鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

87 / 100
第87話 疑惑の檻

 ルシフは勢いよくベッドから身体を起こした。着ていた服が汗でびっしょりになっている。

 ルシフは浴室に入り、シャワーを浴びるためシャワーのコックをひねった。熱いシャワーが身体にまとわりつく不快感を洗い流していく。

 毎晩のように悪夢は見ていた。ヴォルゼーが死んで涙を流した夜も悪夢は見た。だがその時だけは、その夢を現実とシンクロさせて恐怖を感じるなんてことは無かった。

 今は違う。マイを殺す夢が現実になるのではないかという不安感と恐怖がある。

 シャワーを浴びながら、自分の身体が自分の意思通り動くか確かめていく。悪夢から覚めた後のこの作業はもはや恒例となってしまった。これで安心しても、頭痛と高熱は無くならない。

 浴室から出て、黒装束を纏った。方天画戟を手に書斎に向かう。

 以前は十人の侍女に何もかも任せていたが、今は一人もいない。静かな部屋だ。ルシフにとっては、誰かに自分の世話をされるより自分でやる方が気に入っていた。何もかも世話されるとぬるま湯に浸かっているような気分がして、自分の中にある刃が錆びついていくような錯覚をしてしまう。

 書斎に行くと、エリゴに念威端子を通じて書斎に来るよう伝えた。伝えたら、書斎の隅の方に置いてあった黒い袋を取って執務机に置く。

 エリゴは三十分もしない内に書斎に来た。人払いをしたため、秘書官であるゼクレティアもおらず、二人きりである。

 

「何の用です? 旦那」

 

「まずこれを受け取ってくれ」

 

 執務机に置いた黒い袋を手に取り、エリゴに渡す。

 エリゴは怪訝そうにしながらも受け取り、上から袋の中を覗いた。エリゴの目の色が変わる。

 

「こいつは……!」

 

 エリゴは慌てて黒い袋を執務机に戻そうとする。

 

「これは俺には荷が重すぎますぜ」

 

「駄目だ。拒否は許さない。これは剣狼隊の指揮官としての命令だ」

 

 エリゴは戻そうとする手を止めた。

 

「……旦那、俺は以前『人間凶器』と言われた男ですぜ? こんな大役務まりませんて」

 

「レオナルト、ハルス、アストリット、バーティンは自分の感情優先で動くところがある。サナック、オリバ、フォルは逆に私情が無さすぎる。フェイルスは頭は良いが冷酷すぎる部分がある。プエルは逆に甘すぎる。と考えていくと、お前が一番適任なのだ」

 

「それでも嫌だぜ、俺は。こんな役必要ねぇだろ、旦那がいるんだから」

 

「お前が心に抱いた剣はなんだ?」

 

「それは、旦那とともに都市間戦争も汚染獣の脅威もない世界の実現を──」

 

「そんな剣、今すぐ捨ててしまえ。お前には幻滅した、出ていけ」

 

「……旦那」

 

「出ていけ」

 

 ルシフからとてつもない剄と怒気が放たれる。エリゴの身体はすくんだ。本気でキレている。エリゴは震える両手を握りしめた。

 

「……旦那、絶対に必要なんだな? この役が」

 

 エリゴの声は震えていた。恐怖でではなく、ルシフに幻滅したと言われたショックが原因である。

 

「ああ、万が一に備えてな」

 

「……なら、やるよ。やってみせる。俺の全てを懸けて」

 

 書斎に充満していたルシフの怒気が薄れ、剄も収まっていく。

 

「それでいい」

 

 エリゴは黒い袋を両手で抱えながら、重い足取りで書斎の扉に向かう。

 書斎の扉の前で、エリゴは振り返った。執務机を前にした椅子に座り、政務である書類の処理をこなしているルシフの姿。もうエリゴの方は見ていない。また以前のようなピリピリとした雰囲気になっている。

 昨夜、ニーナが天剣十本を奪って消えた。

 それがルシフから安らぎを奪った原因なのだろうか。

 片手で黒い袋を持つようにし、扉を開ける。

 書斎から出て扉を閉めた後、エリゴは剣帯に吊るしている錬金鋼(ダイト)を無意識の内に触れていた。

 

 ──ぶった斬ってやる。旦那の邪魔するヤツは一人残らずぶった斬ってやる。ニーナも、次立ち塞がったら容赦しねえ。

 

 ずっと自分はルシフと同じ剣を心に抱いていると思っていた。一体いつからルシフと自分が心に抱いた剣は違っていたのか。

 だが、ルシフの邪魔をするヤツを一人残らず斬り捨てれば、ルシフと同じ剣のままなのだ。

 なら、やることは決まっている。この命尽きるまで、ルシフの剣として在り続ける。それが俺の人生だ。

 エリゴは自分の担当している巡回場所に戻っていった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 突如として、グレンダン上空にとてつもない剄が出現した。

 念威操者からの報告がなくても、グレンダンの女王と優れた武芸者はその剄に気付き、すぐさま剄が出現した場所まで移動した。

 その場所は外縁部で、周りに何もないところだった。金髪の少女が片膝を地面について着地姿勢をとっている。この少女には、見覚えがあった。ツェルニの第十七小隊とやらの隊長だ。

 アルシェイラは少女の剣帯を見て目を見開いた。天剣が吊るされているのだ。しかも十本。

 天剣はルシフが奪っていった。ならば、この少女はルシフの仲間か。いきなり現れたところを考えると『縁』を利用して移動したに違いない。つまり電子精霊を憑依させている。ならば、天剣授受者以上の実力者になっているだろう。

 

「動くな」

 

 アルシェイラが二叉の槍を少女の鼻先に突きつけた。

 

「なっ、何をする!?」

 

 少女は驚きつつも、怯えてはいなかった。

 

「隊長!?」

 

 レイフォンが水鏡渡りによる超高速移動で現れた。フェリを抱きかかえている。

 フェリを下ろして、レイフォンは少女に近付いた。

 

「レイフォンか!? ということは、グレンダンに来れたのか」

 

「やっぱり……! 隊長!」

 

 少女の顔に安堵の色が生まれた。それでもアルシェイラは、二叉の槍の構えを解かない。

 天剣授受者や優秀な武芸者がこの場所に次々に集まってきている。

 ただでさえルシフとの再戦のためにピリピリと緊張がグレンダンに満ちていたのだ。それに加え、放浪バスももう二週間、一台もグレンダンに来ていない。その不安感が武芸者の警戒心を強くもしている。

 今グレンダンを刺激するようなことはできるだけ避けたい。

 

「あなたの名前は?」

 

「ニーナ。ニーナ・アントークです」

 

「ニーナね。色々訊きたいことあるけど。その剣帯に吊るされているモノとか。それはとりあえず置いといて、王宮に来てもらおうかな?」

 

 アルシェイラから威圧的で圧倒的な剄が解き放たれた。柔らかいもの言いとは裏腹に、ニーナに選択肢を与えていない。もし王宮に行かないなどと口にすれば、力ずくで連れていくだろう。

 

「……分かりました」

 

 周囲に集まった武芸者には後で必ずニーナとの内容を伝えると言って納得させ、解散させた。

 王宮に行くことを許したのは天剣授受者とレイフォンやフェリといったツェルニ組だけだった。

 

 

 

 ニーナを案内した場所は王宮にある訓練場だった。

 ニーナ、レイフォン、フェリ、シャーニッド、クラリーベル、アルシェイラ、デルボネを除いた天剣授受者全員が訓練場にいる。デルボネの蝶型の念威端子が一枚訓練場内を舞っているため、実質天剣授受者全員がこの場にいるのと同等だった。

 

「まず、どうして天剣を持っているのか説明してもらえるかしら?」

 

「はい」

 

 アルシェイラの問いに、ニーナは答えた。

 ニーナがルシフに付いていった日から今までのことを順番に話し始める。

 長い長い話だった。それもまるでエンターテイメント作品の物語のような話だった。

 ニーナが話している間、誰も何も言わなかった。質問する者もいない。おそらくニーナの話していることに現実味が無さすぎて、誰も理解が追いついていないのだ。

 

「あなたの話を要約すると──」

 

 ニーナの話を聞き終えた後、アルシェイラが口を開いた。

 

「ルシフはまずイアハイムの都市長となり、そこからヨルテムを武力制圧し、ヨルテムを武力制圧した後は本拠地をヨルテムに移して、各レギオスに剣狼隊を派遣して武力制圧、電子精霊までも味方につけてレギオスの移動もコントロールしていると」

 

「はい」

 

「更には武芸者の選別やら、全都市の法制度の統一やら、各レギオスの技術共有もして、ヨルテムに豪華な王宮を建築したり、各レギオスの外縁部を潰して都市開発もしていると」

 

「はい」

 

「えぇ……」

 

 アルシェイラはドン引きしていた。アルシェイラだけではなく、その場の全員があまりの衝撃的な速度のルシフの侵攻に、驚きを通り越して呆れていた。

 まだ三ヶ月ちょっとしか経っていない筈だ。にも関わらず、異常すぎる侵略速度。

 

「わたしが話した内容は事実です」

 

 周りのどこかしらけている空気を察知し、ニーナはむきになった。

 

「分かった分かった。とりあえず信じてあげるから、天剣を渡してくれる?」

 

 アルシェイラからピリッとした雰囲気が放たれ、訓練場内に緊張が走る。

 ニーナは表情を強張らせたが、アルシェイラから目を逸らさなかった。

 

「一つ条件があるのですが……」

 

「何?」

 

「ルシフと決戦した時、ルシフ側の人間を一人も殺さないように戦ってほしいのです」

 

「……ふ~ん?」

 

「ルシフはこれまでの武力制圧で、ただの一人も死傷者を出していません。ルシフ自身の口から、ルシフの目的はこの世界から理不尽な死を無くすために全都市を支配するという言葉も聞きました。たとえ戦いになったとしても、相手を殺さなければいつか和解できる筈です」

 

「うん、いいよそれで。じゃあ、天剣ちょうだい?」

 

「……分かりました」

 

 ニーナは剣帯から十本の天剣を抜き、各天剣授受者に渡した。天剣が渡されなかったのはバーメリンだけである。

 

「わたしの天剣は!?」

 

 バーメリンがニーナに詰め寄った。ニーナは及び腰になる。

 

「すいません。ルシフとサナックさんが所持している天剣を取り返すには危険すぎて、持ち主のいない天剣だけに狙いを絞っていましたので、取り返せませんでした」

 

「なんでよりによってわたしの天剣を諦めるのよ、このクソガキ! マジウザッ!」

 

「そう言われても……」

 

「あれ? 復元できないなぁ」

 

 ニーナに一方的に突っかかっているバーメリンの横で、カウンティアは首を傾げていた。何度起動鍵語を口にしても、天剣が青龍偃月刀に復元できないのだ。他の天剣授受者は全員天剣を武器状態に復元できていた。カウンティアの天剣はヴォルゼーが設定をいじくったため、カウンティアの復元鍵語は消去されていたのだ。

 

「天剣戻ってきた連中は明日の早い時間に錬金鋼メンテナンス室に行って天剣の設定の確認と、もし何か変更されていたところがあったら修正しておくこと。

天剣戻ってきてないヤツは……終わるまで隅の方で踊ってれば?」

 

「んだとこの年増ァ!」

 

「はい侮辱罪で極刑」

 

 アルシェイラがバーメリンを殴り飛ばした。

 バーメリンが目にも留まらぬ速さで吹っ飛び、遥か向こうの訓練場の壁にぶつかった。そのまま前のめりで倒れる。

 ニーナはいきなりのデンジャラス体験に固まっていた。

 

「ニーナ、あなたは王宮に住みなさい。もう夜も遅いから休むといいわ」

 

「でも、わたしはレイフォンたちのところが……」

 

 ニーナはレイフォンの方を横目で見る。

 

「ダメダメ。あなたは天剣をルシフから十本も取り返してくれた。あなたに対する恩は山のようにあるから、おもてなしもしたいし。良い部屋用意するから。ね?」

 

「……分かりました。ご迷惑をおかけします」

 

 ニーナは深く頭を下げた。

 

「迷惑とかそんなの気にしなくていいから。自分の家だと思って気楽にして」

 

「努力します」

 

 それで会話は終わりになり、うつ伏せで倒れているバーメリンを放置して解散した。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 星を散りばめたような空間の中で、二体が対峙していた。電子精霊グレンダンと電子精霊シュナイバルである。

 

「母よ」

 

「……」

 

「グレンダンにニーナが来た。ニーナからルシフが何をやったかも聞いた。何故だ、母よ」

 

「…………」

 

「何故ルシフに協力するのだ? ヤツが危険人物であることくらい、グレンダンがヤツに蹂躙された時に気付いた筈だ。なのに、何故?」

 

「どう答えても、あなたは納得しません。違いますか?」

 

「確かにそうだろうな。だが、それは答えなくてもいい理由にはならん」

 

「グレンダンの女王に真偽を確かめるよう、頼まれたのですか?」

 

「だったらどうだと言うのだ?」

 

「……妾に答えられることは何もありません。妾はただ、世界の行く末を見守るだけです」

 

「ふん、電子精霊が人間の下について良しとするとは、電子精霊も堕ちたものだな」

 

 グレンダンは不機嫌な雰囲気を隠そうともせず、『縁』の空間から消え去った。

 

「ごめんなさい、グレンダン。ですが、今のところはグレンダンの方が妾たちにとっては障害なのですよ。たとえサヤがいたとしても」

 

 シュナイバルも『縁』の空間から消えた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

「ふむ、シュナイバルは答えるのを濁したか」

 

「ああ。だが逆に、ニーナの話に信憑性を持たせている」

 

 アルシェイラの自室。

 アルシェイラ、廃貴族のグレンダン、カナリス、リンテンスがいる。デルボネの蝶型の念威端子も一枚舞っていた。

 

「しかし、まさかルシフがこの短期間でここまでやるとは……」

 

「グレンダンに宣戦布告をした理由はわたしたちの意識を内に向けさせ、他都市に余計なことをしないようにする目的もあったのでしょう。本当にルシフは抜け目がないと言うか、あの性格なのに堅実に攻めてくるわね」

 

「というか、ニーナの話した内容は本当に事実なのでしょうか? 事実というにはあまりにも現実味がありませんが」

 

「でも筋はしっかり通っていたでしょ。その事実を裏付ける根拠がある。信じられない気持ちは分かるけど、わたしは逆にだからこそ事実だと感じた」

 

「あいつはまさにこの世界の劇薬というわけか」

 

 リンテンスが煙草をくわえようとして、アルシェイラが煙草を奪い取った。

 

「次煙草吸おうとしたら、その汚い顔をもっと汚くしちゃうぞ?」

 

「顔と言動が合ってないな」

 

「うっさい」

 

 アルシェイラの言葉に、リンテンスは軽く息をついた。

 

「陛下……それで、どうしましょうか?」

 

「何のこと? カナリス」

 

「客観的にルシフの行動を見れば、バラバラだった各都市を集結させ、都市の格差や武芸者の良し悪しを無くし、都市間戦争をあってないようなものにした」

 

「汚染獣も各都市が武芸者を共有して戦えば、危険でもなんでもないな」

 

 リンテンスが口を挟んだ。

 

「ルシフに従い任せておけば、今までの絶望的な世界が壊れ、誰もが都市間戦争や汚染獣に怯えずに暮らせる世界になる。客観的に見て悪者はわたしたちになるのかしらね?」

 

「ニーナの話では、ルシフは各都市の技術を全て共有し、各都市に今まであった法や制度をイアハイムのものに強引にしていて都市民が怒っているという話でした。また武芸者選別をやり、多数の武芸者が武芸者ではなくなり、その中の約四分の一が自害。この選別によって出た死者は一万人を超えています。ルシフのやっていることがそのまま都市民に望まれていることではありません」

 

「つけいる隙はある……か。もし仮に武芸者選別をグレンダンでやったら、どうなると思う?」

 

「不合格になった武芸者の七、八割は自害するだろうな」

 

「やっぱそれくらいの割合になるか」

 

 アルシェイラがテーブルに置いてあるグラスを手に取り、水を飲む。

 

「……ただ一番の問題は、これらの情報源がニーナだってことね。シュナイバルに訊いてもはぐらかされた以上、ニーナの真偽を確かめる術はない」

 

「ああ、だからおもてなしがしたいと言って、レイフォンのところに行かせず、王宮に留めたのか」

 

「今はニーナに与えた部屋の前に二人武芸者を立たせてるし、念威操者に監視もさせてる。不審な動きをすればすぐ分かるわ」

 

 アルシェイラはニーナが実はルシフの手先なのではないかと疑っていた。

 理由は都合が良すぎるから。天剣を十本も取り返して、更に電子精霊を憑依させた天剣授受者以上の実力者が味方になる。これは考えうる中で最も理想的な展開。

 だからこそ、疑う。もしかしたら、これはルシフの罠なのではないかと。天剣を十本も取り返したニーナが、まさか内通者などとは誰も思うまい。

 

「……こうして考えると、ルシフという男は本当に厄介だな」

 

 ルシフが少しでも関わっていると、それがルシフにとって予定外の出来事なのか、それともルシフに仕組まれた出来事なのか分からなくなる。こちらにとって都合の良い出来事をあえて起こすことで、こちらの行動を誘導する餌という可能性もあるのだ。例えばニーナを味方だと信じ込ませて警戒を解かせ、決戦の時にニーナを寝返らせてアルシェイラか天剣授受者を騙し打ちで倒すなんてことを企んでいるかもしれない。

 

「ルシフを相手にする場合は、警戒しすぎて損はないわ。あの男は餌に食いついたところを一気に叩き潰す天才だからね。わたしはそれで二回とも出し抜かれたし」

 

 もっともその内の一回はルシフの剄量が足りず、勝敗を覆すほどの効果は無かった。だが廃貴族を手に入れ剄量を圧倒的に増大させた今の状態では、ルシフに出し抜かれることは致命傷に近い。実際、一瞬で戦闘不能にされた。

 

「それなら、ニーナが天剣を渡す条件で出した、ルシフとの決戦の時に死者を一人も出さないっていうのは……」

 

 カナリスがアルシェイラに訊いた。

 

「あんなの適当に言ったに決まってんじゃん。もしかしたら本当にルシフは今まで死者を出さずに戦ったのかもしれないけど、グレンダンに比べれば他の都市なんてザコだかんね。そうやってニーナに死者は出さずに戦うって思いこませて、こちらに手を抜かせる策かもしれない。そもそもあのルシフがニーナみたいな脳筋に天剣を十本も奪われるなんて失態を招いたこと自体、どこかきな臭いのよね。ニーナはルシフに都合よく泳がされてるだけじゃないかしら」

 

「ニーナの警戒は怠らないよう、内密に武芸者と念威操者に伝えておきます」

 

「レイフォンとかツェルニから来た連中には教えないようにね。ニーナに余計な情報を与えたくない」

 

「分かっています」

 

 天剣は十本も戻ってきた。だがしかし、素直には喜べない彼女らだった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 『縁』の空間にシュナイバルとルシフとメルニスクがいる。

 

「先程グレンダンが、何故あなたに協力するのか訊いてきました」

 

「ふむ、なるほど。アルシェイラのヤツ、ニーナが俺の内通者じゃないかと疑ってるな。おそらくニーナは軟禁状態にされ、従者という名目で監視も付けられるに違いない。グレンダンに行っても俺のところにいた時と扱いが変わらぬとは、ニーナも運のない」

 

 ルシフは顎に指を当てて頷いている。

 

「……ルシフ、あなたはどこまでも恐ろしい男ですね」

 

 そんなルシフの姿を、シュナイバルは呆れたような表情で見ていた。

 

「は?」

 

「妾はただグレンダンが協力する理由を訊いてきたと言っただけです。たったそのひと言で、あなたはそれだけのことを瞬時に洞察した。常人では有り得ない洞察力です」

 

「何を言ってる? もしニーナの言葉を信じたのだとしたら、シュナイバルに訊いてくるなんてことはしない。シュナイバルは俺と協力関係にあるのだから、訊けば当然俺にその情報が伝わり、俺がグレンダンを今より警戒して攻めるようになるかもしれない、と奴らは考える。だったら訊くなんてリスクを冒さず、俺に何を考えているか悟らせない方が良い。しかし、グレンダンは俺に知られるリスクを冒してまで、お前に状況を確認しにきた。つまり、リスクよりニーナの話の真偽を優先してきたということ。それはそのままニーナの不信に繋がる」

 

 シュナイバルは内心で目を見張る思いだった。

 これだけの思考を、あのひと言を訊いた瞬間に巡らせたというのか。やはりこの男は常人離れしている。

 

「……ニーナが警戒されているのだとすれば、ニーナ宛の手紙も内容を確かめてから渡すだろうな。

よし、アルシェイラとニーナに手紙でも書いて送ることにしよう。もっともニーナに送ると言っても、グレンダンの連中に読ませたい内容だが」

 

 ニーナが警戒されていることを上手く利用すれば、アルシェイラや天剣授受者を罠に陥れることができるかもしれない。天剣を奪われても、やはり何かしらのメリットはあった。

 

「シュナイバル、電子精霊ヨルテムに伝えろ。進路をグレンダンに向けろとな」

 

「では、いよいよ……」

 

 シュナイバルが呟いた。

 シュナイバルがもし人間だったら、ゴクリと唾を飲み込んでいるだろう。

 

「ああ」

 

 ルシフがほんの少しだけ表情を緩ませた。

 

「最終決戦といこうじゃないか。アルシェイラを再び完膚なきまでに叩き潰してくれる」

 

 もうグレンダン以外の全レギオスの旧来の法と制度の破壊は完了している。グレンダンとの決戦前にやるべきことは全て終わった。

 残るはアルシェイラを力でねじ伏せ、全レギオスを統一するのみ。グレンダンを無視して今の状態で妥協することもできるが、ルシフの辞書に妥協は存在しないのである。

 

「分かりました。伝えましょう」

 

「頼んだぞ」

 

 ルシフが『縁』の空間から消えた。

 

「メルニスク」

 

「なんだ、偉大なる母よ」

 

「万が一の場合は……分かっていますね」

 

「……ああ、理解している」

 

「あなたがしくじらなければ、双方が共倒れになるという最悪の事態を避けられるはずです。この決戦で戦力を大幅に削られることだけが妾の懸念です」

 

「少なくとも、ルシフはグレンダンとの決戦の時、一人も殺さんよ」

 

 その言葉には、ルシフに対するメルニスクの絶対的な信頼が宿っていた。

 

「理不尽な死を無くすというのが、ルシフの目指す理想。だが、今ルシフがやっていることは無理やり都市を奪い取る理不尽な行動。その中で相手を殺すのは、ルシフの理想に反する。己の命や利得より、理想と信念に生きる男だからな」

 

「どれだけ危機的な状況になっても敵を殺さない、とあなたは信じるというのですか?」

 

「邪魔者を殺して都市を奪うなど、凡人でも力があればできることだ。ルシフは自分こそ人類史上最高の人間と自負している。やり方も凡人では考えもしない、前人未到のやり方を貫く」

 

「あえて困難な道を進む、という人間ですか、ルシフは」

 

「というより、我の目には不器用に生きたいだけのように見える。誰よりも器用に生きられるだろうに」

 

「自分を追い込むように生きなければ、人生が退屈なのでしょう」

 

「……だろうな。平凡な生き方では満足できぬ人間だ。まあそもそも、ルシフはグレンダンとの総力戦になるとは考えておらぬが」

 

「と言いますと?」

 

「ルシフはアルシェイラは政治に関心のない人間だと考えている。代わりに政治をする者がいれば喜んでその座を渡すと。グレンダンを統治する以上、アルシェイラを上回る武力を示さねばならぬが、それは双方の武芸者をぶつけての総力戦ではなく、ルシフとアルシェイラの一騎打ちでの決着。アルシェイラも武芸者を無駄に犠牲にする愚は犯さない。ルシフはそう読んでいる」

 

「なるほど。グレンダンの女王の性格なら、確かにその可能性が高いかもしれませんね」

 

「……そろそろ我も戻る。さらばだ、偉大なる母よ」

 

 メルニスクが『縁』の空間から消える。

 シュナイバルは何かを思案するように目を閉じた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。