。

 

 頭の中に手を入れられ、脳をぐちゃぐちゃに掻き回されているような感じだった。

 

「お前の錬金鋼だ」

 

 マイの身体を引き剥がした。マイの手に錬金鋼を置き、握らせる。

 

「ルシフさまがとりかえしてくれたんだね。ありがとう!」

 

 ルシフが立った。マイも立ち上がろうとする。

 

「……あれ……?」

 

 しかし、マイは立ちくらみでもしたのか、後ろに倒れそうになった。ルシフが咄嗟に支える。

 おそらく血を流しすぎた影響で、貧血状態になったのだ。

 

「マイ。そこで休んでいろ」

 

「……はい」

 

 ルシフがゆっくりと歩きだした。

 

「……最悪な気分だ……」

 

 頭が痛い。

 くらくらする。

 吐きそうだ。

 なんで、俺がこんな気分を味わわないといけない?

 誰のせいだ。

 顔に付着した血が、目に入った。視界が真っ赤になる。近くのバケツを掴み、残っていた水を頭からかぶった。顔の血が、きれいになくなった。

 ありとあらゆる感情が、身体の中で暴れ狂っている。

 何も考えず、ただ暴れたい。そう思った。

 ハイアの赤髪が、視界に入る。そうだ。こいつだ。こいつのせいだ。

 暴れ狂っている感情が、さらに激しくなった。

 ルシフは腹の底から()えた。それは言葉ではなく、感情のままに吐き出しただけの音だった。声に呼応するようにルシフから莫大な剄が発せられ、莫大な剄が声とともに二つの都市を震わせた。二つの都市の住民誰もが、金縛りにあったように動けなくなる。

 怒っている。かつてないほどに、怒っている。

 言葉ですらない音から、全員がそう感じた。しかし、ルシフと長い付き合いの教員五人は、ルシフがまるで哭いているような気がした。

 教員五人は、ルシフの後ろ姿から目を離せなくなっている。ルシフの後ろ姿に、怒りだけでなく悲しみも滲みでていた。

 どこか胸を衝くルシフの姿に、教員五人は胸が苦しくなった。




余談ですが、あの時もしルシフがマイに「そばにいる資格はない」と言っていた場合、翌日自分の部屋で自殺しているマイを、ルシフは目撃していたでしょう。マイはちょっと選択肢間違えるだけで死にます。

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