鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第6話 汚染獣襲来

 廊下を歩く。いや、廊下を(かたき)のように踏みつけ進む。

 ニーナは怒っている。

 何故か?

 裏切られたと思ったからだ。

 ルシフが他の第十七小隊の面々より実力が突出しているのは承知している。

 ニーナは知らず知らずの内にルシフ以外の隊員たちと手を取り合い、ルシフという壁を越えるべく、歩幅を同じくして歩んでゆくつもりだった。

 だが、その心を嘲笑うようにニーナの手を振り払い、ルシフのような桁違いの実力を垣間見た隊員がいる。

 その隊員の名は、レイフォン・アルセイフ。

 レイフォンの実力は、ニーナの遥か上をいくものだったと、対抗試合を思い出して確信する。

 ニーナは許せなかった。

 実力があったことではない。実力を隠し、そればかりかテストした際わざと負けたという事実が許せなかったのだ。

 いっそのことルシフのように最初から本気だったのなら、それを受け入れられただろう。

 ニーナは生徒会長室の扉を荒々しげにノックする。

 

「どうぞ」

 

「武芸科三年、ニーナ・アントーク。入ります」

 

 部屋の中からカリアンの声が聞こえたので、ニーナは扉を開け、カリアンの前に直立した。

 生徒会長室には、カリアンの他に武芸長のヴァンゼもいる。

 そのことにニーナは少し驚き、熱くなっていた頭が僅かばかりその熱を冷ましたが、冷静になれるほどの効果もなく、熱に身を任せて、カリアンを睨んだ。

 

「レイフォン・アルセイフは何なんです?」

 

 小細工なんかいらない。そう思った。

 そもそも頭の機転や回転の速さはカリアンが上回っていると自覚している。

 ならば、己の心のままに言葉をぶつけるのが、カリアンに対して最も効果が得られると考えてのことだった。

 

「そうだな」

 

 ヴァンゼも、ニーナの言葉に同意する。

 心強い。

 ニーナは心の中でヴァンゼに感謝した。

 ニーナのみならずヴァンゼの言もあれば、カリアンも観念して話さざるを得ないだろう。

 ニーナの予想通り、カリアンは黙り通せるものじゃないと悟り、レイフォンのことを話し出した。

 カリアンはレイフォンのことを話し出すと、人が変わったように興奮して話し続けた。

 そして、ニーナはレイフォン・アルセイフという人物を把握した。目の前が真っ暗になる感覚を、初めて味わった。

 それくらい、カリアンが話したレイフォンの人物像は、ニーナにショックを与えた。

 話を聞き終え、ニーナは力のない足取りで生徒会長室から退出した。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 レイフォンは保健室で頭を抱えていた。

 何度も敵に転がされ頭をその度に打っていたから、レイフォンの頭にはたくさんのこぶがあった。

 それを撫でているように見えるが、実際はこぶが原因で頭を抱えているわけではない。

 レイフォンには決めたことがあった。

 本気を出さず、やる気を出さずに日々を過ごすことで、一般教養科に戻してもらうことだ。

 だが、その決意ももう水の泡だ。

 これから前みたく実力がない振りをしても、誰もがレイフォンは実力があると知っている。誰もが、その実力を求め、欲してくる。

 どれだけレイフォンが覚悟を新たにしようと、周りが彼を一般教養科(その場所)に誘わない。彼がいるべき場所へ場所へと、彼を押し上げようとするだろう。

 更に、カリアンに他人のために闘う人物だと露呈した。

 カリアンはそれを事ある毎に持ち出し、言葉を上手く使ってレイフォンを武芸科に留める説得を続けるはずだ。

 ツェルニを守ることは君自身の未来を守ることだと言ってくるかもしれない。

 レイフォンはため息をついた。

 何かをしようと思っている。だが、具体的に何をしたいかは決まっていない。

 いつかは見つかるだろうと、楽観的な気持ちでツェルニに入学した。

 だが、それが間違いだったのか?

 結果的に、自分の前に示された道は、以前と変わらず武芸の道のみ。それ以外の道は、創られる兆しすら見えない。

 結局自分にはこの道しかないのだろうか?

 そんなことをつらつらと考えていると、保健室の扉が開き、見慣れた三人が入ってきた。ナルキ、ミィフィ、メイシェンだ。メイシェンの手には大きなバスケットが握られている。

 それから、ミィフィとナルキはレイフォンを称賛し、すごいすごいとレイフォンをもてはやした。

 そのすぐ後にジュースのお代わりが欲しくなったと、二人は保健室から出ていった。

 はからずもレイフォンと二人きりになったメイシェンは、途端に落ち着きが無くなった。

 メイシェンは人見知りする性格だと思い出したレイフォンは、さっきからつまんでいるメイシェンのバスケットに入っていたサンドイッチに感謝し、メイシェンにお礼を言った。

 

「僕のためにわざわざ作ってくれて、ありがとう」

 

「……いいんです。レイとんにたすけてもらったお礼だから」

 

 レイフォンは入学式の時のことを思い出し、首を振った。

 

「そんな感謝されることじゃないよ」

 

「……でも、たすけてもらったから」

 

 メイシェンは大人しそうに見えて、自分の意思をしっかり通す強さをもっている。

 彼女のことを深く知っているわけではないが、レイフォンは彼女の今までの行動からなんとなくそう感じていた。

 そこから自然と話は対抗試合のことになり、いずれ言われるであろうと思っていた言葉を、メイシェンは発した。

 

「……レイとん、すごく強かったです。

……でも、どうしてすぐに倒さなかったんですか?」

 

 レイフォンは誤魔化そうとは思わなかった。

 誤魔化したところで、メイシェンを納得させることは出来ないし、別にやましいと思っているわけでもない。

 だから、素直に言うことにした。

 対抗試合に勝つ気がなかったこと。

 武芸はお金になると知り、稼ぐためにツェルニに来る前は武芸をしていたこと。

 今はもう、武芸に対して熱がないこと。

 武芸以外のものを見つけたいと思っていること。

 全部、メイシェンに話した。

 

「……きっと見つかります」

 

 メイシェンは小さな声で、でもはっきりと聞き取れる声量で呟いた。

 

「……対抗試合のレイとんはなんだかかっこよくなかったです。……なんかみっともなかったです。

……わたしはお菓子を作ったりするのが好きです。なんで好きになったとかはうまく説明できないですけど……」

 

 メイシェンはそこで一拍置き、覚悟を決めるように深呼吸をした。

 

「……入学式のレイとんは、本当にかっこよかったです。だから、そんなかっこいいレイとんを、わたしはずっと見てたいです」

 

 メイシェンは俯いた顔を真っ赤にしていた。

 レイフォンは、どう返せばいいか戸惑った。

 あの時の自分は、ただこれ以上放っておくのはよくないと思って行動しただけで、深く考えていたわけではない。

 結局レイフォンは何も言えず、そんなことはないと首を振るしかできなかった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 対抗試合があった夜。第十七小隊はあるバーで打ち上げをしている時間だ。対抗試合の祝勝会という名目らしい。

 フェリ・ロスが念威端子で知らせてきて、ルシフはそれを断った。

 ルシフからすれば、何故勝って当たり前の小隊に勝った程度で祝勝会をするのか、理解できなかった。

 ルシフは汗だくで、ツェルニの外縁部にいる。ルシフは毎晩この場所に来ては鍛練していた。

 周りに人の気配はなく、ツェルニの足が大地を踏みつける音だけが近くに響いている。

 気分が悪い。

 ツェルニに来て以来、自分の望んだ通りに時は進んでいく。

 だが、何かが自分に纏わりつく。何かを見落としている気がする。

 こう見えて、自分は物事を慎重に行うタイプだ。その用心深さが、自分を追い込んでいるのだろうか?

 それらの思考を振り払うように、ルシフは剄を纏いながら、動く。地を蹴り、突き出ているように見える古びた建造物を蹴り、縦横無尽に動き回る。

 ただ動き回るだけではない。動き回りながら、剄を放出する。

 指先から針のように細く放出された剄が建造物に触れると、豆腐で出来ているかと錯覚してしまうほど、建造物は容易く切れた。

 化錬剄のちょっとした応用である。放出する剄を、触れたら切れるという性質に変化させたのだ。

 ルシフは剄を、意思を具現化する力だと考えている。剄は己から生じる力であるため、意思を反映させることもできるという単純な結論であったが、今までルシフの意思を剄が具現化できなかったことはない。

 もちろん、最初から意思を具現化できるわけではない。何度も何度も失敗した。しかし、最終的にはルシフの望み通りの形に、剄はなった。だからこそ、死に物狂いで鍛練する価値があり、自らが高まっていっている実感がわく。

 ルシフは内力系活剄で、視力を強化する。

 遠く離れた場所、およそ四百メートルはあるかと思われる場所に、廃墟のような建造物があった。その廃墟からルシフの場所まで、遮る物は何も無い。

 ルシフはその建造物を指差した。そのまま、指を横に薙ぎ払う。

 四百メートル先の廃墟が、上下に真っ二つになった。切り離された上部がずれ、地面に落ちる。ルシフはその落ちている上部目掛けて指を上下左右に動かす。

 瞬く間に、落ちていた上部はこま切れになり、ちりのような小ささに変わった。

 ルシフは旋剄を使用し、一気に外縁部から離れる。賑やかになっていく景色。ルシフは跳んだ。建物の屋根に飛び乗り、更に高く跳んだ。そして、ツェルニの建造物の中で、一番高い建物の頂上に着地。その場に片足を曲げて座り、もう一方の足を虚空に遊ばせるようにした。

 渇いている。

 ルシフはそう自覚した。どうしようもなく、渇いている。

 退屈過ぎたのだ、学園都市が。それにほんの一週間通っただけだが、学園都市というシステムの、複数の矛盾点にも気付いた。自分が王となったら、真っ先にその矛盾を解消しようと考えた。

 ルシフは眼下に輝く無数の光を、ぼんやりと眺める。中央にいくほど光は集中し、外縁部には光は全く見えない。こうまで明暗に差があると、(かえ)って清々しい気分になる。

 まるでこの世界のようだと、ルシフは思った。

 ある場所の人間には光が満ち溢れ、ある場所の人間には光など全くない。

 おそらく昨年度までは、ツェルニも光のない場所だっただろう。

 抱えるセルニウム鉱山は一つしかなく、武芸者の質も低い。

 絶望的な未来しかないはずだった。

 しかし、レイフォン・アルセイフという存在が、ツェルニを再び輝ける場所へと復活させる。

 そう。光ない場所であろうとも、光ある者が現れたなら、光放つ場所に変化する可能性がある。

 ならばこそ、ルシフ・ディ・アシェナは頂点に立ち、光をあまねく照らす必要があるのだ。全ては、自分のものなのだから。

 ルシフは日付が変わるまで、その場所から動かなかった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 次の日の夜、レイフォンは機関掃除のバイトをニーナとともにしていた。

 だが、会話は一度もしていない。お互いに背中を向けて、黙々とブラシで掃除する。

 ニーナがゴシゴシと掃除する音さえ、まるで自分を責めているような気がしたレイフォンは、この気まずい空気に耐えられなくなっていた。

 

「あの……怒ってますか?」

 

 口に出した瞬間、自分から地雷を踏みにいくかのような言葉に、呆れた。

 もっと言い様があっただろうと、自己嫌悪した。

 

「……いや」

 

 ニーナは自分を落ち着かせるように息をついた。

 

「わたしは、生徒会長からお前のことを全て聞いた。生徒会長が知る全てを、わたしは聞いた。

わたしはそれが真実でないと信じるのみだ」 

 

 ニーナの瞳は、嘘だと言ってくれと懇願しているような瞳だった。

 だが、レイフォンの表情がこわばりを消えていくのを見て、ニーナの表情が凍りついている。

 嘘じゃないと、そのレイフォンの変化で気付いたからだろう。

 それから、レイフォンは生徒会長も知り得ない事実もまとめてニーナに語った。

 自分はかつてグレンダンで天剣授受者だったこと。

 天剣授受者でありながら、グレンダンで禁止されていた賭け試合に出場していたこと。

 この話の最中、何故だとニーナに問われた。

 レイフォンはそれに丁寧に答えた。

 グレンダン全ての孤児院を養わなければと考えていたこと。

 何故、自分がそんなことを考えたかは分からない。強いて言えば、孤児という全ての者たちが、自分にとって仲間だと思っていたからだと感じた。

 だから、金がいる。莫大な金が。

 だから、高額の賞金が用意されていた賭け試合に出場した。

 しかし、それも長く続かなかった。

 ある武芸者が、そのことをネタにレイフォンを脅迫してきた。

 ばらされたくなければ、天剣を渡せ。天剣授受者を決める試合で負けろ。

 そう脅迫してきた。

 レイフォンはその脅迫に屈せず、試合当日にその相手を殺そうとした。

 しかし殺せず、相手の右腕を切り落としただけだった。

 そして試合後、その相手の告発によってレイフォンのしたことは公の事実となり、レイフォンはグレンダンから追放された。

 全てを知ったニーナは言葉を失っている。

 

「以上が僕です。卑怯だと思いますか?」

 

 ニーナは口を閉ざしていた。永遠に続くんじゃないかと懸念してしまうほど長い静寂に、レイフォンは感じた。実際は数十秒程度の時間だったろう。

 ニーナは口を開いた。

 

「おまえは……卑怯だ」

 

 そう言った瞬間、レイフォンたちを激しい揺れが襲った。

 

「なんだ、これは!?」

 

「都震です!」

 

 都市は汚染獣から逃げるために、常に自らの足で移動し続けている。

 その足を踏み外したのでは、とレイフォンは考えた。

 最初に大きく縦に揺れ、次に斜めに激しく揺れた。

 

 ──穴か何かに落ちた?

 

 床は斜めになったまま、戻る様子はない。

 都市は斜めの状態で身動きがとれなくなっているようだ。

 揺れに驚き、絶句していたニーナだが、ようやく頭が回りはじめ、冷静さを取り戻す。

 

「非常呼集がかかるはずだ! 早く外に出なければ!」

 

 ニーナは内力系活剄で運動能力を上げ、地上を目指して駆ける。

 レイフォンも同様にして、半ば飛ぶようにして走った。

 その途中で、電子精霊を見つけた。

 電子精霊は恐怖で凍りついた表情で、縮こまって地底を見つめていた。

 それで、レイフォンは確信した。

 今、ツェルニがどういう状況にあるかを把握した。

 レイフォンはニーナに追いつき、その腕を掴んだ。

 ニーナはとにかく地上に行かなければという思いばかりが先走り、レイフォンを怒鳴った。

 

「放せ! 今は一刻を争うんだ!」

 

「ええ、そうです!」

 

 レイフォンも負けじと怒鳴り返し、ニーナはその剣幕に呑まれた。

 

「汚染獣が来ました!」

 

「……汚染獣だと?」

 

 ニーナはしばらく硬直していたが、ようやく事態を飲み込めた。

 

「なら、尚更行かねばならん!」

 

 ニーナの全身から剄が放たれる。その剄の輝きが、ニーナそのものを輝かせている。

 

「心配しなくとも、ルシフがいます。

あいつなら、汚染獣なんて……」

 

「じゃあ、わたしはこのまま黙って見ていろと言うのか!?

全てをルシフに任せて、隠れていろと言うのか!?

わたしたち、武芸者は何のために存在する? 今この瞬間のために、わたしたちはいるのだ!

それを放棄して逃げるなど、わたしたちには許されない!

ルシフとて、この都市全てを守ることなどできまい! 全員で立ち向かわなければならない敵なのだ、汚染獣は!」

 

 ニーナの身体は震えていた。

 紛れもなくそれは恐怖だ。汚染獣を恐怖している自分を、必死に奮いたたそうとしているのだ。

 恐怖に打ち克つ心の強さ。

 これこそが、ニーナ・アントークの強さなのだ。

 

「でも、逃げないと……」

 

 レイフォンは分かっていた。

 ずっと前からグレンダンで汚染獣と戦ってきた。だからこそ、汚染獣がどれくらいの強さか、感覚的に理解している。

 だからこそ、ニーナが汚染獣を倒せないことが分かっていた。

 

「──何故だ?」

 

 ニーナが呟いた。

 

「何故それほどの力を持ちながら、逃げるなどという選択ができる?

わたしたちの暮らしている都市が、これから汚染獣に蹂躙されるのだぞ! 何故それを許容できる!? 何故それに怒りを感じない!?

友だちだっておまえはいるだろう。その友だちが、今汚染獣に食われるかもしれない危機なんだぞ! それを放っておくのか!? 自分の住む都市を守りたくないのか!?」

 

 雷に打たれたような衝撃を、レイフォンはうけた。

 

「僕は……」

 

「わたしは戦う! 今戦わずして、いつ戦うのだ!」

 

 ニーナはレイフォンの返事も聞かずに走り去った。

 

「僕が……他人のために戦うなんて……」

 

 誰もが感謝してくれると思った。しかし、賭け試合が発覚した時に見せた孤児院の仲間たちの表情は、レイフォンを責めていた。

 あんな思いをするくらいなら、他人なんかのために戦いたくない。

 

「ルシフがいるじゃないか……」

 

 彼の強さならば、並大抵の汚染獣は秒殺だ。

 自分が戦う必要なんてない。自分が戦わなくても、代わりはいる。

 気付けば、レイフォンは地上に出ていた。

 そのまま自室に戻った。ルシフの姿は見えなかった。

 そのことに安心しつつ、作業着を脱いで制服を着る。

 剣帯に錬金鋼(ダイト)を吊るす。

 自衛の手段はもたなくてはならないと、自分に言い訳した。そんな体裁など、誰も気にしていないというのに。

 ふと扉の下を見ると、しおれた封筒が落ちているのが目に入った。

 慌てて、その封筒をとる。送り主を見る。リーリン・マーフェス。封筒を開ける。

 中には手紙が入っていた。

 レイフォンは、グレンダンに住む同じ孤児院で育ったリーリン・マーフェスだけには、手紙を出していた。

 リーリンは、賭け試合が発覚した後も変わらずにレイフォンと接してくれた数少ない相手。

 そんな相手から送られてきた手紙を読む。

 火がついた。

 さっきまで、誰かのために戦いたくないと思っていた。

 けど今は……誰かのために戦うのも悪くないという気分になっていた。

 レイフォンは手紙を握りしめ、走る。ただひたすら走る。

 手紙をズボンのポケットに突っ込み、走った。

 自分のしたことは、間違いだったかもしれない。

 でも、全部が間違っていたわけじゃない。確かに救えたもの、守れたものがあったんだと、リーリンの手紙は気付かせてくれた。

 だから、今はこの心のままに、友だちを、隊長たちを、この都市に住む全ての人を守ろう。

 レイフォンは疾風となって、地を駆ける。

 目指すは、ハーレイのところだ。

 レイフォンの姿は、誰の目にも映らなくなった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 外縁部北西地区にニーナたちは集まっていた。ルシフはニーナたちから数歩離れた場所で待機している。

 ルシフの隣には、マイがいた。

 

「索敵完了しました。幼生体の数、現時点で千七十四。ツェルニがはまった地下の奥深く、一際大きな空洞の中に、瀕死の母体一。

フェリ・ロスも私と同様の情報を入手、全小隊長に伝達、レイフォン・アルセイフ、フェリ・ロスに接近」

 

 錬金鋼を復元させ、マイの周囲には六角形をした半透明の結晶が何枚も浮かんでいた。

 マイはルシフ以外の念威サポートをしていない。

 ルシフはその情報を聞き、眼前にいるニーナが鉄鞭を構えて幼生体の群れに突っ込んだところで、身体に剄を走らせた。

 ツェルニの射撃部隊が、空を埋め尽くす幼生体の群れに、汚染獣迎撃用の剄羅砲から巨大な砲弾を撃ち出す。

 その砲弾が幼生体の群れの先頭に当たり、爆発する。

 爆発の花はそこら中で咲いた。

 幼生体たちは次々に地面に降り、這いずるように襲いかかってくる。

 ツェルニの武芸者たちは、その幼生体の群れに全力で攻撃を叩き込む。

 だが、幼生体の甲殻になんとかひびを入れられる程度の実力のため、大して殺すことは出来なかった。

 ニーナも幼生体に鉄鞭を打ち込み、手に伝わる衝撃に目を細める。

 

「なんて硬さだ!」

 

 まるでルシフを殴った時のような感触だ。シャーニッドも必死に狙撃しているが、手応えは感じられないようで、通信機から舌打ちが聞こえた。

 ニーナの周囲は幼生体で囲まれ、一斉に角で突き殺そうとしてきた。

 ニーナは逃げようとするが、一瞬遅れた。

 

「しまっ……!」

 

 そのニーナの襟首を掴み、ルシフは無造作に後ろに放り投げた。

 ニーナは数メートル後方に上手く着地。片膝をついた姿勢で顔を上げる。

 

「──無様な、幼生体ごときで」

 

 ルシフはニーナやツェルニの武芸者を見据える。

 ルシフの手に錬金鋼は握られていない。

 ニーナはむっとしたが、ルシフの現状を見て顔を青くする。

 

「ばかッ! 後ろ!」

 

 ルシフはあろうことか、幼生体の群れに背を向けていた。

 当然そんな好機を幼生体が見逃すわけもなく、後方左右から同時にルシフに角を突き立てた。

 しかし、その角はルシフを貫かず、ルシフの体表で止められている。

 後方にいた幼生体は角での攻撃を諦め、ルシフにのしかかるように上から覆い被さった。

 ツェルニの武芸者たちが悲鳴をあげる。

 そして、それすら気にも留めない無傷なルシフに、ツェルニの武芸者は絶句した。

 恐ろしい光景だ。人間一人を幼生体がよってたかって食おうとしているように見える。

 だが、その人間に怯えはなく、ただ残忍な目の輝きだけが、ツェルニの武芸者たちを捉えている。

 

「──久し振りの獲物だ」

 

 ルシフは両手を動かす。

 ルシフに攻撃していた三匹の幼生体は八つ裂きになった。

 

「……は?」

 

 戦場に場違いな気の抜けた声を出したのは、ニーナだ。

 いや、ちょっと待て。何故何も武器を持っていないのに斬れる?

 ルシフはしゃがみ、そのまま半円を描くように右腕を薙ぎ払う。

 右腕から放出された細長い剄が、化錬剄により不可視の剣となり、遥か後方まで連なっていた幼生体の群れから、足の部分を切り落とした。その剣の間合いは、軽く三百メートルを超え、地面に這いつくばっていた幼生体の群れ全ての自由を奪った。

 

「…………は?」

 

 またも気の抜けた声を出したのは、ニーナだった。

 いや、ちょっと待て。ただ腕を払っただけで、何故遥か後方の幼生体までまとめて斬れる?

 

「ははっ! なんて惨めな姿だ! ははははは!」

 

 ルシフは打ち上げられた魚のように、上下にビクビクと跳ねている幼生体の群れを見て、心底楽しそうに笑った。

 理不尽に死を与える存在に、逆にこちらが理不尽に蹂躙し、死を与える。

 これ程までに痛快なことはあるまい。

 ルシフは幼生体の翅を両手で千切る。一匹一匹歩いて近付き、翅を千切った瞬間の幼生体の絶叫を興奮剤にし、次々と千切っていく。

 幼生体は、ルシフが近付くだけで絶叫をあげるようになっていた。それに満足しながら、翅を千切る。

 

『二時の方向、角度四十、距離二二三。八匹の幼生体が瀕死の状態で飛行』

 

 マイから、幼生体の位置情報を得たルシフは、その方向に身体を向ける。

 

「──誰が飛んでいいと言った!?」

 

 鋭い廻し蹴りを放ち、その蹴りに剄を乗せて、その方向に剄を飛ばす。

 飛ぶ斬撃となった剄が八匹を両断し、十六の肉片が地面に落下した。

 

「……おい」

 

 ルシフがツェルニの武芸者たちを見る。

 

「貴様ら、何をぼけーっと見ている?

とっとと幼生体どもをなぶり殺しにしろ!

汚染獣を殺す感覚を、全身に刻みこめ!」

 

 ルシフの声が外縁部に響きわたる。

 その時、ツェルニの武芸者たちは見てしまった。

 幼生体全てが必死に身体を持ち上げて、自分たちを見ているのを。

 人に汚染獣の言葉など分からないし、汚染獣の感情も分からない。

 だが、ツェルニの武芸者たちは、はっきりと幼生体の声を聞いた。

 助けてくれ。頼むからこいつを止めてくれ。

 汚染獣がである。汚染獣が人間に命乞いをしているのだ。

 ルシフは近くにいた幼生体の頭部を、右足で踏み潰した。

 幼生体の頭部はぺちゃんこになり、小さく痙攣した後、動かなくなった。

 幼生体の群れは鳴いた。必死に鳴いた。

 その鳴き声が、まるで懇願しているように聞こえて、武芸者たちはなんとも言えない気分になった。

 あまりのルシフの残虐な行為に、目を背けてしまう武芸者も少なくなかった。

 やがて、ツェルニの武芸者たちは武器を構えて、動けない幼生体たちにそれぞれ近付いた。

 そして、各々の武器で、幼生体の息の根を止める。

 もう、幼生体の鳴き声は聞きたくなかった。

 

『レイフォン・アルセイフ、母体の始末、完了。

幼生体、全滅。

お疲れ様でした、ルシフ様』

 

「──まぁ、良いストレス解消になったな」

 

 そこにエアフィルターを突き破って、レイフォンが空から降ってきた。

 そして、ニーナの傍に着地すると、そのまま気を失ってしまい、ニーナがレイフォンを抱き抱えるような体勢になっていた。

 汚染獣との戦い、終わってみればツェルニの武芸者たちの圧勝だった。

 ツェルニの武芸者たちは、ルシフの恐ろしさを骨の髄まで染み込ませて、今日を終えた。

 その後、ツェルニの武芸者たちの間で、絶対ルシフを怒らせるようなマネをしないようにという暗黙のルールが生まれた。




この話で、原作一巻の内容は終了となります。

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