鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第86話 ギフト

 勢いよく書斎の扉が開けられ、ニーナが飛び込んできた。いつも案内している剣狼隊隊員はいない。どうやらヴォルゼーの死の動揺はまだ収まっていないようだ。

 ルシフは執務机を前にした椅子に座り、いつも通り書類を読みつつ、書類に指示を書いている。

 今の時間はヴォルゼーを晒し首にしてから、二時間程度時間が経った頃。ニーナはヴォルゼーの晒し首を見た後、その足でルシフのいる書斎に衝動に任せて行ったのだ。

 ニーナの背後からバーティンとエリゴが慌てた様子で現れた。

 

「ニーナ! 勝手にルシフちゃんの部屋に入るな! 罰を与えられても文句言えないぞ」

 

「いい。お前らは下がれ」

 

 バーティンとエリゴは目を瞬かせ、ルシフをつかの間凝視した。以前のルシフならアポを取らずに来たニーナに怒り、追い返した筈だ。エリゴとバーティンは、ルシフがほんの少し王になる前のルシフに戻った気がした。

 

「分かったよ、旦那。外で待ってるぜ」

 

 どことなく嬉しそうに二人は書斎から出て、書斎の扉を閉めた。

 ニーナはそのやり取りを無言で見ていたが、二人がいなくなると執務机を両手でバンと叩いた。ずいっとルシフに顔を近づける。

 

「お前は何をやったか分かっているのか!? ヴォルゼーさんはお前のために、今までずっと力になってきた大切な仲間だろ! それを、あんな……! あんなむごいことを……!」

 

「死ねば肉塊だろ。人間じゃない。肉塊をどう扱ったところで、非難されるいわれはない」

 

 ニーナの顔から表情が消えた。様々な感情を呑みこみ、必死に抑えつけている。

 

「……本気で……本気で言ってるのか?」

 

「ああ」

 

「なら覚えておけ。人間は死んでも肉塊にはならない。それまで生きてきた人生が肉体に宿ってるんだ。だからこそ誰もが死を悼み、死体ですらある種の敬意をもって扱うんだ。人間の死は動物の死とは違う!」

 

「死んだ人間を利用することで生きている人間のためになるなら、別にいいだろ」

 

「生きている人間のため? 違うだろう! お前は自分のためにヴォルゼーさんの死を冒涜し、弄んだんだ! なんとも思わなかったのか!? ヴォルゼーさんの首を切り落とした時に! ヴォルゼーさんの首を棒に突き刺した時に! ヴォルゼーさんの首を突き刺した棒を地面に突き立てる時に! お前は何も感じなかったと言うのか!?」

 

「別に何も感じなかった」

 

「……ッ!」

 

 ニーナがルシフの左頬を平手打ちした。乾いた音が書斎に響く。

 

「……」

 

 ルシフは平手打ちされた影響で、ニーナから見て横顔になっていた。そのまま左目だけを動かし、ニーナを見る。左頬に紅葉のような赤い手形ができていた。

 ニーナは涙を両目に溜めたまま、ルシフを睨んでいる。

 

「……お前はひねくれた奴だ。口ではそう言いつつも、内心は引き裂かれそうなほどの激情が渦巻いているのかもしれない。だが、内心どうだろうと、結果としてお前は人の死を家畜のように扱った。目的のために人間の死体すら道具にする最低な人間だ、お前は!」

 

 ニーナは涙をこぼしながら書斎から出ていった。バンと勢いよく書斎の扉を閉めた音がする。もしこの時ニーナがルシフに平手打ちが当たったことに違和感を感じていたら、未来は変わっていたかもしれない。だが結論から言ってしまえば、今のニーナはそんなことに気付ける余裕がなかった。

 ルシフは左頬を左手でさすっている。執務机に置いてあるティッシュを右手で取り、口からぺっと血を吐き出した。ティッシュに赤い花が咲く。ニーナに平手打ちされた時に口の中のどこかを切ったらしい。

 

「……最低な人間、か。知ってるよ、ずっと前から」

 

《……ルシフ》

 

 内から、メルニスクのどこか心配しているような声が聴こえた。

 

「お前には今まで言ったことはなかったが、俺は都市間戦争や汚染獣の脅威を無くして、犬猫のように死ぬのではなく、人間らしく死ねる世界を創りたいんだ。

人間の尊厳を踏み躙るような奴は、俺にとって最も憎く怒りを感じる人間なんだよ」

 

 人間は死んでも肉塊にならない。そんなことはずっと前から知っている。人間には人間らしい死に方があり、人間としての尊厳がある。

 その一方で、人間の死に意味を与えるのが指導者の責務だとも思っている。無駄死にさせず、生きている人間のためにどれだけ死を利用できるか。その思考が指導者には重要なのだ。

 そして、この二つは両立できない。常に人間の尊厳を守りつつ、死に意味を与えることなどできないのだ。どちらかを優先しなければならない。ルシフは後者を優先し、選択した。非難される覚悟ならずっと前からできている。

 そんな自分が、ルシフは大嫌いだった。目的のために必要だと分かっていても、人間の尊厳を踏み躙る自分に嫌悪感が湧いてくる。

 

《我にはよく理解できぬが、本当に死を利用することに何も感じていない者ならば、汝のような思考はせぬと思うがな》

 

 ルシフは目を丸くして、左手を胸に当てた。微かに唇の端を吊りあげる。

 

「……お前が俺の心を知っている。それで俺はいいよ」

 

《なんというか、汝は少し変わったな。いや、『王』になる前の汝に戻ってきたというべきか》

 

「相変わらず頭痛は酷いし、頭はくらくらするがな。だが、何故か今は心に余裕があるんだ」

 

 もしかしたら、今までずっと耐えに耐えてきた涙を流したことが、張り詰めていた身体と心をほぐしたのかもしれない。イライラしていた頃の自分が嘘のようだ。

 ルシフは政務を再開した。

 政務をしている間、大した用事もないのに剣狼隊の小隊長が次々に書斎に現れた。用事が終わっても、書斎から出ていこうとしない。実は小隊長はヴォルゼーを晒し首にしたルシフが心配になり、様子を見に来たのだ。用事は無理やり作ったような本当に些細なものだった。

 彼らと同じ理由で来ていたマイは、書斎からこっそりと出ていった。それから十五分後にマイが書斎に再び戻ってきた。お盆を両手で持っていて、お盆にはコーヒーが入ったカップが書斎の人数分と透明な砂糖壺が載っている。

 

「はい、ルシフさま。コーヒーをどうぞ。角砂糖は二つでよかったですか?」

 

「ああ。ありがとう、マイ」

 

 マイは執務机にお盆を載せ、カップの一つに角砂糖を二つ入れて差し出した。

 ルシフはカップを受け取り、ひと口飲んだ。温かいコーヒーが身体に染み渡っていく。毒の影響でまだ固形物は食べられないが、飲み物は飲める。

 マイは執務机にお盆を置いたまま、その場にいる小隊長に角砂糖の数を訊いて、訊いた数だけ角砂糖を入れた後、コーヒーのカップを手渡した。どの小隊長も意外そうな顔をしながら、マイからコーヒーのカップを受け取っている。実際、マイがルシフ以外の人間に世話を焼くのは珍しい。

 

「はい、アストリットさん」

 

 マイが最後のカップをアストリットに渡した。

 

「あら、ありがとうございます。珍しいこともありますわね。そういえば、私には角砂糖の数をお訊きにならないんですの?」

 

 アストリットは笑みを浮かべているが、それが敵意のある笑みであることはその場の全員が分かった。

 

「アストリットさんのコーヒーは私特製のブレンドコーヒーなんです。角砂糖で味をおかしくしたくありません」

 

「あら、何をブレンドしたのかしら?」

 

「たっぷりのカラシとワサビです」

 

 マイが愛想の良い笑顔で胸を張った。

 

「あらあらまぁまぁ、それはそれはありがとうございます、マイちゃん。うふふふふ」

 

 アストリットは変わらず笑みを浮かべているが、額に血管が浮かびあがっていた。

 

「えへへへへ、一滴も残さず飲んでくださいね、私特製のブレンドコーヒー」

 

 マイはニコニコと天使のような笑顔だった。

 アストリットはコーヒーを見つめた後、チラリとルシフの方を見た。ルシフが食べ物や飲み物を残すことを嫌っているのは剣狼隊の誰もが知っている。

 アストリットは腹を括り、コーヒーを一気に飲み干した。

 

「う~~~~!」

 

 アストリットは両手で口を押さえたまま、声にならない声を出しながら書斎を飛び出していった。カラシとワサビでくちゃくちゃになった顔を見られたくなかったのだろう。

 

「ククッ……」

 

 ルシフが笑い声を漏らした。

 それを合図に、書斎にいた小隊長たちも笑い声をあげる。

 小隊長たちはルシフの雰囲気にピリピリとしたものが無くなっていることに、書斎に来た時から気付いていた。だからこそどこか居心地が良くて、書斎から離れられなかったのだ。前は剣狼隊だけの時でもピリピリとした雰囲気があり、こういったふざけることもはばかられた。

 マイもそういうルシフの雰囲気を感じたからこそ、こうしてちょっとしたいたずらをアストリットに仕掛けられたのだろう。

 数分後、アストリットがクッキーの盛られた皿を二つ持ってきた。片方は普通のクッキーだが、もう片方のクッキーはその上にかけられたたっぷりのカラシに呑みこまれている。

 

「ルシフさま、クッキーをどうぞ」

 

「ありがとう」

 

 アストリットが執務机の上にクッキーが盛られた皿を置いた。その後、マイを見る。

 

「さっきはありがとうございます、マイちゃん。お礼に、私も特製のクッキーをご用意させていただきましたわ、おほほほほ」

 

「わぁー、いいんですか貰ってもー。ありがとうございます~」

 

 マイとアストリットのどちらも満面の笑顔だが、その間は目に見えない火花が散っている。

 

「全部食べてね、マイちゃん」

 

「もちろんいただきますよ」

 

 そう言いつつも、マイはなかなかクッキーに手を出せない。

 そんな時、横から手が伸びてきて、クッキーを一つつまみ上げた。ルシフの手だった。

 

「あッ……!」

 

 アストリットが驚きの声をあげ、ルシフがクッキーを口に運ぶのを止めようとするが、ルシフはさっさとクッキーを口にいれてしまった。

 食べた後、ルシフの表情は僅かに歪んだが、コーヒーで流し込んだ後は表情が戻った。

 

「……ふぅ」

 

 ルシフがひと息ついた。それから、アストリットに視線を送る。

 

「アストリット」

 

「は、はい!」

 

 アストリットの声が上ずった。

 

「なかなか刺激的な味のクッキーだな。目が完全に覚めた」

 

「……あの、ご不快になられてないでしょうか?」

 

「別に」

 

 ルシフはアストリットからマイの方に視線を移した。マイは目を丸くしてルシフを見つめている。

 

「マイ。食べられないなら、俺のと交換しようか?」

 

 ルシフの言葉に、マイは微笑んだ。嘘のない本当の笑みだった。

 

「いいえ、大丈夫です」

 

 言うが早いか、マイは一気に全てのクッキーを口に入れ、コーヒーをイッキ飲みした。

 

「う~~~~!」

 

 飲み終わったカップはドンという音を立ててお盆に置かれ、マイは先程のアストリットと同じく口を両手で押さえて声にならない声をあげながら、書斎から出ていった。

 ルシフはそんなマイの後ろ姿を見て苦笑し、小隊長たちも笑った。書斎を笑いの渦が包み込む。

 小隊長たちは笑いながら、ルシフの心を癒してくれた誰かに心から感謝した。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 もう日も暮れ、カーテンが閉められた窓からは街灯の光しか見えなくなっている。

 ニーナはルシフの書斎から帰ってきた後、ずっと深刻な表情で椅子に座り、机に両肘をついて両拳を額に当てるようにしていた。

 リーリンはそんなニーナの様子に声をかけることができず、暇潰しにツェルニから持ってきた参考書で勉強している。

 ニーナはリーリンが勉強していることも目に入らなかった。そもそも机と椅子は左右対称に置かれているから、お互い椅子に座れば背中合わせになるのだが、そういう意味での目に入らないではない。今日のニーナはリーリンのことを一瞬たりとも意識しなかった。

 朝食も昼食も摂らず、ただじっと椅子に座っている。ニーナが今日一日考えているのはルシフのことだ。

 そんな時、玄関の扉をノックする音が聞こえた。

 ニーナとリーリンはお互い振り向いて目を見合わせる。

 

「誰か来たみたい」

 

「わたしが出る」

 

「うん。ありがとう」

 

 ニーナが立ち上がり、玄関に行った。玄関の扉を開け放つ。監視役の剣狼隊隊員が二人立っていた。朝はヴォルゼーが死んだことによる混乱でいなかったが、夜になるまで時間が経てばさすがに混乱から抜け出したようだ。

 

「ジルドレイド・アントークさんが面会を求めています。お会いしますか?」

 

「もちろん会います」

 

 何故大祖父さまが来るのか疑問に思ったが、数瞬考えただけで会うと決めた。ルシフのことに対する話し相手が欲しいのかもしれない。今のリーリンとはどこかよそよそしさがあり、話しづらく感じる。

 ジルドレイドをリビングの方に案内した。

 リーリンが部屋から出てくる。

 

「来たのはジルドレイドさんだったんですね。こんばんは」

 

 リーリンが軽く頭を下げた。

 

「うむ」

 

 ジルドレイドは小さく頷いた。

 

「あの、リーリン」

 

 ニーナが目を泳がせつつ、言った。

 

「何?」

 

「大祖父さまと二人きりで話したいんだ。悪いが席を外してくれるか?」

 

「全然いいよ。血の繋がった家族だもんね。他人を気にせず話したいって気持ちはわたしも分かるから」

 

 リーリンはもう一度ジルドレイドの方に頭を下げてから、部屋に引っ込んでいった。

 ニーナはリーリンが口にした他人という言葉に内心ショックだった。だが、リーリンは悪くないし、正しい。ニーナもリーリンを他人として扱ってしまったのだから。

 リビングにあるテーブルの椅子に向かい合わせで座る。

 

「どうされたのです?」

 

「今日の朝、ヴォルゼーが晒し首にされた。そのことでお前が馬鹿なことを考えていないか気になってな」

 

「馬鹿なこととは?」

 

「ルシフに表立って歯向かうことだ」

 

 ニーナはテーブルの下で両手を握りしめた。

 

「ルシフを頂点とし、支配する今の世界は本当に正しいのでしょうか?」

 

「客観的に見れば、都市間戦争が無くなり、汚染獣も敵ではない。治安が悪くなっているわけでもない。この現状が悪いとでもお前は言うのか?」

 

「いえ、以前に比べれば格段に良くなっていると思います。全都市民の中にルシフに対する恐怖と憎悪はありますが、実際に罰を受けるのは剣狼隊ばかりですし」

 

「ならば、何が気に入らんのだ?」

 

「確かにルシフは偉大なことをしました。ですが、ルシフだけにしかできないことでもなくなりました」

 

 もっとも偉大なのは発見することであり、発見してしまえば誰もが理解できる。ルシフは全都市を支配する方法を発見した。それを真似すれば同じことができるのなら、ルシフが頂点に立ち支配する必然性はない。

 

「ルシフ以外の誰にこんなことができる?」

 

「別にルシフでもいいですが、今のルシフに全都市を支配させ続けるのは、わたしには危ういように感じます。今日ルシフに会ってよく分かりました。ルシフとしての感情は全て王という器に覆い隠されてしまっています」

 

「別に悪いことでもあるまい。私情を挟まないというのは、指導者にとって重要な資質でもある」

 

「それに加え、ルシフの性格である傲慢さは微塵も変わっておらず、他人の言葉には耳も貸しません」

 

「剣狼隊の意見を多少は聞いているだろう」

 

「あれはマッチポンプでしょう。剣狼隊は単にルシフの指示で動いているだけです」

 

「……まぁ、そうだな」

 

 ジルドレイドも内心そう理解していたに違いない。ルシフは他人の意見を聞いているとニーナに思わせるために、剣狼隊はルシフの意思と関係なく動いているような言い方をわざとしていたのだろう。

 

「……このままいけば、グレンダンにもルシフの手が伸びるのは必然です。グレンダンが陥落すれば、ルシフはまた武芸者選別をやるでしょう。グレンダンは武芸の本場と言われるほど武芸に盛んな都市。不合格者が自殺する確率は他都市と比べれば高いと思います。人がたくさん死ぬと分かっているのに、何もせずただ黙って見ているのは正しいのでしょうか?」

 

「……」

 

「わたしは武芸者選別で死を選ぶ人を助けたいのです。それに、ルシフは一方的に自分の意見を押しつけているだけで、世界にいる一人一人の意見は踏み躙る。世界はルシフ一人のものではなく、世界に住む一人一人のものです。お互いに相手を尊重し合い、より良い世界になるよう意見を擦り合わせていくのが大切なのではないでしょうか?」

 

「それで、どうするつもりだ? 話し合いではなく、力で対立するつもりか?」

 

 ニーナの表情が歪んだ。涙が頬を伝い、握りしめた拳の上に落ちる。

 

「……仕方ないじゃないですか! わたしがどれだけ言葉を尽くしても、ルシフは少しも耳を貸さないんです! わたしの言葉をルシフに届かせるためには、どんな形であれルシフに勝たなければならないのです! グレンダンを陥落させてない今しか、ルシフに勝つチャンスはありません! でも、わたしは無力です! 何も変えられず、何もできません! それが本当に悔しい!」

 

 ジルドレイドは黙ってニーナを見つめていた。

 沈黙はほんの数分だっただろうが、ニーナにとっては何十分という時間に感じられた。

 

「……最後に問う。ルシフの才覚と統率力、カリスマ性はおそらく世界中の誰よりも優れていると言っていいだろう。奴にこのまま任せておけば、以前と比べて格段に人類にとって住みやすく安全な世界になる。それは断言できる。それでもお前は、ルシフと対立するというのか?」

 

「今のルシフとは対立しかないと思っています。ルシフに勝つことでルシフの傲慢さが薄れ、他人の意思を尊重できるようになるなら、わたしはルシフのサポートとして力になりたいと考えています」

 

「お前の行こうとしている道は、はっきり言うがルシフが進んでいる道より厳しく、険しいぞ。ルシフは人間同士の意見の擦り合わせなどという不安定なものは最初から切り捨てている。人間の感情に、もっと言えば住む人間に左右されない安定した土台を創ろうとしておる」

 

「その世界にルシフの安住はありません。何もかもルシフに背負わせ、決断させる世界。わたしはルシフも救いたいんです。命だってルシフは狙われていました。わたしは誰も犠牲にしない道を行きたいんです」

 

「……そうか」

 

 ジルドレイドは目を瞑り、ゆっくりと頷いた。剣帯から二本の黒い錬金鋼(ダイト)を抜き、テーブルに置く。

 

「大祖父さま?」

 

「この錬金鋼はルシフが持っているものと同じ、電子精霊のエネルギーの結晶。通常の錬金鋼では耐えられない剄量も耐えきれる。これを、お前にやろう」

 

 ニーナは驚き、テーブルに置かれた錬金鋼を凝視した。そのまましばらく固まったが、やがて小さく首を振った。

 

「嬉しいですが、いりません。わたしの剄量なら、今の錬金鋼で十分です」

 

「無力で悔しいと、お前は申したな?」

 

「……はい」

 

「ならば、儂の力をお前に託す」

 

 ジルドレイドの身体が黄金の輝きを放ち始める。

 ジルドレイドの身体から四つの黄金の球体が弾き出された。

 四つの球体は、それぞれ別々の形に変化していく。

 花弁の衣を纏った少女。生意気そうな少年。勝ち気そうな青年。落ち着いた雰囲気の妙齢の美女。

 四体とも、無表情ではなかった。花弁の少女は涙をこぼれさせ、生意気そうな少年は拳を握りしめて顔をうつむけ、勝ち気そうな青年は下唇を噛みしめ、妙齢の美女は口元を手で押さえている。

 そんな四体を見て、ジルドレイドの表情が優しく綻んだ。

 

「アーマドゥーン」

 

 花弁の少女が頷く。

 

「ジシャーレ」

 

 生意気そうな少年が顔を上げる。

 

「テントリウム」

 

 勝ち気そうな青年がジルドレイドの目を見る。

 

「ファライソダム」

 

 妙齢の美女が口元を手で押さえたまま頷く。

 

「お前たち、儂と共に歩いた戦友たちよ、孫娘の力となってくれるか?」

 

「大祖父さま!?」

 

 ニーナが叫ぶが、ジルドレイドの耳には届いていないようだった。

 四体は小さく、だが確かに頷いた。

 ジルドレイドがニーナに視線を向ける。

 

「こやつらはな、一人にして一人ではない。シュナイバルで都市になろうとせず、イグナシスと戦うと決めた電子精霊が結集した姿。お前次第で、どれだけでも力を引き出すことができる。だが、覚悟せよ。半端な覚悟では、こやつらの力と覚悟を使いこなすことなどできぬぞ」

 

 四体は再び黄金の球体となり、ニーナの身体に飛び込んできた。

 一瞬だけ異物感に全身が支配されたが、すぐに違和感は消えた。ニーナは自分の身体をまじまじと見るが、別に変わったところもない。

 しかし、確かに身体の最奥と呼べる部分には、熱い脈動のようなものを感じる。

 テーブルがガタッという音を立てた。

 ジルドレイドが片膝をつき、苦しそうに息をしている。

 

「大祖父さま! どうされたのです!? 大祖父さま!」

 

 ニーナがジルドレイドに近寄った。

 ジルドレイドの右手が、ニーナの頬を撫でる。

 

「……ずっと、儂の代で全てにけりをつけようと思い、生きてきた。息子や孫たちには、平和な世界を生きてほしいと願っていた」

 

「やめてください、大祖父さま! そんな言葉、まるで! まるで……!」

 

 まるでこれから死ぬようなもの言いではないか。

 

「儂の、この世界の運命を背負わせまいと、戦い続けた。だがルシフに出会い、敗北し、あらたな時代の息吹が感じられた。儂は、お前に重荷を背負わせるのではない。ニーナよ、我が孫娘。お前を信じ、お前の行く道に光が差すことを願い、儂の思いもお前に託すのだ」

 

「大祖父さま!?」

 

 ジルドレイドの身体が崩れていく。まるで砂でできていたかのように、身体が粉状に変化していっている。

 

「今度ルシフに会ったら伝えてくれ。背負わせるのと託すの違いがよく分かった。儂の人生はろくでもない人生だったが、最期だけは誇れるものだったと」

 

 ジルドレイドは優しく微笑み、全身が砂のような物質になった。

 ニーナはただ呆然と、ジルドレイドだった物質の砂山を見ていた。

 何がどうなって、ジルドレイドはこんな状態になったのか。

 あまりにも衝撃的な展開に頭がついてこず、涙もでてこない。

 

《ジルドレイドは私たちと融合していたため、人間の生では考えられないほどの時間に耐えられたのです。私たちとの融合を解けば、ジルドレイドの身体の限界はとっくの昔に迎えているわけですから、壊れるのは当然です》

 

 ニーナの内から、少女のような声が聴こえた。

 

「……大祖父さまは人工冬眠で生を永らえているのではなかったのか」

 

 言われてみれば、ジルドレイドは人工冬眠では説明できないほど長命だった。

 電子精霊と融合し、人ならざる存在になってまで、ジルドレイドには貫き通す意志と覚悟があった。自分には、あるのだろうか。人間でなくなっても貫き通したいと思える意志と覚悟が。

 身体が震えた。ようやく、ジルドレイドの死を頭が理解してきた。

 

「うぅぅぅ……大祖父さま……」

 

 ニーナは床に両膝をつき、涙を流した。

 わたしのような未熟者に力を託し、命を絶ってしまった。

 長い時間、ニーナはそのまま泣き続けた。

 しばらくして、ニーナはゆっくりと立ち上がった。

 箒とちりとりを持ってきて、床の砂山を掃除する。ジルドレイドだったものにこういう扱いをするのは心が痛むが、これしかきれいにこの砂山を回収する方法はない。

 一粒残らず取り終わると、袋にちりとりの物質を入れた。入れ終わったら、袋の口を縛る。

 ニーナはテーブルの上に置かれた二本の錬金鋼をじっと見つめる。両手で錬金鋼をそれぞれ掴み、剣帯に吊るした。

 これは大祖父さまの形見。大切に使わせてもらおう。

 そんな思いを込め、吊るした二本の錬金鋼を何回か撫でた。

 ニーナは自室に戻り、袋を自分の机の隣に置いた。

 リーリンは机の椅子に座り、本を読んでいる。

 

「ジルドレイドさん、帰ったの?」

 

「……うん。かえった」

 

 ジルドレイドが死んだとは、リーリンに言い出せなかった。余計な心配はさせたくない。

 ニーナは手紙を書き、封筒に手紙を入れて袋に貼り付けた。

 ニーナの心臓はドクンドクンと大きな音を立てている。当たり前だ。行動を起こせば、ルシフと完全に対立することになる。後戻りはできない。

 ニーナはもう一度、自分のやろうとしていることは本当に正しいのか確かめる。自分はルシフに対する私情で動いていないか。しっかり自分なりの考えがあるのかどうか。

 ルシフの創る世界では、ルシフ以外の人間はただ支配されるだけの自由のない存在になってしまう。人民の合意などはなく、ルシフの独断で決定される世界。そんな世界が実現してしまったら、ルシフが死んだ後はどうなってしまうのか。ルシフの座を奪い合う争いが発生してしまうのではないのか。ルシフだって人類のために己を犠牲にして生きていくことになる。このままではルシフに負担ばかりかける世界になる。グレンダンの武芸者たちも、このままではたくさん死なせることになるかもしれない。

 ニーナは心で頷いた。少なくとも、ルシフが気に入らないとか、そんな理由でルシフと対立するわけではない。

 ならば次だ。ルシフに勝つために必要なことは何か。言うまでもなく、グレンダンと協力することだろう。だが、それだけでは駄目だ。もっと勝率を上げるためには……。

 ヴォルゼーとサナックが剣帯に吊るしていた白銀の錬金鋼を、ふと思い出した。

 

 ──……天剣。

 

 ルシフの持つ天剣とサナックが持つ天剣は諦めるにしても、それ以外の十本の天剣を取り戻すことができたら、グレンダンの勝率はかなり上がるのではないか。やるからには、勝たなければ出さなくてもいい犠牲を出すことになる。

 天剣が保管されている場所なら把握している。

 

「……リーリン」

 

「何?」

 

「わたしは決めた。ルシフと真っ向から対立する。そのために、天剣を取り戻してくる。リーリンは荷物をまとめておいてくれ」

 

「えっ!? ちょっと……!」

 

 リーリンが慌てて椅子から立ち上がる。その時には、ニーナは窓を開けて外に出ていた。

 ニーナは走った。いつも通りの剄量でだ。アーマドゥーンたちの力を借りれば、ルシフに感づかれ、剣狼隊の警戒心も高める。直前まで、剄量はなるべく通常の方が都合が良い。

 錬金鋼メンテナンス室はルシフがいる建物の近くにある。

 ニーナは錬金鋼メンテナンス室の前まで、殺剄をせずにきた。

 ニーナの背後から数人の剄の気配がある。剣狼隊の隊員がニーナの行動を監視しているのだろう。

 錬金鋼メンテナンス室の前にも、赤装束の二人が立っている。片方は水色の髪をショートヘアにした女性だった。

 

「錬金鋼メンテナンス室に何か用?」

 

 水色の髪の女性がニーナに近付いてくる。

 

「はい。この錬金鋼の設定をお願いしたくて……」

 

 ニーナは剣帯から二本の錬金鋼を抜き出し、女性に見せるようにした。

 

「ああ、そう。なら入って──」

 

 ニーナの全身から黄金の剄が解き放たれた。それは天剣授受者に匹敵する剄量で、ニーナの前にいる二人と背後の少し離れた場所にいる隊員たちの目の色が変わる。

 ニーナは両拳で目の前の二人を横に殴り飛ばした。水色の髪の女性は拳を防いでいたが、もう片方は不意をつかれてもろに拳をくらった。

 二人ともそれぞれ左右に吹き飛んでいく。水色の髪の女性が体勢を整える頃には、ニーナは錬金鋼メンテナンス室に侵入していた。

 

「あぁ~、最高だよ~」

 

 錬金鋼メンテナンス室の中央、天剣に囲まれ恍惚の表情を浮かべている中年の男が座っていた。

 

「これぞ我がハーレム! 我が世の春が来た! 新しくハーレムに加わった娘を今日は思う存分可愛がっちゃうぞ~」

 

 中年の男は天剣の一本にスリスリと頬ずりしている。

 ニーナはこの意味不明な状況に困惑したが、焦りがニーナに正気を取り戻させた。もう行動を開始した。ルシフにも気付かれた筈だ。時間はない。

 ニーナは中央にいる男から天剣を奪い取り、周囲に置かれている九本の天剣も次々に剣帯に吊るしていく。

 水色の髪の女性が室内に踏み込んでくる。

 ニーナは室内を素早く見渡した。窓。駆け出す。

 

「マイハニーたちぃぃぃいいいいい!!」

 

 中年の男の絶叫がニーナの背後から聞こえた。

 ニーナはとてつもない罪悪感に襲われたが、振り向かない。

 窓を蹴破り、外に出た。

 剣狼隊が続々ニーナのところを目指して近付いてきている。

 ニーナは剣狼隊に追われながら、リーリンのいる自室を目指した。

 地面を蹴り、自室の窓まで跳ぶ。窓の桟に足を乗せた。リーリンが両目を見開いている。

 

「リーリン! わたしの手を掴め! グレンダンに行くぞ!」

 

 ニーナがリーリンに向かって右手を伸ばした。ジルドレイドが死んで泣いている時、四体の電子精霊たちが『縁』の移動について教えてくれたのだ。グレンダンと『縁』があるから、一瞬でグレンダンに移動できるということも言っていた。そして、ニーナはその言葉を信じた。

 リーリンはあまりの衝撃にどう行動していいか分からず、固まってしまっている。

 自室の扉が開かれ、赤装束の者たちが踏み込んできた。

 

「リーリン! レイフォンたちのところに行こう!」

 

「……レイ……フォン?」

 

 リーリンがニーナの伸ばす手を見つめた。

 この手を掴めば、レイフォンに会える。

 半ば無意識で、リーリンは手を伸ばす。

 不意に、椅子に座って涙を流しているルシフの姿がフラッシュバックした。

 リーリンは思わず手を引っ込め、胸の前で伸ばした手をぎゅっと握る。涙が流れた。

 

「……ごめん。行けない」

 

「リーリン!」

 

「わたしはルシフの世界を選ぶ!」

 

 都市の格差がない世界。お互いを助け合える世界。こんな世界がグレンダンでの食糧危機の時に実現していたら、あんなにもたくさんの餓死者は出さなかった。レイフォンだって、お金に取りつかれたようにお金を稼ごうとしなかった。

 誰がなんと言おうと、ルシフの世界では人が死ななくなるのだ。それの何が悪いのか。ルシフにはちゃんと人を思う心がある。なら、周りの者はしっかりサポートすればいい。

 赤装束の者たちがリーリンに触れるくらい近付いてきた。

 ニーナは舌打ちし、黄金の光に包まれる。

 黄金の光が収まる頃には、ニーナの姿は影も形もなくなっていた。

 リーリンは顔を両手で覆った。あの時とは違う。自分の意思でルシフを選んだ。つまりは、グレンダンの敵になったのだ。

 

 

 ルシフが室内に踏み込んだ時、ニーナの身体は黄金に包まれ消えた。

 ルシフの纏う剄が激しさを増し、殺気とともに都市全体を呑み込んだ。

 剣狼隊の誰もが身体を強張らせる。

 ルシフはリーリンがいることに疑問を感じたが、それよりもニーナだった。

 余計なことをして、計算を狂わせる。それが本当に腹立たしい。

 

「時代の流れどころか空気も読めん、時代に取り遺された遺物が! 今度会ったら、ダルマにして博物館に展示してやる!」

 

 心が凍りつき、鋭さを増していく。その一方で心の奥底、グレンダンとの再戦が面白くなりそうだと歓喜の音を小さく鳴らしているのも事実だった。


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