鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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エピローグ 心ある魔王

 この世界の人間には魂がある。

 なら、魂は身体の何に宿る? 心臓? 脳? 違う。全然違う。臓器に魂が宿るわけがない。血だ。全身を巡る血が止まった時、人は死ぬ。それだけじゃない。血には遺伝子情報が凝縮されている。

 

 ──ルシフさま。

 

 ルシフの胸に抱きつき、傷口に口を当ててルシフの血を飲み続けた。もう飲めなくなるくらい、ルシフの血を飲んだ。

 

 ──ルシフさまと私の魂よ、混ざれ。混ざり合って一つになれば、来世でもあなたと一緒にいられるよね。

 

 ルシフから顔を離し、杖を剣帯に挟み、首の赤いスカーフを外し、六角形の念威端子を首に当てる。

 ふと、ニーナと目が合った。悲しそうに涙を流し、顔を歪めている。

 確かに私はこれから死のうとしている。でも、この世界に絶望したから死ぬんじゃない。ルシフと来世も一緒にいられると信じて、希望を持って死ぬんだ。

 だから笑った。自分は希望を持って死ぬんだと分からせるために。同情なんかさせないために。

 六角形の念威端子で首を深く斬った。ちゃんとルシフに私の血がかかる位置で斬ったため、首から噴き出した血はルシフの全身に浴びせられた。

 

 ──今、ルシフさまは私の魂に包まれてるんだ。

 

 そう考えただけで、とても嬉しい気分になった。

 血を噴き出しながらも、ルシフに抱きつく。

 

 ──ルシフさま。ずっと私が傍にいます。独りになんかさせません。来世でも私とルシフさまはずっと一緒だからね。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ルシフ死す──。

 この事実は瞬く間にグレンダン外縁部のみならず全レギオスに伝わり、それぞれのレギオスの民は恐怖からの解放に喜んだ。

 生き残っていた剣狼隊の面々は次々に武器を手放し、地面と武器が衝突する音が響く。

 

 ──何故だ。

 

 ニーナは両鉄鞭を握りしめた。

 マイの顔が真っ赤になっている。死んだルシフの身体に抱きつき、その胸に顔をうずめたからだ。そんなことをすれば、当然血が顔につく。しばらくそうした後、マイは顔を離し、今のルシフの血にまみれた顔がある。

 

 ──何故なんだ。

 

 ニーナの全身を悲しさと虚しさが包んでいた。

 マイは杖をそのまま剣帯に挟みこみ、六角形の念威端子を一枚両手で持って首すじへと当てていた。首すじには火傷の跡がある。いつも付けている赤いスカーフは地面に落ちていた。端子を首に当てる時外したからだ。

 マイと目が合った。両目から止めどなく涙を流しながらも、透き通るような笑みを浮かべる。血まみれの顔なのに何故かとても美しく、とても悲しくなる笑顔だった。

 これからマイがしようとすることに、ニーナのみならず他の誰もが察しがついていた。しかし、誰もマイを止めない。いや、止める気力がマイの姿を見ると消えてしまうのだ。ここで止めても、自由を取り戻せばまた同じことをやる。それが痛いほどにその姿から伝わってきた。

 

 ──何故お前も死ぬ必要があるんだ、マイ?

 

 ルシフは最期までお前の幸せを願っていたじゃないか。自分以外の男を好きになってくれてもいいから幸せに生きてくれ、というルシフの想いがお前には届かなかったのか。

 

「やめてくれ、マイ!」

 

 ニーナが泣きながら叫んだ声も虚しく、マイが六角形の念威端子で首すじを深く斬った。血が噴き出し、正面にいるルシフに大量の血がかかった。マイは血を噴き出しながらルシフに再び抱きつき、そのまま動かなくなった。

 

 ──もう嫌だ。

 

 夢なら早く覚めてくれ。

 ニーナは心からそう願った。これ以上友人や知人が死んでいくのは耐えられない。

 

『……ぅッ』

 

 念威端子から、フェリの何かを堪えるような声が聞こえた。

 

「フェリ?」

 

 ニーナが念威端子に呼びかける。

 

『なんでも……ありません』

 

 明らかにいつもと違う、苦しそうな声だった。

 

「フェリ、ルシフとマイが──いや、たくさんの人が今日亡くなった。その死をお前は念威端子で全て見てきたんだ。気分が悪くなってもおかしくない。我慢するな。休んでいろ」

 

『……はい』

 

 フェリが素直に返事をしたことに、ニーナは驚いた。ニーナの予想以上にフェリのショックは大きいのかもしれない。

 ニーナは流れ落ちる涙を右腕で拭った。

 

 

 

 エリゴは刀を力の限り握りしめている。

 

 ──旦那、俺にやれって言うのかよ。

 

 赤装束の腹の辺りを刀を持っていない手で押さえた。そこにある物の重量が増した気がする。この重さがあったから、エリゴは命を投げ捨ててルシフの救出に積極的に行けなかった。

 エリゴは赤装束を脱ぎ、その裏に縫いつけておいた袋を刀で斬る。エリゴの周りにいた剣狼隊の隊員たちはエリゴの気が触れたかと思ったが、その袋から出てきた物を見て驚愕の表情になった。

 袋から出てきたのは黒装束である。それもルシフの黒装束と全く同じ作りにデザイン。剣狼隊は厳密には黒装束の者を指揮官とし従うというルールが決められている。つまりルシフ亡き後の剣狼隊指揮官はエリゴになったのだ。剣狼隊の誰もがエリゴの性格を知っている。剣狼隊の次期指揮官を狙って黒装束を作らせておくなんて真似、エリゴはしない。この黒装束はルシフから託されたのだと誰もが悟った。

 エリゴはこの黒装束をルシフに渡された時から、ルシフが負けた場合も考えて今まで動いていたことを理解していた。

 やらなければならない。ルシフの想いを無にするようなことだけはしてはいけない。

 

「暴王が死んだぞ!」

 

 エリゴは拳を天に突き上げ、叫んだ。剣狼隊の誰もが不快そうな顔でエリゴを睨む。

 

「暴王が死んだ!」

 

 それでもエリゴは叫び続け、何度も拳を天に突き上げた。エリゴの脳裏にはルシフと過ごした日々が駆け巡り、涙となって外にあふれてくる。

 

「暴王が死んだ!」

 

 剣狼隊の一人がエリゴと同様に拳を突き上げ、叫んだ。

 

「暴王が死んだ!」

 

 また一人、また一人と拳を突き上げ叫ぶ隊員が増えていく。

 

「暴王が死んだ!」

 

 最終的にはルシフの想いとエリゴの決意を受け入れ、生き残った剣狼隊員全員が暴王が死んだと叫ぶようになっていた。

 

「暴王が死んだ! 暴王が死んだ! 暴王が死んだ!」

 

 そう叫びつつも、エリゴや剣狼隊員たちは心の中で別の言葉を叫んでいる。

 

 ──ルシフ陛下万歳! ルシフ陛下万歳! ルシフ陛下万歳!

 

 剣狼隊の姿を念威端子で見た民は、ルシフを守ろうとしたのは忠誠心からであり、ルシフの思想に染まっているわけではないと思わされた。

 後日の話になるが、剣狼隊はルシフが引き起こしたこの一連の事態に対する責任を追及されず、剣狼隊は解散させられることなく、剣狼隊として行動することを許された。

 

 

 アルシェイラはゆっくりと身体を起こした。

 剄を全て治療に回したため、倒れてから十数分で起き上がれるくらいまでは回復できた。全身の火傷や肩の傷など、医療施設で処置してもらう必要はあったが、それは一段落ついてからだと決めた。

 アルシェイラは倒れているリンテンスに近付いた。

 リンテンスは身体の至るところを骨折したらしく、起き上がることができないようだ。

 

「どう? 彼らを救えたの?」

 

「隊長格は……手遅れだった」

 

 リンテンスは即死ではない剣狼隊の傷に鋼糸を潜り込ませ、止血と応急措置をして死なせないようにしていた。だが、剣狼隊の小隊長たちは助けられなかった。

 

「……そう」

 

「お前は早く病院に行け。酷い見た目だ」

 

「行けないわよ、まだ。勝った代表として、けじめをつけてないもの」

 

 アルシェイラはカナリスに近付いた。カナリスは起き上がっている。同じように火傷を負っていた。

 カナリスはアルシェイラの姿を見て、視線を逸らした。

 

「ここで死んだ者全員をそれぞれ棺に入れなさい。敵味方関係なく、よ。棺が足りなければ他の都市に頼んで買うか、譲ってもらいなさい」

 

「……はっ。必ず」

 

 カナリスは跪き、頭を下げた。

 

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 翌日、多数の棺とそれを運ぶ武芸者たちとともに、アルシェイラは法輪都市イアハイムの外縁部付近の道を歩いている。道の両側には建造物が立ち並び、イアハイムの民が両端に並んでいた。歓声をあげる者は誰一人おらず、恨みと怒りのこもった目でアルシェイラを睨んでいる。

 この辺りか、とアルシェイラは思った。これ以上進んだところで警戒心を強めるだけだ。

 アルシェイラは右手をあげた。武芸者たちが運んでいた棺を次々に地面にゆっくりと置く。

 

「これらの棺はルシフと剣狼隊に所属する者たちの棺です」

 

 アルシェイラの言葉を、イアハイムの民は黙って聞いていた。

 

「わたしはわたしの信念に従い、ルシフと敵対しました。ですが、ルシフという人物の願いや思い、信念、誇りなどを闘いの中で理解したような気がします。わたしはルシフに勝利しました。そして、ルシフの願いはそのままわたしたちの願いとして、この世界で実現してみせます。それこそがルシフという偉大な男に勝利した者の務めであり、この世界の理不尽と真っ向から立ち向かったルシフの死を無駄にしない唯一の方法だと考えています」

 

 理不尽の権化が何を言っているという思いはあった。ルシフの本心を理解できず、ルシフの前に立ち塞がった最大の障害が言うべき言葉ではない。

 しかし、ルシフは恥も外聞も何もかも受け入れ、理想のために突き進んだ。たとえ最低最悪の暴王と言われようとも、自身を信じ、自身のやり方を貫き通した。

 それこそ、王の生き方なのだ。自分も自尊心を殺し、過去に縛られず未来のために生きるのだ。たとえ虫がいいと言われようとも、ルシフと同じように世界全体を考えて行動してみせる。それこそ、ルシフが自分に望んだものではないか。

 

「わたしはこの世界の頂点に君臨します。してみせます。あなたたちもわたしに協力してほしい。ルシフが実現しようとした理想を現実のものにするために。どうか、よろしくお願いします」

 

 アルシェイラが深々と頭を下げた。

 髪はところどころ焼け焦げ、全身に火傷の跡が残っている。勝者だと言われなければ敗者と見間違うほど、その姿は痛々しかった。

 アルシェイラの前に赤装束の者たちが立った。黒装束を着ているエリゴが先頭に立っている。

 エリゴは片膝をつき、アルシェイラに向けて頭を下げた。エリゴと同様に赤装束の者たちも片膝をついて頭を下げる。

 

「我ら剣狼隊、あなたの力になることをこの場で誓います」

 

「誓います」

 

 エリゴの言葉に続き、跪いた者全員が声を揃えて言った。

 イアハイムの民はアルシェイラを睨むのを止めない。

 ズシリ、とアルシェイラの身体が重くなった気がした。王の責任。命を奪ったという罪。犠牲を払ってでも進み続ける辛さと難しさ。この重さが、ずっと自分が逃げてきたものなのだ。

 ルシフはこの重さと辛さにずっと耐え続け、弱音など吐かずに常に堂々と生きた。ルシフと同じ立場になり、初めてルシフの本当の凄さと強さが理解できた。

 アルシェイラはエリゴらに背を向け、放浪バスがある停留所に向かう。

 

「ルシフさん!」

 

 女性の声が聞こえ、アルシェイラは振り返った。

 ゼクレティアが涙を流してルシフの棺に抱きついている。イアハイムの民も悲しげに顔をうつむけていた。涙を流している者も少なくない。

 これが自分の今までの怠慢の罪であり、背負わなくてはならないものだ。

 アルシェイラは正面に向き直り、歩みを再開した。

 

 

 

 ルシフやマイの遺留品は唯一の親族であったルシフの母ジュリアに渡された。剣狼隊が直接渡しに行ったのだ。

 使用人はジュリアにルシフとマイの遺留品を渡した。ジュリアは絵を描き続けていたが、ルシフとマイが死んだことを聞かされると、筆を止めた。

 

「あの子が……死んだ?」

 

「……はい、ジュリアさま」

 

 使用人は両目に涙を溜めている。

 

「そう……あの子が……」

 

 ジュリアの口が歪んだ。

 使用人は背筋を撫でられるような寒気を感じた。

 

「ウフフ……天罰よ! これは天罰だわ! アハハハハハ! 聞いたアゼル!? あの子が死んだって! あなたを死に追いやったあの子が死んだのよ! アハハハハハ!」

 

「ジュリアさま!? そのような言い方、あんまりでございます! 若さまはいつも母であるあなたを気にかけておられましたのに!」

 

 ジュリアは使用人の方に顔を向けた。ジュリアの両目から涙が伝っていく。

 

「ならどうして父のことは気にかけなかったの!? あの子はとても賢い子よ! 分かっていたはずだわ! アゼルから武芸者を取り上げたらああなることくらい! なんでお父さんを殺したのよ! ルシフ! なんで……どうして! どうしてそんなことをする必要があったの! 分からない……あの子が何を考えているか分からない!」

 

 ジュリアは首を左右に振って取り乱した。使用人はかける言葉も見つからず、黙り込んでいる。

 ふと、ジュリアは遺留品の中に日記を見つけた。マイが書いた日記。マイがアシェナ邸に来てから、決戦のあった一昨日まで。約十一年間の日記計十一冊。

 ジュリアはその日記を最初から読んだ。

 日記を読んでいく内、ジュリアの顔に生気が戻っていく。

 全ての日記を読み終えたジュリアは、ゆっくりと最後の日記を閉じる。

 

「そう……そういうことだったの。だからルシフは、アゼルを見捨てなければならなかったのね。バカな子……本当にバカな子。強がらずに、全部抱え込まずに、事前に言ってくれれば良かったのに。そうすればアゼルも、きっとあなたの思いに応えただろうに。私だって……覚悟を決められただろうに。あなたのために、頑張れたかもしれないのに」

 

「ジュリアさま……」

 

「今、ルシフは世界中の人からどう言われているか、分かりますか?」

 

「それは……その……」

 

「はっきり、正直に言って」

 

「さ、最低最悪の……暴王だと……」

 

「……私も同じだった。今までずっと本当のあの子を見なかった。でも、これからはあの子のために生きる。だって私は……あの子の母親だもの」

 

「ジュ、ジュリアさま?」

 

 使用人が困惑した表情でジュリアを見る。

 ジュリアは涙を流しつつも、柔らかな笑みを浮かべた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ──暴虐王ルシフの死から二年後──

 

 

 

「ほら! そんなんじゃ汚染獣に殺されちゃうよ! 足を止めない! 動き続けて!」

 

 プエルが赤装束を着て武芸者たちの訓練をやっていた。

 剣狼隊はアルシェイラの勢力にそのまま吸収され、アルシェイラの指示や命令に従っていた。無論剣狼隊指揮官であるエリゴが従っているから、隊員たちも従っているのである。もしアルシェイラがルシフの理想から反するようなことをすれば、すぐに反旗を翻すだろう。

 

「よう。精が出るな、プエル」

 

「エっちゃ──いえ、隊長! 顔を出していただき、光栄です!」

 

 プエルが直立した。

 黒装束を着たエリゴは苦笑する。

 

「気を張りつめすぎだぜ。もっと肩の力抜きな」

 

「まだまだ、ルっちゃんの目指す理想には遠いです。生き残った私たちがルっちゃんやみんなの意志を受け継いでいかないと……そのためには、休んでいる暇はありません」

 

「……やっぱ変わったな、プエル」

 

「あれから二年経ったんです。変わって当然です」

 

「俺たちはあれから訓練や治安維持に回された。そんで、あの襲撃があった」

 

 一年前、イグナシスという勢力の大規模侵略が起きた。凄まじい戦闘になったが、人類は一丸となって立ち向かい、撃破に成功した。あの時、剣狼隊の隊員が何人も死んだ。

 

「……俺もそうだが、どこかで死にたがってた。死んで楽になりてえって、毎日のように思っていた。けど、その度に旦那の顔が頭に浮かんでよ、生きて頑張らねえでどうするって自分を鼓舞し続けた。プエル、お前もそうだぜ? 死ぬために戦うんじゃない。生きるために戦うんだ」

 

「努力します!」

 

 そう言いつつも、プエルは誰かの盾になり続けるのだろう。戦闘で死ぬなら、自分が最初だと決めているに違いない。

 

「お、そうだ。最近こんな本が流行ってるらしいぜ。ビックリして衝動買いしちまった」

 

 エリゴがバッグから本を取り出し、プエルに渡す。

 プエルはまじまじと本のタイトルを見た。

 

「……『心ある魔王』……これって……!」

 

 プエルの目が見開かれた。

 

「ああ。お前の想像通りだろうぜ」

 

 エリゴは嬉しそうに笑った。

 

 

 

 グレンダン王宮。

 アルシェイラが執務机で書類を処理している。

 ルシフとの決戦後、各都市の自治権を認めつつも発言権は手放さなかった。各都市はある程度自由に政治ができつつも、根本的な部分はアルシェイラの指示に従わされた。だが、そのことに対して文句や不満を言う者はほとんど存在しなかった。アルシェイラは常に弱者の視点に立った政治を心掛けていたからだ。無論それはアルシェイラの知恵ではない。ルシフの遺書に書かれていたやり方をそのまま採用していた。

 故にアルシェイラのところには、グレンダンだけでなく全都市の政務が集まっていた。アルシェイラは全都市を支配している王というよりは、全都市のアドバイザーのような立場になっている。

 

「そろそろ休憩しますか?」

 

 カナリスが問いかけた。

 

「ん~、あとちょっとやったらね」

 

「陛下、いつ見ても感動いたします! 陛下がこのように熱心に政務をされているなんて、まるで夢のよう──」

 

 カナリスの顔目掛けて、アルシェイラが机に置いてある本を投げつけた。カナリスの顔面に本が当たり、カナリスは後ろに倒れる。

 

「鬱陶しい」

 

「すいません、陛下」

 

 カナリスは本をどけつつ立ち上がり、頭を下げた。

 何気なくどけた本を見る。本のタイトルには『心ある魔王』と書かれていた。

 

「……この本は……まさか……」

 

「最近流行りの絵本……みたいよ? でも、モデルは間違いなくあの子ね」

 

「この本の作者は……!」

 

 カナリスが目の色を変えた。

 

「うん、そういうこと。やるべきことは分かるわね?」

 

「すぐに、護衛を手配いたします」

 

「よろしく頼んだわよ」

 

「はっ」

 

 カナリスが一礼し、部屋を出ていった。

 アルシェイラは再び執務机に視線を落とした。

 

 

 

 法輪都市イアハイム。ルシフの墓の前。

 レイフォン、フェリ、シャーニッド、ニーナ、リーリンが集まっていた。

 ルシフの墓の前で全員が黙祷している。

 

「それじゃあ、わたしは行くね」

 

 黙祷を終えたリーリンが歩き出した。

 

「リーリン、いつでも孤児院に戻ってきていいから」

 

 レイフォンがリーリンの後ろ姿に声をかけた。

 リーリンは振り返り、笑みを浮かべた。

 

「うん。ありがと、レイフォン」

 

 リーリンは一度手を振り、去っていった。

 リーリンはイアハイムの孤児院で働いていた。なぜグレンダンではなく、イアハイムの孤児院で働くことにしたのか、レイフォンには分からない。グレンダンに降伏勧告をした手前、帰り辛くなっているのか。それともルシフに何かしら影響されたのか。

 それでも、レイフォンは寂しくなかった。今となっては、会おうと思えば数時間で会える世界になったのだ。以前の世界を知っていたら、信じられないことだった。

 

「……ニーナ。今まで、黙っていたことがある」

 

「なんだ、シャーニッド?」

 

「ルシフの血を、マイちゃんは飲んでいた」

 

「……は? な、何を言っている!? 悪い冗談だぞ! 確かにエンターテイメント作品でたまにそういうシーンがある時があるが、あくまでエンターテイメント作品の話だ。現実に起こるわけが……!」

 

「シャーニッドさんの話は本当です。わたしも念威で見ました」

 

 フェリが顔をうつむけながら言った。

 

「フェリ、お前まで……」

 

「なあ、ニーナ。きっとマイちゃんは信じたんだ。俺たち人間には魂があるって。ルシフとは全く別の人格がルシフの身体に存在していた事実を知ってな。なら、魂ってなんだ? そうやって突き詰めていった結果、血に魂が宿ると考えたんじゃないか?」

 

「……ちょっと待て。そういう仮定だとすると、血を飲んだり、血をルシフに浴びせたのは……」

 

 ニーナの顔から血の気が引いた。マイが死ぬ時何故笑みを浮かべたのか、分かったような気がしたからだ。

 

「マイちゃんはきっと幸せだったんだろうよ。来世も一緒にいられると希望を持って死んだんだからな」

 

「シャーニッド、何故そんな話を今する?」

 

「これだよ、これ」

 

 シャーニッドが一冊の本をニーナに渡した。

 タイトル『心ある魔王』。作者『ジュリア・ディ・アシェナ』。

 

「ジュリア……。まさかルシフの母親が描いた絵本か? しかし、ルシフの母親は、その、通常の精神状態じゃなかったが」

 

「読んでみな」

 

 ニーナは本を開く。

 話の内容はこうだ。とても悪い魔王がいました。ある日、魔王は少女に出会いました。少女と出会い優しい心が生まれた魔王は、少女のためにこの世界から少女を苦しめるもの全てを無くそうとしました。でも最後の最後、魔王に元々あった悪い心が魔王を支配し、悪逆の限りを尽くし始めました。少女は悪さをする魔王を止めようと魔王の前に飛び出し、魔王に殺されてしまいました。しかし、少女を殺してしまったことで優しい心を取り戻した魔王は、自らを勇者に斬らせました。

 最後のページは、魔王と少女が笑顔で手を繋ぎ、天へ召されていく絵。

 

「……こうだと、良いな」

 

「ああ。俺もそう思ったぜ。せめてあの世でくらい、幸せになってほしいってな」

 

 それからしばらくは無言だった。

 

「そろそろ、行くか」

 

「すいません。僕はもう少しここに」

 

「そうか。またな、レイフォン」

 

「はい、また」

 

 ニーナとシャーニッドが去っていく。

 残ったのはレイフォンとフェリの二人。

 

「出てこい、メルニスク」

 

 ルシフの墓の隣、黄金の粒子が集まり、牡山羊の姿になる。

 

「何か用か?」

 

「お前の力を、僕に貸してくれないか?」

 

「……なぜ?」

 

「僕は、ルシフを斬った。ルシフの意志を受け継ぎ、この世界から理不尽な死をできる限り無くすため、この先も戦いたい。それには、お前の力があったほうが良い」

 

「ふむ、以前と違い、心が定まったか。今の汝なら、力を貸してやってもいい」

 

「ありがとう、メルニスク」

 

 レイフォンの顔がぱあっと明るくなる。

 メルニスクの身体が黄金の粒子に変化し、レイフォンの身体に溶け込んでいく。

 

「メルニスク。ルシフのこと、暇な時にでも色々教えてくれ」

 

《ああ。分かった》

 

 レイフォンとフェリはその場から歩き出した。

 

 

 

 全レギオスは今、足を止めていた。

 一つのセルニウム鉱山の周りを円陣を組むように並び、セルニウム鉱山の補給が必要になったら円陣から外れて補給しに行く、という形になっている。

 汚染獣に怯え、逃げ回り、他都市との接触を避け、殻に閉じこもって生きていた鋼殻の自律型移動都市(レギオス)の時代は終わった。これからは汚染獣を恐れず、立ち向かい、人類が手を取り合い協力して困難を乗り越えていく、新たな時代を人々は生きることになる。

 そしてルシフは、最低最悪の暴虐王として、あるいは心ある魔王として人々の記憶に、歴史に刻まれた。

 しかし、忘れてはいけない。ルシフがいたからこそ、人類は前に進むことができたということを。


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