鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第88話 たとえ肉体が滅ぶとも

 書斎に剣狼隊の全小隊長、ゼクレティア、マイが集まっている。

 ルシフは執務机を前にした椅子に座り、封筒を二つ執務机に置いた。アルシェイラとニーナに向けた手紙である。

 ルシフは迷っていた。手紙を書いたはいいが、手紙をどうグレンダンに届けるか、その方法がなかなか決まらないのだ。

 一番手っ取り早いのは『縁』を利用してルシフ自身が届け、届けたらまた『縁』を利用して帰ってくる方法だが、この方法は選びたくなかった。

 

「グレンダンに行きたいと希望する者に、手紙を渡して届けさせるのが無難か」

 

 都市民の中でルシフの政治に耐えられない者に報酬を与えて、手紙を届けさせる。無論届けた後はグレンダンに留まればいい。グレンダン側が受け入れてくれるかは置いといて。

 

「このような重要な任務に、信用できない者を使うのは反対です。確実に手紙を届ける人物を選ぶべきでは?」

 

 バーティンが言った。

 バーティンに賛同するように、何人かが頷いている。

 手紙が届くのは確実だとルシフは考えていた。何週間振りかの放浪バス。グレンダンは必ず万全の状態で対応するだろう。その時に手紙の存在に間違いなく気付く。

 

「いや、やっぱり手紙を届けるのはやめよう。危険すぎる。もしグレンダンが排除しようと考えたら、間違いなく死ぬ」

 

 手紙を渡すことによる効果は、グレンダンの人間の心を揺さぶり仲間割れをさせる程度。剣狼隊は間違いなく信用できるが、ルシフの手先と分かっている者をグレンダンは生かして返さないかもしれない。もしただ手紙を届けた者を始末しようとするならグレンダンの器量も知れたものだが、こんなことで剣狼隊の隊員を失いたくはない。

 

「マイロード。私にその任をやらせていただけませんか?」

 

 フェイルスが言った。

 フェイルスに視線が集中する。

 

「グレンダンの連中に殺される危険があるぞ。連中には小者しかおらんからな」

 

「死など怖れていません。それは私だけでなく、剣狼隊全員の心情です。マイロードの助けとなって死ぬなら本望です」

 

「はっきり言うが、この手紙を利用した策はあまり有効的な策ではない。無視されれば何の効果も期待できないからな。そんな策で同志を失うわけにはいかん」

 

「いえ、私に行かせてください。今のマイロードの言葉を聞いてますます決意が固くなりました」

 

 フェイルス以外の小隊長たちも名乗り出たい気持ちはあったが、早い者勝ちということでフェイルスの気が変わるまでは静観していようと考えていた。

 ルシフは軽く息をついた。

 

「……分かった。お前に手紙を届ける任務を与える。もしグレンダン側から何か訊かれたら、包み隠さず答えればいい。情報を与えても今の段階なら問題にならん」

 

 ルシフが懸念しているのは、フェイルスが捕らえられて拷問される可能性だった。ニーナがグレンダンに行った状態で情報を隠してもあまり意味はない。そんなことでフェイルスが拷問されるのは馬鹿らしい。

 

「分かりました」

 

「それからグレンダンの女王に会ったら、俺に降伏する合理性と利点を説け。降伏しない場合において、考えられる危険性もな」

 

「しっかり説いてみせます」

 

「よし、行け」

 

 フェイルスに二つの封筒を渡した。

 フェイルスは封筒を受け取ると深く頭を下げ、書斎から出ていった。エリゴ、レオナルトがフェイルスに続いて出ていく。

 

 

 

 ルシフから任務を言い渡されてから一時間もしない内に、フェイルスは停留所に来ていた。エリゴとレオナルトが見送りに来ている。

 

「エリゴさん、これを」

 

 フェイルスが剣帯から二本の錬金鋼(ダイト)を取り、エリゴに渡した。

 

「丸腰でグレンダンに乗り込む気かよ?」

 

「私は闘いに行くのではありませんからね。丸腰なら相手にもそれが伝わるでしょう」

 

「グレンダンの奴ら、俺ら剣狼隊の情報を多分持ってるぜ。剣狼隊の全員が錬金鋼無しで闘えるって情報をな。不意打ちを狙っているんじゃないかと逆に警戒されるかもしれねえぞ」

 

「私は一人で行くのです。もし私一人すらも恐れるようなら、グレンダンも高が知れています」

 

 フェイルスのところに、六角形の念威端子が飛んできた。

 

『フェイルスさん。ルシフさまから、この端子を一枚隠し持って行くように、と。グレンダンとは距離がありすぎるため念威サポートはできませんが、端子の反応の有無だけは分かります。万が一の場合は端子を壊してください』

 

 マイの声を聞き、フェイルスは飛んできた端子を掴んだ。

 

「この通信は陛下も聞かれていますか?」

 

『いいえ』

 

「なら、陛下にお伝えください。お心遣い感謝いたします、と」

 

『必ずお伝えします』

 

 それを最後に、端子の念威は霧散した。端子から念威を全く感じない。だが、杖に戻ろうとはしていないから、休眠に近い状態になったのだと悟った。

 フェイルスが放浪バスの運転席に乗り込み、ヨルテムから飛び出していった。

 フェイルスの乗る放浪バスを、エリゴとレオナルトの二人は外縁部からずっと見送っていた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 フェイルスが書斎を出てしばらくしたら、リーリンが面会を申し出ているという報告が念威端子越しに届いた。

 ニーナが消えた後、部屋の中は徹底的に調べた。ジルドレイドの遺体と書かれた紙の入った封筒が貼り付けられた袋も見つけた。それは封筒ごとシュナイバルのアントーク家に届けさせた。

 リーリンの処遇に関しては拘束せず、今まで通り軟禁状態にして部屋に置いておいた。今回がニーナが消えてから最初の接触。

 正直な話、リーリンが何故ニーナとともにグレンダンに行かなかったのか、ルシフは疑問に思っていた。

 グレンダンに行けば故郷に戻れ、レイフォンといった家族に会え、完全な自由を手に入れられた。自分から離れるデメリットはない。

 なのに何故、リーリンは自分のところに残ったのか。本音を言えば、直情的に行動するニーナなどより、リーリンの方が厄介な存在だった。『茨の目』のこともある。

 『茨の目』などという強大な能力を手元に置いて監視できるのはルシフにとって好都合だったが、不安もある。リーリンが何を考えてルシフ側に残ったのか、全く理解できないからだ。

 ルシフは面会を許可した。

 三十分後、リーリンは監視役の剣狼隊員二名に連れられ、書斎に姿を現した。

 書斎にはゼクレティア、マイがすでにいる。

 リーリンを連れてきた剣狼隊員二人には外で待機するよう言い、二人とも軽く一礼して書斎から出ていった。

 

「あなたの下で働かせて」

 

 リーリンが開口一番でそう言った。

 ゼクレティアとマイが驚いた表情でリーリンを凝視している。ルシフも内心で驚いていた。てっきりもう監視はやめてほしいだの、自分はニーナと無関係だの言ってくると思っていたのだ。

 

「理由は何かあるのか?」

 

「あなたの力になりたいから、じゃダメ?」

 

 マイが不機嫌そうにリーリンを睨んだ。

 リーリンはそれに気付かず、ルシフだけをまっすぐ見ている。

 

 ──理解できない。

 

 何がリーリンにそう思わせるのか。口からでまかせを言っている可能性もあるが、リーリンはでまかせでもこんな言葉を吐かない性格の筈だ。

 

「監視されて軟禁状態なのが嫌だからとか、そういう理由じゃないのか」

 

「それもあるわ。頼めばなんでも用意してくれる何不自由ない生活で、わたしは何もしなくていい、子どもが夢見るお姫さまのような生活。その生活がわたしには全く合わないことが分かったの。しっかり対価を払って報酬を得たいのよ、わたしは。

でも一番の理由はそれじゃない。あなたのやろうとしている新体制での統治を実現させたいの」

 

「……その理屈だとグレンダンはお前の敵になるが、それでいいのか?」

 

 リーリンは唇を噛みしめた。

 

「……仕方ないでしょ。わたしはあの人たちのことをよく知っているもの。あの人たちにこんな政治はできない。今の安定していない状態で統治できるのは、多分あなたくらいしかいないのよ」

 

「なるほどな」

 

 リーリンの過去は知っている。グレンダンで起きた食糧危機。更には汚染獣との戦闘ばかりで常に貧窮している現状。グレンダンの施政に対して不満を感じていた部分があったのかもしれない。

 それがルシフの施政を見たことで助長され、グレンダンの状況を変えられると希望を抱いたのだとしたら。

 ルシフへの協力も不自然なものではなくなる。

 

「一つ、お願いがあるの」

 

「なんだ?」

 

「グレンダンと決戦する前、わたしにグレンダンへの降伏勧告をさせてほしい」

 

 リーリンに対して、ルシフは一気に見る目が変わった。

 ニーナとリーリンの違いは、ルシフを頂点として世界を変えていくか、ルシフだけを頂点とせず世界を変えていくかという違いしかない。そしてリーリンのやり方は、一人も犠牲者を出さずに世界を一つにできる可能性を秘めている。だがそれと同時に、リーリンはグレンダンの人間から裏切り者と罵られ、拒絶される可能性もある。リーリンは私情を殺して、世界をどうしたいかという大局に立てているのだ。

 ニーナのような考え無しより、リーリンの方が好感を持てる。

 ルシフは今、そのことをはっきりと自覚した。

 リーリン・マーフェスという人材を使ってみたい。そんな欲のようなものが出てきたのだ。

 

「いいだろう。お前に仕事も与える」

 

「ルシフさま!?」

 

 マイが声をあげる。

 ルシフは右手でマイを制した。

 マイは不満そうにしながらも、口を閉じた。

 

「ゼクレティア」

 

「はい」

 

「お前の補助として、リーリン・マーフェスをつける。まずは書類の仕分けからさせろ」

 

「分かりました」

 

 ゼクレティアの下にリーリンをつけたのは、自分の目の届くところでなおかつ、人手が不足しているところだからだ。ゼクレティアは記憶力は抜群に良いが、処理能力が低い。そのせいでルシフが多少仕事を手伝う必要があった。

 

「とりあえず一ヶ月はあの部屋で暮らしてもらうぞ。その代わり、金をやる。俺についた褒美としてな。これから欲しい物は言っても出てこないぞ」

 

「そっちの方がいい」

 

 その時から、リーリンはゼクレティアの補助員として働くことになった。

 リーリンが想像以上に使える人間だと分かったのは、それから数日経った後だった。

 最初はゼクレティアから一から十まで教えられつつ書類の仕分けをしていたのだが、数日経った今ではゼクレティアに教えられずともテキパキと書類を仕分けできるようになっている。

 書類を仕分けると簡単に言っても、実際は簡単ではない。グレンダン以外の全都市から必要な書類が集まってくるのだ。それら全てを担当している部署ごとに振り分けるのである。建築関係、医療関係、福祉関係、財務関係、行政関係、軍事関係など部署は多岐に渡り、全ての書類に目を通し、どの部署が適正か判断したうえで振り分ける。振り分けた後は優先順位の高いものからルシフのところに書類を持っていく。

 その仕事をリーリンは要領よくこなした。要領よくこなしすぎて、ゼクレティアから「相対的にわたしが無能に見えるから、もっとゆっくりやって!」と怒られもしたらしい。

 無論振り分けられた書類は全てゼクレティアがチェックし、リーリンが何か書類を改竄していないか確かめるのだが、今のところそういうものはない。

 ゼクレティアはルシフが尋ねれば、欲しい情報をその場で口にできる。それにリーリンの処理能力を合わせれば、今までの何倍も効率良く書類の処理ができるようになった。

 リーリンが書斎に書類を持ってきた際、ルシフはコーヒーを作っている最中だった。

 ルシフは二つカップを用意し、コーヒーを入れた。

 

「リーリン、そこに座れ」

 

 ルシフがリビングの椅子を顎で示す。

 リーリンは何も言わず、ルシフの言葉に従った。

 リーリンの前にあるテーブルにカップを置く。

 

「……なんであなたがコーヒーを用意してくれるの?」

 

「お前がよく働いているからだ。お前のおかげで随分助けられている」

 

「別に当たり前のことをしてるだけよ。給料はちゃんと貰えるんでしょうね?」

 

「ああ、当然出すよ」

 

 ルシフは自分のカップをテーブルに置き書斎に行ったが、すぐに一枚の書類を持って戻ってきた。

 リーリンが読めるように、リーリンに向けて書類をテーブルに置く。

 

「……えぇ!?」

 

 書類を読んでいたリーリンから、驚きの声が出た。それはリーリンの雇用に関する書類だった。

 

「ちょ、ちょっと!? 金銭感覚おかしいんじゃない!? これ月給なの!?」

 

「当然月給だが? 何か問題でもあるのか?」

 

「問題も何も、一年働いたら十年は遊んで暮らせる額じゃない! こんなに貰えないよ!」

 

「客観的に自分を見てみろ。お前は王の秘書官の補助員だ。待遇が破格になるのは当然だろう」

 

「それにしたって多すぎるような……」

 

「そう思うなら、お前が世話になった孤児院などに使ってやればいいだけの話。要は使い方だ」

 

 リーリンが驚きの表情でルシフを凝視した。やがて、表情が柔らかい笑みに変化する。

 

「……ありがとう、ルシフ」

 

 リーリンはルシフの心遣いを察した。グレンダンと決別しても、また交われる。そういう意図を、この月給から感じたのだ。

 

「別に対価への報酬を用意しただけだ。礼を言われることではない」

 

 ルシフが椅子に座り、カップに口を付けている。

 

「やっぱりあなたって損な性格してるわよね」

 

 リーリンはクスッと笑い、ルシフと同じようにカップに口を付けた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 グレンダンに一台の放浪バスがやってきた。三週間ぶりのことである。放浪バスの車体は真っ赤に染められていて、ルシフ直属の武芸者集団の放浪バスだと一目で分かった。

 当然多数の武芸者が放浪バスを取り囲む形で、乗員が出てくるのを待った。

 放浪バスから降りてきたのは、赤装束を着た長い黒髪の青年だった。グレンダンの武芸者はその青年を知っている。以前、グレンダンに潜入し天剣を奪おうとした一人。ルシフの手先。

 青年の剣帯に錬金鋼は吊るされていなかったが、関係なかった。剣狼隊は錬金鋼無しで闘えることは周知の事実だったのだ。すぐさま囲んでいる武芸者たちに取り押さえられ、女王のいる謁見の間まで引きずり出された。

 青年は一切抵抗せず、武芸者たちにされるがままに任せていた。

 アルシェイラは剣狼隊員を捕らえたという報告を受けた時、信じられない気持ちでいっぱいだった。

 殺したならまだしも、捕らえた。ルシフに絶対の忠誠を誓う剣狼隊が敵の捕虜になることを是とするなど、考えられなかったからだ。

 アルシェイラは謁見の間の玉座に座り、左右の武芸者に無理やり跪かされている青年を興味深そうに眺めている。

 カナリスがアルシェイラに近付き、二つの封筒を手渡した。

 

「この男が持っていた物です。一つは陛下に。もう一つは……」

 

 カナリスはチラリと青年を見たあと、アルシェイラの耳に顔を近付ける。

 

「ニーナ・アントークです」

 

 ──仕掛けてきたか。

 

 これが間違いなくルシフの策であることを、アルシェイラは確信した。

 ニーナに天剣を奪われてすぐ、ニーナと接触しようとする。実際のニーナがルシフの味方かどうかはともかく、ニーナに対する疑心を深めることはできる。

 

「女王陛下」

 

 跪かされている青年が声を出した。

 すぐさま隣にいる武芸者が青年の顔を殴った。

 

「許可なく口を開くな」

 

「いい。お前たちもその男を放せ」

 

「お言葉ですが陛下、この男は間違いなくルシフの手先なのですぞ! 自由にすれば何をやるか……!」

 

 殴った武芸者の言葉を聞き、青年は口の端から血を垂らしつつ笑った。嘲笑するような笑みだった。

 

「何を笑うか!?」

 

 その笑みに気分を害したのか、もう一方の武芸者も青年の顔を殴った。青年が床に倒れこむ。

 

「やめろ」

 

「しかしこの男は立場というものを……」

 

「わたしが物理的に動けなくしてやろうか」

 

 武芸者二人の顔から血の気が引いた。舌打ちし、青年から少し離れた後ろに待機する。

 

「フェイルス・アハートだな? お前の情報は掴んでいる。剣狼隊のインディゴ小隊隊長」

 

「お会いできて光栄の至りです、アルシェイラ女王陛下」

 

 フェイルスは起き上がり、恭しく一礼した。

 

「何の用でグレンダンを訪れた?」

 

「手紙を届けるためです。一つは女王陛下に。もう一つはニーナさんに」

 

「今そちらとわたしたちがどういう関係なのか、分からない筈はあるまい。この状況でよくぬけぬけと手紙を届けに来たなどと言えたな」

 

「……フフフ……」

 

 フェイルスは笑い声をあげた。本当に楽しそうに笑っている。

 

「何がおかしい!?」

 

 フェイルスの背後にいる武芸者の一人が怒鳴り声をあげた。

 フェイルスは謁見の間内を見渡す。武芸者や大臣や役人が多数いて、天剣授受者もデルボネ以外全員いる。

 

「槍殻都市グレンダン。武芸の本場で、優れた武芸者も多数抱えている。私など足元に及ばない実力者も大勢いるでしょう。それに加え、私は仲間も連れず、錬金鋼も持たずにグレンダンに訪れました。にも関わらず、武芸の実力に慢心せず、まるで危険物に触るような細心の注意を払う慎重さに感心しているのです。たった一人に対しても全員で寄ってたかって事に当たる。まさに獅子欺かざるの力、ということですね」

 

 謁見の間内を険悪な空気が満たしていく。

 最後の言葉は獅子はどれだけ弱い獲物でも全力で狩るという意だが、この場合は暗に臆病者と蔑んでいる。

 武芸者たちは次々に錬金鋼に触れた。

 アルシェイラが目配せで武芸者たちを制止する。

 アルシェイラの視線に気付くと、武芸者たちは苛立たしそうに錬金鋼を一度弾いて錬金鋼から手を離した。

 

「お前は本当に手紙を届けるためだけにグレンダンに来たのか?」

 

「実は、それだけではございません」

 

「ほう」

 

「とりあえず陛下からの手紙をお読みになってください」

 

 アルシェイラは憮然とした表情で、封筒を開けて手紙を取り出した。手紙を読む。謁見の間内の者は黙ってアルシェイラの姿を見ている。

 手紙を読み進めていく内に、アルシェイラの顔がどんどん紅潮していく。手紙を読み終えた後、隣に立つカナリスに乱暴に手紙を渡した。

 アルシェイラの激しい剄が謁見の間内を暴れ回り、謁見の間にいる者の身体が強張った。フェイルスは表面上は涼しい顔をしているが、内心は強大な剄への恐怖があった。

 

「読んだぞ。さあ、言ってみろ」

 

「女王陛下の武芸者としての実力は、陛下に迫るものがございます。また控えている天剣授受者の方々も、素晴らしい実力の持ち主です。武芸者としての質の面で申し上げましても、どの都市とも比べものにならないほど高く、武芸の本場という名に恥じない武力をお持ちになられています。

一方我が主であるルシフ陛下は目下電子精霊の協力の下、各都市を一ヶ所に集結させようとし、見事にグレンダン以外の都市の集結に成功いたしました。今はグレンダン以外のどの都市も数時間あれば行き来できる状況でして、汚染獣の襲撃も各都市が協力しあって迎撃できる体制が整っております。ここにグレンダンの武力が加わればまさに向かうところ敵無しになります」

 

「ふむ、それで?」

 

「またこちらが独自に調べたところによりますと、グレンダンは武芸者の育成が盛んではありますが、農業や工業、畜産業の技術は高いとは言えず、過去には農業システムに不備が生じ、食糧危機となって餓死者も出したとか。

ルシフ陛下はそのような各都市ごとの技術水準の差に心を痛め、各都市の得意分野の技術を互いに共有し合うことで各都市の技術水準の向上を推進しておいでです。もちろんグレンダンがルシフ陛下に従うなら、各都市の農業、工業、畜産業といった技術を余すところなくお伝えできます。その代わり、グレンダンの高い医療技術や武芸を各都市と共有させていただくことになるかもしれませんが、それはお互いさまでしょう」

 

 アルシェイラは表情は変えずとも、力の限り拳を握りしめていた。

 これは完全に外堀を埋められた形なのだ。選択肢など、あるように見えて実はない。

 

「またルシフ陛下に従うといっても、女王陛下の地位は侵害しません。現に一つの都市を除き、ルシフ陛下の勢力下となった都市の長は以前のままで統治しています。無論ルシフ陛下の意に従ってはもらいますが、従うからといって貧しい暮らしになったり幽閉されるということはありませんのでご心配なされぬよう」

 

「例外となった都市は?」

 

「交通都市ヨルテムの都市長でございます。ご存じの通り、ヨルテムは全ての都市に通じる門であり、物流や人の流れの中心です。この都市だけはルシフ陛下が直接治めなければならないため、都市長を罷免しました。グレンダンはそのようなことはありません」

 

「従わないと言ったら?」

 

「従わない理由を教えていただけないでしょうか? その理由がいかに蒙昧で合理的でないか、一から十まで説明させていただきたく存じます」

 

 大局に立って考えればルシフへの降伏が最善であり、反抗するのは私情に囚われた愚者のやること、とフェイルスは暗に言っているのだ。

 アルシェイラは謁見の間内を見渡す。武芸者は今にもフェイルスに襲いかかりそうな雰囲気を誰もが纏っているが、大臣や役人といった者はフェイルスの言葉に感心するように頷いていた。そんな大臣や役人を睨んでいる武芸者も少なくない。

 正直、ルシフに従うなど考えたこともない。だが、グレンダンの都市長という立場を考慮すれば、ルシフに従うのが最善なのかもしれない。

 さっきのルシフの手紙には、降伏した場合の条件が事細かに書かれていた。一言で言ってしまえば、降伏した場合自分の地位は名ばかりとなり、権力や権限は全てルシフのものになるということだった。

 

「もういい。用はそれで終わりか?」

 

「はい。では、ニーナさんへの手紙を返していただけますか? 私が直接届けたいのです」

 

「こちらがしっかりと手紙は届ける」

 

「陛下から命じられたことなのです。確実に届けたと分かるよう、自分の手で届けたいのです」

 

「ニーナ・アントークをここへ連れてこい」

 

 アルシェイラが念威端子に怒鳴った。

 十分もしない内に、ニーナは謁見の間にやってきた。武芸者を二人連れている。

 

「フェイルスさん!? 何故グレンダンに!」

 

「ニーナ、ルシフからあなたに手紙よ」

 

 カナリスがニーナに手紙の入った封筒を渡した。

 

「……ルシフが?」

 

 ニーナは明らかに動揺した。ルシフに対して後ろめたさのようなものがあるのかもしれない。

 

「ほら、ちゃんと手紙を渡したでしょ?」

 

「……そのようですね。では、私はこれで失礼させていただきます」

 

 フェイルスは一礼し、謁見の間から去っていった。

 

「このまま行かせてよろしいんですか、陛下!?」

 

「……なんで?」

 

「なんでって、あれはルシフ直属の武芸者です。殺すか、最低でも拘束し捕らえておくべきではないでしょうか!?」

 

「一人で、それも錬金鋼も無しに来た相手に対し、そのような真似をするの? そんな情けない真似はできない。グレンダンの名が地に堕ちる。このまま行かせてあげなさい」

 

「……はっ」

 

 カナリスは唇を噛みしめながら、アルシェイラに一礼した。

 

 

 

 フェイルスは堂々とした足取りで王宮から停留所に続く道を歩いていた。

 今歩いているところは中心部に近いため、建造物が所狭しと建ち並び、商店も多数あって活気に満ちている。

 至るところから殺気混じりの視線を感じるが、フェイルスは気にした様子もなく歩き続けた。

 それからしばらく歩き続け人通りも疎らになってきたところ、いきなり十人程度の武芸者がフェイルスに襲いかかってきた。

 フェイルスは足捌きと体捌きだけで全てかわした。襲いかかってきた武芸者たちが同時に離れる。周囲を遠巻きに囲んでいる武芸者たちが一斉砲火を行った。剄弾、剄矢の雨。全てはかわせず、右脇腹と左太ももを剄弾が貫き、右肩と左腕に剄矢が突き刺さった。

 フェイルスは被弾箇所から血を溢れさせながら駆けた。

 そんなフェイルスの姿をスコープ越しに覗き込んでいる者がいた。王宮の最上部。都市旗が立っている場所。バーメリン。

 バーメリンは照星眼の影響で眼を光らせながら、無表情で狙撃銃を構えている。

 

「どこまでもバカにして。マジウザッ」

 

 バーメリンは以前剣狼隊の二人にしてやられ、耐え難い屈辱を味わっていた。その怒りがフェイルスをこのまま見逃すことを許さなかった。

 バーメリンが引き金を引く。

 超長距離から放たれた銃弾はフェイルスの胸を貫通し、地面に突き刺さる。

 フェイルスが地面に前のめりで転がった。

 地面に血溜りができていく。

 フェイルスは考えた。何故自分は死ななければならないのか。

 一瞬でグレンダンに来てから今までのことを思い出す。

 

 ──そうか。

 

 グレンダンは抗戦派だけでなく、降伏派もいたようだった。

 ここで明確なルシフの仲間である自分を殺すことにより、降伏したところでルシフに酷い目に遭わされると説き、降伏派を黙らせようという魂胆なのだろう。

 不思議とグレンダンを恨む感情は無かった。今は激動の時。どうしても犠牲が多く出る時期なのだ。

 だがこれで、ますます確信した。そもそもこの事態は、答えを先延ばしにして都市内の意思統一を図らなかったアルシェイラの無能さにある。抗戦であれ降伏であれ、しっかり自分の意思を示していれば、都市内が分裂しているなどという状況にはならないのだ。

 ルシフと比べて、グレンダンは愚者の集まりでしかない。必ず決戦はルシフが勝つ。

 流れていく血。

 武芸者たちの足音がどんどん近付いてくる。

 フェイルスは荒く息をしながら、赤装束の内ポケットに手を伸ばした。六角形の念威端子。取り出す。

 震える手で、ゆっくりと自分の頭の前に端子をもってきた。

 愚者ばかりのこの世界で、自分の全てを捧げたいと思える相手に出会った。

 ルシフを全都市の王にするため、今まで生きてきた。なんと充実した人生だったか。

 

「……申し訳……ありません、陛下。フェイルス・アハート……帰還……できず」

 

 震える手に剄を込めた。六角形の念威端子が砕け散る。

 

 ──陛下、ご武運を。

 

 足音はもうすぐそこまで来ていた。

 

「……私は剣狼。死すとも……我が剣はあの方とともに」

 

 視界が霞んできた。

 唐突に、地面が浮かびあがる。いや、自分の身体が浮かびあがっているのだ。

 そう思った時には、真っ暗な闇の中にいた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 剣狼隊の念威操者が、それぞれの場所で一斉にはっとした表情になった。すぐに沈痛な表情に変化する。中には涙を流している者もいた。

 念威端子のリンクは全ての念威操者がしていたため、全員がフェイルスに渡された端子の反応が無くなったことを悟ったのだ。

 すぐさまルシフにフェイルスの端子の反応が無くなったことが報告された。

 ルシフは書斎の椅子に座っていた。報告を聞いた時、激情が体内を暴れ回り、毒の影響で損傷していた内臓に負担がかかって吐血した。

 

「陛下!?」

 

 ゼクレティアが必死の形相で近寄ってくる。リーリンは両手で口元を押さえていた。

 

「大丈夫だ」

 

 ルシフは口元を右手の甲でぬぐった。

 

「ゼクレティア、フェイルスの部屋から紅茶の茶葉を持ってこい。あいつは紅茶を飲みながら読書するのが好きだった」

 

「はい、分かりました」

 

 ゼクレティアが書斎から出ていく。

 ゼクレティアが戻ってくるまでの間に、次々に剣狼隊の隊員が書斎に来た。誰もが痛みを堪えるような表情をしている。

 ゼクレティアが紅茶の茶葉が入った袋を抱えて戻ってきた。

 

「それでこの場の人数分の紅茶を作ってくれ」

 

「はい」

 

 ゼクレティアが紅茶を人数分作り、それぞれにカップを手渡す。

 ルシフは紅茶の香りを楽しんだ後、ゆっくりと紅茶を飲む。

 

「……うまいな。いい紅茶だ」

 

「でも、よろしいんですか? フェイルスさんの許可なく勝手に使ったりして」

 

「もしフェイルスが帰ってきたら、詫びとして十倍にして返してやるよ」

 

 その場の全員がルシフを凝視した。

 まだ念威端子が壊されただけで、万が一フェイルスが生きている可能性がある。ルシフはそれを信じているのだ。

 ルシフ以外の者がそう思う中で、ルシフの思考は違っていた。ここで重要なのは、フェイルス自身の手で端子を破壊したであろうということだ。グレンダンの人間がフェイルスから端子を発見したとしても、優れた念威操者のいるグレンダンなら、その端子が何の力もない端子だと理解できる。まだグレンダンは遠く離れた場所にあるから、考え無しに破壊する可能性は低い。

 にも関わらず、フェイルスの予定到着時間からあまり誤差のない時間に端子が破壊された。

 フェイルスが端子を破壊したのはほぼ間違いない。つまりそれは、自分は生きて帰らないというメッセージ。

 

「あの野郎、こんなうまい紅茶を隠し持っているなら、俺たちにしっかり教えてから行けってんだよ、水臭え」

 

 エリゴが言った。涙が溢れている。

 それからしばらくの間、交替で剣狼隊の隊員が書斎に現れ、フェイルスの紅茶を堪能して去っていった。最終的には剣狼隊の全員がフェイルスの紅茶を飲んでいた。


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