鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第45話 血涙

 ルシフがハイアに向かってゆっくり歩く。旋剄を使うまでもなく、一般人の足でも逃げれるくらい、その足取りは遅い。しかし、ルシフは確実にハイアに接近していた。

 ハイアはルシフの莫大な剄と殺気にあてられ、蛇に睨まれた蛙のように身動きができなくなっている。

 

「……おれっちは、悪くない……そうさ、おれっちは悪くない!」

 

 どうやら口だけは動くらしく、ハイアは硬直したまま叫んだ。

 ルシフは反応せず、足を止めない。

 

「おれっちは事実を言っただけさ! こんなことになったそもそもの原因は、お前にある!」

 

 一歩。

 

「お前が廃貴族を素直に渡せば! お前があの子を洗脳しなければ! お前があの子を連れてこなければ!」

 

 二歩。

 

「あの子を、誘拐しなかった! あの子に武器を突きつけなかった! あの子は自殺しようなんて思わなかった!」

 

 三歩。

 

「全部! なにもかも! お前が悪いんだろうがッ! おれっちのせいじゃない!」

 

 四歩。

 確実に近付いていくルシフ。

 

「……それだけか?」

 

 ルシフが足を止めず、口を開いた。

 

「……え?」

 

「言いたいことは、それだけか?」

 

 ハイアの顔が青くなった。

 

「お前の言っていることが正論だろうが、ただの言い訳だろうが、俺への罵倒だろうが、どうでもいい。お前は罪を犯した。お前の罪はたった一つ……」

 

 ルシフの脳裏に、マイの首を焼いた光景がよぎった。マイの苦痛に歪みきった顔。声にならない絶叫。苦痛から逃れようと必死に左腕をはがそうとしていた、マイの行動。

 奥歯を、ギリッと噛み締める。纏う剄が、更に激しくなった。

 

「俺にマイを、傷付けさせた」

 

 絶対にマイを傷付けない。傷付けさせない。

 そう心に誓った俺自身の手で、マイを傷付けさせ、苦痛を与えさせた。

 その直接的な原因を作ったのはハイアだ。

 これだけで十分だろう? こいつに報いを与える理由など。むしろ、それ以外に何かいるのか?

 ハイアは言葉すら出せなくなったようで、口を開けたまま固まっている。

 とりあえず、腹をぶん殴った。

 ハイアは口から血を撒き散らしながら、遥か後方のマイアスまで吹き飛んでいった。

 ルシフは活剄で脚力を強化し、ハイアを追いかける。ルシフの両腕の傷は、剄によりすでに止血されていた。

 ハイアがマイアスの外縁部付近の建物にぶつかる。周囲のマイアスの武芸者が驚く中、ハイアの身体は壊れた建物の破片に埋もれた。

 

「……ごほっ……ごほッ!」

 

 ハイアが破片をどかし、必死に起き上がった。咳込んだ際に、血が地面を彩る。

 

「こいつ……ツェルニの方から来たぞ!」

「ならこいつは、ツェルニの武芸者か!?」

「どうする!? やっちまうか!?」

 

 マイアスの武芸者たちが口々に叫んだ。

 彼らの後方に、莫大な剄と威圧感をもったルシフが現れる。

 彼らが振り向きルシフの姿を視認すると、彼らは二歩後ずさりした。

 ルシフの放つ気配は、剄を感じない筈の一般人をも何か感じさせる、強大で苛烈なもの。

 剄を漠然と感じられる武芸者が受ける衝撃と恐怖は、一般人と比べものにならないだろう。

 ルシフは彼らなど一切意識せず、ハイアを見据えた。

 ハイアが刀を構える。刀は震えていた。

 

「やって……やるッ! やってやるさ!」

 

 ハイアがルシフ目掛けて刀を振るった。

 ルシフは右手で刀をさばいた。ルシフの左手はハイアの首を掴んでいる。

 

「……かはッ」

 

 ハイアの身体がそのまま持ち上げられ、地面に叩きつけられる。

 ルシフがハイアを仰向けで地面に押さえつけた。

 ルシフは右手で、ハイアの左手の中指を掴む。そのまま、逆方向に曲げた。

 

「……ぐッ!」

 

 折れた音は聞こえなかった。ハイアの呻き声に掻き消されたのかもしれない。

 骨を折れば情けなく悲鳴をあげると思ったが、ハイアは必死に我慢していた。武芸者が骨を折られた程度で泣き叫ぶのは、武芸者失格とでも思っているのだろう。

 ルシフは次に人差し指を逆方向に曲げた。続けて薬指。小指。親指。

 

「ああああああああああぁぁぁぁあああぁぁぁッ!!」

 

 ハイアが絶叫した。

 ルシフは一度、ハイアの左手に視線をやる。人の手には見えない形になっていた。

 ルシフはハイアの左腕を地面に押さえつけ、左手首を砕いた。

 ハイアの絶叫は終わらない。

 ハイアの左腕を両手で支え、そこに右足で蹴りをいれた。左腕がありえない方向に曲がった。

 あまりの痛みに、ハイアの悲鳴は弱々しくなっていた。

 ルシフがハイアの右手に触れる。

 ハイアの身体が見てわかるほど跳ねた。

 右手にも、同じことをされる。ハイアはそう思ったのだろう。

 少し前の威勢はすっかり消え失せ、今はもう狩られるだけの小動物のように震えていた。

 弱者を必要以上に痛めつけるのは、気分が悪くなるものだとずっと思っていた。だから、肉体的に蹂躙するのはできる限りしないようにしていた。

 だが、実際に痛めつけてみると、とても気分が良かった。

 相手の意思も思いも一切気にせず、自分の意思と欲望を力に乗せ、一方的に叩き込む。煩わしいものは全て排除した、シンプルな世界。自分の方が上と確信できる優越感。

 剣と槍が、ルシフの背に突き立てられた。刃は金剛剄により、ルシフの表面で止まった。

 ルシフがゆっくり顔だけ振り返った。マイアスの武芸者が二人、唖然とした表情で固まっている。ダメージを与えられないのが信じられないらしい。

 ルシフは剣と槍を掴み、剄で破壊した。立ち上がる。片方の右足に蹴りを入れ、折った。悲鳴が心地よく耳を通り過ぎた。もう片方が逃げようとする。右腕を掴み、右膝蹴りをした。当然折れた。二人がその場に崩れ落ちる。

 二人の後ろに、銃を向けているマイアスの武芸者四人がいた。銃は恐怖でどれも震えている。

 後方で、剄が迸った。マイアスの武芸者に気を取られた隙に、ハイアが内力系活剄の変化、水鏡渡りで逃走したのだ。水鏡渡りは瞬間的に旋剄を超える超高速移動ができる剄技。逃走にはもってこいの剄技だ。

 ハイアは全力で逃げた。

 

「……ッ!」

 

 ハイアの正面に、ルシフが立っていた。

 水鏡渡りは確かに速いが、直進しかできない。移動方向が限定される剄技は、ハイアより遥かに速いルシフにとって効果はない。

 

「逃げられると鬱陶しいな」

 

 ルシフがハイアの右足を蹴った。ハイアの右足は膝から逆方向に曲がる。次は左足。ハイアの悲鳴が轟いた。

 ハイアの身体が崩れ落ちていく。倒れるのを待たず、ルシフがハイアの顔を右手で掴み、地面に勢いよく押さえつける。ハイアの後頭部から血が流れた。

 そのまま、ルシフは馬乗りになる。

 

「ハイア・サリンバン・ライア。良い刺青をしているじゃないか」

 

 ハイアの左目付近には、刺青があった。ハイアは激痛のため、ルシフと会話できる余裕はない。

 ルシフは返事がなくても気にせず、ハイアの左目を右手の薬指で何度も軽く突く。ハイアの左目が充血してきた。

 

「どっちの目を残してほしい?」

 

 ハイアの目がこれ以上ないほど見開かれた。

 ルシフの指が、ハイアの左目に深く入った。ハイアの左目から血が溢れる。ハイアは絶叫した。絶叫は途切れない。

 

「時間切れだ」

 

 絶叫の中、ルシフが笑った。まるで残虐行為に酔っているような、楽しげな笑み。

 ハイアは残された右目でその顔を見た瞬間、全身に悪寒が走った。

 ルシフは顔をハイアの耳に近付ける。

 

「俺はお前を殺さない」

 

 ハイアの耳元で、ルシフがささやいた。

 

「お前の右腕だけは、絶対に傷付けない。お前が右手に持っている刀で自ら首を切るまで、俺は痛みを与え続ける」

 

 終わらない。自ら命を絶つまで、この地獄は終わらない。

 ハイアの右目から涙が溢れた。完全に心が折れたのだ。

 

「……ろし……くれ……」

 

「あ?」

 

「殺して……くれ……」

 

 ルシフの顔から笑みが消えた。興醒めしたような冷たい表情で、ハイアを見下ろす。

 もう抵抗する気力も無くしたようで、ルシフが馬乗りを止めて立ち上がっても、ハイアはぴくりとも動かなかった。ハイアの左目からは血が流れ続け、ハイアの右目は焦点が合っていない。まるで魂が抜けてしまったように、ハイアは虚ろな表情をしている。

 

 ──つまらんヤツ。

 

 ルシフは舌打ちした。

 こんなんじゃ、ちっとも足りない。満たされない。もっと暴れさせろ。もっと痛めつけさせろ。もっと血を見せろ。

 ズキリと、心の奥底に痛みが一瞬走った。頭痛が激しくなる。罪悪感と嫌悪感がほんの少し浮かび上がったが、すぐに心の深層に沈んだ。

 どうすれば、もっと暴れられる? どうすれば、力だけの世界に浸り続けられる?

 ふと、ルシフは顔を上げた。マイアスの旗が、目に入った。

 ルシフの顔が歪む。

 あれを目指して歩けば、マイアスの武芸者が止めようと必ず攻撃してくるだろう。旗を取られたら、セルニウム鉱山を取られてしまうのだから。

 ルシフはハイアを一瞥した。もはや動くことさえできないらしい。

 ハイアに背を向け、ルシフは悠然と歩き出した。

 もはやルシフにとって、ハイアなどどうでもよかった。ルシフはただ、痛めつける相手がほしいだけなのだ。

 ルシフの予想通り、マイアスの武芸者が立ち塞がる。数は数十。もしかしたら百に届くかもしれない。

 ルシフは凄絶な笑みを浮かべた。ルシフを取り囲んでいる武芸者全員が、息を呑んだ。

 マイアスの武芸者の誰かが、ルシフに向かって攻撃指示を出した。一斉にルシフに襲いかかる。ルシフは武器を潰しながら、マイアスの武芸者たちを暴虐の嵐に招き入れた。

 指を折り、腕を折り、足を折り、肉を貫き、骨を砕く。血が舞い、悲鳴と怨嗟の叫びが撒き散らされ、絶望が彼らの心を塗り潰す。

 

「アハハハハハハハハ! ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ! ハハハハハハハハアハハハハハハハハッ! アハハハハハハハハハハハハ……!」

 

 高揚感が、全身を支配していた。

 思うがままに力を振るい、壊す。たったそれだけのシンプルな行為が、カタルシスを感じさせる。

 自分は今まで、何を考えていたのだ。

 こいつらが百人死のうが千人死のうが、世界にとって何も変わらない。塵のような命の価値。こんな無価値な命を、救ってやる意味などあるのか。

 ルシフの拳がマイアスの武芸者の腹にめり込む。武芸者は血を吐きながら吹っ飛んだ。

 

 ──足りない。

 

 ルシフの蹴りが、マイアスの武芸者の骨を砕く。武芸者は悲鳴をあげて、地面に倒れた。

 

 ──まだまだ足りない。

 

 まるで底のぬけた柄杓で快楽の水を(すく)い続けるような、不毛な行い。

 ほんの僅かな時だけ快楽に心を満たされるが、すぐに消えてしまう。どれだけ力のまま暴れても、高揚感は一瞬で薄れていった。

 おそらくこの都市の人間全員壊そうが、心が本当の意味で満たされることなどないのだろう。

 だが、ずっとこの快楽に、身体を任せていたい。

 この都市にはサヴァリス、カナリス、カルヴァーンがいる。あいつらなら、少しは満足できる時間も長くなるのだろうか。あいつらをハイアのように壊せば、俺は抜けられるのだろうか。この快楽の海から。マイのことを考えなくてもいい、この世界から。

 頭痛が、僅かに理性を取り戻させた。血の宴に酔っている自分に、吐き気がしてくる。

 誰のせいで、マイはあんな風になった。

 ハイアに言われなくても分かっている。

 自分のせいだと。自分に全ての責任があるのだと。罰を受けるべきは自分なのだと。

 こうして暴れ続ければ、きっと誰かが俺を壊しに来てくれる。壊しにこい。誰でもいい。俺に罰を与えにこい。

 

「ハハハハハハハハッ! ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ! ハハハハハハハハ……!」

 

 マイアスの武芸者たちが血の海に沈んでいた。絶叫の歌が聞こえる。阿鼻叫喚の渦。その中心で、ルシフは(わら)い続けた。ルシフの顔には返り血がついている。両目から流れる血は、涙を流しているように見えた。

 

 ──誰カ……俺ヲ壊シテクレ。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 外縁部接触点付近でぶつかったツェルニ、マイアスの第一陣。

 数は互角で戦力も均衡していた。どちらも隊列を乱さず戦っている。どこかを突破されることもなかった。

 武芸長ヴァンゼは第一陣が疲れる前に、第二陣と交代させようと考えている。交代する際は砲撃部隊がマイアスの武芸者を牽制することで、交代の隙を突かれないようにしようとしていた。

 変化は唐突に起きた。

 ツェルニの武芸者を突破しようとしていたマイアスの第一陣が、ツェルニに背を向けた。そのまま、彼らは自都市の旗がある中央部の方に移動し始めた。

 ツェルニの武芸者は、そのあからさまな敗走に「罠か?」と疑い、追撃するかどうか迷った。ヴァンゼも同様である。

 ここで、ヴァンゼや各小隊長に念威操者から情報が映像とともに入った。

 その映像を観たヴァンゼやツェルニの武芸者は言葉を失った。

 その映像には、笑いながらマイアスの武芸者を痛めつけているルシフの姿があった。倒した相手を必要以上にいたぶり、壊している。

 

「ヴァ、ヴァンゼ武芸長。私たちは、マイアスに近付いても大丈夫なのでしょうか……?」

 

 ルシフに近付いたら、自分たちももしかしたらあんな目に遭わされるかもしれない。

 そんな疑念が、ツェルニの武芸者の中に生まれていた。ルシフのあんな姿は、今まで見たことがない。片っ端から否応なく壊していく、まさに汚染獣のような見境のなさ。

 ヴァンゼは返答に困った。

 明らかに今のルシフは通常の精神状態ではない。マイ・キリーとフェリ・ロスがサリンバン教導傭兵団に誘拐されたのは知っている。そのことで、何かあったのか。

 

「……我々はルシフと反対方向から、マイアスの旗を目指して進軍する。第一陣と第二陣にそう伝えろ」

 

「了解しました!」

 

 通信機により、ヴァンゼの指示は全員に伝わった。ツェルニの武芸者全員が安堵したような表情になる。今のルシフに近付くのが怖かったのだ。

 ヴァンゼは心の底から、ルシフが味方側の人間で良かったと思った。同時に、ルシフの敵となってしまったマイアスの武芸者に同情した。

 

 

 

 ニーナは念威操者が伝えてきた映像を、信じられない思いで観た。

 

「なんだこれはッ!?」

 

 ハイアは、百歩譲って因果応報といえる。ルシフにとって大事な人間に手を出したのだから。それでも、左腕はぐちゃぐちゃにされ、左目まで潰されたのをやり過ぎと感じてしまうわたしは、甘いのだろうか。

 マイアスの武芸者に関しては、あそこまで痛めつけられる理由は皆無。完全にルシフの感情の捌け口にされただけ。あんなものは八つ当たりであり、ルシフに対して怒りが込み上げてくる。

 

「止めなくては……」

 

 ニーナが呟いた。

 周りにいる第十七小隊の隊員たちはぎょっとする。

 

「隊長、本気ですか!?」

「俺は嫌だぞ! アイツに銃を向けるなんざ、同じ目に遭わせてくれって言ってるようなもんだ」

「あたしも、今のルッシーを止めようとするのはちょっと……」

「……無用な犠牲が増えるだけだと思いますけど」

 

 ニーナは鋭い表情で隊員たちを睨んだ。

 

「なら、ルシフの暴走を何もしないで見てろと言うのか! アイツはわたしの隊員だ! 間違ったことをしているなら、隊長のわたしが正さなくてはならない! アイツはバカじゃない! 話せばきっと分かってくれる!」

 

 ニーナは旋剄でマイアスの方に向かった。

 

「隊長!?」

 

「あの猪頭は本当に……!」

 

「ど、どうします!?」

 

「……いくっきゃねぇだろうが! あ~くそッ、こんなことならデートしとくんだった!」

 

 ニーナの後をレイフォン、シャーニッド、ナルキが追いかけた。

 

 

 教員五人はサリンバン教導傭兵団の団員を一人残らずボコボコにしていた。

 彼らは今、マイの近くに集合している。

 そこで、ルシフの暴走を知った。

 彼らの気持ちは複雑だった。

 ルシフでなければ、迷うことは何一つない。弱者を蹂躙する悪を、徹底的に叩き潰すよう動く。

 だが、ルシフだ。自分たちが主と定めた相手であり、同志。そんな相手に、武器を向けるべきか。

 だから、彼らは結論が出せない。

 

「……止めるべきだ」

 

 レオナルトが言った。

 

「ルシフ様に、武器を向けるのか?」

 

 バーティンがレオナルトを睨んだ。

 

「俺たちはなんだ?」

 

 レオナルトの言葉に、全員が口を閉ざした。

 

「俺たちは、『剣狼隊』だ。己の欲望のまま、力を振るう狼の群れじゃねぇ。心に信念という名の剣を持つ、誇り高き狼の群れだ」

 

 その言葉は、ルシフが『剣狼隊』を結成した時に言った言葉だ。全員の胸に、その言葉は深く刻まれていた。そして、『剣狼隊』であることに誰もが誇りを持っている。

 

「だからこそ『剣狼隊』として、俺たちは大将の目を覚ましてやんねぇといけねぇんじゃねぇのか? 完璧に見えても、大将はまだ十五才だ。不安定な時もある。そんな時は、大人である俺たちがしっかり支えて、時には叱ってやんねぇといけねぇだろ。違うか?」

 

 レオナルトはもう覚悟を決めていた。ルシフに武器を向ける覚悟を。

 レオナルトは返事も聞かず、マイアスの方に駆けていった。

 教員四人は視線を交わし合う。

 バーティンの視線が、不意に外れた。

 

「私はルシフ様に武器など、向けられない。マイの護衛もある。だから、私は行かない」

 

「私も……行きませんわ。ここでマイちゃんに付いてます」

 

 アストリットは痛みをこらえるような表情をしていた。

 アストリットは弱者を守るのは強者の務めと考えている。強者が弱者をいたぶるなど言語道断と、普段から自信満々に言っているような人間。

 その信念とルシフへの想いが、アストリットの中でせめぎあっていた。

 

「俺はいくぜ。レオナルト一人に全部背負わせるわけにはいかねぇからな。フェイルス、お前は?」

 

「マイさんはあの二人がいれば大丈夫でしょう。私もエリゴさんに付き合いますよ」

 

「そうか」

 

 フェイルスとエリゴもレオナルトの後に続いた。

 

「……ふふふ……あはははは……」

 

 バーティンとアストリットが笑い声に驚き、視線を笑いの主に向けた。

 マイが座りながら錬金鋼の杖を持っている。念威端子は展開されていた。

 ルシフの姿を端子越しに見て、マイは笑っていた。

 

「……ハイアを許さないで……もっと痛めつけて……ルシフ様……」

 

 マイは笑い続けた。

 バーティンは唇を噛みしめる。

 

「マイ……ルシフ様があのまま変わってしまわれてもいいのか?」

 

「変わる? ハイアを徹底的に痛めつけたら、いつものルシフ様に戻りますよ」

 

「絶対にそうだと言い切れるのか? 私は、ルシフ様をあのまま放っておいたら、いつものルシフ様に戻ってこられないような気がする。

そして、悔しいが、私じゃ戻すのは無理だ。私だけじゃない。お前以外の誰にも、ルシフ様を戻せないだろう。念威端子で声を届かせるだけでもいい。ルシフ様に、もう大丈夫だと。自分の気は済んだと、言ってくれないか?」

 

 マイは念威端子でルシフの姿を再度見た。

 血の海の中で、笑っている。今までに見たことがない狂気に満ちた表情。

 私のために、あんなにも怒ってくれている。他の女じゃルシフ様をあそこまで怒らせるなんてできない。私を想ってくれているから、ルシフ様は我を忘れて暴れている。

 自分はルシフにとって大事な人間という満足感。他の女より自分の方がルシフから想われているという優越感。

 マイの心は今、その二つの感情に満たされている。

 ふと、マイの脳裏に幼少の頃に世話になっていた叔父の顔がよぎった。

 今まで笑みを浮かべていたマイの表情が強張る。

 叔父も、私が優れた念威操者と分かるまでは、とても優しかった。でも、分かった途端豹変した。周りからバカにされ続けた鬱憤を、自分より優れている私にぶつけることで悦びを感じる、最低な男になった。

 人はきっかけがあれば、容易く今までの自分を壊せる。

 よく、分かっていた。

 もしルシフも叔父のように豹変してしまったら、今までのように私に優しくしてくれるだろうか? もしかしたら叔父と同じく、私を玩具にして楽しむ男になってしまうかもしれない。

 ハイアなど、死のうが生きようがどうでもいい。ニーナ、フェリ、ダルシェナ、剣狼隊五人、それ以外のツェルニとマイアスに住む全員が死のうがどうでもいい。

 だが、そんなゴミみたいな命に影響され、ルシフが豹変するのは耐えられない。今のルシフがいいのだ。周りからは傲慢で鬼畜で外道と呼ばれるけれど、その中に優しさがあり、誠実さがあり、本当の意味での男らしさがある男。自分の全てを捧げたいと思えるルシフがいいのだ。

 

「バーティンさん。お願いがあるのですが……」

 

 そのためならば……。

 

「なんだ?」

 

「私を、ルシフ様のところに連れていってください。私、ルシフ様を止めてみようと思います」

 

 大嫌いなこの女の手を借りることも許せる。

 

「分かった」

 

 バーティンは嬉しそうな笑みになった。

 バーティンがマイをお姫さまだっこし、ルシフがいる方向に駆けた。

 

「え~、結局ルシフ様のところに行くんですの~? 肉眼で今のルシフ様見たくありませんのに」

 

 アストリットが不満そうな表情で、バーティンの後ろに付いてきた。

 絶叫がマイアスの方から聞こえた。

 絶対に、いつものルシフ様に戻してみせる。

 マイはふと、首に手をやった。

 首の火傷がジンジンと痛む。空気に触れるせいか。

 一瞬痛みでマイは顔をしかめたが、すぐに表情を戻し、マイアスを見据えた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 ニーナら第十七小隊は地面に横たわる多数のマイアスの武芸者を見て、血の気が引いた。身体は微かに上下しているから、息はある。だが、どこかしらに酷い傷を負っていた。

 辺り一面、血で彩られている。

 

「アハハハハハッ! ハハハハハハ……!」

 

 その中心で、笑いながらマイアスの武芸者の足を折ったルシフの姿があった。

 ルシフが第十七小隊に気付いた。振り返る。ニーナたちが息を呑んだ。返り血で、ルシフの顔が染まっていた。

 

「よぉ、アントーク。貴様もやるか?」

 

「やるわけないだろう! わたしはお前を止めにきたんだ!」

 

「止める? ハハハハハハッ! 面白い冗談だ! お前らにはさっきの借りがある。だから、一度だけ警告してやる。俺の邪魔をするな」

 

 ルシフの剄が烈火の如く激しく荒れ狂い、殺気が一際大きくなった。

 ニーナは一瞬怯んだが、きっとルシフを睨みつける。

 

「どう見てもやり過ぎだろう! マイが傷付いて怒るのも分かるが、マイアスの武芸者に八つ当たりするのは止めろ!」

 

 ルシフの姿が消えた。

 ニーナの腹に、ルシフが膝蹴りを入れる。金剛剄は間に合わず、ニーナは痛みでうずくまった。

 

「ルシフ!」

 

 レイフォンが叫び、ルシフに殴りかかった。

 ルシフは左手で拳を捌き、右の突きを放つ。レイフォンはかろうじてよけた。

 レイフォンはニーナを抱え、ルシフから距離をとった。

 

「いきなり何するんだ!?」

 

「この俺に意見など、百年早い。それに、警告もしただろ?」

 

 ルシフが再び消える。

 レイフォンの右腕を、ルシフが掴んでいた。そのまま右腕に蹴りを入れ、レイフォンの右腕を折った。

 レイフォンは激痛に顔を歪めながらも、左手で衝剄を放つ。ルシフは衝剄による衝撃で後方に飛んだ。危なげなく、後方の建物に着地する。

 

「アルセイフ。マイアスの武芸者など、どうなろうがどうでもいいだろう? そんな奴らのために、痛い思いをするのか? 俺は別にどっちでもいいが」

 

「……ッ!」

 

 レイフォンが右腕を押さえた。

 いつもと同じに見えて、全く違う。

 いつものルシフなら、なんだかんだ言っても最後の一線は越えない。だが、今のルシフは躊躇なく一線を越えてくる。邪魔しようとする相手は、味方だろうが徹底的に排除してくる。

 

「確かに、マイアスの武芸者なんてどうでもいいっていう思いはあるよ。でも、僕は隊長の力になりたい。僕を信じてくれている隊長の心を、裏切るわけにはいかない」

 

「そうか。なら次は、左腕を折ろう」

 

 ルシフがレイフォンに肉薄した。

 レイフォンは後方に跳んだ。ルシフがレイフォンを追いかけようと姿勢を低くする。

 ルシフの横腹に、ニーナが鉄鞭を叩きこんだ。ルシフは微動だにせず、逆に鉄鞭が壊れた。

 ルシフは鬱陶しそうに左足の廻し蹴りをする。ニーナは金剛剄で防御するも、後方の建物に吹き飛んでいった。

 ルシフの視線がナルキとシャーニッドを捉える。二人の全身から汗が噴き出した。ナルキとシャーニッドはルシフに武器を向けられず、棒立ちしていた。それが良かったのだろう。ルシフは視線をレイフォンの方に戻した。地を蹴り、レイフォンを追いかける。

 レイフォンは防御に専念しようと決めていた。

 ルシフは今の状況じゃ倒せない。ならば防御で時間稼ぎし、マイアスとの武芸大会を終わらせるしかない。武芸大会が終われば、マイアスは敵じゃなくなる。ルシフが痛めつける建前も消える筈だ。

 レイフォンは全力でツェルニの方に逃げた。

 レイフォンの前方に、ルシフが立っている。レイフォンの逃走ルートを予測し、先回りしたのだ。

 

「ほんとうに君は、敵にしたくない相手だよ」

 

「敵にしたのはお前自身だろう?」

 

 ルシフが衝剄を放った。レイフォンは左に跳びよける。その時にはもう、ルシフはレイフォンの眼前に来ていた。

 レイフォンは咄嗟に身体を回転させ、竜巻を起こした。外力系衝剄の変化、渦剄。ルシフは大気と剄の渦に巻き込まれ、上空に浮かび上がった。

 レイフォンはその間に旋剄でツェルニがある方向に移動した。ルシフは竜巻を剄で縦に真っ二つに斬り、建物の屋上に着地する。そのまま屋上を蹴り、レイフォンにすかさず追いついた。レイフォンの背を後方から蹴る。レイフォンは前のめりで建物に突っ込んだ。

 そこにレオナルト、エリゴ、フェイルスが到着し、レイフォンとルシフの間に入った。

 

「大将、もう止めろ! それくれぇで十分──」

 

「レオナルト、エリゴ、フェイルス」

 

 レオナルトの必死な叫びを、ルシフは途中で遮った。レオナルトは思わず黙る。

 

「俺にとって、貴様らは必要で特別な人材だ。傷付けたくない。だが、俺の前を遮るなら、たとえ貴様らといえど、容赦せん」

 

 ルシフの言葉が本気だと、纏う殺気から伝わってきた。

 三人は緊張で唾を飲み込む。

 その三人に遅れて、マイを抱えたバーティンとアストリットが姿を現した。

 

「バーティンさん、下ろしてください」

 

 バーティンが頷き、マイをゆっくり下ろした。

 

「……マイ?」

 

 ルシフが驚いた表情で呟いた。マイはまだ動けないと思っていたからだ。

 マイはルシフの方に走った。途中で何度もふらつき、転びそうになった。それでも、マイは頑張って走り続け、ルシフの胸に飛び込んだ。その体勢のまま、マイは上目遣いでルシフの顔を見た。

 

「私の気は……十分晴れました。これ以上、ルシフ様が人を傷付けるところは見たくありません。それに、今のルシフ様は怖くて少し嫌です」

 

 ルシフは数秒、無表情でマイを見つめた。

 

「……やはりお前か」

 

「……何がです?」

 

「なんでもない。痛い目にあったのはお前だ。そのお前が気は済んだと言うなら、このくらいにしてやろう」

 

「ルシフ様……!」

 

 マイの表情が明るくなった。

 ルシフは後方を振り返る。マイアスの旗が見えた。剄糸を飛ばす。剄糸はマイアスの旗に絡み付いた。ルシフが剄糸を引っ張る。マイアスの旗が、ルシフのすぐ後ろの地面に突き刺さった。

 ルシフが旗を掴む。

 

 ──こんなものが、都市に生きる人々の生死を決めるか。やはり、早急にこのシステムは破壊せねばな。

 

 武芸大会終了のサイレンが鳴った。

 ツェルニの勝利。

 しかし、誰一人として、歓喜の声をあげなかった。

 

 

 

 ルシフたちと第十七小隊の面々はマイアスから歩き、ツェルニの外縁部付近にいた。

 会話は一切ない。

 ルシフを先頭にし、その後ろを他の面々が歩いている。

 一人の少女が前方から走ってきて、ルシフの前を遮った。その勢いで、ルシフの右頬を平手打ちする。

 乾いた音に驚き、全員が平手打ちした少女を見た。

 

「……え?」

 

 レイフォンは、夢でも見ている気分だった。

 ルシフを平手打ちした少女を、レイフォンはよく知っている。リーリン・マーフェス。同じ孤児院で育った女の子だ。

 そのリーリンが、何故ツェルニに? なんでルシフにビンタを? そもそも何しに?

 レイフォンの頭は疑問符がたくさん浮かんでいた。

 

「あなた、自分が何をやったか分かってるの!? あんなに大勢の人を傷付けて! レイフォンまで! そんなことして、何か得るものあった!? 答えなさい!」

 

「……俺の前を塞ぐな。その両目、抉り出すぞ」

 

 リーリンの顔は恐怖で血の気が引いた。

 しかし、両目に涙を溜めながらも、ルシフを睨んだ。

 

「やれるものならやってみなさいよ!」

 

「リーリン!」

 

 レイフォンがリーリンとルシフの間に立った。

 

「ルシフ。リーリンに手を出したら、絶対に許さない」

 

「邪魔だ」

 

 ルシフが右手を伸ばす。レイフォンの肩を掴み、真横に投げた。レイフォンは横に転がる。

 ルシフがリーリンを見据えた。

 リーリンは震えながらも、ルシフから視線を逸らさない。

 

 ──この場合、両目を抉れば俺の勝ちか?

 

 だが、それは勝ちと呼べるものなのだろうか。

 

 ──ならば、力ずくで正面からどかせば勝ちか?

 

 それも、ある意味相手から逃げたことになるのではないか。

 どちらにせよ、両目を抉られる覚悟をリーリンが決めた瞬間、自分は負けた。何に負けたかは分からない。だが、負けたと感じた。

 ルシフは舌打ちし、リーリンをよけて歩いた。

 リーリンの前からルシフがいなくなると、リーリンはその場にへたりこんだ。

 レイフォンが起き上がり、リーリンに近付く。

 

「リーリン。どうしてツェルニに?」

 

「レイフォン……良かったぁ!」

 

 リーリンがレイフォンに抱きついた。

 

「わたし、あの人にレイフォンがボロボロにされちゃうかと思って、怖かったの」

 

 リーリンの腕がレイフォンの折れた右腕を締めつけて、レイフォンの右腕に激痛が走っているが、レイフォンは男として我慢した。

 

「……色々、話すことがありそうだね」

 

「うん」

 

 リーリンの身体は震えていた。ルシフへの恐怖がまだ残っているのか。それとも、自分に会えて喜んでいるのか。

 レイフォンには分からなかった。

 だが、自分はリーリンに会えて嬉しいと感じている。

 レイフォンはリーリンの背に左腕をまわした。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 マイは自室に戻った。

 ルシフから病院に行けと言われたため、それの準備で一時的に帰ってきたのだ。

 マイの手には錬金鋼の杖が握られている。

 

「……ふふっ、あはははは」

 

 私の言葉で、ルシフ様はいつものルシフ様になった。

 やっぱり、ルシフ様は私を大切に想ってくれてる。

 

「見たか。バーティン、アストリット。ルシフ君ファンクラブとかいうのに入会している女全員」

 

 自然と笑みになる。

 自分がルシフから一番想われていると確信できたのだ。

 

「ルシフ様は、絶対に渡さない」

 

 そばにいろと、言ってくれた。

 どうしようもない私を知っても変わらず、そう言ってくれた。

 

「私は死ぬまで、ルシフ様のお傍にいるんだ」

 

 ──その通りだ、マイ。俺の傍にずっといればいい。

 

「ふふっ、これが以心伝心ってヤツなんだね。離れてても、ルシフ様の声が聴こえるよ」

 

 ──ずっと一緒だ、マイ。

 

「うん……うん! 私はずっと一緒にいるよ」

 

 マイは幸せそうに笑った。堕ちているのにも気付かずに。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 ルシフは自室の扉を開け、自室に戻った。

 冷蔵庫まで歩き、冷蔵庫からペットボトルの水をとって飲んだ。

 頭痛は激しさを増すばかりで、治まる気配はない。

 ルシフは左手で頭を押さえた。

 

「……間違いない。俺は、マイに惚れている」

 

 吐き気がしてきた。

 マイに惚れている。

 なら自分は一体、いつ惚れた?

 心当たりは、一つしかない。初めて出会った時。つまりは一目惚れ。

 だから、俺はマイに一緒に行こうと言ったのか。そばに置いていたのか。

 優秀な念威操者だからとか。世界を変えるために必要な人材だからとかではなく。ただ好きだったから、そばに置いていたのか。

 

「許されない……それだけは、絶対に許されない」

 

 ルシフは奥歯を噛みしめた。

 だが、それが真実。マイが念威操者と分かる前に、ルシフはマイに手を差し伸べていた。

 王になるために必要という理由は、後付けでしかない。もしマイが念威操者でなくても、ルシフは新世界の目撃者にするなどとそれっぽい理由を並べて、自身の傍に置いていただろう。

 

「マイ。俺はお前の大事な十年を、俺の私情で台無しにした」

 

 ずっとそばに置き、一緒にいた。

 家に連れ帰ったあの時、そばにいろと言わず、孤児院かどこかの施設に預けていたら、マイはもっとマシな人生を送れていた筈だ。友だちもたくさん作れて、痛い思いもしなかっただろう。

 ずっと、気付かないようにしてきた。気付いてしまえば俺は、お前と正面から向き合えなくなると分かっていたから。

 

「そんな俺に、お前を好きになる資格など……!」

 

 頭痛が、更に激しさを増す。

 自分の意思と無関係に、右腕が動いた。

 

 ──返セ。

 

 ルシフは慌てて剣帯の錬金鋼を手に取り、復元。左手に刀が握られる。

 

「やはりそうだったか……!」

 

 勝手に動く右腕目掛けて、刀を突いた。刀は右腕を貫き、右腕は壁に縫いつけられた。

 

 ──身体ヲ返セ……!

 

 右手がもがくように動く。

 ルシフは柄から左手を離した。台所から包丁を取る。包丁で、右手の甲を何度も刺した。

 数回刺したら、右手と右腕は勝手に動かなくなった。

 ルシフは息をつく。

 ルシフの眼前に、メルニスクが顕現した。

 

「ルシフ。まさかお主、魂を二つ──」

 

「メルニスク」

 

 メルニスクの言葉を、ルシフが遮った。

 

「頼みがある……!」

 

 血を吐くように紡がれた言葉に、メルニスクは話すのを止めた。

 そして、その後に続いたルシフの言葉に、メルニスクは衝撃を受けた。

 

 

 

「ルシフ……本当に、それでいいのか?」

 

 ルシフの頼みを聞き終えた後、メルニスクが問いかけた。

 

「ああ」

 

「しかし……」

 

「メルニスク。俺は間違っていた。ただ世界を壊すだけじゃダメだ。本当に壊さなければならないのは、世界じゃなかった」

 

 ルシフはメルニスクを静かな表情で見ている。

 

「俺は、誰もが自由に羽ばたける空を創ろうと思う。心一つで、どこまでも行ける空を。そして、そんな空を創れたら、ずっと籠に入れていたマイを、解き放ちたいと思う」

 

「ルシフ……」

 

「この世界を統一し落ち着いたら、俺はマイの前から姿を消す。そう決めた。俺に、マイのそばにいる資格はないんだ」

 

 メルニスクはルシフから床の方に、視線をやった。

 

「汝はそうやって、大事なものは何もかも遠ざけていくのだな」

 

 ルシフは勝ち気な笑みになる。

 

「そんな荷物、俺はいらない。それに、俺が進むのは道じゃない。道を切り拓きながら進む。その過程で、時には傷付き、時には道に咲く花の蜜を吸う。そして最期は、全身に傷を浴びて前のめりで死を迎える。そういう生き方こそ、ルシフ・ディ・アシェナの生き方だと、俺は決めた」

 

「なら我は、せめてお前の最期を見届けるまで、共にいるとしよう」

 

 ルシフは左手でメルニスクの頭を撫でた。

 

「誰もが一人で死ぬ中、俺はお前に見守られて死ぬか。それも悪くない」

 

 メルニスクが一歩踏み出し、ルシフに近付いた。

 

「我は汝のことが分かってきた。汝は、涙の代わりに血を流す。危なっかしくて、放ってはおけぬ」

 

 ルシフはメルニスクと視線を合わせる。そして、ルシフが嬉しそうに笑った。

 

「お前がいてくれて、本当に良かった」

 

 メルニスクはじっとルシフの笑顔を見た。

 返り血は、まだ顔に付いている。笑顔だが、泣いているように見えた。

 おそらく、この時本当の意味で、ルシフとメルニスクはパートナーになったのだろう。

 ルシフは全身の血を洗い流すため、風呂場に向かった。




ようやく、原作七巻終了。精神的にかなりキツかった。

いつも感想をクリックする度に、「〇〇〇ってもしかして生きてる?」という感想が書かれているかもしれないと思い、クリックするのが怖かったです。ですが、ようやく解放されました。

何故、〇〇〇が生きてるかは色々理由があります。〇〇〇が生きてると知った上で今までの話を読み返してみると、また違った発見ができるかもしれません。

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