鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第66話 魔王の涙

 レオナルトはイアハイムにある自分の家で暮らしていた。嫁と一緒である。ツェルニに行っている間に子どもも産まれたので、赤ン坊もいた。

 暇さえあれば、レオナルトは嫁の腕の中で眠る赤ン坊を見ていた。今日は休養日だったため、朝から嫁と一緒にいた。

 赤ン坊の手を軽くつつくと、指を握ってくる。そんなことが嬉しくて、飽きもせずにずっとやっていた。

 

「全く、いつまでやってるんだい」

 

 嫁が呆れていた。しかし、顔は笑っている。

 

「俺の子が産まれたのが嬉しくてな。見てみろ、将来美人になるぞ」

 

「あたしとあんたの子なんだから、当たり前だろ」

 

 産まれた子どもは女の子だった。別に性別は気にしていなかったから、男の子じゃなくてもとても嬉しかった。

 そんな時、呼び鈴が鳴った。

 レオナルトが玄関の扉を開けると、ルシフが立っている。オムツやら粉ミルクといった日常で使用するベビー用品が入ったポリ袋を右手に持っていた。いつも通り方天画戟も左手に持っている。

 

「お、大将か。どうしたんだ?」

 

「用がないと訪ねてはいけないのか?」

 

「そんなことはねえよ。歓迎するぜ」

 

 レオナルトはルシフを家に招き入れた。

 ルシフはポリ袋を嫁に渡した。

 

「ありがとう。感謝するよ」

 

「別に気にするな。そんなもの、大した価値もない」

 

「価値は関係ないね。その気持ちが嬉しいんだから」

 

「そういうものか」

 

 嫁は赤ン坊を小さなベッドに寝かし、キッチンに行った。

 ルシフとレオナルトはリビングにある椅子に座る。テーブルがあり、ルシフとレオナルトは向き合う形になっていた。

 嫁がキッチンから出てきて、テーブルにお茶が入ったコップを三つ置いた。その後、嫁はレオナルトの隣に座った。

 

「あんた、噂になってるよ。毎日色んな女を抱きまくってるようだね」

 

「事実だな」

 

「どうしちまったんだい? あんたは昔から女好きだが、溺れるように抱くのはあんたらしくない」

 

 嫁は自分と似ていた。嘘が苦手だし、思ったことははっきり言う。似たもの夫婦と周りからよく言われた。

 

「今しか考えずに思いっきり心のまま楽しむ、ということをしたかった」

 

「それで何か収穫はあったのかい?」

 

「毎日楽しかったが、寝る前に一日振り返ると虚しい気持ちになる。何もない。ただ時間が無為に過ぎていっただけだった」

 

 ルシフにしては珍しい発言だった。ルシフはあまり消極的なことは言わない。

 

「大将。いつでもいいぜ、俺は。いつでもあんたのために働く覚悟はできてるよ」

 

「妻の方を取ってもいいんだぞ」

 

 レオナルトは隣に座る嫁を見た。嫁は勝ち気な表情をしていた。元剣狼隊のため、肝は据わっている。男勝りな性格のため、男女どちらからも好かれていた。

 レオナルトはルシフの方に視線を戻し、笑う。

 

「冗談は止めてくれ。俺はこの世界を今より良くしてえと思ってる。子どもには、争いのない世界で生きてほしい」

 

「争いを無くす気はない。争いのない世界は外敵に脆くなる」

 

 ルシフとしては、ただ理不尽な人死にを少なくするだけなんだろう。今まで以上に傷付けあう世界になるかもしれない。それでも、都市間戦争が無くなるのは人類にとって大きな一歩だろう。

 

「武芸者同士で殺し合わなきゃいいさ。俺は、そんなもの実現できないと思っていた。この世界が武芸者同士争い殺し合うようにできているからだ。世界そのもののルールを破壊するなんざ、俺には思いつきもしなかった。だから、俺は今最高の気分で武芸者として生きている」

 

 ずっと生まれた都市で武芸者をやってきた。武芸者は都市の守護者だと教えられ続けた。ずっとそう思って闘った。その日々は今と同じく充実していた。その教えが揺らいだのは、都市間戦争に勝ち相手の武芸者を見た時だった。負けた都市の武芸者が涙を流して都市に引き上げていくのだ。その時に死んだ仲間の死体も担いでいた。恨みのこもった眼をこちらに向ける者もたくさんいた。今思えばあの都市は、所有しているセルニウム鉱山が少なかったのだろう。

 それ以来、武芸者として生きることに疑問を感じた。薙刀ではなく棍を使うようになったのもこの頃からだ。都市の守護者と呼ばれているが、他都市は破滅に導いてもいいのか。それで守護者などと呼べるのか。

 胸を張って武芸者だと、言えなくなった。綺麗事を並べたところで、他都市の破壊者であることに変わりはないのだ。せめて人を殺さない武器で闘うのが、都市の守護者に相応しいと思った。

 そして、生まれた都市の武芸者を辞めて各都市を旅するようになった。自分に与えられた力はどう使えばいいのか、答えが欲しかったのだ。胸を張って自分は武芸者だと言いたかった。そういう心境でたどり着いたのがイアハイムで、ルシフに出会った。

 ルシフに出会い、まずは手合わせをした。ルシフが挑んできたのだ。当然ボコボコにされた。何度も手合わせする内に親しくなり、話をした。

 ルシフの話は正に自分が求めていた答えそのものだった。自分の命をかけて、ルシフの夢の力になりたいと思った。

 

「なあ、大将。あんたは何があっても俺が守る。俺の命にかえても、必ず」

 

「お前は俺におもりが必要だと思うのか? この俺を守るなどと二度と口にするな。お前の命は妻と子に使ってやれ」

 

 レオナルトは嫁と顔を見合わせた。お互いに笑う。確かに嫁と子が一番大切である。だが、ルシフのためなら死んでもいい。そうも思っている。それは嫁も同じだった。今も、剣狼隊に復帰してルシフの力になりたいとよく口にする。まだ産まれたばかりだから駄目だと返すと、嫁は不満そうな表情になる。

 ルシフにはそういう魅力があった。生きている意味、命の価値というものを見いだしてくれる存在だった。ルシフの理想にはどこまでも希望の光が広がっているのである。その礎になれるのなら、いくらでも命を差し出せた。

 

「以前は真っ暗闇にいた。今は違う。見えるんだ、希望の光ってやつが。だからあんたは最後まで生きてなきゃならねえんだ。死んじゃいけねえ人間なんだよ。必ず俺が守ってみせる」

 

「レオナルト。お前じゃ俺を守るなどできんし、必要ない。家族がいるのに、軽々しい言葉を吐くな」

 

 ルシフのこういうところを気にいっていた。なんだかんだ言って、こっちのことを考えてくれる。だからこそ、命をかけて守りたいと思うのである。

 

「……分かったよ。もう口には出さねえ」

 

 そこからルシフと軽く雑談した。

 その最中、念威端子が窓から入ってきた。

 

『ルシフさん、マイさんが家で倒れています。一刻も早く病院に連れていかなければなりません』

 

 ルシフの眼の色が変わった。勢いよく立ち上がり、玄関から飛び出していく。レオナルトも少し遅れてルシフを追った。

 ルシフにはつらい思いをしてほしくない。

 もう見えなくなったルシフの背中を追いかけながら、レオナルトはマイが助かるのを願った。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 マイの負傷。そこには不自然な点があった。

 それは、包丁で切ったのは間違いないが、まな板や食材を用意していなかったこと。包丁を手に取る理由がないのである。

 ならば故意に手首を切ったということになるが、自殺のために切ったとしたら詰めが甘すぎる。風呂に入って身体を温め、血流を良くしてから手首を切らなければ死ぬ確率は低い。今回マイが助かったのは死ぬ努力が最低限だったからだった。

 そういうことを医者から聞かされた。医者は更に衝動的な自殺をしようとする人間は、心を深く病んでいるとも言った。

 外には出さなかったが、内心ルシフはショックだった。

 マイの心が壊れているのは知っていた。自分に依存しているのも理解していた。しかし、錬金鋼(ダイト)は持っていたから、問題ないと考えていた。それのおかげで、ツェルニでは独りでも何事もなく生活できていたのである。何故今回に限り自殺したのか。今までと何が変わったのか。

 ツェルニに行く前に比べれば、マイ以外の女と会う回数は増えていた。もしかしたら、それが孤独感を助長させたのかもしれない。

 マイの依存を治したいと思っていた。色んな女といれば、愛想を尽かして自分で自身の価値を見つけると思っていた。それでマイから恨まれたり嫌われても仕方ないと覚悟していた。マイが他の男を好きになっても、そっちの方が幸せだと自分を納得させようと思った。

 だが、そのやり方は間違っていたのかもしれない。何か別の方法で依存を治さなければならないが、自分が何か直接やれば依存が悪化する可能性がある。かといって他の人間に頼んでも駄目だろう。以前ニーナやリーリンに頼んだが効果は無かった。

 袋小路に入っていた。自分は天才なのに、何故惚れた女一人救えないのか。何故、どうすれば救えるかさえ思いつかないのか。才がどれだけあろうが、それを生かせなければ無能である。自分は無能なのか。

 頭が痛くなる。頭痛は常にあった。軽い時と重い時があり、大抵は気にならない程度の軽い頭痛だが、たまにひどく痛む時がある。

 ルシフは右手で頭を押さえた。

 

「ルシフさま、どうかしましたか?」

 

 ルシフは振り返る。

 マイが後ろに立っていた。花束を抱えている。左手首には包帯が巻かれていた。

 

「なんでもない」

 

 翌朝ルシフはマイの病室に行き、マイと墓地に来ていた。

 退院する際、医者からは激しい運動や重いものは持たないようにと言われた。血をかなり失っているため、失神などの危険があるからだと。

 ルシフとマイは墓地にある多数の墓に順々に花を供えていく。抱えていた花束はすぐに無くなった。

 最後の一輪を父の墓に供え、ルシフはその前に座った。マイはルシフの後ろで立ったままである。両手を合わせて眼を閉じていた。

 ルシフも眼を閉じた。

 ここにくると思い出す。父との最期を──。

 

 

 

   ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 ──六年前 法輪都市イアハイム 王宮──

 

 

 王と謁見していた。自分の後ろにはレオナルトやエリゴ、ヴォルゼーといった客が百人ほど連なっている。

 周囲は多くの宝剣騎士団がいて、軽く百人を超えていた。

 

「ルシフ、今なんと言った?」

 

「弱い武芸者など必要ない、と言いました。俺の見る限り、この場にいる九割は武芸者に相応しくない」

 

「ガキが何言ってやがる!」

 

 周囲にいた宝剣騎士団が顔を怒りで赤くし、一斉に錬金鋼を抜いた。復元して、襲いかかってくる。標的は自分だけで、後ろにいる連中には攻撃しなかった。

 後ろにいる連中は攻撃態勢にならない。俺が一切手を出すなと事前に言っておいたからだ。俺が選りすぐった連中だが、この都市での扱いは武芸者ではなくただの旅行者だった。

 襲いかかってくる武器を全て両手で弾く。それなりにできるヤツがたまにいたが、大抵は雑魚だった。襲いかかってきたヤツから叩き潰していった。

 襲いかかってきた宝剣騎士団を全員倒したら、王に接近して喉元に右手を突き出した。寸前で止めている。王は顔から汗を噴き出し、必死に身体を引いていた。玉座が傾き後ろに倒れかかっているのを、俺は左手で玉座を掴んで倒れないようにした。

 

「ルシフ……いや、ルシフ君。落ち着こう。とりあえず落ち着いて話し合おう」

 

 王の顔が恐怖に支配されている。情けない。こういう場合でも相手に屈しない強さというものを、王は持つべきだ。

 

「たった一人にいいようにされ、命を握られる。これもあんたを守る宝剣騎士団が弱いからだ。武芸者は強くなければならない」

 

「それは分かった。武芸者である以上、都市から援助もしている。使えない武芸者に援助をするのは、都市民からの税収の無駄遣いでもある。だが、どうやって強い武芸者を選別するのだ? キミが強いと思った者を武芸者にするというなら、公平性を欠くではないか」

 

 王の喉元から右手を引く。左手で玉座を元に戻し、一歩下がった。段差がある手前に立つ。

 王はほうと息をつき、安堵した表情になった。

 

「アレを持ってこい!」

 

 後ろに連なっていた者の一人が黒い塊を手に持ち、段差を上がった。黒い塊を差し出してくる。俺はそれを片手で受け取った。王に見せる。

 

「それは?」

 

「以前俺があんたに言ったことを思い出してください」

 

 王はしばらく唸っていたが、心当たりを思い出したようにハッとした顔になった。

 

「汚染獣の身体の一部か!」

 

「その通りです」

 

 数年前、王に研究のために殺した汚染獣は回収した方が良いと言った。今まで殺した汚染獣はただ廃棄するだけだったのだ。それはもったいない。

 王はあまり乗り気ではなかったが、その研究資金や場所の提供などといった全ての資金をアシェナ家が持つという条件を出すと、喜んで承諾した。アシェナ家の力を削ぐいい機会とでも思ったのかもしれない。父であるアゼルは都市民からとても慕われているため、目障りに感じているのだろう。

 

「手段は問いません。剄でこの塊にヒビを入れることができたら、その者を武芸者と認める。これでどうです?」

 

「成る程、さすがルシフ君。それは名案だ。日時を決め、剄がある全ての者にやらせよう。キミが言い出したのだから、キミが全ての責任をもちたまえ。段取りから指揮まで、キミの好きにやるといい」

 

「分かりました」

 

 俺は謁見の間から出ていった。

 

 

 

 それから三日後、王宮にある宝剣騎士団の訓練場で武芸者の試験を行うことにした。

 黒い塊は拳二つ分くらいの大きさのため、十分な数を揃えられた。

 制限時間は三十秒である。時間をかけなければ成功できないなら、実戦で使いものにならない。

 広い訓練場のため、二十人同時にやった。

 俺は真っ先にやり、黒い塊を木端微塵にした。だが、大抵のヤツは駄目だった。「こんなのインチキだ!」と叫ぶ者もいた。そういうヤツを一人殴ると、叫ぶヤツはいなくなった。

 やがて、父の番がやってきた。

 父は三十秒必死に黒い塊に剄技を叩き込み続けた。終了した時、黒い塊にヒビの一つも入っていなかった。

 訓練場にいる者たちが固唾を呑んで、俺の方を見てくる。子である俺が父にどういう判断をするのか、気になるのだろう。

 

「武芸者失格です、父上」

 

 父が憤怒の形相で俺を睨んでいる。

 

「私から全て奪うか、ルシフ!」

 

 候家という武門に生まれた父は、武芸者として認められるために血を吐くような努力をしたのだ。父にとって武芸者とは、自らの存在価値なのである。

 

「ルシフ、止めて!」

 

 見学にきていた母が立ち上がって悲痛の叫びをあげた。見学席を設け、試験が気になる都市民は好きに見学していいと事前に告知しておいた。

 

「決まりです、父上、母上。アゼル・ディ・アシェナの武芸者の地位は剥奪します」

 

 母が力なく椅子に座りこんだ。父は復元した剣を握りしめている。

 

「私は武芸者では無くなるのだな」

 

「はい。ですが、父上は指導するのが上手いです。アシェナ家には道場もありますし、指導者として第二の人生を生きるのはどうです?」

 

 父は笑みを浮かべた。いつもの父らしくない、力のない笑みだった。

 

「私にとって、武芸者であることが全てだったのだ。剄量の問題で武芸者になれないのなら、私に再起の可能性はない」

 

 ふと、今までの父との日々を思い出した。どんな無理を言おうと、笑って通してくれた。俺のために、アシェナ家の金を湯水のごとく使った。各都市に人を送り、優秀な武芸者をスカウトしてくれた。俺が見込んだ連中のために集合住宅を幾つか買い、住む場所の提供をしてくれた。父、母、使用人、マイ、客たちがよく集まって楽しく食事や話をしていたのは、良い思い出である。

 

「ルシフ、私は信じている。お前が最高の王になることを。お前は私の自慢の息子だからな。だが、力で強引に進めるのが、お前の悪いところだ」

 

 父は剣を首に当てた。

 母の悲鳴があがり、訓練場がざわつく。

 

「それでは痛みが生まれる。最期に私自身の命で、お前にそれを教えよう」

 

 涙が溢れてきた。父はもう死を決断してしまった。何を言っても、父を救うことはできない。

 父は俺の顔を見て、鬼のように険しい表情になる。

 

「王が他人に涙を見せるな。いかなる場合も毅然としていろ」

 

「はい」

 

 それでも涙は止まらなかった。声を出して泣くのだけは必死に堪えている。

 父が優しげな笑みを浮かべた。

 

「ジュリアを、母を頼む」

 

「はい」

 

 父が自ら首を剣で切った。首から血が溢れ、床に倒れる。

 訓練場中から悲鳴が上がった。

 

「あなたは……!」

 

 母の声が後ろから聞こえる。振り返った。涙を流して、俺を睨んでいる。

 

「あなたは魔王よ! どうしてアゼルのことをよく知っててそんなことが出来るの!? もうあなたは私の子じゃありません! さようなら!」

 

 母が走り去っていくのを、俺はただその場で見ていることしかできなかった。

 隣にマイが来た。不安そうに俺の顔を見ている。俺はマイの頬に右手で触り、マイの瞳を覗き込んだ。

 きれいで透き通った青い瞳。この瞳に誓ったのだ、俺は。何があっても全ての都市の支配者になり、全てを管理すると。理不尽な死をこの世界から無くすと。そのためなら、どんな犠牲も覚悟している。

 涙が止まらない。悲しい気持ちにならないのに、涙が溢れてくる。

 

 ──父上。俺はもう二度と涙を見せません。ですが今日だけは、今だけは許してください。

 

 マイから視線を外した。

 周囲にいるヴォルゼー、レオナルト、エリゴといった俺の客たちは、俺の顔を見ては視線を逸らした。

 

「何をしている? 早く死体を片付けろ。試験を再開するんだ」

 

「……いいのか?」

 

 レオナルトが聞いてきた。

 

「早くやれ!」

 

 莫大な剄が訓練場を駆け巡った。レオナルトを睨む。レオナルトは金縛りにあったように動けなくなっていた。

 涙が止まらないが、試験は続けなければならない。

 俺は涙を流したまま、試験を再開した。

 

 

 

   ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 ルシフは立ち上がり、父の墓に背を向けた。

 マイは黙ってルシフの顔を見つめている。

 

「いこうか」

 

「はい」

 

 ここに毎年来て、ルシフは自分が背負っているものを忘れないようにしていた。この墓地にあるほとんどの墓は、自分のせいで死んだ者たちである。

 ルシフとマイは朝の柔らかな日差しに包まれながら、墓地を歩いた。

 

「ルシフさま」

 

「なんだ?」

 

 ルシフは振り返り、マイを見た。

 

「何か良いことでもあったのですか?」

 

「別にないな。何故だ?」

 

「さっきお墓で振り返った時、笑みを浮かべていました。今も笑っています」

 

 ルシフは自分の顔を触った。

 マイが念威端子を展開させ、ルシフの顔を映す。

 確かに自分は笑みを浮かべていた。

 

 

 

   ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 剣狼隊が集まる詰め所。そこにニーナとリーリンはいた。ディンとダルシェナもいる。

 今ここには剣狼隊の小隊長が全員集まっていた。

 エリゴ、レオナルト、フェイルス、バーティン、アストリットはツェルニから顔見知りのため、紹介されるまでもない。

 残りの五人については、ヴォルゼーとサナックはよく知っている。イアハイムに来てから、大抵この二人が案内役のようについた。ヴォルゼーは特によく一緒にいたため、仲良くもなっている。

 残る三人は、顔を見たことがあるという程度の関わりしかなかった。

 茶髪の一部をサイドテールにしている茶色の瞳の少女。腕章はオレンジである。名をプエル・フェ・チェンといった。ダルシェナと仲が良いのか、今は楽しそうにダルシェナと話している。

 次に短い黒髪をしている黒の瞳の男。腕章の色はマゼンタ。赤紫だった。名をハルス・ネイトといった。落ち着かない性格なのか、詰め所の中をぐるぐる歩き回っていた。

 最後は、白髪が交じった頭をオールバックにしている男。五十代か、もしかしたら六十代かもしれない。腕章は灰色。名をオリバ・ヒューイといった。椅子に座って目を閉じている。

 小隊長の年齢層はバラバラのようだった。だが、二十代と三十代が多いようだ。

 

「一体ルシフはイアハイムで何をしたのですか?」

 

 ニーナは訊いた。ずっと気になっていたことだ。

 詰め所の中にいた者全員がニーナを見た。

 

「そうだな。ここにはあの時いなかったヤツもいる。話してもいいかもしれねえな。アストリット、ハルス、オリバさんも聞きてえだろ?」

 

 レオナルトが言った。

 

「兄貴の話なら、喜んで聞くぜ」

 

 ハルスが言った。ルシフを兄貴と呼んでいるようだ。だがハルスの年齢はどう見ても二十代後半で、ルシフより年下ではない。

 

「どうしても話したいとおっしゃるなら、聞いてあげないこともないでしてよ」

 

 アストリットはそう言うが、顔にはっきり聞きたいと書かれていた。ウキウキした表情をしている。

 

「別にわしはルシフ殿の過去に興味はないが、まあ知りたくないわけでもない」

 

「なら、話そう。今からちょうど六年前のことだ。その時大将は武芸者の選別をした。汚染獣の身体の一部を利用してな。汚染獣は雄性二期のものだった。それを傷付けることができたら、武芸者の地位を与える。そういう試験だった」

 

 確かにそれならば、雄性体と闘える武芸者を選別できる。しかし、雄性体と闘える武芸者など多くはいない筈だ。

 

「それで?」

 

「その時イアハイムの武芸者の数は千五百二十七人いた。試験後、武芸者の地位を剥奪されなかった者は八十三人だった。そこに当時武芸者じゃなかった俺たちが試験に合格し、約百人武芸者に加わった。イアハイムの武芸者の数は百八十三人になったのさ。千五百人からな」

 

「そんなに減って大丈夫だったんですか?」

 

 リーリンが訊いた。リーリンはグレンダンの出身のため、武芸者の数が少ないことに不安を感じたのだろう。どの都市にも最低千人くらいは武芸者がいるから、二百人以下というのはあまりに少ない。

 

「戦力的には問題なかった。むしろ今までより圧倒的に強くなった。問題はそこじゃねえ。その試験で武芸者の地位を剥奪された人間の中に、自殺するヤツが多数でてきた。大将の父親も武芸者の地位を剥奪され、その場で首を切って死んだ」

 

 ニーナ、リーリン、ディンは絶句した。アストリットも悲しそうな表情をしている。

 

「何人死んだのですか?」

 

「四百六十四人」

 

「四百六十!?」

 

「ああ。それだけの人間が次の日、一斉に死んでいた。家にある刃物で切って死んだり、首を吊って死んだり、中には一家心中するヤツもいた。多分家族を養っていけないと判断したんだろうな」

 

「だからルシフは信用できないんだ! それだけの人間の死を当たり前のように招いたんだぞ!」

 

 ダルシェナが口を挟んだ。

 それだけの人間を死に追いやったのなら、都市民から嫌われても仕方がないだろう。

 武芸者は幼い頃から武芸者として生きるよう、都市から徹底的に教育される。そうやって生きてきた武芸者が地位を剥奪されれば、他にどう生きていいか分からず死に逃げるというのは十分考えられた筈だ。ルシフとて、武芸者の地位を剥奪すればこうなると理解していただろう。だが、やった。そこにルシフの恐ろしさがあるような気がした。

 

「ダルシェナ、お前も知っている筈だぜ。その後大将は剄を戦闘ではなく都市民の生活に活かせるように力を注いだ。都市開発をしたり、剄を持つ者が肉体労働をした場合、剄を持たない者より給料を多くしたり、剄を持つからこそできる職というものもどんどん作った。郵便配達なんかもそうだな。そうやって武芸者でなくても生きられるよう、大将は最大限の努力をしてきた。死んだ奴らは分かってなかったんだ。武芸者で無くなっても、それはただ剄を持たない人間と一緒になっただけだってことを」

 

 レオナルトが顔を俯けた。

 

「父親が自殺した時、大将は涙を流していたよ。両目から涙を溢れさせて、試験を続けていた。目を真っ赤にして、鬼みたいな形相だった。見ちゃいけねえモンを見ている気がして、直視できなかった。あの日から、俺は大将の涙を一度も見てねえ」

 

 ルシフが涙を流す姿を、ニーナは想像できなかった。父親に死んでほしくなかったのか。なら何故止めなかった。ルシフの力なら、自殺を防げた筈なのに。

 それからは無言の時間が続いた。

 しばらくすると、六角形の念威端子が詰め所に入ってきた。

 

『指揮官室に集まってください。ルシフさまの指示です』

 

 それだけ言うと、念威端子は戻っていった。

 全員が詰め所を出て、指揮官室に向かった。

 途中ですれ違う者たちは一礼したり、挨拶をしたりしてきた。隊長格が集まっているのだ。それくらいは当然だろう。

 指揮官室に入ると、金髪で眼鏡をかけた女性が部屋の隅に立っていた。マイはルシフの机を前にして立っている。後ろ姿だった。

 指揮官室の一番奥、ルシフが背を向けて立っている。ルシフは窓の外を見ているようだ。いつもと違い、黒のマントを羽織っていた。

 その姿を見て、剣狼隊の隊長たちはハッとした表情になった。

 黒のマントを翻らせ、ルシフはこちらに向きを変えた。いつも通り、左手に方天画戟を持っている。

 

「今日がなんの日か知ってるか?」

 

 静かにルシフが問いかけた。


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