Fate/stay night プリズマ☆イリヤ   作:やかんEX

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ACT7 「槍兵(中)」

 

「……おいおい、そりゃあ」

 

 

 青の騎士が、初めて本気の意表を突かれたように声を漏らした。

 

 

「────シロウさんは下がっててっ!」

 

 

 敵のその思いがけない隙にイリヤは好機を見る。

 少女の身が虚空に浮かぶ。

 月光が降りる蒼い闇に、幾重にも連なる魔法陣が現出した。

 彼女は自身の兄を後方に庇ったまま、円環の杖と化した相棒を強く握りしめて、目の前の敵に向けてありったけの呪法を編み込んだ。

 

 

「────Αελλω────」

 

 

 発した本人以外には理解できない言葉。

 その一言に応じ、先ほどまでとは比べ物にならない威力の光弾が撃ち放たれた。

 

 

「────チィ!」

 青の男が舌打ちを零して飛び退いた。

 優に二十メートルは間合いを取っただろう。

 先の距離では拙い────紫電の光弾は、あの槍兵にそう判断させる程の速度すら兼ね備えている。

「逃がさない……!」

 その彼に、イリヤは追撃を緩めない。

 彼女が叫ぶと同時に周囲に魔力を込めるだけで、辺りを幾重にも囲む魔法陣が、ぼぅ、と妖しい色を灯して燦然と輝き始めた。

 

 

 

 

 ────コルキスの王女メディアは比類なき魔術師だ。

 彼の存在には詠唱など必要ない。神代に生きた魔女に自身と世界をつなげる手順など不要なのだ。常として世界を回す神秘を帯びた彼女にとって、魔術とはただ命じること。己が番犬に、ただ『襲え』と告げるに等しい。

 ならば、その存在を身に宿しているイリヤが、現代において桁違いの魔術を一工程で扱い得るのも道理だった。

 

 

 

 

 続いて放たれた攻撃は際限がない。降り注ぐ光弾は爆撃に似ている。一撃一撃が必殺の威力を持つ魔術を、今のイリヤは矢継ぎ早に、それこそ雨のようにとめどなく繰り出していく。

 そんな砲撃の標的にされた青の男はたまったものでなく、一所に留まることすら許されない回避を余儀なくされていた。

 

 

「クラスカードの限定展開ではなく夢幻展開とは────凄いです、イリヤさん! それに魔術師のカードであれば、カレイドステッキの私と相性抜群。これなら!」

 

 

 イリヤの手元には、キャスター・バーサーカー・アサシンの三枚のカードがあった。

 その各々が適正クラスに応じた英霊の力を宿す魔道具。媒体にすれば伝説の英雄の力を引き出すことの能うそれは、まさに反則級の代物と言える。

 しかし、状況は引き続き厳しいまま。

 そもそもバーサーカーのカードは、限定展開ですら満足に扱えるかどうか怪しく、アサシンのカードにしたところで、あの槍兵の尋常でない敏捷を前に、それも兄を抱えて隠れ逃げ切ることができるかその判断が彼女にはつかなかった。

 となれば、残る選択肢は一つ。

 過去に自分たちが相対した神代の魔術師のカード。それを用い、立ち向かう敵を桁違いの魔術で圧倒する戦い方────

 

 

 

 ────そう

 

 イリヤが下したのは逃亡ではなく、敵の撃退という決断。

 

 

 

 それが、どれほど困難な選択なのか。

 そんなことはイリヤも理解していた。

 なにせあの敵の力は絶大だ。速さ、技量、戦闘経験、そのどれもが自分を遥かに凌駕している。現に、つい先ほどの交戦中、自分は何度も死の覚悟を強いられたのだ。甘く見ていい相手ではないのは重々承知だった。

 

 

 けれど、先ほどのルビーの言葉通り、この魔術師のカードとイリヤたちの相性は抜群だ。

 規格外の魔術礼装であるカレイドステッキは、無尽蔵の魔力をその所有者に供給し続ける。そこにカードが宿す神代の魔女の知識を加えれば、一流の魔術師から見たとしても法外な魔術の行使を、それこそ湯水のように制限なく行うことができるのだ。

 敵と同じ英霊の力を用いた戦い。勝機はそこにしか有り得ない。

 

 

  

 ……ただ

 それでも、力及ばないこともあるだろう。

 

 

 

 しかし、それならそれでイリヤは良かった。

 一番に優先すべきなのは兄の無事の確保。自分があの槍兵を引きつけているうちに、兄には先に逃げてもらえばいい。そうすれば、魔法少女と化した自分一人ならば、他のカードの力も用い、隙を見てこの場から逃走することも可能かもしれない。

 だから、いま彼女がすべきなのは弾幕を貼り続け、攻防の拮抗した状態を作り出すこと。それこそがイリヤなりの、この絶体絶命の場における最善の戦術だったのだ。

 

 

 

 

 

 ────しかし

 

 

「それなのに────!!」

 

 

 胸を突いた焦燥に思わずイリヤは叫ぶ。

 

 

 目の前の光景。

 少女の目論見通り、神代の魔術によって次々と降り注ぐ魔弾。

 もはや攻撃の間隙を見つける方が難しいと思われるそれを────しかし、青の騎士は、ただの一撃すら被弾する事なく避けきっていた。

 

 

「なんて、デタラメ……ッ!!」

 

 

 イリヤからすれば冗談でもない。

 槍兵が砲撃を一つ避ける度に、その着地点を目掛けてイリヤは再度魔弾を放つ。けれど次の瞬間には、男の姿は消えるような速度で掻き消え、気づけばまた避けられている事を彼女は知るのだ。

 喩えるなら、絶対に攻略不可能なモグラ叩きをさせられている様なもの。命をチップに死のゲームに挑む少女の表情は、焦燥と不安にひどく歪められていた。

 

 

「こっの……!!」

「イリヤさん!」

「なんで、なんでっ、どうして当たらないの!?」

「イリヤさんっ! 少し落ち着いてください!」

「落ち着けって────ルビーは少し黙ってて! 今はそれどころじゃ────」

「お願いします、イリヤさん。今は、私の言葉に耳を傾けてください」

「っ…………ルビー……?」

 

  

 知らず混乱状態に陥っていたイリヤは、ルビーの言葉にはっと我に返った。普段の彼女とは違う落ち着いた声色。真剣な調子。常と全く異なる相棒の様子が気に掛かって、彼女との会話に少しだけ意識を割く事ができたのだ。

 

 

「イリヤさん、落ち着かれましたか?」

「……う、うん。でも……」

「はい。そのまま、あの敵に向かって攻撃し続けたままで構いません。ただ、意識はいくらか、話をする程度にこちらに向けておいてください。

 きっと、今はそれで十分でしょうから」

「……」

 ルビーの意図は判らなかったが、イリヤは言われた通り槍兵に魔力弾を浴びせ続けながら、話の続きを待った。

「さて。ところでイリヤさん、あの敵の様子をどう見ますか?」

「どうって……もうわけが分かんないぐらい速いよ。キャスターのカードを使えたら照準なんて関係ないと思ってたのに、結局一発も当てることさえできてないし、こうしてる今だって、いつまた突然目の前に現れるか……!」

「────そこなんです、イリヤさん。どうしてあの敵は、今、向こうから私たちを攻めてこようとしないのでしょうか」

「え?」

 不意にそう切り出されて、イリヤは思わず目を瞬かせた。

 

 

 もう一度意識を完全に敵へと移す。イリヤが放つ砲弾を躱し続ける槍兵の姿。一瞬の閃光にも似たその動きは相変わらず捉えられない。 

 

 

 しかし、ルビーの発言を念頭においてよくよく観察してみると、なぜか彼は自分と一定の距離をとったまま、その回避行動を取り続けていることが分かってくる。

 ……たしかに奇妙だった。

 これほど動揺したイリヤの状態を、ともすればあの敵は、自分以上に正確に把握しているだろう。加えてあの常軌を逸した俊敏性だ。たとえ僅かでも隙を見せるものなら、数秒の猶予すら与えずにイリヤの命を狩り取れるに違いない。

 

 

 黙って思考を巡らせる少女に、ルビーが続けた。

「あの槍兵がそうする正確な理由はわかりませんが、きっと、カードのインストールは向こうにとっても予想外の行動だったのでしょう。それがイリヤさんがインストールを行ったことによるのか、はたまた、カード自体に関係することなのか……それは私たちには知り得ないことです。しかし、おそらく、相手も相手なりにこちらの出方を伺ってるのだと考えられます」

「……」

「ですが、このまま膠着状態が続くとは到底考えられません。あの男が私たちを観察している間も、私たちはこれといって、状況を好転させる手を打てていないのですから。いずれ見切られて、殺されてしまうのが関の山でしょう。

 もとより敵は英霊という化け物。いくら魔法少女であるイリヤさんとはいえ、今、私たちがすがるに値する可能性があるとするのなら、たったひとつ」

「…………カードに宿った、英霊の知識」

「そうです」

 知らずイリヤは、ぎゅっと手にした杖を握りしめた。

 

 

 ────集中する。

 カードから流れ込んでくる感情を。記憶を。

 伝わってくるこの英霊の残滓を真っ向から全部受け止めて、この場を打開する術だけを探す。

 

 

 燃え盛るような愛情と魔術と姦計。

 己の全てを夫に捧げ、そして裏切られた悲劇の王女。

 あらゆるものを鮮血に染め上げ、呪いと災厄を振りまく魔女に変貌した彼女の記憶。

 

 

 ……知らず、胸が痛くなる。

 

 

 それはどれだけの苦難だったのか。

 それはどれだけの悲哀だったのか。

 幼い子供に過ぎないイリヤには分からない。

 ただ、

 この英霊が辿ってきた艱難辛苦の生の記憶。その嘆きと悔恨が綯い交ぜとなった激情が、一斉に彼女を襲ってきて────

 

 

「────ルビー」

 イリヤは、それら全てを胸の裡に飲み込んで、自身の相棒に声を掛けた。

 

 

「ねぇ。ルビーは、あの人の動きを察知できるんだよね?」

「それは……はい、できます。……が、先ほどお伝えしたとおり、私に可能なのはあくまでも魔力探知であり、あの敵の行動の予測ができる訳ではないのです。ですので、今のイリヤさんのお役に立てるかどうか」

「ううん、それで十分だよ。だからおねがい。あの人がまた攻撃をしかけてきたら、わたしに教えて」

「……本当にギリギリになってしまいますが……」

「うん、それで大丈夫。後はわたしがなんとかするから。……正直、上手くいくかなんて分からないけど。もしかしたら、わたしの作戦なんて、全然通用せずに終わっちゃうかもしれないけれど。なんとかやってみる」

「……イリヤさん」

 

 

 イリヤの口元に苦笑が浮かぶ。

 こんなにも殊勝なルビーは殆ど見た事がなかったのだ。そんな相棒の態度からだけでも、どれだけ自分が不安そうに見えたのか分かってしまう。

 

 

「わたしは大丈夫だよ、ルビー。

 だって知ってるんだもん。どんなに厳しい時だって、逃げてたら何にも始まらないんだって。

 決めたんだもん。どんなに強大な敵にも、自分ができる全力で立ち向かうんだって。

 だから、お兄ちゃんのことも、自分のことも、わたしはどっちの事だって絶対に諦めないよ」

 

 

 そう、全てを欲張る。

 だって今のイリヤは魔法少女なのだから。

 ただの少女の我儘を叶える奇跡を望んで、何が悪いのだろうか。

 

 

「────う、うぅ、それでこそマイマスターです!! わかりました、やってやりましょう!! あの憎っくきにゃろうに私たちのコンビネーションを見せてやりましょう!!」

「うん!」

 いつもの調子が出てきた相棒に強く頷き、イリヤはいっそう力を込めて前を見据えた。

  

 

 

 

 再度、イリヤは強力な砲撃を二十、三十と一息に放つ。

 転じて、それを軽やかに躱し続ける槍の騎士。イリヤがインストールしたのは魔術師のカードということもあってか、自身の動体視力等の強化は特にされていないようで、その目には青い軌跡がわずかに残像を映すのみだった。

 

 

 ……やはりタイミングはルビーを頼るしかない。彼女はそう再認識する。

 改めて尋常でない速さの敵だ。イリヤだけではそれが自分の攻撃を避けられたのか、それとも逆に相手が攻撃を仕掛けてきたのか、その区別もつかない間に息の根を止められてしまうのがオチだろう。

 

 

 続けてイリヤはちらりと下を見る。そこには、唖然と地上に立ち尽くす兄の姿。

 

 

 兄を置いてけぼりにしてしまっているのは申し訳ないと思う。

 ただ、今は逐一説明している場合ではないのだ。

 そもそも、こっちだってあの彼に聞きたいことは山ほどある。

 家族のこと、魔術のこと、数えていけばキリがない。

 この危機を無事に抜け出せたなら、その時は今度こそ、互いにきちんと話し合わなければならないだろう。

 

 

 

 

 

「────なるほどな」

 その時、朗と短い呟きが場に響いた。

 

 

 

 

 

 低い声。

 ぞっと耳を通り抜けた声音。

 その声にイリヤは思考を遮断する。

 

 

 

 見れば、自身が空から放った光弾が地面に打ち付けられて、その反動で生じた土煙が場に広く立ち込めている。

 そして、その煙の狭間から、青の残像と共に視界に映る赤い軌跡。

 同時に聞こえてくる、ひゅんという槍の風切り音。

 

 

 

 心臓が早鐘を鳴らす。 

 ちりちりと、研ぎ澄まされた直感が胸の奥で叫んだ。

 

 

 

 来る────

 

 

 

 

 

「イリヤさん────!!」

 

 

 

 直後、ルビーが叫んだ。

 同時に身を襲う威圧感。圧迫感。

 それに何かを考える前にイリヤは────

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただ一言を、呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────Ἄτλας────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 途端────世界が歪んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「────なっ」

 

 瞬間、驚愕の声が文字通り目の前に現れた。

 それに重なるように響いた、どん、という衝撃音。

 地面が沈み、何か巨大なモノが、接近してきた青い槍兵めがけて落下したとしか思えない。

 

 

 

「テメェ…………!」

 

 殺気の浮いた声で男が敵意を放つ。

 アトラス────圧迫の大魔術。

 少女によって唱えられた神言により、男の身体は空中で突如拘束されてしまったのだ。

 

 

 

「取った────!」

 

 

 イリヤは思わず叫ぶ。

 相手が速すぎて捉えきれなかった自分。ゆえに狙ったのは一か八かのカウンター。その目論見が成功した今、自分は間違えていなかったのだと、そんな確かな手応えをイリヤは得ていたのだ。

 

 

 もとより、これは穴の多い作戦だった。根本的に相手の速さに着いていけていないのだから、攻撃を仕掛けてくる方向に関してはヤマを張るしかない。通常の敵ならば、無防備な兄を狙うという事も考えられただろう。

 しかし、兄との遣り取りや自身の彼との対話を振り返れば、幼い自分を前に、あの英霊が小細工を弄するとは到底思えなかった。

 この敵は必ず真正面からやってくるだろうと、イリヤはそう踏んでいたのだ。

 

 

「────イリヤさん、早く!」

 

 

 ルビーが焦ったような声をイリヤに浴びせた。 

 見れば、依然として固まったままの槍兵がそこにいる。彼の足は地を蹴ったまま、何もない筈の虚空で縫い付けられ、自身の魔術が確かに効果を発揮しているのが見て取れる。

 

 

 だが、黒化英霊戦でもあった対魔力という能力のせいか。

 それとも、この魔術も結局借り物でしかないが故なのか。

 槍兵の紅い槍はゆっくりと、しかし確実に、こちら側に向けて着実に動き出していた。

 

 

 ────それでも

 

 

 目の前の槍兵はまだ呪縛から抜け出せていない。

 これこそが千載一遇のチャンスだ。

 これを逃したら最後、今の自分にはこの敵を打倒する術はない。

 ゆえに、ただの一言。

 渾身の一撃を叩き込むべく、ありったけの魔力を乗せた神言を紡ぎ出す────!

 

 

 

 

 

 

 

 ────その時だった。

 

 

 

「────ハ」

 

 

 

 男が────青の槍兵が、その身を拘束されたままに、不敵に笑ったのは。

 

 

 

 

 

 

 

「────ぁ」

 

 途端、イリヤの身体が凍りついた。

 

 

「イリヤさん……!?」

 

 その様子に焦ったルビーが叫ぶ。それは、相棒の少女が唐突に動きを止めってしまったから。

 イリヤも当然切迫した今の状況は理解している。

 だけど、それなのに、彼女の全身はまるで金縛りにあったように、ピクリとも動いてくれないのだ。

 

 

 自分達は何か、とんでもない思い違いをしているのではないか。

 そんな嫌な予感が焦燥とともに脳裏を過った。

 

 

 呪文を紡ごうとした口元がわなないている。

 どくどくと、鼓動が痛いくらいに耳を圧迫している。

 言い知れない恐れが胸にこびり付いている。

 

 

 動けない。

 魔術や何かを掛けられたわけではない。

 なのに、身体は完全に硬直してしまっていて────だからイリヤは、固まったそのままに、ただ呆然と目の前の男を眺めた。

 

 

 青い戦装に包まれた体躯。 

 妖しい魔力を帯びる朱槍。

 そしてその、どこまでも不気味な気配を醸し出す

 

 赤い、瞳────

 

 

 

 

 

 

 

 ────瞬間

 

 イリヤは弾かれるように追撃の構えを解いた。

 

 そうして即座に地上に下降し、そこに立つ士郎の腕をさっと掴み取ると────そのまま動けない槍兵に背を向け、上空に向かって一直線に飛び出した。

 

 

 

「なっ、うわっ!?」

「イ、イリヤさん!?」

 兄とルビーの戸惑った声が耳に入る。

「…………っ!」

 しかし、イリヤは脇目も振らず、何処までも上へ上へと飛行を続けた。

 

 

 

 

 あの時、たしかにイリヤは追撃しようとしていた。

 動きを封じ込められた男。それを狙って仕掛けた自分。

 だけど、あの男の瞳を見た瞬間

 イリヤは追い討ちを掛けるは無理と悟った。 

 

 

 ────いや

 それよりも、彼女はただ恐ろしかったのだ。

 

 

 目眩のような、震え。

 吐き気すら催す、既視感。

 抑えきれない恐怖が、イリヤの胸中に湧いていた。

 この世界に来て初めての夜に出会った、自分と鏡合わせの姿の少女と同じ、冷酷で残酷な色を灯す、あの、赤い瞳に────

 

 

 

 

「イリヤさん!!!」

「────え」

 ふと、イリヤはルビーの声に我に返った。

 

 

「……ぁ」

「イリヤさん!!!」

「っ……ルビー……?」

「しっかりしてください、イリヤさん! 

 そして落ち着いてください! もう既に危機は脱しました!」

「え……?」

 その言葉にイリヤは咄嗟に足元を見遣り、そうしてはたと気付く。

 

 

 いつの間にこんなにも上昇していたのだろうか。優に百メートル以上は離れてしまった地面。その地上に立っている槍兵が、自分の指先ほどの大きさに見えた。

 彼はこちらを眺め上げている。その表情は遠すぎて窺えない。 

 ただ、ここまで来れば流石に相手も手を出せないだろう。それぐらいの判断を下す余裕は、今のイリヤにも辛うじてあった。

  

 

「一体どうなさったと言うのですか、イリヤさん」

「……それ、は」

 イリヤは相棒の問いに答えようとしたが、うまく理由を説明できる気がしなかった。息切れもひどい。まだ心臓がばくばくと鳴っている。

 その様子を察したのだろう、ルビーは諦めたように話題を変えた。

「いえ、今はそれは置いておきましょう。何はともあれ、ひとまずの危機は脱しました。ですが、まだあの敵は立ち去らず、地上で私たちを観察しているようです。これからどう動くべきなのか、何か考えはお有りでしょうか、イリヤさん?」

「……そう、だね……」

 そう言って、二人は緊張感を依然保ったまま、次に取るべき行動を思案しようとして────

 

 

 

「お、落ちるっっ……!!」

 

 ふと、そんな声が近くで聞こえた。

 

 

 

「……あ」

「あらら。そういえば、そうでしたね〜」

 そこで二人は思い出した。この場にいるもう一人の存在を。

「ご、ごめん、シロウさん!」

「うわっ!?」

 咄嗟に片腕だけで掴んでいたからか、ひどく不安定な態勢の兄に気付いたイリヤが慌てる。一方、少女のその行動に余計に身を揺さぶられた士郎は思わず身をバタつかせてしまう。

「ちょ、シロウさん! あんまり動かないで!!」

「いや、そんな事を言われても……っ!」

「落ちちゃう! このままじゃ本当に落ちちゃうよ!!」

「うーん。まあ、普通に考えれば、急に空に浮かばれてもどうしていいか困っちゃいますよね〜」

「そんなコト言ってる場合じゃないでしょ!!」

 そんな遣り取りをしていると、さっきまでの緊迫感がどこかにすっ飛んでいくのだった。

 

 

 そうして、やがて少女に両手で支えられてどうにかこうにか態勢を安定させた士郎が、気を取り直すように、溜めに溜めていただろう問いをイリヤたちに投げかけた。

「お前たちは一体……?」

 その問いに、身を翻したステッキが少女の耳元でコソコソと尋ねる。

「そういえばそうですよ。イリヤさん、お兄さんにはどこまで説明なされたのですか?」

「えっと、実は、まだ何も」

「なんと……うむむ? いえ、それはそれで、お兄さんからすれば『突然魔法少女が現れた!』という感じの、なかなかインパクトが強い印象を与えられてよかったのでは? 主におもしろさ優先的な意味合いで」

「えぇ!? それは困るよ!? ……いや、本当のことなんだけど、お兄ちゃんには『私=魔法少女』って思われたくないよ……」

「……あのさ」

「あ」

 二人の内緒話に痺れを切らした士郎が割り入って、さらに少女の惚けたような反応に、軽いため息を零した。

 その彼の様子にイリヤは悟る。彼も彼で、この特異な状況にいっぱいいっぱいなのだろうと。

 

 

 そんな兄にどう話を切り出せば良いのか、そんなことを考えてオロオロしていたイリヤに、先ほどまでふざけていたルビーが助け舟を出した。

「まぁまぁ、お兄さん。その辺の話はまた後にいたしませんか?」

「……お前は」

「気軽にルビーちゃんと呼んでくれていいですよー。

 で、それよりもです。何はともあれ、今はここに留まるのは危険だと考えられますので、何処か逃げるのに都合の良い場所を知りませんか? こちらの世界でもいちおう冬木市は冬木市だと思うのですが、見た感じ、ど〜も少しずつ地形が変わっているようですし。きっと、お兄さんの方がいろいろと詳しいと思うのですが」

「こっちの世界……? ……あ、そうだな……。ええと……」

 士郎は口に手を当てながら少しの間考えて、そうしてふと顔を上げ、視線を横に流した。

「……それなら、あっちの山の方はどうだ? 中腹にちょっとしたお寺があって、そこに何人か住んでは居るけど、基本的に人気もほとんどない所だ。あんな危険な奴を引き連れて、新都や住宅街に向かう訳にはいかないだろうし……それに、山は遮蔽物に溢れてる。友人が寺に暮らしてることもあって俺も少しは知ってる場所だから……たぶん、なんとかなると思う」

「あれは……」

「ああ。円蔵山っていう山なんだけど」

 

 

 横で二人の会話を聞いていたイリヤは、その名称にはっと反応した。

 円蔵山。そのはらわたに存在する地下大空洞────そこは、イリヤが自分の世界からこちらの世界に来る、その扉となった場所だった。

 

 ……あの山に行けば、向こうの世界に帰るヒントが掴めるかもしれない。

 それにミユやクロ、他の仲間たちの行方だって、もしかするとそこで何かが分かるかもしれない。

 

 

「……そうですね。それで良いと思いますよー」

「よし。……それじゃあ、もう少しだけ頑張ってもらって良いか? ……悪い、役立たずで」

「あ、い、いえ! わたしに任せてください!」

 考えこんでいて不意に声を掛けられたイリヤ。どこか落ち込んでいるように、自分を責めているようにも見えた士郎。

 そんな兄に頼られた少女は、ふんぬと意気込みを彼に伝えた。

「むふふ。では行きましょうか、イリヤさん」

「もう、わかってるよ」

 揶揄いまじりに笑うルビーにはむっと返し、イリヤは移動を開始した。

 

  

 

 

 ごうごうと、上空の冷えた風が肌を叩いていく。

 冬の夜気は冷たく、痛い。 

 

 

 

 だけど、自身が掴む兄の手から伝わる体温。

 自然と安心してしまうその暖かさに思わず笑みを零してしまったイリヤは、ふと、最後になんとはなし、あの強敵が居た地上へと視線を投げかけた。

 

 

  

 

 

 

 そんな時だった。

 

 

 

 

 

 

 ────ぞっと、背筋を凍らせる悪寒が奔り抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




(あとがき)
途中の神言は表示できない文字でしたので、
通常の古代ギリシア文字で代用しました。

ちなみに、プリヤ番外編のなのはクロスにて
イリヤがゲイボルクを限定展開したのは、
本作では勘定に入れずに話を書いております。
また、UBWアニメで兄貴は
言峰契約時にメディアさんと戦っていますが、
こちらも原作に従い、
バゼット契約時の前哨戦前提で書いております。

さて、長かった兄貴回も次で最後です。
カードでどこまで出来るのか不明瞭で
戦闘にも展開にも異論あるかもしれませんが、
気にせずに読んで頂けたらとても嬉しいです。

 
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