カリアンは生徒会棟の会議室にいた。生徒会のメンバーや各科の長が集まり、突如として現れた汚染獣の脅威にどう対処するか話し合っている。
彼らの顔に不安そうな色はあまりなかった。ルシフやレイフォンに加え、雄性体を軽くひねれる教員五名の存在。ツェルニの武芸者の質の向上。勝算は十分ある。
「彼らさえいれば、質量兵器の出番はありませんな」
商業科の科長が安堵した表情で言った。
質量兵器──ミサイルの使用。剄羅砲は武芸者の剄を砲弾にするため、資源的な損失は生まれない。損失は莫大な剄の消費だが、武芸者が休息して剄を回復すれば回収できる。
対して質量兵器であるミサイルは金属や燃料などを大量に消費し、消費した資源を回収できない。その損失は、都市にとって無視できない問題。ツェルニは資源が有り余っているような現状ではない。セルニウム鉱山で補給したのも数ヶ月前。次の補給がいつになるか分からない以上、安易な資源の消費は都市の首をしめて資源の枯渇を招く可能性がある。ミサイルの使用は最終手段でなければならない。
「都市の防衛装置の起動を行い、いつでも質量兵器が使用できる状態にしておきます。状況次第で使用もやむを得ないと、思っていただきたい」
ざわめきが室内を支配する。商業科の科長が笑い声をあげた。
「生徒会長は深刻に考えすぎです。頼もしい武芸者が今のツェルニには多数います。特にルシフは、以前ツェルニに襲撃してきた巨大な老性体を軽く一蹴しました。今回の事態も武芸者の力だけで十分ですよ」
「そうです。防衛装置など起動の必要はありませんよ」
「起動するのにも多少の資源を消費します。無駄に消費するのはバカらしい」
商業科の科長に続き、二人が口を開いた。
「バカらしい……ですか」
カリアンはにやりと笑った。しかし、目は笑っていない。
どことなく凄みのあるカリアンに、会議の面々は自然と口を閉ざしていった。
カリアンの顔から笑みが消え、鋭い顔付きになる。
「防衛装置は起動します。これはもう私の権限でやらせてもらう。あなた方の承認など待つ余裕はない」
カリアンの言葉に含まれる微かな苛立ち。それを感じとった面々は身体を強張らせた。
「あなた方はもう勝った気でいる。まだ汚染獣の場所さえ特定できていないのに」
巨大な塊を飛ばしている汚染獣を念威操者に探させているが、百キロ以内にはいないと報告がきていた。
「私も、今のツェルニの戦力ならば勝てるだろうと考えています。ですが、汚染獣という未知で強大な相手に絶対勝てる確信はありません。もしかしたら、ランドローラーの移動範囲に汚染獣がいないかもしれません。その場合、一方的に攻撃されることになります。それだけでも厳しいのに、今幼生体にツェルニは攻撃されています」
巨大な塊は何度も飛んできた。二度目の投擲でツェルニの足の一つに当たり、折れた。なんとか他の足で支えることで傾かずに済んでいるが、修復が終わるまでツェルニは動けない。
そんな状況で、幼生体がツェルニの足に取り付き、外縁部に上ってきた。四十程度の数だったためすぐ殲滅できたが、巨大な塊が飛んでくる度に幼生体は出現していた。
「武芸者も人です。疲れ知らずというわけにはいかない。疲労が蓄積され、被害が出てくるかもしれない。そこを見計らい、投擲している汚染獣が直接攻めてくるかもしれない。百キルメル以上の距離からあれ程までに巨大な塊を投擲できる汚染獣が至近距離から投擲してきたら、どれ程の速さになると思いますか? 少なくとも人が対応できる速度ではないと、私は考えます。あなた方はそうなっても言うのですか。『質量兵器の出番はない』と」
カリアンは会議に出ている者の顔を順々に見ていく。カリアンと目が合うと、武芸長のヴァンゼを除いて誰もが目を逸らした。
「都市に生きる人々を一人でも失ってしまわないよう、最善の防衛態勢を整えておかなくてはなりません。出し惜しみをして都市に甚大な被害が出たら、どう取り返すのですか? 資源ならば、まだ回収できる。人の命は回収できません。だからこそ、防衛装置を起動させるのです。どうかご理解いただきたい」
カリアンの言葉に、ヴァンゼは頷いた。他の面々も頷いている。
商業科の科長が軽く息をついた。
「……生徒会長。自分は思い違いをしていました。資源より人の命ですな。すぐに防衛装置の起動の準備をさせます」
「お願いします」
カリアンは商業科の科長に向かって、頭を下げた。
『報告します。汚染獣の位置が特定できました』
花弁のような形の念威端子が窓から入ってきて、フェリの声が会議室に響いた。
会議室にいる者は息を呑む。カリアンも同様だ。
「……それで、汚染獣の位置は?」
カリアンは一つ深呼吸して自分を落ち着かせ、念威端子に問いかけた。
『百五十キルメルの地点です』
「百五十キルメル!?」
会議室にいる一人が驚きの声をあげる。口には出さなかったが、カリアンも同じ気持ちだった。
そんな遠方から巨大な塊をここまで届かせられる投擲能力。間違いなく老性体。それも、老性体の中でも強力な個体だろう。
『映像出します』
会議室のモニターに、念威端子が見ているものが映し出される。
全員が椅子から立ち上がった。
「……あれはなんだ……?」
モニターに映し出されたものを見て、誰もが目を離せなくなった。
◆ ◆ ◆
外縁部に武芸者たちは集まっていた。
会議室のモニターに映し出された映像が、外縁部近くの建造物に取り付けられた簡易的な巨大モニターにも映し出されている。
モニターは離れた場所にいる敵の情報を視覚的に全員が共有できるようにするためという理由で、カリアンが命じて設置させた。
汚染獣は四足の獣のような体躯をしている。老性体は巨大になればなるほど、翅を捨てる傾向があった。巨大な体躯を飛ばすには大きな翅がいる。もしかしたら翅に体積が大幅に割かれるのを嫌って、翅を捨てるのかもしれない。今は腹を地面につけて休んでいるようだ。その姿は巨大な像のように見えた。背中には太い煙突のような筒があり、そこから巨大な塊を飛ばしているのを、一度観た。
敵の投擲攻撃は八を数えている。最初の攻撃はツェルニの都市の頭上に落ちてきたが、それ以降はツェルニ周辺に着弾している。そして地面に落ちた巨大な塊が割れて、中から幼生体が出てきていた。
念威操者は巨大な塊は汚染獣の卵であると分析。巨大な塊を『卵』と呼ぶようにした。『卵』が割れたのは二つ。五つは不発で、割れなかった。割れていない『卵』は今もツェルニの周辺に放置されている。
ツェルニと隣接していたファルニールの姿はもうない。ツェルニが『卵』の投擲攻撃と幼生体の襲撃を受けている間に、止まっていた足を動かし地平線の向こうに消えた。都市の移動の判断は電子精霊がするため、そこに人の意思が介在する余地は無い。だが、ファルニールはツェルニを囮に逃げた格好であり、ツェルニの大多数の武芸者は彼らに罪は無くとも怒りを覚えた。
──あれはなんだったのかな?
レイフォンはファルニールが離れる前に見た不思議な光景を思い出す。
逃げ出す直前、ファルニールの電子精霊とツェルニの電子精霊が都市の頭上に出現した。ファルニールの電子精霊は成人した男性の姿だった。ファルニールは目を閉じ、ツェルニが頷く。ファルニールとツェルニの胸から光が飛び出した。光がぶつかり、ツェルニの姿が童女から少女の容姿に変わる。それが終わると、ファルニールは地平線の彼方に消えていった。
ニーナもその光景を見ていた。あれはきっとファルニールが武芸大会の勝ちを譲ってくれたのだと、言っていた。
あの時点でどちらも旗を確保していない。電子精霊の話し合いで勝ちが決まるのなら、人が争う意味はあるのか。
思考が袋小路に入っていく。レイフォンは首を振って現実に意識を戻す。モニターに映る汚染獣を睨んだ。
──前に戦った老性体に成り立てのやつとは格が違う。下手したら『名付き』レベルかも……。
グレンダンでは、天剣授受者が仕留めきれず逃げられた汚染獣に名前を付ける慣習があった。天剣授受者が天剣を使用しても倒しきれない老性体。その強さに敬意を表してである。しかし、ここはグレンダンではない。相手の強さを称える余裕はないのだ。
──確実に倒せると思えるのはルシフ。僕じゃ倒せる自信はない。
レイフォンはルシフに近付く。ルシフはフェイススコープをはめたゴーグルのようなものをかけていた。それにより、念威端子で得た情報を視覚でも得ることができる。
「君ならあの汚染獣を倒せると思う。君が倒しに行くべきだ。その間のツェルニの守りは僕らに任せて」
「お前の言う通り、ヤツに近付けば確実に勝てるだろう。だが、どうせならもっと楽しく殺したい」
「……どういう意味?」
レイフォンは首を傾げた。
ルシフは右足で地面を抉り、横線を一本引く。次に、そこから数メートル後方まで移動。
「俺の前後から離れろ」
ルシフの前後にいた武芸者たちは怪訝そうな顔をしながらも、ルシフの前後から左右に散らばった。
ルシフは前後から人が消えたのを確認すると、右手に剄を集中させた。赤く輝く剄の槍が右手に握られる。
レイフォンがまず驚いたのは、その剄の槍の大きさである。軽く十メートルを超えていた。その槍をルシフは地面と水平に持ち、ルシフの前後に槍が数メートル出っぱっているような状態になっている。
次にレイフォンが驚いたのは、その槍の使用目的である。あの槍を投げて、百五十キロメートル離れる老性体を倒そうとしているというのは、誰もが予想できた。
老性体にできて、自分にできないわけがない。ルシフはそう考えているのかもしれない。
──バカげてる。
レイフォンはルシフの浅はかさに心底呆れた。
きっとこの男は、自分にできないことは何もないと信じきっているのだろう。その盲信が、目を曇らせる。現実的に考えて、絶対に倒せない。何故なら、相手は汚染獣だからだ。動かない的ではない。槍が落ちてくれば回避しようとするだろうし、そもそも一撃であの巨体を殺せる威力を出せるのかという疑問もある。
「ふむ、とりあえずこの長さでいくか 。念威操者たちに伝える。老性体周辺に置く端子はマイ・キリーのもののみとし、他の念威操者はツェルニ周辺か五十キルメル以内に端子を移動させろ」
『何故です?』
フェリの声が通信機から聞こえた。
「勝負の邪魔をされたくない」
ルシフの返答が耳に入り、レイフォンは頭が熱くなった。
勝負と言ったか、今。ツェルニに住む全員が投擲される『卵』や『卵』から出てきた幼生体、圧倒的な強さをもっているであろう老性体が自分たちを狙っている事実に怯えているというのに。この恐怖を早く除いてくれとお前に願っているのに。お前は遊び気分か。
『……分かりました。マイさん以外はツェルニ周辺か別の方向を探らせることにします』
フェリのため息をつく音が通信機に触れた。
ため息をつきたくなる気持ちは痛いほど理解できる。ルシフは絶対に自分の意見を曲げない。何かルシフに対して言ったところで徒労に終わる。そのくせ、言う通りにしないと怒るのだ。言い合ったところで気分が悪くなるだけなら、さっさと言う事を聞いてしまった方がいい。
ルシフの右手にある剄の槍が通常の槍と同じ長さになった。剄が圧縮されたように、槍は輝きと威圧感を増している。
そのまま三十分、ルシフは目を閉じ動かなかった。
『ルシフ様、念威端子を配置し終わりました』
マイ・キリーの声が通信機に響いた。
ルシフが目を開く。
「少し老性体から遠いな。端子を五枚老性体に近付けろ」
『はい』
『あなたは何を言っているのですか。あの距離からどれだけ近付けても老性体から端子を破壊される可能性が高まるだけで、情報解析の質は全く上がりません。やってもリスクが増えるだけで、メリットは皆無です』
フェリが口を挟んできた。
「端子を破壊するなどという知能が、老性体にあるものか。ヤツの目からは空中を飛んでるゴミにしか見えん筈だ。メリットがあると判断したから、やらせる。黙って見てろ」
『……もう何も言いません』
その通信を最後に、フェリの声は聞こえなくなった。
ルシフの全身を莫大な剄が包み込み、身体に剄が吸い込まれる。活剄で肉体強化したのだ。
ルシフが剄の槍を頭上で水平に右手で持ち、目にも止まらぬ速さで走る。横線の場所で踏み込み、剄の槍を投げた。
レイフォンの目にも、槍が飛んでいったところを微かにしか捉えられなかった。ただ風が吹き荒れ、エアフィルターに一瞬大きな穴があいた。
「マイ、予測飛距離は?」
『八十二キルメルです』
老性体が映っているモニターの隅に別枠が出て、飛んでいる剄の槍が断続的に映る。槍は小さくする前の長さになっていた。自分の手から離れたら元の長さに戻る。剄の槍にそういう意思を込めていたのだろう。
そら見たことか、とレイフォンは思った。
そもそも百五十キロ先に届かせること自体、至難。それに加え、目で見えない老性体をピンポイントで当てるなど、無謀もいいところ。やはり、ルシフが老性体の元にランドローラーで行くしか、あの老性体を確実に殺せる方法はない。
今度のルシフは、横線から前の倍の距離の位置に立った。再び剄の槍を創り、同じように縮め、頭上で水平に右手で持つ。
レイフォンはイライラしていた。
まだ懲りないのか。諦めて倒しに行け。
ルシフが走る。横線で踏み込み、剄の槍を投げた。さっきよりも、吹き荒れる風は強くなった。エアフィルターに一瞬あいた穴はさっきよりも大きかった。
『予測飛距離、百五十八キルメル』
「助走をつけすぎたか」
その場にいる誰もが、驚きで口を開いていた。
レイフォンは思ってしまった。この男なら、百五十キロ離れた老性体すらここから倒せてしまうかもしれないと。
ルシフはさっきよりも少しだけ助走の距離を短くした。槍を投げる。
『予測飛距離、百五十三キルメル』
今よりも少し助走の距離を短くし、投げる。
『予測飛距離、百五十一キルメル』
今よりも僅かに助走距離を短くし、投げる。
『予測飛距離、老性体より手前に二百メルトル。老性体、反応せず』
「よし、だいたい分かった」
ルシフは剄の槍に込める剄量を増やした。およそ天剣授受者並の剄量。ルシフの剄の槍は赤色の輝きから朱色の輝きに変わっていた。メルニスクの剄が混ざった影響である。
ルシフは助走距離を一歩分長くし、右足で地面に横線を引いた。この横線をスタートラインとし、槍を構えて走る。次の横線で踏み込み、投げた。
モニターに映る老性体の背中に剄の槍が突き刺さる。剄の槍が瞬時に爆発的なエネルギーに変化し、老性体を爆発で包み込んだ。
外力系衝剄の変化、爆裂槍。
モニターを観ていた武芸者たちが歓声をあげる。しかし、歓声はすぐに静まった。
老性体の咆哮が汚染された大地を震わす。老性体はまだ生きていた。背中の外皮を抉られ肉が露出しそこから緑の体液が流れていても、致命傷は与えられなかった。
お返しと言わんばかりに、背中の筒から『卵』が投擲される。
「総員、また幼生体がくるぞ! 構えろ!」
ヴァンゼの声が外縁部に響いた。武芸者たちは各々の武器を構える。
『ルシフ様』
「なんだ?」
『老性体のいる場所の地中に大きな空洞があり、雄性体がいます。老性体の腹からパイプのようなものが伸び、雄性体に突き刺さっているのも確認しました。おそらく打ち出している『卵』は雄性体のものかと』
つまり地中にいる雄性体を殺せば、この投擲攻撃を不可能にできる。
しかし、ルシフは雄性体を殺そうとは微塵も思わなかった。ちょうどいい練習台をわざわざ送ってきてくれているのに、それをさせない理由はない。ツェルニの武芸者はますます幼生体を殺すコツが掴めるだろう。
ルシフは助走距離を変えず、槍を投げた。剄の槍はさっきの倍以上の剄量が込められている。
老性体は剄の槍を目視すると、回避行動をとった。剄の槍は元々老性体がいた地面に突き刺さり、大爆発を起こす。
「よけた……!?」
レイフォンやニーナが驚愕の表情でモニターを凝視する。
先程投擲された『卵』はすでにツェルニ近辺に落ち、割れていた。幼生体がツェルニの足を上ってきている。
レイフォンはあらかじめ残しておいた鋼糸を操り、全ての幼生体を両断した。ツェルニの足から幼生体の肉片が緑の体液とともに地に落ちる。
その間にもルシフは間髪入れずに剄の槍を投擲していた。ルシフは完全に百五十キロメートルの投げる力の感覚を掴んだらしく、マイから微調整の指示を受けながら正確に老性体を捉えていた。しかし、老性体はその槍を全てよけている。
ルシフの顔から大粒の汗が浮かび上がっている。肩で息をしていた。
「マイ、少し休憩する。念威端子を老性体から見えない位置まで離せ」
『はい』
モニターに映る老性体が遠ざかる。しかし念威端子の倍率を上げたらしく、老性体の姿が近くなった。これなら、老性体の動きをなんとか把握できる。
三十分程休憩したら、念威端子を老性体の近くに移動させ、ルシフはまた同じように槍を投げ続けた。今回は槍の剄量はばらばらで、極端に少なかったり多かったりした。そのどちらも、老性体はよけ続けている。
老性体が回避しながら『卵』を投擲し始めた。位置が少しズレるため、ツェルニから離れた場所に落ちるが、幼生体の脅威は消えない。
『雄性体五体、ツェルニ上空に出現』
フェリの通信が聞こえた。
フェリの情報によると、今まで沈黙していた五つの『卵』が割れ、そこから雄性体が飛び出してきたらしい。『卵』の中で共食いをして成長した。この結論が一番現実的だった。
ツェルニの武芸者は落ち着いている。通常なら絶望的な状況であるが、今のツェルニは雄性体を軽くひねれる武芸者が十人程度いた。雄性体が何体いようと負けない要素が揃っている。
雄性体がいる上空を見上げていると、一瞬光の柱が立った。アストリットが狙撃銃で狙撃したのだ。一体の雄性体が光の中に消える。外縁部から歓声があがった。
残り四体。このままエアフィルター付近を飛んでいても不利だと悟った雄性体全てがエアフィルターに突っ込み、エアフィルターの膜を破ってツェルニに飛来した。
「射撃部隊! 撃ち落とせ!」
ヴァンゼの指示が飛び、射撃部隊が一斉射撃をした。
しかし雄性体四体に対して効果はほとんど無く、地上に引きずり込めなかった。
レイフォンは鋼糸を展開して全ての雄性体を拘束し、地面に叩きつけた。
ニーナ、エリゴ、レオナルト、バーティン、ツェルニの各小隊長が身動きできなくなっている雄性体に殺到する。雄性体は断末魔の叫びとともに死んだ。雄性体の死体は何かにすり潰されたようにぐちゃぐちゃになった。
その間にさっきの『卵』が割れて幼生体がツェルニの外縁部に到達していたが、ツェルニの武芸者は周囲と上手く連携して、幼生体をひっくり返しては外殻に覆われていない裏側を攻撃し、頭を潰して殺していた。すでに全ての幼生体を殲滅している。
ツェルニの武芸者は幼生体なら協力して軽く殺せる程度の実力を身に付けていた。以前ルシフにツェルニにいる武芸者を成長されたところで無意味だと言った覚えがある。しかし、幼生体に怯まず適切な動きをするツェルニの武芸者を見ていると、たとえ弱くても成長させた方が得と言ったルシフの気持ちが分かった気がした。
ルシフの投擲攻撃は四度目になっている。休憩する時は必ず念威端子を老性体から遠ざけ、攻撃を始める時は念威端子を老性体に近付ける。その形は崩していない。
ツェルニの武芸者は最初の頃はここから老性体に攻撃できるルシフに歓声を送ったが、今はずっと同じことを繰り返して進展のないルシフに飽きたのか、歓声は無くなっていた。
既にルシフが投擲攻撃を開始してから二時間半が経過している。その中で老性体に当たったのは一度だけ。当たってからは老性体が回避行動をとって、全てかわしていた。
変化が訪れたのは、五度目の投擲攻撃を開始しようとする時だった。
老性体が跳躍し、攻撃のために近付けた念威端子を右前足で叩き落とした。念威端子が粉々になるところを別の位置の念威端子が捉えている。
「マイ! 念威端子を退避させろ!」
『は、はい!』
老性体に近付けていた念威端子は五枚。残るは四枚。それらが老性体から離脱を始める。
老性体は念威端子が離れていくのを見ると、すぐさま追いかけて全ての念威端子を破壊した。
モニターが砂嵐になり、すぐに老性体から見えないところに待機していた念威端子にモニターがリンクし、老性体がかろうじて映っている映像になった。
『ルシフ様。老性体近くに置いていた端子五枚、全て破壊されました。端子の残り枚数は二十五枚です』
「端子を一枚、老性体に近付けろ」
『はい』
念威端子が近付く。老性体は念威の光に反応し、すぐさま接近。念威端子を破壊。
明らかに老性体は念威端子を狙うようになっていた。
レイフォンは右腕で汗を拭っているルシフに近付く。
「ルシフ。君の判断のせいで、老性体に念威端子の役目を気付かれた。これからは正確な老性体の位置が分からないぞ。近付ければ破壊され、遠ければ正確な距離を掴めないんだから。あの跳躍力と機動力は予想以上だよ。かなり広範囲の念威端子を破壊できる」
「ハハハハハハッ!」
ルシフはこの状況において、愉快そうに笑った。こちらが不利になったにも関わらず。
ルシフがレイフォンを右手で指差した。
「貴様の言う通りだ! ヤツは一つこちらから利を得た! だがアルセイフ、よく覚えておけ。利を得るということは、それにともなう害も得るということ。常に利害は表裏一体なのだ」
レイフォンはルシフが何を言っているのか分からず、首を傾げた。
「マイ。俺が端子を移動と言ったら、念威端子をヤツの正面二百メルトル前に移動させろ」
『はい』
レイフォンを無視して、ルシフが指示を出した。
指示を出した後、ルシフはレイフォンに向かって右手を払った。あっちに行けと暗に言っている。
レイフォンは納得できなかったがどうすることもできないため、大人しくルシフから離れた。
ルシフは左手に剄の槍を持った。剄の槍に今までより桁違いの剄量が込められているのが伝わってくる。
レイフォンが驚いて目を見開いた。
それを見たルシフは不敵な笑みを浮かべる。
「俺は左利きなんだよ。物を投げるのも左投げだ」
ルシフは助走距離を念入りに測り、フェイススコープの映像を注視しているようだ。
ルシフが剄の槍を投擲。
投擲した後、ルシフは息をつきながらモニターに映っている現時刻のデジタル表示をじっと見ている。
「……よし。念威端子を移動しろ」
念威端子が老性体に近付き、二百メートル前で停止した。
老性体が気付く。
老性体が念威端子に近付き跳躍して端子を破壊。と同時に剄の槍に貫かれ、大爆発を起こした。モニターが砂嵐になる。
しばらくしてから、モニターに老性体がいた場所が映る。
爆発の影響で大地は広範囲に深く抉れ、ところどころに老性体の肉片が転がっている。
間違いなく老性体を殺した。百五十キロメートル離れたところから。
レイフォンはルシフを驚愕の表情で凝視した。
「獣は餌で釣って殺すのが一番だ」
ルシフは苦しそうに息をしながらも、満足そうに笑っている。
念威端子で釣って、老性体の位置を誘導し、跳躍して身動きが取れなくなったところを、剄の槍で射抜く。
確かにこれなら、老性体がどれだけ速く動けたとしても、無意味。確実に殺せる。
「もし念威端子に釣られなかったら、どうするつもりだったんだい?」
「その時は槍が届く前に念威端子を念威爆雷にしてヤツの視力を奪うつもりだった。まぁ最初にそれで殺しても良かったんだが、どうせなら難しい方で殺そうと思ってな」
レイフォンはぞくりと背筋に悪寒が走った。
ルシフが何を考えているのか全く理解できず、ルシフの心が読めないからだ。
外縁部は武芸者の歓声で埋め尽くされていた。
ルシフは息を整えている。疲労の色は濃い。大量の剄をあれだけ何度も放出していれば、疲れるのは当然。
今なら、殺せる。
レイフォンは復元済みの大刀の柄を握った。握った両手は汗ばんでいる。
──こんな得体の知れない考えのヤツがグレンダンに行ったら、何をするか予想もつかない。グレンダンで被害を出した後に陛下に殺されるか、今僕に殺されるか。それだけの違いじゃないか。
殺せばツェルニの住民から非難され、ツェルニを強制的に退去することになるだろう。それでもグレンダンを悪魔の手から救えるなら、やるべきじゃないのか。
そんなことを考えていると、ルシフと目が合った。
どくんと、心臓が跳ねる。
不意にルシフは、いつも通りの勝ち気な笑みを浮かべた。
お前に俺を殺す度胸などないだろ。
そう目で言っているような気がした。
レイフォンは舌打ちし、柄から両手を離す。
理屈では殺すことが正しいと分かっているが、その一方で自分は斬る直前に刀を止めてしまうと確信してしまったからだ。
レイフォンは下唇を噛んで、両手を握りしめた。
◆ ◆ ◆
机の周りの床には大量の書類がばらまかれていた。
「あ~、しんど~」
アルシェイラが机に突っ伏している。
グレンダンの女王であるアルシェイラはカナリスが不在のため政務を押し付ける相手がおらず、仕方なく政務の一つである書類の処理をしていた。
様々な施設や道場などから寄せられた要望事項や、資金援助を希望する施設経営者のリスト、この人物に武芸者の地位を与えてほしいという希望書などなど。
一つの書類にかかる時間は、可か不可か保留のいずれかを決定するだけなので、そんなに時間はかからない。しかし塵も積もればなんとやら、膨大な数の書類があるためちっとも終わらない。それに加え、アルシェイラはこういった政務が嫌いだった。単純に退屈で面白くないからだ。
「今分かったわ。カナリス、あなたの大切さが。あなたはこんなことを毎日愚痴をこぼしながらやってたのね」
カナリスをグレンダンから出したのは失敗だったかもしれない。
だが、リンテンスはグレンダン以外のぬるい都市に興味はなく不潔だし、カウンティアとリヴァースはコンビを組ませないと動かないし、ルイメイは細かいことは不向きで勢い余ってリーリンを怪我させる可能性があるし、トロイアットは軽薄でリーリンに悪い影響を及ぼすし、ティグ爺は歳だし、バーメリンは口が悪いからリーリンの口も悪くなるかもしれない。そうやって護衛の候補者を除外していき、消去法で残ったのがあの三人だった。
アルシェイラは机から起き上がり、伸びをする。
リーリンと天剣授受者三人がグレンダンを発ってから、約半年。その半年間の半分くらいは政務をしなくてはならず、退屈な時を過ごさざるを得なかった。
アルシェイラは気分転換しようと、グレンダン王宮にある空中庭園に足を運んだ。
空中庭園からはグレンダンの都市を一望でき、外縁部の更に向こうにある汚染されている大地の地平線まで見えた。
「……ん?」
アルシェイラは地平線の先にこちらに向かって来ている都市を見つけ、両目をこする。疲労で幻覚を見ているんじゃないかと思ったからだ。
「いやいや、え~と、確かにね、いつまで夏季帯続くのかな~、グレンダンで夏季帯は珍しいな~って思ってたのよ? これはホントにホント。いやでも、え~」
「何を一人ではしゃいでいる?」
アルシェイラの隣にいつの間にかグレンダンがいた。犬に似た蒼銀色の獣。
ウキウキしだしたアルシェイラの方に頭を向けている。
「あら、ちょうど良いところに来たわね。あれ見て、あれ」
「都市が見えるな」
「そんなことはどうでもいいのよ。その都市がどこなのか、そこが重要なの。あの旗、ツェルニの旗よ! 間違いないわ! リーリンのために覚えておいたもん!」
近付いてくる都市の旗は、ペンを持った幼い少女が刺繍されている。その旗が意味するは、学園都市ツェルニ。
アルシェイラは知るよしもないが、ツェルニはルシフが老性体を殺してから移動を再開し、一日経過していた。そして、何故かグレンダンの方に直進しているのだ。
「う~ん、悪の手に囚われたお姫さまを救い出し、悪を討つ! なんて刺激的で面白そうなシチュエーション! 気分はまさにお姫さまを救うナイト! 面白くなってきた~!」
「遊び気分でルシフとやらに足を掬われんようにな」
グレンダンが忠告するが、アルシェイラは聞く耳を持たない。
「ルシフ? あんなヤツ今回もボコボコよ~。待っててリーリン! 今あなたを助けに行くからね!」
グレンダンとツェルニの接触。
それはもう間近に迫っていた。
そして、ツェルニとグレンダンが接触した時、グレンダン史上最悪の一日が始まることになるとは、今のアルシェイラは夢にも思わなかった。
これにて、原作九巻終了です。
次章はこの作品を構想してからずっと書きたかった話です。とても楽しく執筆できそうでワクワクしてます。