「何が起きているか、状況説明しろ!」
交通都市ヨルテムの都市長は念威端子に向かって怒鳴った。
赤装束を着ている者たちが停留所付近で巡回中の武芸者を倒し、そのまま都市中央部に進撃中であると念威操者は都市長に伝えた。襲撃者の数は十一人。
この時点で、都市長は襲撃者の目的が読めずにいた。都市長の在任期間は長く、今回が初めての襲撃ではない。しかし、今回の襲撃は今までと毛色が違っていた。今までの襲撃全て、停留所付近の商人たちから商品を奪い、放浪バスで他都市に逃亡しようとする動きをしていたのだ。だというのに、今回の襲撃は商人には目もくれず、都市の中心を目指している。当然都市深くに入り込めば入り込むほど、武芸者に包囲され逃亡が困難になる。
──襲撃者たちは何を考えておる。
都市の中央部に行けばもっと商人がいるし、高価な商品を扱う店も多く並んでいる。そこへの強奪を考えているのか。
しかし、こちらの武芸者の数は二千を超える。逃げられるわけがない。こういう場合は焦らず、着実に相手を追い詰めるよう指示を出すべきだ。
「交叉騎士団を出動させ、都市中央部の防衛をさせろ! それから、非戦闘員は速やかにシェルターに避難するよう合図を出せ! 外縁部付近の武芸者に誘導と警備をさせる!」
『了解しました』
念威端子が都市長室の窓から去っていった。
時計を見る。ちょうど十一時。
都市長は立ち上がり、窓の外を見た。都市中央部はいつも通りの光景で、襲撃されているなどとは考えられない。だが、視線を外縁部の方に向けると、武芸者たちが慌ただしく外縁部の方に移動しているのが見えた。
サイレンが都市中に響きわたる。都市が攻撃を受けている時になるサイレンの鳴り方。これで、非戦闘員は避難を始めるだろう。
「どこの誰かは知らんが……ヨルテムを襲撃したのを後悔させてやる」
都市長はぎりっと歯を噛みしめた。
◆ ◆ ◆
剣狼隊は放浪バス付近の武芸者を倒した後、散開して都市中央部を目指して移動していた。
サイレンが鳴り響いている。逃げ惑う都市民は多い。巻き込まれないよう、剣狼隊から反対方向に誰もが逃げていた。
エリゴはフェイルスと組み、都市中央部に向かって直進していた。建物が左右に立ち並ぶ大通りで、正面には多数の武芸者。左右の建物の屋上にも銃や弓を使う武芸者たちが、こちらに武器を向けて雨のような激しい攻撃をしている。
エリゴはそれらの攻撃を刀で弾きながら進み、フェイルスは建物の屋上に移動して、建物の屋上にいる武芸者たちを細剣で次々に倒していた。
正面から旋剄で瞬く間に肉薄してくる武芸者たち。それぞれ武器を構え、エリゴに殺意のこもった攻撃を仕掛けてくる。
エリゴはそれらの攻撃を全て刀で受けきり、刀の剄を衝剄に変化させて身体を回転させる。攻撃を仕掛けた武芸者全員衝撃波を食らって吹き飛んだ。
その間に足を前に進めるが、すぐに第二段がきて正面が塞がれる。エリゴは舌打ちした。数が多すぎて、なかなか前に進めない。フェイルスもてこずっているようで、進む速度は自分と同じくらいだった。
エリゴの周囲から一斉に武器を突き出される。それらの武器が、エリゴに届く前に静止した。いつの間にかエリゴの周囲に鋼糸が張り巡らされ、鋼糸が武器に絡みついて動きを封じていた。武芸者たちは誰もが驚愕した表情になっている。
エリゴは口元だけ笑った。
──プエルか。
プエルは遠く離れた場所にいるようだが、念威操者ヴィーネのサポートにより、念威端子を通してこちらが見えているのだろう。
エリゴは跳躍し、動けなくなっている武芸者を後にした。また正面に武芸者が立ち塞がってくる。武芸者の攻撃をカウンターで倒しながら、武芸者たちの僅かな隙間を通って抜いていく。
フェイルスもプエルのサポートでかなり動きやすくなったらしく、進む速度が速くなった。
しかし、向かう方向にはまだまだ多数の武芸者たちがいる。一筋縄ではいかなそうだ。しかも、こちらは殺すことを禁止され、相手は容赦なく殺そうとしてくる。まさに地獄。生き残るためには己の全てを出し切らなければならない。
そんな絶望的な状況が、エリゴは心地よかった。ルシフの言っていることは理想と綺麗事にすぎない夢物語だと、言う者は多くいるだろう。だが、だからこそそれを全力で実現しようとするルシフに魅力を感じるのだ。命をかけても実現してみたい。そんな気分にさせるのだ。
建物の屋上で、フェイルスは弓と細剣を持ちかえながら道を切り拓いている。
それを一瞥した後、エリゴは刀を構えて正面に突っ込んだ。
◆ ◆ ◆
ハルスは大刀を構えて薙ぎ払った。周囲にいた武芸者たちは大刀を各々の武器で防ぐが衝撃は殺せず、背後に吹っ飛んだ。
ハルスも都市中央部に向かって別のルートで直進している。ハルスの隣にはオリバがいて、大きな鎚を振り回して武芸者を倒している。オリバの動きは老年とは思えないほどキレがあり、ハルスはそれを見て自分も負けていられないと思った。
ハルスたちがいるところも大通りの一つであり、商店が多く建ち並んでいる。非戦闘員と思われる民衆が悲鳴をあげて逃げていた。
武芸者は二つの集団があった。民衆を背にし、護衛するように武器を向けてくる武芸者の集団。逃げる民衆には目もくれず、まっすぐハルスたちを殺そうとする武芸者の集団。
ハルスとオリバの眼前には武芸者が一斉に襲いかかってきている光景が広がっている。ハルスは雄叫びをあげた。声に剄を乗せ、大気を震動させて威嚇する。
襲いかかってきた武芸者たちはびくりと身体を一瞬硬直させた。その一瞬の隙を突き、大刀の峰で全員打った。スローモーションのように、武芸者たちはゆっくりその場に崩れ落ちた。
大刀を使っているのに斬ってはならないのはハルスにとって苛ついたが、ルシフの指示なら仕方ない。こういう苦痛に耐えてこそ強い男になれるのだ、と自分に言い聞かせた。
「相変わらず凄まじい一閃よ。敵にしたくない」
オリバが鎚を振り回す腕を止めずに言った。
「俺はあんたと闘いてえな。爺さんのくせにそこまで動ける奴はそういねえよ」
「わしはごめんこうむる」
「つれねえよな、あんた」
ハルスは笑い、正面を見据える。
武芸者の集団はハルスとオリバを遠巻きに囲み、出方を窺っている。二人が並の武芸者ではないと理解したらしい。
こうしている間も、武芸者の数はどんどん増えている。左右の建物からこちらに銃や弓を向けている武芸者も多くいた。
ハルスはふと、ルシフの言葉を思い出した。交通都市ヨルテムには二千を超える武芸者がいるという話だ。
ハルスはそれを聞いても、別になんとも思わなかった。こちらの戦力は十人。ならば、一人当たり二百人倒せばそれで問題ないなと思っただけだった。
俺は何人倒した? 三十人くらいか? なら、あと百七十人倒せばノルマ達成か。
突如として、建物の屋上にいた武芸者たちに異変が起こった。身体の自由を何かで奪われたのだ。それがプエルの鋼糸によるものだと気付いた時、二人は視線を一瞬だけ交錯させてすぐに正面に戻した。
ハルスは大刀を下段で構え、オリバは鎚を肩に預けるようにする。
二人同時に地を蹴り、武芸者の集団に飛び込んだ。
◆ ◆ ◆
バーティンとアストリットの間はかなり離れていたが、それでも二人はコンビだった。二人に「コンビか?」と尋ねれば、二人とも「こんなのとコンビなんて組むわけない!」と答えただろう。しかし、実際二人はお互いの存在を意識しながら闘っていた。
バーティンは双銃で遠方の武芸者を撃ち落とし、武芸者が接近したら素早く双剣に持ちかえて倒した。バーティンが倒しそこねた武芸者を、アストリットが後方から撃ち抜く。威力調整はしているため、死にはしない。後方に吹っ飛んで気を失うだけである。
アストリットは殺剄の達人であるため、障害物に身を隠しながら進む彼女をヨルテムの武芸者は捉えられなかった。必然的にバーティンに攻撃が集中するが、バーティンはバーティンで内力系活剄の達人で高速移動を得意としている。バーティンの姿を見た時にはこちらが倒されているという中で有効な攻撃ができる筈も無く、ヨルテムの武芸者は面白いくらい二人に翻弄されていた。
それにバーティンを捉えたとしても、バーティンとの間に鋼糸が一瞬で張り巡らされて武器をことごとく弾かれる。
バーティンは内心でプエルの技量の高さに舌を巻いていた。バーティンの動きとヨルテムの武芸者たちの行動を先読みしなければ、こんな真似はできない。バーティンから見てプエルはどこまでも夢見がちな甘いお嬢さまという印象だったが、改めなければならないようだ。
それはアストリットも同感で、アストリットは内心で何故プエルが小隊長に選ばれたのか理解できなかった。プエルは消極的すぎるのだ。相手を一切傷付けない。相手を拘束するか、相手の攻撃を防ぐ。それしかやらない。そんな甘さで部隊を指揮できるかと心の内で非難していたが、それは間違いだったかもしれないと思った。
ルシフの見る眼は確かだったと、この時ようやく二人はプエルを小隊長として認めた。
二人はどんどん都市中央部に食い込んでゆく。
逃げ惑う非戦闘員を見て、アストリットは顔をしかめた。ひどいことをしているという自覚はあった。だが、これは必要なのだ。誰かが立ち上がらなければ、世界は一向に変わらず、無駄な犠牲を払い続ける。それに、ルシフに比べればこんな痛み、蚊に刺されたようなものだろう。ルシフは常に先頭に立ち、矢面に立たされる。その苦痛に比べれば、こんな痛み耐えなければならない。
アストリットは建物を蹴り上がり、建物の屋上に移動した。
そこで信じられない光景を目にする。
「……あれはなんですの?」
都市中央部、その中心に黒く蠢く集団がいた。それがヨルテムで名高い精鋭中の精鋭──交叉騎士団だと知ったのは、襲撃が終わった後だった。
◆ ◆ ◆
プエルの周囲は念威端子による映像が多角的に投影されている。それぞれ剣狼隊小隊長の周辺の映像であり、プエルがヴィーネに頼んで展開させたものだ。
ヴィーネはプエルの隣に立ち、プエルに尊敬の眼差しを送っている。
ヴィーネは念威操者のため、自分を武芸者から守れない。ヴィーネの護衛としても、プエルは存在していた。
プエルは他の者たちと違い、外縁部付近からほとんど動いておらず、また動こうともしていなかった。
ヴィーネは周囲を見渡す。多数の武芸者が包囲し、二人に向けて何度も武器を振るっている。銃弾、剄弾、剄矢も嵐のごとく放たれているが、不可視の壁に阻まれていた。いや、鋼糸が全ての攻撃を弾き、攻撃を防いでいるのだ。凄まじい音が響き続けているが、二人の周囲はその轟音とは対照的な空間だった。どこまでも静謐だった。
ヴィーネは、まるで自分が別空間の中にいるような錯覚を覚えた。必死に攻撃している武芸者たちは、誰もが悔しさと怒りを滲ませた表情をしている。
「どうしたの? ヴィーちゃん」
プエルはヴィーネの方に視線を向けた。
「……ヴィーちゃん……」
ヴィーネは自分がそう呼ばれたことに照れくさくなったが、悪い気分ではなかった。プエルの方が年下なのだが、ヴィーネはプエルの呼び方に親しみを感じたのだ。
「いえ、別になんでも……」
そう言いつつも、ヴィーネは周りの武芸者が気になり視線を周囲にさまよわせた。
プエルはヴィーネの視線に気付き、合点がいったように一つ頷く。
「怖いよね。もう諦めてくれないかなぁ。お腹がキリキリするよ……」
本当に参ったという表情で、プエルはため息をついた。その間も、何十、何百という武芸者の攻撃を防ぎ、更には他の剣狼隊小隊長たちのフォローもしている。
──とんでもないお方だ。
ヴィーネは信じられないものを見るような眼でプエルを見た。
プエルは鋼糸の設定で鋼糸の先端以外、殺傷能力を無しにしていた。もし殺傷能力を付けていたなら、周囲一面武芸者のバラバラ死体で埋まっているだろう。
プエルはヴィーネがじっとこちらを見ているのに気付き、もじもじし始めた。顔もほんのり赤くなっていく。
「あの、ヴィーちゃん、そんな、見ないで」
「え?」
まるで壊れる寸前のロボットのようなぎこちなさで、プエルがヴィーネから顔を背けた。
そこで、今まで防げていた攻撃がいくつか鋼糸の防御を抜け、ヴィーネとプエルに迫った。
ヴィーネは息を呑み、プエルはしまったという表情で鋼糸を操る。二人に触れる直前でなんとか鋼糸の防御が間に合い、迫ってきた武芸者を弾き出した。
しかし、一度綻びが生まれた鋼糸の結界は、もはや効力を無くしていた。鋼糸と鋼糸のすき間が大きくなり、武芸者はそこを掻き分けて結界の中に踏み込んでくる。もはや静謐な空間は壊れ、剄の奔流と武器が暴れまわる無法地帯となった。
プエルは慌ててヴィーネを抱えた。
「え? プエルさま?」
「よい……しょっ!」
プエルは高く跳躍し、全方位から迫ってきた武芸者の攻撃を回避した。武芸者は武器の刃先を一斉に空中に向け、落ちてきたところを突き刺そうとする。しかし、武芸者の思惑通りにはいかなかった。
プエルは空中で静止した。正確にはプエルの足元に鋼糸があり、鋼糸の上に乗っているわけだが、鋼糸の武器を使う者がいないヨルテムの武芸者は気付かなかった。驚愕した表情でプエルたちを見ている。
ヴィーネは口元を両手で押さえていた。杖を持っているため、口から杖が生えているように見える。
ヴィーネは口元を両手で押さえるのを止めた。プエルの肩にヴィーネのお腹があり、そこを支点として二つ折りされているような体勢になっている。
「プエルさま、これからどうします?」
「逃げるよ!」
言うが早いか、プエルは空中に張り巡らした鋼糸を駆けて、周囲を包囲している武芸者たちから逃げた。
「ええ!? 逃げるんですか!? さっきみたいに鋼糸でかっこよく防いだりしないんですか!?」
「陣を鋼糸で創ってないのにそんなの無理だよ~! だいたい、ヴィーちゃんだって悪いんだかんね! あたしをじっと見つめるから! 鋼糸の操作ミスっちゃったじゃん!」
「わたしのせいですか!?」
プエルは鋼糸を駆け続けた。自分とヴィーネを守ることで精一杯で、もはや他の剣狼隊小隊長のフォローはできていない。バーティンとアストリットは遠く離れたところで、やっぱりプエルはまだまだだわ、とため息をついているのだが、プエルはそんなこと知る由もない。
「隊長、襲撃者二人が逃げていきます! どうします?」
ヨルテムの武芸者たちが隊長のところに集まった。
「ふむ……」
隊長は逃げていく二人の赤装束の女を眺めた。
「いい女だな。特に念威操者じゃない方。あの胸はGカップ以上だ、間違いない」
「……隊長?」
周囲の武芸者が訝しげな視線を向ける。隊長は視線に気付き、咳払いした。
「オホン! えー……逃げている襲撃者二人を捕らえ、徹底的に調べる! 何か危険物を持っているかもしれないからな! 誠に不本意ではあるが……身体の隅々まで調べなならんし、情報を吐かせるために拷問もせんといかんだろう……誠に不本意だがな!」
そこで隊長の考えていることに察しがついた武芸者たちは、にやにやといやらしい顔になる。
「おっしゃる通りであります! すぐさま捕らえ、徹底的に調べ尽くしましょう! ヨルテムの平和のために!」
「ヨルテムの平和のために!」
その場にいる全員が拳を天に掲げた。
逃げていった二人の女を捕らえるため、隊長を先頭に隊列を組み、追いかける。
こんなにも迅速かつ整然と動けたのか、こいつら。隊長は追いかけながらふとそう思った。
ヴィーネは追いかけてくる武芸者たちの顔を見てゾッとした。眼は爛々と輝き、口元には下卑た笑みを浮かべている。ヴィーネはすぐに武芸者たちが何を考えているか悟った。
「プエルさま、ヤバいですよ! あれは野獣の眼光です! 捕まったらあんなことやこんなこと……もしかしたらそんなことまでされちゃうかも……!」
プエルの顔からさっと血の気が引いた。
「そんなのヤダよ~! 初めては好きな人とって決めてるのに~!」
「いるんですか、好きな人?」
「……これから見つけるもん!」
プエルは当てもなく逃げていたわけではない。自分たちの身を守りながらも、鋼糸の結界を行く先に創っていた。
プエルは鋼糸から飛び下り、地面に着地。着地した衝撃がお腹に伝わったヴィーネは「ぐえっ」と声を出す。
プエルはヴィーネの様子に気付かず、再び駆けて鋼糸の結界の中に飛び込む。中に入った瞬間結界が力を発揮し、プエルの後方から追いかけてきていた武芸者たちの侵入を防いだ。武芸者たちは悔しそうに顔を歪め、各々の武器で攻撃してくる。それら全ての攻撃を鋼糸の結界は防いだ。
プエルはヴィーネを地面に下ろす。
「これでなんとかなったかな」
「……」
ヴィーネは無言で口元を押さえ、吐きそうなのを堪えている。お腹も痛く、顔をしかめた。
「ヴィーちゃん、どうしたの?」
プエルが首を傾げた。ヴィーネの中で何かが切れた。
「……別に何も。あと、ヴィーちゃんって呼ぶの止めてもらえます? 周りから親しいとか思われたくないんで」
プエルは目に見えて動揺した。
「え? な、何? 本当にどうしちゃったの?」
「自分の胸に手を当てて考えてみたらどうです?」
「胸に手を……」
プエルは胸に右手を当てた。ついでに豊満な胸も揺れた。ヴィーネも同様に胸に手を当ててみる。悲しいほどに、全く揺れない。何故か、イラッときた。
「あ、もしかして鋼糸の陣を失敗しちゃったことかな。やだな~、ヴィーちゃんのせいなんてもう思ってないよ~。陣の失敗はあたしの実力不足のせい」
ヴィーネがプエルにずいと顔を近付けた。呼吸する息がかかるほど近い。
「ヴィー・ネ・さ・ん」
「……はい?」
「これからはわたしのこと、ヴィーネさんって呼んでくださいね、プエルさん」
「どうして急に冷たくなったの!?」
プエルはヴィーネになんて言葉をかけようか考え、おろおろしている。
ヴィーネはそんなプエルの姿を見て、ふんとそっぽを向いた。そっぽを向いた先では、激しい攻撃を防いでいる鋼糸が耐えず火花を散らしている。
プエルを横目で見ると、まだおろおろしていた。ヴィーネに許してもらおうと四苦八苦している。
──とんでもない人……なんだろうけどなぁ。
全然そう見えないのは、プエルのこの性格のせいだろうか。
プエルがあたふたしている様子が面白いので、ヴィーネはしばらく放っておくことにした。
◆ ◆ ◆
女が無人の野を行くがごとく、優雅に歩いていた。足取りは軽く、今にもスキップしそうなほどに気分が良いのは一目瞭然だった。
女の容姿は長い黒髪を肩の位置で二房にわけ、緩やかな三つ編みにして前に垂らしている。猫のような丸いつり目を光らせ、獲物の味を想像して舌なめずりする女を見て、ヨルテムの武芸者たちは一斉に襲いかかった。
女に近づいた時、風が彼らの一部を打った。ある者は顔を。ある者は腕を。ある者は足を。ある者は胸を。ある者は腹を。まとめて吹き飛び、風に打たれた場所は潰れていた。
武芸者たちの絶叫が響きわたる。女はそれでも笑みを崩さずにいた。焼けつくような痛みに身をよがらせている武芸者たちの横を歩き、その手に持つ武器と呼ぶには装飾過多すぎる偃月刀を地面に滑らせながら、悠々と歩き続ける。
この辺りの避難は済んだらしく、女以外は武芸者しかいなかった。
無機質な建物が立ち並ぶ間の大通り。女を武芸者たちが囲み、女が一歩歩けば武芸者たちも一歩歩く。そのため、いつまでも女と武芸者たちの距離は変わらない。
武芸者たちは女を恐れていた。
女と歩幅を合わせながら、武芸者たちは女を観察した。腰には酒を入れるような銀色のボトルが括りつけられ、着ている赤装束の胸と背中には『ヴォルゼー』と黒糸ででかでかと刺繍してある。
ヴォルゼー……それがこの女の名前か、と武芸者たち全員が理解した。
ヴォルゼーの後方は蟻の大群のごとく、痛みで地面に転がる武芸者で覆い尽くされている。近付けば一瞬で立つこともできない激痛に貫かれ、這いつくばってしまうのだ。
ヴォルゼーは楽しげに青龍偃月刀を見た。
武芸者たちは、ごくりと唾を飲み込んだ。
ヴォルゼーは青龍偃月刀を気に入っていた。その時の衝撃を、ヴォルゼーは運命だったというありきたりで面白みのない表現しかできなかった。
青龍偃月刀を見た瞬間、『わたしを使って!』と雷鳴のように脳天から響いたのだ。
迷いなくヴォルゼーは青龍偃月刀を手に取り、全ての剄を叩き込んだ。今までの錬金鋼と違い壊れず、壊れる気配もなかった。
『どう? すごいでしょ』と自慢気な声が聴こえた。
『ええ、すごいわ』とヴォルゼーは心の内で聴こえた声に答えた。
その日から、ずっと待っていたのだろう。青龍偃月刀とともに闘う時を。世界を、歴史を変える瞬間を。
何故、この武器に惹かれたか。答えは分かりきっていた。この武器の装飾があまりにも素晴らしく、見る者の目を奪い惹き付けるからだ。当然、それを扱う自分の姿も強く印象に残る。ヴォルゼーは自身を青龍偃月刀に重ね合わせていた。自分と同じで装飾過多だ。必死に人の目を引こうと、少しでも長く人の心に残ろうときらびやかに着飾る。
ヴォルゼーは青龍偃月刀から正面に視線を移した。
いつの間にか都市中央部深くまで入り込んでいたらしい。
ヴォルゼーを囲む武芸者たちの後方から、重装備で身を固めた集団が現れた。全員が黒々とした鎧を鳴らし、槍を頭上に掲げながら進んでくる。囲んでいた武芸者は恐れをなしたように左右に広がり、黒鎧の集団はそこを食い破るように前進した。ヴォルゼーと黒鎧の集団が相対する。この黒鎧の集団こそ、ヨルテムにおいて精鋭中の精鋭──交叉騎士団である。
交叉騎士団はエリート意識が強く、都市の治安維持などをする武芸者を見下す傾向があった。また、交叉騎士団は都市内でしか闘わない。汚染獣を発見しても、都市外に出て汚染獣と闘うのは交叉騎士団以外の武芸者であり、外縁部で闘うのも交叉騎士団以外の武芸者である。言ってみれば、交叉騎士団はヨルテムの最後にして最強の矛であり、また最強の盾であった。
「構え!」
交叉騎士団の団長が声を張り上げた。頭上に掲げられている槍が一斉に正面に向けられる。交叉騎士団は騎士式という、槍を構えて集団で突撃する戦法を用いる。
何十、何百という槍の穂先がヴォルゼーに突き出され、陽光が穂先を照らしているため銀色の眩い光が大通りに溢れた。
美しさとは裏腹に、身の毛もよだつ光景であろう。重装備に固めた武芸者の集団は衝剄では吹き飛ばせず、かといって逃げようにも、逃げ場のない移動都市の上である。じわじわと重囲を狭め、圧殺されるのが関の山。
しかしヴォルゼーはそんな恐ろしい光景を見て、笑みを深くした。
頑丈そうな鎧に包まれている。なら、少しくらい強くやっても死なないだろうし、四肢の欠損もしない筈だ。
ヴォルゼーはそう考えた。
交叉騎士団の不幸は、彼らの前に立つ女が彼らを超える実力と攻撃性があったことだった。
ヴォルゼーは青龍偃月刀を構える。
「わたしは剣狼隊最強の武芸者、ヴォルゼー・エストラ。わたしを殺せれば、他の連中も殺せるわよ」
ヴォルゼーは内から込み上げてくるものを感じ、ぐっと堪えた。喉から津波のごとく押し寄せてくるものがある。意を決して飲み込んだが、僅かに口の中に残った。口の端から紅いものが一筋垂れる。
──お願いだからもう少しもってよ。
口の笑みは崩さなかった。
口元を拭い、青龍偃月刀を構え直す。
ここでこの集団を破れば、歴史に自分が加わる。そんな確信がヴォルゼーを貫いていた。歴史を意識して、ヴォルゼーは現在この場所に立っていると言ってもいい。
「突撃!」
黒鎧と地面を楽器に変えて演奏される死の行進曲。聴いた者は恐怖に支配され、立ち向かう気力を奪われ、虫けらのごとく蹂躙される。
しかし、聴いている女は演奏が正しく伝わらないのか、恐怖で逃げようとせず、武器を手放そうとせず、強い抵抗の意思を赤茶色の瞳に宿らせている。
煌めく刃の大群が間近まで迫ってきていた。地鳴りは都市全体を震わせ、鎧がぶつかりあって生まれる音の奔流に呑み込まれる。
──歴史に名を刻みに行きましょう。
ヴォルゼーはその演奏で舞踏するように、軽やかに刃の大群の中に入った。
青龍偃月刀を振るう。穂先が跳ね上げられ、黒鎧の上から叩き込む。うめき声を上げ、ヴォルゼーの周辺にいる黒鎧の武芸者たちが倒れた。
まだ死の行進曲は続いている。ヴォルゼーから離れた場所にいた先頭は向きを変え、槍の穂先をヴォルゼーに向けた。後続も同様にしたため、瞬く間にヴォルゼーは槍の穂先に包囲された。そもそも数で圧殺する戦法。多少の犠牲は計算に入っている。
ヴォルゼーはステップを踏んだ。演奏に応えるダンスを踊る。蹂躙のダンス。青龍偃月刀が弧を描いて振り回され、ヴォルゼーの衝剄で槍が次々と折られ、ヴォルゼーから放たれる化錬剄の鞭が黒鎧を砕き、地面に黒鎧の武芸者たちが転がっていく。
簡単に圧殺できると思っていた交叉騎士団は、予想外の展開に困惑した。女に槍を届かせるどころか、近付くこともできない。すでに地面に転がった黒鎧の武芸者の数は五十を超える。
交叉騎士団は今まで全くと言っていいほど、実戦を経験していなかった。訓練と模擬戦をやって練磨する毎日だった。黒鎧の中から響く絶叫。倒れていく仲間。情け容赦なく痛めつけてくる女の楽しげな表情。振るわれる死神の鎌のようにインパクトのある凶悪な武器。立ち向かう仲間が少なくなっていく状況。
それらは恐怖となって交叉騎士団を蝕み、槍を女に向ける者は徐々に少なくなっていった。槍を錬金鋼に戻すのも忘れ、槍を投げ捨てて女から逃げる者が出てきたのだ。それを見た他の交叉騎士団も次々に槍を投げ捨てて逃げ始める。
今やヴォルゼーが狩る側になっていた。背を向けて逃げる交叉騎士団の背後から、青龍偃月刀を叩き込む。その場に崩れ落ちた。それを横目で見た交叉騎士団はもっと必死に逃げた。都市中央部から離れる方向だ。
逃げたところで、安寧の場所などない。痛めつけられるのが遅くなるだけだと分かっていても、逃げずにはいられなかった。それだけ女が圧倒的かつ容赦が無かった。
ヴォルゼーは追うのを止めた。さっきまで規則正しい行進と動きで見事な音楽を奏でていたのが、今は誰もが適当に音を奏で、演奏ではなく雑音となって耳に入ってくる。
ふと、全員殺したくなった。わたしを殺しにきといて、いざとなったら殺されたくないと逃げる。そんな道理が通るか。
身の内から燃え上がる狂暴性。逃げるヤツも、地面に倒れているヤツも、息があるヤツは全員殺したい。殺して殺し尽くしたい。なんのために自分がここに立っているかさえ、頭から消えた。
ヴォルゼーの元に念威端子が飛んできた。
『ヴォルゼーさま。都市長室まではあと一キルメルもありません。制圧に向かってください』
青龍偃月刀を手に、逃げていく黒鎧の集団を見据えていたヴォルゼーは、念威端子の声にハッとした表情になった。
ヴォルゼーは何度か深呼吸すると、念威端子に向かって手を振った。
「オッケー。ありがと、ヴィーネ」
『いえ』
念威端子はヴォルゼーの頭上に飛び、そこで静止した。ヴォルゼーが歩くのに合わせて、念威端子も動く。
ルシフはヴォルゼーの狂暴性を理解していたため、ヴィーネにヴォルゼーの様子がおかしくなったらフォローするよう、出発前に頼んでいた。
ヴォルゼーは都市長室に向けて歩き続ける。
「あの交叉騎士団が……」
惨状を見ていた武芸者の一人が呟いた。
武芸者たちは交叉騎士団がいるからこそ、圧倒的に強いヴォルゼーの包囲を止めなかった。交叉騎士団と力を合わせて戦えば勝てると信じていたからこそ、戦意を持っていられた。
それなのに、交叉騎士団のこの醜態である。
交叉騎士団の前にヴォルゼーを包囲していた武芸者たちは、交叉騎士団が負けたという事実に戦意を喪失していた。ヴォルゼーが都市長室に向かっていくのを、ただ立ち尽くして見送った。
◆ ◆ ◆
念威端子から伝えられた言葉に、ヨルテムに潜入していた剣狼隊の武芸者たちは歓喜に震えていた。
ここ数年ヨルテムの武芸者として闘い続け、都市長から信頼も勝ち取り、それぞれヨルテムの武芸者を率いる隊長にまで昇り詰めている。実力はとてつもなくあるのだから、都市長の判断は正しい。また全員人格者であったため、武芸者や都市民からとても慕われた。
無論、そうして溶けこむのが彼らがルシフから与えられた仕事だった。自分に共感する武芸者にルシフの思想をそれとなく伝え、協力者にするのも怠らなかった。
それらがついに報われる。
都市制圧の合図は、赤装束の武芸者たちが来ることだったからだ。
念威操者の一部も味方につけ、もし赤装束の人間たちが来たら真っ先に教えるよう言ってあった。
潜入した一人であるレラージは、都市中央部から少し外れた場所の治安維持を任されていた。五十人の隊員がいる。
念威端子が近付いてきた。
『レラージ隊長、襲撃者です。数は十一人。現在は散開し、それぞれ都市中央部を目指して進撃中。ただちに都市中央部に行き、襲撃者を殲滅してください』
「了解した! 今すぐ向かう!」
念威端子はレラージから離れていった。
レラージは率いている武芸者たちを見る。全員顔の血の気が引き、身体を震わせていた。
無理もない。今まで育ち、守ってきた都市を裏切ろうとしているのだ。何も感じない方が信用できない。
「お前ら、分かるな。俺たちは、ヨルテムの犠牲者を一人でも少なくするため、襲撃者に力を貸すんだ。遅かれ早かれ、必ずヨルテムは制圧される。あと、絶対に都市民は殺すなよ」
震えながらも、武芸者たちは頷いた。
レラージ隊は移動を開始する。他の武芸者の一隊がレラージ隊の前を横切った。レラージ隊に気付き、彼らが立ち止まる。
「レラージさん、良かった。念威操者の情報では、襲撃者はとてつもない強さらしい。我々だけでは心細いと思っていたところです」
隊長がレラージに親しげに近付いてきた。レラージも近付く。
「がっ……!」
隊長の腹にレラージの拳がめり込んだ。隊長はゆっくりと倒れていく。異常に気付いた武芸者たちは困惑と恐怖が入り混じった表情になる。
「レラージ隊長、あんた……」
武芸者の一人がそう呟いた時には、レラージ隊の全員が動いていた。錬金鋼を復元し、全員を倒す。
「駆けるぞ!」
レラージが叫び、駆け出した。隊員が続く。
今の行為は念威端子に見られているだろう。すぐさま自分が裏切ったという情報が他の武芸者に伝達される。
時間はない。手間取れば手間取るほど、犠牲者は増える。迅速に都市長室を制圧しなければ。
レラージ隊は駆け続ける。
その頃、レラージ隊だけでなく他の隊も次々に裏切っていた。
◆ ◆ ◆
都市長室。
念威端子から様々な情報が休むことなく届けられていた。
『都市南西部、二人の襲撃者に突破されました!』
『都市西部、都市南部、都市北西部も襲撃者に突破され、都市中央部に襲撃者が接近!』
『交叉騎士団の一部が襲撃者一人に敗れ、逃走中!』
『レラージ隊、別の隊を無力化し、都市中央部目指して前進中!』
『サレス隊、ナベリース隊、マルシア隊、フォーカル隊もレラージ隊同様別の隊を無力化し、都市中央部目指して前進中!』
『交叉騎士団の一部、今度は襲撃者二人に敗北! 襲撃者の進撃を止められません!』
「ええい! 一体何がどうなっておる! たかが十人程度にいいようにされおって! それと、レラージ、サレス、ナベリース、マルシア、フォーカルが仲間を倒してこちらに向かってくるとはどういうことだ!?」
『彼らは襲撃者の圧倒的な実力に屈し、ヨルテムの敵となったのです! 状況から考えて、それしかありません!』
「あり得ぬ! 断じてあり得ぬ!」
都市長は念威操者の言葉を一喝した。
「あの者たちは交叉騎士団より個々の実力は上だ! どんな相手でも臆さず戦う強靭な精神力もあり、何よりヨルテムを愛してくれていた! あいつらがわしを、ヨルテムを裏切るものか!」
『しかし! 現に彼らは味方である武芸者を倒し、ここに向かってきています!』
「何かの間違いだ! そうだ、倒された隊の方がヨルテムを裏切ろうとしていた武芸者なのだ! 彼らはそいつらを裏切る前に倒し、襲撃者たちからわしを守るため、わしのところに向かってきているに違いない!」
『都市長! 早くこの場から避難してください! もうヨルテムが襲撃者の手に落ちるのは時間の問題です!』
「あり得ぬ、そんなことはあり得ぬ」
都市長は都市長室を忙しなく歩き回っている。
「襲撃者はたったの十人程度だぞ。わしには交叉騎士団があり、武芸者の数も二千人以上いる。ヨルテムが落ちるわけがない、落ちるわけが……。そうか、これは夢か。こんな現実、あってたまるか」
都市長は念威操者の声も聴こえなくなっていた。
都市長室の扉が、ノックも無く唐突に開かれる。
赤装束に身を包んだ女二人が乗り込んできた。片方は双剣を握り、もう一方は銃を肩に預けている。
都市長は足をもつれさせながら、窓際まで後退した。身体が壁に当たり、都市長はそのまま力無くずり落ちる。
都市長はチラリと時計を見た。十二時十七分。
「バカな……。このヨルテムが、たった一時間十七分で落ちるとは……」
いや、こんなことはあり得ない。夢なら早く覚めてくれ、早く……。
都市長は近付いてくる女二人を見ながらそう思った。
活動報告に、残りの剣狼隊小隊長五人のキャラ設定をあげました。気になる方はどうぞ。