鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第70話 新時代の幕開け

 都市長にとって、近付いてきた後の女二人の行動は予想外だった。

 都市長まで数歩というところまで近付いたら、女二人が武器を錬金鋼(ダイト)状態に戻したのだ。

 そして、片方の女が都市長に向かって軽く頭を下げた。赤髪をポニーテールにした女の方だ。

 

「手荒な真似をして申し訳ありません。ご安心してください。あなたに危害を加えるつもりは一切ありません」

 

「……何が目的だね?」

 

「この都市を暴威から守ることです」

 

 よくそんな言葉をぬけぬけと言える、と都市長は思った。

 暴威から守る? お前たちこそが暴威そのものではないか!

 都市長はそう言いたかったが、怒らせることを怖れて言えなかった。

 赤髪の女は都市長の心を読んだようで、愛想のいい笑みを浮かべる。

 

「不審に思われるのも仕方ありません。私たちのしたことは、ヨルテムの都市民からしたら決して許されることではないでしょう。しかし、これをやらなければならない理由があったのです」

 

「一体どんな理由かね?」

 

 都市長は立ち上がった。どうやら危害を加えるつもりはないという言葉は本当のようだ。

 

「まず、この映像を観てもらえますか?」

 

 赤髪の女の言葉に反応して、念威端子が都市長室に入ってきた。

 念威端子から映像が展開される。

 初めに旗が映った。どこかで見たことがある旗。都市長は記憶を掘り起こす。確か、武芸の本場として有名なグレンダンの旗だった筈だ。

 次に、一人の美しい少年がグレンダンの武芸者相手に立ち向かっていく映像。いや、立ち向かうという言葉は正確ではない。一人の少年がグレンダンを一方的に蹂躙していく映像というのが、この映像の内容として正しい。最後に、跳躍した少年が武器から凄まじい衝剄を放って化け物を消滅させるところを地上から撮っている映像。化け物を消滅させて地面に着地したところで映像は終わった。

 映像で繰り広げられている戦闘はあまりに現実味がなく、都市長にとってショックを受けるような映像ではなかった。戦闘のレベルが違いすぎて理解できなかったと言ってもいい。

 だが、それでもグレンダンの武芸者たちがとてつもなく強いのは分かったし、そんな彼らを蹂躙できる少年の強さはより際立って映っていた。

 

「この映像が……どうかしたのかね?」

 

「あと数時間後に映像の男がここに来ます」

 

「ヨルテムにこの少年が来ると?」

 

 赤髪の女は頷いた。

 都市長は喉が渇いていく感じがした。グレンダンを蹂躙できる男が、一体なんの目的で?

 いや、分かっている。こいつらがヨルテムを強襲した理由。この映像。最低限しか危害を加えない闘い方。それらは一本の線で繋がる。だが、分かりたくない。それはつまり、自分の地位が失われることを意味しているからだ。

 

「私たちはこの男の臣下です」

 

「……だろうな。どういう男だ?」

 

「力こそが全て、と考えている男です。女好きでもあり、今いる都市の若い女二百人以上、この男の毒牙にかかっています」

 

「絵に描いたような暴君だな」

 

「この男はヨルテムを支配しにいくと言い、先にヨルテムを落としておくから、三、四時間遅れて出発してほしいと私たちが懇願したところ、了承しました。もしこの男がヨルテムを支配しようと攻めこんでいたら、ヨルテムはどうなっていたと思います?」

 

「……考えたくないな」

 

 都市長は映像を観て身震いした。

 刃向かう者は容赦なく痛めつけ、立ち向かう手足を切り落とす。間違いなく地獄絵図となっていただろう。

 

「つまりお前たちは、この男がヨルテムを攻める代わりをして、ヨルテムの犠牲者を最低限にしたということか?」

 

「……時間がほとんど残されていなかったため、話し合いをする余裕がなく、また話し合いをしたところで、都市を渡すなどという選択肢をあなた方が選ぶとも思えませんでしたので、このような凶行を犯しました」

 

 なるほど、と都市長は頷いた。

 確かにあの映像無しにヨルテムを渡すなど考えられないし、攻める前にあの映像を見せたところで、どうせ加工して創られたエンターテイメント作品だろうと思われるのがおちだ。

 ヨルテムを十人程度で攻め落とし、あの映像を見せる。攻め落とした時点でこちらを圧倒できる実力を示せたことになるから、映像を使用したハッタリなど必要ない。映像は真実味を帯び、信じやすくなる。

 

「それで、私にどうしてほしいのかね?」

 

「武芸者たちに抵抗を止めさせてください。それと、私たちの念威操者に、あなた方の念威操者が協力するようにもしてください。ヨルテムを血で染めたくなければ」

 

 赤髪の女の鬼気迫る雰囲気に呑まれ、都市長は赤髪の女の言葉を信じた。

 隣にいる銀髪の女は不機嫌そうな表情を隠そうともせず、舌打ちした。

 それを都市長は、やりたくもないことをやったから機嫌が悪いのだと決めつけた。実際は違う。銀髪の女は赤髪の女の言葉が気に障ったのだ。

 

「分かった。言われた通りにしよう」

 

「助かります。ありがとうございます」

 

 赤髪の女は一礼した。

 

「では、広い部屋を確保しておいてください。そこに映像の男を案内しますから」

 

「ああ。それもやっておく」

 

「では、失礼します」

 

 赤髪の女は都市長室の扉に向かう。

 銀髪の女も赤髪の女をひと睨みしてから扉に向かった。そして、二人は扉から出ていった。

 都市長は力が抜け落ちたように椅子に座りこむ。

 

「私の都市では、無くなるのか」

 

 都市長の両眼から涙が一筋流れた。十年以上大切に守ってきたこのヨルテムが、あんな暴力的な男に奪われる。許せることではなかった。

 

 ──何か手を打たなければ。

 

 そこで都市長はあることを思いつき、念威端子を通じて一人の男と会うことにした。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 バーティンの後ろをアストリットが歩く。

 アストリットは燃えるように赤い髪のポニーテールを睨みつけ続けている。当然のように殺気も放たれていた。

 バーティンは立ち止まる。殺気には最初から気付いていた。アストリットも立ち止まる。バーティンが振り返った。

 

「いい加減にしてくれないか」

 

「よくも……よくもあんな言葉を口にできましたね。ヨルテムを血で染めたくなければ、などと。ルシフさまがそのようなことをするとお思いで?」

 

「……機嫌が悪いのがお前だけだと思うなよ」

 

 バーティンから殺気が溢れ出し、剄の光で身体が輝いた。

 

「ルシフさまの命令でなければ、誰があんなことを言うものか。それに加えルシフさまを男呼ばわりなど、私が内心どれだけ苦痛だったか、貴様に分かるか? いや、分かる筈がないな。分かっていたら、殺気を放って睨まない」

 

「私が怒っているのは、血で染めるという言葉です。ルシフさまからは敵対しているように演技しろと言われましたが、血で染めるという言葉を使うようには言われていません。つまり、その言葉はあなたの心から出てきた言葉です」

 

「アストリット。本気で泣かすぞ」

 

 バーティンの殺気が激しくなり、アストリットは息を呑んだ。

 

「私はあの映像から連想されるイメージを口にしただけだ。それを貴様は、私の本心から出た言葉だと? 我慢にも限界があるぞ」

 

「分かりましたわ。そういうことなら、納得できます」

 

 二人は再び歩き始めた。

 しばらく歩くと、他の剣狼隊小隊長と合流した。全員いる。一人も欠けていないことに、二人は内心喜んだ。

 ヴィーネはヨルテムの念威操者たちにさっきの映像データを渡し終えていたため、現在ヨルテムの至るところでルシフがグレンダンを蹂躙している映像が展開されている。

 その映像を観たヨルテムの武芸者たちは抵抗の無意味さを悟り、戦意を失っていた。

 これこそ、ルシフがグレンダンの蹂躙を映像で記録させていた理由である。ルシフがマイに映像を記録する理由として、グレンダンの分析をするためだと言ったが、それは表向きの理由である。

 そもそも、グレンダンと闘ったことはルシフが一番分かっているのに、何故旗を映像に入れるよう指示を出したのか。何故グレンダンと闘う最初から記録するのではなく、途中からなのか。何故分析すると言っているのに映像が俯瞰的なものではなく、ルシフ中心のものなのか。何故天剣授受者たちを秒殺せず、ある程度の見せ場を与えたのか。分析するための映像としては、欠点がいくつもある。

 ルシフはそもそもグレンダンを分析するつもりなど最初から無かったのだ。記録されていることを意識してからは、ルシフは容赦が無くなり、口数も少なくなる。撮影を終える合図の後は口数も増え、痛めつけるレベルも軽くなる。

 どうすればなるべく抵抗されず、少人数で都市を奪えるか。

 ルシフはずっと考えていた。

 そして、原作知識からグレンダンと確実に闘えるツェルニに行き、グレンダンを蹂躙する映像で戦意喪失させる方法を考えた。いってみれば、グレンダン蹂躙映像は戦略兵器なのだ。都市の重要施設は破壊しないが、戦闘のうえで一番重要な相手の心をへし折る。

 戦意を失ったヨルテムの武芸者は都市長の命令もあり、戦闘を止めた。

 ヴィーネからヨルテムの念威操者に指示が伝わり、そこからヨルテムの武芸者に実質剣狼隊小隊長の指示が届く。

 ヨルテムの武芸者に届いた指示は、掃除だった。ヨルテムの武芸者だけでなく、念威操者、剣狼隊小隊長たちも一緒になって都市全体を隅々まで掃除した。

 シェルターに避難していた非戦闘員も避難解除されたため、シェルターから出てきた。当たり前だが、ヨルテムの念威操者は非戦闘員全員にルシフのグレンダン蹂躙映像を見せた。あと一時間もしないうちにヨルテムに映像の男が来ることも伝えた。

 都市民たちは絶望の悲鳴をあげ、これからヨルテムがどうなってしまうか不安になった。

 放浪バスに乗り逃げようとした商人や旅行者が多数いたが、放浪バスがヨルテムから出ていくのは禁止された。彼らから不満の声があがったが、時間的にもう無理だった。ヨルテムの武芸者や念威操者を納得させ、シェルターに避難していた非戦闘員全員をシェルターから出し、映像を見せるまででかなりの時間が経過していたのだ。もうすぐルシフがヨルテムに到着する時間であり、ルシフからは放浪バスを一台も出すなと指示を受けているため、もし今ヨルテムから放浪バスが出れば、ルシフに見られてしまうかもしれない。

 そうなればルシフは怒り、ヨルテムの都市民が犠牲になる可能性もある。

 そういうリスクを伝え、商人や旅行者には無理やり納得してもらった。都市民など知ったことか、と怒鳴った商人や旅行者もいた。そういう相手には、ルシフが見せしめに出ていった放浪バスを乗っている放浪バスから破壊する可能性もある、と伝えた。怒った商人や旅行者はその言葉で顔面蒼白になり、渋々といった様子で納得した。

 実際にはルシフは見せしめに放浪バス破壊などやらないが、映像のルシフ像しか頭にない商人や旅行者は、この男ならそれもやりかねない、と思ったのだ。

 もうすぐ映像の少年がこのヨルテムに来る。

 ヨルテムにいる住民全員が恐怖に震えながら、その時をただ待つことしかできなかった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 少し時間を遡り、武芸者総出で掃除している頃。

 都市長は都市長室のある立派な建物を出て、ある大きな屋敷に行った。

 屋敷に行くと話が通っていたらしく、すんなり奥の部屋に案内された。奥の部屋にはすでに人がいた。老人だった。

 都市長は老人の向かいの座布団の上に座る。すぐに艶やかな黒髪をした美しい少女が、お茶が入った湯飲みをお盆に載せて入ってきた。湯飲みを二人の前に置いたら、一礼して出ていく。

 都市長は湯飲みを持って、お茶をひと口飲んだ。渋味があるが、嫌な味ではない。

 老人も同様にお茶を飲み、湯飲みを見ながら一つ頷いた。

 

「こんな一商人の家に都市長どのがお越しになるとは、周りに自慢できますな」

 

「これが初めての訪問ではあるまいに」

 

「そうですな。今回で五回目でございますな。そして、決まって難しい品をご注文される」

 

 老人は笑い声をあげた。

 

「何故来たか分かるか?」

 

 老人は眼を細める。

 

「今、ヨルテムを震撼させている情報がございます。とてつもなく強く、容赦のない少年がヨルテムに来ると。先の赤装束の者たちの強襲は、少年に抵抗してヨルテムの犠牲者を出させないためだとか。

となりますと、都市長どのがお求めのお品は、少年を制するもの、でございますか?」

 

「さすが商人。するどい」

 

「私のところに来たということは、表では取り扱えない品物をおもとめになっていらっしゃる」

 

 この老人はヨルテムの中で一、二位を争う大商人であり、金さえあればどんな物も手に入る。他の都市にも支店のような形で売り場を持っており、ヨルテムだけでなく全都市を相手に商売をしている。

 

「男は女好きらしい。男の臣下からの情報だから、まず間違いない。若い女を十人、男の侍女として仕えさせたい」

 

「や、それは、厳しい」

 

「だが、できなくはないのだろう。時間がない。お前しか、用意できる商人は思いつかなかった」

 

 老人は腕組みをした。

 

「確かに用意はできます。ですが、こちらも商売。儲けが無ければ、売れませぬ」

 

「いくらでも、言い値で払おう」

 

「都市長どの、お訊きしたいことが二つあります。よろしいですか?」

 

「言ってみろ」

 

「まず、侍女にした者たちはただあの少年の身の回りの世話をすればよいのですか?」

 

「そうだ。だが、嫌々やってもらうのは困る。仕えるのが嬉しくて仕方ないというような感じで、世話をしてほしい。あとは、休みをもらった日は私のところに一度顔を出してほしい。男がどういうことをしたか、どういうことを考えているか、少しでも情報が欲しい。それを知れば、私も男に気に入られるよう立ち回れる」

 

「なるほど。侍女を与えて、良い待遇を得たいというわけですな」

 

 都市長はむっとした。確かに今の話を要約すればその通りだが、はっきり言われると気分が悪い。

 老人は都市長が不機嫌になったのに気付き、紛らわすように笑った。

 

「どうかお怒りにならないでくださいませ。売る相手の目的を知らねば、売れないのです。人を売るのですから、私は幸せなところに買われてほしいと思うのですよ。大切に育ててきた孫のような者たちが、外道に好き勝手扱われるのは我慢できませぬ」

 

「嬉々として男に仕えれば問題ないだろう。反抗的な態度をすれば、酷いことをされる危険はあるが」

 

 老人は眼を閉じ、数十秒無言になった。老人の考える時の癖なのだ。

 老人はゆっくりと眼を開けた。

 

「まあ、そのことはよろしいでしょう。

では、二つ目の質問にいかせていただきます。都市長どの自ら、女たちを少年に献上しに行かれるのですかな?」

 

 都市長は苦渋に満ちた表情になった。

 

「……無理やり地位を奪われた私がすぐに贈り物をすれば、いらぬ誤解を招こう。お前が渡してほしい。商人ならば、変な勘繰りもされんだろう。一年ほど時間を置いてから、実は私が贈らせたものだと男に言ってもらえばいい」

 

 表面上は柔和な笑みを浮かべているが、老人は内心何やら胸騒ぎがした。

 しかし、ここで都市長の頼みを断るのも、後々面倒になる可能性がある。

 

「分かりました。十人、ご用意しておきます。代金は後日いただかせてもらいます」

 

「分かった。では、私はこれで帰らせてもらう」

 

「お見送りしましょう」

 

 老人は立ち上がろうとする。都市長はそれを右手で制した。

 

「いや、いい。親しいと奴らに思われたくない」

 

「ははあ、そういうことでしたら、私はここでお見送りしましょう」

 

 都市長が出ていく方に老人は身体を向けた。

 都市長は立ち上がり、部屋から出ていく。玄関の扉が開けられる音を聞いて、老人は静かに息をついた。

 扉が再び開き、先ほどお茶を持ってきた少女が入ってきた。湯飲みをもらいにきたらしく、両手にそれぞれ湯飲みを持つ。

 少女はそのまま部屋を出ていき湯飲みを片付けてから、また老人のいる部屋に戻ってきた。老人の向かい──都市長が座っていたところに座る。

 老人は眼を閉じていた。

 

「きな臭い話じゃ。お前も聴いていただろう?」

 

「はい、旦那さま」

 

「わしはあの映像の少年を知っておる。ルシフ・ディ・アシェナという方だ。イアハイムの候家出身で、次期王候補の一人。赤装束の武芸者たちは剣狼隊と言って、少年に絶対の忠誠を誓っておる」

 

 老人は様々な都市に行き、気になった相手を調べることを怠らなかった。そういう人物は後々重要な取引相手になる場合もある。

 

「ですが、赤装束の方たちは映像の少年を快く思っていないように見えます」

 

「芝居だろうよ」

 

「何故対立しているように見せる必要があるのでしょう?」

 

「私たちヨルテムの味方のように感じるだろう? 彼らこそ都市を力ずくで奪った強奪者だというのに、映像の衝撃に全て持っていかれた。彼らのしたことは本来ならば決して許されぬが、今回に限ってはヨルテムの犠牲を減らすための善行と都市民から思われている」

 

「そこまで読んで、ルシフというお方は対立の芝居を?」

 

「善悪が絶対的なものではなく、相対的なものと理解していなければ、こんなことは決して思いつかん。大したお方じゃ」

 

「政治はどのようになさると思われますか?」

 

「もし善政をしようとするなら凡人じゃな。長続きせんから、早々に付き合いを絶つべきじゃ。逆に悪政や暴政をしようとするなら、何年も先を見て行動しておる証拠。大器と呼ぶに相応しいお方じゃろう」

 

「何故悪政をすれば大器となるのですか?」

 

 少女は首をかしげた。

 

「ふふふ、善手がいつも正しいとは限らん。時には、悪手を打たねばならん場合もある。商売と同じでな。悪手を打つべきタイミングで打てることこそ、大器の証よ」

 

「よく分かりませぬ」

 

「これから分かるようになる。お前は賢いが、穢れを知らなすぎる」

 

 少女は無言になり、何やら思案している。老人は眼を閉じたままなので、少女の表情は分からない。

 

「年頃の女を十人用意なさるのですか?」

 

「そのつもりじゃが……正直人選が難しい。軽々しいことはできん、重要な取引じゃ」

 

「わたしが行き、他の女たちの指揮をします」

 

 老人は眼を開け、少女を見る。少女は覚悟を決めた表情をしていた。

 

「……わしはお前を孫娘だと思って育ててきた。お前はよく気がきき、賢明で純真無垢。お前をこのような博打に出したくはない。女は自らの命を資本にして、幸せを勝ち得ねばならん。ルシフさまのもとへ行けば、莫大な幸せを得られるかもしれん。じゃが、幸せなど一滴も無く、貪り食われるだけの人生になるやもしれんのじゃ。そうなっても後悔はないか?」

 

「わたしが選んだことです。後悔は……しないと、思っております。他都市を奪おうと考えるお方がどのようなお方か、知りたくなったのです」

 

 少女は自らの心を探りながら、そう言った。

 老人は真剣な表情で少女を見据える。

 

「ルシフさまを愛せるか?」

 

「旦那さまが愛せと仰せならば、愛す努力をいたします」

 

「純潔を捧げることになるやもしれんぞ」

 

「わたしももう十八。男を知ってもよい年頃です。それに映像で観たルシフさまは、目を奪われるほどお美しい容姿をしておられました。交わっても、嫌な気はしないと思います」

 

「そうか」

 

 少女の両目は潤んで光を放っていた。

 老人は少女の強がりを見抜き、少女の頭を撫でた。

 少女の頬に涙が一筋伝っていく。

 

「お前をルシフさまのところにやることにする」

 

「はい。お元気で、旦那さま」

 

 少女は部屋から出ていった。

 

 ──まるで今生の別れのように言いおる。

 

 老人は再び眼を閉じた。

 

 ──シェーンを守るために、わしも最善を尽くすとしよう。

 

 老人は立ち上がり、部屋を出た。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 放浪バスの中、ニーナは息が詰まる思いをしていた。ルシフから放たれる苛烈で威圧的な剄を全身に浴びているからだ。

 ニーナがルシフのヨルテム行きを知ったのは偶然だった。たまたま外で鍛練していた時に、通りすがりの人々が噂しているのを聞いたのだ。

 ニーナはリーリンと一緒になってルシフに会い、ルシフにヨルテム行きの真意を尋ねた。ルシフは平然とヨルテムを奪うため、と答えた。

 当然だが、ニーナはルシフを怒った。力で他都市を奪うなど、許されることではないと叫んだ。しかしルシフは聞く耳を持たず、ニーナも説得を諦めた。

 その後ニーナは、ルシフに付いていってルシフが非道なことをしようとすれば、何がなんでも止めようと考えた。

 今放浪バスにはニーナ、リーリン、ルシフ、マイ、剣狼隊三十人、ゼクレティアが乗っている。

 ニーナの隣にリーリンがいて、通路を挟んだ座席にルシフが座っていた。

 

「アントーク、マーフェス。一つ、警告しておく」

 

「なんだ?」

 

「俺と剣狼隊、イアハイムの都市民以外の者が一人でもいる場合は、俺に敬語を使え。もし使わなかったら、その場で痛めつける」

 

「何故わたしがお前に敬語など使わなければいかんのだ」

 

「お前の感情はどうでもいい。俺は支配者で、お前たちは支配される側の人間。対等な口をきけると思うな」

 

 ニーナは思わず立ち上がり、通路を挟んで隣にいるルシフを睨んだ。

 

「お前はそういう考えしかできないのか!?」

 

「俺は事実を言っているだけだ。貴様は都市長にため口をきくのか?」

 

 ニーナは立ったまま黙りこんだ。都市長とため口など、今まできいたことはない。ニーナが会った都市長は全員年上だったから、敬語を使うことに違和感は感じなかった。

 しかし、ルシフは年下。今までため口で話してきただけに、敬語で話そうと思えない。

 ニーナは静かに座席に座る。

 ルシフから放たれる苛烈で威圧的な剄は、時間が経つにつれて激しさを増していく。

 そもそもニーナは、ルシフに会った時から違和感を感じていた。ルシフが王になる前と比べて、ルシフの雰囲気がピリピリしているのだ。何かルシフの癪に障ることをすれば即叩き潰されるような、そんな危うさを纏っている。

 

「……ルシフ、知っているだろう? ヨルテムはナルキ、ミィフィ、メイシェンの出身都市だ。力ずくで奪えば、多くの血が流れる。彼女たちに申し訳ないと思わないのか。お前の友人だろう?」

 

「俺に友人はいない」

 

 ルシフが不愉快そうにニーナを睨んだ。放たれる剄が方向性を持ち、ニーナを激しく打つ。唇が震えそうになるのを気力で抑え込み、ニーナはルシフを睨み返した。

 

「剣狼隊十一人を数時間前にヨルテムに送ったらしいが、たった十一人でヨルテムが奪えるはずがない。流れなくてもいい血を流しただけだ。もしかしたら、送った十一人全員今頃殺されているかもしれないんだぞ」

 

「そうだったならば、俺が直々にヨルテムを奪うだけだ」

 

「ヨルテムは治安も良く住みやすそうな都市だった! そんな都市を無理やり奪う必要なんてない! ヨルテムの人々を不幸にするだけだと分からないのか!?」

 

「お前の意見など知ったことか。俺の邪魔をすれば、叩き潰す。お前はそれだけ頭に入れておけばいい」

 

 ニーナは怒りを覚え、ルシフから視線を逸らした。

 邪魔してやる、という思いはさらに強くなった。

 

「ニーナ、ルシフの邪魔はしない方がいいと思う」

 

 隣に座るリーリンが微かな声で言った。

 ニーナはリーリンの方を見る。

 

「何故だ? じゃあお前はヨルテムが蹂躙され、ルシフの都市となることを見て見ぬ振りをしろと言うのか」

 

「忘れたの? ルシフは十人にも満たない人数で、グレンダンを倒したのよ。そのルシフが勝算もないのに、十一人だけ先に戦力を送るなんてすると思う?」

 

「たった十一人に、しかも数時間でヨルテムが陥落すると言うのか。そんなバカげたこと、起こるものか」

 

「それを起こすのがルシフでしょ。わたしはニーナが傷付けられるのを見たくない。ニーナだって分かるでしょ? さっきの言葉は脅しじゃない。本気の言葉だって」

 

 ニーナは唇を噛みしめ、ルシフを横目で一瞥した。再び視線をリーリンに戻す。

 

「屈しないぞ、わたしは。力の恐怖に屈し、正しいと思うことができなくなるのは、わたしにとって死ぬより怖い。わたしがわたしで無くなる」

 

「ニーナ……」

 

 リーリンが心配そうにニーナの顔を見つめた。

 

「きっと何も変えられないのに、どうしてそこまで……」

 

「わたしが、ルシフのやることを間違っていると思うからだ。隊員を正しい道に導くのも、隊長であるわたしの役目だ」

 

 ニーナはポケットからⅩⅦと彫られたバッジを取り出す。ルシフの制服に付いていたバッジ。手の中にあるバッジを見つめ、強く握りしめる。

 ニーナにとって、ルシフはずっと自分の隊員である。自分が責任を持ってルシフに正道を歩かせるべきだ、という使命感を抱いていた。

 放浪バスはヨルテムに到着した。

 ニーナが驚いたのは、以前来た時とヨルテムの雰囲気が一変していたことだ。放浪バスを降りればいつも武芸者が簡単な荷物検査をしに来るのだが、一人も近付こうとしない。

 ニーナが放浪バスを降り、周囲を見渡す。ヨルテムの都市民たちが恐怖に染まった表情でこちらを見ていた。遠巻きに囲むように集まっている。

 ルシフが放浪バスから降りてくると、あちこちから悲鳴が聞こえた。

 ルシフから放たれる剄は尋常ではなく、放浪バスがヨルテムの停留所に入った時から、ヨルテムの武芸者はルシフの威圧的な剄を感じていただろう。

 方天画戟を手に、ルシフは歩き始める。

 ルシフの行く手に赤装束の者たちが十一人、跪いた。レオナルトやエリゴといった、先にヨルテムに攻めに行った者たちだ。

 

「陛下。ヨルテムはこの通り、制圧いたしました」

 

「ふむ、よくやった。俺がいるべき場所に案内せよ」

 

「御意」

 

 赤装束の者たちは立ち上がり、ルシフの前を歩く。ルシフたちはその後ろを付いていく。

 ニーナは信じられない気持ちでいっぱいだった。剣狼隊が圧倒的に強いのは、ツェルニに教員として来た五人でよく知っている。しかし、ヨルテムは交通の要所で大都市なのだ。たった十一人で陥落させる方法が、どう考えても思い付かない。

 

「あ」

 

 リーリンが声を出し、ニーナの肩を叩いた。

 ニーナはリーリンを見る。

 リーリンは通りから少し外れたところを指差した。

 ニーナはリーリンが指差した方に視線を滑らせる。

 そこには念威端子から映像が展開されていた。ルシフが天剣授受者たちを蹂躙している映像。

 ニーナはレイフォンの手で気を失っていたため、ルシフとグレンダンの闘いの子細をこの時初めて知った。

 天剣授受者たちの実力を発揮させながら、痛めつける。ルシフの強さがより際立つ。グレンダンの女王やリンテンスも容赦なく倒しているから、抵抗すれば痛い目に遭わされると思う。

 

 ──まずい。

 

 ニーナの頭の中で、繋がっていくものがある。パズルのピースがどんどんはまり、見えなかった絵が見えてくるような感覚。

 どうやって少人数で都市を奪うのか、ニーナは思いつかなかった。今この瞬間、ニーナは答えらしきものを手に入れた。

 

 ──まずいまずいまずいまずいまずい!

 

 グレンダンはサリンバン教導傭兵団の功績と、今まで都市間戦争をした相手都市の情報から、最強の都市として全都市に認知されている。たとえ知らなかったとしても、あの映像を観ればグレンダンが圧倒的な強さを持っているのが分かる。

 その都市をルシフは、更なる圧倒的な力で何もさせず、一方的に蹂躙した。

 あの映像を観て、蹂躙した男が都市に来ると言われ、都市を守るため立ち向かおうと思える武芸者が果たして何人いるのか。

 

 ──あの映像は、武芸者一万人に勝る。

 

 グレンダン以外の都市は、ルシフの圧倒的な力に刃向かう気力も根こそぎ刈られ、都市を渡すだろう。結果が分かりきっている闘いをしようと思える者はそういない。

 強敵の闘いは他に汚染獣がいるが、汚染獣の襲撃は話が別。汚染獣は人間を食べるため、抵抗を止めても待っているのは死のみ。だがルシフは人間だ。抵抗しなければ、生き延びることができる可能性が高い。

 

 ──グレンダン接近の報を聞いた時、ルシフはここまで考えていたのか……。他都市を奪うための手段として、グレンダンを完膚なきまでに叩き潰すと決めていたのか……。

 

 ニーナは意識を取り戻した時、ルシフに向かって叫んだ。『なんでこんなことをする!?』と。今考えれば、ツェルニを巻き込まずルシフの勢力だけでグレンダンを圧倒したのは、ルシフの強さと恐怖を強調するためだったのだ。

 ニーナは前を歩くルシフの後ろ姿を見る。

 確かにあの映像があれば、最小限の犠牲で都市を奪える。だが、そのためにはグレンダンを徹底的に蹂躙し、グレンダンの犠牲者を多く生み出す覚悟が必要だった。ルシフはその覚悟を決め、見事に誰もが恐れる最強の暴君となった。

 ツェルニでのルシフを知っているニーナは、何故かルシフに怒りと同時に哀れみを感じた。ルシフは誰からも内心恨まれ、罵倒される。悲しい生き方しかできない。

 

 ──こんなのは間違ってる。わたしたちは話し合える。世界を変えたいと思うなら、力ではなく言葉でお互いを理解し、手を取り合って変えていくべきだ。そうして一歩一歩、着実に前に進めばいいじゃないか。それなら、ルシフだって悪者にならずにすむ。隊長として、ルシフを救わなければ。

 

 ニーナは歩く速度をあげた。ルシフの隣にいく。

 

「ルシフ。とりあえずその放つ剄を抑え──」

 

 乾いた音が通りに響き渡り、ニーナは倒れ込んだ。ニーナは右頬を右手で触っている。乾いた音は、ルシフの右手がニーナの頬を平手打ちした音だった。遠巻きに見ていた都市民から悲鳴があがる。

 

「無礼者」

 

 ルシフが倒れたニーナの前に立つ。

 ニーナに方天画戟を突き付け、右手であごをさすった。

 

「王たるこの俺になんという口のきき方か! この女の首をこの戟ではねてやる!」

 

「お待ちください!」

 

 エリゴ、レオナルト、フェイルス、ハルスがニーナを庇うように後ろにやり、方天画戟の前に跪く。

 

「この少女にはしっかり言い聞かせ、二度とこのようなことのないようにいたします。今日はヨルテムが陛下のものとなった良き日。そのような日に、陛下の戟を汚したくありません」

 

「……ふむ。確かに、こんな女の血で戟は汚したくない。どけ」

 

 跪きながら、エリゴたちはどいた。ルシフがニーナに近付き、胸ぐらを掴んだ。

 

「今日は気分が良い。よって、貴様の死は免じてやる。今夜俺のところにきて、その罪を償え」

 

「だれが──!」

 

 ニーナの口を近くにいたアストリットが塞いだ。

 

「お認めなさい」

 

 アストリットがニーナの耳元でささやく。

 口が塞がれているため、ニーナはアストリットを横目で睨むことしかできない。

 

「これ以上の無礼は、あなたの首をルシフさまがはねねばならなくなるのですよ」

 

 アストリットは必死の形相をして、ささやき続けている。

 ニーナの両眼から涙が溢れてきた。悔しさと怒りが、自分の内で荒れ狂っている。

 ニーナは僅かに頷いた。アストリットは両手をニーナの口からどかす。

 

「分かり……ました」

 

 そう言った後、ニーナは下唇を強く噛んだ。唇が裂け、血が溢れている。

 

「それでいい」

 

 ルシフの顔がニーナの耳に近付く。

 

「俺に女を殴らせるな」

 

 蚊の鳴くような小さな声でルシフがそう言い、すぐニーナから離れた。先ほどと同じように歩みを再開する。

 ルシフたちが離れても、ニーナは倒れたまま右頬をさすっていた。真っ赤な手の跡が右頬にできている。

 

「ニーナ、大丈夫?」

 

 リーリンがニーナの両肩を抱いた。

 ニーナの両眼から涙が流れていく。ニーナの眼はリーリンを見ておらず、ルシフの後ろ姿を見ていた。

 ルシフと自分の間には、透明な壁がある。声が届き、触れると思っても、現実は声届かず、触れもしない。

 わたしはこのまま空気のような存在になり、何も変えられないのか。

 そう考えただけで、震えがくる。自分はなんのためにルシフに付いてきたのか。ルシフの間違いを正すために付いてきたのではないのか。たとえルシフに自分を斬らせたくなかったとしても、命惜しさにルシフに屈したのは事実なのだ。

 

「あの男、映像通りのひどい男だ」

「あんな男がヨルテムを支配するなんぞ、悪夢でしかない」

「これでヨルテムは終わりだ。あの男のために絞り取られるだけの都市になってしまう」

「あんな子に手をあげるなんて、本当にサイテーね」

 

 都市民が小声でそう言い合っている。

 ルシフは自分のイメージを壊さないために、あのように苛烈で威圧的な剄を放っているのだと、ニーナはここでようやく気付いた。

 

 ──本当に、悲しい生き方しかできん男だ。

 

「リーリン、心配してくれてありがとう。わたしは大丈夫だ」

 

 ニーナは立ち上がった。リーリンも立つ。

 

「分かったでしょ。ルシフと敬語で話したくなかったら、黙っているべきよ」

 

「嫌だ」

 

「ニーナ!」

 

「わたしの声がルシフに届くまで、わたしは何度でも叫び続けるぞ」

 

 それはニーナの覚悟であった。意地、と言ってもいい。

 ニーナは歩き出した。リーリンはため息をつき、ニーナのすぐ後ろを歩いた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ルシフが案内されたのは、都市長室もある中央部の立派な建物だった。その中に広い部屋があり、イアハイムの謁見の間のように立派な玉座が奥に置かれている。

 ルシフは玉座に座った。

 ルシフ以外の者たちは玉座の正面を空けて左右に並ぶ。剣狼隊だけでなく、ヨルテムの都市長や武芸長といった、ヨルテムの重要人物たちもいる。

 

「ヨルテムの住民情報、税、法、財政、公共施設の管理等、すべての情報を渡してもらおう」

 

「……後で必ず渡します」

 

 ヨルテムの都市長が一歩横に出て、跪いた。これも剣狼隊のルシフへの接し方を見て覚えた礼儀作法である。

 

「ゼクレティア」

 

「はっ」

 

 列からゼクレティアが一歩横に出て、跪く。

 

「情報をもらったら、すべて頭に叩き込め」

 

「御意」

 

 ゼクレティアは頭を下げた後、列に戻った。

 そこで一人の老人が部屋に入ってくる。老人の後ろには白装束を纏った少女たちが十人いた。少女たちは皆顔を俯け、顔ははっきり見えない。

 ルシフは列にいるエリゴやバーティンといったヨルテムを制圧した者たちをちらりと見る。その者たちは全員僅かに首を振った。老人が少女を連れて入ってくるのは予定外、とルシフに伝えたのだ。

 ルシフはそれを見届けると老人に視線を戻した。

 老人は玉座の前で跪き、十人の少女たちも同様に跪く。

 

「なんだ?」

 

「私はベデ・ヘンドラーと申します。商売を生業としている者ですが、今日新たな指導者が立たれるということで、ささやかではございますが、私の方からお祝いの品を献上したく存じます」

 

「ほう、なかなか殊勝な心がけだぞ。それで、祝いの品とは?」

 

 老人は横にどいた。少女たちが十人前に進み出る。その中の一人が他の者より一歩前に出て、深く頭を下げた。後ろの九人も深く頭を下げる。

 老人は跪いたまま、左手を少女たちに向けた。

 

「ここにいる十人の女でございます」

 

「人が『品』とは、さすがヨルテム。商売の中心なだけはある」

 

 ルシフはそう言いつつ、面倒なことになったと思った。

 おそらく制圧した内の誰かがルシフは女好きだという情報を出し、それで女を準備したのだろう。

 だが、力ずくで奪った直後にこのようなことをしてくるのは違和感がある。

 

 ──俺を毒殺するためか。

 

 少女たちの中の誰か、それとも全員が刺客であり、親しくなって警戒しなくなった頃を見計らって、食べ物か飲み物に毒を入れ、俺を殺す。そう考える方がしっくりきた。

 だとすれば、この老人は単なる使い走りだろう。この老人を操る黒幕がいるはずだ。俺が死んで得をする人物……すなわちヨルテムの都市長。

 

 ──俺がヨルテムの都市長なら、こういう手を打つ。

 

 見え透いていてつまらない手だが、ルシフを殺せる可能性がある唯一の手でもある。

 

「ベデと言ったな。一つ、訊きたいことがある」

 

「なんなりとお訊きください」

 

「お前は商人だろう。一人や二人献上してくるなら、まだ話は分かる。だが十人も献上しては、お前にとって多大な損失を出していることになる。商人らしくないのではないか?」

 

「つまり、この十人の女を私から買った者がいて、私はその方の代わりに献上しに来ているのではないかと、そうおっしゃりたいのですね?」

 

「そうだ」

 

 ルシフはヨルテムの都市長を一瞥した。ヨルテムの都市長は顔が青ざめ、唇を震わしている。

 

 ──分かりやすいヤツ。

 

 ルシフは視線を老人に戻した。

 

「陛下、この女たちは私のほんの気持ちにございます。それに、確かに多大な損失ではありますが、そのおかげで陛下が私の品をお買い求めになられる可能性もあるわけでして、必ずしも損失だけということはございません」

 

「お前は誰かの代わりに来たのではなく、お前自身の意思で女を献上しに来たということか」

 

「その通りでございます」

 

 ルシフは玉座から立ち上がり、方天画戟を老人に突き付けた。部屋にいる者たちが息を呑む。老人は方天画戟を突き付けられても涼しい顔をしていた。

 

「もし偽りを言っているなら、首を落とすぞ」

 

「どうぞ、お好きなようになさってください。ですが、私の言ったことは真実です」

 

 ルシフは内心、この老人に好感を覚えた。

 胆力があり、ルシフの殺気に当てられても平然としている。また言動も知性を感じられ、意思を貫き通す強さを持っている。

 明らかに都市長の差し金なのだ、この老人は。

 それでも認めない。

 こういう人間は面白い。

 

「いいだろう」

 

 ルシフは方天画戟を引き、玉座に座る。

 

「お前たち、顔をあげろ」

 

 ルシフの声に従い、少女たちは顔をあげた。

 ルシフは内心とても驚いた。全員が艶やかな黒髪を後ろでひと纏めにしていたのだが、瞳の色から髪型、体格まで、ありとあらゆるものが大体同じなのだ。遠目から見れば、同じ女が十人いるように見えるだろう。もちろん近くで見れば若干の違いがあるが、見分けづらいのは変わらない。

 

「陛下。わたしが女たちの長でございます。何か御用の時は、わたしにおっしゃってください」

 

 一番前にいる少女が言った。

 

「お前の名は?」

 

「シェーンと申します」

 

「シェーン。この場から下がり、隣の部屋で待機していろ」

 

「承知しました」

 

 シェーンは深く頭を下げると、部屋から出ていった。他の少女たちもシェーンと同様にして、部屋から出る。

 

「ベデ、よくやった。後で褒美をやろう」

 

「ありがとうございます」

 

「うむ、下がれ」

 

「失礼いたします」

 

 老人は一礼し、部屋から出ていった。

 ルシフは玉座に座ったまま、部屋全体を見渡した。

 ここから始まるのだ。全自律型移動都市(レギオス)の制圧が。

 ルシフは玉座から立ち上がった。

 

「俺はこれからヨルテムを本拠地とし、全自律型移動都市を我が手中に収める」

 

 ルシフの言葉に、部屋はざわめきで埋め尽くされた。

 そんな雑音、ルシフの耳には入らなかった。

 ルシフは遠くを見ている。

 今頃グレンダンの連中は俺の言葉を真に受け、俺との再戦のために力を蓄えているところだろう。

 今さら情報収集のための密偵を放ったところで遅い。これから先、俺と闘うまで放浪バスはグレンダンに一台も行けないからだ。

 グレンダンと再戦する頃には、世界は何もかも変わっている。

 

 ──さあ、停滞している世界の時を動かそうか。

 

 ここから全自律型移動都市に響かせにいくのだ。破壊と変革の歌を。




これにて『RE作戦開始編』終了です。
次話から『破壊と変革の歌編』始まります。

最後に、ルシフさまに一つだけ言わせてください。ニーナ痛めつけるのほんとやめて。

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