鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第77話 シュナイバルの守護神

 『縁』から現実世界に戻ると、ルシフは悠然と機関部の外に向けて歩き出した。マイ、ニーナ、リーリンがその後ろを付いていく。

 ルシフが扉を開け、外に出る。

 外は凄まじい戦闘になっていた。十人だったルシフの味方も百人程度に膨れ上がっていて、相手にしている武芸者の数は軽く五百人はいる。

 マイが念威端子を展開させた。シュナイバル全体を把握するためだ。

 

「ルシフさま。非戦闘員はシェルターに避難している最中で、武芸者の半数はその護衛と誘導をしているようです。戦闘はこの場しか起こっていません。この場にいない武芸者は遠くから包囲するように立っています」

 

 許可なく機関部に入るのは大罪。下手すれば都市そのものが壊れる可能性があるため、軽い罰では住民が納得しない。シュナイバルの武芸者は、この場所から逃がさない構えなのだろう。

 ルシフは方天画戟を手に、周囲を注意深く見渡す。多数の剄が吹き荒れ、付近の建物は武芸者たちの攻撃の余波で崩れ、地面は抉れて土埃が舞い続けている。

 ルシフの姿が消えた。土埃が真っ二つに割れ、武芸者の一人が轟音とともに地面に叩き潰された。

 何事かと戦闘中の武芸者は戦闘を中断し、轟音の方に視線を向けた。土埃が晴れていく。ひび割れた地面に武芸者が口から血を吐いて倒れていた。そのすぐ近くに佇む見たことのない凶悪な武器を持つ赤装束の少年。

 

「た、隊長が……。隊長が一瞬で……」

 

 ルシフの姿が再び消える。消えたと思った時には、一人の武芸者が今度は建物にめり込んでいた。建物との直線上にルシフがいる。その武芸者も隊長だった。

 ルシフは周囲を見渡し戦場を確認した際、隊長が誰かを動きで見極めていた。

 ルシフの姿が見えなくなる。音しかない世界の中、次々に隊長格が地面に叩き伏せられ、あるいは吹っ飛ばされて壁や建造物に突き刺さった。

 シュナイバルの武芸者は反応すらできず、ただ隊長格が倒されていくのを見ているだけだった。隊長格の中には狙われているのを悟り、逃げ出した者もいた。しかしルシフには無駄な行動で、すぐに追いついて他の者たちと同じように倒した。

 ルシフは三十人ほど目についた実力のある武芸者を倒すと、機関部の扉の前に再び現れた。ニーナの表情が悲しみで歪み、リーリンは息を呑んでいる。マイは念威端子からの情報も処理しているため、無表情。

 

「抵抗は止めろ! このお方には勝てない! 犠牲を増やすだけだ!」

 

 ルシフの味方についていた武芸者の一人が叫んだ。

 シュナイバルの武芸者たちが叫んだ者を悔しげに睨む。

 

「この裏切り者! 恥知らず! 何が抵抗を止めろだ! ふざけたことぬかすな!」

 

 叫び返した武芸者が槍を構え、ルシフに突っ込んでいく。

 ルシフは方天画戟で槍を弾き、体勢を崩した武芸者の腹に方天画戟を打ち込む。武芸者は後ろに吹き飛び、気を失った。

 

「くそッ、圧倒的すぎる! こんな時、ジルドレイドさまさえおられれば、こんなヤツにシュナイバルを好き勝手にさせないものを……!」

 

 その時、シュナイバル全体を衝撃が襲った。崩れかけた建物が壊れ、地面が揺れる。

 シュナイバルにいる全員が支えを咄嗟に探し、掴まった。口を閉じ、何が起きたか把握しようとする。

 

「ルシフさま、シュナイバルに別の都市がぶつかりました。調べる限り、一人しかその都市の住民はいません。建造物も無く、外縁部しかないようです」

 

 マイの声は僅かに困惑の色があった。

 レギオスとは、人が汚染物質の中で生きるための居住空間である。にも関わらず、宿泊施設はおろか、工業区も農業区もない。レギオスではあり得ない都市構造なのだ。マイが困惑するのも当然だろう。

 同じ情報をシュナイバルの武芸者たちも念威操者を介して手に入れたらしく、顔に喜色が浮かび上がっていく。

 

「……間違いない。ジルドレイドさまの都市だ……ジルドレイドさまがお目覚めになられた!」

「これでシュナイバルはあの男の毒牙から救われるぞ!」

 

 花びらの形をした念威端子が二十枚程度、ルシフたちのところに等間隔で舞い下りた。

 

『ジルドレイドさまからの指示です! 全武芸者はただちに停戦し、戦闘態勢を解除! そこにいる少年はルシフ・ディ・アシェナか!?』

 

「そうだ」

 

『ジルドレイドさまが貴様と一騎打ちを希望している! 隣の都市に行き、完膚なきまでに倒されてきなさい!』

 

 その言葉はシュナイバル全体に響いていた。

 ニーナは唖然とした表情でその言葉を聞いていた。

 

「……大祖父(おおおじい)さまが、ルシフと闘う……?」

 

 ジルドレイドのフルネームは、ジルドレイド・アントークといった。ニーナと血縁関係にあるが、通常と違う部分もある。ジルドレイドは人工冬眠を繰り返し、はるか昔からアントーク家に君臨していた。その年数は百年とも二百年とも言われている。

 ニーナは二、三度しか会っていないが、ジルドレイドを忘れたことは一度もない。稽古と称し、アントーク家全員が一斉にジルドレイドに闘いを挑んだことがあった。それら全てをジルドレイドが防ぎ、弾き飛ばした光景は今もニーナの脳裏に焼きついている。

 ニーナの父はジルドレイドのことをこう言った。大祖父さまはシュナイバルの守護神だ、と。

 

「マイ、マーフェスを守れ。万が一に備えて」

 

「はい」

 

 マイの返事を聞いた後、ルシフが跳躍した。建物の上に着地。付近にいる武芸者がぎょっとした表情になり、一歩後ずさる。ルシフは彼らを一瞥しただけで何もせず、建物を蹴ってジルドレイドがいる都市に向かった。

 ニーナはその光景を見て、いても立ってもいられなくなった。

 

「リーリン、ここでじっとしていてくれ。わたしはルシフと大祖父さまのところに行く」

 

「待って! ニーナが行って何ができるの!?」

 

「止めようとは、思ってない。それが無駄なのは、二人を知っているわたしがよく分かる。だが、一騎打ちを見届けることなら、わたしにもできる」

 

 ニーナはルシフ同様に跳躍し、建物を蹴ってルシフの後を追った。

 

「……ニーナ……」

 

「心配しなくても死にませんよ。ニーナさんは」

 

「どうして言い切れるの?」

 

 マイがリーリンの方に顔を向けた。

 

「私がルシフさまのことをよく分かっているからです。あなたもわたしが守りますから、死にません」

 

 リーリンは意外そうな表情になる。

 

「わたしを守ってくれるの?」

 

「それがルシフさまの命令なら」

 

 リーリンを囲むように、六角形の念威端子が舞った。

 

 

 

     ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ルシフが平面の都市に立つ。後方から見知った剄が近付いてくるが、無視して都市の中央を見た。

 都市の中央には、一人の老人が瞑目して立っている。白髪を後ろで束ね、白い顎髭があった。服装は武芸者の制服ではなく、茶色のスーツ。両手にそれぞれ鉄鞭を持っている。

 ルシフが老人の数メートル前まで移動する。

 老人は静かに眼を開けた。

 

「……なるほど。若造にしては、良い眼をしておる」

 

「ジルドレイドとは貴様のことか?」

 

「いかにも。儂の名はジルドレイド・アントーク。お前を倒す者だ」

 

「俺を倒す? ぜひ、倒してもらおうか。最近退屈でしょうがなかったんだ」

 

 ジルドレイドの眼が鋭さを放つ。

 

「ルシフ・ディ・アシェナ。シュナイバルはお前に期待しているようだが、儂はお前のやり方など認めん。運命に選ばれた者だけが、イグナシスへの打倒をなし得るのだ。お前のやり方は無力な者も無理やり運命の輪の中に引きずり込み、余計な恐怖心を与える。覚悟のできていない者など、何人集まったところで邪魔なだけだ」

 

「ふん、まだ分からんのか」

 

 ルシフが方天画戟をジルドレイドに向けた。

 

「時代が変わったのだ。貴様など、時代に取り残された遺物にすぎん。せめてこの俺が、引導を渡してやるよ」

 

「ほざくな、若造が!」

 

 ジルドレイドが莫大な剄を全身から発し、ルシフに迫る。鉄鞭が振り上げられ、渾身の力で振り下ろされた。

 ルシフは方天画戟で鉄鞭を防ぐ。ルシフの身体が鉄鞭の圧力で軋み、地面にヒビが入った。

 もう一方の鉄鞭。横から振るわれる。方天画戟を回し、頭上の鉄鞭を弾きながら横からの鉄鞭を受け止めた。

 そこからはどちらも一歩も退かぬ攻防だった。お互いの得物を目にもとまらぬ速さで振るい、間に無数の火花が散り、ぶつかりあった金属音が都市を震わせた。

 ニーナはかなり離れた場所から内力系活剄で視力を強化し、その攻防を息を呑んで見ていた。

 ルシフが方天画戟に剄をより一層注ぎ、振り抜く。ジルドレイドは鉄鞭を交差させ、方天画戟を防いだ。だが方天画戟の剄が衝剄に変化。衝撃波となり、ジルドレイドを吹き飛ばした。

 

「むうッ……」

 

 ジルドレイドは体勢を空中で整え、着地。軽く息が上がっていた。

 

「大口を叩くだけの実力はあるか」

 

 ジルドレイドが息を整え、眼を閉じる。

 

「アーマドゥーン」

 

 ジルドレイドの纏う剄が爆発的に増加し、剄の圧力だけで周囲の地面を削っていく。

 これだけでは終わらない。

 

「ジシャーレ、テントリウム、ファライソダム」

 

 次々に名を呼び、その度に爆発的に剄が増大する。ジルドレイドが立つ場所は震え、地面が抉れて宙を舞っていた。

 ジルドレイドは四体の電子精霊と融合し、その力を己のものにしていた。剄量だけならば、ルシフを上回るかもしれない。

 

「アーマドゥーン、戦場強化」

 

 ジルドレイドの剄によって崩壊していた地面が光の波を打ち、急速に修復していく。数秒経つ頃には元通りとなり、更に都市全体を光が駆け抜けて地面に吸い込まれていった。

 ルシフは淡く輝く地面に、方天画戟を突き刺す。だが地面に穂先は刺さらなかった。表面で止められている。

 

「ここからが本番ということか」

 

 ルシフは地面からジルドレイドの方に視線を戻す。

 ジルドレイドは先程とは比べものにならない剄を纏い、二本の鉄鞭を下ろしたまま、ルシフの方にゆっくり歩いてくる。

 

「見せてやろう、極限まで高めた意思の力を。全てを犠牲にしても目的を達成すると決めた覚悟の力を」

 

 ジルドレイドの纏っている剄が凝縮し、身体が黄金の輝きを放つ。

 ジルドレイドが消えた。そう思った時には、ルシフの右横に潜り込んでいた。

 ルシフは咄嗟に方天画戟を右に振るう。打撃音。衝撃は殺せず、ルシフが後方に吹き飛んだ。

 ルシフの左腕は鉄鞭の衝撃でビリビリと震えていた。空中で体勢を立て直す。前方から気配。ジルドレイド。追ってくる。

 ルシフは口元に笑みを浮かべた。そうだ。これだ。この緊張感がほしかった。しくじれば、死ぬ。それだけの実力をジルドレイドは持っていた。

 方天画戟で地面を突き、身体を上昇させる。ジルドレイドはルシフの下を通りすぎたが、すぐさま身体を反転させ、地面を蹴って方向転換した。

 

「メルニスク、最大開放」

 

《おう》

 

 ルシフの全身から黄金の剄が放たれ、赤色の剄と混じって朱色の剄に変化していく。

 

「遅いわ!」

 

 ジルドレイドが鉄鞭をルシフ目掛けて振るう。ルシフの右手が剄糸を掴み、引っ張った。ルシフの身体が移動し、ジルドレイドをかわす。方天画戟で地面を突いた際、方天画戟の剄の一部を剄糸にして地面に張りつけておいたのだ。

 真下からジルドレイドを蹴り上げる。ジルドレイドは鉄鞭で蹴りを防いでいた。空高く、ジルドレイドが舞い上がる。

 ルシフは地面に着地し、ジルドレイドに向けてすかさず右手をかざした。右手に剄が集中していく。

 化練剄で火の性質に変化させつつ、衝剄に火を混ぜ込んでいく。そのイメージを脳内で思い描き、右手から放つ。赤く輝く真紅の閃光がジルドレイドに牙を剥く。

 

「むんッ!」

 

 ジルドレイドは回避行動せず、真っ向から鉄鞭で閃光を受け止めた。閃光が幾筋にも分かれ、ジルドレイドの横を突き抜けて消えていく。

 ジルドレイドは閃光が放たれた元を見据える。ルシフはそこにいなかった。

 ジルドレイドは意識を集中。ルシフの気配を捉えるため、全身の感覚を研ぎ澄ます。

 

「上か!」

 

 ジルドレイドは真紅の閃光が消えていった空を見る。ルシフが方天画戟を構えて向かってきていた。閃光を放った瞬間に跳躍していたのだ。

 ルシフが頭上から方天画戟を振るう。ジルドレイドは鉄鞭を交差させて防ぐが、勢いは殺せない。ジルドレイドは地面に叩きつけられた。

 

「むう……!」

 

 ルシフはジルドレイドから数メートル離れた場所に着地した。

 

「遊びはもう終わりだ、ジルドレイド・アントーク」

 

「……何をぬかす? 本気でやっていなかったとでも言うのか?」

 

「そんな身体のヤツに、俺が負けるか。確かに剄量は凄まじいが、身体が剄量に付いてこれていない。三十年前に闘えばもっと楽しめただろうが、今のお前は残りカスのようなものだ。俺の強さには到底届かん」

 

 ジルドレイドが身体を起こし、立ち上がる。憤怒が全身から溢れ出ていた。

 

「貴様に何が分かる!? 儂の代でこの呪われた運命に終止符を打つという確固たる意思を持ち、覚悟を決め、儂の全てを捧げたのだ! 貴様のような若造が知ったような口を叩くな!」

 

「はッ、笑わせてくれる。貴様はな、手段が目的になってるんだよ」

 

「……何を言う?」

 

「始めは世界を守るためにイグナシスを打倒しようと考えていたのだろうが、今はイグナシスを打倒することしか頭にない。だから、それだけの力を手にしても動かず、ただ時を待った。レギオスは時間が経てば経つほど減っていくというのに、見て見ぬ振りをした。レギオスを束ね、イグナシスなど問題ではないレベルまで人類を強くする時間は十分に与えられていたのに、何も行動を起こさなかった」

 

 ルシフが悠然とジルドレイドに近付く。

 

「覚悟? 意思? それがどうした。人生を振り返り、何をなし遂げたか、数えてみろ」

 

 ジルドレイドは憤怒の表情のまま、ルシフを睨んでいる。

 ジルドレイドは今まで来たるべきイグナシスの侵攻に備え、力を高めていた。それだけしか人生でしていない。シュナイバルに危険が迫れば排除したが、それもシュナイバルの武芸者だけでなんとかなった問題だったのかもしれない。

 

 ──儂は、何をなし遂げたのだ?

 

 いや、何もなし遂げていない。なし遂げるための力をずっと求めていた。力が無ければ、何もなし遂げられないからだ。

 

「目的のために力を高めるのは正しい。だが力とは、目的を達成するための手段にすぎない。手段が目的となり、本来の目的を見失うようなヤツが、俺に意見するな。身の程を知れ」

 

「貴様……!」

 

 ジルドレイドの鉄鞭を持つ両手が怒りに震える。

 ルシフは唇を歪め、その姿をさも愉しそうに眺めた。

 

「貴様に力を貸し、全てを捧げた電子精霊たちが哀れで仕方ない。俺を選んでいたなら、電子精霊の覚悟を無駄にはしなかった。上に立つ者が下の働きを無駄にして、恥ずかしくないのか」

 

「黙れ……」

 

「貴様には意思と覚悟はあっても、責任がない。だから漫然と待ち続けるなんてことができる」

 

「黙れ!」

 

「否定したいなら、何十年、何百年と磨いてきた貴様の力を見せてみろよ」

 

 ジルドレイドの剄が圧力を増した。全身から剄が噴き出しているように見える。

 二本の鉄鞭を構え、ルシフに突っ込む。地を蹴った瞬間、爆煙が巻き起こった。

 ルシフも剄を解放し、方天画戟で鉄鞭を受け止めた。二人を中心に剄の力場が形成され、暴風が都市を荒れ狂う。眩い閃光が都市全体を照らした。

 閃光の中、打ち合い続ける。ジルドレイドの猛攻を全て、ルシフの戟が防ぎ続けた。

 こんなものなのか。

 ジルドレイドは自問する。

 何十年と積み上げてきた力は。研ぎ澄ませてきた意思は。燃やし続けた覚悟は。

 鉄鞭を振るい続ける。ルシフの涼しい顔が眼前にあった。その顔を歪めようと、全身の剄を鉄鞭にのせて打撃を与え続ける。表情は変わらない。

 十数年しか生きていない小僧に、傷一つ付けられないのか。

 奥歯を噛みしめる。

 否! 断じて否ッ!

 ジルドレイドの剄が更に膨れ上がり、爆発した。身体をひねりながら鉄鞭を振るう。ルシフが後方に弾かれた。身体の動きを止めず、剄を鉄鞭に集中させ、一回転しながら再度振るう。鉄鞭の剄が衝剄となり、白銀の閃光となって弾かれたルシフを呑み込んだ。その反動に耐えきれず、ジルドレイドの全身から血が噴き出した。己の限界を超えた剄量だったのだ。三十年以上前の身体ならば耐えられただろうが、今の死ぬ寸前の老体には厳しかった。

 荒く息をつきながら、膝を屈した。一方の鉄鞭を杖のように使いながら、爆煙を見据える。

 爆煙が揺らめいた。ルシフが平然と出てくる。ルシフの両頬と全身に切り傷が刻まれ、血が流れていた。赤装束もボロボロになっている。

 

「その執念だけは見事だ」

 

 言葉が聞こえた時には、ルシフは目の前にいた。方天画戟がジルドレイドの右肩を打ち、ジルドレイドは地面に倒れ伏した。右肩の骨は折れただろう。

 

「見せてもらった、貴様の力を」

 

 ルシフが両頬から流れる血を拭った。傷口はすでに塞ぎかけている。

 マイの念威端子がルシフに近付いてきた。

 

『ルシフさま。都市の足が止まっているせいか、汚染獣の群れが接近しています。数は五体。全て老性体と思われます』

 

 念威端子から映像が展開され、汚染獣のいる位置も出ている。

 ルシフはその方向に視線を向けた。確かに地平線の果て、汚染獣が群れをなして近付いてきている。

 

「今度は貴様が見ろ」

 

 ジルドレイドは顔を上げ、ルシフを見た。ルシフは歩き、都市の端に立つ。ジルドレイドに背を向けていた。

 この瞬間、がら空きの背中に攻撃を加えれば、ルシフを倒せるかもしれない。だが、ジルドレイドに攻撃するという選択肢は思い浮かばなかった。

 

「人類を導く者の力を」

 

 方天画戟が朱色の光を放ち、剄が凝縮される。

 ルシフが方天画戟を横一線に振るった。朱色の光が閃光となり、大地を抉りながら突き進む。汚染獣五体は為す術もなく、圧倒的な剄の暴力に呑み込まれた。

 閃光が収まった後、ジルドレイドの視界に飛び込んできたのは何も無い更地だった。

 大地はばかでかい蛇が這ったような跡ができていて、途中にあった岩や石すらも閃光の中に消えていった。都市に向けて放ったならば、跡形も無く消し飛ばせる威力。

 ルシフがジルドレイドの方に振り返った。

 

「見たか、これが史上最強の力だ」

 

 抵抗するのもバカらしくなるような、圧倒的で慈悲の欠片もない力。イグナシスの打倒も、この男一人いればどうにかなるような気がしてくる。

 

「ジルドレイド・アントーク。貴様の願いは叶わん。叶えるには老いすぎた。イグナシスと戦えば死ぬ」

 

「ならば、戦って死ぬまで」

 

「イグナシスは俺が倒す。お前はイグナシスを相手にするには力不足だが、それ以外であればいくらでも使い道がある。死ぬ覚悟があるというなら、その覚悟を俺に使え」

 

「なんだと?」

 

「俺の臣下になれ、と言っている。強制はせん。臣下になるというなら、俺に傷を付けたその力を存分に使わせてもらいたい。俺と共に新世界を切り拓く礎となるか、生きる屍のまま寿命を迎えるか。好きな方を選べ。だが最後に一つ言っておく。時代はもう変わった。この激動の流れは止められんぞ」

 

 ルシフがジルドレイドの横を通り抜け、シュナイバルに向かった。

 ジルドレイドは右肩を左手で押さえながら、地面に視線を落とした。

 

「……儂は、イグナシスに勝てんか」

 

「大祖父さま!」

 

 ニーナがジルドレイドに駆け寄ってきた。

 

「大丈夫ですか!?」

 

「……ニーナか。身体は問題ない。あの男はお前が連れてきたのか?」

 

「いえ、ルシフがシュナイバルに行くと言ったので、何か止められるかと思い、付いてきただけです。何もできませんでしたし、何も変えられませんでしたが」

 

 ニーナが悔しげに顔を歪めた。

 

「あの男、儂が鉄鞭を握る理由を軽く踏み潰していきおった」

 

「そうです! ルシフは他人の気持ちを考えず、平然と大切なものを──」

 

「……しかし、世界が拡がったような気がする。今までは使命に囚われ、世界を狭く見ていたのではないかと思う」

 

 ニーナの言葉を遮り、ジルドレイドは言った。

 ルシフが粉々に希望を壊したからこそ、新たな希望を見いだし、光を見つけることができるのではないのか。相手に同情し中途半端に壊せば、ありもしない希望にすがり続けることになる。

 

「……大祖父さま?」

 

 ニーナが当惑し、ジルドレイドをただ見つめた。

 ジルドレイドの視界の端にニーナの顔がある。澄んだ青い空がどこまでも広がっていた。

 

「……世界はこんなにも美しかったのか」

 

 もう死にかけの老いぼれだ。

 なのに、なんでもやれそうな気がしてくるのは何故だろうか。

 イグナシスを倒せないと思い知った悔しさはある。だが未練はない。ならば、どうこの力を使おうか。気持ちはもう一歩前に進んでいた。

 

 

 

      ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ルシフはマイたちがいる場所に戻った。

 シュナイバルの武芸者は皆信じられないものを見たような顔をしている。ルシフとジルドレイドの戦闘映像は、念威端子でシュナイバルの至るところに展開されていたのだ。

 武芸者たちがざわめいた。

 ジルドレイドがボロボロの身体をひきずるようにして、ルシフのところまで来たからだ。

 シュナイバルの武芸者は内心、ジルドレイドがルシフに牙を剥き、ルシフを倒すことを期待した。

 彼らの意に反し、ジルドレイドは片膝を屈した。

 

「これよりジルドレイド・アントークはあなたの力となります」

 

「大祖父さま!」

 

 ジルドレイドの隣にいたニーナが叫んだ。

 

「……ニーナよ。今の世界に必要なのは、こういう男かもしれん。儂はこの男の下で、この男が何をなし遂げるか、命尽きるその日まで見届けようと思う」

 

「そんな……」

 

 ニーナは視線を彷徨わせる。父の顔を見つけた。

 

「お父さま! このままではシュナイバルはルシフに屈してしまいます! そうなれば、また多数の人の命が……!」

 

「お前の言いたいことはよく分かる。だが、大祖父さまはシュナイバルの守護神だ。大祖父さまの決定はすなわち、シュナイバルの決定。悔しくはあるが……」

 

「このままではいけません! 大祖父さまを説得しなければ──」

 

 言葉の途中で、ニーナは口を閉じざるをえなくなった。武芸者も皆口を閉じ、雑音の一切が消える。

 ルシフの隣に黄金の粒子が集まり、何かを形成していく。人の姿だが、腕ではなく翼があり、足は鳥。半獣半人。シュナイバルの都市旗に似た姿。

 シュナイバルに住む誰もが分かる。ルシフの隣に顕現したのは、電子精霊シュナイバル。そのシュナイバルがまるでルシフに従うように、ルシフの隣に静かに佇んでいる。

 

「……シュナイバル? 嘘だ、そんなの……シュナイバルはルシフのやり方を認めるというのか!」

 

 ニーナの肩に父が手を置いた。ニーナが父を見る。父は静かに首を振った。

 

「ニーナ、分かるだろう。シュナイバルは電子精霊と共に生きてきた都市。シュナイバルが決めたことならば、我らは従わねばならん」

 

 父がルシフに向かってゆっくりと膝を屈した。一人、また一人と次々に膝を折っていく。数分後には、シュナイバルの全武芸者がルシフに向かって跪いていた。

 ニーナは立ったままだった。両拳を握りしめている。

 この瞬間から、ルシフは電子精霊の長すら味方とし、自らの理想を掴み取るための力とした。

 これより、恐るべき速度で世界がルシフの色に塗り替えられていく。それを阻める唯一の都市であるグレンダンは、ルシフの策略により己の都市しか見えていなかった。


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