鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第96話 転生者

 エリゴは刀を握りしめた。

 エリゴだけはがむしゃらにルシフのところに突っ込むのではなく、冷静を保って部隊を指揮し続けた。隊員は「一刻も早くルシフを助けるべき」と口を揃えて言っていたが、エリゴは「この場で陽動を続けることが他の隊を助けることになり、結果として旦那を助けることに繋がる」と言って隊員たちを抑えこんだ。事実、エリゴの隊の方にもグレンダンの武芸者の集団が襲いかかってきていたので、その分他の隊が楽になっていた。

 エリゴも内心では、他の隊のようにルシフのところへ突っ走りたかった。だがあることがしこりのようにつかえ、その気持ちにブレーキをかけている。そのブレーキも、今となってはきかなくなりつつあるが。

 原因は念威端子からのルシフの声。

 

『どいつもこいつも潰されて精々した! 愚かなゴミどもだ! ハハハハハハ……!』

 

 ──旦那、あんたって人は……。

 

 エリゴは身体を震わせていた。隊員もエリゴと同じく、身体が震えている。

 ルシフに罵声を浴びせられたことに対する怒りではない。それなりにルシフと長い付き合いであるエリゴら剣狼隊は、罵声を口にするルシフの真意を察したのだ。

 ルシフは自身に忠誠を誓って働き続けた剣狼隊すらただの道具としてしか見ていない最低な王をあえて演じることにより、剣狼隊がルシフを救おうとしたのはその忠誠心からだと第三者に印象づけ、剣狼隊がルシフ個人を慕っているから助けたという印象を薄くした。死後も剣狼隊は民から慕われる存在でありますように。そんなルシフの言葉なき願いを、まだ生き残っている剣狼隊は罵声の裏に感じていた。

 剣狼隊は更に目がギラつき、気迫と闘気を充実させ、襲い来るグレンダンの武芸者たちと闘う。グレンダンの武芸者たちは誰もが困惑し、剣狼隊の猛攻に後手に回っていた。

 

「何故貴様らはあんな言葉を言われ、より一層気を昂らせているのだ!? ルシフなど、最低な奴ではないか! 貴様らがそこまでして奴のために闘う必要はない!」

 

「そうやって上辺しか見ないから、お前らはダメなんだ!」

 

「真意も察しろと? それが傲慢だと何故分からん!」

 

「真意を察しようとしないくせに、偉そうに──!」

 

 グレンダンの武芸者と剣狼隊が言い争いながら、お互いの武器を交え続ける。

 

 

 

 マイは念威端子のボードに乗って移動していた。マイにとって幸運だったのは、剣狼隊が突撃を開始したことによるグレンダンの武芸者の迎撃だった。ルシフのいる場所は激しい攻防が繰り広げられているため、アルシェイラたちしか近くにおらず周りは空白地帯のようになっていたが、その外円を囲むようにグレンダンの武芸者たちは動いたのだ。

 グレンダンの武芸者たちが剣狼隊と闘っている上空をマイは通り抜けていた。無論マイに気付き、弓や銃で攻撃してきた者もいるが、それらはマイの念威端子の盾に防がれ、効果は無かった。

 天剣授受者やバーメリンならばマイを余裕で倒せるが、彼らはマイに対して一切攻撃を加えなかった。彼らはレイフォンやマイアスでのルシフの暴走を見ていたカナリスらの情報により、マイに危害を加えることによる危険性を把握していた。それでもその情報を武芸者全員に周知させていないところを見ると、万が一その情報が漏れてルシフに利用されたら、という恐れも窺える。ルシフがマイを前線に送るなどよっぽどのことがなければやらないが、グレンダン陣営にそれが分かろうはずもない。

 マイは念威端子のボードから飛び降り、笑い続けているルシフに駆け寄った。アルシェイラたちはこれで下手に手を出せばマイの身が危ういと考え、攻撃するのをためらっている。

 そうしている間に、剣狼隊の何人かがグレンダンの武芸者による防衛線を突破し、ルシフの元に駆けつけた。それぞれ武器をアルシェイラたちに向けて構え、見据える。

 

「ルシフさま! この場は撤退しましょう! ルシフさまがその気になれば撤退できるはずです!」

 

「……撤退?」

 

 ルシフが笑うのを止め、そう呟いた。

 

「俺に逃げろと言うのか!」

 

 マイは涙目になり、両膝を地につけてルシフのボロボロの黒装束にすがりついた。

 

「ルシフさまに生きてほしいんです! ルシフさまがお亡くなりになられたら、誰がルシフさまの理想を実現できるのですか!?」

 

 上目遣いで見上げてくるマイを見て、頭痛が激しさを増した。熱も出てきたようで、クラクラする感じもある。自分自身が揺らいでいるから、ヤツが俺の身体を乗っ取れると張り切っているのだ。思い通りになどなるものか。

 

「ルシフさまを誤解している連中も、いつかルシフさまの思いと信念を必ず理解します! ルシフさまが犬猫のように人が死なない、人間らしく自分の未来を選んで生きられる世界を実現しようとしていることも! ですから、今は生きることを何よりも優先してください!」

 

 マイの最後の言葉は、ルシフの耳に届いていなかった。

 

「……人間らしく……自分の未来を選んで生きる……?」

 

 転生者の記憶が甦る。

 この人間の人生には、選択肢が無かった。だから、死の間際に力を望み、選択肢のある人生を望んだ。

 その願いを俺は無意識の内に叶えようとしていた?

 ルシフは頭を右手で押さえ、顔をしかめる。頭痛が今までの中で一番激しい。

 

 ──俺が、生まれた場所や親に関係なく誰もが未来を選んで生きられる世界に執着していたのは、本当はマイのためではなく、ヤツの願いだったからなのか?

 

 なら、俺は何なのだ? 俺は本当にルシフなのか?

 今まで生きてきた記憶が走馬灯のように駆け巡る。

 

 ──そう言えば、何故俺は力無き弱者を痛めつける時、あんなにも不快な気分になった?

 

 元々俺は、どんな人間だろうが痛めつけたところで不快な気分になど、ならなかった。それがいつの間にか、弱者を痛めつけることがたまらなく嫌になり、痛めつけたら嫌悪感が生まれるようになった。それは本質の部分であり、信念を強く抱いていたとしてもそこまであからさまに変貌するだろうか?

 

 ──まさか、俺は思い違いをしていたのか?

 

 転生者に身体を奪われる時はコインの裏表のように入れ替わると考えていた。だが、白紙に墨を塗るように人格を侵食して最終的に転生者の人格に形成されるのが真実なのだとしたら……。

 

 ──だとしたら、今の俺は誰だ……?

 

 頭痛が今までで一番と言っていいほど酷くなる。頭が割れるかと思うほどだ。

 

「がッ……!」

 

 ルシフは頭痛の酷さに耐えきれなくなり、両膝を地につけた。顔を俯ける。

 

「ルシフさま! どうされました!?」

 

 マイが心配そうにルシフの顔を覗きこもうとする。剣狼隊の隊員たちもルシフの異常に気付き、ルシフに駆け寄った。

 

「あ……あああ……ああぁぁぁッ!」

 

 ルシフが叫び声をあげた。

 その後、信じられないことが起きた。誰もが何が起きたか理解するのに数秒を要した。

 ルシフがいきなり立ち上がり、目にも留まらぬ速さで剣狼隊の隊員二人の首をはねたのだ。

 

「……え?」

 

 首をはねられた隊員の近くにいた他の隊員たちは、血が噴水のように噴き出ている胴体を唖然とした顔で見ている。いや、その隊員たちだけではない。マイも、アルシェイラたちも、誰もが同じ顔で血が噴き出ている光景を凝視していた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 真っ暗な空間が広がっていた。周囲のどこを見渡しても闇しかない。だが不思議なことに自分の手や身体は闇に浮かび上がっているようにはっきりと見えた。

 ルシフは歩いてみると、地面と思っていたものが揺らめいた。どうやら自分が立っているところは地面ではなく、液体の上らしい。

 

「よう。また会えたな」

 

 唐突に声が聴こえ、ルシフは正面に顔を戻す。ルシフの姿を切り取ったような影が立っていた。口の部分だけが光で表現されている。光は笑っているように三日月型になっていた。

 

「貴様がいる……? どういうことだ? 俺は貴様と同化が進んでいたはず……」

 

「うーん、まあいいか。もう俺の身体になったし、種明かししてやるよ。

はーい、ではここに、ミルクとコーヒーが入ったグラスがありまーす」

 

 影が両手を前に出すと、それぞれの手にミルクとコーヒーのグラスが形成された。右手にミルクのグラスを持ち、左手にコーヒーのグラスを持っている。ここは精神世界であり、望むものを具現化できるのだ。

 

「このコーヒーが、お前の魂。で、こっちのミルクが俺の魂。では、ここで問題。コーヒーにミルクを入れたらどうなるでしょうか?」

 

 影がミルクのグラスをコーヒーのグラスに近付け、ミルクをコーヒーのグラスに少し注いだ。コーヒーに白が混じり、黒から茶色に変化していく。

 

「……嘘だ……」

 

「もう解るよな? お前はコーヒー牛乳になったんだ。お前本来の魂に俺の魂が少しだけ混じった存在。それがお前の正体。良かったな、最期に自分自身の真実が知れて 」

 

「嘘だ!」

 

「嘘なんか言うもんか。お前自身、心当たりがあるんじゃないか? 何かなかったか? 今まで生きてきて、自分自身が壊れたような錯覚をした時があったんじゃないか?」

 

「……自分が……壊れた……?」

 

 ルシフの脳裏に思い浮かぶのは、マイと初めて出会った日。あの日、自分が壊れるような感覚を確かに感じた。

 

『どうして、ないてるの?』

 

 幼いマイの声が再生される。

 あの時、何故泣いていたか分からなかった。いや、そもそも泣いていることにすら気付いていなかった。あの涙は、本来の俺の魂が別のものに変貌していくことへの怒りと悲しみ、悔しさからきた涙だったのか。

 

「心当たりがあるようだな。上手くやれて良かったよ。この際だから、もう一つ正直に言おうか。実はお前の身体はお前が生まれた時に奪えたんだ。少なくともそれから三年以内なら、いつでも奪えたんだよ」

 

 影がにやりと笑った。

 

「なら何故奪わなかった!? こんな回りくどいことをするくらいなら、即身体を奪うべきだっただろう!」

 

「おーおー、そんな興奮すんなよ。今からその理由を教えてやるからさぁ。よく考えてみな、鋼殻のレギオスの世界に行くんだぜ。俺はその知識があったから、はずれの場所に転生されられるんじゃないか不安だった。レギオスの世界は生まれた場所で人生が決まると言っても過言じゃないからな。確かに転生して新しい人生を歩んでみたいという気持ちは大きかった。けどそれ以上に、過酷で苦しい思いをして死ぬくらいなら、このまま痛みを感じずに死にたいと思ったわけだ。で、思いついたのが身体を奪う時期の変更。お前がそれなりに長く生きたなら、そこは少なくとも死が蔓延している場所じゃない。なんならグレンダン以外で武芸が盛んな都市に放浪バスで逃げればいい。例えば法輪都市イアハイムとかな。だが、時期を変更すれば身体を奪えなくなるというリスクも高くなる。お前の自我が形成され、身体に定着しちまうからだ。だから俺は考えた。自我が形成されるのを止められないなら、壊れやすい自我にすればいいってな」

 

「壊れやすい自我……? そうか、そういうことか。だから貴様は、俺の身体を奪おうとしても奪えないという茶番をし、俺が逆に貴様を取り込んだと思うようにいつの日かピタリと身体を奪おうとするのを止めた」

 

「人格ってのは環境が大きく影響するらしいからな、神の意思すらねじ伏せられる選ばれた人間だとお前を思い込ませたわけだ。だが、それだけじゃ確実に自我が壊れるとは言い切れない。だからお前がもっとも衝撃を受けて自我が揺さぶられた時、俺の魂の一部だけでもお前の魂にねじ込んだ。そうすれば、本来のお前であろうとするお前の自我と、実際の思考や性格にズレが生じる。いつか確実にお前の自我がぶっ壊れるってわけさ。どうだ? なかなかの計画だろ? 色々不確定要素の多い計画だったが、失敗したところで俺は一度死んだ身だからな。そん時はそういう運命だったと諦めてたさ。まあ結果として身体を手に入れたんだから、めでたしめでたしハッピーエンド! あ、お前からすればバッドエンドか。ハハハハハハ!」

 

 影にルシフの姿が嵌め込まれるように、影からルシフへと姿が変化していく。逆にルシフは闇に呑み込まれるように、身体が足から消えていっている。

 ルシフの姿になった影だったモノが、消えていくルシフの肩をぽんぼんと叩く。ルシフは茫然自失といった感じで、表情が抜け落ちていた。

 

「そう気を落とすなよ。人生なんてそんなもんさ。手のひらの上で人を転がしていたと思っていても、ふと下を見ると誰かの手の上だった、なんてことはざらだぜ。まあ、なんだ、それでも今まで楽しかったろ? 今まで俺の身体で楽しんできたんだから、次からは俺の番だ。たくさんの女をはべらせてさぁ、自分の好きに生きてやるんだ。異世界転生したヤツってのはみんなそういう生き方してるからな。俺だってできるさ」

 

 転生者はルシフとすれ違い、振り返る。

 ルシフの姿は完全に闇に呑み込まれていた。

 

「ククク、アハハハハハハッ!」

 

 ルシフの姿をした転生者は笑い続けた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

「ああああああ! 身体中いてえええええッ! 何やってたんだよ、あのボケ!」

 

 急に絶叫し意味不明なことを言ったルシフを、誰もが呆けた顔で見ていた。

 ルシフはそんな視線もお構い無しに、頭を二、三度右手で叩く。

 

「あー、クソ、今まで何やってたか全然思い出せねえ。まだ身体が馴染んでねえからか? そういやあ、俺の名前ってなんだったかな?」

 

「……ルシフ……さま?」

 

 マイが呆然と呟いた。

 転生者はマイの視線に気付く。

 

「ねえ、そこの可愛いお姉さん、俺の名前を言ってみてよ」

 

「え? ええ? ル、ルシフさま!? 一体どうしちゃったんです!? また何かを狙っての演技ですか!?」

 

「ルシフ、ルシフね。そういやそんな名前をアイツが言ってた気がするなあ。つーか、マジ身体いてえな。本当になんなんだよ」

 

 そこで転生者はアルシェイラたちが武器をこちらに構えていることに気付いた。

 転生者の顔が青ざめる。

 

 ──オイオイオイ、死ぬわ俺。

 

 そもそも、何故アルシェイラたちと敵対しているような空気になっているのか。ていうか、なんだあのアルシェイラの持ってる武器? 女王は素手専だろ。あの槍は確かデュリンダナにぶん投げた槍じゃねえか? てことは今はデュリンダナ襲撃時? いやいや、あの時アルシェイラは王宮にいただろ。それに空も晴れ渡ってるしよお、ああ! もう! 何がなんだかまるで理解できねえ! そもそも原作知識があってなんでアルシェイラに──というかグレンダンに喧嘩売ってんだよ! 勝てるわけねえだろうが! アイツのバカさ加減だけが計算外だったわ! と、とにかく謝ってこの場を乗り切ろう。

 

「女王陛下、私が愚かでした! ごめんなさい!」

 

 転生者が土下座した。

 その姿を見て、マイの表情が冷たくなる。マイは演技でもルシフが土下座しないことをよく知っていた。

 アルシェイラの眉がピクリと動いた。不愉快そのものといった表情になっている。

 あまりに今までのルシフとはかけ離れている。そもそも剣狼隊の隊員を殺した時点で、このルシフはもう完全な別人になっているとアルシェイラは確信していた。サヤからルシフは転生者の魂を持っていると聞いていたため、アルシェイラはとうとうルシフの身体が転生者に乗っ取られてしまったのだと察した。

 

「……あんた、自分が何やったか覚えてないの?」

 

「お、覚えています! 覚えていますとも! ですが、私の過ちにたった今気付いたんです! 心を入れ替えました! これからは女王陛下の力になり、女王陛下と共に敵を倒したいと思います!」

 

 アルシェイラが深くため息をついた。

 

「……もう謝って済むような次元じゃないのよ。わたしたちが許しても、民が許さない。それから、それ以上、その姿で醜態を晒してルシフを汚すな。ルシフに身体を返せ」

 

「……やだなあ、ルシフは俺ですよ。身体を返せって言われても、どうすればいいのか……」

 

 アルシェイラは転生者である俺を知ってる? あー、サヤがいるからか。そもそも俺はサヤに会ったから鋼殻のレギオスの世界に行くって確信したわけだしな。それはさておき、クソ面倒だ。このままじゃハーレムライフを漫喫できねえじゃねえか。

 

「あの、陛下。さっきから何を言ってるんです?」

 

 レイフォンが困惑しながら訊いた。

 

「細かい話は省くけど、ルシフは魂を二つ持って──ああ! めんどくさッ! 要すんにルシフは二重人格なのよ。今はルシフとは別の人格がルシフの身体の主導権を握ってる」

 

 普通なら、誰もがアルシェイラの頭がおかしくなったと思うところだろう。

 だが、誰もがアルシェイラの言葉を抵抗無く受け入れた。ルシフという男はそれくらい強烈な存在感を放つ男だった。今のような全く気概もプライドもないルシフなど、演技だとしてもやらないし、命乞いなどもってのほか。ルシフが命乞いしないのはアルシェイラと第十七小隊なら皆知っている。

 アルシェイラたちが剄を高め、気迫のこもった目で土下座している転生者を睨む。

 彼らの目を見て、転生者は謝っても無駄だと気付いた。

 転生者は立ち上がり、ぎこちなく方天画戟を構える。彼は前世でこのような武器を使ったことはなく、武術の心得もない。映画やドラマ、アニメの知識から見よう見まねで構えるのは当然だった。

 

 ──ああ、クソいてえなちくしょう! この身体の痛みだけでもどうにかなんねえのか?

 

 転生者がそう思った途端、転生者の身体を巡る剄が肉体を活性化させた。身体の傷がみるみる塞がっていく。

 

「お? おお?」

 

 転生者が驚きの表情で自身の身体を凝視している。

 しまった、とアルシェイラたちは思った。図らずも回復する余裕を与えてしまっていた。

 アルシェイラたちが一斉に攻撃を開始した。剄矢、衝剄が放たれ、鋼糸がうねり、アルシェイラ、レイフォン、サヴァリス、カナリスが襲いかかる。

 その光景を見た剣狼隊の女隊員がマイを抱き抱え、転生者のいる場所から後方に跳んだ。他の隊員たちも全員同様の動きをしている。原因は分からないが、ルシフが今までのルシフと全く違う人間になっているのは疑いようのない事実であり、たとえルシフの姿をしていても仲間を平気で殺すような奴の力にはなりたくないという思いが、彼らに転生者への助太刀ではなくその場からの離脱という選択を選ばせた。

 

 ──あ、死んだ。

 

 転生者は眼前に広がる攻撃密度の高さに、自身の死を予感した。

 そこで再び自身の身体が転生者の意思に反して動く。方天画戟に剄を一瞬で集中させ、横に一薙ぎ。方天画戟からとてつもない衝剄が放たれ、転生者に襲いかかったありとあらゆるものが吹き飛ばされた。

 

「ぐッ、これは……!」

 

 アルシェイラは転生者の衝剄を二叉の槍で防いだが、後方に吹き飛ばされた。宙で体勢を立て直し、着地。他に襲いかかった者たちも同様に着地している。戦闘不能になった者はいない。いないが……。

 

 ──もしルシフの技量をアイツが受け継いでいるのだとしたら、ヤバイわね。

 

 ルシフは信念を優先していたから、自らの圧倒的な戦闘技術を制限していた。化錬剄で剄に斬性を持たせての斬撃も、衝剄に火を混ぜ込んでの熱線もやってこなかった。急所も狙わなかった。

 だが、アイツは違うだろう。信念などない。死にたくないから、自分を脅かす存在はなんだろうと殺す。それにルシフが今まで研ぎ澄ませ続けた技量という名の刃を持たせたらどうなるか。考えたくもない。殺人鬼の完成だ。

 

「おお! なんだこれ! すっげえ!」

 

 転生者は今の一薙ぎに目を輝かせていた。どうやら命の危機にさらされると身体が反射的に最適な行動を選択するらしい。そうなるほどに何度も何度も身体に染み込ませ続けたルシフの努力の結晶。

 

 ──はーん、なるほど。アルシェイラぶっ殺せる力があったから喧嘩売ったのか。やっぱ異世界転生はこうじゃなきゃいけねえよな!

 

 他人の努力や力をそのまま横取りし、当人はその貯金で遊びまくる。これこそ、転生者の望んだことであった。できれば苛酷な環境を生き抜くために努力した成果を身体を奪う時に一緒に奪えたらいいな、と思っていた部分もあるから、そういう意味でルシフは最高の踏み台だったと言える。

 そうと理解した転生者が起こした行動は単純。ただアルシェイラに突っ込む。構えも何もない。ただ方天画戟を持って走る。誰もこの走りが戦闘中の走りだと思わないだろう。

 アルシェイラが二叉の槍を突き出す。それを反射的に方天画戟で防ぎつつ、転生者は蹴りを放った。アルシェイラが身体をひねり、蹴りをよける。アルシェイラの脇腹が切られ、血が溢れた。蹴りの延長線上にいたグレンダンの武芸者たちは左右に真っ二つにされた。

 

「……ッ!」

 

 アルシェイラは蹴りから放たれた斬性を帯びた衝剄の爪痕を見て、戦慄した。少なくとも数百メートルという距離の間にいた全ての人間の身体が縦に切られている。腕を、足を、胴体と頭を切り裂かれ、悲鳴が外縁部に満ちた。

 幸運だったのは、まだ縦方向による斬撃だったことだ。これが横方向の蹴りで放たれていたなら、死者は何百人と増えていただろう。

 

「ははッ、たまんねえ! 人がゴミのようだ!」

 

 転生者は自身の起こした惨劇を見てはしゃいでいた。笑い声をあげ続けている。

 

「一刻も早く殺す……」

 

 レイフォンの目が据わっていた。レイフォンだけではなく、全員の表情が鋭くなった。被害が増える前に速攻でけりをつけなくてはならない。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

『何を考えているのです!?』

 

 メルニスクのところに『縁』を通してシュナイバルの声が聴こえた。

 

『メルニスク! しっかり役割を果たしなさい! ルシフの身体にはもう一つの魂が定着しました! ルシフの魂は呑み込まれてしまったのです! あなたの力はもう貸さなくてよいのです!』

 

 メルニスクが転生者に力を貸さなければ、ルシフの地力は天剣授受者レベルのため、アルシェイラは容易くひねり潰すことができる。それに、ルシフともしこうなった場合に備えて、どう行動するべきか事前に話をしていた。

 それでも、メルニスクは転生者に力を貸すことをやめなかった。やめてしまえば、転生者は確実に死ぬ。ルシフの身体とともに。そうなれば、もうルシフが身体を奪い返す機会は永遠に来ない。

 

「ルシフよ……汝はそんな者に負けてしまうほど弱くないはずだ。早く身体を奪い返せ。それまで、汝の身体は死なせはせぬ」

 

『ああ……メルニスク。あなたもまた、ルシフに魅いられてしまっていましたか……』

 

 ルシフの圧倒的なカリスマ性が、ルシフならば最終的にどんなことも乗り越えてくると疑いもせず信じてしまう。ルシフの在り方が、ルシフに多大な期待感と全能感を抱かせる。それはまさにどんな相手も魅了する武器であると同時に、どんな相手も盲目にさせる凶器だった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 真っ暗な闇を漂っていた。

 何も無い。何も見えない。何もできない。

 この場所では剄が使えない。どれだけ頭を使おうと、頭脳も活かせない。

 ルシフはこの空間において、無力な存在であった。

 ルシフの目は開いているが、何も映していない。

 

 ──剄も頭脳も、この場所では無価値。

 

 何故なら、後天的なものだから。魂となった自分にそれらは宿らない。ならば、何をもって自分はルシフと言えるのか? 力と頭脳を俺から取り除いたら、何が残る? 何も残らない。俺には、何もない。力と頭脳しかない。

 だがどれだけ力と頭脳を磨いても、結局神には──運命には勝てなかった。どれだけ努力しても、俺は自分の運命を変えられなかった。

 

 ──もういい。もう疲れた。

 

 さっきから、眠くて仕方ないのだ。もうこのまま眠気に身を委ねて寝てしまおう。寝ればおそらく二度と目覚めないだろう。もうこんなことを考えなくてもいい。この息苦しい檻から解放される。

 ルシフの意識は深淵の闇へと堕ちていった。


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