鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第82話 油断

 ルシフが書斎の机で書類を書いている。ルシフが横目で時計を見ると、ちょうど午前三時になったところだった。

 ずっと激しい頭痛と熱がある。それも毎日だと慣れてきた。辛いが、我慢できるようになっている。

 ルシフの意識が一瞬飛び、大きく船を漕いだ。頬を叩いて目を覚まさせる。

 

 ──眠い。

 

 ルシフは目を最大まで開けようとするが、まぶたが意に反して下りてくる。まぶたが重い。

 

《ルシフ、寝たければ寝た方がいい。ここ二週間ほど、二、三時間程度しか睡眠時間を取っておらぬのだからな》

 

 メルニスクの言葉を無視し、書類を書き続ける。やらなければならない政務は探せばいくらでもあった。それぞれの都市が独自の政治体制で、まずそれを全て統一化されなければならないから、問題は山ほど出てくるのだ。それに加え、今後の数年どう動くか、自分が死んだ場合の遺書なども書いた。

 忙しいから寝る時間がない、という理由で睡眠しないわけじゃない。寝ると、必ず夢を見る。最初はマイと楽しく過ごしているが、いきなり自分の意思と無関係に身体が動き、最後はマイを殺す夢。マイを殺したところで絶叫し、いつも目が覚めた。

 マイの殺し方は多種多様で、撲殺、刺殺、斬殺、絞殺、溺殺、焼殺等、場面に合わせた殺害をした。夢だと気付くのはいつもマイを殺した後で、マイを殺す感触に慣れることは全くなかった。

 寝るのが怖くなっていた。マイを殺す感触は現実そのもので、自分が眠る度に壊されていっている気がする。寝て次起きた時には自分ではなくなってしまうような恐怖にずっと囚われている。それでも、寝なければならない。

 ルシフは午前四時になるまで書斎で政務をし、寝室に行ったのは四時半頃だった。

 ベッドに横になる。重かったまぶたが更に重さを増した。閉じていく世界。また俺は、マイを殺す夢をきっと見る。

 午前六時頃、ルシフは勢いよくベッドから起き上がった。かなり汗をかいたらしく、ルシフの着ているシャツはベタついていた。ルシフは不快そうに眉をひそめ、シャツを掴んでパタパタと動かした。空気がシャツの中に入り、ひんやりとして気持ちがいい。

 またマイを殺す夢を見た。今回の舞台はイアハイムの公園で、公園をマイとのんびり散歩していたところ、急に自分の右手が意に反して動き、公園にあった木に思いっきりぶつけてマイの頭を潰した。頭が潰れてもマイは動いていた。両手で俺の両肩を掴み、潰れた頭を俺の顔に近付けてきた。そこで目が覚めたのだ。

 ルシフは服を着替え、いつもの黒装束になる。

 寝室から出たら、シェーンら十人が掃除と朝食を作っていた。ルシフの顔を見て、頭を下げ挨拶してくる。ルシフは挨拶を返すだけでそれ以上の会話をせず、そのまま書斎に行った。

 書斎にある執務机を前にした椅子に座り、政務を再び始めた。政務を始めて三十分ぐらいしたら、シェーンともう一人の少女が朝食をお盆に載せて持ってきた。ルシフの邪魔にならないよう、執務机の端の方に朝食を置く。

 ルシフは書類を見ながら、置かれた朝食を食べ始めた。シェーンは不安そうな表情で朝食を食べるルシフの姿を見ていた。

 ルシフがシェーンの表情に気付く。

 

「なんだ?」

 

「いえ、なんでもありません。美味しそうと思っただけです」

 

 シェーンは隣に立っている少女をチラチラ横目で見ながらそう言った。

 ルシフは怪訝そうな顔になる。

 

「何言ってる。お前らの分もあるだろ」

 

「はい、あります。陛下が朝食を食べ終わったら食べようと思います」

 

「もう食べた」

 

 ルシフは朝食が載っていたお盆をシェーンに渡した。味は分からなかった。

 

「えっ、もうお召し上がりになられたのですか!?」

 

 シェーンがお盆を見ると、朝食はきれいに無くなっていた。

 シェーンはそれを見て表情が一層暗くなる。

 隣に立っている少女がシェーンの肩を叩いた。

 シェーンは小さく頷く。

 

「では、失礼いたします、陛下」

 

 シェーンがお盆を持って書斎からもう一人の少女と出ていった。

 

 

 

 シェーンは朝食が無くなったお盆をじっと見ながら、リビングに続く廊下を歩いている。

 

「今日もなんの疑いもせず、陛下は召し上がられたわね、シェーン」

 

 少女の言葉に、シェーンは小さく頷く。

 

「今夜、飲み物を運ぶ時に決行しましょう」

 

 シェーンは唇を噛みしめ、少女の言葉に再び小さく頷いた。

 少女はスカートのポケットに手を突っ込み、ゆっくり引き上げる。その動作にシェーンの視線は釘付けになった。

 スカートから刀身を革に包まれた短剣が半ばまで出てくる。

 もし毒殺のことを誰かに話したり妙な動きをすれば、シェーンを毒殺を企んでいる刺客として殺すつもりなのだ。毒は常にシェーンが持ち歩いているため、証拠もある。シェーンにすべての罪をかぶせ、自分は逃げる。少女の思考は明確に分かったが、気分は沈んだ。この少女とはルシフに仕える前から仲良くしている。それが何故こんなことになってしまったのか。

 少女は短剣をスカートのポケットの中に戻した。今短剣を見せたのは、シェーンに対しての脅し。

 シェーンは顔を正面に戻し、暗い表情で歩いた。

 

 

 

 書斎にゼクレティアとマイが入ってきた。時刻は九時五十分。

 書斎で政務を続けていたルシフは二人を一瞥するだけで、すぐ政務を再開した。

 ゼクレティアとマイは無言で顔を見合わせる。表情はどちらも沈痛としていた。彼女らはルシフが異常と気付いているが、ルシフの性格を考慮して言葉に出してルシフを案じることができないのだ。

 マイが一歩前に出た。

 

「定期報告です。サリンバン教導傭兵団の団員たちにおかしな動きはありません」

 

「そうか」

 

 グレンダン以外の全都市を掌握した時に気付いたのだが、サリンバン教導傭兵団の団員がツェルニ、マイアス、ファルニールといった学園都市以外の都市に最低一名存在していたのだ。サリンバン教導傭兵団が解散したというのは原作の流れであり、元々サリンバン教導傭兵団は廃貴族の確保のために作られたもの。力不足と分かれば解散するのも道理。ルシフもそこは疑っていなかった。

 ルシフが疑問に感じた部分は、学園都市以外のどの都市にも団員が一名以上存在している、という部分だった。何かが引っ掛かる。というより、自分が都市掌握を迅速に行うために追放に見せかけて他都市に剣狼隊を潜伏させたやり方に酷似しているのだ。

 ハイアは自分に恨みを抱いている。サリンバン教導傭兵団の団員たちも痛めつけられた恨みがあるだろう。彼らが均等に分散したのは、自分に復讐するためではないか。仲間を増やし、いずれ時機を見計らって決起する。そういった目的に従い、分散したのではないか。

 だから剣狼隊に所属している念威操者に、サリンバン教導傭兵団の団員たちを監視させた。正直警戒する価値もない道端に落ちている石ころ程度の障害だが、暇潰しにはなりそうと考えてのことだ。

 

「具体的に団員たちは何をしている?」

 

「ハイア・サリンバン・ライアとやっていることは変わりません。サリンバン教導傭兵団に所属していたと明かした上で仕事が何かないか、都市の中央部あたりで都市民たちに話しています。サリンバン教導傭兵団に所属していたと聞いて共に仕事をしたいと頼む元武芸者が数人出てくる時もありますが、分け前が減るだの信用できないだの言ってすべて断っています」

 

「全員が同じ対応か?」

 

「はい」

 

 団員がこちらの動きを読み、監視されていることを考慮した上で行動しているのだとしたら、息抜き程度の価値はありそうな問題だった。それも団員たちの行動にしっかり統率がとれている。ハイアかフェルマウスか。予想ではフェルマウスが考え指示した対応法なのだろう。ルシフに反抗の意思があると思われないように。

 ほんの少しだけ、心が躍った。激しい頭痛と高熱に襲われている中、サリンバン教導傭兵団の行動は一種の清涼剤のような効果があった。

 

「引き続き監視を行え」

 

「はい、続行いたします」

 

 マイが一礼し、書斎から出ていった。出ていく時、一度だけ心配そうに振り返った。マイの左手首に巻かれている包帯が黒装束の下からチラリと見え、ルシフの視線は固まった。マイが書斎からいなくなっても、ルシフは視線をそこにずっと固定したままだった。

 

「陛下? どうされました?」

 

「……なんでもない」

 

 ゼクレティアの声で我に返り、ルシフはごまかすように執務机の書類を読み始めた。

 

「陛下に報告があります」

 

 ゼクレティアは書類を一切持っておらず、手ぶらだった。

 だが、淀みなく話を続ける。

 

「本当に小さな暴動は頻発しておりますが、剣狼隊と武芸者がすべて素早く処理しています。負傷者は少なからず出ていますが死者は出ておらず、物損も軽微。正確な被害者の数と物損の詳細な内訳を口頭で伝えられますが、どういたしましょう?」

 

「数だの損害だのは別に重要ではない。重要なのはそれらの対応だ。対応について俺は指示を出したが、それはどうなっている?」

 

「はっ。陛下の指示通り、被害者全員の医療費の負担と物損の弁償は加害者の財産を使い、足りない分は剣狼隊が自腹を切るか、陛下の蓄えを無断で使用しています」

 

「無断で俺の管理する金に手を付けた剣狼隊隊員を五人、捕らえろ。全都市民に大々的に公表し、公開処罰を行う」

 

「処罰は誰が?」

 

「俺が直々に手を下す」

 

 剣狼隊の処罰は数日に一度程度の頻度で、処罰していない剣狼隊は念威操者以外いない。念威操者以外の剣狼隊隊員は一人残らず一度は痛めつけていた。何度痛めつけても、気分が悪くなる。慣れてはくれなかった。

 ゼクレティアの表情が暗くなった。

 

「他の方では駄目なのですか?」

 

「俺がやるからこそ、意味がある。都市民からの剣狼隊の評判はどうだ?」

 

「かなり良いですね。都市民の立場になって色々考えてくれるし、傷つくのを恐れず行動する。ボランティアも積極的にやりますし、お金を取らずに都市民の助けもやるため、剣狼隊に陛下に対する不満や頼み事を打ち明ける都市民も多数出てきています」

 

「俺の指示通り、上手くやっているか」

 

「剣狼隊が力ずくで都市を制圧したのも陛下が暴れて大きな被害を出さないための苦肉の策、と都市民は考えているようですね。都市民の印象操作は陛下の予定通り進行している、と判断してよろしいかと」

 

「そうか。話は変わるが、そろそろ新たな発表をしたいと思う」

 

「なんでしょう?」

 

「グレンダン以外の全都市が集結し、それら全ての実質的な権力を握っているのは俺ただ一人。これは新しい支配体制と言っていい。この形に名を付ける。自律型移動都市(レギオス)が存在する以前に使用されていた支配地域の名前」

 

「汚染物質が蔓延する前は都市だけでなく国というものがあったというのは存じておりますが、まさか……」

 

「そのまさかだ。俺はこの支配体制を国と名付ける。これからは都市の前に国名を付け、都市は国に属していることを明確化する。発表は明日の正午。それまでに全都市長にヨルテムの謁見の間に来るよう伝えろ」

 

 都市を制圧した後、ヨルテム以外の都市長は元々の都市長をそのまま任命した。イアハイムの都市長には前の都市長を任命した。つまりダルシェナの父親が再び都市長になったのだ。

 しかし彼らは傀儡であり、近くには剣狼隊とルシフの息がかかった役人がいる。ルシフの意に反することは何もできないし、何かやろうにも必ずルシフの承認が必要だった。

 

「はっ。間違いなく伝えます」

 

「それから発表を念威端子の映像で都市民が見られるよう、全都市に手配しておけ。念威操者が全員協力すれば楽な仕事だ。全都市民に明日正午に重大発表があることを伝えるのを忘れるなよ。何故都市旗が全てイアハイムの刺繍に統一され、区別は旗の色だけになったのか。都市民は理解するだろう」

 

「御意」

 

 ゼクレティアが一礼し、扉を開けて書斎から去っていく。

 扉が閉められると、ルシフは頭を右手でおさえた。幼い頃はこの頭痛に最後まで負けなかったのだ。あの頃より俺は強くなっている。負けてたまるか。

 ルシフは歯を食い縛り、執務机の書類を睨んだ。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 ニーナは自室の椅子に座り、机に置いてある写真立てを両手で持ちながらじっと写真を眺めていた。この写真は老性一期と雄性体三体からツェルニを守り切ったあとの、ルシフが入院した病室で撮った写真。ツェルニとはすぐに行き来できる距離になったため、ニーナは一度ツェルニに戻って私物を色々持ってきたのだ。写真もその時持ってきた。

 写真に写る面々を見てニーナは微笑む。しかし、その表情はすぐに曇った。

 あの頃は写真の中の光景がずっと続いていくものだと信じていた。色々苦労はするだろうが、楽しく充実した学生生活が送れるだろうと淡い期待感があった。だが、写真を撮ってから一年も経っていないのに、状況は激変した。

 ルシフは電子精霊すら従え、レギオスの移動をコントロールして集合体を作り、グレンダン以外の全都市の実質的な支配者となっている。

 レイフォン、シャーニッド、フェリ、ハーレイはグレンダンに行ったらしい。ツェルニに行った時、ナルキやカリアンに教えてもらった。何故とは訊けなかった。ルシフからグレンダンを守る、もしくはリーリンをルシフから連れ戻すためだということは訊くまでもなく分かり切っていたからだ。

 ニーナは写真から視線を外し、後方を振り返る。

 リーリンもニーナ同様椅子に座り、頬杖をついて顔を俯けていた。リーリンもニーナと共にツェルニに行ったため、レイフォンたちの情報を手に入れていた。

 リーリンはかなりの衝撃を受けたらしく、それからは口数が極端に減り、毎日何かを考え込んでいるようだ。

 扉を叩く音が響く。

 ニーナとリーリンは顔を見合わせ、椅子から立った。

 ニーナは扉を開け、リビングを横切って玄関に向かった。リーリンも後ろから付いてくる。

 玄関の扉を開くと、赤装束の二人が立っていた。常時、剣狼隊二名の監視が付いている。この二人が今日の監視役のようだ。ツェルニに行く時も剣狼隊二名は付いてきたため、監視体制は徹底していると考えていい。仮に窓から抜け出して監視の目から逃れようとしても、念威端子の網に引っ掛かるだろう。一応この部屋はプライベートが守られているようだ。ルシフはニーナらが都市民に会って余計な行動をされるのを嫌っているらしく、都市民に会わなければ何を企んでいようがどうでもいいのだろう。

 

「なんですか?」

 

「面会を求める者が来ています。ジルドレイド・アントークさんです。お会いになられますか?」

 

「わたしの大祖父(おおおじい)さまです。当然会います」

 

 赤装束の二名がどいた。陰からジルドレイドが現れる。

 

「ニーナ、久しいな。元気にしていたか?」

 

「はい。大祖父さまこそ、お元気そうでなによりです」

 

「立ち話もなんだ、上がってもよいか?」

 

「どうぞ」

 

 ニーナが玄関の扉が開け放ち、室内の方に右手を伸ばして入っていいと暗に伝えた。

 ジルドレイドが部屋に入ると玄関の扉を閉め、ジルドレイドにリビングの椅子に座るよう促した。

 ジルドレイドは頷き、リビングのテーブルの椅子に座る。ニーナもジルドレイドの向かいの椅子に座った。

 二、三分後にリーリンがお茶の入ったコップをテーブルに置き、同じくテーブルの椅子についた。

 ジルドレイドはコップを持って半分ほどお茶を飲むと、ゆっくりとコップをテーブルに置いた。ニーナも気まずさを紛らわせるため、コップを手に取りお茶を飲んだ。

 

「なかなか美味い茶だ」

 

「ありがとうございます」

 

 リーリンが軽く頭を下げた。

 

「大祖父さま、一体何の用ですか?」

 

「用がなければ孫と話せんのか?」

 

 予想外の返しに、ニーナは言葉が詰まった。そんなニーナの様子を興味深そうにジルドレイドは眺めている。

 

「いえ、そんなことはありませんが……」

 

「ルシフが全都市を掌握してから、そろそろ一ヶ月になる」

 

 ニーナとリーリンの表情が引き締まった。

 

「ニーナよ。未だにルシフに対して反感を抱いておるのか?」

 

「……はい」

 

 小さな声だが、ニーナははっきりと返事をした。

 

「ここ一ヶ月で、都市間戦争は二度あった。知っているな?」

 

「はい」

 

 ヨルテムに付いてきていた都市の内の二つが急に進路を変更し、ぶつかったのだ。両都市は足を止め、都市間戦争開始のサイレンが鳴った。ヨルテムら無関係の都市は少し進んだところで足を止め、戦争の成りゆきを見守るように動かなくなった。これは念威操者が全都市民に伝えたため、誰もが知っている事実。

 当然だが都市間戦争に巻き込まれた都市民はパニックになり、どうすべきか迷った。ルシフは両都市のセルニウム鉱山の数を把握していたため、その間にセルニウム鉱山の数が少ない方が勝つよう指示を出し、少ない方が何事もなく旗を確保して戦争が終了した。死者どころか負傷者もいない、前代未聞の決着だった。その決着が二回続いた。

 

「都市民はな、支配者は最低だがこの都市同士の関係は良い、と考えておる。都市間戦争で滅ぼされる可能性が無くなったのだから、それは当然の思考だな。

ニーナよ、どうだ? これでも今の体制に反感があるのか?」

 

「わたしはその部分に関しては、反感はまったくありません。むしろルシフに感謝し、この体制を続けていきたいとも考えています」

 

 この部分に反感など感じるはずがない。何百年と繰り返されてきたこの世界の悲劇を、ルシフは打ち壊したのだ。ルシフ以外の誰にも、この偉業は達成できなかったどころか思いつきもしなかった。

 ジルドレイドはゆっくりと頷く。

 

「次の話をしよう。一週間ほど前になるが、汚染獣の大群と戦闘した。おそらく人類が集中しすぎたため、汚染獣も集まったのだろう。雄性体はもちろん、老性体も数体おったとてつもない脅威だった。ルシフだけでなく、多数の剣狼隊や武芸者がランドローラーに乗って迎撃した、凄まじい激戦だった。この時はさすがに負傷者ゼロとはいかず、武芸者がそれなりに負傷したが、それでも死者はゼロ。ルシフは武芸者選別に使用する肉片が手に入ったと口に出すほど、余裕のある戦いだった。

何故汚染獣の大群だったにも関わらず、余裕があったか? それは全都市の武芸者が一丸となり、脅威に立ち向かったからだ。これも前代未聞の出来事である。気に入らない部分があるか?」

 

「ありません。全武芸者が都市を守るため力を合わせて闘えるのは、素晴らしいことだと思います」

 

「剣狼隊や武芸者の規律は徹底され、不正は厳しく取り締まられて、各都市の治安は限りなく良くなっている。暴動を起こす輩も日に日に減っていっておる。これがお前は気に入らないのか?」

 

 ニーナは首を横に振った。

 治安が良くなり、不正が無くなって何故不満が出るのか。そこもルシフの手腕だからこそできることであり、感謝はすれど不満など生まれるはずがない。

 

「では、お前は一体何が気に入らないのだ?」

 

「……ルシフが、弱者を省みないところです」

 

 ジルドレイドはため息をついた。

 

「基本的な都市の支配体系はすべて、成果主義なのだ。都市の役に立つ者を優遇する。逆に訊くが、都市にとって得にならない者を何故都市が守らねばならん? ルシフはすべてに基準を作り、また仕事を分析して役人から無能を徹底的に排除した。都市が管理する金は元は都市民のものなのだから、役に立っていない者に給金は出せん。出せば都市民から不満が噴出する。ルシフは支配者として至極合理的に政治をしているにすぎん」

 

「しかし、極端すぎます」

 

「極端かもしれんが、孤児院や養護施設といった場所には剣狼隊がしっかり手回しして援助できている。ルシフの極端な思考に剣狼隊の情が上手く噛み合っているのだ。剣狼隊がいれば、老後働けなくなったとしても、都市に尽くしていたのならしっかり保障してくれるだろう。分かるか? 弱者にも色々ある。剣狼隊は救うべき弱者を見極めておるから、そこに対しての心配はあるまい」

 

 ニーナはテーブルの下で両拳を握りしめた。

 違う。本当に言いたいのはそんな部分ではない。問題なのは、何もかもの中心にルシフがいることだ。

 確かに今は、間違っていないのかもしれない。だが、この先ずっとルシフは間違わずにいられるのか。ルシフが心変わりをして、自分の幸福だけを考えるようになったらどうなる? 剣狼隊は所詮、ルシフの手足。ルシフという頭がおかしくなれば、正常な判断ができなくなる可能性が高い。

 ルシフを今まで見てきて、よく分かったことがある。彼は、情を政治に挟まない。情を徹底的に排除し理に適った部分だけを抜き出していく。誰に対しても公平であり、無駄がない。もしかしたら支配者として理想的かもしれないが、ニーナはツェルニのルシフを見ているから知っているのだ。ルシフは情の人間であることを。情がまず先にあり、それから理が生まれる。

 情の人間がいつまで情を殺して政治をできるのか。耐えきれなくなって暴走した時、一体誰がルシフを止められるのか。

 問題はそこだった。ルシフを止められる人間が誰もおらず、ルシフに心酔している。ルシフの圧倒的なカリスマ性に惹かれ、心酔する者は日が経つにつれ増えていくだろう。

 なんとかして、ルシフを周りの意見が聞ける人間にしなければならない。そのためにはルシフに勝たなくてはならない。誰よりも優れていると思い込んでいるから、意見を聞かないのだから。

 それに人類全体を考えても、ルシフに何もかもおんぶに抱っこの今の状態が本当にベストと言えるのか。ルシフが何かの拍子で死んでしまったら、ルシフに依存しきってきたこの世界はどうなってしまうのか。ルシフの座をめぐって争ったり、思考停止してしまったり、前以上に酷くなってしまうのではないか。ルシフの圧倒的なカリスマ性が、人類を家畜化してしまうのではないか。

 様々な懸念がニーナの頭の中で暴れていた。

 

 ──それに……。

 

 ニーナはルシフを思い浮かべた。

 いつも険しい表情をしていて、ツェルニで見たような年相応の笑顔や楽しそうな顔は最近一度として見ていない。

 今の形は、何もかもをルシフに背負わせてしまっているのではないのだろうか。それは間違っている。一人に押しつけるのではなく、皆で乗りこえていく。そんな世界の形の何が悪いのか、ニーナには分からない。ルシフとて、周りと協力して政治を行った方が楽になるだろうに、頑なに協力しようとしない。

 だから、ルシフに対してどの部分に反感があるのか、と訊かれれば、周りを一切頼ろうとしない部分だ、とニーナは自信を持って言える。

 

「ニーナ、あの男に歩み寄ろうなどと考えるなよ」

 

 心を読まれたような気がして、ニーナは身体を強張らせた。

 ニーナの様子を見て、ジルドレイドは図星だと見抜いた。

 

「あの男にとって他人とは、自分の意に従い動くか、それとも否か。その二種類しかおらん。共に歩く者など求めておらず、自分の後ろを付いてくる人間しか認めん。自分の前を歩きたければ、自分を倒して前に出ろ。そういう人間だ。間違っても協力など求めてはいかんのだ」

 

 ジルドレイドは立ち上がる。

 ジルドレイドは自分に忠告しにきたのだと、ここでようやく気付いた。

 

「もしかしたらお前はルシフが何もかも背負ってかわいそうだと考えておるかもしれんが、それがヤツの選んだ道よ。同情などして余計な真似をすれば地獄を見るぞ」

 

 ジルドレイドは玄関に向かい、玄関の扉を開けた。

 ニーナは椅子に座ったまま、顔を僅かに俯けている。

 玄関の扉が閉まっていく。

 

「……それでも、諦めません」

 

 玄関の扉が閉まる直前、ニーナは静かに、それでもはっきりと言った。

 ジルドレイドに聞こえたかどうかは分からない。だが、意思表示ははっきりとした。今はそれでいい。

 ニーナはコップを手に取り、残っていたお茶を一気に飲み干した。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 シェーンが温かいお茶をコップに入れている。

 シェーンの後ろには、同じ容姿をした少女が立っていた。他の少女たちは別の仕事をしている。

 お茶を入れ終わった後、シェーンはポケットから小ビンを取り出した。蓋の部分を掴んでいるため、ビンの中身しか見えない。ビンには白い粉が半分ほど入っている。

 素早く蓋を開け、シェーンは三分の一ほど白い粉をお茶の中に入れた。

 蓋を締めようとビンを蓋を掴んでいる手に近付けると、ビンを持っている手の手首を掴まれた。

 

「駄目よ、それじゃあ。致死量ギリギリじゃ死なないかもしれないじゃない?」

 

 少女がシェーンの手を無理やり動かし、お茶の中に白い粉を入れた。ビンの残りが三分の一程度になったところで、シェーンの手首から手を離した。

 

「……なんてことを……」

 

 シェーンの顔から血の気が引いていった。

 

「殺すなら確実に殺さないと。中途半端が一番駄目なんだから。ほら、陛下に運びましょ」

 

 お盆に毒入りのお茶を載せ、シェーンがお盆を持って歩く。お盆は震えていた。

 

「こぼさないでよ。こぼしたらあなたを殺さないといけなくなっちゃうんだからね。できればあなたを殺したくないのよ」

 

 少女はシェーンの後ろを付いてくる。

 

「一つだけ、教えてもらってもよろしいですか?」

 

「何?」

 

「どうして、こんなことに協力を?」

 

「自由のため。誰かに買われて人生を決められるなんてうんざり。自分の生き方くらい、自分で決めたいのよ」

 

 それからは無言で書斎まで行った。

 書斎の扉を開けると、ルシフが書類に何かを書き込んでいるところだった。

 お盆の震えが大きくなり、シェーンの息が荒くなった。ただ運ぶだけなのに、とても激しい運動をさせられているような苦しさがある。

 ルシフはシェーンを一瞥したが、すぐに書類に視線を戻した。異変に、気付いてもらえない。

 お盆からコップを取り、執務机の端に置こうとゆっくり右手を伸ばす。右手は震え、お茶はコップからこぼれんばかりに揺れていた。

 シェーンはルシフが気付くことを願ったが、ルシフは書類に夢中でシェーンを見もしなかった。

 執務机にコップが置かれると、ルシフは書類を見たままお茶を一気に飲み干した。

 ルシフの顔が歪められる。

 

「……おい、なんだこの茶は……ッ!」

 

 ルシフが右手を口に押さえ、激しく咳き込んだ。右手の隙間から赤いものが垂れてくる。

 シェーンは二歩、三歩と後退りした。シェーンの後ろにいた少女が走って書斎から出ていく。

 シェーンは悲鳴をあげた。

 

「……ごめんなさい……! ごめんなさい、陛下……!」

 

 悲鳴を聞きつけ、他の少女が何事かと書斎に顔を出す。

 ルシフは再び咳き込み、血の塊を吐き出した。

 それを見た少女たちの悲鳴が連鎖し、書斎は悲鳴の渦に包まれた。

 

 

 

 茶が信じられないほど不味かった。

 そう思ったら、茶がまるで生き物のように体内で暴れ、内蔵を食い破っている。そんな錯覚を覚えた。

 ルシフは身体の奥から這い上がってくるものを何度も吐き出した。ぱっと真っ赤な花が開いたように、床が赤く彩られていく。

 書類だけは汚さないようにしようと、顔は横を向いていた。

 シェーンが涙を流し、悲鳴をあげ、謝っているのが見える。

 茶に毒を盛られた。シェーンが盛ったのだ。

 始めから分かっていたはずだった。シェーンらは毒殺するための刺客として、自分のところに送られたのだと。

 分かっていたはずなのに、いつの間にか警戒を解いていた。シェーンのまっすぐな想いに感化され、疑わなくなっていた。

 これは自分の甘さが招いた事態だ。何を企んでいるのか、面白そうだから放っておこうと考えた結果だ。

 胸のあたりが破れているような感じがした。再び咳き込む。今度は血が口から滝のように流れた。まるで嘔吐しているようだった。床に血溜りができていく。

 視界が、滲み始めた。

 このまま俺は、身体中の血を吐き尽くして死ぬのか。

 悲鳴を聞きつけ、赤装束の者たちが書斎に踏み込んでくる。赤装束の者たちは揃って絶叫していた。

 視界が滲んで何も見えない。誰かに腕を掴まれ、椅子から無理やり立たされた。

 戟。咳き込みながら、そう叫んだ。声になったかは分からない。戟。もう一度叫んだ。

 ルシフの左手に何かが握らされた。ずっと持ち歩いていた、方天画戟。たとえ見えなくても、間違えようのない柄の感触。長さも形状も何もかも頭の中に入っている。

 方天画戟の穂先で、左足のももを貫いた。周囲の怒号や悲鳴が大きくなる。

 死んでたまるか。意識を失ってたまるか。意識を失ってしまえば、このまま死ぬ。意識があれば、俺なら抵抗できる。打ち勝てる。俺は史上最高の男だぞ。

 自分に言い聞かせる。自分の前に影が現れた。視界は見えないのに、影ははっきりと見える。自分の影を切り取ったような形だった。

 

 ──なあ、死にたくないなら身体を返せよ。そうすれば死なないよ。

 

 影がにやりと笑って囁き、手を差し伸べている。

 ルシフは影をじっと睨み、手を払いのけた。

 

 ──阿呆が! 俺で無くなって生き延びるくらいなら、俺のまま死ぬ!

 

 影は悔しげに舌打ちし、消えていく。

 飛びそうになる意識。方天画戟の柄を動かし、左足のももを抉った。激痛が、意識を掴む。

 誰かに方天画戟を掴む手を無理やり開かされた。方天画戟が左足から抜かれる。そのままルシフは身体を何かに支えられ、書斎から連れ出された。




読者さまにお知らせがあります。
プライベートが多忙になってきたため、ゴールデンウィークまでは最速でも隔週で投稿させてもらいます。気長に待ってもらえると助かります。

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