鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第90話 決戦前夜(グレンダンサイド)

「一体どういうことなんですか!?」

 

「なにが?」

 

 アルシェイラの自室。

 レイフォンが入室を許可された途端に入室してきて、アルシェイラに詰め寄ってきた。

 

「リーリンの右目です! あれは一体なんです!? 陛下なら分かるでしょう!?」

 

「……そうね。あんたには教えてやってもいいかもしんないわね」

 

「教えてもらえるんですか?」

 

「うん。まず言っとくけど、剄はある人間の持つ力を模倣した能力なのは知ってる?」

 

「…………はい? ちょっと言ってる意味が……」

 

「要すんに、この剄という力はその人間の影響を受けていればいるほど、能力が強くなんのよ。で、その人間の持つ力は『剄』だけじゃなかった。リーリンのあの右目。『茨の目』もその人間の持っていた力なのよ。『茨の目』は見たものを眼球にし、己に取り込む力」

 

「……はぁ」

 

 レイフォンは知恵熱が出たのか、右手で頭を押さえた。

 

「で、ここからが本題。その人間の影響が強くなればなるほど、強力な力を宿した人間が生まれる。なら、どうすれば影響を強くできるでしょうか?」

 

 まるでクイズでも出しているような口調でアルシェイラが言った。

 

「そもそも、その影響が具体的に何か分からないことには、答えなんて出せません」

 

「まあはっきり言ってしまえば、遺伝情報みたいなものよ。強い武芸者と強い武芸者の間に生まれた子は、より強い武芸者になる。剄は子に遺伝する力なのよ。なら簡単な話よね。強い武芸者で子どもをつくり続ければいいわけだから。これを実際にやったのが、グレンダン三王家」

 

「なら、陛下が圧倒的に強いのは……」

 

「何百年っていうグレンダン三王家の努力の結晶。そして、わたしの子どもがわたしの剄量と今リーリンの持つ『茨の目』を宿して、その人間の完全な模倣品になる計算だった。でも、最後の最後で計算が狂ったのよ。事もあろうに、わたしの婚約者は浮気をして、わたし以外の女に子を宿して消えた」

 

「まさかその子どもがリーリンだって……そう言うんですか?」

 

「リーリンの髪の毛から、DNA鑑定はした。その結果、リーリンはグレンダン三王家のDNAを持っている」

 

「そんな……」

 

 レイフォンはあまりのショックに放心に近い状態になっていた。

 

「もっと正確に言うと、ユートノール家のDNA。つまり、リーリンの本当の名前はリーリン・マーフェスではなく、リーリン・ユートノールとなる」

 

「……なら、僕は誰なんです!? リーリンと一緒に捨てられていた僕はなんなんですか!?」

 

「知らない。調べてないから」

 

「頭がグチャグチャで、何も考えられません! リーリンがグレンダン三王家の人間? 『茨の目』とかいう力を持つ異能力者? 知りません、そんな人間は! 僕の知ってるリーリンはいつも明るくて、世話好きで、頭が良くて、しっかり者で……けど、時々怖くて、本音を隠して強がって、悲しい時や寂しい時は隠れて涙を流す、そんな普通の女の子で、僕の大切な……大切な……!」

 

「レイフォン・アルセイフ」

 

 アルシェイラの声に威圧的な響きが加わった。レイフォンは思わず口を閉ざし、背筋を伸ばす。

 

「リーリンは自らの意思でルシフに付いたと考えられる。それと、降伏勧告の件も合わせると、リーリンはグレンダンに戻る気はないかもしれない。言っている意味が分かるか?」

 

「……分かりませ──」

 

「明日ルシフとの決戦に勝っても、リーリンは手に入らない」

 

「……ッ!」

 

「今一度問う、レイフォン・アルセイフ。お前は明日、何のために闘う?」

 

「……何の……ために?」

 

「お前はツェルニの人間。わたしから命令はしない。お前自身が選ばなければならない」

 

「僕は……」

 

 レイフォンは拳を握りしめた。

 

『もう! さっきやったとこじゃない! なんでまた間違えるのよ、レイフォン!』

 

 懐かしいリーリンの声と、眉を吊り上げているリーリンの顔が頭によぎった。

 

「僕……は……」

 

『わたしたちのこと、忘れないで』

 

 養父の錬金鋼をリーリンに渡された時、リーリンを抱きしめた。あの温もりは今も覚えている。この温もりを守ると心に決めた。

 

『心配かけないでよね!』『あ、レイフォン! ちょっとご飯の準備、手伝って!』『もう、だらしないなぁ。掃除くらいしてよね!』『ありがとう、レイフォン』

 

 懐かしいリーリンの声が次々と耳の奥で弾け、笑顔が蜃気楼のように視界に映る。

 守ると、決めていた。必ずリーリンをルシフから取り戻すと決めていた。

 レイフォンはアルシェイラの顔も見ずに扉の方に駆け出し、アルシェイラの部屋から出ていった。

 

「……逃げたか。まあ、無理ないわね」

 

 アルシェイラは頬杖をつき、ため息をついた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 王宮にある訓練場。

 リンテンス、サヴァリス、カルヴァーン、ルイメイ、ティグリスが組み手をしている。天剣が戻ってきても、組み手は無手でした。

 五人はバトルロイヤル形式でぶつかっていた。訓練場内は剄が荒れ狂い、疾風にも似た衝撃波が生まれ続けている。

 全員気持ちが昂っていた。今だかつてない最強の相手との決戦。老性体ですら倒せてしまう彼らにとって、ルシフの台頭はある意味喜ばしいことだった。圧倒的な実力があるのに、それを発揮する機会のない平凡な毎日など、武芸者にとっては死も同じ。不謹慎かもしれないが、より強い相手と闘えるのは武芸者の本懐なのである。

 拳と拳。足と足。全身をぶつけ合いながら、相手を睨み合う。実際は相手を睨んでいるのではなく、ルシフの幻影を睨んでいた。

 

「いよいよ明日、ですね!」

 

 サヴァリスがリンテンスに蹴りを放ちながら言った。

 

「ああ」

 

 リンテンスはサヴァリスの蹴りを防ぐ。横からティグリスが殴りかかってきていた。サヴァリスの足を掴み、ティグリスの方に投げ飛ばす。

 サヴァリスは回転しながら、ティグリスの方に廻し蹴りを放った。ティグリスは紙一重でよける。

 

「うらあ!」

 

 ルイメイがサヴァリスに右ストレートを放った。サヴァリスは受け止めるが、衝撃で後方に吹っ飛ぶ。

 ルイメイの攻撃後の隙をついてカルヴァーンが肉薄し、蹴り飛ばした。ルイメイは壁に叩きつけられる。

 

「だあぁ! 鬱陶しいぞテメェ!」

 

「隙を見せる方が悪い」

 

「ふむ、そろそろ休憩にするのはどうじゃ?」

 

 ティグリスがそう言い、他の者も異論が無かったため、組み手を中断して休憩をとった。

 訓練場の中央付近に各々適当に座り、 ペットボトルの水を飲んでいる。

 

「明日は前ルシフに蹂躙された時より、激しい戦闘になるじゃろう。なんせ前はルシフ一人、剣狼隊五人、念威操者一人だけが相手だった」

 

 逆に言えば、ルシフはたったそれだけの戦力でグレンダンを蹂躙した。指揮官として、非凡なものを持っていると認めざるをえない。

 

「明日の決戦はおそらく剣狼隊という武芸者集団全員が相手でしょうからね。面白くなりそうで今からワクワクしていますよ」

 

「しかし、本当にこれで良いのか?」

 

「何がだ?」

 

「ルシフのやり方はともかく、ルシフのやっていることは理に適っている。ここは降伏し、 もしルシフがグレンダンで好き放題やって私欲を満たすようになったら、その時は全力で倒すという選択もあった。感情がその選択を邪魔するがな」

 

「そんな選択はねえ。温いこと言ってんなよ、カルヴァーン。シンプルに考えりゃいいんだ。このグレンダンを侵略しようとするヤツがいる。ぶっ殺すだろ、普通。ヤツの方が正しいなら、明日ヤツが勝つ。逆に俺らが勝つなら、ヤツはこの世界を変えられるだけの器じゃ無かったっつう、それだけの話じゃねえか」

 

「ルイメイ、お前はシンプルに考えすぎだ。大臣や官僚も言っていたが、闘い方を考えなければグレンダンの資源が戦闘で失われ、勝ったとしても窮地に陥ることになりかねない」

 

「けっ、速攻でケリつけりゃいいだけの話だろ。資源がどうとか、そんなもんは役人の仕事で、俺らが考えることじゃねえ」

 

「ルイメイの言葉にも一理ある」

 

 リンテンスが口を挟んだ。

 

「俺たちは闘うことしかできん。ならば、その枠組みの中で全力を懸けるしかない」

 

「その通り! リンテンスさんの言う通りです!」

 

「……俺はあいつに地獄を見せてやると言われたから、天剣授受者になった」

 

 リンテンスが煙草を口にくわえ、火をつけた。天井を見上げている。

 そもそもリンテンスは、平和な故郷で自分の技や力が錆びついていくのが許せず、自分の力や技を存分に発揮できる環境を求めて旅に出た。その旅の果てにたどり着いたのがグレンダンであり、天剣授受者だった。

 

「明日は今までとは比べものにならん地獄を味わえるだろう。世界とか、客観的に見て正しい選択とか、俺にはどうでもいい。俺の力がどれほどのものか、試したい。今も昔も、俺にはそれしかない」

 

「いいんじゃないですか、それでも。純粋な武芸者って感じがして好感が持てますよ」

 

「お前に好感を持たれても気持ち悪いだけだ」

 

「ははは、そういうことです、カルヴァーンさん。僕らは武芸者。武芸者なら、強い相手と闘いたいと思うのは当然。僕らはただ敵を倒すことだけを考えてればいいんですよ」

 

「……お前らの言う通りかもしれんな。今さら後戻りはできん。ならば、選んだ選択に対して全力を尽くす。それしか、我らにできることはない」

 

 休憩を終えると、彼らは立ち上がった。

 それから夜遅くまで、彼らはずっと組み手を続けていた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 王宮のとある一室。

 リヴァースとカウンティアが隣同士で座っていた。

 リヴァースの浮かない顔を、カウンティアは横から覗き込む。

 

「リヴァ、どうしたの? 元気ないみたいだけど」

 

「あぁ、ごめん。ヨルテムは僕の故郷だからさ、話は見る前から聞いてたけど、やっぱり実際目にするとキツいよ」

 

「ルシフの奴! リヴァの故郷をメチャクチャにするなんて許せん! それだけじゃなく、アイツには借りもあるし!」

 

「借り?」

 

「そう! アイツ、金剛剄でわたしを倒したのよ! 前の襲撃の時! ホント許せない! 明日必ず切り刻んでやる!」

 

「張り切るのはいいけど、あまり頭に血をのぼらせて突っ込んじゃダメだよ。僕のために怒ってくれるのは嬉しいけど、僕はやっぱりティアの方が大切だから……」

 

「リヴァ……!」

 

 カウンティアが目を潤ませて、リヴァースを見つめる。

 

「……ティア?」

 

「あーもう、かわいいぃぃぃぃぃ!」

 

「むぐぅ」

 

 カウンティアに力いっぱい抱きしめられ、リヴァースはカウンティアの胸に埋もれた。別に嬉しくはない。それどころか死の危険すらある。

 

「明日は絶対勝とう! ね、リヴァ!」

 

「ふむぅ」

 

 抱きしめられる圧力でリヴァースは言葉がまともに喋れなかったが、そこは恋人同士、通じるものがあるらしい。

 

「リヴァもそう思ってくれるんだ! 嬉しぃぃぃぃぃ!」

 

「むぅぅぅぅ!」

 

 より強く抱きしめられ、リヴァースはもがいた。しかし、カウンティアが逃がすはずもない。そして、なんだかんだ言ってカウンティアのこういう部分もリヴァースは好きだった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

「先生、こんな場所で何やってるんです?」

 

 トロイアットが王宮の空中庭園に座っていると、後ろから声をかけられた。

 トロイアットは振り返る。

 

「……お前か」

 

 声をかけてきたのはクラリーベルだった。

 クラリーベルは軽く一礼した後、トロイアットの隣に座る。

 

「意中の彼にアプローチしてると思ったが、ここにいるとは意外だな」

 

 クラリーベルの意中の彼とは、レイフォンのことである。クラリーベルはレイフォンに勝って自分を認めてほしいという気持ちをずっと持っていて、それが恋愛感情に似たものになっている。

 

「いやー、あんなにも強力なライバルがいたとは思わなくて。正直、何歩もリードされちゃってるんです、その人に」

 

「で、気分転換にここに来たと。師弟ってヤツは似るのかねえ」

 

「なら、先生も女性へのアプローチが失敗したのですか?」

 

「アホ。お前と一緒にすんな」

 

 トロイアットがクラリーベルの頭を軽く叩いた。クラリーベルは悪戯っぽい笑みになる。

 

「明日は今までとは比べもんになんねえ、でっけえ祭りがあるだろ? その景気付けに可愛い子と寝ようと思ったんだけどな、なんか声かける前にやる気が失せちまうんだ。天剣は戻ってきたけどな、やっぱ俺の男の部分は、ヤツを倒さねえと戻ってこねえらしい」

 

「それはそれは、グレンダンの女の子たちに朗報ですね。先生の毒牙の餌食にならずにすむんですから」

 

「……言っとくが寝るのは毎回合意の上だからな」

 

「男はみんなそう言うのでは?」

 

「けっこう毒吐くよな、クララは」

 

「あなたに師事していますので」

 

「そういうとこだ、そういう」

 

 何気ない会話をしながらも、ピリピリした緊張感がこの場に充満してきている。

 

「あー、やっぱダメだわ。空中庭園で景色を見てたら落ち着くかもとか思ってたが、気の昂りが抑えらんねえ」

 

「わたしもです。今すぐ錬金鋼(ダイト)に剄を注ぎ込みたい……そんな焦れったさが全身を支配しています」

 

 なんと言っても、明日はルシフという女王すらも地に這いつくばらせた最強の敵と闘えるのだ。そんな祭りを前にして落ち着いていられるほど、二人は精神的に大人ではなかった。二人とも武芸者気質だというべきか。

 

「おいクララ、ちょっとここで組み手やろうぜ。もちろん錬金鋼は使わず、無手で」

 

「大丈夫ですか? ここは陛下のお気に入りの場所なのに、もし組み手でメチャクチャにしてしまったら、陛下にかなり怒られてしまうのでは?」

 

「心配すんな、そんな組み手にはなんねえからよ。お前の相手を誰だと思ってんだ? この俺だぞ」

 

「先生こそ、いつまでもわたしを弟子だと甘く見ていると足を掬われますよ」

 

「……言うねえ、面白くなってきたじゃねえか」

 

 トロイアットとクラリーベルは立ち上がり、距離を取った。

 互いに剄を練り高め、ぶつかる。

 空中庭園内に剄の奔流が生まれた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 様々な場所から剄の高まりを感じ、アルシェイラは顔をしかめた。明日の決戦を前にして、グレンダン中に好戦的な空気が蔓延している。剄が荒れ狂い、ひどいところでは戦闘音だけでなく破壊音も聞こえた。

 アルシェイラは自室の椅子に座り、ぼんやりと様々なことを考えていた。カナリスはアルシェイラの背後で直立し、デルボネの念威端子も舞っている。

 

「うるさいわね。まるでお祭り騒ぎだわ」

 

「ルシフとの決戦を前に、じっとしていられないのでしょう」

 

「武芸の本場らしいと言うべきか、未熟な精神の集まりと言うべきか……」

 

「仕方ありません。皆、決戦を楽しみにしつつも、不安なんです」

 

「不安?」

 

「今まで負けるかもしれないという緊張感の中での戦闘はありませんでした。我々は常に必勝の戦闘しか闘ってこなかったのです。というより、我々が強すぎて負ける要素がある戦闘が無かったと言うべきでしょうか。ですが、ルシフは我々に敗北の味を教えました。ルシフ相手に必勝はあり得ません」

 

 負ける可能性がある戦闘。そのことを事前に頭に入れて闘うのは、確かにこれが初めてだろう。グレンダン以外の都市ではむしろその精神状態は当たり前にあるものだが、グレンダンでは異常な精神状態と言える。

 

『天剣授受者の皆さんも組み手をやってますねえ。空中庭園でもトロイアットさんとクラリーベルさんがやり始めましたよ』

 

「どうりでうるさいはずだわ。てか、空中庭園を元通りにするの苦労したんだかんね。その辺、しっかり二人に伝えといて。ぐちゃぐちゃにしたらお前らもぐちゃぐちゃにするからって」

 

『はいはい、ちゃんと伝えておきますよ』

 

 アルシェイラは頬杖をついた。

 世界はルシフを中心に急激に変化している。そしてその変化は、全体として見れば悪い変化ではない。

 それでも、その変化にグレンダンは逆らっている。いや、そもそも世界とか本心ではどうでもいいと誰もが思っているのだ。ただ自身の信じるもののままに、抗おうとしている。

 アルシェイラ自身、このグレンダンを守ることが世界の崩壊を防げると言われ続けたからグレンダンを守っているだけで、その世界に住む人々というものは意識の外にあった。

 ルシフは一体何を考え、あの変化の激流を引き起こしたのか。それを知れば、ただ運命の流れに身を任せるだけの自分を変えられるのだろうか。

 グレンダンの武芸者や天剣授受者と同じく、アルシェイラも内心では圧倒的な強敵であるルシフとの再戦に胸を躍らせていた。ワクワクしている。あの日、無様に地を這いつくばってから、自分はどれだけ強くなったのか、ようやくその答えが出る。

 

「明日、勝てるかしら?」

 

「勝ちます。グレンダンの威信にかけて」

 

 アルシェイラはそんな抽象的なものより、もっと現実的で具体的な勝算を聞きたかったが、諦めた。

 そもそもグレンダンは今まで小細工無しの真っ向勝負で闘ってきた。ルシフのように奇策に頼るようなことはしていない。

 そう言った意味でも、明日のルシフとの決戦は実になるものがあるだろう。

 

「明日、ルシフに勝つ」

 

 ルシフに勝てば、今まで見えてこなかったものが見えてくるかもしれない。

 

「はい」

 

 カナリスが返事をした。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 レイフォンは王宮を出てから、養父であるデルクが経営している道場に寄った。

 レイフォンがそっと道場に足を踏み入れると、道場の中心に人影があった。

 デルクが復元済みの刀を握り、様々な型を繰り出している。

 レイフォンがゆっくりとデルクに近づくと、デルクの動きが止まった。

 デルクが額の汗を手の甲で拭い、レイフォンに向き直る。

 

「……養父さん」

 

「お前か」

 

 デルクは刀を上段に構え、そのまま素振りを始めた。

 レイフォンは横にどく。

 

「リーリンのことは聞いた」

 

 素振りをしながら、デルクが言った。レイフォンは顔を伏せる。

 

「陛下が、リーリンはグレンダンに戻る気はないかもしれないって、言ってた」

 

「……そうか」

 

「養父さん、もう昔みたいには戻れないのかな?」

 

「昔というのは、いつのことだ?」

 

「え?」

 

「お前が天剣授受者になる前か? それともお前が闇試合に出ていた時か? あるいはお前がツェルニに入学した時か?」

 

「それは……」

 

「レイフォン、よく聞け。時間はただ流れるだけで、戻りはしない。今ある現状を、まずは受け入れろ。そこから自分の望む未来を手にするためにはどうすればいいか、考えるのだ」

 

「それが分からないんだ。どうすればリーリンは戻ってきてくれるんだろう? 明日、ルシフに勝てば戻ってくるのかな? それともルシフの方に協力すれば、いつか気が変わってグレンダンに帰る気になるのかな? 考えても考えても答えが出ないんだ」

 

「それはお前一人でどうにかできる問題ではないから、答えが出ないのだ」

 

「養父さんは、何のために闘うの?」

 

 デルクの素振りする腕が止まった。

 レイフォンの方に顔を向ける。

 

「私はリーリンの意思を尊重しようと思っている。リーリンはもう、子どもではない。おそらくグレンダンに戻らないという選択も、血を吐くような苦痛の中で選んだのだろう。あの子なりに考えて選んだ選択だ。育て親の私が味方にならないで誰が味方になる?」

 

「リーリンの……意思?」

 

「私にできることはリーリンを信じ、もしリーリンが戻って来たくなった時のために、その居場所を守ることだ。グレンダンのためでもあるが、リーリンの居場所を守るために、私は闘う」

 

 デルクの表情は決意に満ちていた。

 レイフォンは直視できず、視線を逸らした。

 

「ところで、ルシフという男はお前にとってどういう男だ? ツェルニで一緒にいたのだろう?」

 

「ルシフ? あいつは僕にとって……」

 

 なんなのだろう?

 友だちではない。というよりルシフに友だちはいないだろう。自分と対等な相手など、ルシフはいないと信じている。

 ならば、赤の他人か? そうでもない。全く意識していないわけでなく、むしろ常に意識している。

 友だちでも無ければ、興味が無いわけでもない。ルシフには憧れのようなものを感じている。周囲に流されず自分を持ち続けられるのは、素直に尊敬していた。それと同時に、こんな男にはなりたくないと嫌悪している部分もあった。

 自分にとってルシフとはどんな存在か? 答えは出ない。そもそもルシフがどういう人間なのかもはっきりとは掴めていないのだ。

 

「こんなことを言うとお前は驚くかもしれないが、リーリンが付いていきたいと思った男だ。悪い男ではない気がする」

 

「それは……知ってる」

 

 そう。それだけは知っている。ルシフは危ない男だが、悪い男ではないのだ。ただやり方が外道で苛烈すぎる。そして悪い男ではないからこそ感情が暴走し、マイアスの時のような悲劇を生み出す。

 ルシフは目的のためなら、勝つためならどんな手段も使う。その結果、グレンダンで大勢の犠牲者が出るかもしれない。最悪、グレンダンが消滅する可能性もある。

 そうはさせないために、自分がルシフを倒そう。そう思ってグレンダンに来たはずだった。

 レイフォンはデルクに軽く頭を下げ、道場から出ていった。

 

 

 

 孤児院にレイフォンが帰ると、ニーナが来ていた。護衛なのか従者なのかよく分からない武芸者二人が、ニーナから少し離れた場所に立っている。

 もうすっかり夜になっていて、孤児院の子どもたちは寝てしまっていた。

 大広間にはニーナ、シャーニッド、ハーレイ、フェリがいる。レイフォンと端の方に立っている武芸者二人を合わせれば七人。

 

「すまないな。孤児院に行きたいと言ったら、同行すると言って譲らないので一緒に来てしまった。一人で迷惑をかけずにしたかったのだが」

 

 レイフォンはチラリと武芸者二人を見ると、二人は申し訳無さそうにしていた。彼らも任務だから、彼らを責めるわけにもいかない。

 

「そんなことはどうでもいいだろ。ようやくニーナとこうしてゆっくり話せる時間が取れたんだ」

 

「シャーニッド、お前は明日のルシフとの決戦、どう思う?」

 

「お前はどう思ってんだよ。明日、ルシフと闘うつもりなんだろ?」

 

「ああ、確かにそうだが……」

 

 ニーナが武芸者二人を一瞥した。それだけで、ニーナが言いたい言葉は分かる。明日自由に闘うことを許可してもらえるかどうか、ニーナは不安なのだろう。

 

「俺はな、ルシフのやろうとしていることは正しいと思うぜ。けどなあ、それを他人に強要すんのはどうよ? ルシフのやり方が気に入らねえんだよな。目的は正しいかもしんねえが、手段が許せねえ」

 

 その場のツェルニ組の面々はシャーニッドに同意するように頷く。

 ここにいる全員がそう思っている。ルシフのやろうとしていることは正しいが、やり方が間違っていると。

 しかし、ならば一つ一つの都市に同意を得ていくやり方が正しいのだろうか。やり方としては正しいかもしれない。だが、実現するまでに一体どれだけの時間と手間がかかるのだろう。どれだけ話し合って協力を求めても、都市を渡すなどという選択は難しいはずだ。

 そう考えれば、ルシフのやり方は外道で卑劣だが、最適解であるのは間違いない。時間も手間も最小限で済む。

 

「わたしはルシフに勝ちたい。勝って、ルシフの傲慢な性格を矯正したい。だが、色々不安もある。女王陛下が初めてツェルニでルシフと闘った日を覚えているか?」

 

 その日はルシフがアルシェイラにボロ負けし、病院送りにされた日だ。

 

「あの時、ルシフは闘えるような状態ではなかったにも関わらず、女王陛下に立ち向かっていった。おそらくわたしたちが間に入らなければ、死ぬか意識を失うまで闘い続けただろう」

 

「ああ、なるほど。ニーナはルシフが死ぬまで闘い続けるんじゃないかと不安なんだね」

 

「それだけじゃないんだ、ハーレイ。グレンダンに来たフェイルスさんが命を落とした。それは様々な要因が重なりあった不幸な事故のようなものだったかもしれないが、その事故が明日の決戦でも起きるかもしれない」

 

 女王の息がかかった武芸者二人がいる手前、ニーナは回りくどい言い方をしたが、言いたいことは全員に伝わった。殺す気は無くても、何かの拍子で殺してしまうようなことが起きるかもしれない。ニーナはそう表面上は言ったのだ。

 ニーナの本音としては、ルシフ側の命などグレンダン側はなんとも思っていないかもしれない、というところだろう。

 

「でも、今さら他の選択肢があるわけでもない。わたしはグレンダンを信じてルシフと闘うしか、道はない。きっと明日の決戦が終わった後は互いの手を取り合い、協力して世界をより良くしていけると、わたしは信じる」

 

「ニーナ、お前は隊長だ。お前が信じるというなら、隊員の俺らが信じねえわけにはいかねえよな」

 

 シャーニッドはその場を見渡す。ハーレイとレイフォンは頷いた。レイフォンとて、明日ルシフに勝ってルシフの性格が丸くなるというなら、それに越したことはない。

 フェリだけは頷かず、無表情で座っていた。

 ニーナは目を大きく見開き、顔を俯ける。

 

「ありがとう、お前たち」

 

 透明な滴が頬を伝い、ニーナの戦闘衣に吸い込まれていった。

 

 

 

 それからニーナとしばらく話すと、ニーナは王宮に戻っていった。

 レイフォンはベランダでなんとなく空を見上げている。今日は汚染物質の濃度が高い場所を都市が移動しているらしく、星も月も見えない。

 レイフォンの背後のベランダの扉が音を立てて開かれ、足音が聞こえた。

 足音の主は扉を閉めると、レイフォンの隣に来てレイフォンと同じように空を見上げた。レイフォンは隣を見る。フェリだった。

 

「どうされたのです?」

 

「……星を見ていました」

 

「星? わたしの目には真っ暗な空しか見えませんが。そうですか、レイフォン。あなたはとうとう頭だけでなく、目も悪くしてしまったのですね。これはいけません。すぐに眼科に行きましょう」

 

「だ、大丈夫です。今のはちょっとした冗談で……」

 

「知ってます」

 

「はぁ」

 

 なんなんだ一体、という思いを込めて、レイフォンは力のない返事をした。

 

「悩み事ですか?」

 

「まあ、多分そうなんですかね?」

 

「なんですかその歯切れの悪さは」

 

「悩みっていう割には、もうどうするかは決めちゃってるんです。でも、なんでそうするのか、そうしたいのかが分からないって感じで……」

 

「……一つ、お聞きしたいことがあるのですが」

 

「なんです?」

 

「あなたはリーリンさんをどう思っているのですか? 異性として」

 

「え、ええ!?」

 

「彼女にしたいですか? 結婚したいですか? 友だちのような関係を望んでいますか? それとも家族として大切ですか?」

 

「え、えーっと……」

 

 リーリンを彼女にしたい? 考えたこともないし、ましてや結婚なんて意識すらしたことはなかった。

 考えてみれば、自分はリーリンを異性として見ていないのではないのだろうか。リーリンは自分にとって姉のような存在に近いのかもしれない。

 

「多分、異性として見たことはないです、リーリンを」

 

「……そうですか」

 

 フェリがホッとしたような表情を一瞬だけ見せたような気がした。

 

「フェリは明日、何のために闘います?」

 

「グレンダンに来る時に言いました。マイさんに勝ちたいと。それからあなたの力になる、とも」

 

「あ……」

 

「明日、あなたは闘うのでしょう? なら、わたしはあなたのサポートを全力でします。ご心配なく。元々天才であるわたしが、デルボネさんに師事して更に才能に磨きをかけたのです。マイさんや他の念威操者なんて圧倒しますよ」

 

 思えば、ツェルニに入学してから今日まで、闘う時はいつもフェリが力になってくれた。フェリがいてくれたから、自分は今まで闘ってこられたんじゃないのか。

 フェリがレイフォンの方を見ていた。フェリの顔が輝いて見える。

 込み上げてくる想いが、言葉がある。しかし、言葉は形になる前に霧散した。この想いを表現する言葉はなんなのだろう。

 

「……レイフォン。あなたは、わたしをどう思っていますか?」

 

 フェリがまっすぐレイフォンの目を見ている。

 表現できないと一度は諦めた想いが、言葉として可視化されていく。

 この想いはなんなのか、今なら口にできる。口を開いた。フェリの人差し指が、レイフォンの口に押しつけられる。しーっていう意味のサイン。レイフォンは思わず口を閉じた。

 

「やっぱり、今は聞きたくありません」

 

 フェリの指が口から離れた。

 フェリがベランダの扉に向かって歩き出す。扉の前で振り返った。

 

「明日の闘いが終わった後、今の答えを聞かせてください。ずっと、待っていますから」

 

 フェリがベランダの扉を開き、出ていった。

 何のために自分は闘うのか。グレンダンを、フェリを、リーリンの居場所を守るために、明日は闘おう。フェリが自分の力になると言ってくれた。それだけで、自分はどんな相手とも闘える気がした。


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