鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。


第75話 女王覚醒

 レイフォンと天剣授受者たちの訓練に、クラリーベルが加わっていた。

 全員錬金鋼(ダイト)を使わず、無手で闘っている。クラリーベルは最初、その闘い方でなければ訓練に参加させられないとレイフォンに言われ、とても戸惑った。しかし、強くなるのに必要ならば、クラリーベルは今までの闘い方を捨てることができた。

 クラリーベルの右横に、レイフォンが現れる。右膝蹴り。クラリーベルはそれを受け流し、そのままカウンターで左肘打ち。レイフォンが消える。

 

「あら?」

 

 レイフォンはすかさずクラリーベルの足を払った。クラリーベルは転倒し、尻もちをつく。

 

「大丈夫?」

 

 レイフォンが右手を差し出していた。

 

「はい、平気です」

 

 レイフォンの右手を掴み、クラリーベルは立ち上がった。

 クラリーベルは訓練場内を見渡した。デルボネ、カナリスを除いた天剣授受者全員がいる。女遊びが好きなトロイアットも毎日のように訓練場に顔を出した。それがクラリーベルは信じられなかった。三度の飯より女と過ごすのが好きなあのトロイアットが訓練に熱中しているなんて、明日は天変地異が起こるのではないか、とクラリーベルは本気で心配したほどだ。それだけルシフという男に負けたのが悔しかったのだろう。

 いや、トロイアットだけではない。天剣授受者全員の目の色が変わっていた。

 

「師匠、女遊びはやめたんですか?」

 

 クラリーベルはトロイアットに近付き、言った。トロイアットはクラリーベルに化練剄を教えている。

 トロイアットは顔の汗を右腕で拭いながら、クラリーベルに顔を向けた。

 

「やめたつもりはねぇよ」

 

「ですが、毎日訓練場にいます」

 

「取り戻したいものがあるんでな、それまで我慢だ」

 

「天剣ですか?」

 

 ルシフから天剣を取り戻す。それまで自分を鍛え続けるつもりか。

 

「ちょっとちげぇな」

 

 トロイアットは笑った。

 

「何が違うんですか?」

 

「天剣を奪われた時な、俺は男の誇りと武芸者の誇りも一緒に奪われた気がした。だからあのガキを倒し、天剣を取り返して、誇りを取り戻さねえといけねえ。じゃねえとダサいだろ? 今の俺じゃダサすぎて、女の前に顔なんか出せんよ」

 

 トロイアットの言葉は訓練場にいる全員が聞いていた。誰もが同意している、という雰囲気だった。

 男としての、武芸者としての誇りを奪われた。まさしくその通りなのだろう。

 クラリーベルもレイフォンと一緒に訓練したいという気持ちがもちろんあったが、それ以上に強くなってルシフを打ち負かしたいという感情の方が強かった。それはやはり、あの闘いで自分も武芸者としての誇りを奪われたと感じたからなのだろう。

 毎日へとへとになるまで訓練していた。こんな風に自分を極限まで追い込む訓練は最近まったくやっていなかった。いつも剄技の訓練と化練剄の訓練ばかりで、一通りやって満足すると訓練を終わっていたのだ。マンネリ化していて強くなっている実感が得られなくなってきたから、訓練にもなんとなく身が入らなくなっていた。

 今の訓練は、疲れるが充実したものが身体に残り、気持ちが良い。久しぶりに訓練が楽しいと思った。

 

 ──レイフォンにももっと接近したいですが……。

 

 クラリーベルはレイフォンの方を見る。フェリがレイフォンに飲み物のボトルとタオルを渡していた。

 まさかあんな強敵がいたとは……。レイフォンもまんざらではない様子なので、これは実に緊急事態だった。

 しかし、クラリーベルは毎日楽しかった。天剣授受者レベルの実力者と組み手ができ、レイフォンとも近くにいれる。

 一つ懸念なのが、レイフォンが鬼気迫る雰囲気を纏っていることだ。訓練中は笑いもしない。訓練以外は笑みを浮かべるが、その笑みもどこか暗い光がある。

 やはりリーリンがルシフに連れ去られたのが、レイフォンにとって深い傷になっているらしい。

 クラリーベルはレイフォンとフェリがいる方に近付いた。

 

 

 

   ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 グレンダン王宮、アルシェイラの部屋。

 アルシェイラは眼を閉じ、ソファに座っている。あの日を何度も思い出していた。ルシフに天剣全てを奪われた日。アルシェイラの人生一番の屈辱の日。

 部屋の扉を誰かがノックした。カナリスだろう。少し前にカナリスから来ると念威端子で通信があった。

 

「陛下、カナリスです」

 

「入れ」

 

「失礼します」

 

 カナリスが部屋に入り、扉を閉めた。カナリスが部屋を見る。

 

「もうお酒は飲んでいないようですね」

 

「飽きたのよ」

 

 今のアルシェイラの部屋に酒は何も置かれていない。カナリスが少しだけ頬を緩ませた。

 

「それは良かったです。それで、どうなさいますか?」

 

「どうって、何を?」

 

「ルシフのことです」

 

「グレンダンは大丈夫だって、わたし言わなかったっけ?」

 

 ルシフはグレンダンに攻めてこない。アルシェイラはそう確信している。

 

「まだ分かりません。万が一、言葉通り攻めてくるかもしれませんし」

 

「ルシフにとって攻めるメリットが無いと思うけどねえ。でも、百パーセント攻めてこないとは言い切れないわね」

 

「攻めてこなかったとしても、こちらから攻めに行く必要があります」

 

「なんで?」

 

「なんでって……天剣をルシフから取り返さないと駄目じゃないですか」

 

 カナリスが呆れた表情になる。

 

「天剣……か」

 

 アルシェイラはなんとなく天井を見た。

 

「カナリス、正直に答えて」

 

 十数秒間無言で天井を見た後、その体勢のままアルシェイラが言った。

 カナリスの表情が硬くなる。

 

「天剣、いる?」

 

「……はい?」

 

「だから、天剣が必要かって訊いてんのよ」

 

 初めてルシフと闘った時、ルシフは天剣なんて使用しなくても、天剣授受者上位の実力を持っていた。天剣があればもしかしたらもっと強くなっていたかもしれないが、アルシェイラの目から見ればそんなに変わらない気がする。

 カナリスが視線を揺らした。室内を見ていないのははっきりと見破れた。

 

「……今、レイフォンや天剣授受者は錬金鋼無しの闘い方を会得しようとしています。もちろんわたしも。それを会得できれば、戦力的には天剣は不必要なものになるかもしれません。ですが、戦闘は素手に限定されるため戦闘の幅が無くなり、得物で今まで闘ってきた者は闘い辛いです。また、天剣はグレンダンのシンボルのような意味もあります。極論を言ってしまえば、天剣が存在しないグレンダンはグレンダンとしての価値を失っているように感じるのです」

 

「あんたの言葉を要約すると、天剣が無いグレンダンはあり得ないってことかしら?」

 

「そうです。取り返さないなんて指示、天剣授受者の誰も従いません。わたしもです。わたしたちは天剣授受者なんですから」

 

 アルシェイラはため息をついた。眼を細める。

 

「正直な話、わたしは天剣にはあまり拘ってないのよ」

 

「何を言い出すんですか!? あんなにも天剣授受者を揃えようとしていたじゃありませんか!」

 

「通常の錬金鋼じゃ満足できない奴らに、余ってる天剣やってただけでしょ? わたしから天剣授受者を探した覚えは一度も無いわよ」

 

「それはそうかもしれませんが……」

 

「わたしさ、何もかも一人でけりをつけたかったの」

 

 アルシェイラの眼は遠くを見るように細められたままだ。

 

「イグナシス、汚染獣、グレンダンの運命、この世界の運命、グレンダンが何百年と繰り返してきた業とか、何もかもわたし一人で解決したかったわけ」

 

「陛下……」

 

 カナリスが心配そうにアルシェイラの方を見てくる。

 

「まあ、わたしの元婚約者の大馬鹿野郎が浮気して別の女に子を宿したりして、わたしの計画の一部は破綻したんだけどさ」

 

 元婚約者の浮気相手の子。それがリーリンだった。本来ならアルシェイラの子にアルシェイラが持つ因子と婚約者の因子が集まり、アイレインの完全な模造品が生まれる計画だった。それはアルシェイラの計画ではなく、グレンダンが何百年と続けてきた計画なのだ。その最終段階でズレが生じた。

 

「何が言いたいかって言うと、わたしはずっと一人でけりをつけようって考えてたから、天剣授受者とかグレンダンの武芸者を強くするとか正直どうでもいいのよ。天剣もそう。わたしにとってはどうでもいい錬金鋼。あったら良いけど、無いなら無いでいい。協力して闘うとか、他人に合わせて闘うとかも全く考えたことないわ。だって必要ないもの」

 

「──それがお前の本音か」

 

 部屋にリンテンスが入ってきた。

 アルシェイラは眼を見開いた。

 

「リンテンス? なんでここに?」

 

「申し訳ございません、陛下。もし陛下が天剣を取り返しに行かないと言われた場合、リンテンスに陛下の説得の手助けをしてもらおうと思いまして、外で待機させていました。会話は鋼糸を通じて聴いていたと思います」

 

 カナリスが顔を僅かに俯け、弱々しく言った。

 

「ルシフが攻めてこないと思っているようだな」

 

「ええ、メリットが無いもの」

 

「メリット? お前はヤツの本質をまるで理解していないな」

 

 リンテンスが軽く息をついた。アルシェイラは少しイラッとした。

 

「ルシフの本質って何よ?」

 

「俺と同じだ。人生が退屈で仕方ない。充実した時間ってのを求めてる。この都市は今なお最強の都市だ。こんな遊び場、ルシフが手を出さないわけがない」

 

「それは全部あなたの勝手な妄想。ルシフは理で動く奴よ、間違いなく」

 

「どうだか。案外ああいう奴は感情に理を結びつけてくる。理なんてものは言い換えれば自分の物差しだからな、やりたいことを縛る鎖にはならないと俺は思うが。

まあ、そこは問題ではない。実際ルシフが攻めてきた場合、お前はどうするつもりだ?」

 

「ルシフに一騎打ちを申し込む」

 

「一騎打ち? 乗ると思うか?」

 

「乗るわ、間違いなく。一度だけど、わたしを出し抜いたし」

 

 ルシフは一騎打ちに乗ると確信している。何故なら、乗らないのは負けと同義だからだ。勝つ自信が無いから逃げたということになり、ルシフはそれを許せない性格だろう。

 

「お前が負けたら、どうする?」

 

「その時は、煮るなり焼くなり好きにしろってヤツ? もしグレンダンを支配したいって言ってきたなら、グレンダンをルシフの手に委ねてもいい。最強の者が最強の都市を治めることは当然のことだしね。わたしが生きてたら、の話だけど」

 

「そうか、グレンダンの住民の意見は無視か。全くお前らしいな」

 

 リンテンスは軽く笑った。

 リンテンスのポケットから蝶型の念威端子が羽ばたく。デルボネの念威端子。

 

「……何?」

 

「今から展開される映像を観ろ」

 

 アルシェイラは仏頂面で念威端子から展開され始めた映像を観る。

 映像はリアルタイムらしく、武芸の訓練を行っている武芸者たちの映像だった。

 

『いいか! 下を向くな! 前を向き、闘い続けろ! 今度こそ、あの男を倒すのだ!」

『我々には陛下と天剣授受者さまがついている! 次は必ず勝つぞ! 我々はその手助けができるよう、少しでも今より強くなれ!』

『この都市を脅かそうとする奴に屈するな! 陛下や天剣授受者さまと共に闘うぞ! 今は鍛練あるのみ!』

 

 映像が次々に切り替わるが、内容は似たようなものだった。ルシフに勝つことを信じ、鍛練を続けている。

 アルシェイラの目から見れば、どれも砂粒のようなレベルの武芸者だ。ルシフの足元どころか、天剣授受者の足元にも届かない武芸者ばかりだった。

 なのに、何故あんなにも必死に鍛練するのか。何故諦めず、希望の光を見続けることができるのか。アルシェイラには理解できなかった。

 

「……何よこいつら。バカじゃないの? ルシフに勝てるわけないのに、無駄なことに必死になって、意味が分からないわ」

 

「分からないか? こいつらはな、俺たち天剣授受者が、お前がルシフに勝つことを信じ切ってるんだよ。その過程で自分たちが何かの役に立てるように、もしくは足手まといにならないようにしようとしてるんだ」

 

「……わたしを、信じる?」

 

 アルシェイラは眼を見開いていた。

 

「お前の治政は正直褒められたものではないが、それでも天剣授受者を多く生み出し、長い間グレンダンを脅威から守ってきた。ルシフなんて男に屈して生きるくらいなら、お前と共に死んだほうがマシ。そう考えている住民は大勢いる。この都市はお前だけの都市ではない。この都市に住む者全員の都市でもある」

 

 住民なんて、気にしたことはなかった。

 支配者が代わったところで、住民は興味が無いと思っていた。

 

「言っとくが、俺たち天剣授受者はお前の剣だと思っている。剣は主と共に闘うものだ。剣だけが闘いにいくなどしないだろう?」

 

 リンテンスは天剣授受者もアルシェイラと一緒に闘うつもりだ、と言っている。

 協力とか、連携とか、考えようと思ったことはないのだ。一人で闘うことしか頭に無かった。

 

「……ちょっと、外出てくる」

 

 アルシェイラは部屋を出ていった。

 

 

 

 リンテンスとカナリスはアルシェイラの部屋を出て、天剣授受者の詰め所に来た。二人だけしかいない。

 蝶型の念威端子が二人のところにやってくる。

 

『あれはどちらかと言えば、ルシフって子のやり方ではありません?』

 

「結果が大事だろう。過程なんぞ気にして意味があるか?」

 

「一体なんの話ですか?」

 

 リンテンスとデルボネの会話に、カナリスが割り込む。

 

『簡単に言えば……先の映像は《やらせ》だったんですよ』

 

「え!?」

 

 デルボネとリンテンスはあらかじめ武芸者たちに話を通していたのか。

 

「お前が気付かないとは意外だった、カナリス。べらべら話して鍛練しているところが都合良く映像に出てきたと信じたのか?」

 

「……陛下が知ったら怒りますよ」

 

「知るか、そんなもの。簡単に騙されるということは、それだけ民を見ていないということだ」

 

 リンテンスが煙草を吸い始めた。

 

「それに、あの映像は嘘でもない。本音だからな。心の内で抱えていたものを外に出させた。それのどこが悪い?」

 

 カナリスがリンテンスをまじまじと見つめた。

 リンテンスがそれに気付き、不愉快そうに顔をしかめる。

 

「なんだ?」

 

「なんていうか……リンテンス。あなた、天剣を持っていた頃と比べて、今は生き生きしているように見えます」

 

「充実した時間ってヤツを過ごしているからな。あのガキのおかげで」

 

 カナリスはくすりと笑った。

 リンテンスは無言で紫煙を吐き出す。リンテンスの唇の端は微かに吊り上げられていた。

 

 

 

 アルシェイラは外縁部の端に立っていた。そこはリーリンが乗った放浪バスを見送った場所。

 アルシェイラの傍に、蒼銀色の犬に似た獣が顕現する。廃貴族のグレンダン。

 

「ずっと考えないようにしてきた。ルシフがわたしより強い可能性を」

 

 グレンダンは話さない。アルシェイラの隣でじっとしている。

 

「ルシフは姑息で卑怯なことを考える頭脳はあるけど、真っ向勝負ならわたしの方が上だってずっと思ってた。リーリンを狙ってわたしに隙を作らせたのも、そうしないとルシフはわたしに勝てないからだって、ずっと自分を信じ込ませてきた」

 

 アルシェイラは両拳を握りしめた。

 都市の外は相変わらず汚染物質が舞い、砂嵐のようになっている。

 

「本当は、分かってた。ルシフに、完膚なきまでに負けたんだって。それどころか、ルシフの相手にもならなかったんだって」

 

「アルシェイラ、お前……」

 

 アルシェイラの両目から、透明な液体が流れていた。握りしめている両拳からは血が滴り落ち、アルシェイラの莫大な剄が外縁部を荒らし回っている。

 

「悔しさで涙が流れるなんて、嘘だと思ってた。本当だったとしても、わたしには縁のないものだと思ってた」

 

 アルシェイラはずっと遠くを睨んでいた。まるで遠く離れたルシフを睨むように。

 

「泣けばいい。我はずっとお前を見てきた。お前の前に困難などというものは存在していなかった。ルシフ・ディ・アシェナ。奴こそ、お前にとって最初の壁よ」

 

 アルシェイラは声をあげて泣いた。遠く離れたルシフに聞かせるように、号哭した。グレンダン中を吹き荒れる剄に声はほとんど紛れたが、天剣授受者や優れた武芸者は聴力を強化してアルシェイラの慟哭を聞いていた。

 

「必ず次はルシフに勝つわ。わたしが勝つことを信じてくれてる人たちがいるから」

 

 ずっと交わらないと思っていた。住民は脅威を排除することなど考えず、グレンダンで暮らしていればいいと思っていた。自分がこの都市に降りかかる脅威を何もかも排除するのだと、決めていた。

 しかし、グレンダンは彼らの都市でもあるのだ。彼らにもこの都市を守る権利があり、守りたいと思う心がある。

 ルシフにわたし一人で勝てるかどうか、それは分からない。だが冷静に考えれば、あの戦闘でルシフは仲間を誰よりも信頼し、一丸となって戦闘を挑んできていた。

 こっちは天剣授受者レベルの武芸者が十二人。それに近い武芸者もそれなりにいる。完璧な連携ができるようになれば、ルシフと剣狼隊が攻めてきても間違いなく勝てる。

 勝つための最大限の努力をする。それが今の自分に必要なのではないか。自分が最強だと信じてくれる者たちのために。今までの自分は堕落し、現実から逃げていただけだった。

 

「そうか……ならば!」

 

 グレンダンの体躯が輝き、光輝く球体がグレンダンから弾き出された。

 球体はすぐに形を変化させ、長い棒状のものがアルシェイラの後方に突き刺さる。

 アルシェイラは振り返った。そこには二叉の槍。アルシェイラの身長を超える長さがあり、柄はまるで二匹の蛇が絡み合うようにして作られている。先端には穂先が二つ。

 

「グレンダン、あなた……ルシフの廃貴族と同じことを」

 

「我はずっとグレンダンにいた。お前が王で無くなれば、次の王に力を貸す。それが我の運命であった。しかし、我もお前の勝ちを信じてみたくなった。運命を選びたくなったのだ」

 

 アルシェイラはグレンダンの方を見た。グレンダンは頷いた。

 

「あなたの魂、受け取るわ」

 

 アルシェイラは柄を掴み、地面から引き抜いた。アルシェイラの顔には涙の跡がある。

 アルシェイラは二叉の槍をじっくりと眺めた。

 

「今なら、メルニスクがルシフに武器を渡した気持ちが多少理解できる気がする」

 

「不思議ね、グレンダン」

 

 アルシェイラは二叉の槍から、グレンダンの方に顔を向けた。

 アルシェイラは楽しそうに笑っていた。

 

「とても悔しいのに、今まで感じていた退屈がどこかにいっちゃったわ」

 

 ずっと目的もなく、ただなんとなく生きてきた。運命が何もかも決めるものだと思って、自分から動くことなんて全くなかった。

 もしかしたらそんな考え方に嫌気が差して、あの時グレンダンを飛び出してルシフと闘いにいったのかもしれない。

 あれが運命の出会いだったのだろう。あの日から、アルシェイラにとってルシフの存在は退屈な日々を破壊する起爆剤になったのだ。

 

「どうやってルシフを倒そうか、わくわくするわね」

 

 乗り越えるべき壁。

 アルシェイラの人生において、初めて立ち塞がった障害物。しかしそれは、一人で乗り越えなくてもいいのだ。グレンダンにいる武芸者たちと、乗り越えればいい。

 負けを認めたら、一気に世界が拡がった。モノクロだった世界が鮮やかに彩られたような、そんな気分だった。

 アルシェイラは二叉の槍を右手に持ち、王宮へと歩き出す。蒼銀色の獣もアルシェイラの隣をとことこ歩いていた。

 

「ルシフに勝つ」

 

 歩きながら、アルシェイラが呟いた。

 グレンダンは相変わらず隣を歩いている。

 

「ルシフに勝つわよ、グレンダン」

 

「うむ」

 

 彼女らの眼前には、グレンダンの都市部がある。まるで巨大な山が立ち塞がっているように見えた。

 

 

 

   ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ルシフはハイアとミュンファが住んでいるサリンバン教導傭兵団の放浪バスに来ていた。頭痛と熱はあるが、今日は軽い。ルシフの他にはマイ、サナック、バーティンが護衛役として付いてきている。

 意外なことに、ハイアはルシフと会うことを承諾した。そこでルシフがハイアが住んでいる場所で会うと決め、ハイアがこの放浪バスを指定してきた。

 応接室のような場所に案内され、ルシフは座った。ルシフの後ろのスペースに、残りの三人が横一列で立っていた。ハイアは片膝をつき、頭を下げている。顔は見えないが、両手は強く握りしめられていた。かなりの屈辱らしい。

 

「ハイア・サリンバン・ライア。向かいに座れ」

 

「……ありがとうございます」

 

 ハイアはルシフの向かいのソファに座った。ルシフの顔を直視しようとしない。顔を少し俯けている。

 扉が開き、ミュンファがお茶の入ったコップをお盆に載せて持ってきた。ルシフとハイアの間にある台に二つ置く。コップを置く際、ミュンファの手が震えていたのをルシフは見逃さなかった。

 ミュンファが一礼し、部屋から出ていく。

 ルシフはコップを手に取り、ためらわず一気飲みした。苦めのお茶だが、冷えていて飲みやすい。

 

「なかなかいけるな」

 

「おれっち……私たちに何か用ですか?」

 

「ライア、他人行儀な話し方はやめろ。普通に話すことを許可する。用件はただ一つ。俺に服従し力を貸すか、服従しないか。それを訊きに来た」

 

「服従しないを選んだら、どうなるさ?」

 

 ハイアは顔をあげていた。左目は黒の眼帯に隠されている。だが、不愉快そうな表情は隠しきれていない。

 

「別にどうも。自分で仕事を見つけ、好きに生きればいい。服従するなら、こっちから仕事を回してやってもいい」

 

 ハイアがマイをちらりと見て、また顔を俯けた。

 

「おれっちはあんたの念威操者を誘拐し、死んでもおかしくない傷を与えた。それでも、おれっちたちを潰さないって言うんか?」

 

「それに対する罰はもう与えた。それで貴様と俺のわだかまりは消えた。俺はそう思っている」

 

「ルシフ……お前は、不思議な奴さ。暴政でヨルテムを抑え込んでいるが、こうして向かい合っていると微塵もそう感じない。けど、おれっちはお前のことが心底嫌いなんさ」

 

「なら、服従しないってことか?」

 

「当たり前さ。おれっちは飼い犬にはならない。エサくらい自分で調達するさ」

 

「いいだろう。犯罪行為に手を染めたら、即叩き潰す。よく覚えておけ」

 

 ルシフは立ち上がった。ハイアも腰を上げる。

 

「お前がそれを言うんか? ヨルテムを武力掌握しているお前が?」

 

「俺が法だからな。せいぜい頑張れよ」

 

「お前に言われるまでもないさ」

 

 ルシフたちは応接室から出た。

 出入り口までの通路でミュンファがいた。通路の端に身体を寄せ、道をあけている。

 ルシフは歩き続け、ミュンファとすれ違う。ミュンファの身体は震えていた。しかし敵意を感じる眼。言葉で言われなくても自分を嫌っていると分かる。

 ハイアたちの放浪バスを出て、都市長室のある建物に帰ろうと歩き出す。

 道行く人々はルシフの姿を見ると顔を強張らせ、一礼した。ルシフの邪魔にならないよう、ルシフの行く手を遮っていた人は慌てて道の端に寄った。

 エリゴら五人を公開処罰してから三日が経っていた。今も王宮の建設と工業区、農業区の拡大は進められている。合格した武芸者は剣狼隊が厳しく鍛えていた。警備の数が遥かに少なくなったため、そちらに重点を置くことができるようになったのだ。武芸者は強く在り続けなければならない。赤装束の者が指導する側というのも重要だった。武芸者の中でも剣狼隊は特別ということになり、剣狼隊になるのを目標とする武芸者も多く生まれるからだ。もちろん、選ばれた者にはそれ相応の報酬を与える。武芸者になろうと必死に努力する人間も出てくるだろう。

 反乱を起こす者も全くいなくなり、たまに強盗や暴行といった軽犯罪をしようとする奴がいるくらいだった。

 ルシフは道の途中、小物を売っている店を見つけた。その店に立ち寄る。マイたちは疑問に思ったが、無言でルシフと同じく店に行った。

 ルシフは赤のヘアピンを手に取り、レジに行った。

 

「お、お金は結構でございます。陛下に差し上げます」

 

 レジの店員の女性は震えた声で言った。

 

「いや、ちゃんと金を払う。売り物に金を払うのは当たり前だ」

 

 店員はぽかんとした顔になった後、花が咲いたように笑みを浮かべた。しかしそれは一瞬で、すぐにしまったというような表情になった。

 金を払い、赤のヘアピンを小さな紙の袋に入れてもらった。

 紙袋を右手に持ち、店を出た。

 

「一体誰にプレゼントなさるおつもりですか?」

 

 店を出てすぐ、マイがジト目で言った。

 

「お前には関係ないだろう」

 

「ええ、関係ありませんとも。でもいいなー、羨ましいなー」

 

 ルシフは舌打ちした。

 

「分かった、分かった。ちょっとそこで待ってろ」

 

 ルシフは店に戻り、黒のヘアピンを買ってきた。

 店の入口に立っているマイに、黒のヘアピンが入った紙袋を渡す。マイの表情はぱっと明るくなった。

 

「ほら、これで文句ないだろ」

 

「はい! ありがとうございます、陛下!」

 

 マイは嬉しそうに胸の前で紙袋を抱きしめていた。

 ルシフは軽く息をついた。だが、マイの嬉しそうな姿を見て、思わず表情が緩んだ。

 バーティンが物欲しげな視線を送ってきていたが、気付かない振りをして都市長室のある建物に帰ってきた。

 帰ったら、謁見の間で報告を聞いた。

 夜になって自室に戻ると、少女たちが一礼した。

 

「おかえりなさいませ、陛下」

 

 少女たちの一人が、そう口にした。

 

「お前がシェーンか?」

 

「はい」

 

「お前と二人きりで過ごしたい」

 

「……陛下がお望みなら、いつまででも」

 

 シェーンはぽっと顔を赤らめていた。

 寝室にシェーンと行き、シェーンを抱いた。シェーンの裸を見ると、この女はシェーンだと確信した。

 公開処罰の後、激しい頭痛と高熱に寝込んでしまった。幸い一晩で軽くなったため、ヨルテムの住民に余計な思考をする隙は与えなかった。

 その中で、シェーンは一生懸命看病してくれた。自分を殺せる絶好の機会だったのに、ルシフを殺そうとしなかったのだ。意識が飛んだ時もあったから、殺そうと思えば殺せた筈なのに。

 あの日から、ルシフはシェーンに心を開き始めた。

 毎晩シェーンを抱き、今回は三度目だった。

 シェーンが裸のまま、ベッドに横たわっていた。荒く息をついて身体を上下させ、顔を紅潮させている。

 ルシフは下着を穿いてベッドに座り、シェーンを見ていた。

 

「陛下に抱かれるのが幸せになってきました。陛下の役に立っていると思えるのが、とても嬉しいです。陛下に抱かれるのが気持ちいいから、というのもありますが」

 

 ルシフは机の上に置いていた紙袋を手に取り、シェーンに渡した。

 

「これは?」

 

「俺の看病をしてくれたからな、その礼みたいなものだ」

 

「わたしは当然のことをしただけです」

 

「とにかく、お前にやる。貰っておけ」

 

「……そこまでおっしゃるなら……。あの、開けてもよろしいですか?」

 

「ああ」

 

 シェーンは紙袋を開けて、中身を取り出した。赤色のシンプルなヘアピン。

 

「わぁ……!」

 

 シェーンは嬉しそうにヘアピンを見つめた。

 

「常にそれを髪に付けろ。喋らなくてもお前だと分かるようにな」

 

「これからは喋らなくてもわたしだとバレてしまうんですね。欲が出てきてしまうかもしれなくて、少し怖いです」

 

「どんな欲だ?」

 

「陛下にもっと自分を知ってもらいたい、という欲です。他の少女たちと仲間離れし、自分が個別化してしまったせいだと思いますが」

 

 今までシェーンは他の九人の少女たちの中に溶け込んでいた。しかしヘアピンを付けてしまえば、シェーンは少女たちの中から弾かれ、シェーンという一個体になってしまうのだ。またそれ故に、もっと自分を出したいという衝動にも襲われるのである。

 シェーンはそういう自身の感情をよく理解していた。

 

「お前という人間を俺に見せてくれ。そっちの方が面白い」

 

「陛下の仰せ通りにいたします。このような物を与えてくださり、ありがとうございます」

 

 シェーンは裸のまま正座し、丁寧に頭を下げた。前髪に付けた赤いヘアピンがきらりと光る。

 その赤がまるで自分の所有物だという証のように見えて、ルシフは赤色を選んだことを内心後悔した。

 

 

 

 シェーンを抱いた後は風呂に入り、風呂から出たら寝ずに部屋を出た。

 今の時刻は午前三時である。

 ルシフとマイは建物から出て、外縁部近くの停留所に向かった。

 放浪バスは日が経つにつれ増え続け、乗客も別の都市に行くことを許していないため、住民も増え続けていた。乗客については補助金という形で援助し、金が無いから滞在できないなどという事態にはならないようにしていた。

 ルシフは車体を赤く染められている放浪バスの前で立ち止まった。バッグを右手に持っている。

 

「ルシフ、どこに行くつもりだ!?」

 

 ニーナが息を切らして走ってきていた。

 ニーナは剄脈拡張の影響で高熱が数日間続き、ずっと寝込んでいた。リーリンがニーナの看病をしていた。

 ニーナは眠れず、気分転換に窓から外の景色を見ていた。すると建物からルシフが出ていく姿が見え、慌てて追いかけてきたのだ。

 ニーナの後ろから、リーリンが遅れてやってきた。

 周囲は警備している剣狼隊とマイしかいない。ルシフにため口を聞いたところで、ルシフは気にしなかった。

 

「──シュナイバル」

 

「……何?」

 

仙鶯(せんおう)都市シュナイバルに行く」

 

「なんだと!?」

 

 ヨルテムですることはもう無くなっていた。都市内も落ち着き、安定している。

 自分はヨルテムにいると住民を騙し、他都市を奪いに行く。

 ルシフはそれを実行しようとしている。

 

「……シュナイバルに行き、何をするつもりだ?」

 

「何をするかなど、分かりきっているだろう?」

 

「わたしも行く」

 

「お前がいたところで何も変わらんぞ」

 

「それでも、行くんだ。シュナイバルはわたしの故郷なんだぞ!」

 

「勝手にしろ。お前はどうする?」

 

 ルシフがリーリンの方に視線を向けた。

 

「わたしも行くわ」

 

 僅かに逡巡した後、リーリンは言った。

 ルシフ、マイ、リーリン、ニーナの四人は放浪バスに乗り込む。

 放浪バスは剣狼隊以外の者からは誰にも見られることなく、ヨルテムから飛び出して汚染された大地を進んでいった。

 放浪バスの向かう先からは太陽が僅かに顔を出し、金色の剣を何本も空に突き刺していた。


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