鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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最終章 新世界の扉
第81話 変化


 アルシェイラはただ剄量が桁違いなだけの凡人だったようだ。

 グレンダン王宮のいつもの訓練場に、レイフォン、フェリ、シャーニッド、ハーレイ、クラリーベル、アルシェイラ、デルボネを除いた天剣授受者全員がいる。

 アルシェイラは二週間ほど前から訓練場に来るようになった。初めてこの訓練場にアルシェイラが来た時、アルシェイラは見たこともない二叉の槍を持っていた。それがルシフ同様にアルシェイラの剄量に耐えられる武器であることは一目瞭然だった。

 訓練中、アルシェイラは二叉の槍を使わず錬金鋼(ダイト)状態に戻し、他の者同様素手で組み手をした。それが二週間続いている。

 レイフォンがアルシェイラは凡人ではないかと思った理由は、剄技や体捌き、戦闘の動きや技の組み立て方、そういった戦術に直結する能力が極めて低いからだ。

 アルシェイラは驚くべきことに、剄技を一つも持っていなかった。体捌きや動きも戦闘に特化したものではなく、戦闘をしたことがない者が闘う動きに近かった。

 しかし、それも仕方がないことかもしれない。アルシェイラは生まれながらに莫大な剄量を持ち、最強だった。

  戦術とは、言い換えれば敵を倒す術である。狼が自らを鍛えないように、生まれながらに敵を倒す術を持っていれば鍛える必要はないし、鍛える意味もない。戦術などというものを覚えなくとも敵を倒せるのに、戦術を覚える気にはならないのだろう。

 だが、そうも言ってられなくなった。今度の敵は、何も考えずに勝てるほど甘い相手ではない。アルシェイラといえど、戦闘技術を磨く必要がある。

 組み手は必然的にアルシェイラ対それ以外の全員となった。アルシェイラはルシフに匹敵するかそれに近い実力があるため、対ルシフ戦を想定した場合、都合の良い相手だった。

 レイフォンが渾身の右ストレートを放ち、アルシェイラが後ろに吹っ飛んだ。訓練場の壁にぶつかり、そのまま床に倒れる。床に倒れる直前に右手で身体を支え、片膝をついた体勢になった。

 レイフォンの近くにはリンテンス、サヴァリス、リヴァースがいて、サヴァリスは楽しそうに、リヴァースは嬉しそうに笑った。組み手に参加していたそれ以外の面々の中には、歓声をあげている者もいる。

 

「レイフォン。あんたのその剄技は反則よ、反則。認められないから今のは無効!」

 

 アルシェイラが悔しげにレイフォンを睨んでいた。

 レイフォンの顔に冷や汗が浮かび、困ったような笑みになる。

 

「そうは言われましても、ルシフとの戦闘はなりふり構っていられないですし……」

 

「十回中五回は成功するようになってきたね」

 

 リヴァースが言った。

 

「レイフォン、君の編み出した剄技はいってみれば剄技の革命だね。正直、誰にも思いつかないと思うよ。ねえ、リンテンスさん?」

 

 サヴァリスがリンテンスに視線を向ける。リンテンスは無表情でサヴァリスと目を合わせた。

 

「確かにな。あのルシフでも、きっと思いつくまい。こんな情けない剄技は誰も考えんからな」

 

「情けないって言い方はやめてくださいよ。どうすればルシフを倒せるか、必死になって考えて編み出した剄技なんですから」

 

「わたし相手じゃ駄目なのよね?」

 

 アルシェイラが立ち上がり、レイフォンたちに近付いた。

 

「はい。陛下は剄量は桁違いにありますが、剄の扱い方はその辺の武芸者にも劣ります。今の組み手で陛下は本気だったようですが、何割くらいの実力ですか?」

 

「うーん……三割……いや、二割くらいね、多分」

 

 アルシェイラは顎に手を当てた。

 レイフォンは思わずため息をつく。

 アルシェイラは剄の扱いが絶望的に下手だった。それでも美貌を維持するための内力系活剄の技量はあるが、美貌方面に全振りした技量である。アルシェイラは自分に興味があるものにしか力を入れないし、努力もしない。

 もしアルシェイラがルシフ同様に剄の制御をマスターしたなら、七、八割……もしかしたら十割で闘えるかもしれない。だが今のアルシェイラは三割が周囲に影響を及ぼさないで闘える限界だろう。剄の制御に十分程度時間をかければなんとか六割で都市を破壊せずに闘えるようになるが、それでもルシフ相手には力不足に感じた。せめて集中する時間が必要だったとしても、七割の剄量で戦闘ができるようになってほしい。

 それからしばらくアルシェイラ相手に全員で組み手をした。剄の制御ができなくてもアルシェイラはとんでもない強さであり、守りを固めて闘わなければどんどん戦闘不能にされた。

 組み手が終わると、シャーニッド、フェリ、ハーレイと一緒に孤児院に帰ってきた。

 孤児院で暮らすようになってから二ヶ月近くになるため、シャーニッドたちも孤児院の子どもたちとかなり親しくなっている。

 夕食の後、広間にシャーニッドたちが集まった。

 

「女王さん、だいぶ変わったなぁ。一ヶ月前と同一人物とは思えねぇ」

 

「確かにそうですね」

 

 シャーニッドの言葉にレイフォンが頷いた。

 二週間ほど前の話になるが、ルシフとの内通を疑われ捕らえられた二人に、アルシェイラ自ら謝りに行って解放したのだと言う。さらにアルシェイラは都市の金ではなく自腹でその二人に多額の慰謝料を払ったようだ。リンテンスに聞いた話ではかなり酷い拷問をしていたらしいから、それに対する慰謝料だろう。以前のアルシェイラなら絶対にそんなことはしなかった。ただ謝って終わりか、謝りもしなかったはずだ。アルシェイラが都市民を意識するようになったのは疑いようもないことだった。

 アルシェイラはルシフに初めて負けたショックを乗り越え、一皮むけた。レイフォンにとって、それは喜ばしいことだ。ルシフに勝つためにはアルシェイラの力は必ず必要になる。

 

「それにしても毎日キツいぜ。キツいのはいいんだが、女の子と遊べないのが一番こたえるな」

 

「……先輩は毎日遊んでるじゃありませんか。女の子と」

 

 フェリが冷たい視線をシャーニッドに向けた。

 

「女の子って、バーメリンさんか? いやいや、あれを女の子の括りにいれたら他の女の子がかわいそすぎんだろ。バーメリンさんが女に見えねえって言ってるわけじゃなくて、バーメリンさんは女とかそういう俗物的なものを超越した何かと言うか……」

 

「今の言葉、しっかり録音してますから」

 

 シャーニッドはフェリの付近を飛んでいる一枚の端子を見つけ、顔から血の気が引いた。

 フェリはマイ同様、常に錬金鋼を復元状態にして身体のどこかに身に付けていた。デルボネからそうするよう言われたらしい。デルボネ曰く、そうすることで睡眠中といった無意識下でも情報を収集できるようになるとのこと。慣れれば自分の意識と端子をリンクさせ、欲しい情報が手に入ったら目を覚ますようにしたりとかもできるようになると言う。

 

「フェリちゃんは相変わらずきっついねぇ。そういやぁ、ハーレイは最近収穫あったのか?」

 

 シャーニッドがハーレイに視線を送る。ハーレイは小さく首を振った。

 ハーレイは錬金鋼技術を磨くため、グレンダンにある様々な錬金鋼技師のところを訪ねていた。そのどれもが空振りに終わっている。

 

「そうか、また収穫無しか。なんのためにグレンダンに来たのか分かんねえな」

 

「僕もこれは予想外。武芸の本場だから錬金鋼技術も高いかと思ったんだけど、錬金鋼自体の関心はあまりないみたい。武芸者の要望に合わせた錬金鋼選びや設定はきっちりやるけど、新錬金鋼の開発は全くやってないし。多分天剣があったから、新錬金鋼の必要性を感じなかったんじゃないかな」

 

 天剣は最高峰の錬金鋼であり、天剣があるがために新錬金鋼の開発に意欲的でないのは有り得る話だった。どんな要望も、天剣なら叶えてくれる。

 

「成る程な。なら、こっちから技術提供するのはどうだ? レイフォンの持ってる複合錬金鋼(アダマンダイト)簡易型複合錬金鋼(シム・アダマンダイト )はグレンダンにはないだろ?」

 

「うーん、それも難しい話なんですよ。複合錬金鋼や簡易型複合錬金鋼はキリク、レイフォン、僕で開発した錬金鋼ですけど、それはツェルニの錬金鋼技術になるから、生徒会長の許可なく勝手にツェルニの錬金鋼技術を教えるのは犯罪になる可能性があります」

 

「グレンダンの錬金鋼技師たちもお前同様に技術を隠してるかもな」

 

「そうだと嬉しいけど、グレンダンの武芸者が身に付けていた錬金鋼に目新しさを感じるものは無かったし、その可能性は低いと思いますね。今は天剣授受者が少しでも満足できる錬金鋼を、って新錬金鋼の開発に躍起になってるようですけど、収穫はないみたいです」

 

「順風満帆ってわけにはいかねえか」

 

「すみません。僕、ちょっと外の空気を吸ってきます」

 

「おう、風邪ひかないようにしろよ」

 

「はい」

 

 レイフォンは立ち上がり、広間から出た。

 二階のベランダに行き、柵に両肘を乗せた。空を見上げる。グレンダンは汚染物質が多いところを通っているらしく、月と星は見えなかった。ただ暗闇があるだけだ。

 レイフォンはゆっくりと深呼吸する。何度も何度も、深呼吸を繰り返した。

 直感が囁きかけてくる。ルシフと闘う時はもうすぐそこまで迫ってきていると。新しく編み出した剄技も成功率は五割まで上がった。天剣授受者たちは精力的に鍛練し、女王もやる気になって強くなるための努力をするようになった。以前よりも、ルシフに勝てる確率は間違いなく上がっているのだ。

 レイフォンの身体が微かに震え出す。両手で両肘をぎゅっと握った。

 怖い。ルシフと闘うのが、心から怖い。勝てると思い続けても、圧倒的な強さでグレンダンを蹂躙したルシフの姿がその希望を打ち砕く。ツェルニでルシフと一緒にいた時は、危ない奴だと思いながらも、心のどこかでは頼りにしていた。嫌っている部分もあったが、羨ましいと思う部分もあった。ルシフが味方なら、どんな敵も倒せるんじゃないかと心強く感じたこともある。そのルシフの敵に、自分は望んでなった。敵に対して容赦しないルシフの敵になったのだ。

 ベランダの扉が動く音が聞こえた。次に足音が響き、レイフォンの隣まで来た。

 レイフォンは顔を空から隣に向けた。フェリがまっすぐレイフォンを見ている。

 

「……怖いですか? ルシフが」

 

「そりゃ怖いですよ」

 

「わたしがいます」

 

「……フェリ?」

 

「わたしが全力であなたの力になります。ルシフのどんな手も、わたしが念威で見破ってみせます。それでも、怖いですか?」

 

 フェリの真剣な表情に、レイフォンは吸い込まれた。孤児院で一緒に暮らすようになってから、フェリとの距離はかなり近くなった気がする。たまにフェリが気になり、視線で追いかけてしまったりもした。自分はフェリにどういう感情を抱いているのか。この感情はなんなのか。自分自身も分からない。

 レイフォンは軽く笑みを浮かべた。

 

「フェリが全力で力になってくれても、怖いものは怖いですよ」

 

「……そうですか」

 

 フェリの瞳に微かに落胆の色が混じる。

 レイフォンは両手に伝わっていた震えが止まったのを感じた。再び空を見上げる。

 

「でもフェリの言葉から、その恐怖に打ち克つだけの勇気と強さをもらいました。思い返せば、僕が闘う時はいつもフェリが一緒に闘ってくれた気がします。今更かもしれませんけど、ありがとう、フェリ」

 

「……お礼を言われるほどでもありません」

 

 フェリの頬に赤みがさす。

 心臓の音がうるさいくらいに聴こえた。思いっきり抱きしめたい衝動が身体を突き抜ける。

 リーリンを大切に想っている気持ちは変わらない。フェリに対して感じている想いも似たような気持ちなのかもしれない。しかし、リーリンへの想いとは何かが決定的に違う。何が違うのか、自分自身も分からないが、違うことだけは確信できる。

 フェリと無言で見つめ合った。自然とお互いの顔が近付く。

 

「あー! レイフォン兄がちゅーしようとしてる!」

 

 アンリの声。

 慌てて顔をフェリから離し、扉を見た。透明な扉のため、閉まっていてもベランダは見える。

 アンリが笑顔で指をさしていた。周囲にはハーレイやシャーニッド、トビエ、ラニエッタがいる。シャーニッドの口が『静かにしろって言ったのに』と動いた。どうやらずっと見ていたらしい。

 レイフォンは後方の気配に気付かなかった。それだけフェリに意識が向いていたということだ。フェリも、同じかもしれない。同じだったらいいな、と何故か考えた。

 フェリは無表情だが、顔は赤いままだった。気まずい空気を紛らわそうと、視線が泳いでいる。

 

「……フォンフォン」

 

「は、はい!」

 

「ルシフを殺す覚悟はできましたか?」

 

 冷や水を頭からかぶせられたようだった。もしかしたらフェリはこれを訊きたかったのかもしれない。廃都市探索の時にも、同じようなことを言われた。あなたではルシフを倒せない、と。

 

「……ルシフは、誰よりも強い。そう信じることにしました。だから、全力でルシフを殺します。ルシフなら、上手く防いで致命傷にならないと信じて」

 

「……敵が防御するのを信じる、ですか。なんていうか、本当に甘いですね、あなたは」

 

「でも、これが僕です。いまさら変われませんよ」

 

「それでいいと思います」

 

 どうして自分はルシフと闘い、あまつさえルシフを殺そうと考えているのか。ふと、頭に疑問が浮かんだ。

 その回答は一瞬で思いついた。深い理由なんてない。グレンダンへの攻撃を実行しようとしていて、殺さないと止まらない相手だから。ただそれだけしかない。

 ルシフは何故グレンダンに拘り、攻撃しようとするのだろう。もう天剣はすべて奪ったのだ。ただの暇潰しなのか、それとも自分では思いつかない深い理由があるのか。

 扉が開けられ、アンリ、トビエ、ラニエッタが笑顔でベランダに入ってきた。

 もうすぐ深夜になる。寝るよう言わなければと考えつつ、レイフォンは笑いの輪の中に入った。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 いつもの鍛練が終わった後、アルシェイラは謁見の間に行き玉座に座った。

 カナリスや大臣、官僚もいる。これから政務についての報告や会議をするからだ。

 アルシェイラは数週間前から、カナリスに丸投げしていた政務を自らこなすようになっていた。都市民が自分を信じてくれているのに、その期待を裏切ることはできない。そう考えるようになったからだ。

 そういう思考になると、今までカナリスに政務を押し付けて遊んでいた自分がどれだけ女王としての責任を放棄していたか、よく分かった。人の上に立つという意味をどれだけ考えていなかったか痛感した。

 

「ここ一ヶ月、放浪バスの運行頻度が低くなっています。今は一台の放浪バスすら来なくなっています」

 

 カナリスが書類を見ながら言った。

 

「放浪バスが来なくなってから何日?」

 

「今日で七日目です」

 

「過去に同じ事例は?」

 

「二回あります。ただし、十日を超えたことはありません。八日目で過去の二回とも放浪バスが来ています」

 

 何か妙な胸騒ぎがした。これは偶然の出来事ではなく、作為的に引き起こされた問題のような気がする。

 

「これはわたしの推測ですが……」

 

 カナリスも同じものを感じているようで、そこで言葉を一旦切って謁見の間にいる者たちを見渡した。最後にアルシェイラを見る。

 アルシェイラは無言で頷き、先を促した。

 

「もしかしたらルシフがヨルテムに何かしたのかもしれません」

 

 謁見の間がざわつく。大臣や官僚が小声で話し始めた。

 アルシェイラもカナリスと同じ懸念を抱いていた。

 ルシフの出身都市はイアハイムだが、ルシフには百名の武芸者集団がいて、イアハイムはルシフの傀儡のようなもの。イアハイムは誰かに任せ、全ての都市に通じる玄関でもあるヨルテムの武力制圧に乗り出すのはあり得ない話では無かった。そして、ヨルテムの制圧に成功したルシフが情報を漏らさないために、グレンダンに向かう放浪バスを禁止する。

 放浪バスが来ない原因として、それが一番現実味があるし、ルシフがツェルニを離れた時期とも重なる。

 

「こうして疑われるのは悪手だと感じるけどねえ」

 

「疑われるのもルシフの計算の内、なのでしょう。それか、疑われたところで問題がない段階まで達したか」

 

「陛下、お話があります」

 

 大臣の一人が一歩前に進み出た。

 

「言ってみなさい」

 

「……ルシフに降伏はできませんか?」

 

 カナリスが話している者をきっと睨んだ。口を開いた者は慌てて顔を俯ける。

 武芸者は打倒ルシフに燃えているが、逆に大臣や官僚はルシフに降伏すべきとの意見が強かった。

 

「降伏の理由は?」

 

「二つあります。一つはルシフに勝てる気がしないからです。もう一つは、前のルシフの襲撃による被害が甚大で、都市の資源が少なくなっているからです。ルシフとの戦闘は苛酷で激しいものになると思います。たとえルシフに勝っても、グレンダンの建造物を破壊され多大な損害を被るのなら、闘わず屈した方がグレンダンの住民のためだと感じるのです」

 

 前のルシフの襲撃による損害はある程度回復したが、完全に元通りとまではいっていない。元々グレンダンの資源の備蓄は少なかったため、資源も枯渇寸前になった。ここで再び前のような損害を出せば、ルシフに勝ったところで共倒れになる、と考え始める者が出てきたのだ。

 その流れは都市民にも伝染し、都市民の中にも少数だが、『闘わず降伏すべき!』とプラカードを掲げて演説のようなことをしている。演説の内容を要約すれば、無駄死にするくらいなら膝を屈して生きようという内容。これをありとあらゆる方面に絡めて主張してくる。

 やめさせるべきだ、と天剣授受者や武芸者は怒りを滲ませて言ってきたが、放置させるよう命令した。それだって都市民の声だ。その声に都市民の大多数が靡き、抗戦派から降伏派に変わるのなら、それは戦闘をする自分たちが都市民から信用されていない表れでもある。

 それに、力ずくでやめさせようとすれば、都市民からの不満も出てくるだろう。抑えつければより反発したくなるのが人の性というもの。暴動にならない限りは放っておいた方が正解な気がする。

 正直、どういう対処が正解なのか、アルシェイラには判断できなかった。今回のデモのようなものへの対処も、カナリスとデルボネの二人と話し合って決めたことなのだ。

 人の上に立つというのはこんなにも大変なことなのか、と実感した。今まで都市民を意識すらしていなかったから、自分は責任を放棄して遊ぶことができたのだ。都市民を意識すると、面倒くさいと政務を投げ出して遊んでいた自分がどれだけ最低な都市長だったか思い知った。

 

「……一つの意見として聞いておく」

 

「ありがとうございます、陛下」

 

 降伏を主張した者が頭を下げた。

 カナリスが物言いたげな視線をアルシェイラに向ける。

 謁見の間での会議と報告が終わり、アルシェイラはカナリスと自室に戻った。

 アルシェイラは椅子に座る。

 侍女が水の入ったコップを机に置いた。アルシェイラは一言礼を言った後、コップを手に取って水を飲んだ。

 

「陛下は変わられました。以前の陛下なら、降伏と言ってきた者たちを問答無用で抑えつけたと思います」

 

「……ルシフから襲撃を受けた時、ルシフに言われた。『お前は獣の王だ』と。その時は何言ってるのこいつ程度にしか思わなかったけど、今ならその言葉の重さが分かる。確かにわたしは獣の王だった」

 

「陛下……」

 

「カナリス、わたしは人の王になれると思う?」

 

「もう人の王に陛下はなられています」

 

 カナリスが微笑んだ。

 アルシェイラはカナリスから視線を逸らした。

 

「今更だけど、今までわたしの代わりに政務をやってくれてありがとね」

 

「ッ! そんなッ、もったいないお言葉です! わたしはただ影武者としての役目を果たしただけです!」

 

 カナリスの頬が濡れていた。

 そういえば誰かを労うことを今までしてこなかったな、と唐突に思った。

 これからは労うようにしよう、とアルシェイラは心に決めた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 グレンダン以外の全都市が集結したことで、都市を移動する者が増えた。

 ツェルニに入学していたナルキ、ミィフィ、メイシェンの三人もツェルニからヨルテムに移動していた。ヨルテムは彼女らの故郷なのだ。

 ナルキが沈んだ表情で喫茶店の椅子に座っている。四人テーブルで、ミィフィとメイシェンも座っていた。メイシェンは涙を流しすぎたせいか、眼が赤くなっている。

 

「……まさかツェルニを出ていった後、ルッシーがこんなことをするなんて思いもしなかったなー! あ、今は『陛下』か!」

 

 明るい声でそう言った後、ミィフィはあははと笑った。二人は沈んだ表情のまま。

 

 ──何この空気の重さ。どうすればいいの!?

 

 ミィフィはこの空気を打開するため、とても面白いギャグを言おうと口を開く。

 

「ふとんが──」

 

「父が武芸者ではなくなった」

 

 ミィフィの言葉を遮り、ナルキが呟いた。ミィフィは思わず口を閉じる。

 

「ナッキ……」

 

 メイシェンが心配そうにナルキを見た。

 

「今の父は建築現場で肉体労働をしている。家族を養うためにはそれしかなかった。現場から家に帰ってきた父の表情と言葉が忘れられない。父は笑顔でわたしにこう言った。『住民を守るために働くのも良かったが、住民の生活を良くするために働くのもいいな』と。わたしは武芸者の父が誇らしかったし、尊敬していた。でも、今の父は武芸者の頃より生き生きとしている気がする。きっと父は幸せなのだろう。だが、わたしにとっての父は武芸者なんだ」

 

「……ナッキは怒るかもしれないけど、わたしはルッシーの武芸者選別には賛成してる。わたしみたいな剄を持たない一般人は、剄を持つ人イコール都市を守るために闘う人ってどうしても思っちゃう。剄を持つ人は誰もが特別なんだって。剄を持つ人からしたらとてつもない重圧を、一般人のわたしたちは無意識に与えていたんだって思うんだ。

でもルッシーは武芸者選別をして、剄を持つ人間の中でも一握りの人間だけを武芸者にした。つまり、剄を持っているから特別じゃなくて、剄を持っている中でも優れた人が特別だって表面化させた。きっとこの選別が、一般人と剄を持つ人の境界線みたいなものを少しずつ取っ払っていくんじゃないかな」

 

「ミィ、お前の言いたいことは分かる。でも、やっぱり悲しいんだ。認めたくないんだ」

 

 ナルキの表情は暗いままだ。メイシェンはおろおろしている。何を言うべきか考えているようだ。

 ミィフィは外の方に視線を向けた。

 

「……ナッキ、ルッシーに会ってみる?」

 

「え?」

 

 ナルキが顔を上げた。

 

「あれ見て、あれ」

 

 ミィフィが外を指さした。ナルキとメイシェンの視線が自然と指をさした方に向く。指をさした先には、見た目が全く同じ少女二人が買い物していた。片方は赤のヘアピンを付けている。

 

「あの二人、間違いないわ。ルッシーの侍女みたいな人たちよ。わたしの情報網、甘くみないでよね!」

 

 ミィフィが胸を張ったが、誰も見ていなかった。

 

「ミィ。お前の考えではつまり、あの二人に頼んでルッシーに会わせてもらうということか?」

 

「そっ。そうと決まれば早く行こ!」

 

「誰も行くとは──」

 

「いいから! 早く早く!」

 

 ミィフィたちは会計を手早く済ませ、向かいの店に駆け込んだ。

 ヘアピンを付けた少女は調味料を片っ端から買い物かごに入れている。

 

「シェーン、調味料はまだあったよね?」

 

「ええ、知っています。でも、一応予備で買ってもいいかと思って」

 

 ミィフィはさりげなく買い物かごを覗いた。塩、胡椒、砂糖、唐辛子、醤油など、様々な調味料が入れられていた。どれも詰め替え用ではなく、ビンに入っていてそのまま使えるタイプだ。

 

「あの~すいませーん。ルッシーのお付きの方ですよね?」

 

「ルッシー?」

 

 ヘアピンの少女が首を傾げた。

 

「ルシフのことです。ルシフ・ディ・アシェナ」

 

 ミィフィの言葉を聞いた瞬間、二人の少女の顔がさっと青ざめた。店内にいた人たちも会話を中断し、ミィフィを注目した。

 ミィフィら三人は店内の異様な雰囲気に戸惑った。

 

「……あなたのお名前はなんですか?」

 

「ミィフィ。ミィフィ・ロッテン」

 

「ミィフィさん。どれだけ陛下と親しかったか知りませんが、陛下をそのような呼び方で呼ぶのはやめた方がよろしいかと。痛い思いをされても何も言えないですよ?」

 

「は、はい! 以後気をつけます!」

 

 ミィフィは頭を下げた。

 ヘアピンの少女も頭を下げ、会計しにもう一人とレジに向かって歩いていった。

 顔を上げて、ミィフィは二人の後ろ姿を眺めた。

 

「二人とも、ルッシーに会うのやめよう」

 

「なんでだ!? そもそもお前が会うと言ったんだろうが!」

 

 ナルキが怒鳴った。メイシェンも困惑した表情をしている。

 ミィフィはナルキたちの方を見た。

 

「多分、会ってもルッシーじゃない。ルッシーの姿をした別人に会うだけだよ。『陛下』って人にね」

 

 三人は結局ルシフに会わず、ツェルニに戻ることにした。


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