鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第9話 魔王が目覚めた日

 部屋で錬金鋼(ダイト)を復元していたマイは、静かに部屋の扉を開ける。下の階から女生徒たちの悲鳴が聞こえた。

 扉を開けてから数分後、苦し気な表情でルシフがマイの部屋に入ってきた。

 ルシフの右腕と右足は固定された状態で包帯を巻かれている。服は片手では着替えられなかったらしく、制服のままだ。制服には大量の血が付いていた。それを見て、下にいた女生徒たちは悲鳴をあげたのだろう。

 マイは念威でルシフの戦闘を最初から見ていた。ルシフが必死で黒髪の女性に食らいついていたところも。黒髪の女性にボコボコにされていたところも。全部、見ていた。

 ルシフの左足の血は止まっていた。それだけではない。全ての傷の血が止まっている。剄で自然治癒力を高めつつ、止血も同時に行っているのだろう。

 ルシフは息を荒くしながら、倒れ込むように椅子にもたれた。

 

「ルシフ様、大丈夫ですか!?」

 

 マイは慌ててルシフの傍に駆け寄った。

 ルシフは緩慢とした動作で、マイの右頬を左手で撫でるように触れる。

 マイは一瞬びくりと身体を強張られたが、すぐに自身の右手をルシフの左手に添えた。そのままルシフはマイの顔を近付け、マイの顔を、正確には瞳を覗きこむ。

 綺麗な、透き通った青い瞳。強い意志の光を宿した瞳。

 その瞳を見ながら、ルシフはまどろみに堕ちていく。

 そのまどろみの中で、ルシフは夢を見た。

 

 ──遠い日の記憶。

 ルシフ・ディ・アシェナが『王』になった日のことを──。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ──十年前 法輪都市イアハイム アシェナ邸──

 

 

 ──ルシフ、お前は常に王者であれ!

 

 それが父──アゼル・ディ・アシェナがいつも口にする言葉だった。

 ぼくは広い空間以外何もない道場にいて、目の前には父上が腕を組んで見下ろしている。

 父上は筋肉隆々で背が高い。短く切られた赤髪をオールバックにしている。

 父上がぼくの両肩を掴み、腰を下ろしてぼくの目と同じ高さまで目線を下げた。

 父上の瞳は燃えるような赤。苛烈といってもいい激しさが、瞳の中にある。

 じっとその瞳を見ていると、少しだけ激しさが和らいだ気がした。

 

「よいか、ルシフよ。

我がアシェナ家は王家ではない。今の王家はマテルナ家だ。

しかし、アシェナ家は次の王家となる資格を有している。アシェナ家だけではない。他にも六つ、次の王家となる資格を持つ武門がある。

現王が死ねば、民政院の政治家たちが七つの武門から王を選ぶ。

その政治家たちは民が選出し、いわばイアハイムに住む都市民全員の意思を、政治家たちは体現している。

つまり、次王に成りたければ、現王が死んでから王の資質をアピールしても遅い。

現王が健在な今だからこそ、お前は常に王者の立ち振舞いをするべきなのだ。

たとえ無冠でも、我らには王家としての誇りがある。

現王は健在だが王家はアシェナ家が相応しいと、全ての民に知らしめるのだ」

 

 いつもこうだ。

 いつも、王者であれと言った後にこうして諭すように同じことを話す。もう何十回、下手したら何百回と聞いた台詞だ。

 ぼくは少し呆れてため息をついた。

 

「いい加減諦めて下さい父上。いつも言っていますが、ぼくは王などに成りたくありませんし、興味もありません」

 

 父上の瞳が悲しそうに細められた。

 しかし、別に何も感じない。

 父上とぼくは違う。

 両肩に乗っている父上の両手を振り払い、ぼくは道場から出ていこうと歩きだす。

 

「おお、神よ!

あなたは我が息子に素晴らしい頭脳と武芸者の素質を与えてくださった!

だがしかし! あなたは我が息子に唯一、王の気概だけは与えてくださらなかった!

ああ! なんと残酷なことをあなたはなさるのか!」

 

 ぼくの後ろで、父上が嘆いている。

 これもいつものことだ。

 最初はなんか気分が悪くて父上のところまで引き返していたが、今となっては日常の一部になっているため、気分が悪いなんて微塵も感じない。

 道場から出て、自分の部屋に向かう。

 ぼくは三歳まで原因不明の頭痛と高熱に苦しんでいた。

 実際は別人格との肉体の奪い合いが原因だったわけだが、それに気付く医者などいない。

 母上は子供が出来にくい身体だったらしく、子供はぼく一人だけというのもあって、父上はぼくが回復するまで、それはもうありとあらゆる治療方法を試した。その中には神頼みなんてものもあったらしい。

 この家で働いている使用人が笑いながらそう教えてくれた。

 父上が王だなんだと言い始めたのは、頭痛や高熱が治ってからだった。

 三歳から毎日のように学者を呼んだり、武芸を教えたり、礼儀作法を叩き込んだり……。

 特に言葉使いに関しては厳しく指導された。幼いころから言葉使いがしっかりしていると周りから一目置かれるという理由からだった。少しでも汚い言葉使いをすれば、鉄拳制裁をされた。

 別に父上の方がぼくより強いわけではない。本気で闘えば、おそらくぼくが勝つだろう。

 だが、鉄拳制裁する時の父上の怒気に呑まれてしまい、一瞬身体が強張ってしまう。そこをガツンといつもやられ、鉄拳制裁を防げた試しがなかった。やはり親というのは子にとって特別な存在であると、遺伝子レベルで刻み込まれているらしい。

 そのせいで、いつの間にか丁寧な言葉使いで話すのが定着してしまっている。慣れというのは怖いものだ。

 父上は剄量は大したことなかったが、その分剄の扱いが超人的に優れていた。その扱いだけで自分より剄量が上の武芸者を倒してしまうこともあった。

 武門と呼ばれる程の家に生まれながら、剄量が少ないというのは、父上にとってかなりコンプレックスだっただろう。そこを死にもの狂いの努力で、武門の武芸者として相応しい実力を手に入れたのだ。

 そんな父上を、ぼくは内心で嘲笑った。

 どれだけ努力しようが、才能がある者には敵わない。

 父上が勝てる相手は凡人しかいない。

 しかし、父上の剄の扱いは学べる部分が多々ある。その点だけは、ありがたいと思っている。

 それ以外に、父上から得るものは何一つとしてなかった。

 父上が口を開けば二言目には、王とは何か、王とはどうあるべきかと言いだす。

 正直、ぼくはうんざりしている。

 王などという存在に惹かれたことなど、一度としてない。

 バカどもを従えてふんぞり返っている道化。バカどもにとって都合の良い存在が選ばれているのに気付かず、光に集る蛾のように、王という言葉の魔力に引き寄せられた愚か者。

 他人の暮らしを良くするため、都市全体の管理をするために、自分を捧げる。

 

 ──バカバカしい。

 

 頭が良い人間なら、王なんてくだらないものになりたがらない。

 そんなものになるより、何も背負わず自分の好きなように生きた方が楽しいし、有意義に決まっている。

 ぼくは、この世界に関する全ての知識を持っているし、未来も知っている。

 だがくだらない情報だった。何故なら原作において、法輪都市イアハイムはどうでもいい都市だからである。

 ぼくがこの都市で好き勝手生きている間に、勝手に物語は進み、勝手に誰かが問題を解決してくれる。

 原作知識などあったところで、何か変わるわけでもない。

 別人格の記憶も、気分が悪くなるだけで何も得るものがない記憶だった。

 だから、今となってはどっちの情報も忘れかけていた。

 ぼくは自分の部屋で道着を脱ぎ、普通の服に着替えた。

 白Tシャツに少し大きめの白い上着、黒い長ズボン。

 そういう格好で家の外に出た。

 日の光が眩しい。今日は汚染物質の少ないところを都市が移動しているようだ。

 都市を探検するのが好きだ。

 行ってない場所を歩いたり色々見ていると、自分自身の世界が広がる感じがして楽しい。

 ぼくは街中を歩いていると、使用人が言っていた言葉を思い出した。

 ──裏路地は危ないから、その場所だけは行っちゃダメですよ。

 確かにそう言っていた。

 しかし、ぼくが恐れるようなヤツは出てこないだろう。

 それに行ってはダメだと言われると、余計に行ってみたくなった。

 ぼくは裏路地の方に向きを変えて、歩きを再開する。

 たくさんの人で賑わっている通りから、だんだん人が少なくなっていく。

 そして明るい通りから、全く光の当たっていない裏路地へと足を進めようとして、ぼくはその足を止めた。

 最初は死体かと思った。

 暗闇の中で、ぼくと同い年くらいの女の子が倒れている。

 その女の子は服を着ていない。汚れて黒くなっている布切れで、身体の胸の位置から膝くらいまでを包んでいるだけだった。靴すら履いていない。

 その女の子は人の気配が近くにあるのに気付いたのか、左手で布切れを押さえ、右手で地面に手をついて起き上がろうとしている。

 身体中アザだらけで、全身を塗っているように泥がこべりついていた。

 顔も左半分が赤く腫れ上がっていて、それが整っている女の子の顔を歪に変形させていた。左目も腫れでしっかり開けられないようだ。

 ボサボサで泥にまみれた長い青髪を、女の子は頭を軽く振って顔の前からどかした。

 髪と髪の隙間から女の子の両目があらわれる。青く輝く瞳。そんな状況でも強い光を放つ瞳。

 

 ──美しい。

 

 おそらく百人がその女の子の姿を見たら、百人とも醜いだの汚いだの可哀想だの、そんなマイナスな意味の言葉しか出てこないだろう。

 しかし、ぼくは違った。

 醜く腫れ上がった顔。全身を覆うアザと泥。

 誰もが絶望し、生きる意味も分からなくなるような闇に呑まれてしまう状況。

 それでもなお光を失わず、それどころか一層光を強くし輝いている瞳。未来を見据え、必死に今の状況と闘っているのが痛いくらいに伝わってくる。

 その光が、その姿そのものが尊く、美しいと感じた。

 圧倒されている。このぼくが、他人全てを自分に劣る存在だと思っているぼくが、目の前の『他人』に畏怖に近い感情を抱いている。

 頭の中で、自分が壊れた音がした。

 忘れかけていた原作知識。別人格の記憶。今まで自分自身が得ていた知識や情報。それらが全て壊され、無に帰っていく。

 そして、無に帰ったそれらが再び頭の中に構成されていく。混ざり合い、全く違う何かへと創造されていく。

 

「──どうして?」

 

 目の前の女の子が無表情で呟いた。

 

「どうして、ないてるの?」

 

「──え?」

 

 自分の頬に触れる。そこを涙が伝っていた。

 両手を強く握りしめる。

 美しいと思う。それと同時に感じていたのは怒り。

 どれだけ闘う意思があっても、世界という敵には敵わない。

 この女の子は今、生きている。しかし、一週間後には生きているか? 三日後には? 下手したら明日にも死ぬ命かもしれない。

 使用人は言っていた。裏路地は危ないと。つまり、裏路地はこういう場所だと誰もが知っているのだ。知っていて、誰もが見て見ぬ振りをしている。王すらも見て見ぬ振りを貫いている。

 この場所だけではない。今こうしている瞬間にも、この女の子のような必死に生きようとする存在が、世界という敵に為す術もなく呑み込まれているのだろう。

 汚染獣。セルニウム鉱山を巡っての戦争。武芸者と一般人の確執。生まれた場所や親。

 生まれる都市は、生まれる場所は選べない。

 生まれた場所が悪ければ、どれだけ才能があろうと、どれだけ強い意思を持っていようと、そんなもの関係なく死ぬ。その辺にいる犬や猫のように。

 原作知識が、別人格の記憶が、どうでもいいと思っていた情報が、自分の頭の中を激しく荒れ狂っている。 

 汚染獣。武芸大会という名の戦争。それにともなう孤児の増加。治安維持が出来ずほったらかしにされている場所。

 それらはこの世界では当たり前というありきたりな言葉で片付けられている。

 だが、これらは本当に当たり前か?

 結局のところ、それぞれの都市にそれぞれ支配者がいて、自分の都市しか考えず好き勝手やっているから、都市に格差が生まれる。

 汚染獣などものともしない都市もあれば、汚染獣数匹で滅ぶ都市もある。

 武芸大会も、全ての都市を一人が治めていれば起きない。それぞれの都市のセルニウム鉱山の所有数を把握していれば、武芸大会が起きても多くセルニウム鉱山を所有している都市がわざと負けたりして、犠牲者ゼロで武芸大会を終わらせれる筈だ。

 武芸大会は、相手都市の象徴といえる旗を取れば終わりなのだから。

 ならば、都市全てを支配出来るだけの器量を持つ者は、原作知識の中にいたか?

 アルシェイラ・アルモニス──グレンダンの女王だが、王としての責務を果たさず他人にそれを押しつけ、自分は好き放題に生きる。

 はっきり言って、王の素質は微塵もない。ただ最強の存在であるだけの愚か者。

 それ以外の面々も、都市全てどころか都市一つ完全に支配出来ないような奴ばかりだ。

 どの人間も自分主体に動き過ぎていて、都市全体を見る広い視野を持っていない。

 いや、カリアン・ロスだけは王に値する器量を備えているかもしれないが、カリアン・ロスでは都市一つ支配するので精一杯だろう。

 全ての都市までは、カリアン・ロスでも無理。

 原作のどの人物にも、全ての都市を支配出来ない。

 ──ならば、自分が成るしかないではないか。全ての都市を統べる『王』に。

 全ての都市を管理し、今まで仕方ないと、この世界では当たり前だという言葉で可能性に蓋をし、理不尽な世界を受け入れてきた能なしどもに、それは間違っているのだと声を大にして叫ぶ存在に。

 目の前の少女に手を伸ばす。

 

「一緒に行こう」

 

 何故、自分からこんな言葉が出たのか分からない。

 でもここで見捨てたら、この都市の王と同じになる気がした。

 しかし、少女は伸ばされた手を怖がるように、身体を強張らせた。

 そこで気付いた。明らかにこの子は誰かに暴力を振るわれている。

 他人が怖いのかもしれない。他人の言葉を信じられないのかもしれない。

 伸ばした手を引っ込める。無理に連れていっても仕方ない。

 少女はほっとしたように息をついた。

 ぼくは自分の上着を脱ぎ、少女の方に軽く放る。せめて綺麗な服くらいは渡そうと思ったからだ。

 上着は少女の頭に被さった。

 

「それ、あげるよ」

 

 ぼくは一言そう言い、少女に背を向けて裏路地を出ようと歩く。いや、歩こうとした。

 だが、ぼくの左腕を少女が掴んでいて、歩けなかった。

 

「……いっしょに、つれてってください」

 

 そう言った少女の長髪が、淡い燐光を放つ。

 念威の光だ。それも並の念威量ではない。原作知識から、そう判断した。

 優秀な念威操者は、王になるうえで必ず必要な存在。

 ぼくは振り返り、少女の前に片膝をつく。

 少女の顔は相変わらず無表情だが、不安そうに見えた。

 その不安をどうにかして無くそうと考えて、ぼくはゆっくりと左手を伸ばし、少女の右頬を優しく撫でた。

 少女はびっくりしたように目を見開いたが、嫌がる素振りは見せなかった。

 

「キミは念威操者だったんだね」

 

 少女は小さく頷いた。少し身体が震えているのが、左手に伝わってくる。

 

「ならキミは、ぼくの──」

 

 その先の言葉を呑み込む。

 自分は今この瞬間から『王』になると決めたのだ。

 なら、自分は変わったという証、自分は変わるという決意を示すべきではないか。

 

「いや、『俺』の目にならないか?」

 

 一人称を変える。些細なことだが、俺にとっては大事な変化だ。

 少女は相変わらず無表情だ。しかし、少女の右目から透明な液体が流れている。

 そして、少女は大きく頷いた。

 少女は頭に乗っている上着を取り、俺が前にいるにも関わらず、身体を包んでいる布切れを平然と外した。

 俺は慌てて少女の頬から手を離し、少女に背を向ける。

 そして、そのまましゃがんだ。

 

「俺の背に乗れよ。靴履いてないんだから」

 

 背を向けたまま、そう言った。

 

「……でもわたしきたないし、よごれちゃうよ」

 

「汚れても洗えばいい。

俺が来いと誘ったんだ。つまり、キミは客だ。

客人には優しくしろって、父上にも言われてる」

 

 そのまま、どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。

 やがて少女が、俺の背にゆっくりと抱きついた。俺はそのまま少女をおんぶし、日の光が眩しい通りを歩く。

 周りから奇怪なものを見るような視線を感じるが、別に気にならない。

 

「ルシフ・ディ・アシェナ」

 

「……え?」

 

「俺の名前さ。キミはなんていう名前だ?」

 

「──マイ……マイ・キリー」

 

「マイ……か。これからよろしくな、マイ」

 

 返事はない。だが、抱きついている腕にぎゅっと力が加わった。

 

 それから、数十分後にアシェナ邸に着いた。

 俺はマイをおんぶしたまま、アシェナ邸の中に入る。

 玄関に居た使用人が驚き、取り乱しながら俺に近付いてきた。

 

「若様! 後ろの子は──」

 

「この子の手当てをしてくれ」

 

「は、はい! かしこまりました!」

 

 使用人にマイを渡す。

 使用人はマイを抱っこして、慌てて走り去った。

 

「──騒々しいな」

 

 奥の書斎の扉が開いて、父上と母上がこっちに歩いてくる。

 母上は綺麗な黒髪を腰まで伸ばし、瞳の色も髪と同じ黒。淡いピンク色のドレスを着ていた。

 

「今使用人が走り去る時、見慣れん少女が見えたぞ。

お前が連れてきたのか?」

 

「──はい。

あの……あの子をこの家に住まわせたいのです。

よろしいですよね、父上。

いつも父上は言っているではありませんか、王とは民を守る存在だと」

 

 父上は身体を震わせる。

 そして、盛大に吹き出した。

 

「はははは! こいつめ、言うようになりおって!

もちろん構わん! 空き部屋ならたくさんある!」

 

「それから父上、もう一つお願いがあります」

 

「なんだ?」

 

「──俺を『王』にしてください」

 

 いつもなら、父上に殴られるところだ。俺という一人称を、父上は嫌いだったから。

 だが、父上は殴らなかった。

 俺の両肩を、父上はがしっと両手で掴んだ。

 

「待っておった……その言葉を待っておったぞルシフ!

これでお前に足りないものは何一つない!

史上最高の王に、お前なら成れる!」

 

「アゼルったら……子供みたいにはしゃいじゃって」

 

「これが落ち着いていられるか。

ジュリア、今日は息子が成長した日と娘が出来た日だ。今日の晩飯はとびきりのご馳走を使用人と作ってくれ」

 

「まあ! ふふっ、なら腕によりをかけて美味しい料理を作らないと!

ルシフ、どこか男らしくなったわね。お母さんは嬉しいわ」

 

 母上は画家で、今もコツコツと暇を見つけては絵を書いている。

 でも、基本は家事をしていて、料理も使用人に全て任せない。

 二人のきっかけは父上の一目惚れだったらしく、父上の熱意に母上は心を打たれて結婚したらしい。

 これも、使用人からの情報だった。

 

 

 そしてアシェナ邸に帰ってから二時間後、俺はマイが寝かされている部屋に来ていた。

 マイはベッドに寝かされていて、かけ布団がかけられている。

 マイの顔の左半分は包帯でぐるぐる巻きにされていて、右半分しか見えない。

 そのベッドの近くに椅子を置き、座る。

 手当てされると余計に痛々しく感じた。

 かけ布団の外に投げ出されるように出ている右手を両手で握る。

 

「マイ、キミは俺の目になった。

だから、ずっと俺の傍にいろ。

俺はこの世界を壊す。

俺の傍で、キミをこんな目にあわせた世界が壊れるのと、新しい世界の始まりを見届けてくれ」

 

「……わたしは、ずっとそばにいていいの? めいわくじゃない?」

 

 マイの右目から涙が流れ、握っているマイの右手にすこし力がこもった。

 

「──ああ、迷惑なものか」

 

「……うれしい」

 

 マイはそう言うと、眠りに落ちた。

 きっと安心したんだろう。

 俺は下唇を強く噛んだ。

 ごめんと言いたかった。俺の都合に強引に付き合わせるような真似をしてすまないと謝りたかった。

 だが、王は気安く謝ってはならない。きっとマイに謝れるのは、王でなくなった時だろう。そんな日来るわけないと思うが。

 マイの右手を握りしめ、マイの顔をじっと見つめる。

 全ての都市を俺が管理し、汚染獣の脅威も、武芸大会も、都市内の治安の悪化も全て無くそう。

 無くして、動物のようにただ生きて死ぬのではない、人間らしく生きれる世界を創ろう。

 マイ……キミのような存在のために──。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ──ああ、そうだ。

 

 ルシフはうっすらと両目を開いた。

 マイの青く輝く瞳。

 この瞳から、俺は始まったのだ。

 眼前にある青い瞳を見ながら、ルシフはそう思った。

 

「……いつも何かある度に、こうしてルシフ様は目をじっと見ますね。アゼル様が亡くなられ、ジュリア様から絶縁された時も──」

 

 ──私から全て奪うか、ルシフ!

 

 ルシフの脳裏に、死ぬ間際の父の言葉が再生される。

 

 ──あなたは魔王よ! どうしてアゼルのことをよく知っててそんなことが出来るの!? もうあなたは私の子じゃありません! さようなら!

 

 涙で綺麗な顔をぐしゃぐしゃにして、自分の前から去っていった母。

 

「──嫌か?」

 

「いえ、ルシフ様の瞳がすごく好きなので、嬉しいです」

 

「そうか」

 

 マイの右頬を、ルシフは左手で優しく撫でた。

 

「マイ──お前は美しい。

お前の存在が、俺という存在を確立させる」

 

 王に成りたいと思った原点。

 王に成りたい理由。

 それら全て、マイを見れば、マイの瞳を見れば思い出せる。

 

「だから俺がいいと言うまで、ずっと俺から見える場所にいてくれ、頼む」

 

 そう言うと、ルシフは完全に意識を手放した。

 ルシフ・ディ・アシェナ。彼がマイ・キリーと出会ったのは偶然だったのか。それとも、必然だったのか。

 いずれにせよ、その出会いが舞台の裏で消えていく存在だったルシフを、表舞台へ(いざな)った。

 こうして、ルシフ・ディ・アシェナの物語は始まった。




今回はちょっと弱気なルシフです。

表面は堂々としているように見えても、実際はアルシェイラにボコボコにされたショックで、ルシフは結構まいってました。

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