鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第73話 雷光

 絶望が心を包んでいた。

 今まで光に溢れていた世界が闇に呑み込まれていくような錯覚すら感じた。

 剄という力が自分にあると両親が知ってから、武芸者になるための鍛練を始めた。まだ幼かった頃だ。それからずっと武芸に明け暮れ、当たり前のように武芸者となり、ヨルテムという都市や民を守るため、都市の警備や都市間戦争に参加した。

 自分は武芸とともに生きてきたのだ。都市の守護者──武芸者であることが何よりの誇りであり、生きがいだった。

 だが、それも今日までの話だ。ルシフという男がヨルテムを力で強引に支配し始めたのだ。抵抗するのもバカらしくなるほど、圧倒的な力を持っていた。その男が武芸者選別試験などというものを行い、自分は不合格だった。

 ずっと頭に響いている言葉がある。弱者は都市を守れない。無能な働き者は害悪。そんなことはない。心の中でそう叫んだ。数人がかりだったが、悪人を捕まえたことがある。都市民から感謝の言葉だって言われたこともある。都市間戦争で相手の武芸者を引き付ける囮部隊として戦い、勝利に貢献したことだってあるのだ。自分の存在は決して害悪などではない。

 しかし、今さら何を言ったところで現状は変わらないのである。ルシフは合格者は増えないといった。またいつ試験をするかは分からないが、それまで自分は武芸者ではないのだ。それが一体何年続く? 一年か? 二年か? それとも五年か? 再試験があったところで、同じ試験内容ならば合格できる気がしない。努力でどうにかなる試験ではなく、ある程度の剄量という名の才能が必要だった。剄量は修行してもほとんど増えない。再起は望めないのだ。

 それを頭で理解したとき、涙が両眼から流れた。今まで築き上げてきた自分が粉々に砕け散った。その事実に直面したからだ。

 家族がいた。妻と子供二人。武芸者である自分を誇りに思い、自分のことのように自慢していた。自分は武芸者だったから、妻ができ、子に恵まれたのではないのか。武芸者で無くなった自分になんの価値がある。妻と子も、周りから嘲笑されるようになるかもしれない。それは耐えられなかった。

 妻はリビングの床に座って泣いていた。あなたが武芸者じゃ無くなるなんて信じられない、と言った。武芸者だったからこそ、あなたは価値があったのだ、と暗に言われた気がした。

 自分の部屋に置いてある錬金鋼(ダイト)を取りに行き、再び妻がいるリビングに戻った。錬金鋼を復元。剣を握り、座っている妻に近付く。妻は驚き、背を向けて逃げようとした。それを後ろから斬った。妻の背中に斜め一文字の傷が生まれ、血が噴き出し、悲鳴をあげてリビングに倒れた。

 倒れた妻にまたがるように立つ。剣先を下に向けた。この先、妻は自分のせいで辛く、苦しい目に遭う。それなら、いっそ今楽に死なせた方が妻も幸せな筈だ。妻の心臓を狙い、剣で突き刺した。妻は絶叫した後、動かなくなった。

 妻の死体に向けて、すまぬ、と言った。許せ、とも言った。こうなったのは全てルシフという奴のせいだ。あいつが全て壊した。

 妻を殺すところを、二人の子供が見ていた。声もあげず、目を見開いて、何が起こっているかわからないという表情をしている。

 子供たちの方に近付いた。子供たちは抱き合いながら、動かずに自分の顔を見ている。

 この子たちも、未来はない。ずっと周りからバカにされ、虐げられる日々を生きることになるだろう。そうなるくらいなら……。

 剣を二度突いた。二人の子供は抱き合ったまま、床に倒れた。涙が溢れた。罪悪感が冷たい刃となり、心を深く貫いてきた。両膝を床につき、剣を放り捨てて慟哭した。自分は取り返しのつかないことをしてしまった。殺してから、それに気付いた。

 真夜中になるまで泣き続け、涙も枯れ果てた。

 自分も妻と子供のところに行こう。

 だが、この場所で死ぬのは違う気がした。自分は妻と子のためだけに戦ってきたのではない。ヨルテムに住む全ての都市民のために武芸者として戦ってきたのだ。

 家を出て、都市旗が翻っている建物の前まできた。そこには錬金鋼を復元した多数の人間がいた。全員同じことを考えている。そう直感した。

 周囲に立ち並ぶ建物の屋上に赤装束を着ている者の姿が見える。遠巻きにこの場を囲むよう、十人程度が武器を構えて立っているのだ。この場にいる者たちが一斉に反乱するのではないか、と警戒しているのだろう。

 都市旗を仰ぎ見る。見慣れた旗ではなく、見たこともない旗が風で揺らめいていた。この都市はヨルテムでは無くなった。自分は守れなかったのだ。

 剣を首に当てた。当てながら、周囲を見渡す。集まった者たちも自分と同じ行動を取った。銃、弓、刀、剣、槍など、各々の武器を自分の首や胸に向けている。

 

「なんで死のうとするんだ?」

 

 建物の上に立つ赤装束の一人が言った。短い茶髪の男だ。

 集まった者たちは視線を交わし合う。

 

「今日魂が死んだ。ここにいるのは抜け殻しかいない。抜け殻が生きられるか?」

 

 集まった者の一人が銃の引き金を引き、自らの頭を撃ち抜いた。そのまま後ろに倒れる。血が地面に流れていった。

 それを見ても、悲しみも恐怖も感じなかった。羨ましい、と思っただけだ。最期まで武芸者として生き、死んだ。

 

「確かにあんたらは、武芸者として終わったのかもしれねえ。けど、新しい人生の始まりでもある。様々なことに挑戦してから死ぬ選択肢を選んでもいいじゃねえか」

 

 何も分かってない。

 武芸者で生きるために自分の人生全てを捧げたのだ。武芸者で無くなるのは死と同義。他の人生など考えられない。

 赤装束の者たちが叫んでいる。

 考え直せ。武芸者だけが人生じゃない。死んだら悲しむ人がいる。そういう言葉を何度も言っていた。強引に止めにくる者はいない。彼らは理解しているのだ。強引に止めたところで意味はない、と。そこだけは正しい。

赤装束の者たちの言葉もむなしく、次々に集まった者は死んでいく。槍を胸に突き刺し、剣で首を斬り、銃で額を撃ち抜き、地面に倒れていった。

 

「死にたきゃ死ねや、弱者ども。お前らみてぇな腰抜け、これからの世界に必要ねえよ」

 

 赤装束の者の中でただ一人、説得しようとせず、むしろ自殺を煽る者がいた。黒髪の男だ。

 

「ハルス! なんてことを言うんだ!」

 

 茶髪の男が黒髪の男に怒鳴った。

 

「うるせえな。気分悪くなってきたんだよ。こんなつまらねえモン見せられてよ」

 

 集まった者はもう生きている方が少なくなっていた。地面が見えないほどに人が倒れていて、真っ赤に染まっている。

 首に当てた剣を引いた。血が噴き出す。倒れている人の上に倒れた。目に血が入り、視界が赤く染まった。

 もう身体に力は入らない。死ぬのだ、自分は。死んで、妻や子と同じ場所に行くのだ。

 最期の力を振り絞り、仰向けになった。旗が視界に収まる。知らない旗。ヨルテムは滅んだ。都市の守護者が都市を守れなかったのだ。ならば、都市と運命を共にするのが武芸者として相応しい。

 脳裏に、選別試験を合格した連中の顔が浮かぶ。

 貴様らは武芸者の恥だ。裏切者だ。俺を見ろ。武芸者を貫いた、俺を見ろ。俺を……。

 そこから先は何も見えなくなった。

 

 

 

 都市旗がある建物の前の広場が、自殺した武芸者たちで埋まっていた。おそらく数百人という数が集まり、一斉に死んだのだ。大量自殺したのはこの場所だけで、他の場所は数人程度が固まって自殺している、と念威端子で伝えてきた。

 レオナルトは建物から飛び降り、着地。レオナルトに続いて他の剣狼隊も建物から飛び降り、レオナルトの横に一列で並んだ。眼前には大量の武芸者たちの死体がある。

 それぞれがもつ武器を立て、一礼した。彼らは最期まで自分の生き方を貫いたのだ。愚かかもしれないが、同時に尊敬もできる。

 ハルスだけは礼をせず、身体を起こしたままだった。

 

「ハルス、敬意ぐらい見せたらどうだ? 彼らは武芸者であることを貫いた、誇り高き人たちだぞ」

 

「はっ」

 

 ハルスは鼻で笑った。

 

「誰もが必ず死は経験する。早いか遅いかの違いだ。武芸者を貫いた? それは立派さ。だが、自分を殺す度胸をなんで俺たちや兄貴に向けねえ。自殺なんざ弱者で腰抜けがやるこった。死のうと考えたんなら、自殺の原因を潰しにいけや。それで死ぬなら強者として認めてやるよ」

 

 ハルスは強さを求める男だった。力とか知能とか、そういう具体的なものではなく、本当の意味での強さがなんなのかを常に考え生きている。そして、その強さをルシフに見出だしたのだ。だからハルスはルシフを兄貴と呼び、慕っている。

 レオナルトに念威端子が寄ってきた。

 

『ここから五百メル東にあるバーで、合格した武芸者と不合格の武芸者たちが争っているようです。理由は合格した武芸者がルシフさんを褒めたからだとか。それで周りで飲んでいた不合格の武芸者たちが怒りだし、争いに発展したとのこと』

 

 合格した武芸者が何を言ったかは想像がつく。給金が同じくらいだったのが気に入らなかった。強い者が武芸者にならなければ、武芸者の価値が下がる。こういうことを言ったのだろう。

 

「現状は?」

 

『合格した武芸者が突っかかってきた不合格の武芸者たちを一方的に暴行しています』

 

 当然の結果だ。気紛れや遊びで武芸者を選別したわけではない。合格した武芸者に不合格の武芸者が勝つためには十人、二十人で束になって襲いかかるしかないだろう。

 

「すぐ現場に向かう」

 

『お願いします』

 

 レオナルトはバーに向かった。レオナルトの後方から、さっきの場所にいた剣狼隊の半数くらいがレオナルトに付いてきた。残りはハルスに従っている。

 

 ──明日は嫌な日になりそうだ。

 

 駆けながら、レオナルトはそう思った。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 血の臭いが充満していた。何十、何百という死体が眼前に横たわっているから、当然の臭いだ。

 都市民も大勢この場所にいる。沈痛な表情で痛哭の涙を流していた。慟哭している者もいる。

 ニーナはただ眼前に広がる光景に立ち尽くしていた。リーリンがニーナの震える手を握っている。

 ニーナは今帽子を被り、金髪を帽子の中にまとめていた。大きなマスクもし、どこまでも透き通る蒼い瞳が見えているだけだった。部屋の前に剣狼隊の隊員が一人立っていて、外に出るなら顔をできるだけ隠してくれ、と言われたからだ。

 イアハイムで武芸者選別を行った次の日は大量自殺者が出たと聞いていたから、ニーナは居ても立ってもいられず、朝一で部屋を飛び出した。そして、この凄惨極まる光景を見たのだった。

 ニーナがただ立ち尽くしていると、ルシフがやってきた。ルシフの後ろには多数の剣狼隊隊員が従っている。

 ルシフのところに元々ここにいた隊員が近付き、手に持つ書類を渡していた。

 ニーナは周囲を見渡す。直前まで泣き声で溢れていたのに、ルシフが姿を現した途端に泣き声がしなくなったからだ。

 都市民は誰もが歯を食い縛り、怒りと恨みのこもった目でルシフを睨んでいた。睨まれているのはルシフなのに、止められなかった自分も責められている気がして、ニーナは顔を俯けた。

 全身に火が灯っている。怒りの火だ。むごい仕打ちに対する憎悪の火だ。

 

「自殺した人数は五百二十四。殺された家族の人数が八十二か。思ったより少ないな」

 

 ルシフは書類を見ながら、そう呟いた。

 ルシフの言葉を聞いた瞬間、全身に灯っていた火が炎になった。思ったより少ない。たしかに、そう言った。人の命をなんだと思っている。

 

「ねえ、どうして?」

 

 六、七歳くらいの男の子が隣の女性の袖を引いている。おそらく男の子の母親だろう。

 

「どうしておとうさん、ぶげいしゃじゃなくなっちゃったの? おとうさん、なにもわるいことしてないよ?」

 

 母親は感極まったのか、涙を流して子どもを抱きしめた。

 

「どうしておとうさん、しんじゃったの……? なにもわるいことしてないのに……!」

 

 男の子は両目いっぱいに涙を溜めていた。母親はただ子どもを抱きしめ続けた。周りの都市民は涙で顔を濡らし、痛みを堪えるような表情をしている。

 男の子の目が何かを探すように動く。ルシフを捉えると、目の動きが止まった。

 

「……おまえのせいだ」

 

 母親の腕を払いのけ、男の子は駆け出した。

 書類を見ているルシフの右横まで行き、ルシフを右手の人差し指で指さした。

 

「おまえがおとうさんをころしたんだ!」

 

 周りの都市民の顔が青ざめた。母親は子どもの名を叫んでいる。ルシフは書類から男の子の方に視線だけ向けた。無表情だった。

 

「かえせ! おとうさんをかえせ! かえしてよぉ!」

 

 男の子の叫びは収まらない。周りにいる剣狼隊も顔から血の気が引いていた。

 突然のことに唖然としていた母親が我に返り、転がるように男の子のところまできた。男の子とルシフの間に滑り込み、男の子を庇うようにしながらルシフに頭を下げる。

 

「も、申し訳ございません!」

 

「おかあさん、こんなやつにあやまらないでよ!」

 

「静かにしなさい!」

 

「おかあさんだっていってたじゃん! このとしからでていってほしいって!」

 

「お願いだから口を閉じなさい!」

 

「おまえなんかこのとしからでてけ! でてけよぉ!」

 

「いい加減にしなさい!」

 

 母親が男の子の頬を平手打ちした。乾いた音が響く。男の子は頬を手でさすり、目を見開いていた。

 母親は男の子の様子を気にする余裕もなく、両膝を地につけて頭を深く下げた。

 

「本当に申し訳ございません! これは我が子へのしつけが足りなかった私の責任です! どんな罰も私がお受けします! ですから、この子だけは見逃してくださいませ! この子だけは許してください!」

 

 母親は地に額をこすりつけていた。

 プエルがそっとルシフに近付く。

 

「へ、陛下。子どもが言った言葉です。それを本気で相手にしてしまえば、陛下の器量の狭さを都市に知らしめるのと同じではありませんか?」

 

 母親は頭を上げた。光が灯った目でプエルを見ている。

 

「プエルの言う通りです。子どもの言うことにいちいち本気になっては大人げないですぞ」

「陛下の偉大さは子どもには理解できません。あと少し時が経てば、この子どもも陛下の偉大さにひれ伏しますよ」

「許してあげるべきです。それでも罰を与えたいならば、陛下の偉大さを子どもに伝えられなかった私の罪です。私が罰を受けましょう」

 

 プエルの他にも剣狼隊の面々がルシフに近付き、口々にそう言った。

 ルシフは、無言だった。未だに信じられないという表情で頬をさすっている男の子を見ている。

 ルシフの視線に誰もが気付き、口を閉ざした。重苦しい沈黙。

 ルシフは一歩踏み出した。母親のすぐ横にくる。母親は横からルシフの腰に抱きついた。

 

「お、お願いします! この子は許してください!」

 

 ルシフは母親の腕を振り払った。衝撃で母親は地に倒れる。男の子はそれを見て、顔を紅潮させた。

 

「おかあさんをいじめるな!」

 

 男の子の全身から剄が発せられ、子どもとは思えぬ勢いでルシフの腹を殴った。すると男の子の拳が弾かれ、男の子は体勢を崩して地に倒れた。

 周りにいる者は全員息を呑んだ。ルシフの一挙一動に意識が集中する。

 

「俺が憎いか?」

 

 ルシフは倒れた男の子を見下ろしていた。

 

「にくい!」

 

 男の子は怒りを収めず、ルシフを睨んでいる。

 ルシフが男の子の顎を右手で掴み、顔を近付けた。

 

「ならばよくこの顔を覚えておけ! お前の父を殺した顔だ! 強くなり、必ず殺しにこい! その時に、お前を父のところに連れていってやる!」

 

 男の子は両眼に涙を溜めつつも、ルシフから視線を逸らさなかった。

 ルシフは方天画戟を地に叩きつける。地にヒビが入り、一気に百メートル先まで吹き飛び抉れた。その方向には人がいなかったため怪我人は出なかったが、都市民は恐怖に支配され、叫び声もあげずに立ち尽くしている。

 

「この光景を、よく目に焼きつけておけ。並の強さでは、俺に近付くこともできんぞ」

 

 ルシフはそう言うと、男の子の顎から右手を離した。男の子はぺたりと両膝を地に付け、吹き飛び抉れた地面をじっと見ている。

 ルシフは抉れた地面の上を歩き始めた。

 

「行くぞ」

 

 周りの剣狼隊がルシフの後ろを付いていく。

 ニーナはその場から動けなかった。男の子の言葉はルシフを止められなかった自分も責めている気がしたからだ。

 ルシフの後ろ姿はかなり遠くなっている。

 

「かならず、おまえをころしてやる!」

 

 男の子が立ち上がり、叫んだ。周りにいる者はぎょっとした表情をし、母親が男の子を前から抱きしめた。

 男の子の両眼から涙がこぼれている。

 

「かならずころす! ころしてやる!」

 

 泣きながら男の子は叫び続けた。

 都市民が再び号泣し始めた。泣き叫んでいる者も大勢いる。

 ニーナはリーリンが手を握っていることも忘れ、握る手に力を込めた。

 

「いたッ」

 

 リーリンはニーナから手を離した。ニーナはリーリンの声でリーリンの手を握っていたことを思い出した。

 

「すまん、リーリン」

 

「ううん、大丈夫。それよりニーナ、落ち着いて」

 

 ニーナの両拳が強く握りしめられ、両腕は震えている。炎が全身を暴れ狂っていた。

 聞こえるだろう、ルシフ。都市民の悲痛な叫びが。都市民の怒りの咆哮が。

 ニーナの全身から剄が発せられ、ニーナを黄金の輝きが包んだ。

 

「ニーナ、ダメよ。やめて、今度こそ死ぬわよ」

 

 リーリンが横で必死にニーナを説得しようとしている。リーリンの背後にいる剣狼隊の剄が高まっているのを感じた。

 

「すまん」

 

 リーリンへの別れの挨拶のつもりだった。殺されてもいい。ここで立たなければ、自分が自分で無くなる。ニーナではない誰かとして、一生生きていくことになるだろう。それは死んでも嫌だ。

 全身が熱い。内で燃え上がっている炎が実体をもっているようだ。

 だが、この熱に身を任せたい。

 そう思った瞬間、ニーナを包んでいた黄金の輝きが更に強さを増し、剄が爆発的に増加した。普段の剄量からは考えられない量だ。

 全身が焼けているように熱い。剄脈が暴走しているのか?

 ニーナの背後にいた剣狼隊の隊員が襲いかかり、ニーナを押さえつけた。その間に前と左右にいた隊員もニーナを取り押さえようと動く。

 かっと頭に血が上った。剣狼隊の隊員とは色々話した。立派な志と思いを持っているのを知っている。だからこそ、怒りが燃え上がる。

 

「恥知らずどもがッ!」

 

 更に剄が増加した。ニーナの全身から放たれる剄が衝剄となり、押さえつけている隊員と接近した隊員を吹き飛ばした。隊員は空中で体勢を整え着地。ダメージは全くないが、驚愕した表情になっている。

 ニーナは二本の錬金鋼を復元。鉄鞭を両手に握りながら、顔だけ隊員の方に向けた。

 

「目の前で失われていく命すら救えないのに、世界を変えられるものか!」

 

 隊員はニーナの言葉に唇を強く噛み、悔しげな表情になった。

 ニーナはルシフの方に顔を戻す。距離は約四百メートル。その間には剣狼隊が二十人ほどいた。ニーナの剄に気付き、ニーナを無力化しようと向かってくる隊員も数人いる。

 ルシフ、お前は正しい。武芸者は強くなければならない。明確な基準を設定するのは良いことだ。だが、やり方が急すぎる。武芸者で無くなった者も生きやすい社会を構築してからでも、武芸者選別は遅くなかっただろう。

 ルシフがそれに気付いていない筈がない。気付いていて、強行したのだ。

 ルシフは自分を蚊だと言った。たとえ蚊だとしても、蚊の一刺しをルシフにやれたら。自分を全く意識しないあの男に、ほんの少しでも自分を意識させられたら。自分の声がほんの少しでも届かせられたら。

 ニーナの脳裏に、組み手中にルシフが一度だけ使用した剄技がよぎる。

 その剄技を思い出しながら、ニーナは剄を更に練り上げる。脚力を活剄で強化しつつ、鉄鞭に衝剄を凝縮。

 一歩、踏み出す。ニーナの姿が消えた。向かってきていた隊員たちは衝撃波で吹っ飛んだ。

 ニーナが持つ両鉄鞭から雷光が漏れ、全身に雷気を纏ってニーナは駆ける。あと三百五十。隊員を三人、突き飛ばす。あと三百。エリゴ、オリバ、アストリットが立ち塞がる。跳躍。一回転して着地。瞬間、地面を蹴り、三人を置き去りにして直進。あと二百五十。隊員が五人、振り向こうとしている。その間を駆け抜けた。駆け抜けた際の衝撃で五人が吹っ飛ぶ。あと二百。バーティン、レオナルト、サナックが各々の武器を構えている。前方の地面を両鉄鞭で叩いた。地面が割れ、土埃がニーナを覆い隠す。貫く雷光。鉄鞭を左右に振った。レオナルトが棍、バーティンは双剣を交差して鉄鞭を防いだ。衝撃は緩和できず、二人とも後ろにずり下がった。ニーナは足を止めない。雷気を纏い、鉄鞭に雷光を帯びさせたまま駆け続ける。あと百五十。プエルが鋼糸を展開させようとして、ニーナの姿を見てやめた。ニーナは電気を纏っている。鋼糸に電気が伝わるのを懸念したのだ。あと百二十五。ハルスが大刀を振るう。ニーナは地に伏せる程に体勢を低くし回避。前転。ハルスが舌打ちしたのが聞こえた。すかさず地を蹴る。あと百。隊員が三人進行方向にいる。構わず突っ込んだ。隊員はニーナの圧力を殺せず、後方に吹っ飛ぶ。吹っ飛んだ隊員を抜き去り、駆けた。あと五十。あと少しで、ルシフに届く。正面にヴォルゼー。大薙刀を持ち、悠然と構えている。表情は楽しげな笑み。剣狼隊最強。知るか、そんなこと。ヴォルゼーを抜けば、ルシフまで遮るものはない。

 

「突き破れ!」

 

 剄が極限まで高められた。熱が全身を支配している。鉄鞭の雷光が勢いを増し、ニーナの全身が眩いばかりの紫電に包まれた。

 活剄衝剄混合変化、雷迅。剄技を使用したあと、ルシフは確かにそう言った。両手を鉄鞭とみなし、ニーナなりのアレンジを加えて完成させた剄技。

 ヴォルゼーの姿がぶれた。右側頭部に衝撃。身体が地面を転がる。遅れて、ニーナが通ってきたところから轟音が響き渡り、踏みしめた地面が砕けて舞い上がった。

 ニーナは地面に倒れた。両手の鉄鞭が転がり、帽子が宙を舞う。ニーナは右側頭部から血を流しながら、右腕を伸ばした。あと二十五。ルシフまで、もうすぐそこなのだ。ルシフは振り返らない。

 ルシフ、こんなやり方は間違っている。たくさんの人の悲しみを生むだけだ。みんなで一緒に考えよう。人を死なせない世界を。お前は急ぎすぎてるんだ。

 こういう風に世界を考えられるようになったのは、紛れもなくルシフのおかげだった。以前は都市間戦争を肯定し、仕方がない犠牲と割り切っていたのだ。ルシフのおかげで希望が見え、ルシフの思い描いているであろう理想よりもっと良い理想を実現したくなった。どうすればその理想が実現できるかは分からない。だが、ルシフがいる。たくさんの人がこの世界に住んでいる。全員で知恵を出し合えば、きっと理想の世界が実現できると信じている。

 視界が暗くなっていく。目の前に誰かの足。しゃがんだ。ヴォルゼー。胸の前の三つ編みにした黒髪が揺れる。

 

「まだまだ足りないわよ、力が。それじゃ届かない。もっと強くなりなさい」

 

 そこでニーナの意識は飛んだ。

 

 

 

 倒れているニーナを遠目から見た都市民が騒いでいる。

 

「おい、あの金髪の子って……」

「間違いない、不敬罪で罰を受けた子だ」

「痛い目にあったのに、またこんな……」

 

 都市民の声を聞きながら、フェイルスは錬金鋼を復元。細剣が握られる。フェイルスの近くにはニーナが倒れていた。

 細剣を握る腕を、ヴォルゼーが掴んだ。首を振る。

 フェイルスは細剣を握ったまま、ヴォルゼーを見た。

 

「ニーナさんは殺しておくべきです。このタイミングで剄脈拡張が起こるなんて、運が良いだけでは説明できない何かを、この少女は持っています」

 

 剄脈拡張とは、剄脈が今までよりも剄を多く扱えるように発達することである。ごく稀にそういう武芸者がいる。

 普段のニーナからは信じられないほどの剄量から、フェイルスは剄脈拡張が起きたと確信していた。

 

「それだけの理由で殺すの?」

 

「まだあります。ニーナさんは陛下を怖れず、何度も歯向かってきました。都市民からも支持されるでしょう。反乱勢力の旗印として、利用される可能性があります。将来、陛下を脅かす存在になるかも……」

 

「フェイルス、陛下を脅かす存在が生まれることは人類にとって良いことよ。陛下も喜ぶ。それに殺しは、剣狼隊のイメージから外れるわ」

 

 剣狼隊はルシフに従っているがよく思っていない、というイメージを都市民に植え付けている。剣狼隊がそんなことをしては、都市民に不信感を与えることになり、今までのことが無意味になる。

 フェイルスは細剣を錬金鋼に戻した。ヴォルゼーの手が離れる。

 

「……分かりましたよ。ですが、ニーナさんは我々と絶対に相容れない。それだけは頭に入れておいてください」

 

 フェイルスは錬金鋼を剣帯に吊るした。

 ニーナは大のための小の犠牲を許せないタイプなのだろう。救急要請を受けたのに目の前で苦しむ人を無視できず、そっちを助けた後に現場に向かうような、そういう人間なのだろう。

 確かにそれは美しく、立派な行為だ。だが、世界はきれいにできていない。一人残らず人間を救うなど、土台無理なのだ。

 感情に流され冷静さを失う人間が主導権を握り、都市が良くなった例など皆無。周りの人間に利用し尽くされて、最後は全ての責任を取らされる。ニーナのような人間は部隊長クラスに置いておけばいい。

 

 ──ニーナさん、知っていますか? あなたが考えているような段階、マイロードは六年も前に通過しましたよ。

 

 イアハイムの武芸者選別試験。父親を死に追いやった時に。

 ニーナは思い違いをしているのだ。ルシフは別になるべく多くの人間を救いたいわけではない。本気で生きたい、本気で生きようとする人間が生きられる世界。生まれた都市や場所に左右されず、誰もが等しく生きるチャンスを与えられる世界。逆に言えば、生きる努力をしない、生きる才能がない者は淘汰していく世界。

 そうやって人類の純度を高め、生きる価値のある人間しかいない世界へと昇華させる。それらを導き、頂点に君臨するのは世界最高の人物。

 考えただけで、フェイルスは歓喜に震えた。ゴミのような人間が淘汰され、知性のある人間だけが生きている。なんて素晴らしい世界なんだ! くだらない人間ばかりが跋扈している今の世界なんか反吐が出る。守る価値もない。

 ニーナのところにリーリンが駆け寄ってきた。

 それを一瞥し、フェイルスはルシフの後を追った。


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