鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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ベストエンド 理想の結末

 念威端子から響くルシフの言葉が信じられなかった。

 おそらく実際は数秒の間だっただろうが、何時間という長い時間ショックで動けなかったような錯覚をした。

 

「暴王を討て! 暴王を討て!」

 

 剣狼隊の誰もがショックで硬直している中、声が聞こえた。男の声。エリゴだった。

 エリゴは刀を持つ手を何度も突き上げ、暴王を討てと繰り返し叫んでいる。

 ハルスは一気に頭に血がのぼった。

 

「おいエリゴ! てめぇふざけんじゃねぇぞ! 兄貴を見捨てる気か!」

 

「落ち着け、ハルス」

 

「落ち着けるか馬鹿野郎!」

 

「旦那の覚悟と男気を無駄にする気か!? なんで旦那があんな命令を言ったか少し考えれば分かんだろ!?」

 

 ハルスは唇を噛んだ。

 ルシフの命令を聞いた時、何故ルシフは剣狼隊と対立しているように見せかけていたのか、その理由に剣狼隊の全員が気付いた。全ては剣狼隊の命を救い、剣狼隊の立場を悪くしないため。

 分かっているのだ、本当は。エリゴの選択が正しいと。だが、納得できない。ルシフは大切な家族のような存在。家族を見捨てるような奴が、ルシフの理想を実現できるのか。

 

「……クソッタレが! おいエリゴ! これが終わったらぜってえてめぇをぶっ殺してやる! 覚悟しとけ!」

 

「ああ、やってくれ! そっちの方が俺も気が楽だぜ!」

 

 エリゴ、ハルスの小隊がルシフの方に移動を開始した。

 

 

 

 ルシフが方天画戟を構えた。

 向かい合っているアルシェイラ、レイフォン、天剣授受者たちも反射的に構える。

 

 ──……降伏だって?

 

 レイフォンは拳を構えながらも、ルシフが小声で念威端子に言った言葉を脳内で繰り返していた。

 まず真っ先に考えたのが、何かの合図ということ。剣狼隊に予め何かしらの作戦が用意してあり、その作戦を開始するキーワードが降伏だった。このキーワードなら相手を油断、混乱させられる。実にルシフらしいチョイスではないだろうか。

 そう考えなければ、この衝撃的なルシフの言葉に冷静でいることなんてできなかった。

 本当は分かっている。ルシフが降伏などと言う言葉を口にするのは、たとえ嘘でも嫌だと。あの言葉は真実だと直感が叫んでいる。

 勝ったのか? あのルシフに? 本当に? 何かこの状況をひっくり返す策をいつものように準備しているんじゃないか?

 次々に言葉が浮かんでは消える。それくらい、ルシフに勝ったのが信じられない。

 アルシェイラや天剣授受者たちも同じ気持ちなのだろう。誰もが驚きの表情をしている。

 多数の剄がここに近付いてきているのをレイフォンは感じていた。

 

「暴王を討て!」

 

 赤装束の武芸者がそう叫びながら、ルシフに向かって剣を振り下ろした。その武芸者の表情は苦しげに歪んでいる。

 ルシフが方天画戟を薙ぎ払った。振り下ろされた剣が砕け、柄の部分で武芸者の胸を打つ。武芸者は後方に転がり、動かなくなった。気を失ったのだ。

 この一連のやり取りでレイフォンは、さっきのルシフの指示はそのままの意味で捉えていいと確信した。本気でルシフに斬りかかり、ルシフも動けなくなるほどの強打をした。演技でもそこまではやらない。

 

「ルシフ、武器を置け! お前は負けを認めたじゃないか! どうしてまだ闘おうとする!? まだやり直せるんだ、お前は! 死を選ばないでくれ!」

 

 ニーナが電気を全身に纏ってルシフの前に現れ、そう叫んだ。

 

「貴様が望んだ結末だろう?」

 

「こんな結末、わたしは望んでない! わたしは、わたしはただ……」

 

 ニーナの頭に一枚の写真がフラッシュバックした。老性一期と雄性体三体の襲撃を防いだ後、入院したルシフの病室で撮った写真。十七小隊の面々も、ルシフも、マイも、みんなが笑みを浮かべ写っている。あの光景が、ツェルニを卒業するまで続いていくと信じていた。

 

「あの写真の時のような関係を取り戻したかっただけだ! お前と笑い合い、なんだかんだぶつかりつつも、同じ方向を向いて協力していたあの時を!」

 

「貴様が自分から顔を背けた。俺に付いてくれば、その未来は有ったかもな」

 

「お前のやり方は苛烈で非情すぎるんだ! なんで分からない!? お前はもっと情のあるやり方ができるだろうに、それをやらなかったんだ!」

 

「痛みを伴わない変化に、真の変化はない。痛みがあって初めて、人類は自らの価値観、倫理観が間違っていることを自覚する」

 

「そういうところだ! お前の悪いところは! 同じ人間なのに、自分以外の全ての人間を見下す! お前の価値観が絶対正しいなんて、なんで言い切れるんだ!?」

 

「なあ、ニーナ・アントークよ。貴様は産まれてくる時、どうだった?」

 

「……は?」

 

「血まみれで、産まれてきただろう? 血にまみれながら、新しい世界で生きたいともがき、叫び声をあげながら飛び出したんだろう? きっとそれが真理だ。新しいものはきれいに生まれてはこない。血にまみれ、もがき、苦しみながら、それでも新しいものを生み出そうとする意志を失わず、声を出し続けてようやく、新しいものは生み落とされる。新しいものが生まれる時はなぁ、色んなものでドロドロになりながら生まれてくるのだ。それを理解せん、愚か者が。綺麗事だけで先へ進めるわけないだろ」

 

「新しいものを生み出すためならどれだけ犠牲を払っても()いと言うのか!?」

 

「それがより良い未来に繋がるのなら」

 

「ッ……!? やっぱりお前は間違ってる!」

 

「なら俺を打ち殺せ! 勝った者が正しい! それも真理だ!」

 

「なんでお前はそう極端なんだ!?」

 

 その時、ニーナは後方から気配を感じた。肩越しに振り返る。レイフォンがルシフに殴りかかろうとしていた。

 

「やめろッ!」

 

「隊長!?」

 

 ニーナがレイフォンとルシフの間に割って入り、レイフォンの拳を鉄鞭で受け止めた。ニーナはルシフに背を向けている。言葉だけでなく行動で死なせたくないと示せば、ルシフも気が変わるんじゃないか。ニーナはそう思った。背後で不愉快そうな表情をしているルシフに気付かずに。

 

 ──この、救いようのない大馬鹿が。

 

 ルシフが方天画戟でニーナを薙ぎ払うべく、方天画戟を横にしつつ引く。

 レイフォンはルシフのその動きでルシフが何を考えているか察した。

 

「隊長、危ないッ!」

 

「え?」

 

 ニーナが振り返った時、方天画戟の柄はニーナの背に当たる直前だった。

 ニーナと方天画戟のその間に、刹那で割り込んだ影がある。赤髪をポニーテールにした女性──バーティンだった。

 双剣を十字に重ね、方天画戟を防ごうとする。バーティンが間に入っても、方天画戟の動きは鈍らない。勢い変わらぬまま、バーティンの双剣も巻き込んで薙ぎ払った。バーティンの双剣は砕け、柄がバーティンの胸を打つ。バーティンが真横に吹き飛んだ。ニーナもバーティンの身体に押される形で同様に吹き飛ぶ。

 ニーナは地面にぶつかる直前で鉄鞭の先を地面に突いた。それがブレーキとなり、ニーナは止まった。

 

「バーティンさん、大丈夫ですか!?」

 

 ニーナはすぐに身体を反転させ、自分の背にもたれるようにしているバーティンを抱いた。バーティンをゆっくりと仰向けで地面に寝かせる。バーティンが咳き込んだ。血が吐き出される。どうやら骨折した骨が内臓を傷付けたらしい。

 

「なんでわたしなどを庇って……」

 

「別に、お前を守りたかったわけじゃない」

 

 バーティンがまた咳き込む。血は口から溢れるばかりだ。

 

「私は、ルシフちゃんに武器を向けることができなかった。私は、私たちは、思い違いをしていた。私はただ倒れる口実が欲しかっただけだ」

 

 ルシフに武器を向ける。それは明確な敵対行為。ルシフと敵対することが、バーティンには耐えられなかった。

 

「何故、ルシフと敵対する必要があるのです? 剣狼隊のあなたたちはルシフを心から慕い、失いたくないという気持ちは誰よりも強い。ルシフを救うために闘えばいいでしょう?」

 

「……青いな」

 

 バーティンの両頬を涙が伝った。

 

「私は、この装束を纏った。指揮官の命令は遵守せねばならない。たとえどれだけやりたくないことでも、やらなければならないのだ。お前のように、心のまま闘うことはできん」

 

「……バーティンさん」

 

「ニーナ、お前にもいずれ分かる。心のまま闘いたくても、鎖で雁字搦めにされて身体が重くなるような感覚。好きなように動けない苦痛。だが、それが組織に属するということだ」

 

 そこまで言うと、バーティンは気を失った。

 ニーナはバーティンの左手首に指をもっていき、脈に触れた。脈はある。死んでない。

 

 ──何故、ルシフを救いたいのに、敵対しなければならない? 何故、願いはみな同じなのに、争わなければならない?

 

 ニーナの前には究極の選択肢がある。ルシフを救うか、ルシフを殺すか。だが、ルシフを救おうとしたところで、ルシフは味方だと思わない。剣狼隊ですら、平然と倒しているのだ。ルシフはもう自分以外の全てを敵だと思い定めてしまった。

 どう足掻いても、自分の望む未来はない。

 その現実を突きつけられたニーナが選んだ選択は、両手に握る鉄鞭を地面に落とす、という選択だった。ニーナの心は、戦意は粉々に砕かれた。

 ニーナはそのまま膝を曲げて座り、顔を俯ける。膝の上には涙が落ち続けていた。今のニーナは武芸者では無くなった。汚染獣が来ると知らされ、シェルターに逃げ込んで汚染獣に殺されないことを祈る一般人と同じ、確実に訪れる未来と理解しながらも、目を閉じ耳を塞いで怯えるただの少女になった。事の成り行きを他人に委ねたのだ。

 轟音が、剄の奔流がニーナの全身を叩く。しかし、ニーナは座り込んだままだった。

 

 

 

 ルシフは戟を振るい、襲いかかってくる剣狼隊やグレンダンの武芸者を次々に戦闘不能にしていた。

 シャーニッドが遥か遠くから、狙撃銃のスコープを片目で覗いている。

 

 ──ルシフ、お前には感謝してるんだぜ。お前がいたから、ディンとシェーナは救われた。もう二度と取り戻せないと思っていたものを、お前が掬い上げてくれた。けどよ、もうお前は決めちまったんだよな。なら俺は、お前の選択を尊重するぜ。

 

 シャーニッドが引き金を引いた。銃弾が撃たれる。更に引き金を引き続けた。六発の銃弾がルシフ目掛けて飛んでいく。

 その銃弾に合わせて、バーメリンも狙撃銃の引き金を引き、六発撃った。

 シャーニッドの銃弾とバーメリンの銃弾は同速ではなく、バーメリンの方が少し速い。ルシフの手前で互いの銃弾がぶつかり合い、それぞれ軌道を変えた。ルシフは金剛剄を使い、銃弾を全て弾く。

 その時、アストリットが動きを止め、狙撃銃を構えた。スコープを覗き込む。ルシフの顔が間近に見えた。アストリットは咄嗟に銃口を下げた。

 

 ──やっぱりルシフさまに銃は向けられませんわ! ごめんなさい、ルシフさま。

 

 アストリットは涙を溢れさせつつ、引き金を引いた。放たれた銃弾はルシフの前の地面を抉り、砂塵を巻き上げる。

 ルシフの視界は砂塵で妨げられた。念威操者のサポートは無くなっているため、砂塵の中では敵を正確に把握できない。

 ルシフの全身から放たれた剄が化練剄によって不可視の鞭となり、円を描くように振るわれた。砂塵もろとも、全方位から襲いかかってきた武芸者を吹き飛ばした。

 その不可視の鞭を跳躍してよけ、サヴァリスがルシフの真上から蹴ろうとする。鞭を放ちながらもルシフは方天画戟をサヴァリス向かって突き上げていた。穂先と足甲がぶつかり合い、凝縮された剄が混じり合って外縁部を駆けめぐる。

 その時生じたルシフの一瞬の隙。リンテンスが鋼糸を密かに操る。鋼糸はルシフの右腕に殺到し、皮膚を破った。

 これで体内で鋼糸を移動させ、ルシフの意識を奪うことができる、とリンテンスは考えたが、ルシフはリンテンスの思いもしない行動に出た。

 ルシフは化練剄で剄に斬性を帯びさせ、再び不可視の鞭として自らの右腕を肩の付け根から切り落とした。噴水のように右肩から血が噴き出される。

 さすがに右腕を切り落とすのは激痛だった。もはや痛みだけでなく、灼熱に似た熱さも感じる。ルシフの顔に汗の玉が浮かんだ。それでもルシフは笑みを崩さなかった。

 確かに鋼糸が体内に侵入した以上、侵入元である右腕を切り落とすのは確実な対処法と言える。しかし、やらなければ意識を失うと理解していても、それをやれる武芸者が一体何人いるのか。

 ルシフの右肩に焔が出現した。剄に火の性質をもたせ、右肩に纏わせたからだ。切り口を焼くことで、止血をする。肉が焼けるにおいがたちこめ、周囲の者は顔をしかめた。

 とてつもない苦痛。

 

「ははッ!」

 

 しかし、ルシフは笑い声を漏らした。顔中に汗をかいているが、表情は楽しそうなまま。

 次々に剣狼隊の隊員がルシフに襲いかかる。エリゴ、ハルス、レオナルト、オリバ、フォル、サナック。それぞれが叫び声をあげて向かってくる。どの顔も表情が歪んでいた。

 ルシフは方天画戟と化練剄による攻撃を駆使し、それらの攻撃を防ぎ、倒していく。だが、やはり片腕。防御も一人ならばともかく、複数で同時に攻められては防御する部分を全て剄の膜だけで防ぐのは無理だった。全ての剄を集中させる技術を剣狼隊の全員が会得しているのだ。剄の膜ならば、なんとか突き破れる。

 サナックの拳、オリバの鎚、フォルの鞭、レオナルトの棍は方天画戟で防いで弾き飛ばしたが、エリゴの刀、ハルスの大剣はそれぞれルシフの右足と右肩から少し下の部分を切った。切り傷が生まれ、血が流れる。

 ルシフは離脱を許さなかった。不可視の鞭で二人を打ち、二人とも地に転がった。

 更に方天画戟を振り回し、サナックら四人を狙う。サナックに方天画戟が当たる直前、方天画戟の勢いが弱まった。方天画戟に鋼糸が巻きついている。プエルの鋼糸。その時のプエルは涙が止めどなく溢れていた。

 方天画戟に凝縮させている剄を鋼糸に流し、鋼糸は剄量に耐えきれず砕け散った。

 トロイアットが伏剄で複数のレンズを創り、太陽光を集めた熱線を集中させる。ルシフは方天画戟に剄を乗せ、レンズを全て破壊。

 その瞬間、クラリーベルがルシフの懐に潜り込み、体勢を低くしながらすれ違いざまに左脇腹を切ってそのまま駆け抜ける。駆け抜けたクラリーベルの身体は恐怖と興奮で震えていた。

 カナリスが細剣を振るい、音の刃を生み出す。

 ルシフは方天画戟を振り回して同様に音の刃を生み出して相殺するが、その間にサヴァリスが背後に回って剛力徹破・咬牙を放つ。金剛剄で防ぐが、浸透剄による内部破壊は防げない。

 ルシフは内臓の損傷により、口から血を吐き出した。吐きつつも、すぐさま左足の後ろ蹴りをサヴァリスに叩き込み、サヴァリスも血を吐きながら地面を転がった。

 

《ルシフ、もうよい! もう楽になれ! 汝はよく闘った! 世界の理不尽に真っ向から立ち向かい、世界の在り方そのものを変貌させたのだ! たとえ誰がなんと言おうと、我は汝を誰よりも偉大な人間だと考えておる!》

 

 メルニスクの声が聴こえた。

 サヴァリスに蹴りを入れようとした時には、右からルイメイの鉄球が迫ってきていた。サヴァリスを蹴り飛ばしたのとほぼ同時に、鉄球がルシフの右からぶつかった。

 ルシフは足を踏ん張り、鉄球の直撃を受けても倒れず、吹き飛びもしなかった。

 

《ルシフ! もう汝は死に体なのだぞ! それ以上抵抗してもその先は苦痛しかないのだ!》

 

 メルニスクの声がどこか遠くに聴こえていたが、すぐに鮮明に聴こえるようになった。意識が飛びかけていたらしい。

 

 ──うるさいな。今、いいトコなのに。

 

 メルニスクの言葉はルシフを不愉快にさせた。

 身体を回転させ、鉄球を方天画戟で弾き飛ばす。鉄球は凄まじい勢いでルイメイに正面からぶつかり、ルイメイは地面に仰向けで倒れた。

 右腕を失い、口からは血を吐き出し、全身に傷を浴びながらも愉しげな笑みを崩さないルシフの姿。その姿は全員に畏怖にも似た感情を抱かせた。

 

 ──俺は、あの時の俺より少しはマシになれたのだろうか。

 

 マイに出会う前。全力で生きる人間を嘲笑い、ただやりたい事をやる人生こそ最高だと思っていたあの頃。なんでも好きなことをやれる人生が中身のない人生だと分からなかったあの頃。

 苦難が人生に彩りを与える。苦難のない人生など、炭酸の抜けたコーラも同じ。甘いが、どこか物足りない。

 ルシフが苦難を味わうためには、世界の全てを敵に回すスケールの大きさが必要だった。いや、違う。スケールの大きい理想が、必然的に苦難も運んできたのだ。

 この世界から、理不尽な死をできる限り無くそう。生まれた場所も親も関係なく、精いっぱい生きられる世界にしよう。人間が、人間らしく死ねる世界を。犬猫のように人間が死なない世界を。

 ティグリスが剄矢を放った。方天画戟で弾く。カルヴァーンが肉薄し、幅広の剣を薙いだ。左足で剣の腹を蹴る。幅広の剣が真上に飛んだ。カウンティアが背後に回り、青龍偃月刀を頭上から振り下ろした。半身になってかわす。

 

 ──本当に、馬鹿な夢をみた。

 

 誰が聞いても、そんなことはできないと指差して笑うような、馬鹿な理想。だが、そんな理想だからこそ、本気で実現させる価値がある。叶えがいがある。

 リンテンスの鋼糸が全方位から天剣授受者たちの間を縫って襲いかかってきた。方天画戟を回転させて全て弾く。レイフォンが、凄まじい速度で左側面から接近してくる。連輪閃により、剄を吸収した後の状態。レイフォンがいたところにはリヴァースとトロイアットがいた。彼ら二人の剄を吸収したらしい。

 レイフォンはルシフの心臓目掛けて、右手の貫手。ルシフが左腕を動かし、左腕で防ぐ。左腕が貫手に貫かれ、そのまま切断された。方天画戟を持った左腕ごと、宙を舞う。

 レイフォンは苦痛にまみれた表情をしていた。ルシフは左腕を犠牲にすることで得たほんの数瞬の時間で身体を捻り、レイフォンの貫手を身体で受け流した。そのまま左足の廻し蹴り。レイフォンの背を蹴り飛ばす。

 

 ──どいつもこいつも、それが勝者の顔か。

 

 ルシフに向かってくる者のほとんどが、表情を苦しげに歪めていた。まるでルシフを討つことを嫌がっているように。何故暴王を討つのに、表情を苦痛そうに歪めるのか。

 

 ──笑えよ! 暴王を討つのだぞ! 笑え!

 

 アルシェイラが雄叫びをあげ、二叉の槍を構えて正面から突撃してくる。アルシェイラの表情も歪んでいた。

 

「やめてええええええッ!」

 

 アルシェイラの背後から、念威端子に乗って移動しているマイの悲痛な叫び声がした。

 アルシェイラはその叫び声に覚悟を揺さぶられたか、ルシフの心臓を貫く筈だった二叉の槍は僅かに軌道を変え、ルシフの心臓の少し下を貫いた。穂先がルシフの身体を貫通し、背中から穂先が見えている。

 アルシェイラは息を荒く吐きつつ、二叉の槍を抜いた。

 ルシフの胸と背中から血が噴き出され、ルシフの身体はふらついた。霞んでいく視界の中で、ルシフは視線を動かす。切断された左腕と方天画戟。次に自分の身体。右肩と左肘の先はない。

 

 ──これではもう、方天画戟は持てんぞ。

 

 夥しい血が、自分の身体から流れていく。これは致命傷だ。どう足掻いても、この状態から生は掴めない。

 もうルシフに攻撃してくる者はいなかった。誰もが、ルシフの死を確信していた。

 

「ルシフ。あなたは誰よりも強く、誰よりも偉大だった。たとえやり方が苛烈で残虐でも。最期に言い遺したい言葉があるなら、聞いてあげる」

 

 アルシェイラが痛みを堪えるような表情で、そう言った。

 ルシフが殺す気で闘ったならば、たとえ人類全員を敵に回しても殺し尽くせただろう。ルシフの戦力は全人類を加えた戦力をも上回っている。だが、ルシフは理想のために自身の命すら度外視する覚悟を決めており、信念を貫き通す強靭な精神力があった。ルシフに対する憎悪はもう消え去り、今はただルシフの生き様に感服していた。

 アルシェイラの言葉を聞き、ルシフは鼻で笑った。

 言い遺したい言葉。そんな言葉はない。人として生まれ、男として生まれた。ただやりたいことをやるために魂を燃やして生き、死ぬ時は前のめりで死ぬ。男の人生など、それでいい。俺を偉大だと言ったが、別に偉大なところなどない。俺はただ、進み続けただけだ。もっと高みへ。もっと先へ。もっと、もっと、どこまでも先へ。

 空を見上げた。雲一つない、どこまでも澄んだ空。

 

 ──マイの色だ。

 

 今日は、死ぬには良い日だ。

 空。誰もが空を思い、空を見上げる。だが誰も、空が何を思っているのか、真意は掴めない。空よ、お前も孤独か。唐突に、空に親近感が湧いた。

 

 ──いや、俺は孤独じゃなかった。

 

 マイが、メルニスクが、剣狼隊がいる。俺が死んでも、俺の意志は彼らの中に残り続け、また次へと継承されていくだろう。そう信じられるからこそ、こんなにも清々しい気分になれるのだ。

 

 ──空よ、俺が一瞬でもお前に寄り添おう。気にするな、俺の心はお前と同じくらい広いんだ。

 

 空が暗くなっていく。視界が黒く塗り潰されていく。最期に、暴王らしい言葉を吐かなければ。

 

「よく聞け! 貴様らが取り戻したい世界は俺が徹底的に蹂躙し、破壊した! 貴様らは俺の創りあげた世界の枠組みの中で、この先を生きていくしかないのだ! ざまあみろ! ハハハハハハハハハ……!」

 

 ルシフの全身から凄まじい剄が天に向かって迸った。それは天を衝く巨大な光柱に見える。と同時に、斬性を帯びた不可視の鞭がうねり、ルシフ自ら自身の首をはねた。

 光柱が収まると、ルシフの頭は地面に転がっていた。頭を失ったルシフの胴体も、前のめりで地面にうつ伏せで倒れた。

 

「あ……ああ……! そんな……」

 

 念威端子から降りてルシフの頭を見たマイは、あまりのショックに気を失って地面に倒れた。

 剣狼隊も次々に武器を手から落とし、その場で顔を俯けた。涙を流しているところや、哀しんでいる表情を見られないようにするためである。

 世界を恐怖に叩き込んだ暴王を討ったのだから、むしろ喜ぶのがルシフの願いであろう。しかし、剣狼隊の誰もが笑顔を見せられなかった。

 アルシェイラは二叉の槍を持ったまま、言いようのない後味の悪さに沈んだ表情になった。

 初めからこうなると分かっていたのに、この後味の悪さはなんなのか。きっとルシフと闘ったことでルシフという人間に触れてしまったからだ、とアルシェイラは思った。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ルシフの死体は棺に入れられ、イアハイムに送られた。そのことに対し、『ルシフの死体など野晒しにしとけばいい』と大勢の人間が言ったが、アルシェイラは『死んだ者を鞭打つような真似をすれば、ルシフと同じになる』と言って却下した。アルシェイラの強さを理解しているため、そう言われてしまえば民衆は何も言い返せない。

 その後、アルシェイラ、レイフォン、ニーナ、天剣授受者、剣狼隊の小隊長らがマイアスの王宮に向かって歩き出した。それ以外の武芸者は混乱を鎮圧するために各都市に行った。どの都市もお祭騒ぎだった。都市民が嬉しそうに踊ったりしている。

 向かう途中、リーリンとゼクレティアが彼らに合流した。シェルターから出てきたのである。

 

「……リーリン」

 

 レイフォンがリーリンの顔を見て驚いた。リーリンの両目は涙で溢れている。

 

「レイフォン。どうして最期の最期で、ルシフは自害したと思う?」

 

「……誰からも、殺されたくなかったんじゃないかな。あの傲慢さが誰かに殺されるのを許せなかったんだよ」

 

「そうかな?」

 

 リーリンは僅かに顔を俯けた。

 

「じゃあリーリンはどう思う?」

 

「誰にも、自分を殺した罪を背負ってほしくなかったんじゃないかな。自分一人でけじめをつけたかったんだと思う。誰にも借りを作らずに」

 

「……そう言われれば、そうかもしれない」

 

「レイフォンの言ってることも、きっと間違ってないと思う。あの人は自分を最高に能力の高い人間だと信じて疑ってなかったから。誰かに殺されることは、きっと言い訳のしようのない敗北だろうし」

 

「なんていうのかな、ずっとこうなるって、分かってたんだ。分かってたのに、なんか後味がとても悪い。各都市の人たちはみんなたがが外れたように喜んでるのにさ、気分は沈んだままなんだ」

 

「ねえ、レイフォン。こんな結末しか、なかったのかな?」

 

 リーリンの言葉に、その場にいる全員が黙り込んだ。

 マイアスの王宮に入り、ルシフの寝室に入った。何かルシフが遺しているかもしれない、と考えたからである。

 寝室にある机の引き出しの奥の方、隠すように二つの封筒が入れられていた。片方が『グレンダンの女王へ』と外に書かれ、もう片方は『剣狼隊へ』と書かれている。

 ルシフの遺書。

 そう判断した彼らは書かれた通り、剣狼隊へと書かれた封筒はエリゴに渡し、アルシェイラはグレンダンの女王へと書かれた封筒を開けた。五枚も入っている。

 アルシェイラは遺書を読み始めた。

 

『これを読んでいるということは、俺は負けたということだろう。どう負けたかは想像がつかんが、想像もつかぬ展開でしか俺は負けんから、貴様らグレンダンは俺を一時でも超えたということになる。俺を殺せて貴様らは喜んでいるだろうな。好きなだけ喜べ。この俺に勝ったのなら、どれだけ喜ぼうが恥ではない。ただし、同情だけはするな。俺自身が選んだ道。後悔などしていない。

そろそろ本題に入らせてもらうが、俺を殺した後世界がどうなるか、これからどう動くべきか、この先二年間の計画をここに記しておく。活用したければすればいい』

 

 アルシェイラの視線は遺書に釘付けになった。

 この先二年間の計画。それは計画というには、あまりにも複雑だった。まずルシフ同様の中央集権制にしたい場合、分権制にしたい場合で分かれ、それぞれ実現するための計画が細かく記させていた。またこれをやったら情勢がどう動くか、民がどう考えるかありとあらゆる可能性が記され、その可能性ごとに対処法が書かれている。またそこから考えられる全ての可能性を羅列され、また全ての可能性に対しての対処法が書かれている。そしてまたそこから考えられる可能性を……という具合に、矢印を多用して書かれ続けているのだ。

 アルシェイラは驚愕した。この遺書はありとあらゆる未来を実現する計画書なのだ。この中から望んだ未来を選び、書かれた通りのプロセスを踏めば、確実に実現できるだろう。

 こんな人間によく勝てた、とアルシェイラは心から思った。いや、実際カリアンがいなかったら勝てなかっただろう。

 アルシェイラは読み終わった後、震える手でレイフォンに渡した。

 レイフォンはみんなが読めるよう机の上に遺書を広げる。遺書を読んだ者はみな、感心して唸り声をあげた。

 

「まるで予言書だな。どれも実現するまでのイメージが明確に浮かぶ」

 

「……やっぱりルシフは天才だ。ルシフと争わず、ルシフに従っていた方が良かったかもしれない」

 

「なんていうか、すげえガキだな。ここまでのモン、あのガキ以外には作れねえだろうぜ」

 

 リンテンス、ニーナ、トロイアットが呟いた。

 

「……いっつも、それ」

 

 彼らの背後から声が響いた。開けられた寝室の扉にマイがもたれている。

 

「いつだってそう。ルシフさまが何かやり始めた時は馬鹿だの、イカれてるだの言って、結果を目の当たりにした途端に天才だの、すごいだの褒め称えて……もうウンザリなのよ! そういうの! すぐ手の平かえして、何がルシフに従えば良かった、よ! 殺す! お前ら一人残らず殺してやる! 全員震えて眠れ!」

 

「マイ、少し落ち着け」

 

 バーティンがマイに近付こうとする。

 マイがバーティンをキッと睨んだ。

 

「仲間面して話しかけるな! この裏切り者ども! 恥知らずの死に損ないどもが! さっさと死ね! 二度と私の前に顔を見せるな!」

 

 それだけ言うと、マイはどこかに駆け去っていった。

 寝室内がしんと静まり返る。

 エリゴが無言で封筒を開け、遺書を取り出した。

 エリゴが遺書を読み始める。

 

『同志諸君。これを読んでいるということは、俺はグレンダンに負けたのだろう。だが、俺は何も心配していない。何故なら、俺の遺志はお前たちに継承され、お前たちが理想の実現に邁進すると信じられるからだ。

これから本題に入るが、今から書くことは命令ではない。ただお前たちに頼みたいことだ。

一つ、俺の葬儀は絶対にするな。民衆が死体を切り刻めというなら、切り刻めばいい。野晒しで放置してもよい。とにかく、俺の死を最大限に利用しろ。俺も今までそうしてきた。自分は他人の死を利用し続けたのに、自分の死は汚してほしくないとか、そんな虫のいいことは言わん。

二つ、自分の財産を秘密裏に自分の子を産んだ可能性のある女性に分配してほしい。マリア・ナティカ。サラ・ゼーロバー。レリーナ・アルツト。ジョセイヌ・ディプロ。ナーデル・ベシュテルグ。シェーン・ヘンドラー。ゼクレティア・ラウシュ。この七人だ。それから、俺の子という情報は絶対に公開するな。

最後になるが、この世界が何百年と積み上げてきた負の遺産、膿、汚濁は全て、俺が死とともに背負い、持っていく。これから先、今までの世界より良くしていけるかどうかは、諸君らの働きにかかっている。理想に向かい、進み続けてくれ。

それから、できる限りマイを気にかけ、助けてやってほしい。これは志とは関係ない、俺の純粋な頼みだ』

 

 遺書にポタリと涙が落ちた。

 エリゴが顔を手で覆いつつ、遺書を他の者に渡す。遺書を読み終わったら、誰もが涙を目に溜めていた。本当にルシフが死んだのだという実感。そして、死に向かってもなお、ルシフはルシフであった。

 

「すまねえ……すまねえ、兄貴! 俺が弱いばっかりによお……。グレンダンの奴らを俺が倒せてれば……!」

 

「あ? そいつは聞き捨てならねえな。今あのガキのところに送ってやろうか?」

 

「やってみろや! その腹、ぶった切ってやらあ!」

 

 言い争いを始めたハルスとルイメイ。

 その間にプエルが割り込む。

 

「二人とも落ち着いて! これからは一緒に世界を良くしていく仲間なんだから、仲間割れは駄目だよ!」

 

「仲間ぁ? こいつらみたいな、兄貴のこと何も理解しなかった、しようとしなかった奴らの力になるなんざ俺はごめんだぜ! そもそもこいつらは大局が見えず、ちっせえ私情を優先して兄貴に逆らったから兄貴は死んじまったんだ! 兄貴に降伏してりゃあ、円滑に世界を良く変えていけたってのに」

 

「俺もな、あのガキに好きで従ってた時点で、お前らを仲間だとはぜってえ認めねえ! こいつらと一緒に闘うなんざ、考えただけでヘドが出る」

 

「やめてったら!」

 

「そう言うプエルも、心の底じゃグレンダンと一緒に闘うなんざ嫌なんだろ?」

 

 プエルがギクリと表情を強張らせた。すぐに作り笑いを浮かべる。

 

「な、何言ってるの、ハルちゃん。そんなわけないでしょ。グレンダンの人たちと協力しなかったら、ルっちゃんの理想を実現するのは無理なんだよ? あたしは剣狼隊だ。私情を殺して、信念のために闘う。それこそ、ルっちゃんがあたしたちに望んだものでしょ」

 

「俺は兄貴のために闘ってきた。兄貴がいなくなったこの世界がどうなろうと、知ったこっちゃねえ」

 

 そう言うと、ハルスは寝室から出ていった。バーティンとアストリットもハルスに続き、出ていく。

 

「あーもう、バラバラだよぅ……。ルっちゃんがいた時はあんなに一つに纏まってたのに」

 

 プエルはため息をついた。

 

「それだけルシフ殿の存在が大きかったのじゃ。プエル、お主もやせ我慢するな。今日くらいルシフ殿の死を哀しんでも、ルシフ殿は怒らんよ」

 

 オリバの言葉を聞き、プエルの脳裏に自分の琴を気持ち良さそうに聴いていたルシフの姿がよぎった。

 

 ──もう二度と、あの時みたいな時間は取り戻せないんだよね。

 

 プエルの目からみるみる涙が溢れた。

 

「……ごめん……ごめんねルっちゃん! あたしが弱かったから……! う、うわああああああん!」

 

 プエルは両手で顔を覆い、泣いていた。他の剣狼隊小隊長たちも涙を堪えている。

 

「……その、プエルさんはルシフのこと、好きだったのですか?」

 

 ニーナがおそるおそる訊いた。

 プエルは必死に涙を我慢し、ニーナの方を見る。

 

「ニーちゃん。そういうとこだと思うな、あたし。ニーちゃんの悪いところ。空気、読もう?」

 

「す、すいません!」

 

 ニーナが頭を深く下げる。

 その姿にプエルは一つため息をついたが、すぐに表情を緩ませた。

 

「ルっちゃんのことは大好き。でも、勘違いしないでね。異性として好きとか、家族として好きとか、そんな薄っぺらい好きじゃない。ルっちゃんはあたしの人生そのものだった」

 

「それはつまり、ルシフを助けられるなら命を捧げても構わないと?」

 

「もしルっちゃんを生き返らせられるなら、あたしは何百回地獄の苦しみを味わって死んでも構わない」

 

 プエルの全身から放たれる静かで凄まじい気迫にニーナは呑まれ、息を呑んだ。

 プエルはニコリとニーナに笑いかけた後、剣狼隊小隊長たちの方に視線を向ける。

 

「ごめん、みんな。今日はちょっとイアハイムに帰るね。心の整理をしたら、必ず剣狼隊に戻ってくるから」

 

 プエルの言葉を聞き、剣狼隊小隊長たちは小さく頷いた。

 プエルは目尻を指で拭いながら寝室から出ていった。おそらくルシフの死を哀しんでいると都市民に思われないようにするため、涙を拭ったのだろう。

 

「プエルは自分に自信がなくてよくおどおどするし、争いも嫌いだけど、剣狼隊の中で一番気高いかもな」

 

 エリゴがそう呟いた。

 

「グレンダンの人たちに言いたいことがあるんだけど、いい?」

 

 フォルが涙を拭って言った。

 この場にいるアルシェイラ、レイフォン、ニーナ、天剣授受者たちがフォルに視線を向ける。

 

「わたしはあなたたちを責めない。ルシフのやり方は強引で暴力的だった。抵抗できるだけの力があるなら、抵抗するのは普通。けど、あなたたちが負かしたルシフって男は、たとえやり方がどれだけ外道で鬼畜だったとしても、この世界から汚染獣の脅威と都市間戦争を無くして理不尽な死をできる限り減らす、って信念をもってたんだ。それだけはずっと忘れないでよ! わたしたちはその信念と熱に惚れて、この赤を着たんだ!」

 

 グレンダン側の返事も聞かず、フォルが涙を散らしながら駆け出し、寝室から出ていった。

 

「フォルとプエルは俺たちの心を代弁した」

 

 レオナルトが言った。

 

「もしあんたらがこれから大将の信念を引き継ぎ、都市間戦争と汚染獣の脅威を無くして各都市の治安を良くしていくと言うなら、俺たちも積極的に協力する。けど、もし以前のような人間同士で殺し合う状態に戻そうってんなら、圧倒的な実力差があったとしてもあんたらと敵対し、殺してでも止める。俺は殺さずに倒そうと考えられるほど、強くねえからよ」

 

 剣狼隊小隊長たちはレオナルトの言葉に頷いた。

 エリゴはレオナルトの横顔をじっと眺めた。ルシフが死ぬ前にはなかった色が加わっている。

 

 ──自分の命を守るより人殺しが嫌いだったお前が、殺すなんて言葉を口にするとはな。それだけ旦那の存在が大きかったってことか。

 

 寝室から剣狼隊小隊長たちが去っていく。

 寝室に残ったのはグレンダン側の人間とレイフォン、ニーナだけだった。

 アルシェイラは机の上に置いてある遺書に視線をやる。

 

「闘う前から、ニーナの情報でルシフが都市間戦争と汚染獣の脅威を無くそうとしていることは知っていた。けど、それは仲間を集めるための建前だって思ってた。そうやって仲間を増やして自分の立場が絶対的なものになった時、私欲のままに権力を使うようになると。でも、違ってた。ルシフは建前じゃなく本気で都市間戦争や汚染獣の脅威を無くそうとしてたことは、さっきの戦闘でよく伝わってきた」

 

「では、これからどうなさいます?」

 

 カナリスが尋ねた。

 

「この計画書通り、事を進めましょ。わたしより半分も生きてない子が、これだけの覚悟と熱意をもって今までずっと闘ってきたのよ。怠けたり、どうせ無理って諦めたりするのはもうできないわよね」

 

「はい」

 

 カナリスが返事をし、他の面々も頷いた。

 

 

 

   ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 『縁』の空間。闇に星を散りばめたような空間に、電子精霊が集結していた。メルニスクに全ての電子精霊が向き合っている。ここだけ見ると、メルニスクとそれ以外の電子精霊で敵対しているように見えた。

 

「メルニスクよ。妾ら全員に話があると言いましたね。聞きましょう」

 

 シュナイバルが一歩前に出た。

 

「重要な場合以外は、我に接触しないでほしい」

 

「それはどういう意味ですか?」

 

「我はイアハイムの機関部で、イアハイムを見守ろうと考える。ルシフが生まれた都市を、ずっと。我が消滅するその日まで」

 

「イグナシスの襲撃で世界が窮地に立っても、傍観に徹すると?」

 

「その時は、我の全てを懸けてイグナシスを滅ぼそう。だが平時は、我を放っておいてくれ」

 

「ルシフと共にいた時とは随分な変わりようですね」

 

「我は暴王と人々に呼ばれた男に力を貸したのだ。我はあまり表に出ない方が良いだろう。それに、ルシフは我の救世主であり、友だった。あの男以外の者と共に闘う気にはならん。少なくとも今は」

 

「いいでしょう。それから、ルシフの死後もグレンダンの女王が今の状態を希望したため、妾たちはこれからもこうして一緒に行動することになりました。人間の努力次第になりますが、上手くやれば都市間戦争も汚染獣の脅威も無くなるでしょう」

 

「それも、ルシフがいたからこそたどり着けた解答だ」

 

 シュナイバルが静かに頷いた。

 盾と剣を持つ青年の電子精霊に、メルニスクは顔を向ける。

 

「そういうわけで、これから滞在させてもらう。よろしいか?」

 

 青年の電子精霊は嬉しそうに頷いた。

 

「そう言えば、あなたの魂の欠片──ルシフが使っていたあの武器はどうします? 今はグレンダンの手に渡り、厳重に保管されているようですが」

 

「好きにすればよい。願わくば、ルシフの理想を継承した者に使用してもらいたいが」

 

「分かりました。そのようにグレンダンの女王には伝えておきましょう」

 

「母よ、感謝する」

 

 メルニスクの姿は『縁』から消失した。

 

 

 

   ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 人類の命運を決める最終決戦があった次の日の夜。

 カリアンはツェルニの都市長室にいた。執務机の上は大量の手紙が置かれている。

 カリアンは執務机を前にした椅子に座り、深く息を吐き出した。カリアンのその姿には疲労の色が見える。

 それもその筈であり、カリアンに対して『ルシフに立ち向かう勇気をもらった』とか『ルシフの世界にならなかったのは君のおかげだ』というような意味の言葉と賛辞を伝えてくる訪問者が大量にやってきて、その相手を朝から今までやっていたのだ。訪問者の大半は役人や武芸者といった役職を持っている者だった。

 彼らの言葉を聞くたび、罪悪感が胸に突き刺さった。もしルシフの死が数年後だったならば、世界の反応は真逆になっていただろう。ルシフが史上最悪の暴王であった時点で、ルシフを死に追いやってしまった。ルシフの評価を現時点で永遠に止めたのだ。

 訪問者はルシフが本当は何を狙って今までの暴政をやっていたか、理解すらしていない。ただ自分の好き勝手に動いた暴王という印象しか持っていない。

 カリアンが執務机に積まれている手紙を見て、もう一度深く息を吐き出した。読む気にならない。大量の賛辞の言葉が皮肉に感じてしまう。

 しかし、読まなければ、と思う。読んで返事をし、さりげなく世界をどうしていくべきか匂わす。そうすることで、今後の世界を良くしていく地ならしのようなものができるはずだ。

 

『カリアン。お前はただの一度だが、俺を出し抜いた。その頭脳、これからも人類のために使えよ』

 

 最期に言われたルシフの言葉が頭から離れない。ルシフを殺した自分は、ルシフの理想を引き継ぎ実現する責務がある。休んでいる時間はない。自分の全てを懸けてでも、より良い未来へ邁進しなければ。ルシフがそうしていたように。

 室内が異常事態に陥ったのは一瞬だった。

 窓が外側から割られ、無数の念威端子が室内に入ってくる。六角形の念威端子。迷わずカリアンに殺到する。

 その時、扉が勢いよく開かれ、レイフォンとニーナが室内に踏み込んできた。念威端子を全て二人が破壊し、端子の破片が大量に床に落ちた。

 フェリが廊下から顔だけを不安そうに出している。ほぼ無表情だが、カリアンには微細な表情の変化でもフェリの感情を読み取れた。

 実は朝一番にフェリ、ニーナ、レイフォンが来て、もしかしたらマイに命を狙われるかもしれない、と言われた。そう言われても、驚きはしなかった。むしろ当然の行動だと思った。それでずっと三人は近くの部屋に待機し、フェリが念威でツェルニ全体を見張ることになり、マイが現れたらすぐさまニーナとレイフォンに伝える段取りになっていた。

 窓の外。念威端子のボードに乗っているマイがいた。ツインテールを風に遊ばせている。無表情だった。

 

「マイ、もう止めてくれ! そんなことをしても、ルシフは喜ばない!」

 

「ニーナ・アントーク。本当にお前は人の神経を逆撫でするのが上手いな」

 

「……マイ?」

 

 以前のマイとはまるっきり違っている。まるでルシフがマイに憑依しているような……。

 

「ルシフさまは喜ばない? なんでそんなこと分かるのよ」

 

「マイくん! もしルシフくんが今の君の姿を見たら、きっと悲しむ──」

 

「今、なんて言った?」

 

 カリアンの言葉を遮り、マイが言った。

 

「ルシフさまの代弁をしたな。ルシフさまのことを裏切っておいて、さもルシフさまの心を理解しているかのように話したな!? 今、ルシフさまがどこにいるか知ってる? 土の下よ。お前らがそこに追いやったくせに、なにがルシフくんが今の君の姿を見たら悲しむ、よ! ふざけるな! いつかお前ら全員土の下に送ってやるから覚悟しろ!」

 

 マイの念威端子のボードが動いた。マイの姿が暗闇に溶けていく。

 

「本当にあれがマイさんなのですか?」

 

 フェリが僅かに目を見開いて言った。

 

「おそらくだが、マイくんはルシフくんの模倣をしている。それが自身の感情の暴走を助長しているんだ。私のせいだ。私がマイくんをそういう人間にしてしまった。私の命で償いたいと思うが、ルシフくんの理想を実現するまでは、死ぬことはできない」

 

「兄さん……」

 

 フェリがうなだれるカリアンの姿をじっと眺めた。

 レイフォンが無言でフェリに近付き、待機していた部屋に戻るとジェスチャーで伝えた。

 

「兄さんはルシフを裏切ったことを後悔しているのでしょうか?」

 

 部屋に戻ったら、フェリがそう言った。

 

「後悔してるかどうかは分からないけど、負い目は感じてると思う。それから、ルシフの存在が大きかったからこそのプレッシャーも」

 

「……なんで、こんなことになってしまったのかな。わたしはただ、ルシフやマイと以前のような関係に戻りたかった。ルシフと敵対しても、お互いに認め合い、助け合って世界をより良くしていける時がきっとくる、と信じていた。もし、だ。もしわたしが天剣を奪い返してルシフと敵対なんてしなければ、ルシフがグレンダンに苦戦することはなく、誰も犠牲者を出さずに終わっていたのかな。わたしのしたことは、本当に正しかったのだろうか……!」

 

 ニーナの目から涙が溢れ、嗚咽を漏らした。

 

「……隊長。ルシフと決戦する時までは、ルシフが世界をどうしたいか、何を本当は考えているのか分からなかった。でも今は、ルシフが本気でこの世界から理不尽な死を減らそうとしていた、という思いを理解できた。今の僕らにできることは、その思いに報いることだけです」

 

 レイフォンの言葉に、ニーナは涙を流しながら何度も頷いた。

 

「……そう言えばレイフォン。あの時の返事、今できそうですか?」

 

「今って、ここでですか? 隊長もいるし、恥ずかしいんですけど……」

 

「わたしがいると都合が悪いなら、部屋から出るが。いや、わたしがいたら迷惑にしかならないか」

 

「隊長。らしくないですよ、そういうの。てか、そういう隊長本当にウザいので、早く立ち直ってもらえません? あと、隊長はこの場にいてもいいです」

 

「フェリ。お前はいつも辛辣だな。少しは慰めてくれてもいいじゃないか」

 

「誰かに優しい言葉を言われたら簡単に癒える傷なんですか?」

 

 ニーナはフェリの問いに思わず黙り込む。癒える筈がない。心を深く抉ったこの傷は。分かっている。この傷は自分の力で受け入れ、乗り越えていくしかないのだと。

 

「それでレイフォン、早く返事を言ってください。ちゃんと立会人もいますよ」

 

「立会人て……。結婚するわけでもないのに……」

 

「ふーん。わたしのことは遊びだったんですね。散々弄んでおいて、飽きたらさっさとポイですか。この人でなし」

 

「ちがッ! 人聞きの悪いこと言わないでくださいよ! 隊長のあの顔を見てください! めっちゃ動揺しちゃってるじゃないですか!」

 

「だったらいい加減、腹を括ってください。どうなんですか? どんな返事でも、わたしは受け入れるつもりです」

 

 レイフォンはチラリとニーナを見る。

 ニーナはハラハラと成り行きを見守っていた。どうしたらいいか分からないらしい。

 レイフォンは深呼吸し、覚悟を決めた。

 

「僕は、フェリといる時が一番僕らしくなれると思う。だから、ずっと傍にいてほしい」

 

 言い終えるかどうかというところで、フェリがレイフォンの胸に飛び込んだ。レイフォンが優しく抱きしめる。ニーナはこの展開に頭がついてきていないようで、ポカンとした表情をしていた。それが何故かおかしくて、レイフォンは笑った。

 

 

 

   ◆     ◆     ◆    

 

 

 

「ルシフくんが死んじゃってから三日。どう、そっちは?」

 

 赤髪の女医が正面に座っている。ここは診察室だが、診察するためにこの場にいるのではない。話をしたいと言ったら、この部屋に案内された。

 

「どうもこうもありませんよ。剣狼隊八十二名が除隊届けを提出。そのまま除隊。その中には隊長格のアストリット、バーティン、ハルスもいます。なお、彼らはみな、除隊しても助けが必要ならば必ず力になると約束しています。除隊届けを出さなくても、無期限の休みを希望してきた隊員が九十六名。今現在の剣狼隊の人数は六十五名。ルシフさんがいた時の約四分の一の人数です。また、各都市に派遣されていた役人も続々とイアハイムに戻ってきています」

 

「そういうあなたはどうなの、ゼクレティア? ていうか、妊娠してたのね。いきなり妊娠検査の結果を持ってきて話がしたいなんて、びっくりしちゃった」

 

「ルシフさんがヨルテムを制圧したすぐ後に、お願いしちゃいました」

 

「あら? それを口にするのはルシフくんとの約束を破るのではなくて?」

 

「ってことは、あなたもそうでしたか。レリーナさん。一年前に出産したとは聞いていましたが、誰の子かは言いませんでしたね」

 

「医者の私に話っていうのは、やっぱりその関係?」

 

「我が子の出生届けの偽造をお願いしたいんです」

 

「まあ、お金払ってくれたらやるわよ? それが患者のためになるなら」

 

「あれ? ルシフさんの遺産を受け取らなかったのですか? あれだけのお金があれば、困りませんよね?」

 

「ああ、あのお金? 医療施設と医療設備が不足してる色んなところに寄付してばらまいちゃった。全部すっからかんよ。だからいっぱい働かなくちゃ」

 

「わたしも孤児院に全部寄付しましたよ。わたしたち二人だけでなく、受け取った人全員が福祉関係や医療関係に寄付してます」

 

「あらやだ。全部知ってた上でここに来てたのね、この確信犯」

 

「こう見えても剣狼隊の秘書をやらせてもらっていたので」

 

 ゼクレティアが胸を張る。二人は吹き出し、笑い声をあげた。

 

「なんていうか、ルシフくんに気にかけてもらえたってだけで満足しちゃったのよね。ルシフくんの子を授かる時に、自分の力だけで育てるって決めてたから、援助をそのまま受けるのは裏切りになるって考えたの。たとえルシフくんからの援助でもね」

 

「わたしも、似たような感じです」

 

「マイちゃん、どうしてる?」

 

「剣狼隊の兵舎には一切顔を出さず、毎日ルシフさんのお墓の前にいますよ。朝から夕方まで、ずっと」

 

「ルシフくんが死んだ時、マイちゃんは気を失ってたからイアハイムに連れて帰ったの。私はルシフくんがいたからヨルテムで働いてもいいと思ってただけだし、マイちゃんもヨルテムに未練なんてないと確信してたから。

マイちゃんは目覚めると、ひどく取り乱して病室を出ていったわ。一心不乱に走る彼女を追いかけると、ルシフくんの棺がちょうど埋められるところだった。マイちゃんは周囲からの制止の声も聞かずに棺を無理やり開けた。そしてルシフくんの頭を持ち上げてその口に口づけを──」

 

「もういいです!」

 

 レリーナの言葉を遮り、ゼクレティアが怒鳴った。

 

「わたしは一度聞いた話は忘れられません。それ以上は聞きたくありません」

 

「あの子の心は粉々に壊れたわ。世界を閉じて、世界の全てを拒絶してる」

 

「それだけ、ルシフさんの存在が大きかったんです。わたしも、以前は仕事をしっかり頑張ろうと思えたのですが、今は何もやる気にならなくて……」

 

「ルシフくんのために生きることを目的にしていた人たちは、生きる目的を失った今、何に対しても無気力になっているでしょうね。剣狼隊しかり、役人しかり。ルシフくんの死を受け入れ、乗り越えていくか。それとも乗り越えられず、潰れていくかは当人次第ね。あ、そういうこと」

 

「何がです?」

 

「あなたがここに来た理由よ。偽造だけじゃなくて、入院したくて来たんでしょ?」

 

「そこまでお見通しですか。もうなんか疲れちゃったんです。ルシフさんに仕えていた頃のお金はたくさん残っていますし、一年くらいは出産に専念しようかと。その後、ルシフさんのいない世界でも、ルシフさんの理想のために頑張れるかどうか、ゆっくり決めていきたいと思います」

 

「いつまでも居てくれていいわよ。お金は取るけどね。それが医者と患者のルールだから」

 

「お世話になります」

 

 ゼクレティアはレリーナに深く頭を下げた。

 

 

 

   ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 マイはルシフの墓石の前に座っていた。

 殺しに行っても全て防がれてしまうため、マイはとりあえず警戒が弱まるまで大人しくしようと考えた。

 

 ──死ね! 死ね! 死ね!

 

 頭に響き続ける声に、マイは顔をしかめた。

 声が聴こえる。私の死を願う世界の声が。

 ルシフの声はノイズが酷く、よく聴き取れない。

 今のままじゃ、ルシフの声は世界の声に掻き消されてしまう。

 

 ──ぬいぐるみ! ルシフさまが憑依できるぬいぐるみを買ってこよう!

 

 素晴らしいアイデアだと自分を褒めながら、ぬいぐるみを売っている店に行った。

 店内を歩いてぬいぐるみを見て回ってみたが、しっくりくるものがない。ルシフさまの依り代になるものだ。しっかり選ばなければルシフさまが不機嫌になってしまう。

 イアハイムではなく、物流の中心であるヨルテムならば、運命の出会いがあるかもしれない。

 そう考え、マイはヨルテムに行った。まだルシフから解放されたことを祝福するお祭騒ぎは収まっておらず、大通りを大勢の人が踊りながら歩いている。

 道行く人々の中には笑い声をあげながら、ルシフについての悪口を言っている者もいた。

 一気に気分が悪くなる。

 だからヨルテムに来るのは嫌だったのだ。イアハイムだけはルシフの死を哀しみ、悪口を言う者もいない。居心地は一番良い都市だった。

 全ての人間が汚なく見える。醜悪な笑みを浮かべ、ルシフを罵っている。マイは人間という種そのものに絶望し、心の底から憎悪するようになっていた。

 

「お前らみんな滑稽な生きものだ! どの生きものよりも汚なくて醜いのに、誰もそれに気付きもしない! 一人残らず死ね! 人間なんて絶滅しろ!」

 

 いきなりそう叫んだマイに、周囲の人たちは冷ややかな視線を浴びせる。

 

「いきなり何言ってるの、あの子?」

「あの女、ルシフに従ってた念威操者じゃね? ルシフに感化されて頭イっちまったんだよ。ほっとけ」

「ままー、あのお姉さんいきなりどうしたのー?」

「しっ! 指さしてもいけません! さ、早くあっち行くわよ」

 

 私がイカれてる? 違う。イカれてるのはお前らの方だ。

 好奇の視線に晒されながら、マイは足早にその場から立ち去った。

 ぬいぐるみが売っている店に入る。イアハイムの店とは種類も量も比べものにならないほど多かった。

 人の形をしたぬいぐるみは論外。動物のぬいぐるみにしようとずっと決めていたが、ルシフは動物で例えたら何になるだろう、と動物のぬいぐるみを眺めながら考える。

 どこか犬っぽいところもあれば、猫っぽく感じる時もある。どの動物がルシフに当てはまるというより、どの動物もルシフに当てはまるが、単体でルシフを表現できる動物はいない、と言う方が正しいだろう。

 これでもないあれでもないと視線をキョロキョロさせていると、一つのぬいぐるみに目が留まった。

 様々な動物の特徴を混ぜ合わせたぬいぐるみである。値札のところには『合成獣キメラちゃん!』と書かれていた。

 

 ──キミにしよう。運命の出会いはやっぱりあった。

 

 マイはレジに合成獣キメラちゃんを持っていき、会計を済ませた。

 機嫌を良くしたマイはすぐさまイアハイムに帰り、墓石の上に合成獣キメラちゃんを置いた。

 

「ふふっ、これでいつでも話せるね、ルシフさま!」

 

 マイは屋敷に帰る時も合成獣キメラちゃんと一緒に帰り、お風呂以外は寝る時でさえ合成獣キメラちゃんを持ち歩いて傍に置くようになった。

 日が昇るのと同時にルシフの墓まで合成獣キメラちゃんと出かけ、日が落ちると合成獣キメラちゃんと一緒に帰る。いつしかマイは合成獣キメラちゃんをキィーちゃんと呼ぶようになった。

 

「ルシフさま、どうかな? 綺麗なドレス着てみたんだけど。ルシフさまって赤が好きだよね。え、似合う? 本当に? やったぁ! ルシフさまのために着てきた甲斐があったよ!」

 

「ルシフさま、美味しいスイーツを買ってきたよ。上にのってるイチゴが甘くて美味しいの。え、食べたいの? もう、ルシフさまの食いしん坊! あげない! ふふふふふふ」

 

「ルシフさま、見て見て! 白い薔薇の花をお花屋さんで買ってきたの! 珍しいよね! うん、やっぱりルシフさまもそう思う? とっても綺麗よね! 今供えてあげるからね! あははハハハ」

 

「ルシフさま、どうこのイヤリングと指輪? キラキラしてて、まるで別人になったみたいでしょ? ああ、そうだったんだ。ルシフさまってキラキラしたアクセサリーが嫌いだったんだね。ううん、気にしてないよ。ルシフさまが喜んでくれるアクセサリー探すの楽しいから。また見せてあげるよ。ふふっ、アハハははハ」

 

「ルシフさま、素敵な時計を買ったの! えっ、時計なんてどれも一緒? 時間がわかればいい? もうっ、ルシフさまったら! 同じ時計でも可愛いのとか色々凝ったやつとかあるんだから! えっ、今度見たいって? うん、今度来る時に持ってくるね! アハハハハハ」

 

 合成獣キメラちゃんを買ってから五日後の夜。

 マイは合成獣キメラちゃんを抱きしめながら、ルシフから与えられた屋敷に帰っていた。

 

「今日もキィーちゃんのおかげでいっぱいルシフさまと話せたよ。ありがとお」

 

 屋敷の扉を開けて、中に入る。

 扉を閉めた瞬間、誰かがマイを通路に押し倒した。

 

「ぐっ……!」

 

「よう。久しぶりだなあ」

 

 ボサボサの髭をした中年の男がマイの上に乗っている。

 

「叔父さん!?」

 

「おうよ、感動の再会ってやつだ。お前が家出した時は探したんだぜ。それをお前、あろうことかアシェナ家に逃げ込みやがって。お前の親権をかけた裁判も、俺には養育していく能力がねえって、アシェナ家に親権を持ってかれちまった。けどよお、今となっちゃアシェナ家も絶えた。あの忌ま忌ましいガキも死んだ。俺がこの十一年、どんな思いで生きてきたか知ってるか? 屈辱的な扱いをされながらも、いつかお前を取り戻してやるって毎日思ってたんだぜ? つうか、なんだこのぬいぐるみ? 気持ち悪い見た目しやがって」

 

 叔父がひょいと合成獣キメラちゃんをつまんだ。

 

「やめて! キィーちゃんに触らないで!」

 

 マイが涙目で叫んだ。

 叔父が下品な笑みを浮かべる。

 

「なんだよ。お前こんな化け物にお熱なのか? 化け物の下僕だったからって化け物を好きになっちまうとか、もう調教済みかよ。けど、随分『遠回り』したが、やっぱりお前の人生は男に寄生し、男を悦ばせるだけの人生なんだ。ほら、ぬいぐるみ千切ってほしくなかったら、俺の言うこと聞きな」

 

「なんでも言うこと聞くから! キィーちゃんを返して!」

 

「返しちまったら言うこと聞くか分かんねえだろ? そうだな、まず服を全部脱いでもらおうか? お前の叔父だからな、お前がどれだけこの十一年で成長したか見てやんねえと」

 

「……分かり……ました。上からどいてください」

 

「おう」

 

 叔父が上から身体をどかした。

 叔父は逃げ道を塞ぐように玄関の前に立っている。

 マイは立ち上がり、ゆっくりと服を脱いでいく。叔父は鼻息を荒くして、マイを舐めるように見ている。

 下着一枚になった瞬間、マイの全身から念威が迸った。念威が叔父を包み込み、ノイズと頭痛を誘発させる。念威妨害。

 

「がああああああッ! マイ、お前──」

 

「レストレーション」

 

 念威はマイの服も覆っていた。錬金鋼は念威と声があれば復元できる。身体に身につけている必要はない。

 六角形の念威端子が襲いかかり、叔父の腕を突き刺す。叔父は激痛で合成獣キメラちゃんを床に落とした。

 下着一枚で隠しもせず、マイは叔父に近付いて合成獣キメラちゃんを拾い上げた。叔父の血がべったりと付いている。

 

「まっ、待ってくれ! 久しぶりに姪と会えたから舞い上がっちまったんだ! 俺が悪かった!」

 

 叔父は恐怖で顔を引きつらせていた。

 

「犬の真似をしろ」

 

「は? 犬?」

 

 六角形の念威端子が再び叔父に殺到する。叔父の全身に端子が突き刺さった。

 

「ぎゃああああああッ!」

 

「犬の真似をしろって言ったのよ、叔父さん?」

 

「し、したら助けてくれるのか!?」

 

「さあ? それは分からない。でも、やらなかったら絶対に殺す」

 

 叔父はマイの殺気に当てられ、顔を青ざめながら四つん這いになった。

 

「おすわり!」

 

 叔父が犬のおすわりのポーズをする。

 

「フフフ、アハハハハハははははハハハははハハハハハハ!」

 

「……これで助けてくれるんだな!?」

 

「駄犬は死ね!」

 

 端子が叔父の首を切り裂き、叔父はそのまま玄関で息絶えた。

 マイが血の付いた合成獣キメラちゃんを抱えて屋敷を見て回ると、窓の一つが外側から割られていた。どうやら叔父は窓を割って屋敷に侵入していたらしい。

 マイは服を着て、真っ暗になった外に出た。走り続け、ルシフの墓の前に行き、正座する。墓石の上に血塗れの合成獣キメラちゃんをのせた。

 

「ルシフさま、わたしにはわからないよ。強く生きるって何? どういう生き方が強い生き方なの? ルシフさまのように生きようとしたけど、やっぱり私の人生は男にずっと弄ばれるだけの人生なのかな?」

 

 ──マイ、辛いのか?

 

「うん。辛いの。とっても。こんな世界にいたくない」

 

 ──マイ、俺も寂しい。お前に傍に来てほしい。

 

「えっ? ルシフさま、寂しいの? なら早くそう言ってくれれば良かったのに。約束したよね? ずっと傍にいるって。今、ルシフさまのお傍に行くからね」

 

 マイが錬金鋼を復元し、マイの全身に六角形の念威端子が突き刺さった。

 世界が真っ白になっていく。真っ白な世界の中、マイの目の前でルシフが両手を広げていた。マイはルシフの身体に抱きつく。ルシフの身体はびっくりするほど冷たかった。

 

 ──そうだよね。こっちの世界の身体が温かくても、向こうの世界が温かいとは限らないもんね。

 

「フフッ、アハハハハハ……」

 

 そんな当たり前のことがおかしくて、マイは涙を流しながら笑い続けた。

 

 

 

 

 深夜、イアハイムにてマイ・キリーの死体発見。発見当時、マイ・キリーはルシフ・ディ・アシェナの墓石に抱きついたまま死んでいた。失血死である。この凄絶な死は瞬く間に全都市に伝わり、民衆の話の種になる。

 それから三日後、全都市長会議がヨルテムの王宮にて行われた。各都市の自治権が認められるが、人類全体を考えて決める組織が必要との声も多数上がり、人類守護会が設立。各都市からそれぞれ人員を選抜し、会長にはカリアン・ロスが就任。

 二週間後、外界調査隊が各都市で創設される。実際は念威操者に任せれば外の調査は問題ないため、実質的な目的としては武芸者を増やすための口実である。

 一ヶ月後、それぞれの分野でコミュニティが結成される。各コミュニティへグレンダンは内密に人を派遣し、内通者を通してコミュニティの動きをコントロールするようになる。

 二ヶ月後、各都市の道徳の教科書にルシフのことが書かれる。こんな人間を二度と出さないよう、ルシフがどれだけ人間として悪だったか悪行と合わせて書かれ、反面教師として使われる。イアハイムの人々はルシフのその扱いを強烈に非難し、教科書からルシフの部分を削除するよう要請。署名活動をして一万人以上が集まるが、それを提出しても教科書からルシフの部分を削除することは却下された。

 三ヶ月後、ミィフィ・ロッテンが『暴王の素顔』という、ルシフに関することで様々な人からのインタビューの内容をまとめた本を自費出版する。批判の嵐を巻き起こしたが本は飛ぶように売れ、増刷を繰り返し、ベストセラーとなる。

 その後、ルシフ名君説と呼ばれるものが生まれた。実はルシフは名君だったのではないかという論理を展開する者が現れ始める。ルシフが暴君か名君かは長い間決着のつかない問題となった。

 半年後、イグナシスがグレンダンを襲撃。全都市にも大型の巨人が多数出現。イグナシスの軍勢を率いていた首領はレヴァンティンという人型で、強大な力を持っていた。だがルシフという史上最悪の災禍を倒し、また一丸となった人類の敵ではなく、極僅かな犠牲でレヴァンティンを撃破。この時の避難誘導と民衆の守護でハルス、オリバ、バーティンが戦死。

 イグナシス襲撃から数日後、天剣授受者は目覚ましい活躍をして人類を守護したとして、天剣授受者を全武芸者の頂点に君臨する十二人に与えられる最高の栄誉にしようという声が多数あがる。グレンダン都市長アルシェイラがそれを容認したため、天剣授受者は人類にとって最高の守護者という意味へと変貌した。

 八ヶ月後、デルボネが老衰死。天剣授受者の後任として、フェルマウス・フォーアが任命される。

 二年後、全都市で協力し、足並み揃えてこれからやっていこうという目的から、レギオス同盟が締結。盟主には、多大な功績をあげてきたグレンダン都市長アルシェイラが選出され、各都市に対しての発言権を得た。

 

 

 

   ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 レギオス同盟が締結された日。

 すでに日は西に傾き、空を赤く染めている。

 

「いつ来ても、お前の墓は花で溢れてるな」

 

 金髪を肩より少し下まで伸ばした女性が、ルシフの墓の前に立った。ルシフの墓の隣にはマイの墓がある。

 金髪の女性の後ろには様々な立場の人間が立っていた。

 

「お前のおかげだ。お前がわたしたちに現状から逃げても何も変わらないと教えてくれた。立ち向かう勇気と強さをもらった。お前が立ち上がったその日から、人類には新しい風が吹き始めた。これからもお前の勇姿と思いを胸に、より良い未来へ進み続けよう。お前も見守ってくれると嬉しい。いや、お前ならこう言うか。『こんなところに来る暇があったら、理想に向かってやるべきことをやれ』と。その通りだ。返す言葉もない。だが、ここに来たくなるんだ。また、来る」

 

 金髪の女性がルシフの墓に背を向けた。

 瞬間、強風が背後から吹き抜ける。

 強風はルシフの墓に供えられていた花の花びらを巻き込み、花吹雪が夕焼けの空いっぱいに乱れ舞った。

 金髪の女性は空を見上げ、その光景を目に焼きつけながら微笑んだ。




こんな結末じゃ納得できねえ!と言う方は次話以降も読んでもらえると嬉しいです。
逆にこの結末でこの物語を締めていいわと言う方は、今まで読んでくださりありがとうございました。
個人的には、この結末で終わらせたくありません。転生者関連の伏線丸投げだし、あれだけルシフに心酔していた剣狼隊があっさりルシフに敵対するのも、作者の駒として動かされた感じがします。

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