鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第67話 血宴

 指揮官室は静まり返っていた。

 ルシフは呆れた表情になる。

 

「なんだ。誰も今日がなんの日か分からないのか?」

 

「ルシフさまの誕生日ってことしか知りませんが……」

 

 マイが言った。今日ルシフが誕生日なのはルシフに気のある女性陣全員が知っていたが、あまりにも個人的なため、それは間違っていると思ったのだ。

 

「その通り!」

 

 ルシフが力強く机を叩いた。その場にいた者たちは叩かれた音にビクッとした。ここで彼らは気付く。ルシフの機嫌がとても良いことに。

 

「今からやるぞ」

 

 マイと剣狼隊の小隊長たちが頷く。ニーナ、リーリン、ディン、ダルシェナ、ゼクレティアは意味が分からず、戸惑いの視線をルシフに向けた。

 ルシフはゼクレティアの前まで歩く。

 

「ラウシュ、今までよくやってくれた。お前のお蔭だ」

 

「なんのことですか?」

 

「お前、王からの監視役だろ」

 

 ゼクレティアの顔から血の気が引いた。ルシフの言う通り、ゼクレティアはルシフに怪しい動きがあれば王にすぐ報告するという役目も与えられていた。

 

「お前のお蔭で王の警戒が甘くなり、色々裏工作しやすかった。

今からクーデターを起こす。玉座に座るべき人間が座り、相応しくない人間は引きずりおろされるのだ。

ラウシュ、お前はどちらに忠誠を誓う? 小心者で度胸のない今の王か? それとも史上最高の能力と強靭な精神力を兼ね備える次の王か?」

 

 ゼクレティアは絶句した。ニーナたちも絶句している。ダルシェナに至ってはあまりのショックで顔面蒼白になっていた。

 正気を取り戻したゼクレティアは片膝を屈し、頭を下げた。

 

「『陛下』にわたしの全てを捧げます」

 

 ゼクレティアがルシフの秘書に立候補したそもそもの理由は、ルシフが憎かったからである。こちらの言い分を一切聞かず、ルシフはゼクレティアから武芸者の地位を剥奪した。だから、自分は有能で使える女であるとルシフに思い知らせてやるために、王のスパイのような役目であっても引き受けた。しかし、いつの間にかルシフへの憎しみは消えていた。ルシフのやったことは正しかったのだと、数年の年月を費やしてやっと自分を納得させることができた。そして今、ルシフの役に立てることが純粋に嬉しくなっている。

 正直ここ一、二年は似たような報告しか王にしていない。

 

「それが正しい判断だ」

 

 ルシフは笑い声をあげ、マントをはためかせて部屋の扉へと歩く。ルシフより先にダルシェナが必死の形相で指揮官室を出ていった。

 

「プエル、ダルシェナを止めろ」

 

「暴力はダメだよ?」

 

「お前が止めれば何もせんさ」

 

 プエルはレストレーションと呟き、錬金鋼を復元。しかし、プエルのどこにも武器らしきものは現れない。それもその筈で、プエルの武器は十指にはめられた指輪だった。指輪には小さく穴が空けられていて、そこに剄を流せば鋼糸が出てくるようになっている。

 プエルは全ての指輪に剄を流し、鋼糸を操る。プエルを中心に蜘蛛の巣のような形で剄が輝いていた。それは扉の外まで、いや、廊下も鋼糸による剄の光で満ちている。

 ルシフたちは指揮官室を出ると、外への扉まで歩く。ニーナやリーリンは他都市であってもクーデターを阻止したいと思ったが、何か良い案があるわけでもないので仕方なくルシフの後ろを大人しく歩いた。

 しばらく歩くと、蜘蛛の巣に捕らわれた虫のような姿で動けなくなっているダルシェナがいた。

 

「くそッ! 私は早く行かなければ! 父上に知らせなければならないのに!」

 

 ダルシェナはプエルの姿を見つけると、怒りに燃えた瞳で睨みつけた。

 

「プエル! 貴様の仕業だな!? 早くほどけ!」

 

「シェナちゃん、落ち着いて。終わったらほどくから」

 

「それじゃダメなんだ! 頼むから私を行かせてくれ!」

 

 プエルは困った様子でルシフの方を見た。

 ルシフはダルシェナに近付く。ダルシェナから怒りの視線を向けられようとも動じない。

 

「お前が行けば、お前の家族は死ぬぞ」

 

 耳元で囁かれた言葉に、ダルシェナの表情は凍りついた。ダルシェナが事前にクーデターがあると伝えれば、当然王は備えるだろう。闘いは避けられなくなり、血が流れる。もはやクーデターの成功は決定的であり、最小限の犠牲で終わらせることが自分の責任だとルシフは思っていた。

 ダルシェナも自分が伝えれば余計混乱して犠牲が増えることに思い至り、もがくのを止めた。下唇を血が伝うほど噛みしめ、涙を浮かべてルシフを睨んだ。

 

「ハハハハハ!」

 

 ルシフはそんなもの意に介さず、楽しげに笑いながらダルシェナの横を抜けた。ずっと待ちわびた時なのだ。ダルシェナにはつらいだろうが、身体の昂りは抑えられなかった。

 ニーナが錬金鋼を復元し、ダルシェナを捕らえている鋼糸を緩めるべく、両手の鉄鞭で攻撃を仕掛ける。これ以上黙って見ていられなかった。ダルシェナに届く直前で、不可視の壁に鉄鞭を防がれた。火花が散り、鉄鞭に衝撃が返ってくる。ニーナは両腕を頭上に弾かれた。驚きながら目を凝らすと、ニーナの前に鋼糸が張り巡らされていた。

 

「鋼糸を攻撃したら、シェナちゃんに衝撃が伝わって危ないよ。だから、止めて?」

 

 プエルは申し訳なさそうに身体を縮こませている。本当にこの人が鉄鞭を止めたのかと疑ってしまうほど、態度が弱々しい。殺気も闘気もまったく感じなかった。その姿に戦意を削がれ、ニーナは鉄鞭を振るう気力がどこかにいってしまった。

 

「あたしもこんなことしたくないけど、でもそれで誰も傷付かないならやらなくちゃいけないから」

 

 ニーナはダルシェナを見る。もう抵抗する気力も失ったようで、鋼糸に身を任せて声も無く涙を流していた。

 ルシフや周りに何を言っても、無駄なのだろう。彼らは目的を見据えて動いているのだから。

 ニーナは自分の無力さに怒りを感じながら、ダルシェナの横を歩いて通りすぎた。

 外に出て、王宮へと歩く。黒装束でマントを揺らめかせるルシフを先頭に、黒装束のマイと赤装束の剣狼隊小隊長たちが続いた。最初はルシフの後ろに続くのはニーナたちも含め三十人程度だった。しかし、ルシフの姿を見た剣狼隊の武芸者が次々に列に加わり、一般人らしき人間も加わってきた。この一般人は民政院の政治家や官僚たちであり、マイがニーナたちを呼んだ際に同時進行で『クーデターを開始する』と彼らに念威端子で伝えていたのだ。

 王宮へと続く大通りを歩き続ける。正面からそれを見たら、とてつもなく荘厳で威圧的であった。方天画戟を持つ先頭の男は迷いのない力強い足取りで、その男に続く者たちも六列に並び規則正しく、ただ正面を見据えて歩いている。まるで王の行進だ。その行進を邪魔すればただではすまない。そう本能的に直感した都市民たちは慌てて道の端に移動し、彼らを見送った。何かこの都市そのものを揺るがすことが起きる。都市民たちはそう思い、みな異様な空気を感じとっていた。

 王宮に来た時、ルシフの後ろには剣狼隊の隊員百人が勢揃いし、ルシフに味方する政治家や官僚も半分以上いた。

 王宮の入り口に番兵が二人立っていた。ルシフが大勢を引き連れた行進をしていても、慌てたりせず落ち着いている。ルシフが番兵たちを一瞥した。番兵二人はルシフを咎めるどころか、頭を下げた。ルシフは方天画戟を持ったまま、王宮に足を踏み入れる。続く者たちも錬金鋼を所持したまま王宮に入っていく。番兵二人もその列の最後尾に加わり、復元した武器を持ったまま王宮に入った。

 

「ルシフ殿! これは一体どういうことです!?」

 

 案内役で以前ルシフについた武芸者が、錬金鋼を復元しルシフの前に立つ。

 ルシフの返答は言葉ではなく、後方のバーティンを一瞥するだけだった。バーティンは頷き、目にも留まらぬ速さで武芸者に接近する。武芸者は一瞬の抵抗すらできずに意識を奪われ、隅の方へと無造作に放り投げられた。

 ここでようやく異常事態と悟った王宮の使用人と官僚が悲鳴をあげて隅に移動し、しゃがんで縮こまった。彼らには一切危害を加えず、謁見の間を目指して行進する。宝剣騎士団の武芸者も、ルシフに立ち向かおうとするのは少数だった。大多数は行進を無抵抗で見送った。ルシフに立ち向かってくる者は剣狼隊小隊長たちが列から進み出て一撃で倒した。ルシフは全く手を下さず、また進む足を一瞬たりとも止めることもない。自分を邪魔するものが何もないかのように、同じ速度で歩き続ける。

 

 

 謁見の間内部は今、王と宝剣騎士団が慌てふためいているところだった。理由は二つ。

 一つ目の理由は今異常に気付いたから。宝剣騎士団にも念威操者がいるが、事前にマイたち剣狼隊の念威操者に脅され無力化されていた。

 二つ目の理由は、緊急時の抜け道など謁見の間にないから。そもそも緊急時の抜け道自体、自律型移動都市(レギオス)においては無意味。都市そのものが檻となるからだ。王宮から脱出したところで安全な場所は無く、力を蓄える時間稼ぎもできない。

 王や宝剣騎士団とは対照的に、官僚たちは何故か落ち着いて直立していた。

 謁見の間が勢いよく開かれる。ルシフが謁見の間に入ってきた。多数の人間も続いて入ってくる。

 

「い、一体何事だね!?」

 

 玉座から立ち上がって玉座を盾のようにしながら、王が言った。ルシフは何も答えない。ルシフの後ろの列を掻き分け、一人の男が前に出てくる。その男は民政院の政治家だった。一枚の紙を広げ、読み上げる。

 

「現王ナール・シェ・マテルナに告ぐ! 貴殿はここ数年政務を押し付け、怠惰に日々を過ごし、王としての責務はまるで果たしておらぬ!」

 

「なっ……!」

 

 王は怒りで顔を紅潮させた。男の読み上げは続く。

 

「今の貴殿に王としての素質と風格無し! よって、貴殿から王の地位を剥奪し、同時にマテルナ家も王家ではなく侯家に格下げとする!」

 

「……な、なんだと!? そうか! 貴様らはこうなることを知っていたな!?」

 

 王は謁見の間に最初からいた官僚たちを睨んだ。官僚たちは口を開かない。ただ王から顔を背けている。読み上げが更に続く。

 

「その点、ルシフは政務によく励み、都市民の生活水準を向上させ、都市の治安を改善、その状態を維持した! その功績はこれまでの王たちの偉業を上回っている! よって、本来ならば現王の死後に次王を即位させるが、特例として現王が健在であっても王の交代を認める! 次王にはルシフ・ディ・アシェナが即位し、アシェナ家を王家に格上げとする! これは民政院の総意であり、決定である!」

 

 読み終えると男は横に歩き、最初からいる官僚たちのところに並んだ。

 王は愕然とした表情でルシフを見た。

 

「何故だ! 何故こんなことをした! お前には政務を任せていたではないか! 王にならずとも、お前が実質的な都市の支配者だった! お前という人間はそれで良かった筈だ!」

 

「何故人は服を着ると思う?」

 

「……は?」

 

「寒さをしのぐ。羞恥心から。職業のシンボル。理由は色々あるが、それは実体があって初めて意味がある。貴様は王の衣を纏っていたが、その衣は透明で誰の眼にも映らなかった。俺はその無意味な衣を剥ぎ取ってやっただけだ。多少は身体も軽くなるだろう?」

 

 ルシフがゆっくりと段差を上がる。

 上がるにつれ、王の顔に恐怖が滲んでいく。

 

「お前は言ったではないか! いつでも私の力になると! その言葉は嘘だったのか!?」

 

「嘘ではない。力にはなるさ。だがそれは……別に貴様が王でなくてもいい」

 

 段差を上がりきり、ルシフは玉座の前に立った。

 

「下りろよ、段差を」

 

「ルシフ、貴様ァ!」

 

 王の後ろにいたミッターが細剣を突き出した。ルシフは方天画戟で払いのける。細剣が弾かれ、床を滑り落ちていく。

 

「ミッター・シェ・マテルナ。貴様はこの俺に言ったな? 『陛下の御前だから跪け』と。同じ言葉を返してやる。王の前だ、跪け」

 

「貴様を王などと認めるものか!」

 

 武器が無くなり、顔が恐怖に支配されていても、口だけは立派である。

 ルシフはミッターの膝に蹴りを入れた。ミッターの膝が曲がる。更に方天画戟の柄で上半身を折り曲げさせた。ミッターは土下座の姿勢になる。

 

「なら、無理やり跪かせるまでだ」

 

 ミッターは屈辱に顔を歪め、両手を力の限り握りしめた。

 方天画戟でミッターを押さえつけたまま、ルシフは王を見据える。段差を下りろと言うように、顎を段差の方にしゃくった。

 王は周囲を見渡す。護衛である筈の宝剣騎士団はミッター以外抗う様子すらみせず、中にはルシフの味方をするかのように列に並んでいる者もいる。ルシフは民政院を味方につけているため、官僚や都市民の支持も得られない。

 王は段差を下りるべく、ゆっくり歩いた。

 ミッターがそれを横目で見た。

 

「父上……」

 

「ミッター、もうよい。私は負けたのだ。民政院の意に従うぞ」

 

 王はルシフを一瞥し、ルシフの横を通りすぎる。

 

「まさか民政院を味方につけるとは……」

 

 通りすぎる瞬間、ルシフに向かって呟いた。

 

「貴様が王になった時と同じことをしたまでだ」

 

 王は明らかに動揺した。

 そもそも、都市民に支持された者を王にするなら、何故民政院などを挟むのか。そのまま選挙で王を選べばいい筈である。そこに民政院を創った者の意図がある。簡単に言ってしまえば、王は次王を生前にある程度決めることができるのだ。金を渡すことで。都市民に悟られないよう続けて同じ侯家から次王が選ばれることはないが、王が親しくしている侯家から王を選ばせれば、結果的に権力を握り続けることができる。

 現王が即位した時、ルシフの父のアゼルは都市民から現王をしのぐ人気があった。しかし民政院は、アゼルは武芸者としての力に乏しいという理由で選ばなかった。

 父は純粋すぎたのだ、とルシフは思う。都市民全員の総意を民政院が体現していると全く疑いもしなかった。どれだけ誠意と仁義を尽くして生きようが、金をちらつかせたヤツには勝てないのである。人間はそういう生き物であり、自分を得させてくれる人間を立てる。それを拒否できるのはごく少数だろう。

 ルシフも民政院に金を渡し、民政院を味方につけた。しかし、民政院などというものには前から虫唾が走っている。

 

 ──貴様だけを叩き潰しはせん。腐りきった民政院も後で叩き潰してやる。

 

 王は段差を下りた。それでミッターも諦めたらしく、方天画戟に抵抗する力が伝わってこない。

 ルシフは押さえつけるのを止めた。ミッターが起き上がり、ルシフをひと睨みしてから段差を下りた。

 ルシフは後ろを振り返る。たくさんの人が整然と並び、ルシフを見ていた。

 ルシフが玉座に座る。並んでいる者は一斉に跪いた。ニーナ、リーリン、ディンは呆気にとられて跪こうとしなかったが、近くの剣狼隊の者に腕を引かれ、数瞬遅れて跪く。

 

「陛下。ご即位、誠におめでとうございます! ルシフ陛下万歳! イアハイムに永遠の繁栄あれ!」

 

「ルシフ陛下万歳! イアハイムに永遠の繁栄あれ!」

 

 跪きながら、全員が何度も復唱した。謁見の間を熱気が包んでいる。

 ルシフは玉座の座り心地を確かめながら、謁見の間を見下ろした。

 

 ──なるほど。ここからの景色は悪くない。

 

 ルシフは立ち上がった。

 

「我、ここに誓う! 諸君らと心を一つにし、力を合わせ、更なる繁栄をイアハイムにもたらすことを!」

 

「我らもお誓いいたします! 陛下と心を一つとし、粉骨砕身して陛下のお力になることを!」

 

「お誓いいたします!」

 

 全員が復唱した。

 

「立て」

 

「ありがとうございます」

 

 全員が跪くのを止め、立った。

 ルシフが段差を下りてゆく。列が左右に真っ二つに割れ、絨毯の道ができた。

 

「マイ」

 

「ここに」

 

 マイが列から一歩前に進み出て、跪いた。

 

「剣狼隊、宝剣騎士団の念威操者を指揮し、『ナールは王位を退き、ルシフが民政院の総意で王に即位した』と都市民全員に伝わるようにしろ」

 

「御意」

 

 ルシフが段差を下りきった。

 

「ヴォルゼー、サナック」

 

「ここに」

 

「お前たちに天剣を授ける。明日朝十時、錬金鋼メンテナンス室にこい」

 

「御意」

 

「ミッター・シェ・マテルナ」

 

「……ここに」

 

「宝剣騎士団から王及び王宮警護任務を外す。代わりに調練の時間の増加と都市内巡回警備の任務を追加する。明日の昼までにシフト、人員配置を決定し、書類にまとめて俺に見せろ」

 

「……御意」

 

「ゼクレティア・ラウシュ」

 

「ここに」

 

「お前を俺の秘書官に任ずる」

 

「はっ」

 

「最初の仕事だ。玉座を今より硬い材質のものにしろ。座り心地が良すぎて怠け者になりそうだ」

 

「御意」

 

「執政官」

 

「ここに」

 

「明日の昼までに、法律に関する全ての書類を持ってこい」

 

「御意」

 

「以上だ」

 

 ルシフは絨毯の道を歩き、謁見の間から出た。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 都市民たちは王の交代に大いに動揺したが、事実を受け入れた後は喜びにわいた。しかし、都市民全員ではない。「こんなことは許されない。ルシフは簒奪者だ」とルシフを非難する者も少数だがいた。その言葉に対し、「民政院の総意で決まったことに異を唱えるのか。民政院は我々都市民の意思そのものだぞ」と他の誰かが返すと、ルシフを非難した者は黙りこんだ。

 その反論は、事前に金を握らせてルシフが言わせたことだった。非難があるのは分かりきっていたため、手を打っていたのだ。自分の即位を悪く言う者に対して、その者たちの方が間違っているという印象を都市民に与える。不思議なもので、初めはそう反論する者は少数だったが、最終的には誰もがその反論を言うようになった。反論を真似しだしたのである。これで非難している者はどんどん口を閉ざし、都市民たちはルシフの即位を祝って至るところで宴を開いて騒いでいた。

 ルシフもまた例外ではない。

 王宮の大広間を貸し切り、剣狼隊、ゼクレティア、ニーナ、リーリンと立食パーティーを開いていた。ダルシェナは参加を辞退しマテルナ家に帰った。ディンもダルシェナに付き添い、参加を辞退していた。

 様々な料理が用意され、取り皿に好きなものを取って食べるため、誰もが満足できるようになっている。飲み物も水からジュース、コーヒー、紅茶、アルコール類と揃えていた。

 食事用のテーブルもあり、椅子も隅の方に置かれている。でかい水差しもあった。三十リットルは入りそうな大きさで、下の方に蛇口がついている。一般人が持ち歩くのはキツいが、剄が使える武芸者にとっては軽く持ち上げられた。

 大広間にいる全員が料理を取り終え、飲み物のグラスを持つ。

 ルシフが全員の前に立った。

 

「お前たちの働きのおかげで、何事もなく上手く進んだ。今日は好きに飲み、食べ、思いっきり楽しもうじゃないか。乾杯!」

 

「乾杯!」

 

 その場にいる全員がグラスを掲げた。そして、グラスの飲み物を飲み干す。大広間に笑い声が響いた。

 料理を取りながら、様々な人と交流する。ニーナは仙鶯(せんおう)都市シュナイバルの武芸の名門の出のため、こういった食事に慣れていたが、リーリンは違った。グラスと料理を持ちながら歩き、食べる時は食事用のテーブルにグラスを置き、料理を食べる。食べ終わった取り皿は使わず、新しい取り皿にまた料理を盛りつける。こういう食べ方に戸惑っていた。ニーナがリーリンと一緒に食べているため、色々教えた。リーリンはすぐに覚え、少し時間が経った頃にはぎこちなさは無くなっていた。

 それをニーナは内心嬉しく思い、大広間に充満する歓楽と歓喜の空気を満喫した。ニーナ自身剣狼隊たちやゼクレティアと様々な話をし、そこから伝わってくる剣狼隊たちやゼクレティアの人間性を感じとった。弱者を救いたいだの、汚染獣の脅威を未来永劫無くしたいといった素晴らしい心意気を持っている。

 

 ──何故そう考える人たちが、ルシフに従うのか。

 

 ニーナから見れば、ルシフは弱者を蔑ろにし、強者を生かす人間である。弱い者は弱いから死ぬと言って、手を差し伸べぬ人間である。武芸者の選別が良い例ではないか。あらかじめ弾き出した武芸者の受け皿を作ってから選別すれば、自殺者は少なかった筈だ。

 ニーナは楽しい気分の中にいながらも、心の底から楽しめていない自分に気付いた。胸にしこりのようなものがあり、楽しい気分に浸る自分を現実に引き上げているような感覚がある。しこりとはすなわち、クーデターの件。ルシフは公には王位の譲渡を受けた者であるが、その実、手を四方八方に回して無理やり即位した。それは誰もが心中で分かっていた。また、無理やり王位を剥奪された前王やダルシェナの気持ちを考えると、楽しい気分にも暗い影がかかってしまうのである。

 

「何故あなた方はルシフに従うのか」

 

 ニーナはアストリット、ヴォルゼー、バーティン、エリゴ、レオナルトに訊いた。

 アストリットとバーティンはニーナに不愉快そうな視線を向けた。言わなければ分からないのか、と眼が言っている。

 

「ニーナ。旦那は不思議な方なんだよ」

 

 エリゴが言った。

 

「どこがです?」

 

「この中にいる全員、最初は旦那を嫌ってたってことさ」

 

 ニーナとリーリンは驚いた。

 アストリットやバーティンはその時を思い出したのか、苦い表情になっている。

 

「特にヴォルゼーは酷かった。昔はヴォルゼーの方が旦那より強かったから、何度も旦那は血まみれにされ、重傷を負わされた。腕や足を飛ばされたこともある」

 

「そんな時もあったわね。あの時は本当にムカついたから。年下が偉そうにヴォルゼーを使いたいなんて舐めた口聞いて、不愉快ったらなかったわ」

 

 アストリットがヴォルゼーに怒りを滲ませた顔を向けた。アストリットは新参の方であるため、その事を知らなかったのだ。

 

「旦那は最初は誰からも嫌われるが、付き合う内に好きになっていく、そういう稀有な方だと思うね。付き合えば付き合うほど良いところが見えてくる。ニーナもそうじゃねえか?」

 

「初対面よりは、好意を感じています」

 

 ニーナは初めてルシフに会った時を思い出した。確かにあの時はルシフに嫌悪感しか抱かなかった。それから接していく内に、ルシフの中に優しさや心の強さのようなものを見つけた。だが、ルシフの傲慢さや尊大な物言い、配慮の無さは今も嫌いだ。ルシフを気に入っているかと訊かれれば、気に入っているが嫌いな部分もある、と答える。

 それから時間が過ぎ、お開きの時がきた。

 ルシフは最初と同じく、前に立った。

 

「明日から、本格的に行動を開始する。その前に一つ言っておく。剣狼隊である諸君らは俺の剣であり、手足であり、頭脳である。つまりは俺の一部だ」

 

 ルシフがナイフを掲げた。肉厚なステーキを切り分ける時に使用するような、切れ味の鋭いナイフである。

 ルシフはナイフで自らの右手の平を横一文字に切った。手の平から血が滴り落ちる。大広間が悲鳴とどよめきの声で埋め尽くされた。

 

「お前たちが傷付くとはこういうことだ」

 

 ルシフは血が滴り落ちる手の平を見せた。大広間がしんと静まる。

 

「剣狼隊の諸君らが傷付けば俺も傷付き、諸君らの内の誰かが死ねば、俺の手足をもがれるも同然である。だからと言って、生きろとは言わん。何度も死地に送り、何度も傷付けるだろう。だが、容易く死ぬな。生きて生きて生き抜け。最期まで生ききって死ね」

 

 大広間が熱気と歓声に満ちた。ニーナとリーリンは愕然とその熱気の中にいた。

 

「大将! 今は大将に傷を付けることを許してくれ!」

 

 レオナルトが叫び、ルシフと同じように右手の平をナイフで切った。それを見た剣狼隊が次々にナイフを取り、右手の平を切る。マイもナイフで右手の平を切った。

 剣狼隊全員が手の平を切った後、右手を天に向けて上げた。まるでルシフに見せるようだった。

 

「お前ら、アレに血を入れろ」

 

 血が滴り落ちる多数の手の平を見ていたルシフは、水を入れていた巨大な水差しを指差した。

 剣狼隊は疑問に思いながらも、水差しの蓋を取って血を入れた。水はすでに三分の一程度しか残っていない。百人近くが血を入れても溢れなかった。

 ルシフは水差しにコップを持って近付き、蛇口をひねる。コップに真っ赤な液体が注ぎ込まれた。透明なコップのため、外からも分かる。

 そこでルシフの真意を理解した剣狼隊たちが「あっ」と口にし止めようとするが、一足遅かった。

 ルシフがコップに入った真っ赤な液体を飲み干したのだ。

 ルシフの唇が真っ赤になった。笑みを浮かべる。歯も真っ赤だった。

 

「これでお前らは正真正銘俺の一部になった。お前らが死んでも、俺の血肉として生き続ける」

 

 もしかしたらそれは、たとえ血だけでも共に生きたいという、ルシフの情の深さなのかもしれない。もしくは、自分のために同じように手の平を切った者たちに対して、ルシフなりの感謝と誠意を表したのかもしれない。あるいは、たとえ死んでも、自分はずっと覚えているという覚悟かもしれない。

 剣狼隊全員が身体を震わせていた。

 

「旦那。旦那の血を水差しに入れてもらえないでしょうか」

 

 エリゴが言った。

 ルシフは無言で手の平から流れる血を水差しに入れた。

 エリゴはコップを取り、コップを血水で満たした後、飲み干した。たがが外れたように、剣狼隊全員が水差しに殺到し、コップに血水を注いで飲み干した。当然アストリットやバーティン、プエルといった者たちは飲むのを躊躇ったが、最終的には覚悟を決めて飲んだ。

 飲み干した後、唇と歯が真っ赤になっているのをお互いに指差して笑い合った。

 マイだけは、その血水を飲まなかった。

 

「ルシフさま。右手をお貸しください」

 

 ルシフは右手をマイの方に伸ばし、マイは両手でルシフの右手を掴んだ。顔を近付け、右手の平にある横一文字の切り傷を舐める。丁寧に舐めた後、傷口を吸った。

 ルシフはなんとも言えないような感情に襲われるが、耐えた。マイはそんなルシフの僅かに戸惑っている顔を見て、快感を感じていた。

 マイが右手を離す。

 

「私はルシフさまだけで充分です」

 

 マイはそう言って、妖艶さを感じさせる笑みを浮かべた。

 大広間の熱気はしばらく収まりそうになかった。

 

 

 

 ニーナは走っていた。口を手で押さえている。

 トイレを見つけると迷わず入った。便器に顔をうずめる。

 トイレの便器に向かって、思いっきり吐いた。胃液しか出なくなるまで吐き続けた。

 高貴な家に生まれたニーナにとって、血を飲むあの光景が耐えられなかったのだ。

 

 ──人間ではない。

 

 ニーナは吐き終えた後、そう思った。人間ではない境地に、ルシフだけでなく剣狼隊も立っている。それはつまり、非情なことも躊躇なく実行する強さがあることになる。そんな連中と対面して、話し合いなど意味があるのか。ルシフのやることを正せるのか。

 リーリンが来て、ニーナの背中をさすった。

 ニーナはトイレの扉も閉めていなかった。

 

「ニーナ、大丈夫?」

 

 ニーナは涙が溢れた。リーリンに抱きつき、声を殺して泣いた。リーリンだけが自分と同じ人間であり、自分が狂気に染まらないよう優しく導いてくれる光だった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 パーティーが終わった後、ルシフは父の墓に来た。もう既に辺りは真っ暗である。花は朝供えたため、何も持っていない。

 父の墓の前に座る。

 

 ──父よ。俺は王になったぞ。史上最高の王になれるかどうかは分からんがな。

 

 ルシフは内心で父にそう報告すると、墓を去った。

 墓を去ると、ルシフはアシェナ邸に向かった。

 アシェナ邸、道場、庭に液体を撒き散らしていく。

 そして、敷地外からアシェナ邸に化錬剄で剄を変化させた火を放った。撒き散らした液体は油であり、アシェナ邸は瞬く間に火の柱となった。中にある山のような書物や家財が何もかも灰となる。全財産はカードに移動させているため、金だけは無事だ。

 異常事態に気付いた剣狼隊や都市民たちがアシェナ邸に集まった。火はとても大きかったため、たとえ外縁部でも見えた。

 ルシフは敷地の外で火を眺めていた。今まで過ごしてきた家が無くなる。そこに悲しさはあったが、同時に自分がやろうとしているのはこういうことなのだと再認識した。

 ルシフのところに剣狼隊の面々が集まってくる。誰もが「何故?」と訊きたげな表情をしていた。

 

「気紛れに王になったなどと、思われたくはない」

 

 確かにルシフの言う通り、アシェナ邸が無くなれば、最期までルシフは王として生きるつもりだと都市民は思うだろう。

 ルシフの本心としては、都市民がどう思うかなどどうでも良かった。

 ルシフは今まで自分をルシフたらしめていたものを全て破壊した。人は逃げ道があると弱くなる。こうすることで、ルシフは『王』として生き続けなければならなくなった。また自分がこの先恨まれた時のために、繋がりを全て断っておくことも重要だった。腹いせで害が身内に及ぶかもしれないからである。

 

 ──不死鳥という存在が、転生者の記憶にあったな。

 

 ルシフはふと、そんなことを思い出した。寿命が近づくと炎に身を投じ、灰の中から新たな不死鳥が生まれるのである。

 これも同じだ、とルシフは思った。ルシフ・ディ・アシェナは死ぬが、新たに『王』が生まれる。

 都市民が必死になって火の柱にバケツの水を浴びせている。ホースを持ってきて放水もしていた。

 ルシフはそれでも動かず、火の柱をじっと眺めている。

 背後から、すすり泣く声が聞こえた。

 ルシフが振り返ると、マイや剣狼隊の何人かが涙を流して泣いていた。彼女らはルシフの覚悟を感じ、もう二度と今日までのルシフに会えないんじゃないかと不安と悲しみに支配されているのだ。

 

「何を泣く?」

 

 ルシフがマイに訊いた。

 

「ルシフさまが涙を流されないから、私が代わりに泣いているのです」

 

 ルシフはマイの右頬を左手で撫でた。

 

「今まで言わなかったが、お前は泣き顔も美しいな」

 

 マイはぽっと顔を赤らめた後、顔を軽く俯ける。

 

「私以外の女も同じように褒めるくせに……」

 

 それがマイにとって、ルシフに対する精いっぱいの反撃であった。

 

「確かにお前以外の女も褒めるが、美しいと褒めるのはお前だけだよ」

 

 ルシフにそう言われ、マイは更に顔を赤くして俯いた。ルシフの顔は見えず、地面しか見えない。だから、マイは気付かなかった。燃え盛る火を背後に、優しげな笑みをルシフが浮かべていたことに。


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