中央広場にヨルテムの全武芸者が集まっている。中央広場に収まりきらず、中央広場の外にも多くの人がいた。
ヨルテムの武芸者は二つのグループがあった。ヨルテムを攻められた際、ヨルテムを裏切ったグループと裏切らなかったグループ。
ヨルテムを裏切ったグループには、ルシフが剣狼隊に裏で命じて褒賞を与えた。表向きの褒賞の理由は、ヨルテムを守りたいという我々の意思を汲み取りよく決断してくれた、というもの。裏切ったグループを指揮していたのは元剣狼隊の人間のため、事情を知っている者が見たら茶番なのだが、こういう茶番が政治には必要なのだ。民は見える部分しか見ない。逆に言えば、見せたい部分を見せ続ければ民をコントロールすることだってできる。
中央広場に多数の台が並べられ、その上に拳大の大きさの黒い物体が置いてある。汚染獣の身体の一部。
ヨルテムの武芸者はそれを困惑した表情で一瞥したあと、周りの武芸者と視線を交わし合っていた。
ルシフが中央広場に設置してある台の上に立つ。台の上に立ったルシフはその場にいる者たちより頭一つ分高くなっていた。
「武芸者の地位を守るのは簡単だ。目の前にある物体にヒビを入れさえすればいい。三十秒の間にな」
武芸者選別が始まった。
中央広場に剄が吹き荒れる。ヒビを入れられる武芸者はやはり皆無に近かった。
剄量が足りなくても技量が高い武芸者のところに置く物体は、剣狼隊がルシフにバレないように置く瞬間だけ指先に剄を凝縮させて事前にヒビを入れた。ヒビが入ってないか確認するため、たとえヒビが入ってなくても全て回収されるのだ。そしてまた台に置いていく。そういう流れだから、できた不正だった。
誰がその条件に当てはまるかは、ヨルテムに潜入していた剣狼隊からリストを密かにもらっていたため、迷うことはなかった。
その不正は当然台の前にいる武芸者は気付いたが、知らぬ振りをした。発覚しても罰せられるのは試験官の剣狼隊である。武芸者にデメリットはない。バレなければバレないで、武芸者の地位を失わずにすむならわざわざ不正を公表する必要はない。
はっきり言ってしまえば、これもルシフの指示である。試験をやる前、剣狼隊にマイの念威端子を使ってそういう指示を出したのだ。剣狼隊はルシフの指示に従い、不正をやっているにすぎなかった。
試験も中盤に差し掛かったが、明らかにイアハイムの時より合格者が多かった。千人終えて、二百人の合格者が出ていた。
「……ちょっと待て」
今の組の試験を始める直前、試験の様子を見ていたルシフが試験を中断した。
タイマーを押す役目をしていた剣狼隊の隊員はタイマーを押そうとした手を止める。
「もう一度回収しろ」
「陛下、それは置く前にもやったではありませんか」
台に物体を置いていた剣狼隊の何人かが顔色を悪くしながら言った。
「少し気になることがある」
「さっきと何も違いなどありません。やっても時間の無駄で、陛下の大切なお時間が失われてしまうだけかと……」
「そんなのどうでもいい。早くやれ」
「……御意」
剣狼隊の数人が回り、全ての物体を回収した。
ルシフは回収された物体一つ一つを確認していく。ヒビが入っている物体が三つ出てきた。物体を置いていた剣狼隊の隊員たちはルシフから顔を背けた。
ルシフは合点がいったように頷く。
「やけに合格者が多いと思ったら……なるほどな、道理で合格者がぽんぽん出ていたわけだ。こんな不正をやっていれば当然だな」
ルシフは物体を置いていた剣狼隊の隊員一人に方天画戟を突き出した。穂先にある両刃の槍が隊員の右肩あたりを貫き、槍の先端が背中を突き破った。周囲から悲鳴があがる。方天画戟が突き刺さっている隊員は激痛で顔を歪めていた。
ルシフは方天画戟を引いた。穂先の槍が抜け、隊員の肩から血が溢れ出す。隊員はその場に膝をつきながら、右肩の傷を左手で押さえた。
「ふざけた真似をするな! ザコを武芸者にしていたところで害しかないのが分からんのか!」
「申し訳……ありません」
ルシフは物体を置いていた他の隊員たちも方天画戟で斬りつけた。横腹を切られた者。胸から斜め一文字に切られた者。太ももを貫かれた者等、そのどれもが重傷でもないが、軽傷でもない傷だった。
試験のために台の前に立っているヨルテムの武芸者は恐怖で顔が青ざめ、眼前で行われている制裁から目を背けられないでいた。
ルシフが合格者が集められている方を見て、舌打ちする。
「本当なら合格者全員再試験したいところだが、それをすれば試験に使う汚染獣の肉片が足りなくなるかもしれん。だから、とりあえず最後まで試験をやり、肉片が残っていたら再試験をやるとする。残っていなければ、不本意だが一時的に不正で受かった奴にも武芸者の地位を与える」
今まで台に物体を置いていた隊員は全員制裁を受けて変更された。制裁を受けた隊員は他の隊員の手を借りながら、中央広場から去り病院に行った。
新たに命じられた隊員が物体を台に置いていく。ルシフがその光景に目を光らせているため、不正はできない。
ヨルテムの全武芸者の選別が終了した。最終的に合格者は約三百三十人で、試験で使用していた汚染獣の肉片もそんなに多く残らなかったため、再試験は中止になった。不合格になった武芸者の大多数が絶望に染まった顔になっている。
試験終了後、ルシフはレラージ、サレス、ナベリース、マルシア、フォーカルの五人を名指しした。
ルシフの前に五人の男女が片膝をつく。
「試験を見ていたが、貴様らは合格者の中でも飛び抜けて優秀なようだな。強襲された際、俺の方に真っ先に味方したところを見ても、物事を大局的に判断する頭もある。よって、俺直属の部隊『剣狼隊』への入隊を許可する」
「ありがとうございます!」
「お前たちの赤装束は数日でできあがるだろう。赤装束を受け取ったら、それを常に着用していろ」
「御意!」
五人は頭を下げる。
五人は元々剣狼隊にいた者なので、再び赤装束を着れることへの喜びを隠しきれず、声にも喜色が含まれていた。
「こんなの納得できるか!」
武芸者では無くなった一人の男が、試験に使っていた台を蹴り飛ばした。周囲の者が驚き、怒鳴った男から少し距離を取った。ルシフは方天画戟を左手に持ちつつ、冷めた目を怒鳴った男に向ける。
「何が納得できないんだ? 弱いヤツが武芸者のままでいられると思ったのか?」
「クソガキがッ! 大人しくしていればつけあがりおって! 俺が一体どれだけの間、このヨルテムを守ってきたと思っている! 俺だけじゃない! 失格になった全員がそうだ! 武芸者に必要なのは強さではない! 都市を守りたいと思う心だ! 俺たちの苦労も分からん若造が、それらしいことを並べて決めつけるな!」
失格となった者のほとんどが内心でその言葉に賛同した。あまりにも情が無さすぎる。今までの働きや武芸者として持ち続けた矜持を加味してもいいだろう。失格した誰もがそう思い、もっと言えと怒鳴った者を心の中で応援した。
ルシフの目が、据わった。威圧的で暴力的な剄が暴れ狂う。剣狼隊全員、ルシフの剄に呑まれて身体を硬直させた。剣狼隊だけではない。その場にいる剄を感じられる者全てがルシフの剄に圧倒された。指一本すら動かすのが困難な緊張に包まれた。
ルシフはその場で右腕を振るう。怒鳴った男の右腕が血を引き連れて舞った。剄を放出して不可視の刃とし、男の右腕を付け根から斬り落としたのだ。男は右肩から噴き出る血を左手で押さえながら絶叫した。中央広場にいた者が一斉に逃げようと走り出す。その進行方向に向けてルシフは再び右腕を振るい、中央広場にあった木の一本を斬り倒した。
目の前で木が斬り倒されたところを見て、逃げ出した者は足を止める。
「逃げたら、その男と同じ目に遭わすぞ」
ルシフが周囲を睨む。中央広場の全員が金縛りにあったように動けなくなった。
ルシフは両膝をついて苦しそうに息を荒げている男に近付いた。男の顔には汗が浮かびあがっていて、恐怖で身体を震わせている。
「貴様は飲食店でマズい飯がでてきたらどう思う? 飲食店を続けてほしいと思うのか?」
男はただ顔を歪めるだけで、何も言葉を発しない。
「答えろよ」
ルシフは右手の人差し指を突き出した。まるで槍のように男の右肩を貫く。男は激痛で悲鳴をあげた。ルシフが指を抜くと、血が衣服を染めあげていった。
「貴様が言っているのはそういうことだ。マズい飯を出す飲食店の店長が『美味い飯を作ることを心掛けています!』と立派なこだわりをもっていたところで、マズければその飲食店になんの価値もない。都市を守る? 笑わせるなよ弱者が! 力無くして都市を守れるものか! 社会において、貴様のような無能な働き者こそ害悪だ! 害だと思ってないところが悪人より
ルシフは方天画戟で男を後方に吹っ飛ばす。男は地面を転がりながら台に突っ込んで動かなくなった。
ルシフはそのまま周囲を見渡す。誰もが息を呑み、ルシフの言葉を待っていた。
「これで武芸者選別試験は終了とする。合格者が減ることはあっても、増えることはない。よく肝に銘じておけ」
ルシフが振り向き、歩き始める。ルシフの前を埋め尽くしていた群衆が割れた。ルシフは人が割れてできた道を歩いて中央広場から出ていった。その陰で剣狼隊の隊員が倒れている男を抱えている。病院にこれから連れていくためだ。
残された中央広場の者はルシフの気分を害する恐ろしさを十分に思い知って、それぞれ去っていった。
◆ ◆ ◆
剣狼隊はルシフと同じく都市長室がある建物の中の部屋をそれぞれ与えられていた。
有事の際に官僚、武芸者が使用する客室だけを集めた階がいくつもあるが、普段は使用していないため空き部屋同然だったのだ。そこを隊員の部屋として割り当てたのである。剣狼隊は今の時点でマイ含め四十二名いるが、全員に一室与えてもまだまだ部屋には余裕があった。
それぞれの階には食堂のような広い部屋もあり、今はそこに剣狼隊の十人程度が集まって再び剣狼隊に入隊した五人の歓迎会を開いた。来ていない剣狼隊の隊員はある三人を除いて都市の警備をしている。
歓迎会では泥酔しない程度に酒も飲んでいた。
少し酔ったのか、再び入隊した五人の顔は僅かに赤くなっている。
「ルシフはどうしちまったんです?」
歓迎会が始まって一時間半が経った頃、レラージがエリゴに尋ねた。入隊した他の四人も気になった話題らしく、談笑するのを止めてエリゴの顔を見る。
エリゴは周囲にいる隊員と視線を交わした。エリゴ以外に歓迎会に参加した隊長はヴォルゼー、フェイルス、プエル、オリバの四人。あとの五、六人はいずれかの隊に所属する隊員が参加していた。
「答えてくれよ! ルシフは反抗的な者に容赦ない性格だが、あそこまですぐ暴力を振るう男じゃなかった。それも剣狼隊でも構わず痛めつけて……。あんたらもルシフに指示されているのだろうが、反抗的な立場を取っている。何がどうなってるんだ?」
「分かった。お前らがイアハイムを追放されてから、何があったか全部話す」
エリゴは話し始めた。彼らがいなくなった後のルシフと剣狼隊の話を。ルシフがイアハイムの王となり、その時イアハイムにいた剣狼隊全員の血が入った水を飲んだことや、ルシフが顔にどちらの手で触れているかで剣狼隊の行動が決まることなど、包み隠さず全てを話した。
話は三十分を超えたが、五人とも真剣に聴いていた。
「そういうことですか」
話を聞き終えた後、五人は納得したように頷いた。
「今の旦那と剣狼隊の関係は旦那が望んでいることだ。俺だって旦那と対立するようなことしたかねえけど、旦那の命令なら従わねえとな」
エリゴの言葉は剣狼隊全員の本音だった。たとえ芝居だとしても、剣狼隊の誰もがルシフと対立するのは苦痛なのだ。願わくば、ルシフと好意的に接したい。だが、今の彼等に許されているのはルシフの悪口を言うことで、ルシフを褒めるような言葉は公では禁止されている。
その場の全員が沈んだ表情になる。
暗くなった場を吹き飛ばすように、再び談笑が始まった。笑い声が室内に響く。
そんな空気の中、プエルはジュースで満たしているコップを両手で持ちながら、今にも泣きそうな顔になっていた。
「プエルさん、どうかしました?」
フェイルスが怪訝に思い、プエルに訊いた。
プエルは弱々しい笑みを浮かべて見せる。
「不合格になった武芸者の人たちのことを考えていたんです。どうか自殺しませんように、って」
今日の試験で約千八百人が武芸者の地位を剥奪されたのだ。イアハイムで多数の自殺者が出たのを思えば、その懸念は当たり前かもしれない。
「実は俺、そのことについて旦那から指示受けてんだよなあ。自殺した武芸者の葬儀金やら遺族への弔慰金を王命で手配しろってよ。まあやるけど、手配すんのは少ねえ方がいいよな」
「……それ、わたしにやらせてくれない?」
ヴォルゼーが少し考える素振りをした後、そう言った。
「ヴォルゼー、俺の仕事取んなよ」
「いいじゃない。別に誰がやったって。わたしたちは同じ剣狼隊でしょ?」
「そりゃそうだけどよ……」
「じゃあ、決まりね」
「くっ、ははははは! 分かった分かった! なら今度飲みに行こうぜ! 一杯おごるわ!」
エリゴは豪快に笑い声をあげた。
「期待して待ってるわね」
ヴォルゼーも笑う。
そんなヴォルゼーを硬い表情でフェイルス、プエル、オリバが見ていた。
歓迎会もお開きになり、与えられた部屋に皆帰っていった。
ヴォルゼーも自分の部屋を目指して廊下を歩いている。
その後ろを赤装束の三人が追いかけてきた。フェイルス、プエル、オリバである。
「ヴォルゼーさん。私たちもさっきの仕事、協力させてくれません?」
フェイルスが言った。
「心配しないで。わたし一人で大丈夫よ」
「あたし、覚悟できてます! ヴォルちゃん一人に背負わせたくない! ヴォルちゃんも大事な仲間だから!」
「プエル……あなたたち、気付いてたの?」
三人は同時に頷いた。
ヴォルゼーはため息をつく。
「試験の不正であそこまでの制裁をルシフ殿はされた。今度の王命での遺族への金のばらまきは、その比ではない。あの制裁がかわいく思えるような重い制裁となるじゃろう」
「……オリバの言う通りよ。この仕事、やれば過酷な制裁を受ける、絶対。だから、わたしだけでいいって言ってるの。そんな制裁、受ける人間は少ない方がいい。ルシフがエリゴを選んだのも、エリゴなら一人でやると考えたからでしょう」
「ですが、あなた一人では信憑性がありません。今回の仕事はとても大がかりなものですから、複数の人間が協力してやったという方が自然に感じませんか?」
「それは、一理あるわね」
フェイルスの言葉は核心を突いていた。確かに、協力してやったという方が芝居っぽくない。本気でやったと都市民に思わせられる。ルシフもそれはよく分かっているのだろうが、首謀者だけ裁けばいいと考えているだろう。王命で動いた人間は一切罰せず、王命を出した人間に全ての罪を被せる筈だ。
だが、複数人が王命を利用してやったという方がより違和感を感じにくくなる。
ヴォルゼーは三人の顔を見た。三人とも真剣な表情をしている。
「分かった。あなたたちがそれでもいいって言うなら、わたしもあなたたちの意思を尊重する。一緒に地獄に堕ちましょう」
三人が力強く頷いた。
「──おかしいって内心思ってたが、そういうことだったのかい」
廊下の陰から声がした。
四人は声がした方に視線を向ける。エリゴが歩いていた。
「わりぃ、気になってお前らをつけた。けど、俺がつけてるのに気付かねえなんざ、よっほど心が乱れてたんだな」
四人は声がでてこなかった。
そんな四人を見て、エリゴは笑みを浮かべた。
「俺も付き合うぜ。地獄で一杯やろうや」
四人は数秒唖然としていたが、微笑へと表情が変化していった。
◆ ◆ ◆
ニーナはアストリットとバーティンに両端を固められ、ルシフの部屋へ連行されていた。ニーナが閉じ込められていたのは普通の客室でベッドや椅子があり、ニーナはベッドに座って大人しくしていたら、アストリットとバーティンが来たのだ。
ニーナは緊張していた。もしかしたらルシフが無理やり身体を求めてくるんじゃないかと考えているからだ。その時は絶対身体を許さない、と心に決めている。
ルシフの部屋に入ると、十人の少女が一礼した。ルシフに献上された少女たちだ。ルシフの部屋はとても広く、リビング、キッチン、ダイニング、大浴場、トイレだけでなく、寝室、書斎の二部屋もある。
少女たちは掃除やら食事の片付けやら家事全般をやっていた。
三人は寝室の扉を開け、中に入ったら扉を閉めた。
寝室にはルシフの他にマイとゼクレティアがいる。部屋の隅の方で立っていた。
二人を見て、ニーナは我知らず息をついた。緊張がほんの少しだけ和らぐ。
「その椅子に座れ」
ルシフがそう言い、ニーナはルシフの前にある椅子に座った。その椅子の下一面に厚めの紙が敷かれている。
ルシフも椅子に座っていて、椅子の周りには女性が使うようなメイクセットがいくつも並べられていた。
アストリットとバーティンはその間にマイの隣に立った。
「動くなよ」
ルシフが指にメイクで使う赤色のクリームを付け、ニーナの顔を触り始める。ニーナは思わず顔を引いた。
「いきなり何をする!?」
「罰ゲームだ。お前の顔を使ってメイクで遊ぶ」
「……はぁ?」
ニーナはルシフが何を言っているか意味が分からなかった。ルシフはこんな子供のようなことを言う男ではない筈だ。
「ただメイクするだけだ。メイクが終わればマーフェスのいる部屋に行けばいい。メイク自体も顔を洗えば簡単に落ちる」
「……本当にそれで終わりなんだな?」
「ああ」
ニーナは納得できなかったが、メイクくらいで終わるなら別にそれでいいと思った。ただ座っているだけで終わる。
「黙々とメイクしていてもつまらんから、無駄話でもしながらやろうか」
ルシフの指が再びニーナの顔に触れ、ニーナの顔に丁寧に赤色のクリームを塗っていく。ニーナは目を閉じた。
「お前は俺に対して、言いたいことがあるようだな」
「ああ、山ほどな。お前は平和だった都市を奪い取り、好き放題にやっている。弱者の気持ちや虐げられる者の気持ちを考えたことが一度でもあるのか?」
「逆に訊くが、俺が何故今好き放題やっているか分かるか?」
「何を言っている? 他人の気持ちが分からないから昼間のような暴政ができるんだ。お前が好き勝手やりたい以外の理由などないだろう」
ルシフはがっかりしたように軽く息をついた。ニーナの顔をメイクしている指は止まらない。
「よく聞けよ、アントーク。俺が暴政をしている理由は六つある。すべて答えてみろ。答えられたら、お前は多少頭が良いと認め、お前の話も少しくらいは聞いてやってもいい」
ニーナは驚いた。
暴政に理由があるのもそうだが、その理由が六つもあるのが信じられない。ルシフは何も考えず私欲に任せて暴政を行ったのではなく、あえて暴政をしたというのか。
ニーナは考える。人に恐怖と怒りを感じさせるような政治のメリットを考える。
「……都市民に恐怖を植えつけて、反抗する気力を無くすためだろう」
「うむ、それが一つだな。あとは?」
「あとは……自分の好きに政治できるから……か?」
「その回答は半分正しいが、半分間違っている。テストなら三角だな。考え直せ」
話している間もメイクは続いている。ルシフはスポンジにアイシャドーのカラーの一つである黒色をつけて、ニーナの顔にぽんぽんとしていく。
ニーナはもう理由が出てこなかった。他人を害するメリットなど、六つもあるわけがない。
ルシフは次に濃い緑色のアイシャドーカラーをスポンジにつけて、ニーナの顔にぽんぽんしていく。
ニーナの額に青筋が浮かびあがった。
「気が散る!」
「我慢しろ。罰ゲームなんだからな」
ニーナは憤然とし、目を開けた。ルシフの顔がすぐ間近にある。目が合った。顔が熱くなっていく。照れくさくなり、顔を少し伏せることで目を逸らした。
ルシフがニーナの顎を右手で掴み、顔を上げさせる。
「勝手に動くな」
「お、お前が近すぎるのが悪い!」
「は? 近づかなければどうやってメイクができるんだ? お前、メイクとかしたことないのか?」
「うるさい! 今のところは必要ないからしないだけだ!」
ニーナは横目で部屋の隅に立つ四人の女を見た。
誰もが面白くなさそうな、敵意を感じる表情をしている。マイに至っては今にも歯ぎしりしそうな表情だ。
ニーナの顔から血の気が引いていく。早くこの時間が終わってほしいと思った。
ルシフはアイシャドーカラーの様々な色をスポンジにつけて、ぽんぽんとし続けている。真剣な表情で。
──なんなのだ、こいつは。
ルシフと出会ってからもうすぐ一年が経つが、未だにどういう男か掴めない。優しい面があれば、冷酷な面もある。大人っぽい面もあるし、年相応の子供っぽい面もある。どれがルシフ・ディ・アシェナという男の本質なのか。
「……もう理由は答えられないのか?」
ニーナはただ黙るしかない。考えているが、出てこないのだ。
「なら、質問を変えよう。何故この部屋にお前以外の四人の女がいるか、分かるか? 簡単な問題だぞ」
ニーナは四人の方を再び見る。これにも理由があるというのか。
彼女らはニーナと視線が合うと、気まずそうにすぐ視線を逸らした。
ルシフは黒色のクレヨンのようなものを取り出し、ニーナの顔に何かを描き始めた。描き終わると、それを消すように指でこする。
「わたしが逃げても捕まえられるように、か?」
「俺から逃げられるとでも?」
「なら、わたしがお前に危害を加えるのを防ぐためか?」
「はっ、貴様なんぞ耳元でうるさく飛び回る蚊みたいなものだ。寝言は寝て言え」
「……それじゃあ、これが終わったらリーリンの部屋に案内させるためだろう」
ニーナはリーリンがどこの部屋を与えられたか知らなかった。誰かの案内が必要なのだ。
ルシフはつまらなそうな表情になる。がっかりしたという感じだ。
「案内なら、別に寝室にいなくてもいいだろう。リビングで待たせておけばいいだけの話だ」
「……」
分からない。何故この部屋にマイたちがいるのか、ルシフの視点になって考えても分からない。
ルシフは再びスポンジを手に取り、様々な色を顔にぽんぽんしていく。
ルシフがスポンジをメイクセットの上に置いた。
「よし、できた。アントーク、話は変わるが、服を破っていいか?」
「………………は?」
「だから、服だよ。破ってもいいかと訊いてるんだ。肌と下着が少し見えていた方が完成度が高くなる。できれば露出した肌にもメイクをしていきたいが──」
ルシフの言葉を聞いているうちに、ニーナは自分の身体を抱くようにして、椅子に座りながら身体を引いた。必死にルシフから距離を取ろうとしている。
ルシフはそんなニーナを見て苦笑した。
「まあ、そこまではしなくてもいいか。これで終わりだ。アストリット、バーティン」
アストリットとバーティンはルシフに近付く。
「アントークをマーフェスの部屋に連れていけ。ゆっくり、のんびりとな」
「はい」
バーティンとアストリットはニーナに近付く。ニーナは立ち上がった。
前をバーティン、後ろをアストリットがつき、前後から挟まれるような感じでニーナは寝室から出ていった。
リビングから少女たちの悲鳴が響く。
扉が閉められると、悲鳴は聞こえなくなった。寝室は完全防音なのだ。
「アントーク、あいつはやっぱり蚊だな。鬱陶しく飛び回られると思わず潰してしまうかもしれん」
「潰してしまえばよろしいじゃありませんか」
マイが言った。
「そうは言うがな、無駄に犠牲者を増やす必要もあるまい」
「無駄ではありませんよ。徹底的に痛めつけられたニーナさんを都市民が見れば、よりルシフさまの恐ろしさが伝わります。それとも、ニーナさんはルシフさまにとって『特別』なんですか?」
マイの全身から不機嫌そうな気が発せられていた。
「……アントークを殺したいのか、マイ」
「はい、とても。できればすぐに殺さず、じわじわと絶望を身体に染み込ませて殺したいです。口を開けばルシフさまの非難や悪口ばかり。きれいごとばかり言って否定しても、どうすればきれいごとを実現できるかは分からない。光しか知らず、闇を受け入れていない。見ててイライラします」
ハイアに誘拐される前のマイなら、こんなことは言わなかっただろう。本音を隠し、あいまいな返事をした筈だ。今のマイは本音を抑えるブレーキが壊れている。
「ルシフさん。マイちゃんの感情は剣狼隊の半数以上が抱いている感情です。あの子はでしゃばって、こちらに苦労ばかりかけますし、マイちゃんの言った通りルシフさんを知ったような顔で非難しますし、わたしも聞いてて不愉快です」
「マイ、念威端子を通じて剣狼隊全員にこう伝えろ。『ニーナ・アントークが余計な真似をしようとしたら、速やかにおさえつけろ』とな」
「分かりました」
「もうお前たちに用はない。部屋に戻って休め」
「あ、あのッ、ちょっと民政について気になったことがあるんですけど!」
ゼクレティアが言った。
「分かった、聞こう。マイは休めよ」
「……はい」
マイは部屋から出ていった。
ルシフとゼクレティアは部屋にあるメイクセットや椅子を片付けつつ、政治について色々話をした。
三十分が経った頃には片付けも終わり、政治の話も一段落した。
ルシフはベッドの上に座り、右手で頭を押さえる。頭痛が酷い。頭も少しくらくらする。
「ルシフさん、お疲れですね」
それを疲れていると見たのか、ゼクレティアがルシフの顔を覗き込む。
「……かもな」
ルシフは適当に返事をした。会話するのもダルい。
「ルシフさん、『息抜き』しません? ストレスも解消できると思いますよ」
「……前のお返しか」
ルシフは以前ゼクレティアと似たような言葉を言って、ゼクレティアを抱いたことがある。
「ふふふ……」
ゼクレティアは眼鏡を机に置き、ベッドの上で膝立ちになる。そのまま両手でルシフの両頬を包んだ。顔を近付け、ルシフの唇に自身の唇を重ね合わせる。そのままゆっくりとルシフをベッドに押し倒した。
◆ ◆ ◆
ニーナは廊下をゆっくり歩いている。前後にはバーティンとアストリット。
すれ違う人はニーナの顔を見てぎょっとした表情をする。その後に小声で、
「かわいそうに……」
「ひどい仕打ちを……」
「女の子の顔になんてことを……」
などと言っていた。
ニーナ自身、どんなメイクをされたか気になるが、リーリンの部屋に行けば鏡くらいあるだろう。
だからニーナは、メイクについて考えるのはやめた。今考えているのはルシフの暴政の理由と、部屋に四人の女を入れていた理由。
しかし、やはり出てこない。
ニーナはバーティンとアストリットに訊いてみることにした。
「バーティンさん、アストリットさん。訊きたいことがあるんですが」
「なんだ?」
バーティンが言った。
「何故ルシフはあなた方も含めた四人を部屋に入れていたのでしょう?」
「そんなこともお分かりにならないんですの? あなたを安心させるために決まってますわ」
「……わたしを?」
ルシフはわたしのことを考えて、部屋に四人の女を入れていた? にわかには信じられない。
「ニーナ、部屋で私たちがいるのを見てどう思った? ルシフさまから身体を求められることはないと思わなかったか?」
確かに部屋に入ってマイとゼクレティアを見た時、安心したのだ。何に安心したのか。今バーティンが言った通り、ルシフから強引に関係を迫られないと確信したから安心したのではないのか。
「わたしの、ために? あのルシフが?」
「あなたはいい加減前提が間違っていることに気付くべきですわ。ルシフさまは自分のために行動されないの。常に他人のために行動されてますのよ」
ニーナは言葉が出てこなかった。前提が間違っている。ルシフは常に誰かのために動く。本当にそうなのか? なら何故武芸者選別を強行したり、民を蔑ろにしたような政治をするのか。
「ニーナ、正直に言うが、私はお前を今すぐ痛めつけたい。ルシフさまに対する数々の暴言、その報いを受けさせたい。だが、ルシフさまは別になんとも思われていない。だから私は耐えられる。いいか、よく頭に入れておけ。ルシフさまが何をしようとしているか理解もせずに、偉そうに非難するな」
前を歩くバーティンの殺気に呑まれ、ニーナの身体は強張った。後ろからアストリットがニーナの身体を押す。
「ちゃんと自分の足で歩きなさい」
アストリットも不機嫌そうだった。
ニーナは気合いで恐怖を相殺し、前を向いて歩く。
すれ違う人は誰もがびっくりしている。構わず歩き続けた。
やがてリーリンの部屋に到着した。
「ここがリーリンの部屋だ。これからはこの部屋で過ごせ」
「はい、分かりました」
バーティンが扉を開けた。ニーナは部屋の中に入る。
ニーナが部屋に入ると、扉が閉められた。アストリットとバーティンは本来の仕事の方に戻ったらしい。
リーリンはニーナを見ると悲鳴をあげた。慌てて詰め寄ってくる。
「ど、どうしたの!? ルシフに何されたの!?」
「何って……メイクだが」
「…………メイク?」
リーリンは訝しげな表情でニーナに顔を近付け、ニーナの顔を指で触った。
「なるほど、そういうこと」
触った指の先を見ながら、リーリンが呟いた。ニーナは首を傾げる。
「何がだ?」
「とりあえず洗面所で鏡、見てきたら?」
ニーナはリーリンの言葉に従い、洗面所に行った。
「なんだこれはッ!?」
洗面所の鏡を見て、ニーナは叫んでいた。
ニーナの顔中に青アザや打撲傷が浮かんでいるのだ。一体どれだけ殴られたらこんなアザになるのか、と思うほどに。
ルシフはメイクでニーナの顔中に青アザと打撲傷を作っていたのだ。
「ルシフって案外優しいのかもね」
洗面所にリーリンが来て言った。
ニーナは洗面所で顔を洗い、きれいにメイクを落とした。タオルで顔を拭く。それから、リーリンの方に振り返った。
「リーリン、お前まで何を……」
「だってそれ、無礼な口をきいた罰なんでしょ? 本当にニーナを殴って青アザや打撲傷を作ればよかったのに、メイクで許してくれたのは優しいって言わないの? 多分ルシフは酷い罰を受けたって周りが思いさえすれば良かったのね。ニーナが本当に殴られたかどうかは重要じゃなかった」
「……ルシフは、正しいのだろうか? 間違っているのはわたしの方なのだろうか?」
「どうしたの、急に?」
「ルシフがどういう人間なのか、何を考えているのか、わたしには全く分からないんだ。それなりに長い付き合いになるのに、分からないんだ。今の暴政も六つの理由があってやっていると言っていたが、わたしは一つしか分からなかった」
「暴政に六つの理由? ルシフがそう言ったの?」
「ああ」
「……そう。わたしも考えてみようかな」
「リーリン?」
リーリンがはっとした表情になり、首を横に振った。
「なんでもない。夕食は食べた?」
「そういえばまだ食べてないな」
「なら、今から準備するね。ニーナが戻ってくるって聞いてたから、夕食食べずに待ってたんだ」
リーリンがキッチンの方に向かった。
ニーナはポケットからルシフの第十七小隊のバッジを取り出し、夕食ができあがるまでずっと眺めていた。