鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第80話 世界への答え

 窓から差し込む日の光が眩しかった。

 ルシフは起き上がり、辺りを見渡す。アシェナ邸の自室だった。

 

 ──……違和感があるな。

 

 どこに、と訊かれたら答えられないが、確かにこの光景には違和感がある。何か忘れているような……。

 

「ルシフさん! おはよう!」

 

 寝室の扉が開かれ、マイが入ってきた。マイの弾けるような笑顔を見て、ルシフも微かに笑った。

 

「おはよう、マイ。やけにご機嫌だな」

 

「当たり前! 忘れたの? 今日は私たちの結婚記念日よ!」

 

「ああ、そうか。今日は結婚記念日か。……ん? そう言えば、今日って何日だ?」

 

 何故か、結婚記念日が思い出せなかった。結婚記念日を忘れるなど、夫として最低だな。待て、俺は結婚していたか?

 

「今日が何日かなんてどうでもいいでしょ! ご飯できてるから、一緒に食べよ?」

 

 マイがルシフの手を引っ張った。ルシフはマイに引っ張られるがままにベッドから降りた。

 

「そうだな、今日が何日かなんてどうでもいいな」

 

 広間に行き、ルシフはマイとテーブルに座った。ルシフの両親のアゼルとジュリアも座っている。

 

「ルシフ。お前はいつまでマイに迷惑をかけるつもりだ? いい加減一人で起きれるようになれ」

 

「うるさいな。別にいいだろ」

 

「お義父(とう)さま、いいんです。私が好きでルシフさんを起こしてるんだから」

 

「そうよ、アゼル。ルシフはマイに起こしてほしくてわざと起きないだけよ。ねえ、ルシフ?」

 

「そんなんじゃない」

 

「あらあら、素直じゃないわね。誰に似たのかしら?」

 

「誰だろうな」

 

 そこでテーブルに笑いの渦が生まれた。マイも、父も、母も、そして俺も。みんなが笑っている。

 楽しい時間。いつも通りの日常。なのに、何故違和感を感じる? 何故涙が出そうになる?

 

「ん? どうしたんだルシフ? 全然食べてないではないか」

 

「……ちょっと考え事をしてた。何か忘れているような気がするんだ」

 

「忘れてるって何を?」

 

「分からない。分からないが、忘れてるってことだけは分かる」

 

 何かがおかしい。何かが決定的に違う。思い出せ。何が違う?

 

「ルシフさん、忘れてるってことはどうでもいいってことでしょ? 今が幸せならそれでいいじゃない。四人で幸せに暮らしていれば、それで」

 

「それもそう……ッ!」

 

 ルシフは頭を右手で押さえた。

 思い出した。父アゼルは死に、母ジュリアには絶縁された。

 ルシフはテーブルに座っている両親を見た。二人とも笑みを浮かべている。

 だとすれば、これは夢か?

 ルシフは顔を俯けた。夢なら、謝れる。

 

「父上、母上。ごめ──」

 

 途中で、口を閉じた。謝って、なんになる? ずっと背負っていくと決めた罪じゃないか。謝って、許してほしいのか? それは違うだろ。

 両親は何も言わない。ただ笑みを浮かべたまま、ルシフを見つめている。

 

「ルシフさん、いきなりどうしたの? 熱でもあるのかな?」

 

 マイがルシフの額に右手を当てた。

 次に、マイがルシフの額と自身の額を合わせる。

 マイの体温を感じた。夢なら、あと少しだけこのまま……。

 

「ごふッ!」

 

 マイがいきなり口から血を吐き出した。

 ルシフの右手がマイの身体を貫通している。

 

「ああああああああッ!」

 

 ルシフが叫び声をあげながら、右手をマイの身体から引き抜いた。右腕から右手の指先まで血で染まっている。

 引き抜いた右腕がまるで別の生き物のようにルシフの意に反して動き、再びマイの身体を貫通した。

 

「ああ……ああ……」

 

 マイの身体から血が流れていく。顔から生気が失われていく。

 ルシフは右腕を引き抜き、マイの身体を両腕で抱きしめた。

 

「……守る。俺が守る、必ず」

 

「……ウソつき」

 

 ぐったりとしているマイの首から炎が噴き出した。

 ルシフは思わずマイから離れる。

 マイの首から噴き出した炎が、マイの全身を包んだ。

 

「守れなかったくせに……傷つけたくせに……」

 

「……やめろ」

 

 マイがルシフに詰め寄り、ルシフの両肩を掴んだ。

 

「ルシフさまは私を守ってくれなかった!」

 

 マイの全身を包む炎がルシフにも燃え移り、ルシフの全身も炎に包まれた。全身に激痛が走る。

 

「やめろおおおおおおッ!」

 

 マイの顔が炎で崩れ、頭蓋骨が見えてくる。

 

「ああああああああッ!」

 

 

 

 ルシフはベッドで勢いよく上半身を起こした。

 荒く何度も呼吸する。左手で右腕を押さえた。右手の五指をゆっくりと動かす。

 自分の意思通り動くのを確かめると、ルシフは再びベッドに寝転がった。激しい頭痛に顔をしかめる。

 目覚まし時計が鳴った。

 

「おはようございます、陛下」

 

 シェーンが入ってきて、ルシフに近付いてくる。

 

「近寄るな!」

 

 ルシフが怒鳴り、シェーンがびくりと身体を硬直させた。

 ルシフはハッとした表情になり、シェーンから視線を逸らした。

 

「もう起きている。ここでお前がやることは何もない。外で待っていろ」

 

「……はい、失礼をいたしました」

 

 シェーンが部屋から出ていった。

 

《ルシフ、どうした? 毎日のようにうなされておるぞ》

 

「なんでもない。心配するな」

 

 激しい頭痛があるが、頭は押さえなかった。右腕をちらりと見る。何度も自分の意思通り動かせると確かめたから、問題ないはずだ。

 

《汝がそう言うなら、我はもう何も言わん》

 

 それから朝食を食べ、書斎に行った。

 僅か数日でグレンダン以外の全都市を支配下に置いた。『縁』を移動に利用していたため、移動時間は無いに等しかったのだ。

 グレンダン以外の全都市が支配下になっていることは、少し前までは自分しか知らなかった事実だが、今は違う。ヨルテムに従うように、ヨルテムを多数の都市が群れをなして追従しているのだ。

 ヨルテムの都市民が外縁部に集まり、その光景を愕然と見ている、と念威端子から報告があった。彼らはその瞬間、理解したのだろう。他都市も自都市と同様に制圧され、奪われたのだと。

 学園都市連盟や民政院といった、都市を越えて影響を及ぼす組織や政治に介入してくる組織はすべて解体した。民政院を解体した時は「誰のおかげで王になれたと思っている」などと言ってきた奴がいたが、気にも留めなかった。都市民の意思を体現するのなら、都市民に直接選ばせればいい。わざわざ政治家を選び、政治家が集まって王を決めるという時点で、誰を王にするかコントロールしやすくしているのは分かり切っていた。そんな組織はいらない。

 使っていない天剣は錬金鋼メンテナンス室に保管した。毎日ハントがよだれを垂らして解析しているだろう。

 学園都市以外の各都市でヨルテムと同様の民政をやり、各都市で武芸者でなくなった者の大量自殺が相次いで起こった。一家心中したところも多数あった。

 武芸者でなくなった者が死ぬのは因果応報だと思うが、一家心中に巻き込まれて死んだ家族には申し訳ない気持ちになった。彼らは理不尽に殺されたのだ。もしかしたら自分の意思で共に死ぬことを選んだ家族もいたかもしれないが、大半は一方的に殺された家族だろう。

 無論剣狼隊が独断でやったという形で、弔慰金や葬儀金の手配をした。各都市で貧窮している孤児院や養護施設への援助も剣狼隊が勝手に動いてやったことにしている。

 当然その罰として、剣狼隊を激しく痛めつけた。エリゴなど一部の剣狼隊に対しては片腕を切り飛ばした。切り落とした腕は消滅させなかったため、その後病院に行って元通りになった。

 エリゴが腕を切り落とされたのを見て、激怒した者がいた。レオナルトだ。

 レオナルトは「いい加減にしろよ、この野郎!」と謁見の間の多数の人が見ている前で怒鳴り、「もう剣狼隊なんざやってられるか!」と叫びながら赤装束を脱いで床に叩きつけた。

 王としての威厳がある。多数の人が見ている中で反抗的な態度をとったなら、罰を与えなければならない。

 レオナルトを徹底的に痛めつけた。周りで見ている者の顔が青くなっているのも気にせず、痛めつけ続けた。途中で周囲の剣狼隊が割って入り、必死に許しを請うてきたので、そこで痛めつけるのは止め、レオナルトに剣狼隊からの除隊を命じた。周囲の剣狼隊が必死に取り消してほしいと嘆願していたが、無視した。

 レオナルトは一言も反論を言わず、ボロボロの身体を引きずって謁見の間から出ていった。

 あれがレオナルトの良いところだ、とルシフは思った。レオナルトは嘘をつけない実直な男で、裏表が無い。本音を口にする。あれを見て、都市民は演技をして対立しているよう見せかけているとは思わないはずだ。

 レオナルトの除隊は痛いが、ここで耐えきれなくなるなら剣狼隊は荷が重すぎる。

 夜誰にも見られないように注意しながら、エリゴや腕を切り落とした隊員のところに見舞いに行ったりもした。そこでエリゴや隊員たちの採寸を取り、新しい装束を作らせるよう手配もした。

 毎日激しい頭痛と高熱があった。ときどき猛烈な吐き気に襲われ、トイレで嘔吐した時もある。その度にメルニスクが心配してきたが、なんでもないといつも言い返した。

 誰かに心配されるのは腹が立った。何故史上最強で最高の人物が心配されるのか。他人に気遣われるほど、俺は弱くない。俺は強く在らねばならない。

 書斎で書類を片付けていると、念威端子が飛んできた。

 

『陛下! マイちゃんがまた血を流して床に……!』

 

「なんだと!?」

 

 勢いよく椅子から立ち上がった。頭痛が更に激しくなり、一瞬立ちくらみを起こした。執務机に右手を置き、倒れないよう身体を支えた。

 

『陛下!? 大丈夫ですか!?』

 

「俺を気遣うな!」

 

『……も、申し訳ありません』

 

「……剣狼隊にマイを病院に運ばせろ。俺は人目が無くなったら見舞いに行く、とマイに伝えろ」

 

『はい、分かりました』

 

 念威端子が去っていく。

 ルシフは書斎の扉を閉めた。

 剣狼隊と対立しているよう見せかけているのに、表立って見舞いに行ったら台無しになる。誰からも剣狼隊を気遣っているのを見られないように、誰からも剣狼隊と親しくしているのを見られないように。

 すぐにマイのところに行けないもどかしさや苛立ち、そういう感情がルシフの中で暴れ回っている。

 執務机の上に透明のコップが置いてあるのが視界に入った。

 ルシフはコップを右手で取り、感情に任せて床に叩きつけた。コップは粉々になり、床に透明な破片がばらまかれた。

 

《ルシフ……》

 

「なんだ? 何か言いたいことでもあるのか!?」

 

《……いや、何もない》

 

「何もないなら話しかけてくるな!」

 

《すまん》

 

 ルシフは視線を床に落とし、粉々になったコップを見た。

 何をやっているのだ、俺は。メルニスクにも当たり散らして、情けない。

 だが、メルニスクに対して謝罪の言葉はどうしても口にできなかった。

 

 

 

     ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 レオナルトはイアハイムにある自宅に戻っていた。

 以前はヨルテムからの都市間移動を禁止されていたが、ヨルテムにグレンダン以外の全都市が集結したら、グレンダン以外の都市への移動が許可された。それにより、増え続けていたヨルテムの宿泊者も一気に減り、通常の住民数に戻っていた。

 ボロボロの身体で帰ってきた時、嫁は激怒した。一体何をやったのか、何故赤装束を着ていないのかなど厳しく問いただされた。

 それらの問いに対して正直に答えると、嫁は黙りこんだ。

 ルシフと喧嘩してから、もう二週間が経過していた。

 その間、剣狼隊の連中が日に何人か訪れて、剣狼隊に復帰するよう説得してきた。すべての誘いを俺は断った。

 毎日二時間程度鍛練しては、家でぼんやりと窓から外の景色を見ている。自分の魂が無くなってしまったようで、毎日が空虚だった。

 

「……あんた、本当は剣狼隊に戻りたいんだろ?」

 

「戻りたいさ! 当たり前じゃねえか! けど、今の大将の力にはなりたくねえ!」

 

 平気で仲間を傷つける。レオナルトには理解できなかった。その傷つけられる原因はルシフの指示によるものなのだ。こんなことに何の意味があるのか。

 エリゴの腕がルシフに切り飛ばされたとき、そのストレスが一気に爆発した。ずっと溜め込んできたものを全て吐き出していた。

 呼び鈴が鳴った。

 レオナルトは嫁と顔を見合わせる。

 

「またか」

 

「あたしが出るよ」

 

「いや、どうせ俺に用だろ。俺が出る」

 

 嫁を制して、玄関に向かった。

 

「わりぃな、剣狼隊に戻る気は──」

 

「よう、レオナルト」

 

 玄関の扉を開けながら喋っていたレオナルトを遮り、訪問者が言った。

 レオナルトが目を見開く。

 

「あんたは……」

 

 エリゴが手にもつ色々入った袋を見せて、ニッと笑った。切り落とされた腕の方だ。しっかり腕は元通りくっついている。

 

「とりあえず上がらせてもらっていいか? 話は中でしてえんだ」

 

「いいぜ、あんたなら」

 

 レオナルトはエリゴをリビングに案内した。

 リビングのソファに座るようレオナルトが促すと、エリゴは一言礼を言ってソファに座った。

 レオナルトはテーブルの椅子に座り、嫁がお茶とお菓子が載ったお盆を持ってリビングに来た。

 お茶とお菓子をそれぞれの前に置いたら、嫁もテーブルの椅子に座った。

 

「ありがとよ」

 

「お礼なんていいよ。あたしの方こそ、色々貰っちまって申し訳ない気持ちでいっぱいだ。ありがとう、エリゴさん」

 

「気にすんなよ。赤ン坊が産まれて大変な時なんだから、これくらいなんてことねえ。むしろ育児の邪魔しちまって怒られるんじゃねえかとヒヤヒヤしてたぜ」

 

「変わらないね、エリゴさんは」

 

 エリゴと嫁が笑い声をあげた。レオナルトは笑えなかった。

 

「エリゴさんよ、俺を剣狼隊に連れ戻しに来たんだろうが、俺は戻らねえぜ。今の大将には付いていけねえよ」

 

「レオナルト、俺たちも長い付き合いだよな。もうあと二、三年経ちゃあ十年になる。今まで色々あったよな?」

 

「覚えてるよ、エリゴさん。けど、もう限界なんだ。これ以上仲間が傷つけられんのは見てられねえんだよ」

 

「甘えんなよ」

 

 エリゴの纏う雰囲気が変わった。刀剣のような鋭さを帯びている。

 エリゴの気迫に一瞬呑まれたが、レオナルトはすぐに平常心を取り戻した。

 

「甘えてねえよ! 仲間傷つけられて怒って何が悪い! 黙って受け入れられるあんたらの方が異常なんだ!」

 

「おめぇ、今まで旦那の何を見てきたんだ?」

 

「大将のやってることが間違ってるとは一度も思ったことはねえよ! けど、やり方が酷すぎじゃねえか! 俺には今の大将に従えるあんたらの方が異常に感じるぜ!」

 

 エリゴがゆっくりと息を吐き出した。

 

「レオナルト、覚えてるか? イアハイムで旦那が王になった日、旦那は俺たち剣狼隊全員の血が混じった水を飲んだ」

 

「覚えてる!」

 

「ならその時、旦那が言った言葉は覚えてんな?」

 

「覚えてるさ! 忘れるわけねえだろ!?」

 

「だったらなんでおめえは仲間が傷ついて耐えられねえなんて言ってんだ!?」

 

 レオナルトはエリゴの怒気に呑まれ、身体を硬直させた。

 エリゴはレオナルトを見据える。不意に、エリゴが表情を和らげた。

 

「旦那が言ってたろ? 剣狼隊は旦那の剣であり、手足であり、頭脳である。剣狼隊が傷つくのは、旦那が傷つくのと同義だと」

 

「……しっかり、覚えてるよ。覚えてるから、腹が立つんだ。それだけ大切に思ってるなら、傷つけなくてもいいじゃねえか」

 

「それが甘えだって言ってんだよ。俺らを痛めつける時の旦那の気持ち、考えたことあんのか?」

 

「……大将の……気持ち?」

 

「イアハイムで王になる前の旦那は、よく笑ってた。けど王になってからの旦那の笑顔はほんの少し表情を和らげるだけで、全く見てねえ。おめえはどうだ?」

 

 ルシフの笑顔。

 思い出す。だが、王になる前の笑顔しかなかった。王になってからはいつも険しい表情か無表情で、表情を緩めることもほとんど無かった。

 剣狼隊を傷付けながら、ルシフも苦しんでいたのか? やりたくないことをやらなければならない苦痛にずっと耐えていたのか?

 

「傷つく? そんな痛み、旦那の苦しみに比べりゃどうってことねえよ。俺だけじゃねえ。痛めつけられた全員がそう思ってる。旦那の苦痛に比べりゃなんでもないってな。おめえの同情は俺ら剣狼隊をバカにしてんだよ。そんなことも分かんねえのか?」

 

 レオナルトは顔を俯けた。

 仲間を傷つけられて怒りを覚えるのは、間違っているのか? 傷つけられた本人が納得しているなら、怒るのはお門違いなのか?

 

「……わりぃ。けど、やっぱ無理なんだ。仲間痛めつけられて何も感じねえなんてよ」

 

「俺らは旦那を信じてる。何十、何百回と腕を切り落とされようが、殺されようが構わねえ。それが旦那の道の助けになるなら本望ってやつだ。おめえはどうだ、レオナルト? そうやって家で力を持て余して、自分を偽って生きていくのか? グレンダン以外の全都市がヨルテムに集結した。数年前じゃ考えられねえし、実際に目にした今も信じられねえだろ。それを旦那は実現してみせた。都市が集結したところを見て俺は心から思ったね、旦那に付いてきて良かったって」

 

 レオナルトはぐっと両手を握りしめていた。

 

「……俺は……俺は……」

 

「おめえはやさしすぎる。だが強い、優秀な武芸者だ。このままその力を使わず遊ばせるのか、旦那のところで活かすのか、それはおめえ次第だ」

 

 エリゴが立ち上がり、玄関の方に歩き始めた。

 

「邪魔したな、二人とも。あ、そうそう」

 

 エリゴが振り返り、笑みを浮かべた。

 

「俺が腕をくっつけるために入院してた時、旦那が見舞いに来てな、俺はさりげなくお前のことを訊いた。そしたら旦那、なんて言ったと思う?」

 

「……剣狼隊として相応しくねえとか、使えない奴だったとか、そういうことをどうせ言ったんだろ? 確かに俺は剣狼隊に相応しくねえよな」

 

「裏表無く、自分の感情を正直に曝け出す部分がレオナルトの良いところだな、だってよ」

 

「……それ、本当に大将が言ったのか?」

 

 耳を疑った。てっきり失望されたと思っていたのだ。

 

「本当さ。信じるか信じないかはお前次第だけどな。それじゃあ、そろそろ戻るわ。待ってるぜ、レオナルト」

 

 エリゴは玄関から外に出ていった。

 レオナルトはリビングの椅子に座ったまま、動かなかった。

 ツェルニでルシフに言われた言葉が頭をよぎる。

 

『レオナルト。お前は嘘をつけない。それでいい。自然体で飾らず、俺に力を貸せ』

 

 大将。俺は、俺のままでいいのか。ありのままの俺であんたに従ってもいいのか。

 顔を上げた。嫁が赤ン坊を抱いている。嫁と目が合った。嫁の表情が綻ぶ。

 

「どうしたんだい? やりたいことを我慢するなんて、あんたらしくないじゃないか。心のままに、突っ走りなよ。あたしはあんたのそういうところを好きになったんだからさ」

 

「……ありがとよ」

 

 レオナルトは赤ン坊を見た。この子には、都市間戦争のない、人間同士で殺し合わない世界を見せてあげたい。以前、そう思った。

 自分に約束した。ルシフを守ると。ルシフの力になると。何があっても自分はルシフの味方になると。

 椅子から立ち上がった。

 

「……ったく、何やってんだろうな、俺は」

 

「いってらっしゃい。今度は途中で戻ってくるんじゃないよ」

 

「ああ!」

 

 錬金鋼を剣帯に吊るし、玄関から外に飛び出した。

 俺はルシフの行く道に希望の光を見た。だったら、最後まで信じ抜けばよかったんだ。ただそれだけの話だったんだ。

 眩しい光の中をレオナルトは走り続けた。

 

 

 

     ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 シェーンはヨルテムの元都市長のところに訪れていた。元都市長がシェーンら十人の少女を買った際、休みの日は一度訪れるようにと決めていたからだ。そしてルシフが何をやったか、何を話したかを教える。いってみれば内通者のような仕事を与えられていた。

 シェーンは誤魔化さず、正直にルシフのことを話した。話したところで、別に問題ない情報ばかりだった。

 元都市長はシェーンの話を聞きながら、何度も頷いていた。

 

「ふむ、なるほどな。暴君に見えるが、その実しっかり考えられた民政をしていると」

 

「はい」

 

「だが、私ならもっと優れた政治を行える。ヨルテムの都市民たちも、私が再び都市長となるのを待ち望んでおるはずだ」

 

「あの、おっしゃられている意味が……」

 

「もう十分すぎるほど時が過ぎた。そこで少し待っていなさい」

 

 元都市長は部屋から出ていき、しばらくすると小さなビンを持って戻ってきた。

 シェーンの前に元都市長がビンを置く。ビンは透明で、中身が見えた。白い粉が半分ほど入っている。

 

「これはなんですか?」

 

「毒だ。ビンに入っている量の三分の一でも摂取すれば、確実に殺せる」

 

「毒……! まさか!?」

 

「そのまさかだ。お前はかなりあの男に気に入られたらしいな。この毒を飲み物に入れて、あの男を毒殺しろ」

 

「そんな……!」

 

「いいか、これは正義の鉄槌だ! 神の天罰だ! お前の行為は誰からも賞賛され、支持される! 誰もお前を責める者などいないし、お前を怨む者もおらん!」

 

 シェーンは顔を青くして、ビンを見つめた。

 ルシフを殺す。そんなことは考えたこともなかった。

 

「お前がやれんというなら、無理にとは言わん。別の者にやってもらうだけだ。だがその場合、お前はここで事が終わるまで拘束させてもらうぞ」

 

 自分がやらなくても、自分以外の九人にやらせると言うのか。この人はなんてひどい人なんだろう。

 シェーンは少し逡巡した後、ゆっくりと頭を下げた。

 

「……わたしが、やります。わたしが毒を陛下に飲ませます」

 

 元都市長がにやりと笑った。醜悪な笑みだった。

 

「よし。当たり前の話だが、監視はつけさせてもらうぞ。裏切られたらマズイのでな」

 

「はい」

 

「用はこれだけだ。戻っていいぞ」

 

 シェーンは小さなビンをスカートのポケットに入れた後一礼して、部屋から出ていった。

 シェーンがヨルテムの中央部を歩く。後ろから二人の男が付いてきていた。

 

 ──そうか。

 

 ルシフの世話をしていた時、ルシフがわたしたちに自分の食事を分け与えたり、逆に料理を作って振る舞ったりしたのは、ルシフがやさしいからではなかったのだ。ルシフはわたしたちが毒殺するための刺客ではないかとずっと疑っていたのだ。

 シェーンは軽くお腹をさすった。もしかしたら、ここにルシフの子どもがいるかもしれない。いつの間にか本気でルシフを愛していた。ルシフの子どもが欲しいと、本気で思ったのだ。ルシフは自分が父親と認めないことと、父親らしい援助は期待しないことが条件だと言い、わたしはそれでもいいと言った。

 

 ──あの人は、毒を飲んだら死ぬのでしょうか?

 

 正直死ぬイメージは思い浮かばない。

 シェーンは歩き続け、ルシフが住んでいる建物に入った。扉越しに振り返る。付けてきた男の一人が通信機のようなものに何か言っていた。

 シェーンは扉を閉めた。エントランスを抜けようと歩き出す。

 

「シェーン」

 

 前方から自分と全く同じ髪型、瞳の色、服装をしている少女が歩いてきた。

 

「一緒に陛下の部屋に行こう。ね?」

 

 そこでシェーンに電流に似た衝撃が走った。

 

「はい」

 

 そうか。この子が建物内での監視役か。

 シェーンは少女と並んで歩いた。

 

 

 

     ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ルシフは真夜中、マイの病室に見舞いに行った。

 マイは病室のベッドで横になっている。

 

「マイ、これで何度目だ。もっと自分の身体を大事にしろ」

 

「ごめんなさい、ルシフさま。でも気付いたらやっちゃうんです」

 

 ルシフはため息をついた。

 グレンダン以外の都市を制圧し支配下に置き、民政をやり始めてから三週間が経っている。

 マイは一週間経ってから四、五日ごとに手首を切って倒れていた。

 民政をやり始めてから、全くマイには会わなくなっていた。それがマイにとってストレスになり、自傷行為をしているらしかった。

 マイに人を付けているが、少し目を離した隙に端子で手首を切ってしまうらしい。

 ストレスで何故手首を切るのか、ルシフには分からなかった。マイは死ぬことを望んでいるとでもいうのか? いや、自分が時々会いに行っていた頃はそんなことなかったのだ。ならば、俺がいない時は存在価値を見出だせず、それに耐えきれなくなって死にたくなる、ということか。

 ルシフはマイの頭を優しく撫でた。

 

「マイ、お前はもっと自分に自信を持て。お前は優秀な人間だ」

 

「はい」

 

 それからしばらく無言で、マイの病室にいた。

 不思議とマイのそばにいると、頭痛や熱が無くなった。

 一時間ほど過ごした後、マイの病室から出た。

 

「ルシフ……」

 

 病室を出たところで、声をかけられた。

 ニーナだった。

 

「お前なら、必ずマイの見舞いに来ると思っていた。少し話がある」

 

「いいだろう。場所、変えようか」

 

「分かった」

 

 ルシフが歩き始める。ニーナがその後ろを付いていった。

 

 

 

 マイは病室のベッドで上半身を起こしていた。

 錬金鋼の杖を握っている。

 

「ルシフさま……違うんだよ。自分に自信があっても、意味ないよ。だって、どれだけ自信があったって、ルシフさまは私のそばに来てくれないもん」

 

 錬金鋼を握る手が震えた。

 どうして? どうして言えないんだろう? 自分だけを見てほしいって。自分以外の女に構わないでほしいって。ずっと自分のところだけにいてほしいんだって。

 マイの両目から涙が溢れた。

 どうして私は、こんなやり方でしかルシフさまに伝えられないのだろう? ずっと昔から一緒にいたのに、どうしてこんな……。

 涙が頬を伝い、錬金鋼の杖に落ちた。

 

 

 

     ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ルシフが選んだ場所は、都市旗がある建物の屋上だった。この建物は一番高く、外縁部の外まで見渡せる。

 

「話はなんだ?」

 

「お前に、訊きたいことがあった。お前は今のやり方が正しいと思っているのか?」

 

「正しいと思っている」

 

「一体お前のせいで何人死んだ!? これが正義だとでも言うのか!?」

 

 ニーナの全身から剄が迸り、黄金の輝きを放つ。

 

「正義? 俺は一度も正義などと言った覚えはない。自分のやっていることを正義などと言って、やっていることの責任から逃げようなどと思わない」

 

「……何? どういう意味だ?」

 

「正義ということは、間違った義が存在しているということ。正義とはすなわち間違った義を滅する行為を正当化する言葉だ。俺はそんな言葉で自分の背負うべき罪をごまかさないって言ってんだよ」

 

 ルシフが不愉快そうな表情でニーナを見据えた。とてつもなく暴力的で威圧的な剄がニーナの全身を激しく叩いている。ニーナは気力を振り絞り、必死に立っていた。

 

「……お前なら、死なせないようにできただろう? なのに、お前は……!」

 

「俺は新しく世界の枠を決めただけだ。その枠から弾かれ、生きていけないと思った奴は一人残らず死ねばいい。そんな弱者、俺の世界に必要ない」

 

「お前だけの世界じゃない! わたしの世界でもあり、生きているすべての人の世界でもある! お前は他人の意見を一切聞かず、圧倒的な力を背景に強引に物事を進める! 世界はもっとたくさんの人の意見を取り入れていくべきじゃないのか! それが自由と平等に繋がっていくはずだ!」

 

「自由? 平等?」

 

 ルシフが歩き、屋上の端に立つ。

 

「見ろ」

 

 ルシフが外縁部の方を指差した。光の群れがヨルテムに付いてくる。光の群れの正体は、多数の都市。大地を光球が埋め尽くしている。外縁部の部分は光がないためそこは真っ暗だが、各都市の形はなんとなく分かった。

 ニーナは圧倒されるような気分で、その光景を見た。

 たくさんの都市がまるで協力し合っているように、寄り添い動いている。まるで夢の中にいるような、信じられない光景だった。

 

「これが俺の世界への答えだ。お前が自由や平等などと叫ぶなら、お前の答えを見せてみろ」

 

 言葉が、出てこなかった。

 自分でもどうすればいいのか分かっていないのに、答えなど見せられるわけがない。

 

「ルシフ、一つ訊かせてくれ。お前はどんな世界にしたいんだ?」

 

「都市間戦争や汚染獣の脅威がなく、治安の悪化もない世界。理不尽な死を極力無くした世界。本気で生きたい者が生きられる世界だ」

 

 ──……ん?

 

 ニーナは今のルシフの言葉に微かな違和感を感じた。

 

「何故本気で生きたい者が生きられるようにする世界なのに、厳しく基準を決めていく? それでは、本気で努力しても基準に達しなかった人間はどうなるんだ?」

 

「それはそいつの努力が足りなかっただけだ」

 

 ルシフの言葉を聞き、ニーナはガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた。

 いや、まさか……そんな人間がこの世に存在するのか?

 

 ──ルシフはすべての努力は報われると信じ切っているのではないか?

 

 ルシフはおそらく今まで努力が報われなかったことがないのだ。どんな技術も、剄技も、知識も、努力すれば遅かれ早かれ自分のものにしていたのだ。

 だから、本気で努力すれば努力が必ず報われると考えている。努力して報われないのは、努力が足りないか努力の仕方が間違っているのか、そういう努力する人間自身の問題で、才能とかそういうものは関係ない。

 もしかしたら、ルシフの思考も真実なのかもしれない。努力が報われないのは途中で諦めたか、努力のやり方が間違っているだけかもしれない。

 だがそれでも、ルシフの思考は異常。

 ニーナはルシフが創造する完璧な世界に、僅かな綻びを見つけた気がした。

 

 

 

 ニーナが屋上から去っても、ルシフは屋上の端に立って付いてくる光の群れを眺めていた。

 ルシフの隣にはメルニスクが顕現している。

 

「見ろよ、メルニスク。まるでグレンダンの方が世界の敵のようじゃないか」

 

 もうすぐだ。もうすぐ世界の全ての破壊が完了し、新たな世界へ、次のステージに行くことができる。

 

「さあ、新世界の扉を開きに行こうか」

 

 その時激しい頭痛が起こり、ルシフは左手で頭を押さえた。視線を右手に持っていく。勝手に動き出しそうな気がして、左手を右腕の方に移動させた。

 メルニスクはルシフの方に顔を向ける。ルシフは無表情だった。

 

 ──以前の、王になる前の汝ならきっと、この場所で高笑いしていただろうに。

 

 いつから、ルシフの笑顔は消えてしまったのか。ルシフの笑顔を、取り戻せる時は来るのだろうか。

 メルニスクは顔を正面に戻した。光の群れが少しずつ消えていく。各都市が灯りを消し始めたようだ。




これにて『破壊と変革の歌編』終了です。
次話から本当の最終章『新世界の扉編』が始まります。

ここまで執筆できましたのも、たくさんの方がお気に入り登録をしてくださったり、評価してくださったり、感想を書いてくださったり、何より星の数ほど作品がある中、この作品を読んでくださった皆さまのおかげです。本当にありがとうございました。
なんとか百万文字以内に完結させようと思っていますので、あとほんの少しだけお付き合いくださると嬉しいです。

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