「いいよー。もうやってくれ」
俺はリリアの手を無理矢理解き、離れ出しながら言う。
「酷い、酷いよ……レイ君。レイ君だって私と同じ、同類でしょ」 ああ、確かに、騙し、騙されやっていた俺らは同類かも知れない。俺は愛しき村の為、リリアはエルフの尊厳をかけて戦った同志だ。ささやかなリスペクトの意を表しよう。
俺は一歩、また一歩と、リリアとの距離を広げる。たった一m、二m、その程度の距離。しかしもう決して縮まることのない距離。俺はその歩幅の重みを踏み締めるように歩き、次第にリリアから遠退いていった。
「ねぇお願い、お願いだからぁっ……助けてよ……お兄ちゃん」
腹の底から振り絞るようなリリアの声が俺の鼓膜を劈いた。
思わず俺は振り返る。慌てて視界を捉えたのは今まさにリリアを殺さんと包丁を構えているジミーの姿だった。血の付着した生々しい屠殺包丁を右手に天高く振り上げ、左手で十字を切っている。
リリアは振り向いた俺に、分かり易過ぎるくらい無理矢理笑顔を浮かべた。はかなさを増すばかりの涙化粧は、陽光を反射させて煌びやかに輝いている。
「えへへ、ごめんね、リリアもう大丈夫だからね、お、あ、お兄ちゃんはね、い」
言い終わらないうちに、ジミーの逞しい右腕が空を切る。
「おい! ジミー、待っ」
声に出すと同時に俺の足は動いていた。何故だろう、情にほだされたのか? いや、違う。もっと重大な、取り返しのつかないことがある気がして。
ビィィィン! パタタタッ。
駆け寄った俺の眼前にリリアの姿はなく、代わりにただの有機物の塊と成り果てたエルフの頭部が足元へと転がっていた。
頬にぬるりと付着した生温かい返り血が、生命の名残を感じさせる。ああ、リリアは、死んだのか。
漠然とした虚無感が俺を襲った。リリアが死んだ傍らで、ジミーは何事もなかったかのように、作業を続けている。
ぼうっと頭が眩む。一体さっきのは何だったというんだ。本能的に俺はリリアを助けようとした。いや死なせてはダメなような気がした、の方が正しいだろう。何かが引っかかる。いや、今ではもう遅い。リリアが死んで困るようなことはない、もう良しとしよう。多分、一時の気の迷いだったのだ。俺は終始、リリアに惑わされ続けていたのだから。
俺は小刀でリリアの首元の肉を少しだけ削ぐと、何も言わず、ジミーの屠殺場を後にした。
養殖場の外れにある小さな雑木林の切り株に、俺はゆっくりと腰を降ろした。
誰にも邪魔されずに憩える俺のお気に入りのスポットだ。枯れ木の枝を重ね、火を灯す。バチバチと痛々しい音を立てて炎がその場を包み込んでゆく。
俺はスライスしたリリアの肉を炎の上にあてがう。じゅうじゅうと肉汁を垂らしながら、濃厚な匂いが辺りに放たれてゆく。
俺はムラのないように肉をくるくると回転させながら、初めてリリアに会った日のことを思い出していた。
俺が肉を食べ終わるのを見計らって、ひょっこりと顔を出して、でも最初はおどおどしたりしてみせて。老獪で、小賢しくて、それでいて可愛らしい、そんなこのエルフの少女のことを。
肉をゆっくりと咀嚼する。これが……リリアの味、か。
噛んで、噛んで、よく噛んで、歯で、舌で、五臓六腑で、全身で。体を余さず駆使してリリアの肉を堪能する。
ああ、おいしい。思わず涙が零れ落ちた。肉を食まんと顎を動かす度に、行き場のない感傷が胸奥から溢れ出してくる。
俺はその時痛感した。とっくの昔に、俺はリリアに情でほだされていたのだということを。
ゆらゆらと立ち込める煙の糸をぼんやりと眺めながら、俺はいつしか聞いた科学者の言葉を思い出していた。
絶対に元に戻らないものを二つ挙げるとすれば、
そうだな、
それは過熱してしまったタンパク質と、
時間だ。