鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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原作9巻 ブルー・マズルカ
第49話 決別の花火


 サリンバン教導傭兵団の放浪バス。カリアンはその搭乗口の前に立っていた。ちょっとした果物が入った袋を片手に持っている。

 サリンバン教導傭兵団は約三ヶ月前にマイ・キリーとフェリを誘拐し、マイ・キリーを自殺に追い込んだとしてルシフと教員たちに制裁を加えられ、重傷を負わされた。

 マイアスとの武芸大会が終了した後、マイアスにいたハイアをツェルニが引き取り、つい最近まで団員全員がツェルニの病院で治療を受けていた。全員が退院したのは約一週間前。

 カリアンは搭乗口をノックする。一人団員が出てきた。

 

「……なんだ?」

 

「団長のハイア君はいるかな? 退院祝いで来たのだけれど」

 

 明らかに団員の顔つきが変わった。

 

「アイツを団長と呼ぶな。アイツのせいで、俺たちはこんな災難に遭っちまった。そんな奴を団長にしとくわけにいかねぇ。今、団長はフェルマウスになっている」

 

「……そうですか」

 

 報告では、誘拐に団員たちも関わっているとあった。だからこそ、団員全員が制裁を受けた。しかし、全ての責任をハイアに押し付け、被害者面をしている。それに対して少し不快な気分になったが、表情には出さなかった。

 

「では、団長のフェルマウスさんとハイア君に会わせてほしい」

 

「ついてこい」

 

 団員がバスの中に消えていった。カリアンはその後ろを付いていく。

 案内されたのは、バスの中にある部屋だった。室内に大きなソファーが二つあり、間に台が設置されている。おそらくこの部屋は応接室であり、商談する部屋でもあるのだろう。

 片方のソファーにフェルマウスとハイアが座っている。ハイアの左目は黒の眼帯で隠されていた。

 

「退院おめでとう。フェルマウスさん、ハイア君」

 

 カリアンが果物が入った袋をフェルマウスに手渡す。

 

『わざわざありがとうございます』

 

 念威端子から機械音声が聞こえた。フェルマウスがカリアンから袋を受け取った。

 カリアンは向かいのソファーに座る。意外と座り心地は良かった。

 

「……何しに来た。おれっちを(わら)いにきたのか?」

 

 ハイアは不機嫌なのを隠そうともせず、ソファーに深くもたれている。

 

『ハイア、失礼だぞ』

 

「ふん、さすがは団長さま。どんな客にも愛想良くする精神力は素直に尊敬するさ~」

 

 ハイアはフェルマウスからそっぽを向いた。

 

『申し訳ありません。団員たちから団長に相応しくないと責められ団長の任を解かれてから、ずっとこんな感じなのです』

 

「いえ、お気になさらず。別に気にしてないですから」

 

 部屋の扉が開き、眼鏡の少女が三つのカップをトレーで持ってきた。眼鏡の少女がそれぞれの前にカップを置く。置いた後、ハイアの方を少女はちらりと見たが、すぐに視線を戻して部屋の扉の前にいった。そこで一礼し、部屋を出ていく。

 カップに入っているのは紅茶だった。

 カリアンは一口飲み、カップを戻す。

 

「フェルマウスさんよ。あんたは本当にコイツが退院祝いで来たと思うのかい? その気持ちが少しでもあれば、入院中に見舞いくらい来るもんだろ? けど、コイツは一度も来なかった。何か裏があるに決まってるさ」

 

『ハイア!』

 

 いい線をいっている。

 確かに退院祝いなどという理由は、建前だった。これっぽっちも、退院を祝うつもりはなかった。自業自得で入院した奴らに、可哀想なんて感情は一切湧かない。コイツらは、妹を目的のために誘拐したのだ。

 カリアンはそれらの思惑を、柔和な笑みで隠す。

 

「そう思われても仕方ありません。それに、ハイア君は間違っていません。退院祝いはついでなのです。実は、ビジネスの話が本題でして」

 

「そら見たことか! あんたは人を信じすぎさ~」

 

『何かあるのは分かっていた。退院一週間後に祝いをしにくる時点で、それは明白だった。だが、相手が心の内を晒す前に警戒した態度をとっていたら、相手も用心してくる。とりあえず相手に合わせた態度をとるのも、上の人間に必要なものだ』

 

「要は媚びて、隙を見せたら一気に攻めるってことだろ。そんなのが最強の傭兵団の団長でいいのか? おれっちは媚びることだけはしなかったさ」

 

『だから、ルシフから徹底的に痛めつけられた。お前は少し傲慢で、軽率なところがある。そこを直していかないと、団員たちからの信頼は取り戻せないぞ』

 

「……ふん。どうせ、もうすぐサリンバン教導傭兵団は解散さ。とりあえず創設目的の廃貴族の発見はしたんだから。今更信頼を取り戻して、何が変わるって言うんさ?」

 

 相当、ハイアの心の傷は深いようだ。事あるごとにフェルマウスに突っかかっている。

 フェルマウスは軽く首を横に振ると、仮面で隠れた顔をこちらに向けた。

 

『見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません。それで、ビジネスの話とは?』

 

「ビジネスの話をする前に一つ、あなた方にお礼を言わせていただきたいことがあります」

 

 フェルマウスとハイアは顔を見合わせた。礼を言われる行いが何か、心当たりが思いつかないようだ。

 

『……それは?』

 

「マイ・キリーを、生死の境まで追い詰めてくれた。あなた方は、ツェルニの誰にもできないことをやってくれた。その事に関して、礼を言わせていただきたい」

 

 ハイアは明らかに不愉快そうな表情になった。フェルマウスの感情は分からないが、纏った雰囲気から嫌悪感のようなものが滲んでいる。

 

「それのどこに、礼を言うところがある? 嗤いにきたなら、素直に嗤えよ。あ?」

 

 ハイアから殺気に似たものを感じた。おそらく剄を感じられたなら、剄が荒れ狂っているのが分かっただろう。こういう時、自分は一般人で良かったと思う。剄を感じて震え上がらなくて済む。

 

「嗤うなど、とんでもない。私の中で、決心をつけることができたきっかけになりました。あなたたちはルシフ君をどう思っています?」

 

「……ルシフ?」

 

 ハイアの顔が青ざめ、身体をガタガタと震わせ始めた。ルシフがトラウマになっているようだ。まぁあんな目に遭わされたら、無理もない。

 

「おい、お前。二度と、ルシフの名を口にするな」

 

「天下のサリンバン教導傭兵団が、たかが一人の少年を恐れるのですか?」

 

「お前はいままで何を見てきたさ? アイツは少年じゃない。気に入らないものは全て痛めつける化け物さ。もう二度と、アイツに関わるのはゴメンだね」

 

「……関わらざるを得ない……と言ったら?」

 

「……何?」

 

「ルシフ君の力をハイア君はよく知っている。そして、ルシフ君が一つの都市だけで一生を終えるような人間に見えますか?」

 

「さっきから回りくどい。何が言いたい?」

 

「ルシフ君の息がある限り、あなたは死ぬまで恐怖にとらわれるということですよ」

 

 ハイアが右目を見開いた。

 

『ルシフに関することで、我々に依頼があるのですか?』

 

「はい、そうです。依頼内容は──」

 

 カリアンが依頼について話し始めた。

 

『……それだけでよろしいのですか? それだと報酬が多すぎる気がしますが』

 

 全ての話を聞き終えると、フェルマウスは思ったより難しくない依頼に拍子抜けしたようだ。

 

「報酬は私の気持ちの表れです。私の家はそれなりに稼ぎがあるので、ちゃんと全額払います」

 

「……本当に、お前が言うような状況がくるのか?」

 

 ハイアが疑り深そうにカリアンを見ていた。

 

「はい、必ず」

 

「なら、選択肢なんてないさ。そうだろ、団長さんよ」

 

『……ああ。この依頼、引き受けさせていただきます』

 

「感謝いたします。よろしくお願いします」

 

 カリアンは立ち上がり、頭を下げた。

 

「では、私はこれで失礼します」

 

 カリアンが扉に向かう。途中で振り返り、ハイアを見た。

 ハイアが不愉快そうにカリアンを睨む。

 

「なんさ?」

 

「何故、義眼を左目に入れないのです? ツェルニは義眼を入れる医療技術がありますし、手術代も余裕で払えるでしょう?」

 

 ハイアがカリアンから顔を逸らした。

 

「……あの化け物を潰すためなら、何をしても許されるって思ってた。けど、違うってことに気付いたんさ。卑劣で外道な手を使った時点で、おれっちも同じになる。この左目は、その教訓を忘れないための戒めさ」

 

「ということは、一生眼帯を?」

 

「おれっちのせいで、女の子が一人死ぬところだった。入院していた二ヶ月半で、そう思うようになった。女の子の一生を奪いそうになった罪にしては、軽すぎる罪さ」

 

 ハイアは顔を逸らしたままだった。そのため、表情は分からない。だが、誘拐したのを心から恥じているように感じた。

 これなら、自分の思い描いた通りの展開になるかもしれない。

 カリアンは身体が重くなった気がした。ルシフに対して、ひどいことをしようとしている。その自覚があった。

 カリアンは部屋を出て、サリンバン教導傭兵団の放浪バスを後にした。

 カリアンが訪れた日の夜。サリンバン教導傭兵団の放浪バスが動き出し、何も言わずにツェルニから去っていった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 一ヶ月程前から、ツェルニは夏季帯に移行していた。夏の地域にツェルニが移動してきたのである。

 その関係で、養殖湖の中に遊泳解放区というものができた。これは今年だけでなく、毎年夏季帯に移行すると養殖湖の決められた区画をプールのように使う慣習がツェルニにあった。

 養殖湖の遊泳解放区は砂浜があるため、年中使用されている室内プールと違った開放感があり、夏はプールより養殖湖の遊泳解放区の方が人気がある。特に、今日の混み具合は異常と言っていいほど、たくさんの人で溢れていた。

 理由はルシフとマイと教員四人が遊泳解放区の一部の場所を借り、パフォーマンスをするからだ。本来なら教員全員出演予定だったが、フェイルスが辞退していた。フェイルスはそういう目立つことが苦手なのだ。

 そもそもの発端は、シャーニッドの一言だった。休みが欲しいとニーナに言い、ニーナも最近訓練ばかりで休暇がほとんどなかったのを考慮し、一日休暇を増やした。

 シャーニッドは更に一言、休暇の日は第十七小隊全員で養殖湖に遊びに行こうと言い出した。ニーナは遊びという言葉に抵抗があったが、シャーニッドに説得され、最終的に承認した。そして、その場にいたルシフが言った。どうせなら、忘れられない程充実した休暇にしてやると。

 その話が一ヶ月前。それからルシフは音楽関係の活動をしているグループに接触し、ステージの音楽の演奏を頼んだ。滅多にない機会のため、相手側も快く引き受けた。ルシフとマイと教員五人が完全防音の一室を頻繁に借り、夜その一室にこもるようになったのもその頃からだ。二週間前からは音楽を担当する学生たちも、楽器を抱えてその部屋に入っていく姿が多数目撃されていた。完全非公開で窓も常にカーテンで覆われているため、何をしているか外からは分からないようになっていた。

 更にルシフは美術関係の活動をしているグループに接触し、一緒になってポスターを作った。休暇の一週間前にはツェルニの至るところに貼られ、ほとんどの学生がルシフたちのパフォーマンスの場所と日時を知った。ちなみにポスターにはキャッチコピーとして『誰も見たことがない最高のエンターテイメント!』と書かれていた。

 バンアレン・デイから今日までの二ヶ月半。ルシフは様々な場所に顔を出した。医療関係や錬金鋼(ダイト)関係、芸術関係から飲食店関係まで幅広く接触した。誰もが最初、ルシフの来訪に驚いたが、ルシフの態度が不愉快なものではなかったため、受け入れた。ルシフの傲慢さは、そういう場では抑えられていたからだ。ルシフ自身、武芸と頭脳は誰よりも優れていると思っているが、そういった方面はまだまだ学ぶところがあり、その分野に関しては誰よりも優れていると今は言えないことを理解しているからだろう。それから彼らは何度もルシフと行動する内に、ルシフとの壁のようなものがなくなり、ルシフへの感情が好意的なものになっていった。

 そういう背景の中、ルシフや人気のあるマイと教員たちがパフォーマンスをする。情報ではパフォーマンスに向けた練習も熱心にしているらしい。これは絶対にすごいパフォーマンスになる、とポスターを見た学生たちは確信し、どうせならそのついでに養殖湖で泳ごうという流れができた。だから、今日の養殖湖の遊泳解放区は今までにない程混んでいたのだ。

 

「すっげぇ人だぜ。なぁレイフォン、ルシフ、ハーレイ!」

 

「そうですね」

 

 興奮しているシャーニッドの気持ちが分からず、レイフォンは適当に相づちを打った。

 

「馬鹿野郎! なんだそのやる気のない返事は!? そんなだから水着もやる気ないのか!?」

 

「水着のやる気って、先輩は何を言ってるんです?」

 

 レイフォンの水着はトランクスタイプの水着だった。

 

「男は、こうあるべきだ!」

 

 シャーニッドの水着はビキニタイプ。ぴったりとしていて、とても窮屈な印象だった。

 

「周りを見てみろ! 女性たちの熱い視線を感じるだろ!?」

 

「はぁ」

 

 レイフォンは軽く周囲を見渡す。シャーニッドの言う通り、遠巻きにたくさんの女子が集まっていて、熱っぽい視線をこちらに向けていた。

 

 ──でも絶対視線の先はルシフなんだよなぁ。

 

 レイフォンはちらりと横を見る。ルシフが水着で立っていた。

 ルシフの水着もレイフォンと同じく、トランクスタイプだった。ルシフは普段きっちりと制服を着ているため、肌の露出は少ない。しかし、今は水着一枚。鍛え上げられた逞しい肉体があらわになっている。そういう普段見られない隠れた一面が、女子たちの心を鷲掴みにしているのだろう。

 実際はレイフォンにも熱い視線を向けている女子たちがいるのだが、レイフォンは気付かない。シャーニッドもモテるため、視線を向けている女子はいた。だが、ルシフと比べたら視線の数の桁が違う。

 

「ルシフ、お前は俺から離れろ。俺の輝きが陰っちまう」

 

「お前はそれで満足なのか? 小さい男だ」

 

「ぐっ……モテてぇんだよ! 女子の視線を独り占めしてぇんだよ! それをお前……お前は! お前がいると俺が引き立て役にしかならねぇ!」

 

 ルシフは呆れた表情でため息をついた。シャーニッドへの視線がそこら辺に落ちている石ころを見る目になっている。

 

「こんな卑屈な奴といたら、気分が悪くなる。アルセイフ、サットン、あっちに行くぞ。エリプソンは一人が良いようだ」

 

 シャーニッドがレイフォンとハーレイの腕を掴んだ。

 

「お前らは俺と一緒にいてくれ! 俺の引き立て役になってくれよぉ!」

 

「うわぁ……」

 

「ちょっと先輩が壊れてますね」

 

 レイフォンとハーレイはシャーニッドのなりふり構わない姿にドン引きしていた。

 ルシフはシャーニッドを無視して、教員のエリゴ、レオナルト、フェイルスがいるところに行った。その辺りも女子が少なからず集まっている。レイフォンたちの周りにいた大半の女子たちも、ルシフの移動に合わせて移動した。残った女子は十人程度だった。シャーニッドは涙目になる。

 

「ルシフ! やっぱり俺と一緒にいてくれぇ!」

 

 シャーニッドがルシフを追いかける。それに釣られるように、レイフォンとハーレイもシャーニッドの後ろに付いていった。

 そうこうしている間に、女性陣が更衣室から出てきた。ニーナ、ナルキ、フェリの第十七小隊の面々と、ダルシェナにマイ、メイシェン、ミィフィ、リーリン、教員のアストリットとバーティンの計十名。

 

「……うわ、何あれ?」

 

 リーリンがルシフたちの方を見て目を丸くしている。あまりの女子の多さと熱気に戸惑っているようだ。

 

「ルシフのファンクラブの女子たちだな」

 

「……カメラのフラッシュすご……」

 

 メィシェンが眩しそうに目を細めて呟いた。

 ミィフィがルシフに駆け寄る。小さなボイスレコーダーを右手に持っていた。

 

「はい! 週刊ルックンのミィフィ・ロッテンです! 今回は何故ルシフ・ディ・アシェナはモテるのか!? そのモテる秘訣を本人からどどんと答えてもらっちゃいます! また、女子に対する好みにも急接近!」

 

 周りの女子たちが拍手し、拍手の音が響いた。ノリが良くて、ミィフィは気分が良くなった。

 

「いきなりなんだ?」

 

「インタビューだよ、インタビュー! ルッシーはツェルニ中の人に注目されてるから、記事にするだけで売り上げの数字がものすごいことになるんだよ!

てなわけで、ルシフ君に訊きます! 女の子から絶大な人気を誇っていますが、何か努力しているところとか気にしているところはありますか?」

 

 ルシフがため息をついて、ミィフィを見た。

 

「……お前は太陽に何故輝いているのかと訊くのか?」

 

「え~と、ルシフ君がモテるのは当然で、別に努力はしてないという意味でしょうか?

ちょっとルッシー、ちゃんと答えてよ。数字取れないじゃない」

 

 後半は小声でミィフィが言った。

 

「モテてない時がないからな。正直どうしたらモテるとかは分からん。分かっているのは、俺より良い男は存在しないということだけだ」

 

「あ、はい、そうですか。もういいです。次の質問にいっちゃいます! ルシフ君の好きな女の子のタイプはなんですか?」

 

 今まで興味なさそうにしていたマイ、バーティン、アストリットがミィフィの声に反応した。ルシフの返答に全神経を集中している。

 ルシフはちらりとマイの方を見たが、すぐに視線をミィフィに戻す。

 

「強いて言えば、自分をしっかり持ってる女だな」

 

「成る程! おどおどしていたり弱気な女の子はタイプじゃないということですね! ツェルニの女子には嬉しい情報をいただきました! じゃあ、どんどん質問しちゃいます! デートはどこがおすすめですか? 女の子へのプレゼントは何が一番良いですか? 告白された時、一番心にくる言葉はなんですかね?」

 

 ルシフは軽く頭を掻く。ミィフィに背を向けた。

 

「付き合ってられん。レオナルト、エリゴ、フェイルス、向こうで泳ぎの勝負をしよう」

 

「おう。相手が大将でも負けねぇからな」

 

 ルシフら四人は砂浜の方に行った。

 

「あ~ここまでかぁ。ま、楽しかったからいいや」

 

 ミィフィは残念そうな声を出しながらも、表情は満足気だった。

 そこからいくつかのグループができ、泳ぎにいくグループがいたり、遊泳解放区の遊具で遊ぶグループがいたりした。

 遊泳解放区の一部は柵で囲われ、水の上にステージが作ってあった。ルシフたちがパフォーマンスするステージである。ルシフが水の上にステージを作るよう言い、ステージを作る学生たちと一緒になってステージを作った。

 マイとフェリはパラソルの中で座りながら、棒アイスを食べている。女性陣の荷物番をしていた。二人とも上に白のTシャツを着ている。Tシャツの下には水着。マイは首に赤のスカーフを巻き、もう一方の手に錬金鋼の杖を持っていた。

 泳ぎに行っていたニーナとダルシェナが二人のところに戻ってくる。遊具で遊んでいた他の女性たちも少し後に来た。

 

「二人とも水に入らないのか? フェリはともかく、マイは入ると思っていたんだがな」

 

 ニーナはここ三ヶ月、マイやフェリと一緒にいる機会が増えた。その時に、マイは念威操者には珍しい高い身体能力を持っているのを知った。もっとも剄で身体強化をできる武芸者には当然及ばないが、身体強化無しなら武芸者と遜色ないレベル。身体を動かすことも、マイは好きなようだった。だから、ニーナはマイがパラソルの中で大人しくしているのに疑問を持った。

 

「ルシフ様だけが入った水ならいいですが、ルシフ様以外の男が入った水はちょっと……」

 

 マイの男嫌いは異常なレベルだった。近付くことはおろか、近付いてくるのも許さない。男に対して、極度の反感を抱いている。それだけに、何故男のルシフを慕っているのか、ニーナは不思議だった。好きだから、の一言ですますことのできない、何か別の理由があるのではないか。ニーナは内心そう考えている。

 

「ルッシーとパフォーマンスするんですよね? 具体的に何をするかちょっとだけでいいんで教えてもらえないですか?」

 

 ミィフィがマイに訊いた。

 

「音楽に合わせて踊るだけですよ」

 

「……それだけですか?」

 

「ええ。その練習しか、今までしてません」

 

「なんていうか、普通。拍子抜けした」

 

「こら、ミィ。いきなり冷めるな。お前の悪いところだぞ」

 

「だってナッキ! ポスターには『誰も見たことがない最高のエンターテイメント』って書かれてたんだよ! それが何!? 音に合わせて踊るだけって! アホか! 最高のエンターテイメントとやらを最高の画質で撮影するために、機能が良くて値段も高いカメラを買ったわたしがバカみたいじゃん! あ、元々バカだった……ってやかましいわ!」

 

「……ナッキ、ミィがいつもよりおかしくなってる」

 

「暑さのせいかな」

 

「ちーがーうー! なんていうかこう、ルッシーらしくないじゃん! ルッシーは型破りにみえて型があったり、型があるようにみえて型破りだったり、とにかくどっかをセオリーと外してくるじゃん! それがないのが本当にガッカリしちゃって……」

 

「それは私も疑問なんですよね。なんていうか、ルシフ様らしくないというか、遊びが無さすぎるというか」

 

 マイもミィフィに同意し、頷いた。

 

「ですよね! ですよね!! 一応最前列はキープしてありますから、見るだけ見てみます。マイ先輩、頑張ってください」

 

「ありがとうございます、ミィフィさん。私はそろそろあっちに行きますね。もうすぐパフォーマンスの時間ですから」

 

 マイはそう言って、白のTシャツを脱いだ。ビキニタイプの白の水着があらわになる。こうして見ると、マイの胸は大きい方だろう。しっかり谷間があった。しかし大きすぎず、くびれもちゃんとある。女が目指す理想的な体型かもしれない。

 バーティンはその姿を羨ましそうに見ていた。バーティンは全くと言っていいほど、胸のふくらみがない。

 アストリットはマイよりも大きな胸をしていて、しまるところはしまっているモデルのような体型。

 アストリットがバーティンに近付いた。

 

「バーティンさんは相変わらず完璧なプロポーションですわね」

 

「あぁん!? 誰が完全な壁だコラァ! 凹凸くらいあるわ! その胸に付いてる二つの饅頭切り取って口にねじこんでやろうか!?」

 

「あらイヤだ。褒めてますのに。これだからネガティブな方は嫌いですの。もっとポジティブに言葉を受け取れません?」

 

「……絶対いつか泣かす。泣きながら謝らせてやる」

 

「その願い、叶うといいですわね」

 

 アストリットはステージの方に歩き始めた。

 バーティンはアストリットの後ろ姿をしばらく睨んでいた。かろうじて頭が見えるところまでアストリットが離れたら、アストリットと同じ方角に歩き出した。

 マイは二人のやり取りを冷めた表情で静観していたが、バーティンが歩き出したらそのすぐ後ろに付いていった。

 ルシフたちのパフォーマンスの時間が近付いてきた。学生たちは自然とステージの周囲に集まり始める。ニーナたちは最前列を確保できた。

 砂浜の上に板が敷かれていて、それぞれの楽器を持った学生たちが板の上に椅子を置いて座っている。指揮者らしき学生は台の上に立っていた。全員強張った表情をしている。これだけの人数の前で演奏したことがないのだろう。

 ステージにルシフたちが砂浜から跳び乗った。マイは念威端子を足場にしてステージに乗った。ステージは砂浜から三メートル離れていて、水に囲まれているからだ。フェイルスの姿はステージにない。演奏する場所の近くにいた。裏方に徹するらしい。

 歓声が支配する中、ステージに立ったルシフたちは無言で立ち位置につく。指揮者がそれを見て、右手に持つ指揮棒を上げた。指揮棒を持っていない左手は人差し指だけ立てている。演奏隊がいつでも楽器を演奏できる体勢になった。次に指揮者の指を見て、全員軽く頷いた。

 ルシフはパフォーマンスの前に何も言うつもりはないようだ。指揮者が振り向いてルシフを見た。ルシフはただ頷く。

 指揮者が指揮棒を振り始める。騒然としていた遊泳解放区が音楽の波に包まれ、観客は口を閉ざしていった。音楽は軽快でノリが良く、自然と身体が動いてしまうような躍動感があった。

 ルシフたちの踊りはキレがあり、周りとしっかり踊りを合わせられていて、見ているだけで楽しめた。ルシフが踊っている姿はどうなるかと思っていたが、杞憂だった。不思議と違和感は感じない。ルシフの表情は普段通りの勝ち気な表情。

 歓声はなかったが、観客の誰もが楽しそうな表情をしていた。それに何か別の色が混じっている。なんの色が混じっているかニーナは考え、答えらしきものにたどり着いた。

 それはルシフに対する期待感。あのルシフが、このまま終わる筈がない。何か想像もつかないようなことをやってくれる。どんなすごいことをやるつもりなんだ。そういう観客たちの思いがこの場所に満ち、妙な空気ができ上がり始めている。

 ニーナは彼らを少し可哀想に思った。マイから、ただ音に合わせて踊るだけと聞いているため、これ以外何もないと知っている。

 指揮者の左手の立っている指が、一本から二本になった。音楽がガラリと変わる。躍動感のある感じから、心に沁みるようなゆったりとした感じになった。どうやら指揮者の立った指の数に応じて、どの曲を流すか決められているようだ。

 音楽に合わせて、ルシフたちの踊りも激しいものから静かで抑揚のあるものに変わっていた。この踊りの変化も完璧で、一切周りとズレがなかった。相当踊りの練習をしていたのが分かる。

 しばらくは音楽と踊りの変化を楽しむステージだった。意外性はないが、安定して楽しめる。それだけに、観客たちの感情の爆発のようなものはない。

 ステージに異変が訪れたのは、三番目の音楽の途中からだった。

 ステージを囲っている水から一つ、水球が浮かび上がった。水球はルシフの胸の前に浮かんだまま、静止している。ニーナは剄を目に集中し、水球に注目した。ルシフから剄があふれている。剄で水を操って水球を作り、浮かばせているらしい。ニーナは知る由もないが、ルシフは化錬剄で剄を吸着する性質に変化させ、水を剄に吸着させて操っている。

 ルシフ以外の踊りが少し乱れた。

 

「おい、大将! そんなの聞いてねぇぞ!」

 

 レオナルトが困惑した表情で言った。レオナルトだけでなく、全員知らされていないようだ。ルシフ以外の踊りは、精彩を少し欠いている。このまま予定通り踊っていいのか。そんな迷いが踊りに出ていた。

 

「お前ら、ウォーミングアップは終わりだ!」

 

 ルシフがそう言うと、ルシフの前に浮かんでいる水球が形を変え、犬を模した形になった。水でできた犬が、水面でぎこちなく踊り始めた。

 歓声が上がる。

 

「まだまだいくぞ」

 

 円を描くようにステージの周囲から次々に水球が浮かび上がり、それぞれの水球が別々の形に変化していく。猫。うさぎ。豚。牛。虎。熊。猪。馬。ねずみ。猿。象。ニーナに分かるのはデータベースの情報も合わせてそれだけだったが、多数の動物の形を模しているのは明らかだった。それらの動物がステージの周囲の水面で踊り出す。歓声が更に大きくなった。音楽が聞こえなくなるほどだ。

 ニーナ自身、あんぐりと口を開けてしまっていた。こんな剄技は見たことがない。更に驚くべきところは、ルシフは踊りを全く乱さずにたくさんの動物の形にした水を操っていることだ。

 

「旦那。俺たちは一体どうすりゃいいんですか?」

 

「心のまま踊れ。悔いのないようにな」

 

 ルシフの言葉で吹っ切れたのか、ルシフ以外の踊りから迷いが消えた。ただ、さっきまでのズレがない踊りではなく、それぞれが踊りたいように踊っている。全員水面で踊る動物たちを見ながら笑みを浮かべていた。

 

「指揮者よ!」

 

 ルシフが叫んだ。指揮者がルシフの方を振り返る。

 

「お前も好きに音楽の物語を紡げ! 俺たちがその物語に色をつけてやる!」

 

 指揮者は熱を帯びた表情で大きく頷いた。自分が考える最高の音楽の構成をしていいと言われたのだ。これで燃えないわけがない。左手の指が四本立つ。音楽がまた変化した。

 

「演奏隊!」

 

 ルシフがまた叫んだ。演奏隊は視線だけルシフに送る。

 

「失敗を恐れるな! 自分のやりたいように音を生み出してみろ!」

 

 演奏隊の表情が変わった。制限のない自由な音を好きに出していい。失敗しても怒られない。それは演奏する者にとって、とても魅力的な響きだった。

 音に演奏隊の気持ちが乗る。まるで生き物のように、音楽が様々な表情を見せ始めた。

 さっきまでのパフォーマンスとはうって変わり、調和は一切なくなっている。まるでお祭り騒ぎだ。統一感も協調性もない。しかし、さっきより楽しい気分になってくるから不思議だ。

 ルシフは動物たちの形をした水を集め、大きくて長いものを作り始めた。それは娯楽作品でよく目にする架空生物──龍だ。そういった方面に疎いニーナですら知っている、超メジャーな架空生物。龍の形をした水が、ルシフの周りをとぐろを巻くように動く。水龍の胴体の渦の中で、ルシフは踊り続ける。

 観客のボルテージは最高潮だった。ミィフィは興奮しながら、カメラで写真を撮りまくっていた。

 それからレオナルトが化錬剄で火の輪を作り、ルシフが水の動物に火の輪をくぐらせたり、マイが念威端子を利用して空中で踊ったり、アストリットが化錬剄で水の動物たちを凍らせて氷像にしたりしていた。暑いため、すぐに水に戻ったが。

 そういう感動があれば、笑いもあった。大きな虎の形をした水にエリゴが襲われ、エリゴが食べられないよう必死に抵抗する場面があった。その時のエリゴの動きがコミカルで、自然と笑えた。アドリブでそういう動きができるあたり、ルシフと本当に仲が良いと感じた。

 ルシフはそんなステージで、少年のような無防備で楽しそうな笑みをしていた。

 

「こんなの、ダメだ」

 

 ニーナが声がした方を見た。ナルキだった。ナルキは身体を震わせている。

 

「剄はこの世界で人が生きるために与えられた、神様からの贈り物なんだ。こんな風に見世物にしちゃダメなんだ。

なのにわたしは、これを見て身体が震えてる。間違ってるのに、否定できない。理屈じゃなくて、心がこれは正しいんだって認めてる。隊長、わたしはおかしくなってしまったのでしょうか?」

 

「……いや、おかしくない。今までの剄の認識が間違っていると、わたしは思い始めた。剄を戦いの道具としか、世界は見ていない。剄が人に与えられた贈り物なら、人らしく剄を使えばいい。そんな当たり前の考えを、この世界は否定してきた。剄に対する視野を狭め、剄が持つ可能性を潰し続けた。このステージを見ていると、わたしもそう思ってしまう」

 

 この世界の価値観では、こんな剄の使い方は非難される。軽蔑される。見下される。だが、今ここに集まっている人の中に、ルシフたちに嫌悪感を抱いている者はいなかった。剄が見せる様々な変化を純粋に楽しんでいる。

 ニーナの視線はルシフを捉え続けた。言葉では表現できない熱を、ルシフの全身から感じる。

 ニーナの目から、涙が流れた。何故、涙が流れる? 分からない。嬉しいわけでも、悲しいわけでもない。それなのに、涙が止まらない。

 ルシフは一瞬一瞬に自身の熱を凝縮させて生きているような気がした。まるで命を燃やして生きている。ルシフ以外の人間は、明日もいつも通りいると思う。しかしルシフは、明日はふといなくなっているような感じがなんとなくする。だからか。だから、こんなにもルシフの姿に心を打たれるのか。

 観客の中に、泣いている人間も少なからずいた。

 

「……隊長。教員が来てから、今何ヶ月か分かりますか?」

 

 フェリがニーナに言った。ニーナははっとした表情で、フェリを見た。無表情だが、両目から涙が流れている。

 

「ちょうど五ヶ月くらいだろう。それがどうした?」

 

「あと一ヶ月で、教員はツェルニからいなくなります。このステージは、彼らが最後にツェルニの学生たちと心から楽しむ機会でしょう」

 

「……ルシフはそこまで考えて、パフォーマンスすると言ったのか」

 

 教員たちがツェルニを離れる前に、学生たちと一緒に思いっきり楽しむ。ルシフは、そんなことまで考えていたのか。そう考えると、ルシフがいきなりパフォーマンスすると言った真意が分かった気がした。

 

「あくまでもわたしの予想ですが。勘の良い観客はそう予想して、泣いている人もいるようです」

 

 水面に無数の鳥の形をした水が生まれた。水鳥の群れが、天に向かって一斉に飛び立つ。どっと歓声があがった。天に羽ばたいた鳥の群れはかなりの高さまで飛ぶと、水に戻った。シャワーのように水が観客たちに降り注ぎ、楽しそうな悲鳴があがる。ニーナもずぶ濡れになった。そうなっても演奏隊の方は全く水がかかっていないあたり、ルシフの配慮が感じられた。

 その後、大きな虹が空にかかる。観客たちはほぅとため息をついた。

 ルシフたちのパフォーマンスはポスターのキャッチコピー通り、一生心に残るような衝撃的なパフォーマンスだった。

 まるで夢の中にいるような、幻想的な空間と時間がステージを支配していた。あっという間にパフォーマンス終了の時間がきた。空はもうすでに少し暗くなってきている。

 ルシフが右手をまっすぐ頭上にあげ、指を鳴らした。

 ヒューという音に合わせ、光の玉が養殖湖の空に上がっていく。そして、轟音とともに光の花が咲いた。花火だ。次々に光の花が咲き、クライマックスに相応しい幻想的な光の魔法に、観客たちは酔った。

 花火が終わると、ルシフはステージの一番前に立った。

 

「お前ら、楽しかったか? 俺は楽しかった。見にきてくれて、ありがとな」

 

 地を揺るがすほどの拍手が、養殖湖を包みこんだ。誰も言葉を口にせず、両手を叩いた。今見たパフォーマンスを言葉で表現するなんてできない。それほどまでに、凄まじいパフォーマンスだったのだ。

 こうして、ルシフたちのパフォーマンスは終了した。

 ちなみにこのパフォーマンスがあった次の日、ルシフのファンクラブのメンバー数は一気に二倍になり、六百人を超えた。

 マイの方も普段見られない貴重な笑顔が見られたということで男の人気が爆発しファンクラブができたのだが、それはまた別の話である。

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 パフォーマンスをした日の夜。教員五人とマイはルシフの部屋に来ていた。ルシフから来るように言われたからだ。

 リビングのソファーや椅子にそれぞれ座っている。

 

「お前ら、今日はどうだった?」

 

「すっげぇ楽しかったぜ。疲れたけどな」

 

 レオナルトの言葉に、全員が頷いた。

 

「そうか。なら、もう心残りはないな?」

 

 教員五人は頷く。あと一ヶ月でツェルニを離れるのは、教員五人が一番分かっていたのだ。

 

「俺もお前らと一緒にツェルニを離れる」

 

「えっ、マジですかい?」

 

 エリゴが驚いた表情で言った。それ以外も驚いている。

 

「もう十分学園都市は堪能したからな。これ以上滞在する必要はない。退学してイアハイムに戻り、少し休養してから本格的に全レギオスを支配していく」

 

 ごくりと、全員生唾を飲み込んでいた。待ちわびた時が、もうすぐ来る。

 

「マイ。お前も退学して、イアハイムに来てもらう。いいか?」

 

「はい。ルシフ様がいないツェルニなんて、私にとって無価値ですから」

 

 世界が覆る。

 その瞬間は刻一刻と確実に近付いてきていた。


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