Fate/stay night プリズマ☆イリヤ   作:やかんEX

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ACT9 「来訪者」

 

 

 兄が、背後で息を飲む音がやけに響いた。

 理由は単純。イリヤ自身、突然場に現れた彼女に驚き、思わず口を噤んでしまっていたからだ。

 

 

 夜に溶け込む艶やかな黒髪。芯の強そうな紺碧の瞳。すらりと華奢な身体に纏われた、彼女自身の鮮やかな気質を表しているような、深い赤のコート。

 自己への強烈な自信をたたえたその笑みが、こちらに向けられていた。

 

 

 ────そう、イリヤたちの目の前に現れたのは

 向こうの世界でもよく見知った、遠坂凛、その人だった。

 

 

 

 

 

「リ、リンさ────」

「おまえ、遠坂────!?」

 

 

 イリヤは思わずその人物の名を呼びそうになって、しかし続けて追い被さった兄の言葉に、出しかけた声を咄嗟に飲み込んだ。

 そしてはっと思い至る。

 目前の彼女に関する、一つの仮定に。

 

 

「ええ。こんばんは、衛宮くん」

「え、あ、なんで遠坂がここにっ!?」

「そうそう、突然ごめんなさいね、衛宮くん。こんな夜分遅くにお邪魔して」

「あ、ああ、いや、それは、別に構わないんだけどさ……」

 

 

 二人のその会話に、イリヤは確信する。

 

 

 ひどく動転した士郎にさらりと返す凛。

 話の調子がどこか決定的にズレている気もするが、この二人はお互いにちゃんとした知り合いのようで。彼女の彼への受け答えに動揺した部分は特になく、逆に、こちらを取り立てて気にしている風にも見えない。

 ……それはつまり、目の前のあの遠坂凛という女性は、イリヤの知っているリンさん(・・・・)ではないという事だった。

 

 

 

「って、そういう事じゃないっ! どうして遠坂がここにいるんだ!?」

「あら、衛宮くん。本当に心当たりはないのかしら?」

 自身の疑問を流して返されたその問いかけに、士郎は目を瞬かせて少し考えこむ。

「……そういえば、遠坂。さっきお前、俺のこと聖杯戦争のマスターって……」

 そうして思い返すように呟かれた彼の言葉に、途端、目の前の彼女の雰囲気が一変した。

「そう────やっぱりなのね」

 

 

 苦く、本当に苦く、何かを噛み潰すように一言だけそう呟いて、凛は瞼を閉じた。 

 ぎり、と奥歯を嚙み鳴らす音が小さく響く。

 誰かがそんな彼女に言葉を投げかける間もなく、凛は目を開いて目の前の士郎をもう一度見据えると、感情の読めない淡々とした声で言葉を継いだ。 

 

 

「正直、誤算だったわ。よくもまんまと隠し通してくれたわね。まさか、あのお人好しの衛宮士郎くんが魔術師だったなんて、私には想像すらつかなかった」

「え……魔術師って。遠坂、もしかして、お前!?」

「ええ、そう。由緒正しき魔術師の家系、遠坂の現当主が私よ」

 唐突に聞かされた事実に士郎が目を丸くする。一方、そんな彼の様子に、彼女は口端を吊り上げて自嘲するように浅く笑った。

「それにしても、ここまできて白々しいじゃない、衛宮くん」

「え……?」

「そっちの子、格好からしてキャスターのサーヴァントかしら? 幼い見た目をしてるけれど、おそらく凄まじい技量の魔術師ね。あなたの家のこの庭にも、信じられないくらい濃い魔力残滓が漂ってるもの。それなのに、こうやって証拠が目の前に落ちてるっていうのに、まだ誤魔化そうと演技を続けるなんて、それは随分往生際が悪いんじゃないかしら────キャスターのマスターさん」

 そう言って凛は士郎の横にいる少女を一瞥した後、次いで視線を少年に戻し、彼の手元近くを睨みつけるように瞳を眇めた。

 

 

 そんな彼女にイリヤは思わず息を飲む。

 一瞬こちらに向けられた碧眼。その硬質な色。そこに滲んだ明らかな敵意。それは場を凍りつかせ、切り刻むように辺りを圧迫する。

 自分たちの目の前にいるのは、向こうの世界の彼女がイリヤには向けた事がない、本物の魔術師としての冷酷さを放つ、遠坂凛の姿だった。

 

 

 やがて、呆然とイリヤが立ち尽くしている間に、彼女が吐き捨てるように言葉を続けた。

「そうよね。もとより、魔術師なんて冷徹で計算高い生き物だもの。自分の不利になるような事をわざわざ認めるはずもないか。もしかして、こうして私に色々考えさせるのも作戦の内なのかしら。……本当に、まんまと今まで騙されてきたものだわ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、遠坂っ!!」

「そ、そうだよ、リンさん、絶対何か勘違いしてるよ!!!」 

 取りつく島のない彼女の応対に、側で会話を窺っていたイリヤも思わず仲裁に入る。

 だが、それが今は完全に逆効果だった。

「ふうん、もう私の名前までサーヴァントに教えてるんだ。情報共有は万全ってこと。

 ────いいわ。そっちがその気なら、こっちだって遠慮なく貴方を『敵』と見なせるもの」

「なっ────」

 

 

 きっぱりとそう言い切り、彼女が左腕の袖を捲り上げる。

 白く細い腕。

 女性らしい綺麗なその腕に、ぼう、と。

 燐光を帯びた、入れ墨のようなモノが浮かび上がった。

 

 

「あれって────」 

 

 

 それが何なのかイリヤは知っていた。

 自分の世界の彼女も有していた、連綿と受け継がれる魔術の後継者の証。

 

 

 ────魔術刻印だ。

 

 

 呆然と頭の隅でそう判断したイリヤを置いて、辺りの空気が急速に張り詰める。 

 直後、その緊張を切り裂いて、戦闘開始の合図が叫ばれた。

  

 

「アーチャー、初撃はお願い! この戦い、一気にカタをつけるわよっ!!」

 

 

 こちらに向けられた左腕が一際輝く。

 薄緑色の魔力が魔術回路を一瞬で駆け巡った。

 向こうの世界の彼女に照らし合わせるなら、その刻印に刻まれている魔術は────

 

 

「────っ!!」 

 

 

 イリヤは首を振ってその思考を切る。喚き出したくなる気持ちをようよう飲み込んで、ただ現在の状況をそのままに受け止めた。

 

 

 ────ぼんやりと考えている暇はない。いま判ることはただ一つ。このままでは、自分と兄は、また立ち所に傷つけられてしまうということ。

 だから湧き上がる困惑を無理矢理に抑え込んで、イリヤはとにかく全力で魔術障壁を張り────

 

 

 

 次の瞬間、しんとした静寂が場に降りた。

 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 ……。

 

 

 

 ……。

 

 

 

 

「……え?」

「……は?」

 

 

 一瞬、状況認識が遅れ、イリヤたちは言葉を忘れた。

 

 

 

 そんな彼らの目の前で、淡い光を帯びた左腕を差し向けながら、そのままの状態で動きを止めた赤の彼女。

 その彼女の発した開戦の声は、誰に返されることもなく、夜に飲まれて静かに消えた。

 やがて、場を覆った奇妙なまでのこの沈黙に耐えかねたのか、ぶるぶると微かに身を震わせ始めた彼女が、ぎぎぎ、と、音を立てるようにゆっくり後ろを振り返って

「あ、ア、アーチャーッッ!!!!」

 途端、憤怒の声が弾かれて飛び出した。

 

 

 

「アーチャー!!? あんた、何わたしの命令無視してくれちゃってるの!!? いま私、かなり覚悟を決めて言い放ったんだけどっ!!

 というか、いつの間に霊体化してるのよ!!? 敵サーヴァントの前で実体化もせずいるなんて、致命的な失策よ!! もう死刑ものよ、あんた────って、何よ…………は? 

 あの女の子はサーヴァントじゃない? はっ、そんなわけないでしょ、だって────あれ、ほんとにステータスが見えない……え、嘘、本当?

 …………で、でもっ! さっき衛宮くんの左手の甲にちゃんと令呪が────えっ、ない!? え、えっ、なんで!? だって、さっきは薄っすらだけどちゃんと────」

 

 

 

 虚空に向かって怒涛の勢いで話し掛けだした彼女。

 意味不明な出来事の連続に、イリヤたちはただ唖然として場に佇むしかない。

 

 

 

 

「……もしや、あそこに居るのかもしれませんね」

「え?」

 ふと、その隙をつき、イリヤの手の内からルビーが耳打ちをしてきた。

「英霊がですよ、イリヤさん。あの凛さんは今、『アーチャー』と叫びました。そして先の戦いにて『ランサー』と自身を名乗った青い騎士。そこから考えるに、あの凛さんが話しかけているのは弓の適性を持つ英霊だと考えられます」

「……でも、誰もいないよ?」

「おそらく、霊体化しているのだと思います」

「霊体化?」

「はい。そもそも英霊という存在は、その名の通り霊的なモノを指します。座より降霊された英霊を具現化させる事も可能ですが、その為には膨大なエーテルが必要。俗な言い方をすれば、幽霊のような状態が基本的な彼らの姿なのです。……エーテル体でない以上、私にも霊体化した英霊を探知することはできませんが、あの凛さんの様子を見れば、おそらく間違いないかと」

「……」

 イリヤはもう一度、あの彼女が話しかけている空間を見遣る。そこには人影一つもありはしない。

 

 

 ……しかし、ルビーの言葉を信じるのなら、あそこに居るのだろうか。

 あの青い槍兵のような、そしてあの強大な巨人のような、自分たちの想像の埒外の存在が。

 

 

 黙したまま考え込む少女に、ルビーが言葉を続けた。

「うむむ。それよりも、イリヤさん。そろそろこの格好を解除しませんか?」

「え……あ、そういえば」

 彼女の言葉で改めて気づいたが、イリヤはまだカードのローブ姿のままだった。

「はい。先ほど凛さんが勘違いしたのも、きっとこの姿の所為でしょう。今のイリヤさんはなかなかの魔女っ子っぽい雰囲気を放ってますからねぇ。それに、この姿のイリヤさんもいいのですが、私としてはやはりいつものデフォルトスタイルが個人的に好みです!」

「あ、あはは。それはそれで複雑なんだけど……それじゃルビー、お願い」

「了解です!」

 元気よくルビーが応え、そうしてぼんっと煙を立てて彼女がいつもの姿に戻った。

 

 

 

 

「────なぁっ!!!?」

 

 するとなぜか、素っ頓狂な声が横から聞こえてきた。

 

 

 

 

「え?」

「むむ??」

 イリヤたちは思わずそちらを見遣る。

 すると、唐突に驚きの声をあげた犯人────こちらの世界の遠坂凛が、絶句したままパクパクと口を開け閉めさせ、イリヤたちの方に────もっと正確に言えば、元の姿に戻った魔術ステッキの方に、指をさしたまま固まっていた。

 そうして、一瞬の間の後。

「な、なんであんたがここにっ!?」

 心からの叫び声が聞こえてきた。

 

 

 

 そして、そんな彼女のリアクションに、

「え?」

 と、もう一度疑問の声を上げる少女。

「おやおや?」

 と、少し楽しげな声を上げる人工精霊。

 

 

 

「本当になんであんたがここにいるのよっ、この悪徳不良精霊!?」

「……」

「あんたは私がきっちり六年前に停止させたはずよ! 起動スイッチもきちんとOFFにしたし、絶対に外に出れないよう大師父の宝箱の底に敷き埋めたっ!! なのに、どうしてそのあんたがこんな所にいるのよ!!?」

「むふ、ムフフフ」

「な、なによ……」

「ル、ルビー?」

 明らかに不気味な雰囲気を滲ませるルビー。凛とイリヤは知らず後ずさる。

 すると、そいつはぐるりんと少女の手の内で一回転して、

「相変わらずマヌケなお人ですね〜、リ・ン・さ・んは」

「「なっ」」

 唐突に目の前の彼女を煽り始めた。

 

 

「だ、誰が間抜けだってのよ、このトンチキ魔術ステッキ!」

「それはもちろん凛さんがですよ〜。さっきのあのドヤ顔、いったいなんなのですか? もしかして、私たちを英霊だと勘違いしちゃったんですか〜?」

「そ、それは……」

「相変わらず凛さんはうっかりさんですね〜。あ、でも、私はそれを責めたりはしませんよ。だって、もうそれ致命的ですもん。カレイドステッキのルビーちゃんが断言します。『うっか凛さん』というDNAは、全並行世界・どの時間の凛さんにも刻まれているので、もう諦めるのが肝心だと具申させていただきます」

「なっ」

「それにしても、私の起動スイッチを強制的に切るなんて全く非道なお人です。そんなことだから私に愛想をつかされちゃうんですよ」 

 追い討ちのように放たれた言葉。その一言が臨界点だったのか。ぷつりと何かが切れた音が場に響き、直後、彼女は羞恥と憤怒で顔を真っ赤にし、が〜〜〜っと怒りの声をあげた。

「ふっざけんじゃないわよっ! 六年前、あんたに無理やり契約させられた私がどんだけ苦労したと思ってんのよっ! いつも使ってた公園には行けなくなるわ、少ないながらもちゃんといた友達はゴッソリ減るわ! 想像してみなさいよ!! あんたに記憶を消された幼い私が、理由もわからないままある日を境に遠巻きに見られるようになったことをっ!!」

「ふむふむ、そんな事があったんですね〜」

「元凶が何を他人事ぶってんのよ!!」

「…………」

 イリヤは黙り込み、心中で彼女に言う。他人事も何も、ソイツは本当に知らないんだよと。ただ貴女を弄って遊びたいだけなんだよと。

 複雑な心境のイリヤを尻目に、ルビーが続ける。

「まぁまぁ、六年前の凛さんでしたら、それはもう可愛らしいコスチューム姿だったと思いますよ。その元お友達さんも、まるでアイドルのような凛さんに尻込みしてしまっただけではないのですか? 見てください! ここにおわします我がマスター・イリヤさんの可愛らしさ!!」

「はぁ!? ふざけんじゃないわ。こんな格好、他人に見られたら自殺もんよ!」

「ひ、ひどい……」

「あらら。これはもう感覚が老化しちゃってますね〜。今の凛さんはもう年増ツインテールと成り下がっています。それは私も新しい契約者を探すってものです」

「と、年増ですって〜〜〜っっ!!!!」

 わなわなと唇を震わせて歯を噛み締めて、そうやって彼女と愉快型魔術礼装は罵声の応酬を続けるのだった。

 

 

 

 

 

「…………でも、そっか」

 ガミガミと言い争う彼女たちを横に置きながら、イリヤはぽつりとそう呟いていた。それは、ルビーに対する彼女の反応に、ここが『並行世界』なのだと、そう再認識することができたからだ。

 もちろん、この世界が自分たちの世界と異なるのは既に判っていた。なにせ自分の身の回りの人間関係一つ取っても、この世界には父も母もいないし、兄も自分のことを知らなかった。それは悲しいことだけど、もう認めて乗り越えたことだった。

 ……だけど、イリヤが勘違いしかけていたのは、向こうの世界とこちらの世界。その二つの間には差異があると同時に、共通している部分もあるという事だ。それは目の前の二人を見ていれば分かる。こちらの世界のあの遠坂凛という女性は、イリヤの事は知らない一方、兄やステッキのルビーのことは知っていた。……ルビーが雑に合わせている会話を聞くに、彼らが知り合う過程や時期に違いはあるようだけど、確かに彼らは向こうと同じで知人同士なのだ。イリヤは冷静にそう分析する。

 

 

 そうして、そうと判れば次は応用だ。その『共通点』という視点でこの世界を見据えてみると、イリヤにはどうしても思い起こされることがあった。────それは今までに遭遇した二騎の英霊。あの赤い槍を持つランサーと、最初の夜に襲ってきたあの巨人。絶大な力を持ったその両者は、イリヤたちが向こうの世界で集めたカードの英霊、それらと同一の存在だったのだ。

 ……確かに偶然に過ぎないという可能性もある。ただ、そう切り捨てるには、イリヤの胸に彼らの存在は強く刻まれすぎていた。強力な英霊。聖杯戦争。命のやり取り。……正直言って、二度と関わりたくない。けれど、自分たちがこちらの世界に来た切っ掛けを考えた時、その共通点がどうしても重要になってくるような。イリヤにはそんな気がしてならなかったのだ────。

 

 

 

 

 

「────はぁ。もういいわ」

 不意に思考を寸断させた声に、イリヤは顔を上げる。

 すると、自分が考え込んでいる間もずっとルビーと言い争っていたのだろう、ぜえぜえと荒い息をしつつ諦めたように肩を落とした彼女が、こちらを振り向き、真っ直ぐに手を差し伸べてきているところだった。

 

 

「ねぇ貴女、そのステッキをこちらに渡してくれるかしら」

「え?」

「だいたい事情は察するわ。どうせ、貴女もそいつに騙されて契約させられたんでしょう? ……業腹だけど、そいつの持ち主は一応私だから。ちゃんと責任をとって引き受けさせてもらうわ」

「あ、え、ええっと……」

 その申し出にイリヤは困る。

 あながち彼女の言う事は間違っていなかったが、このルビーは自分たちと一緒にこの世界にやってきたルビーなのだ。

 何故ルビーが彼女に事情を話していないのかもわからないし、今、自分は彼女の言うことに従うべきなのかどうか、その判断がつけられなくてイリヤは少し迷ってしまう。

 

 

 そうして少女が返答に窮していると、槍玉に挙げられたそいつが横から割り入ってきた。

「ダメですよ凛さん。私のマスターはもう貴女ではないのですから、私が凛さんに従う義務なんてありません」

「…………」

 その言葉に、凛は瞳を細めた。そうして静かに続ける。

「ねぇ、あんた、ここはふざけるところじゃないの。それ、わかってる?」

「いつだって私は大真面目ですよ、凛さん」

「……こっちはね、もうすぐ聖杯戦争に挑むの。ずっと昔からの遠坂家の悲願を、絶対に達成しなきゃなんないの。私も十年かけて準備したわ。そのために、普通の人間らしい日々も、十代の女の子らしい感情も、そのどれにだって決してよそ見することなく、必死に魔道に打ち込んできたわ。────それなのに、そんな待ちに待った大事な儀式を前に、あんたの気紛れで邪魔をされちゃ、こっちはたまったもんじゃないの。いい加減にしなさい」

「それはこちらの台詞です、凛さん。いい加減にしてください。貴女にどんな事情があろうと、私のマスターはここにいるイリヤさんだけです」

「……いい度胸じゃない」

 張り詰めた糸のような、緊迫した空気が再度場に走る。

 

 

「ちょ、ちょっと二人とも……!」

 余りにも急な展開にイリヤはついていけていない。けれど、このままではまた物騒な事になりかねないとは理解できた。

 だからイリヤは自分の事情も何もかも、咄嗟にこの場で全部ぶちまけようとして────

 

 

 

 

 ────その時

 

 ばんっ、と、激しく何かを打ち付ける音が場に上がった。

 

 

 

 

 言い争っていた三人はハッと背を翻す。すると、振り向いた先、敷地を囲う塀の側。そこで一人会話に加わらず沈黙を保っていた士郎が、その拳を、塀の壁に強く押さえつけて俯いていた。

 かなり激しく叩きつけたのだろう。壁に押しつけた手の甲はひどく擦り剥け、赤く腫れ上がっている。そして、その内側。何らかの感情を押さえつけるようにぎりぎりと強く握られた拳の中は、加えられた力に耐えきれず、微かに血が滲んでいた。

 

 

 思いがけず張り詰めた静寂。その中で、やがて彼は、下を向いてイリヤたちに表情を見せないまま、堪えきれない激情を言葉に乗せ、口を開いた。

 

 

 

 

「いい加減にしてくれ、お前たち……!! 

 こっちは一体何が起こっているのか、どうしてこんなことになってるのか、未だに全然理解できてないままなんだ……! 英霊とかいう馬鹿げた奴らが現れて、学校でいきなり戦ってるかと思ったら、今度は俺が狙われて、そして殺されかけてっ……!! 意味の分からないまま命を拾ったと思ったら、次はウチに現れて……こっちはもういっぱいいっぱいなんだよっ!!」

「……衛宮、くん…………」

「そしたら次はなんだ!? 急に現れた遠坂が、あの遠坂凛が俺と同じ魔術師で、よりによって俺のことを敵だって言い出すんだぞっ!! いい加減にしてくれ……! 敵だなんだ、殺すとか、殺されるとか、そんな事なんでこんなに簡単に────。そんなの、急に言われたって、どうしたって飲み込めるわけないだろっ……!!」

 

 

 

 

 それは、心からの叫びだった。

 

 

 腹の底から湧き上がった激情を発し、それでもまだ自らの気持ちを抑えきれないのか、士郎はぐっと口を結んで言葉を噛んだ。

 顔を伏せ、イリヤたちから視線を逸らしたまま、ぎり、と、壁についた拳を強く握る。

 

 

 沈黙が辺りに降りた。

 顔を俯かせたままのそんな彼を、赤の彼女が、呆然と目を見開き眺めている。

 そうして、その無音の間を短く挟んでから、やがてはっと意識を戻した彼女は、不意にぽつりと、小さく口を開いた。

 

 

 

「……いいわ、衛宮くん」

「……遠坂……?」

 士郎がはっと顔を上げる。

「あなたと話をしてあげるって、そう言ってるのよ。……私も少し、確かめたいことができたわ」

「あ……あ、ああ! もちろんだ、遠坂……!!」

 あからさまに喜びを露わにする彼の反応に、毒気が抜けたのか。彼女は少し呆れたようにため息を吐いた。

「……はぁ。……そういうことだから、そこのトンチキ魔術ステッキ。あんたのことも後回しよ。あとできっちり、落とし前はつけさせてもらうけどね」

「ふんっ、です。凛さんに何を言われようと、私のマスターはイリヤさんだけですけどね!」

「……ふん」

 

 

 そいつの返答に彼女は鼻を鳴らし、そうして振り向くこともなくすたすたと衛宮邸の中へ入っていく。他人の家だというのに、やけに堂々とした迷いのない振る舞い。

 その背を、家主である士郎が慌てて追っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 場を立ち去るそんな二人の背中を

 後ろからぼんやりと見送り眺めながら、

 イリヤは少しの間、無言でその場に立ち尽くしていた。

 

 

「……? どうしたのですか、イリヤさん?」

 そんな彼女に気づいたルビーが声をかける。

「あ、ううん……なんて、いうか」

「……む。もしや、あの凛さんに対する私の接し方についてでしょうか? ……それなら申し訳ありません。むやみに言い争いになるのは得策ではないと分かっているのですが、どうにも、どこの世界でも凛さんと見るや口答えしたくなってしまうのがこのカレイドステッキに刻まれた機能と言いますか、本能と言いますか……」

「ううん、違うよ。……いや、もちろんそれもやめて欲しいんだけど……そうじゃ、なくて」

 

 

 そうして、イリヤは歯切れ悪く一旦言葉を切って。

 視線を地面に落としながら、ぽつぽつと、胸のうちを零すように小さく呟いた。

 

 

「……さっきの、お兄ちゃん」

「ああ、なるほど」

 彼女の言葉に、ルビーが合点がいったように言葉を返す。

「英霊であったり聖杯戦争であったり、カード収集に携わっていた私たちにも驚き続きの展開ですから、お兄さんに至っては言うに及ばずでしょうね〜。それに私の登場が少しでも遅れていれば、お兄さんはあのランサーに殺されていてもおかしくありませんでした。確かに鬱憤を溜められるのも仕方ない状況だとは思います。

 ……が、しかしです。そのお兄さんを懸命になって守ったのはイリヤさんなのですから。そこまで気に病む必要はないのでは?」

「ううん」

 ルビーのフォローに、イリヤは静かに首を振った。

「……ランサーって人との戦いの時だけじゃないよ。この世界に来てすぐ、訳も分からないまま襲われた時やその後だって。わたし、ルビーがここに来てくれる前から、ずっとあのお兄ちゃんに助けてもらってたんだ。それで勝手に不安になってうだうだしてるわたしが、いっぱいいっぱい迷惑を掛けてたのに、あの人はぜんぜん嫌な顔一つしなかった。

 ……それなのに、さっきだって気を遣ってくれて、わたしはバカみたいに泣きそうになっちゃって……ほんとにわたし、お兄ちゃんのこと何にも考えてあげられてなくて……自分の事ばっかりだったんだなって」

「……イリヤさん」

 自身を責めるように呟いた少女に、ルビーは掛ける言葉もなく、ただ微かな沈黙だけが辺りに降りた。

 

 

 

 

 

 

 そうしてやがて、少しの時間が経った後。

 重くなった空気を変えるようにイリヤは顔を上げ、先の二人が向かった家の方に視線をやった。

 まだ黒い闇に包まれる外とは対称的に、人が入った家屋では、玄関内の電灯がオレンジ色に明るく灯っている。

 

 

 その光景をぼんやりと眺めた後、イリヤはふと思い立って自身の頬を両手で叩いた。

 ぱん、と乾いた音が、静かな夜に響き渡る。 

 ひりひりと痛んだ頬の刺激に気合を入れながら、彼女は軽く深呼吸し、そうして家の中に向かうことにした。

 

 

 どうやらこの長い夜は、まだまだ続くようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




(あとがき)
感想欄で気にされている方がいらしたので
本話を含めた全体について補足します。
本作はイリヤ視点気味の三人称で書いたものです。
なので本文中の記述が全て正しい訳ではありません。
状況なども含め、自由に想像していただけると作者としてとても嬉しいです。
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