鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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原作最終章 鋼殻のレギオスに魔王降臨
第53話 覚醒少女


 ほんの少し時間を遡り、ルシフと老生体が戦っている最中。

 リーリンは地下シェルターの隔壁の前で立ち尽くしていた。

 そもそもリーリンが避難しているシェルターから出た理由は、メイシェンが発熱したからだ。レイフォンと友だちであるメイシェンとミィフィとナルキは、リーリンとすぐ面識を持ち仲良くなった。シェルターに避難した時もミィフィとメイシェンが一緒だった。リーリンは給湯室で飲み物をもらってくると二人に言って、シェルターから出てきた。

 しかし、今リーリンが立っている場所は地下シェルターの入口であり、隔壁の先は地上に出る。給湯室の位置は全く別方向。

 リーリンは給湯室の位置が分からず、迷ってしまってここに来たわけではない。給湯室に行こうと思っていたが、途中で無性にここに来たくなったのだ。

 

「……何してんだろ、わたし」

 

 リーリンがここに来た理由は、レイフォンが気になったからだ。レイフォンは怪我をしていないか。レイフォンは大丈夫なのか。そういった不安が、リーリンの目的地を変えさせた。

 当然ながら、隔壁の前に立っても隔壁は開かない。隔壁に向こう側を見れるカメラのようなものも付いてないから、リーリンの目に映るのは隔壁の白い壁だけ。

 要するに、リーリンのこの行動は無意味で無駄な行動だった。そして、リーリンは無駄足で終わるのを分かっていた。分かっていたのに、ここに来てしまった。

 リーリンはため息をついた。

 

「……給湯室に行かなきゃ……ッ!」

 

 リーリンはその場に座り込む。

 右目が痛い。涙が右目からあふれて止まらない。まるで目を針で貫かれたような激痛。右目が突如として自分から切り離されたような違和感。

 リーリンは右手で右目を押さえる。

 

 ──どういうこと?

 

 リーリンは隔壁が見えている。試しにリーリンは左目を閉じた。隔壁が見えている視界は暗闇に包まれない。隔壁は見え続けている。右目は右手で覆われ、左目は閉じているのに。

 この右目が、右手を通り抜けて隔壁を映している。そう結論付けるしかない。

 自分の身に何が起こっている?

 いつの間にか、隔壁の前に少女が立っていた。黒い服に黒い髪。まるで葬儀に出向くような服装。全く生気が感じられない。

 少女の輪郭はぼやけている。右目にしか少女の姿が映っていないからだ。

 

 ──あなたはなに?

 

 涙が止めどなく流れる。少女を見てから、涙は更に勢いを増して流れているような気がした。

 この涙が痛みからきているのか。それとも自分でも理解できない感情によるものからなのか。

 分からない。

 少女は隔壁の方をじっと見つめ──消えた。比喩とかではなく、本当に煙のように消えた。今の少女は幻だったのか?

 

 ──戻ろう。

 

 独りでいるから、こんな現実離れしたことが起きる。メイシェンとミィフィのところに戻れば、こんな悪夢のような出来事からきっと抜け出せる。

 リーリンは立ち上がって振り返り、きた道を戻ろうと一歩踏み出した。

 ぐにゃり、という音がした。硬い床を踏んだつもりなのに、床はゴムのような弾力のある何かに変わっていた。

 顔だ。床、壁、天井のいたるところが目を閉じた顔で埋め尽くされている。

 

「なんなのよ……」

 

 自分に今何が起こっているのか。右目は相変わらず痛い。目を開けていられない。

 ふと、全ての顔の目が一斉に開いた。瞳孔が動き回り、リーリンのところで止まる。

 

「……ミつケタ」

「滅ビアレ、ツきの影ヨ」

「ワれラをカコうキョコウの支配者ヨ」

 

 顔が次々に言葉を発した。奇妙な抑揚で、怨嗟が内包された声で、リーリンの全身を打った。

 

「なに、言ってるの……あなたたち、なんなのよ!」

 

 リーリンが怒気を込めて叫んだ。

 これは幻覚なのか。しかし、幻覚にしては存在感がありすぎる。

 

「おヲオおおお……ワレらを虚構に戻ソウというか」

「そうハイかヌぞ、月の子よ」

「ワレらが呪ヒにテ……」

「貴様のタマしイ、暗こクの無間にヲとさン」

 

 右目が痛みを増した。右目を押さえる力を強くする。全身を刺すような悪意が包み込んでいた。

 周囲の顔の瞳孔はリーリンを捉えて動かない。

 恐怖が全身を支配していく。

 

「呪い、ですって?」

 

 声が背後から聞こえた。

 

「そんなものに頼る。いつまでもいつまでも、変わりのない惰弱(だじゃく)さ。群れて、腐って、消えるしかない愚かさ。愚劣極まりない連中ね」

 

 リーリンは振り返る。

 黒服の少女がいた。しかし、その少女は生気があった。嘲笑するような表情を浮かべている。そして、同性の自分すら惑わせる色気があった。

 

 ──さっき見た女の子じゃない。

 

 直感でリーリンは確信した。

 周囲を覆い尽くしている顔がしきりに何かを叫んでいる。

 少女が鬱陶しそうに右手を振った。

 すると、リーリンの世界から音が消えた。顔は口を動かしているから、叫びは続いている筈だ。

 まさか自分の耳は聴こえなくなってしまったのか。

 

「叫ぶだけの能なし」

 

 少女の声が耳に聞こえ、リーリンはほっとした。自分の聴覚はおかしくなっていない。

 

「でも、そんな能なしまでも顔を出せるとなると、そうとう弱っていると考えるべきかしら?」

 

 リーリンは少女の一語一句を聞くごとに、頭がくらくらするような快感にも似た熱を感じた。何もかもがどうでもよく、ただ少女の言いなりになるだけでいいんじゃないだろうか、と思考放棄して少女に従いたくなる。一度も会ったことがなく、こんな異常な状況なのに。

 右目の痛みが、リーリンの意識を正常に引き戻す。

 自分は今、何を考えていた?

 そんなリーリンを、少女は微笑して見つめていた。

 

「あら、耐えたの? 一応は末なのね。いえ、もしかしたら、一応どころかあなたこそ正統かもしれないわね」

 

 少女の声が、リーリンを甘くとかしていく。リーリンは首を振って、理性を取り戻す。

 

「何が起こってるの?」

 

「知ったところで、もう遅いわ。あなたは何もできないもの。あなたがあなたである前から、何もできないことは決まっていたもの。そういう流れの中で、この世界はできてしまったの。何もできなかったからこの世界ができて、何もできなかったからこの世界はこうなってしまうのだもの。全ては自動的で順通り」

 

「何……言ってるの?」

 

 リーリンは少女の言葉を何一つ理解できなかった。

 

「始まりの鐘が鳴るのよ、もうすぐ。何もできない世界が必死になって何かしたいと考え、産み落とされたものが世界に牙を剥くの。ふふっ、皮肉よね。結局この世界は変革の戦火に包まれるのを見てることしかできないもの」

 

 少女はリーリンの頬を撫でた。少女の指はぞっとするほど冷たい。

 

「あなたの覚醒が、全ての始まりの幕開けになる。さあ、世界に、イグナシスに、リグザリオに知らしめなさい。欠片は揃ったと、解放の戦いが始まるのだと」

 

 少女の手がリーリンの頭を押さえ、無数の顔がある方にリーリンを向けさせた。

 少女の指がリーリンの右目付近に食い込む。そして、閉じられている右目を指で無理やり開けた。

 リーリンの右目に無数の顔が映る。無数の顔は次々に眼球に変わり、床に落ちた。石が落ちたような硬質の音が連鎖する。

 リーリンは立ち尽くしていた。

 

「うふふふ……あははははは! 始まるわ。世界の根本を揺るがす戦いが」

 

 少女はリーリンの視線の先にあるものを見て、狂ったように笑っていた。

 リーリンの眼前の床を、眼球が埋め尽くしている。眼球の一つがリーリンの方に転がり、足に当たった。

 柔らかくない。まるでガラス玉で作られたような作り物めいた硬さがある。

 少女の手がリーリンの頭から離れた。

 リーリンは荒く息をつき、座り込む。右目を押さえた。右目を押さえても、眼球は消えない。

 

 ──これをやったのが……わたし?

 

「……ッ!」

 

 激しい頭痛がリーリンを支配した。リーリンの顔が苦痛に歪められる。

 

『今は覚醒の時じゃない。この会話もすぐにあなたは忘れてしまう。でも、覚醒すれば思い出す。その時のために、一つだけ言わせて。──ルシフに気を付けて』

 

「……あっ」

 

『いいえ、忘れているだけ。魂の奥深くに刻まれた因子を』『逆。あなたにしかできない。あなたはルシフの暴走を止められる唯一の存在になり得る』『そのままの意味。他の人と根本的に違っている。だから、とても不安定』『ルシフ・ディ・アシェナ……異端の存在』

 

 ルシフの手により忘れさせられたと思っていたマイアスの出来事が、巻き戻しの映像を観るように脳裏に流れていく。

 ルシフがマイアスに現れたこと。ルシフが自分を偽り接触してきたこと。ルシフとともに電子精霊マイアスを救出したこと。それらの映像が流れ続ける。

 リーリンは消されたと思っていた記憶の全てを思い出した。

 

「……ルシフ……マイアスにいた……でも、ツェルニにいる……どういうこと……?」

 

「あら、あなたはあの滑稽な存在を知っているの? いえ、あなたもあれの一部だから、知ってて当然なのかしら」

 

「ルシフが、滑稽な存在?」

 

「あれは面白いわ。犬猫のくせに、自分を狼とか虎だと信じ込んでるの。多分、本能で知ってるのね。自分が犬猫だと気付いてしまったら、自分は弱者になると」

 

 リーリンは少女が何を言っているのかさっぱり分からなかった。

 少女は無邪気な笑みを浮かべた。

 

「あれこそ、この世界が運命の支配から逃れようと生み出した存在。まあ、時がくれば自ずと理解できるわ。今はそんなことより言いたいことがあるの」

 

 少女がしゃがみこみ、リーリンを抱きしめた。

 

「……お帰りなさい」

 

「え……?」

 

 リーリンは戸惑った。少女の姿は呟きとともに消えていた。

 残っているのは、床を埋め尽くす眼球。

 

「……ッ!」

 

 自分は一体なんなのだろう。本当に普通の人間なのだろうか。自分は人間じゃないから、両親に捨てられ孤児になったのではないだろうか。

 

「……レイ……フォン」

 

 リーリンはここにはない温もりを求めた。

 レイフォンに、傍にいてほしい。レイフォンがいれば、自分は自分でいられる。リーリン・マーフェスでいられる。

 そこまで考え、リーリンは首を振った。

 レイフォンは今も頑張っている。それなのに、自分がそんな弱気でどうする。

 強く在る。誰にも心配をかけさせない。周りの人を不安な気持ちにさせない。それが、幼い頃から決めていた生き方ではないか。

 リーリンは立ち上がった。

 

「あ、リーリン」

 

 声が聞こえた。正面を見る。ミィフィがいた。

 おそらくなかなか戻ってこない自分を心配したのだろう。

 

「どうしたの? こんなところで」

 

「ちょっと気晴らしに散歩してたの。ごめんね、飲み物持っていくって言ったのに」

 

「いいよいいよ。それより、何かあった? 顔色が悪そうだけど」

 

 リーリンは反射的に床に視線をやった。ミィフィもリーリンの視線の先を見る。

 リーリンの視線の先には無数の眼球がある。ミィフィはただ首を傾げた。

 

「……別に、何もないよ。シェルターに戻ろっか」

 

「う、うん」

 

 リーリンはシェルターに向かって歩き出した。ミィフィが後ろを付いてくる。

 ミィフィはリーリンの顔色には気付いたのに、リーリンが右目を閉じていることには一切触れない。

 つまりこの右目は、そういうことなのだ。

 それからしばらくして汚染獣を倒したという放送があった。

 シェルターに避難していた住民は喜び、これで外に出れると思った。

 しかし、約一日の行動範囲内にファルニール以外の他都市がいて、ツェルニに向かってきている。そのため、その都市と接触し戦争になる恐れがある。だから、ツェルニが安全と判断できるまではシェルターに避難していてほしい、と続けて生徒会から放送があった。

 シェルターに避難していた住民は不満を口にしたり、それが表情に出ていたが、仕方ないと自分を無理やり納得させた。

 この時点で近付いてきている都市がどこなのか生徒会は分かっていたが、シェルター内の混乱を考慮して知らせなかった。

 都市間戦争の相手が学園都市ですらなく、武芸の本場と言われるグレンダンなど、冗談にもならない。伝えれば必ず不安になる。

 すでにツェルニの一部の者は対グレンダンに向けて動き出していた。

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 老性体を倒した夜。

 ルシフの部屋のリビングに十人集まっていた。ルシフ、マイ、教員五人、ダルシェナ、ディン、カリアンの十人だ。

 老性体を倒した直後、マイが老性体周辺の探査を念威端子でして、都市を発見していた。グレンダンの旗はルシフから散々言われて覚えていたため、近付いてくる都市はグレンダンだとすぐに分かった。

 そして、ルシフはここにいる者たちに、夜部屋に来るようマイの念威端子を介して伝えていた。

 現在のツェルニはグレンダンとの戦いに備え、武芸者に休息を指示してある。

 ニーナ、フェリ、シャーニッドなどはグレンダンが近付いてくると聞いて唖然とし、次にルシフを複雑な表情で見た。レイフォンに至っては「嘘だ!」と取り乱したが、近付いてくる都市をモニターに映すとようやく冷静になり、ルシフの反応を窺ってきた。

 リビングにある机の上には、一枚の紙が広げられている。それはグレンダンを上から見た簡単な見取り図。ルシフが書いたものだ。グレンダンから得た書物で、グレンダンの地理は全て頭に入っていた。

 その机を中心にして、十人が立っていた。

 

「最初に言っておく。お前たちはツェルニの一員としてではなく、俺の同志としてグレンダンと戦ってもらう。当然、ツェルニの武芸者の出方によっては、ツェルニとも戦う」

 

 その場の全員が絶句した。すでにルシフの中で、ツェルニは味方として見ていない。

 

「ちょ、ちょっと待ってほしい。ツェルニの武芸者や念威操者の力を借りず、この場にいる十人だけでグレンダンを倒すつもりなのかい? 武芸の本場と言われるグレンダンを?」

 

「そうだ」

 

「一体どれだけ数と質に差があると思ってるんだい? いくらルシフ君が強くても、さすがにそれは……。ダルシェナ君とディン君には申し訳ないが、この二人は良くてグレンダンの一武芸者レベルだろう。もちろん私は戦力にならない。マイ君の念威の腕は素晴らしいかもしれないが、グレンダンには天剣を持つ念威操者がいる。

あなた方教員五名は天剣に一対一で勝てるのですか?」

 

「多分、無理だな。レイフォンにも一対一(サシ)じゃ勝てねぇと思うぜ」

 

 エリゴがカリアンの問いに答えた。

 カリアンは小さく息をついた。

 

「ルシフ君一人で天剣十人と女王を相手にしなくてはならない計算になる。それに加え、グレンダンには優秀な武芸者が多数。戦うべきではないと、私は思うが。分が悪すぎる」

 

「カリアン、そこだよ」

 

 ルシフはにやりと笑った。

 

「グレンダンの連中はツェルニが接近してきたのを知って、こう思うだろう。俺とアルセイフ以外は相手にならない。俺とアルセイフにだけ注意すれば、ツェルニなど雑魚だと。そこに、付け入る隙がある。奴らはツェルニから俺とアルセイフ以外の奴が攻めてくるなど、思いもしないだろう。

だからこそ、俺以外の奴らがグレンダンに攻め込む」

 

 ルシフが周りの顔を順々に見る。

 

「いいか? 俺たちの戦闘目的はありとあらゆる点でグレンダンに勝利することだ。そのために達成すべき四つの目標がある。

一つ目、全天剣の強奪。

二つ目、グレンダンの女王と天剣授受者全員の戦闘不能。

三つ目、グレンダンの旗を一度確保。

四つ目、リーリン・マーフェスのイアハイム連行」

 

 ルシフが右手の人差し指で見取り図を指差した。

 

「エリゴ、フェイルス、レオナルト。お前らはランドローラーを二台使い、外部ゲート付近でランドローラーを乗り捨て、ツェルニとグレンダンの接触した部分と反対の外縁部から潜入しろ」

 

「了解した」

 

 エリゴが返事をし、レオナルトとフェイルスは頷く。

 

「アストリット、バーティン、ダルシェナ、ディン。お前らはランドローラーを二台使い、外部ゲートからグレンダンに潜入」

 

「承知しました」

 

 アストリットは軽く頭を下げ、バーティンは頷く。ディンとダルシェナはぽかんと口を開けたままだ。

 

「ディン、ダルシェナ。本当に理解したか? 気を抜くと、死ぬぞ。学園都市同士の戦争もどきではなく、正真正銘の戦争をするのだからな」

 

「俺たちは、必要なのか?」

 

 ディンが不安そうな表情で言った。

 

「別にいなくてもいいが、お前たちがいた方がグレンダンを混乱させられる。今まで黙っていたが、ツェルニにはすでに天剣授受者が三人潜入している」

 

「……それは本当の話かい?」

 

 カリアンが信じられないといった表情をしていた。カリアンだけではない。他の者も似たような表情をしている。

 

「疑うなら、ゴルネオの部屋から出るゴミの量を確認してみろ。とても一人の量じゃないぞ。おそらくリーリン・マーフェスに付いてきたのだろう。天剣授受者三人の目的はこいつだ」

 

 ルシフは左手を横に伸ばす。左手の先から黄金の粒子があふれ、牡山羊の姿をかたどった。マイ以外、目を点にしている。

 

「ちなみにこいつも同志だ。メルニスク、挨拶しろ」

 

「……必要ない」

 

 メルニスクはそれ以上何か言うつもりはないようで、黙りこんだままだ。

 ルシフは気分を害した様子もなく、メルニスクを左手で指差した。

 

「こいつが廃貴族。グレンダンがツェルニに向かってきているのも、こいつを手に入れるためだろう。グレンダンの連中は必ず俺を捕まえようとするか、殺そうとする筈だ。

話を戻そう。つまり、天剣三人は教員としてツェルニに来た五人が俺の味方だと知っている。逆に言えば、教員五人とマイ以外、俺に味方はいないと思っているに違いない。

ディン、ダルシェナ。お前らはそういう意味で、ある種の切り札になりえる」

 

 成る程、とディンとダルシェナは理解した。つまり自分たちは存在していない筈のルシフの戦力になるのだ。

 

「私はどうすれば?」

 

「カリアン、お前はまず秘密裏にツェルニの外部ゲートから人を遠ざけろ。

それと、グレンダンから何かしらの交渉や要求があった場合、それらに従いつつもツェルニの住民の安全の保障をくどいくらいに懇願しろ。謙虚で怯えてる姿勢を忘れるなよ。ツェルニは戦う前から負けを認めている。俺以外は問題じゃないとグレンダンに思わせ、グレンダンの慢心を助長させろ。ツェルニから武芸者が攻めてくるなど考えられない思考状態にするのが、お前の役割だ」

 

 カリアンは内心でルシフの指示に舌を巻いていた。

 まるでこの場からグレンダンの人間の心を読んでいるようだ。

 圧倒的な剄量とありとあらゆる策を用いるところがルシフの強さだと誰もが思っているが、そこは表面上の強さでしかない。ルシフの本質的な強さは、この分析力と対応力にある。相手を分析し、相手の弱点や弱みを見つけ出し、相手がどう出てくるか読み、それに対する策をあらかじめ準備しておく。

 

「私は何をすればいいですか?」

 

「マイ。念威操者で天剣授受者のデルボネを潰してから、お前には本格的に動いてもらう。グレンダンの念威操者の念威端子を次々に奪い、グレンダンの索敵能力と通信システムを無力化しろ。

グレンダンの念威操者は優秀だが、デルボネという精神的支柱が常にある。その支柱さえ崩してしまえば奴らは動揺し、デルボネがいない場合誰がまとめ役になるのか、連絡体制をどうするか、誰がどこを索敵すればいいかなどが分からなくなる。本来ならデルボネが潰された場合の対応策を考えておくべきだが、あの女王にそこまで考える頭はない。デルボネが潰されないという絶対の自信があるからだろうがな。

それからもう一つ。グレンダンの動きがどんなものか後々も分析できるよう、俺が合図したら念威端子で俺の周辺を撮影しろ。俺が再び合図するまで撮影を続けてくれ」

 

「分かりました」

 

「さて、大まかにお前らの役割を言った。これからは質問タイムだ。質問タイムが終わったら、お前たちがグレンダンと戦う際にどう動くか、細かく教えていく」

 

「ルシフ様」

 

 アストリットが手をあげた。

 

「アストリット、なんだ?」

 

「作戦目標の三つ目までは理解できます。しかし、四つ目のリーリン・マーフェスのイアハイム連行だけは、どれだけ考えても理解できません。何故、リーリンをイアハイムに?」

 

 それはもっともな疑問だった。誰もがその部分を質問したかった。

 

「リーリンがツェルニに来る際、おそらく天剣授受者三人が手を貸している。天剣授受者に指示を出せるのは女王しかいない。つまり、女王の指示で天剣授受者はリーリンに手を貸したことになる。リーリンは女王にとって特別な存在である可能性が高い。だから、リーリンをこちらの手中に収めておく」

 

 ルシフのこの返答は建前である。ルシフはリーリンが『茨の目』を持っていることを原作知識から知っている。

 『茨の目』とは、見たものを眼球に変える力。最終的には眼球に変えた相手を取り込み、相手の力を吸収できるようになるという反則的な能力に昇華する。そんな力を使えるリーリンが自由に動けるのは、ルシフの計算を大きく狂わせるという意味で脅威だった。

 フェイルス以外、苦い表情になっている。ルシフに心酔しているマイですら、何か言いたげな視線をルシフに送っていた。

 それでいい、とルシフは思った。命令だからといってなんでも賛同するような人形などいらない。

 フェイルスは徹底した合理主義であり、必要ならば卑劣な策を用いることも許容できるタイプだった。ルシフの思考と近いものがあるかもしれない。

 

「……しかし、それはサリンバン教導傭兵団がルシフ様を脅迫するためにマイさんを誘拐したのと同じじゃありませんか?」

 

 アストリットは不満そうな表情のままだった。アストリットは弱者を虐げたり、利用するのを許せないタイプだった。弱者は武芸者である自分が守るべきだという矜持を持っていた。

 

「俺とサリンバン教導傭兵団で違うところが二つある。それは、リーリンは何があっても傷付けんし、自由も与えるというところだ。俺は脅迫するためにリーリンを誘拐するんじゃない。グレンダンの女王がリーリンを特別視しているかどうか。もしそうならどう特別なのか知りたいだけだ」

 

「……私は、どんな時もルシフ様の力になりたいと思っております。どんなに気が進まなくても、ルシフ様が望むなら、心を殺して従います」

 

「心を殺してまで、俺に従うな。自分自身が納得したうえで、従え。思考放棄して楽に生きようとするな」

 

「も、申し訳ございません!」

 

 アストリットが頭を深く下げていた。

 酷いことを言っている自覚はあった。だが、俺に従い続ける限り、その葛藤は絶えず存在する。そこでしっかり自分の意思で決断するか、全て他人任せにするかでは人として強くなれるかどうかという話になる。アストリットには武芸者としての矜持を持ちつつも、場合によっては小を犠牲にして大を救う決断ができるようになってほしいと考えている。

 

「……他に、何かあるか?」

 

 手をあげる者はいなかった。ルシフは順番に周りの顔を見て、質問がないことを確認した。

 その後、ルシフはグレンダンに潜入してからどう動くか。潜入が失敗した場合はどう動くかなどといった細かい指示について、話し始めた。

 話が終わる頃には、カリアンとディンとダルシェナは驚いた表情になっていた。

 

「ルシフ君。君はこの場からグレンダンの人間全員の心を読んでいるようだ」

 

「カリアン。相手が何を考えているのか分からないのに、どう策を巡らす。どうやって戦術を考える。相手の目的や思考を読むなど、戦ううえで基本中の基本だ」

 

「……確かにその通りだね」

 

 ルシフは全員の顔を見る。

 

「最後に言っておく。これから始まるグレンダンとの戦いは、勝利か敗北か、ではない。勝利か死だ。敗北は許されん。敗北して生きながらえるくらいなら、戦って死ね。俺はどんな状況になっても、命ある限り戦う」

 

 マイと教員五人は頷いた。カリアン、ディン、ダルシェナは困惑した顔になっている。

 

「それから、教員五人が去る時に合わせて俺とマイもツェルニを去る予定だったが、気が変わった。グレンダンとの戦いに勝ったら、即ツェルニから去る。教員五人とマイは今夜の内にツェルニの人間に気付かれないよう、荷物を放浪バスに入れておけ」

 

 ルシフの言葉に皆面食らったが、数十秒時間をかけて受け入れた。

 

「分かりました」

 

 教員五人とマイの声が重なる。

 

「カリアン。お前はツェルニに残って今まで通りツェルニを治めろ。

ディン、ダルシェナ。お前らはどうする? 俺たちとくるか? それとも、ツェルニに残るか?」

 

 ディンとダルシェナは難問にぶち当たったような、難しい表情をしている。

 しばらくして、ディンが口を開いた。

 

「……もしこの戦いで死ななかったら、俺もツェルニを退学する。言っただろ? お前が何をやるのか見てみたいと。

シェーナ、お前は俺に付き合わなくていい。シャーニッドと共にツェルニを守ってくれ」

 

「バカを言うな。わたしもディンとともにイアハイムに行く。わたしはディンの力になりたいんだ」

 

 ダルシェナは微笑んだ。

 ダルシェナの笑みを見て、ディンも笑った。

 

「決まりだな。よし、今の内に赤色の放浪バスに荷物を入れてこい。荷物を入れ終わったら、俺の指示通りに動け」

 

 ルシフの言葉に頷き、全員ルシフの部屋から出ていった。

 一人になった部屋で、ルシフは寝室にいった。私物は寝室にほとんど置いてある。

 寝室にある私物をバッグに入れていく。机の上の写真立てを手に取った。自分が入院した時に撮った写真。自分とマイ、ニーナ、レイフォン、シャーニッド、フェリ、ハーレイが写っている。

 ルシフはしばらくその写真を眺めると、机の上に写真立てを戻した。

 

「あら、持っていかないの? 名残惜しそうにしてるけど」

 

 ルシフの背後から、声が聞こえた。女の声。振り返る。黒服の少女が悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

 全く気配を感じなかった。こいつが俺を殺す気なら、俺は死んでいた。

 ルシフは右手で頭を押さえる。頭痛が痛みを増した。吐き気がしてくる。

 ルシフは右手で頭を押さえながら、少女から目を離せなくなっていた。

 美しいと思っている。熱が全身を駆け巡り、理性を壊していく。

 

「ふふっ、人間は誰もが器を一つ持ち、器にある物を一つだけ入れているの。その器は一つの重さしか耐えられない。無理やり二つ入れれば、必ずどちらかが器からこぼれる」

 

 少女が空気を震わせるたび、頭がとろけていくようだった。何もかもを少女に委ねてしまおうとさえ考えている。

 ルシフは左手で左足をつねった。痛みで意識を正常に戻す。

 

「でも、何故かあなたはこぼれない。器に二つのっかったまま。いずれ器そのものが耐えきれなくなり、壊れる。あなたの器はあと何年耐えられるかしら」

 

「俺の寿命は長くない、と言っているのか?」

 

「残念ね。でも、それがあなたの運命。選択肢は二つ。受け入れるか、抗うか。といっても形はないから抗いようがないのだけれど」

 

「確かに、残念だ。やりたいことはたくさんある。だが、たとえ明日死んだとしても、悔いはない。俺の人生において、無駄な時間など一秒も存在していないからだ」

 

 人はどれだけ長く生きるか、ではない。どう生きたか、どう死んだか。それだけで十分だ。明日死なないと思っていても、呆気なく明日死ぬ。それが人だ。寿命の長さなど、どうでもいい。

 

「あら、つまらない。もっと取り乱してほしかったわ」

 

 口ではそう言いつつも、少女は笑みを崩さない。

 少女がスカートのポケットに右手を突っ込んだ。ポケットから右手を抜く。右手には黒いものが握られていた。

 

「これ、あげるわ。あなたには必要でしょ?」

 

 少女が右手を差し出した。右手が広げられる。黒い眼帯があった。

 ルシフは驚いた。確かに、リーリンの右目を覆う眼帯は欲しかった。

 だが、ルシフがこれを必要としていると気付くためには、ルシフがリーリンの秘密を知っていること前提の話になる。しかし、リーリンの秘密はまだどこにも出ていない。

 

 ──こいつ、俺に原作知識があるのを知ってる?

 

 ルシフが少女を睨む。

 少女は楽しげな笑みのままだった。

 ルシフはとりあえず、少女の右手から黒い眼帯をとった。

 

「あなたには期待してるの。わたしを楽しませて」

 

 そう言うと、少女は消えた。

 ルシフはしばらく眼帯を手に持ち立っていたが、荷造りの準備を再開する。

 黙々とバッグに荷物を入れていると、メルニスクが横に顕現した。

 

「……なんだ?」

 

 ルシフが尋ねても、メルニスクは沈黙している。

 ルシフは舌打ちし、メルニスクの方に視線を向けた。

 

「なんだよ。何かあるから、出てきたんだろ」

 

「……汝は生きたくないのか?」

 

「その話か。死ぬ最期の瞬間まで、俺は俺らしくいられればいい。いつ死ぬかなど、どうでもいい」

 

「……ここには我しかいない。汝が『王』の仮面を外しても、誰も気付かない。『王』としてではなく、汝自身の心はどうなのだ?」

 

 ルシフは黙り込んでいる。

 メルニスクも黙り、ただルシフの横に佇んでいた。

 

「……生きたいに、決まっている」

 

 数分の沈黙の後、ルシフが呟いた。

 

「俺はまだ何も成し遂げていない。死んでたまるか。何もできずに、終わってたまるか」

 

 口に出すと、心に炎が燃え上がった。無意識の内に、少女の言葉に怒りを感じていたことが、ここでようやく分かった。

 何に対しての怒りか、ルシフははっきりとは分からない。自分にこんな運命を与えた神への怒りか。それとも、すぐに燃え尽きる己に対しての怒りか。

 しかし、怒りだけでなく、そんな運命とも思う存分にぶつかってみよう、という気にもなっていた。もしメルニスクがいなかったら、自分はこんな風に思えなかっただろう。

 

 ──情けない。

 

 ルシフは両拳を震えるほどに強く握りしめる。

 自分一人で、その境地に立てなければならないのだ。他のものに支えられてその境地に立つなど、恥でしかない。

 そう思う一方で、メルニスクなら支えてきても許してやるか、という気持ちも多少あった。

 

「……そうか」

 

 メルニスクはまだ横に佇んでいた。

 メルニスクに、礼を言おう。

 

「メルニスク。お前がいれば、俺はどんな相手にも負けん自信がある」

 

 出てきた言葉は、礼ではなかった。礼の言葉は喉元まできていたのに、何故か口に出せなかった。

 ここで礼を言ってしまえば、己の弱さも認めることになる。それが、本心では許せないのか。

 

「グレンダンに勝つ」

 

 たった十人。その内三人は戦力として計算できない。そんな無謀とも思える状況で、武芸の本場といわれるグレンダンを倒す。

 考えるだけで血が(たぎ)り、わくわくしてきた。

 

「グレンダンに勝つぞ、メルニスク」

 

「おう」

 

 メルニスクは黄金の粒子に変わり、ルシフの身体にとけていった。

 グレンダンにどれだけ力があるのか試し、完膚なきまでに叩き潰す。

 それができてようやく、俺はスタートラインに立てるのだ。

 ルシフは荷造りの準備を終えると、バッグを手に持ち部屋から出た。


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