世界一初恋 クロスロード   作:bui

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クロスロード

桜咲く春、ここはとある中高一貫校の教室。

 

「じゃあ、このグループに入って活動してくださいね。皆さんは色々と説明などしてあげてください。」

副担任が彼をグループに紹介した。

 

私立の中高一貫校の特進クラスに高校三年生の編入は基本的にはない。

そこに三年の4月から1人の生徒が編入してきた。

 

編入という言葉が丸々と正しいのかは甚だ疑問で、彼は元々この中高一貫校の生徒で、中学三年の秋にイギリスに留学をし、2年半の期間を経て戻って来たのだった。

 

ただしこの学校は高校から普通クラスと特進クラス分かれるのだが、3年から特進クラスに編入となったからには相当優秀なのだろう。伝統校という学校のカラーなので生徒はニューフェイスに浮き足立つことはなかったのだが、この異例の編入生は静かに注目を浴びていた。

 

 

「途中からすみません。ご面倒でしょうけどお仲間に入れてください。」

その人物小野寺律は丁寧にグループのメンバーに挨拶をした。

この進学校の文化祭は5月だった。

変わらないクラスのメンバーにおいて、新しい面子が加わることが異例なのだ。

 

「そんな気にしないで、もともと一人少なかったから助かるわ。」

明るいリーダー的な女生徒が小野寺を輪に招き入れ気さくに声をかけた。彼女は中学の時の小野寺を知っていたためフレンドリーに接していた。

 

「文化祭の出し物で私たちのクラスはドーナツ喫茶をやるの。だから調理グループと設営グループに分かれてるんだけど、設営グループの中でも大道具はあっちのグループで、こっちは細かい飾りを作ることになってるの。小野寺君お花つくれる?」

 

女生徒は丁寧に指差しをしつつ説明をし、薄紙で作られたふわふわの花を一つつまんで見せた。

 

「え・・・、と・・・。教えてください・・・。」小野寺は頭をかきながら苦笑した。

 

「みんな部活や塾とか色々と用事もあるから、今の時期は金曜のロングホームルームの30分以外は各自で作るってことになってるの。

だから小野寺君も無理はしなくていいから空いた時間に作ったら後ろの箱に入れてね。もう少し直前になったらキャンディーレイを作るのでその時はまたお願い。」

 

小野寺はふむふむと女生徒の話を聞いてそれではと早速花を作り始めた。

 

赤い薄紙を数枚取り、ジグザグに折り、真ん中をゴムで止め、一枚一枚を剥がし花びらのように広げる。ただそれだけのことなのだが小野寺は眉間に皺を寄せていた。

 

一見器用そうに見えるその細い指はこの場合は器用には動かないようで、女生徒は面白がってケタケタと笑い、小野寺はとりあえず頑張りますとまた苦笑した。

 

少し力を入れると破れてしまう薄紙にやや手こずっている様子が、異例の編入生であることや不慣れさゆえかやや真面目過ぎる態度でとっつきにくいイメージだった小野寺の意外な面を表していて、少しだけ好感度を上げた。

 

出会いはそんなところだった。

 

 

 

 

その日、嵯峨は図書室のいつもの席で本を読みながら意識を遠くに飛ばしていた。

 

嵯峨にとって放課後の図書室はシェルターだった。

 

いたずらに広い家では帰宅してもむしろ孤独を痛感するほかなく、ほぼ一人暮らしと言っても差支えがないほど家族は家に寄り付かなかった。

しかもたまに帰ってくる両親はすべての家族に対して剣を放ち、自分を傷つけることしかしない。

無力な子どもであることを嫌でも思い知らされるそんな家は嵯峨にとっては魔窟にも思えた。

 

読書はいい。知識を得られること以上に深い思考にとらわれずに済む。

物語りは自分を疑似体験の世界に誘い、一時(いっとき)住みにくい現世のことを忘れさせてくれた。

 

 

するとあまり賑わってもいないそこに動くものあった。

自己逃避の場であるテリトリーを侵害され、現世に引き戻された不快感に気をそちらに向けると自分からはさほど遠くないそこは現代小説の陳列されているコーナーだった。

 

「534.25・・・、ウ・・・。あ、こんなに出てたんだ・・・。」

小さくつぶやく声が聞こえた。

本棚の陰で姿ははっきりとは見えなかったがその声は最近聞いたばかりの編入生ものだった。

 

「でも無い・・・。」

どうやら探し物は見当たらないようだ。

 

しばらくはそのあたりをうろうろとしていたが諦めたようで、小野寺は自分とは反対の廊下側の一人用の机と椅子のある自習コーナーの一つに座った。

 

 

嵯峨の座る席は窓を背負っており、そこからはピークを過ぎた桜が見えた。

 

桃色の雪のように降る花びらは先ほどから急に吹きはじめた午後の強い風に舞い踊り、花吹雪の様相を露していた。細くあいた窓から強い風が吹き込み、あわてて窓を閉めながらもきれいだとふうと息を漏らすと目の前に花びらが一枚落ちた。

 

窓からの風に乗った花びらが、いつの間にか自分の髪についていたらしい。

 

はらはらと落ちるそれを政宗はぴんと指ではじくと強い衝撃で落ちる起動をそらされた花びらは力なく机の上にひらりと降り立った。

 

嵯峨はその花びらを再度指でつつきそのうちに興味は読書へと戻って行った。

 

 

 

 

その後嵯峨は何度か本を物色するために席を立ち棚にたたずむも小野寺と近くですれ違うことはなかった。

 

図書室は夕方の6時には閉まる。司書が電気を半分落とすことが終了の5分前の合図となる。

嵯峨は今日の本を手に席を立ち貸し出しコーナーへ行く。

 

本を借りるためには貸し出しカードをに記名をして箱に入れる必要がある。ペンを手に文字を書き入れる際に、ふと反対側の自習コーナーへ目を向けるがすでにそこには誰もいなかった。

 

小野寺はいつ帰ったのだろうか?ほんの少しだけ彼の顔が頭をよぎった。

 

彼もまた何かを思い悩みここをシェルターにしているのだろうか?となんの根拠もなく思ったが誰もがそんな訳はないと軽く首を振り小野寺の事を考えるのをやめた。

 

 

 

 

しかしその後噂から小野寺は金持ちの御曹司だと知った。

 

どうりで物腰は常に柔らかい。

その見てくれも薄茶の髪に深緑の目と端正な顔立ちで、早くも女子には人気で陰では王子のようだと呼ばれていた。

 

文化祭の準備の花作りでも、初日非常に難しそうに形の悪い花を作っていた小野寺だったが、次の週には綺麗な花を作り、外国から帰国したばかりなのに実力テストでも壁に掲示されるトップテンの中に名前を連ねていた。

 

「苦もなく偉業を成し遂げる天才。または天は人に二物も三物も与えたって事か?」

 

嵯峨は第一印象を改めやや冷めた目で見ていた。

 

自分と同じはずが無い。

そんな風に嘯いたのだった。

 

 

 

 

 

相変わらず小野寺も嵯峨と同様に図書室で夕方を過ごしていた。

 

テストの順位が良かった事で小野寺の放課後は塾通いだろうと勝手に思っていた嵯峨だったがそうでもないらしい。

 

閉館時間までいることはなかったが、どうやら終了の少し前まではそこで学習をしたり読書をしたりしているようだった。

 

そんなある日、司書が小野寺に声をかけていた。

 

「君、」

「はい。」

「いつも遅くまで図書室にいるよね。悪いんだけど、これから打ち合わせで居なくなるから、もし6時過ぎても戻らなかったら鍵を閉めて職員室に返しておいてくれないかな?」

司書は小野寺に鍵を預けているようだった。

 

「わかりました。」

いつも6時の閉館時刻には居ない小野寺が今日は一応それまではいるのかと嵯峨は会話を聞いて思っていた。

 

クラスに編入してきて一月ぐらい経つが特別誰かと仲良くしているところは見たことがない。周りも遠巻きにしているのだろうけど小野寺も誰かに一歩踏み込んで親しくするということもないようだ。シャイなのか実は腹黒なのか?などと嵯峨はぼーっと窓の外を見ながらそんな風に小野寺の事を考えていた。

 

すると突然バサっという派手な音が近くからした。

 

そちらを見ると小野寺が棚からかなりの数の本を下に落としていた。

 

とっさに目が合った小野寺は「うるさくしてごめん。」とアワアワと真っ赤になって謝り片付けていた。

嵯峨は立ち上がりそちらに近寄り片付けを手伝う。

 

「ごめん。」

小野寺は再度申し訳なさそうに謝罪の言葉を言った。

 

伏せたまつ毛が長いなとか、耳まで赤くなっているとか、そんな事を思っていたら「大丈夫なので・・・。」と申し訳なさそうに言ったので「ああ。」と嵯峨は曖昧に返事をした。

 

さらに何か固辞する言葉が続くかと思ったがそのまま沈黙のうちに本は片付き「ありがとう。」と伏目がちに少し笑って小野寺が礼を言ってその場は終わったように思えた。

 

実際そうするつもりだったが、小野寺の抱えている本を見て考えるより先に言葉が口から出た。

 

「宇佐美秋彦、好きなの?」嵯峨が本を指差して問う。

 

「え?」小野寺は初めはキョトンとしていたが、言われた意味が分かると少しだけはにかんで「うん」と答えた。

 

いつもの品の良さだけが張り付いた顔と違う自然なその表情をぼんやりと見ていると「この図書館は蔵書が多くて嬉しくて。」と今度はにっこりと笑って言った。

 

「でも、在庫一覧にある『笹の風とパンダの泪』が見当たらなくて・・・。」

「あれな、入ってすぐに誰かが持ってっちゃったみたいで俺も結局借りれなくて買ったんだ。」

「え!そうなの?」

小野寺は残念そうにため息をつく。

 

「小説とか今親がうるさくて買えないんだ・・・。残念だな。遠いけど区の図書館に予約するしかないか・・・。」

「勉強で?」

「そう・・・。受験だから・・・。」

「いい成績とってんじゃん。」

「もう必死。成績落ちたら塾やら家庭教師やらつけるって言われてて、そうなったら読書もできないし心情的にはギチギチなんだ。」

「いい親じゃね?」

「そうだね。たぶん・・・・でも、見栄っていうか、いい大学じゃないとだめだって言われてて・・・、正直辛い・・・。」

「ふふ。」

嵯峨が笑うと小野寺は「あ、ごめん。初めて喋ったのにこんなこと・・・。」と両手を振って赤面していた。

 

「俺家にあるから貸すよ。」

「え?」

「明日持ってくる。」

「え!本当!?」

「別に減るもんじゃないし。」

「嬉しい。」

 

本を貸すと自分から言うことに実は驚いていた嵯峨だった。

 

自分の中に誰かが入り込むことを嫌うゆえに特定の友人さえも作らずにいた。

しかし小野寺の態度には好感が持てた。もう少し知り合ってもいいかもしれないと思えた。

 

「王子って呼ばれてる」

「勘弁して・・・。」

「意外と普通でびっくりだ。」

「普通以下だよ、不器用だし口下手だし・・・。」

「だから?」

「え?」

「笑ってごまかす。」

「ははは。正解。」

 

図書館で初めて会話をしてから数時間後にはこんな風に話をすることができる程仲が良くなっていた。

 

やっぱり図書室はこいつにとってもシェルターだったんだなと妙に嬉しく思う嵯峨だった。

 

 

 

 

小野寺と嵯峨はそれからは多くの時間を共に過ごしていた。

 

「小野寺は勉強はどうしてるんだ?あんな成績取ってるのに自学自習じゃないだろう?」

嵯峨が疑問をぶつけると小野寺から意外な言葉が返ってきた。

 

「通信添削をずっとやってる。イギリスにも送ってもらってた。」

「え!?ひょっとしてα社?」

「そう、知ってる?」

「俺も受講してる。」

「え!?ほんと?!」

「優秀者は筆名が載るだろ。」

「うん。」

小野寺がカバンからテキストの入った袋を取り出すと、嵯峨が情報誌のとあるページを広げ指差した。

 

「『マサムネ』、これが俺。」

「まさか!」

小野寺は深緑の瞳を大きく見開いて「『RITU』って、これが俺だよ。」と慌てて言った。

 

添削問題を締め切りまでに出すと成績優秀者は情報誌の紙面に筆名が載る。

それは順位ではないが大学受験をするためのコースとなると難易度も高く当然人数も減り載る常連はある程度決まっていた。

 

そして、会った事もないそのライバルが上位者として載れば次は自分もと闘志を燃やし頑張ることができる。

そういうものだった。

 

 

二人は紙面上で切磋琢磨してきたライバルがお互いと知って驚いてしばらくは言葉を発することができなかった。

 

「すごい・・・。」

「ずっと前から俺たちは知り合いだったんだな。」

 

小野寺がふふふと柔らかく笑うと嵯峨がでこをグイッと押した。

小野寺もよくもやったねと嵯峨の両頬をぐいっと引っ張った。

 

「お前ってT大受けんの?」と嵯峨が言う。

その情報ページの小野寺の欄の志望校の項目にはその大学の名前があった。

 

「親がさ、家を継ぐのにT大じゃないと駄目だって言うんだ。」

小野寺は深緑の瞳を少し宙に泳がして困ったように肩を竦めて言うと

「親が言うから行くのか?」

と嵯峨が眉を顰めて責めるように言う。

 

「うん・・・。なんて言うか・・・、親の言う事をきちんとやり遂げて、それから自分の言 いたい事を言おうと思っている。出来ないから逃げるみたいに思われたくないから。」

今度は小野寺が意思のあるきっぱりとした視線で嵯峨を見た。

 

「そうか・・・。」

案外負けず嫌いなんだな、そういえば文化祭の花づくりもいつの間にか上手になっていたっけと、口には出さなかったが嵯峨が口元を緩めると

「嵯峨君こそKO大が志望なの?」と今度は小野寺に問われた。

 

「本を読んですごいと思った文学の教授がそこに居るんだ。大学に入れてもさ、きっとゼミとかも倍率すごいだろうけど、何としても師事したいんだ。」

嵯峨はすこし遠くをキュッと見てほわりと笑った。

 

「そうか、じゃあ二人とも頑張らなきゃだね。」

「はは、本ばっかり読んでらんねーな。」

 

二人は会ってからまだ日も浅いのにまるで何十年も友達だったような安心した気持ちになっている事を不思議に思った。

 

運命かな・・・。こういうのもさ。

嵯峨はこれほどたやすく人を懐に入れている自分にまんざら嫌な気持ちもせずにいた。

 

 

 

 

 

 

 

「おい!なんで不機嫌なの?」

嵯峨が先を歩く小野寺を追いかけながら腕を引いて言うと

「別に不機嫌じゃないよ。」

小野寺はそう答えるも足を止めようとも嵯峨の方を見ようともしない。

 

「やっぱり不機嫌じゃねーか!」

珍しい小野寺の態度に嵯峨が若干先回り気味に前に出て両肩をつかんで正面を向かせると観念したように顔だけ横を向き「峨君・・・、昨日女の子に告白されてたよね。付き合うんでしょ?お邪魔だろうと思って。」とそっぽを向いたまま拗ねた口調で言った。

 

「なにお前嫉妬してんの?!」

嵯峨がからかうように笑うと、小野寺はハッと目をあげてしばらく嵯峨の目を見つめ沈黙をしたのち「そうかもしれない。」と真面目に答えた。

 

「え!?お前?」

嵯峨がドキッとして言葉を詰まらせ小野寺の顔を見つめると「彼女ができたら俺なんて相手してる時間無いだろうって・・・。寂しくなるなって思ったら・・・。女々しくてごめん。」と小野寺がうつむいて睫毛を揺らした。

 

相変わらず睫が長いなとか、深緑の目がきれいだとか思った自分の思考を元に戻しつつ嵯峨が乱暴に手を離し、はき捨てるように「受験生なのに恋愛なんてしてる時間ねーよ。お前だってよく手紙とか貰ってんじゃん。こっちもばんばん嫉妬してんだ。」と嵯峨は自省的に言いつつも小野寺に迫る。

 

「な!なんでそれを!」

「女子たちは所構わず喋りまくるかなら。モテることに気がついてないのはお前だけだろ。」

嵯峨の言葉に小野寺は目がなくなるのではないかと言うほどギュッと目を瞑り顔を真っ赤にした。

 

実際に嵯峨は今小野寺とともにいることが楽しかった。

本の話をして、将来の話をして、そしてお互いの鬱々した話をすると、またもう少し頑張ってみようと思えた。

 

そう、友人とか恋人とか親兄弟とか、そういう括りを超えた得難いものを小野寺に感じていたのだ。

それゆえ、恋人を作ってその時間を削ぐようなことは考えられなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

暑い夏の日だった。

夏休みがそろそろでどうやって過ごすかなど受験生にあるまじき事を考えていた小野寺に嵯峨が前置きもなく唐突に爆弾を落とした。

 

「小野寺、俺親が離婚したから親の実家の香川に引っ越すことになった。」

「え!」

静かな図書館の自習スペースで小野寺は突然の嵯峨の言葉に驚いて目を見開いた。窓の外には都会には珍しく霞むことない蒼穹が広がっていた。

 

「だって嵯峨君、もう高校三年の夏なのに!こんな時期に!?ご両親はなんて?」

「もう嵯峨じゃないんだ。高野になった・・・。」

「高野・・・君・・・?」

 

小野寺は嵯峨の憔悴しきった態度とあまりのことに思考がぐるぐるして言葉を失っていた。

 

政宗は、子を思うがゆえに冷え切った仮面夫婦であっても別離を伸ばす家族もある中で、この時期になんの相談もなく離婚をした事実を事務的に告げた挙句、自分だけ香川に行けという親に絶望の気持ちを超えた運命に対する憎しみさえ沸くほどだった。

 

ただ、自分には縋れるものがいた。少なくとも一人ではないという確かなものが嵯峨を奮い立たせた。

 

「これからお前のことをリツって呼ぶ。だからお前も俺のことをマサムネって呼べ。」

ほんの少し前までゆれていたヘイゼルの瞳は今は迷いはなかった。きっぱりとした口調で小野寺にそう言い放った。

 

「今の俺たちは親の都合をどうする事もできないガキだけど、絶対に自由になる。もう苗字なんてなんだっていいんだ。」

政宗の強い視線に、律はぐるぐるとしていた思考を必死に戻した。

 

「分かったよ。」

律は声こそは震えていたが、同じように強い視線で政宗を見据える。

 

「俺、絶対に東京の大学に受かるから。絶対に戻って来るから!」

「うん。」

「お前も自由になるために大学に受かれ!」

「うん。」

「お前また泣いてる。なんで泣き虫なんだ。」

「こ、これは感情が高まると現れる生理現象だから。」

律が腕でぎゅっと涙を拭いてそう言うと政宗が人差し指で拭いきれなかった雫をすくい上げた。

 

「俺たちは自由になる。誰にも邪魔されないように。」

「うん、誰にも心を侵害されないように。」

 

心の中で硬く誓い合うのだった。

 

 

 

 

 

 

- この間の模試で合格圏内A判定だった。

 

- やったね。あと少しだね。俺はまだもう少しがんばらないと

 

- お前は最難関だからな。でも大丈夫だ。

 

- ありがとう。受験の時は応援に行くよ

 

- お前だって私学受験だろ?

 

- 私学は一つしか受けない

 

- なんで?

 

- どうせ落ちても私学には行かないから。試験慣れするために受けるだけだから

 

- そうだな。落ちるなんてありえないから。

 

- うん。がんばろう。

 

 

2人はまるで遠距離恋愛のカップルのようにラインのやり取りをし、合格発表の日の約束を糧に勉学に励んだ。

 

 

 

 

政宗の受験の発表の日は、今はネットで確認が出来るというのに政宗と律は二人で一緒に会場に行き、合格の掲示を見て律は政宗に飛びついて喜び、また一人ぽろぽろと泣いた。

 

そんな律の姿を見ていると自分が偉業を成し遂げたような気になり、承認欲の充足から認めてもらうということの意義を改めて感じた。

 

そしてその日は律は受験生のくせに政宗に付き合い夜通し騒いで喜びを語り合った。

 

 

 

それからは、政宗は東京で暮らすための準備に奔走し、律は受験の追い込みに力を注いだ。

国立の試験は当然私立より遅い。

前期の学校でさえそうなのだから中期や後期の受験生は季節を感じる時間など無いだろう。

 

受験のその日、政宗は早朝からその有名な門の前に立っていた。

律は討ち入り前の武士か解脱した僧侶のように落ち着きはらい、もうやるべきことはすべてやったと決戦の日を迎えていた。

 

「あとは「人事を尽くして天命を待つのみ」って心境だ。でも天命には頼らない。自分の力で絶対に受かる。」と泣き虫のくせにきっぱりと言い切って門の中に消えて行った。

 

そのかばんからはかつて律が湯島天神で手にいれ政宗に手渡し、無事に大願を達成させたありがたいお守りがさげられていた。

 

 

 

 

そして弥生3月、律は落ちても通う予定のない私学(と言っても、難関の商学部)にも合格していたが、国内最難関と言われる国立大学の法学部にも見事合格を果たした。

 

自分の合格発表の日の律の乱れようから今回の発表の日の姿は如何ほどかと思っていた政宗だったが、意外にも律は自身の数字を発見してこぶしをぐっと握り締めたまま一度だけ「やった。」と小さくつぶやいただけだった。

 

そしてやはり本人以上に喜びで飛び上がったのは政宗の方だった。

「まるで俺が合格したみたいじゃねーか。」と文句を言いながらも身体が跳ねることを止められなかった政宗に頭を抱きこまれたまま律は一筋だけ涙を流した。

 

政宗はそんな律を見てまた喜びに震えた。

 

 

 

 

 

東京住まいの律はそのまま家から通学をするのだろうと思っていたのだが、意外にも一人暮らしをすると言った。

 

当初母親は猛烈に反対をしていたそうだが、父親が男は一人で暮らしてこそ一人前だと言って律の一人暮らしを許したと言う。

 

それでも親の関与を断りたかった律が母親が用意した本郷の立派なマンションに住むことにしたのは、そうでなければ母親が一人暮らしを頑なに許そうとしなかったからだそうだ。

 

情けないな俺・・・、と律は苦笑したがそれを軟弱だとは思わないと政宗は律を慰めた。

 

心の強さは冷淡さではないのだ。心の強い奴で無ければ人にやさしさや思いやりは与えられない。

親には今のうちに沢山の安心を与えてやればいいんだと思っていた。

 

やがて俺達は飛び出すのだ。親の手のひらの上から。

 

 

 

 

 

⭐️

 

 

 

ふと、此の所リツと連絡を取ってないとマサムネは気がついた。

 

 

大学にお互い合格し、無事に東京で再開しても雑事に振り回され会うどころか政宗からのラインも減っていた。

近くにいるはずなのに、むしろ近いからと油断しているからかバタバタしたまま日にちが過ぎて行ったのだ。

 

アイツって俺から連絡がしなければ、あっちから何かを言ってくることはないような気がする。

政宗はモヤモヤする嫌な気持ちが湧き上がるのを感じた。

 

「高野。なにしけた顔してんだ。」

政宗の前方には最近仲良くなった同級生がいた。

高校時代も律以外に仲良くしている友人のいなかった政宗だったので特定の人物と仲良くなるというのは稀有なことだった。

 

「学食行くか?」

「あ、ああ。」

厳つい見てくれに反してその人物横澤は面倒見がよく、愛想のない政宗にあれこれ世話を焼いていた。

 

基本的に政宗は自分の衣食住に対して頓着が無かった。すべてにおいて困らなければ何でもいいというレベルだ。

 

一方で横澤は政宗が地方出身者の一人暮らしだと信じていた。

不慣れな都会で生きていくのは大変に違いないと思い込んでいる節さえあった。

 

「おまえ放っとくと何食も飯食わないから。」

「腹減れば食うさ。」

「どうだか。」

横澤はニッカリと笑った。

 

 

大学の学食は女子受けのよさそうなこじゃれたカフェ風の店と、質より量と言わんばかりの定食屋風の店があった。

そして政宗と横澤は当然定食屋風の店で味が濃く脂っこい昼食を目の前にしていた。

 

 

「なんだ?女か?」

スマホの画面を見つめる政宗に横澤は学食の天丼をかっこみながら聞いた。

 

「いや、あえて言うなら男。」

ふっとため息を吐いて言うと横澤が眉を顰めた。

 

「そういう性癖?」

「ダメか?」

「いや、偏見は無いけど、本当か?」

「嘘だ。」

政宗は今度はぷっと笑ってスマホを置いた。そのすきに横澤が政宗の頭を小突いた。

 

「高校の時からの友人と最近連絡取ってないと思ってさ。」

「東京にいるのか?」

「ああ。」

東京にいるのか?という言葉は言い得て妙だと思った。

本来俺は東京の住人だ。ほんの半年ほど住んだ香川は実際には故郷では無い。

 

しかし細かいバッググランドを説明するには多くのことも告げねばならない。

そこに付随される同情的な視線を想像すると面倒で決して嘘ではない香川から出てきたという事実だけ言っていた。

 

「気になるなら連絡すればいいじゃないか?」

横澤の言葉に政宗は「確かに。」と短くつぶやき徐ろにスマホを操作した。

 

「リツ?」

「うん、」

「ん?」

「や、別に用事はねーんだけど。」

「おまえ連絡寄越さねーから。」

「うん。」

「うん。」

「おまえいつだってそうだ。」

「うん。」

「うん。」

「会いたい・・・。」

「いいんだよ、俺が会いたいんだから。」

「っはははは。」

「そうそう。」

「今日は午後1コマだけだから。」

「今飯食ってる。」

「ん、天ぷら蕎麦。」

「バイト?ねえよ。」

「あ、そう。」

「わかった。じゃ待ってる。」

 

横澤はその様子をずっと見ていた。

そして「やっぱり女なんじゃね?」とつぶやいた。

 

 

 

 

 

久しぶりに律と待ち合わせをしたのは学校の近くの小洒落たカフェだった。

先に来ていると連絡のあった律を探すとオープンテラスで本を読んでいた。

相変わらずすげー綺麗な横顔だな。特にあの長い睫毛・・・、と見惚れる様に政宗は一瞬止まって律を眺めた。

 

「どこにいんの?」

唐突に後ろから無理やりついてきた横澤が政宗の背中を押した。少しだけその顔を睨み返して

「リツ!」

と政宗が呼ぶと律はパッと顔を上げたが横に別の人物がいることで溶けそうだった嬉しそうな顔から外向けの品の良い顔に一瞬で変貌した。

 

「マサムネ、久しぶり。」

にっこりと笑う顔はクラスメイトに王子と呼ばれたそれだった。

 

実際のリツは負けず嫌いのくせに泣き虫で誰よりも熱い、それを知らない奴らは律の背景だけで気位の高い温室の薔薇のようだと思うだろうけど、本当のこいつは泥臭くて、汚れても踏まれてもくじけないで花を咲かすタンポポのようなやつなのだ。

 

政宗がふふっと笑うと律が怪訝そうにした。

 

「勝手についてきたこいつは横澤。」

「初めまして。小野寺律です。」

「横澤隆史だ。よろしく。」

横澤と律はお互いに軽い会釈で挨拶を交わした。

 

「高野とは高校が一緒だって?」

「あ、そうです。自分は途中から編入してきたので・・・、丁度出会ってから一年ぐらいですね。でも一緒だったのは3ヶ月ぐらいでしょうか。」

 

「そうなのか?」

「そう言えばそうだな。」

律の言葉に横澤が政宗を見ると政宗は当時を思い出すように視線を上げて呟いた。

 

「それでもう親友なのか?」

「親友?」

「親友?」

二人は首をかしげる。

「戦友っつうか盟友?」

「あ、そんな感じだね。」

律が少しいつもの人懐っこい笑顔を見せた。

 

「リツがいたから東京に戻って来た。じゃなければどうだっていいと思ったかもしれない。」

「な、何言ってんだ。俺の方がよほどだ。途中できっと流されてた。」

 

「俺たちが自由になるための第一歩だからな。」

 

政宗はニヤリと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「マサムネ、居ないの?」

12月24日の誕生日、律は政宗が約束の時間になっても現れないので家に行った。

 

すでに慣れた部屋には遠慮など何もない。合鍵を使い部屋の中に入って行った。

 

実は誕生日の祝いはするのだけど、最近の政宗は何か不安定な感じがしていて今回はそれも聞いてみたいと思っていたのだった。

 

「マサムネ、寝てるの?」と半開きの寝室のドアを静かに開き、中をそっと覗くとそこにはむっとする暖房の熱気と布団もかけず政宗と女性が裸で抱き合って寝ている姿が目に飛び込んできた。

 

「わ!」

律は慌て過ぎて持っていた鍵をカチャリと落とすとその音で女性が目を覚ましキャっと小さく悲鳴を上げた。

 

律は驚いたまま部屋から転げるように飛び出していた。

 

 

 

不安定に感じたのはそういう事だったのか。単に自分が鈍感なだけで女性と付き合っていて気もそぞろって事か。

 

律はなんだか腹の立つような、泣きたいようなイライラモヤモヤした気持ちのままその日の政宗からのラインも電話も全てを無視して過ごした。

 

ああ、これは嫉妬と同じだな。

政宗に友人を紹介された時も、そして今回も、要するに俺は政宗の一番でなければ気が済まないんだ。

「バカバカしい。」

律は首をブンブンと振り自分の気持ちを切り替えようとした。

政宗には政宗の人生がある。

幸せであれば俺には口出しをする権利は無い。

 

律は自分の悋気を吹っ切るように自分自身に強く言い訳をするのだった。

 

 

 

 

 

 

「りっちゃん。」

「あ、杏ちゃん。ごめん。」

妹のように気安い幼馴染と休日を過ごしている律はふと浮かんだ政宗の事をまたボーッと考えていたことに気づき意識を戻す。

 

「どう?この服。」

ここは女子向けのブランド店だ。丁度クリスマスシーズンには日本を離れていた幼馴染の小日向杏にクリスマスプレゼントを選んでいる最中だった。

 

「似合ってるよ、可愛い。」

律がにっこりと笑うと杏も嬉しそうに笑った。

実際に、色白で大きな目、長いウエーブのかかった栗色の髪に薄紫のシフォン素材を品良く使ったそのドレスは似合っていた。

 

「じゃありっちゃん、これ買ってくれる?」

「もちろん。その予定だったんだから。」

 

律は店員を呼び服を購入する旨伝える。

「それと、このペンダントね。」

「え!?」

「だって前にこっちも欲しいって言ってたでしょ?」

「覚えててくれたの?」

「もう買っちゃった?」

「ううん。まだ。」

律は店員にケースの中のオーブの形のペンダントを指差しそちらもと伝える。

 

「りっちゃん嬉しい。」

杏は満面の笑顔で嬉しそうにした。

 

「優しい彼氏さんですね。」

店員は杏に向ってそう言ってにっこりと笑った。

 

 

 

 

「ねえ、政宗見て。」

その二人を隣接のカフェから見ていた人物がいた。

 

「すごいセレブっぽいカップルね。あの店の服って高いのよね。」

女は赤く染まった爪を立てるように男の腕を引き、扇情的な服から大きくはみ出た胸を押し付けながら顎でその方向を指した。

男のヘイゼルの瞳は揺れ、次の瞬間ザッと踵を返し女の腕を掴んでその場から逃げるように去っていった。

 

それが律と政宗の街での邂逅だった。

 

 

 

 

 

ラインをしても電話をしてもあの日から律と連絡が取れない。

常識人の律が女と裸で寝ているシーンを見たらそりゃ驚くし軽蔑されたかもしれない。

そう思うとイライラとしつつも直接的な行動は起こせなかった。

律から決定的な言葉が出るのが怖かったのだ。

 

- でもなんだよ!俺は無視で自分だってよろしくやってたって事か!

 

イライラの絶頂に達した政宗は自分だってやってやると、呼び鈴も押さず合鍵を使い部屋に押し入った。

昼の女性と一緒かと思っていたのだが律は一人布張りのロッキングチェアーに座り本を読んでいて、突然現れた政宗に心底驚いていた。

 

「俺を無視してんじゃねーよ。」

明らかに不機嫌そうな政宗の態度に律は立ち上がるが揺れる目を伏せた。

 

「なに!もう俺と切りたいわけ!?」

そんな律に政宗は容赦せずに腕をつかん自分の近くに引くとバランスを崩した律は政宗の上に覆いかぶさるように倒れこんだ。

 

「切りたいって!そんな!」

律は政宗から離れようと身を起こすが政宗がそれをゆるさじと再び腕を引いた。

顔がぐっと近づく。

律は至近距離にある政宗の瞳に映る自分の姿に羞恥を感じ、目をぎゅっと瞑りぼそぼそとしゃべり始めた。

 

「ずっと様子が変だったからどうしたんだろうと思ってたらあんな・・・。動揺するに決まってるだろう!」

「自分だってよろしくやってんじゃねーか。」

「なに!?自分だってって!?」

「今日誰といたんだよ!」

「え!?」

「二人とも血統証付きの猫みたいでお似合いだったぜ。」

政宗の言葉に律がキッと睨みかえす。

 

「あ、あれは幼馴染で。クリスマスにプレゼントをしていただけで・・・。マサムネこそ誰といたんだよ。どうせ女なんだろ。」

「俺は・・・。」

 

政宗が一緒にいたのは最近飲み会で知り合ったばかりの大学の女子の一人だった。

特定の相手はいないが誘われれればそういう行為も当然ありだ。

ちなみにこのあいだ部屋に連れ込んだ女性は飲み屋で知り合ったその日限りの相手だった。

 

「マサムネが俺みたいな坊ちゃんに悩みを打ち明けたりできないのは仕方がないと思う。

だから、せめて彼女が出来てそれで満たされるのだったら邪魔はしないようにって思っただけだ。

でも、俺だってよかったなって言うのに少し時間が欲しかったんだ。」

 

「な、何言ってんだ!お前いつだって一人で完結しやがって!お前にカッコ悪いところ見せたくなくて言えなかっただけだ!別にお前が役立たずだって思った訳じゃねー。」

 

政宗はそこで急に言葉を詰まらせた。

何?と律が言葉を待っていると

「父親が・・・。」と消えるような声でつぶやく。

 

「え?」

 

「俺の戸籍上の父親が、実際には血のつながりがない本当に全くの他人だったってわかったんだ。」

 

「え!?」

 

「あんなに親なんて関係ない。自由になるって言ってたのに、ショックを受けている自分に動揺した。」

 

口に出すとさらにその事実にショックを受けていることを自覚した政宗は目を伏せた。

 

ふっと、身体を温かいものが包む。

律が身体を起こし正面から政宗の身体をぎゅっと抱きしめたのだった。

 

「ごめん政宗、そんな辛いことがあったのに無視したりして。」

「なんでお前が泣いてんだよ。」

「これは感情が・・・、」

「感情が高まると現れる生理現象か?」

「そう・・・。」

「うん。」

 

「マサムネが泣かないなら俺が代わりに泣いてあげる。」

「うん。」

 

 

律は政宗を抱きしめ背をぽんぽんと叩き政宗は律にされるがままにもたれかかり、二人はずっとそのまま無言で波立っていた心が落ち着くまで時を過ごしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前エントリーシート書いたか?」

相変わらずの世話焼きの横澤が、気だるそうにしている政宗の真正面に座ると政宗はクリアファイルをひらりと振って見せた。

「やっぱりお前出版狙いなんだな。」

ラインナップを見て横澤がつぶやく。

 

「そういう訳でもなかったんだけどエントリーシートを書いているうちに書きやすいのが出版だった。

設問にもスラスラ答えられるしまあ、まずは出してみるさ。」

 

「院には行かないのか?」

 

「いろいろ考えたけど早く独り立ちしてーし。」

決して成績の悪くない政宗ならそのまま大学で研究者になることもできるだろう、しかし講師や教授という感じはしないな、と横澤は親友の答えに思いを巡らせていた。

家も複雑だしな・・・。と。

 

 

「あいつはどうするんだ?」

「リツ?」

「いいとこのボンボンなんだろ?」

「うん。小野寺グループだな。実家は。」

「はぁ!マジか?!」

「出版部門もあるから英米文学やりたいって言ってたけど、親は許さないだろうな。」

 

盟友の進路のことを考えると政宗は気持ちがスッと暗くなった。

自分の場合は卒業して独り立ちすれば親とはきっぱりと縁を切って自由になれる。

親だってこの後に及んで政宗を自分たちの元に拘束しようとは微塵も思っていまい。

お互いに新しい家庭を持って幸せに暮らしているのだから。

 

しかし律はこれからが戦いなのだ。

 

律の言ったとおり、律は努力に努力を重ね文句の言われようのない程求められる道を極めて来た。

だからこそそんな律を親が簡単に諦めるはずがない。となると今後の戦いは消耗戦なのかもしれない。

 

辛くて長い戦いになりそうだとため息を一つついた。

 

 

 

 

 

大学に入って直ぐから、未成年でありながら酒の席にも平気で出席していた政宗だが、成人を過ぎてからはますます歯止めが効かなくなっていた。

 

時々訳もなく人恋しくなり行きずりの女性と夜を過ごすことも増えた。

 

得体の知れない乾きを埋めるように、手当たり次第に何かを求めるが、一向に満たされない心を今日も持て余していた。

 

たまたま座敷の隣の席の女子軍団が此方とほぼ同人数で、女性の方から一緒にいかがですか?と声を掛けてきて、中心的立場の同級生がノリよく彼女たちを招き入れ群れを広げた。

 

「私は帰ります。」

中の一人が申し訳なさそうに友人に告げると「小日向さんもたまにはこういう席も経験したらいいと思うけど。」

 

と中心人物と思しき女性が説得するように言った。

 

「ダメダメ、小日向さんは婚約者が居るんだから、ここにいるのも内緒なのに叱られちゃうわ。」

別の女性が『小日向さん』に加勢するように言う。

 

「え、その年で婚約者なんてすごいね。」

政宗の仲間の男子がびっくりしたようなおどけたような口調でそういうと

 

「小日向さんはお嬢様だから小さい頃から許嫁がいるのよ。」と女性が言った。

その女性の言い方がやや意味深で、レベルの高い人物が一人でも減ったほうが良いと考えているのだろうと、政宗は裏の打算的なところを深読みしてフンっと鼻を鳴らした。

 

「お、お嬢様だなんて、違います。でもりっちゃんは確かに親同士が決めた許嫁ですけど・・・。」

『小日向さん』は少し恥ずかしそうに頬を染めてそう言った。

 

りっちゃん?

穿った見方で傍観していた政宗はその言葉にハッとした。

この子はほんの一瞬だけだ見たあの時の律の幼馴染ではないのだろうか?

不快感が防波堤を襲う波のように虚勢を張った政宗の心をビシャビシャと打ち付けてくる。

 

 

「小野寺律?」

政宗から無意識にその名前が口をついてでた。

 

「え!?りっちゃんをご存知なんですか?」

男女の飲み会などと困り果てた顔をしていた『小日向さん』が少しだけだ警戒心を解いたようなホッとした顔をした。

 

「高校の同級生。」

思いがけず出た言葉に後悔したが、覆水盆に返らずと政宗は不愛想に答えた。

 

「こんなに可愛い彼女がいるなんて知らなかったよ。」

ざわめく心を押し隠し、逆に色っぽい顔でそう答えると彼女以外の女子一同が色めき立った。

 

「婚約者なのは事実です。でも、私はりっちゃんの彼女じゃないです。」

「付き合ってないの?」

「ええ、まあ・・・。」

「こんなに可愛い婚約者なのになんで?」

政宗は意地悪く『小日向さん』を追い詰めるようにさらに色気のました笑顔で聞く。

これは政宗の取って置きの顔だ。自分はあまり好きではないこの表情を誰もが賞賛することを知っていた。

 

すると意外な答えが返ってきた。

 

「りっちゃんには好きな人がいます。」

「え!?」

政宗は驚きで息を飲んだ。まとった鎧がはがれるのがわかった。

 

「たぶん・・・。」

目を泳がせて『小日向さん』が弱々しく答えた。

 

 

 

 

 

 

このところの律は政宗と連絡を取らずにいた。

 

避けたいわけではないが虚空を埋めるように次々と女性と付き合う政宗を見たくなかった。

 

政宗はいつも女性から乞われて付き合う。

政宗がその気になれば女の子なんてあっという間に自分の思うように出来るだろう。

実際に政宗の周りには女の子はいつも群がっている。

 

しかしせっかく選ばれたはずの女性はやがて政宗から離れていく。

政宗が不誠実なことをしているとも思えないし、むしろ政宗なりに努力をしているようにも見えるのに。

 

何でみんな政宗にもっと根気強くつきあってあげないのだ?

政宗はあんなに寂しがり屋なのに・・・。

 

しかし一方の政宗も終わった関係になんの執着も見せず新しい関係に移って行く。

政宗の渇きを癒すことの出来る子は現れない。

 

 

政宗の渇望しているのがなんなのか律は知っていた。

 

一番自分を愛してくれるはずの家族が政宗を放置したまま、まるで政宗が存在していなかったように幸せに暮らしている。

自分がここにある意味とはなんだったのだろうかと、存在意義が全否定されているように感じても仕方がない。

政宗だけが過去に置き去りにされているのだ。

 

政宗に家族など元からいなければよかった。そうしたらきっとここまで虚しく思うことはなかったのだろう。

だけどそれは叶わない・・・。確かに家族という名の人たちはそこに存在したのだから。

 

そんな政宗の空いた心の穴を埋められる誰かに早く出会えるようにと律はひたすら祈っていた。

 

俺にはその穴を埋めてあげることができないのだから・・・。

 

 

 

 

 

 

 

リツに婚約者がいる。

リツは金持ちの坊ちゃんだ。そういうこともあるんだろう。

そういうことが嫌で自由になるって言ったんだろうか。

でも、リツがあの子と結婚してもしなくても、やがて俺たちの道は別れて行く。

 

分かってる。分かってるのになんでいつもそう考えるとイライラするんだ。

どんなにリツが女に優しく笑ったって、あれはリツの本当の笑顔じゃない。

本当のリツの笑顔は俺しか知らない。

そう思っていた。

 

でも、あの子が言っていたように、本当にリツが好きだって言う子がいるのなら、その子には俺に見せる以上の笑顔を見せるんだろうか。

 

なんで俺はいつだってリツの事でこんなにイライラするんだろう。

 

 

 

 

 

「高野!おまえいい加減にしろ。」

横澤は政宗のアパートに乗り込むと散らかった酒ビンをかき分け、半裸で政宗に絡みついている女を引き剥がすと荷物を押し付けるように渡し家から放り出した。

 

「横澤、何すんだ。」

政宗はまだ酔っているようで口調は怒っているようだったが全く勢いがなかった。

 

「学校も来ないであんな女なんか連れ込んでんだ。」

横澤は、明らかにセックス以外の目的がなさそうな先ほどの女のことを思い出しながら脱ぎ散らかした服を集め始めた。

 

「ははは。なんでってやりたい盛りだろ!?俺たち。」

政宗がさもおかしいとばかりに高笑いをした。

 

「なんだったらおまえの尻でもいいぜ。」

政宗に腕を引かれベッドに引きずり込まれた横澤はそのまま政宗に組み敷かれた。

 

酔っ払の力だ。本気で拒もうとすれば造作もない。

サッカーをやっていた横澤は力にも自信があった。

しかし政宗のあまりにも痛々しい姿に拒否をするべきかどうか躊躇していた。というか、それで気が済むなら好きなようにさせてもいいのかもしれないとさえ思っていたのだ。

 

そうこうしているうちに政宗が服のボタンを外しはじめる。

ふさがれていた唇から舌が移り、頬から首筋を舐めあげ政宗が耳元で甘く「リツ・・・。」とささやいた。

 

 

つぎの瞬間横澤は政宗の首根っこを掴んで自分から引き剥がし声高に吠えた。

 

「高野おまえ!とっとと行きやがれ!おまえが真に欲している奴のところへ!」と。

 

 

横澤は納得した。

そりゃそうだ。付き合ってる男が最中に他の女(実は男)の名を呼べば女はみんな離れていく。

すでに三年の付き合いのこの色男が、なぜか女と長続きしない訳がやっとわかった。

 

本人はわかっていたんだろうか。そのことに。

 

 

 

 

 

⭐️

 

「リツ」

もう夜中だというのに政宗は遠慮もせずに律の家に押しかけ合鍵を使って部屋に入った。

しかし律は既に寝ていてベッドの中で政宗をぼんやりとした目で迎えた。

 

あまりにも虚ろな律に「お前今の状況わかってる?」と髪をかき上げ言うがほとんど寝ている律からははっきりとした反応はなかった。

 

そうだった、コイツは寝起きが悪いんだったと思い出す。

 

「ん。マサムネ・・・。」それでも政宗の顔だけは認識できたようだが果たして夢と現実の差を理解できているかどうか怪しかった。

 

「リツ・・・。」

 

政宗は律の頬を両手でそっと押さえ唇を合わせた。

まだ夢の住人の律が相変わらずボーっとした視線で政宗を見て、その背にそっと手を回した。

政宗よりも少し小柄な身体は政宗の身体の凹凸にまるで張り付くようにフィットし、発せられる温かさに政宗は震えた。

 

横澤に言われたときには半信半疑だった。

律を恋愛の対象などと思ったことはなかった。

律に対する依存度合いは確かに異常だと感じることはあったが、しかしそれが本当はなんなのかを深く考えたことはなかった。

 

政宗には常に渇望している何かがあった。

どんなに探し回ってもどこにもそれはなかった。

 

そうか、こんな近くにあったんだな。

まるでメーテルリンクの青い鳥だ・・・。

 

 

「リツ好きだ。」

政宗がつぶやくと

「す・き?」

と律がぼんやりとつぶやいた。

 

政宗のキスが深くなり手を服の中で胸に這わせた瞬間身体に緊張がはしり「は!?な?!なに?!」と律が叫ぶように声を上げた。

 

どうやら胸への刺激で真に覚醒したようだった。

 

「マサムネ!?なんで?!」

現在の状況について来れていない律は政宗の胸を掌で押しながら身を捩る。

 

「リツ、逃げないで。」

政宗が律を後ろから抱き込み耳元で懇願するように囁く。

 

「や、やめろ。お、俺をお前のお相手達と一緒にするな!」

政宗が律の顎をつかみ耳朶をカリリとかじると、律はさらに身を捩り逃れるように手をシーツに伸ばした。

 

「リツを他の奴と一緒なんて思ったことは一度もない。

リツがいれば他の奴なんていらない。」

そう言っている間にも政宗の手は止まらず律の下腹部に伸びる。

 

「やっ!やめっ!」

「やめない。リツの躰が良いって言ってる。」

政宗の手が律の敏感な先をキュッと刺激すると律の躰が震えた。

 

「ほら。」

「ば!馬鹿じゃないか!こ、これは刺激による生理的な現象だ。」

「リツは自分でする時どうやるの?」

「ふ、ふざけるな、手を・・・、放せ・・・、あ・・・。」

さすがに男同士、いいところを知っている政宗に翻弄された律は己が痴態に躰を強張らせる。

 

「リツいい加減観念しろ。俺も男とは初めてなんだから。」

掴んでいた顎を引き寄せ唇にキスを落とす。

すでに過度に与えられ続けた刺激に律の限界は近く、泪を浮かべた深緑の目が抗議の色を映している。

 

「政宗なんでこんな・・・。やめて・・・。」

「なんでって、律が好きだから。」

「男に・・・、鞍替えしたのか?」

「女でも男でもなくリツがいい・・・。」

政宗がリツの躰を引き寄せ正面を向かせ、下着ごと着衣をはぎ取った。

 

 

 

「マサムネ、わかった。だからちょっと待って。」

「待てない。」

「なんで俺が下なんだ。」

「え!?お前俺に乗りたいの?」

「そうじゃなくて、押し倒されるなんておかしいだろう。」

「男同士なんだからどっちかがそうなるんだろ。

お前が俺にするって言うんだったらそれでもいいけどおまえ出来んの」

その言葉に律は政宗の顔をキッと睨んだ。

 

「マサムネ下になれよ!」

「なに強情張ってんだよ。」

「勝手に決めるな。」

「わかった。」

政宗は律の言葉に納得した風を装い一瞬力を緩め、なめていた腹から顔を上げた。

しかし「でもまずは一回。」と、おもむろに律のそれを口に含んで吸い上げた。

 

律は快感から解放され一瞬油断をしていたため、さらに強烈に訪れた刺激に全ての意識を持って行かれ、あえなく政宗の口の中で果てた。

 

荒い息のまま「マ、サムネ・・・、勝手にするな・・・って、くっ・・、言ったばかりな・のに・・・。お前・・・、」と身を捩って律が抗議をするが言葉もたどたどしく全く力が入っていない。

睨みつける目も相変わらず涙目だ。

 

「だってお前、女抱いたことあるの?俺に入れられんの?」

政宗が律の下の膨らみを再度やわやわと揉むと律は「う・・」と切なげな声を上げる。

それに気を良くした政宗はさらに腰骨の上の薄い肉を歯でキュッと甘噛みをしつつ舐めまくり、律が起き上がるのを片手で制しながら、もう片方の手では素早く上着を剥いで胸の尖りに這わせていた。

 

律は荒く息をしながらも政宗の髪を掴み、顔を自分の前に引き上げた。

 

「俺は付き合っても無い女の子とそんなことしない。俺はマサムネとは違う。」

律の言葉に政宗は皮肉たっぷりに笑い「俺とお前の何が違うんだ?俺とお前どころか世界中の男と女はそうやって種をつないできたんだ。お前の親もな。」と律の陰茎をきつく掴んだ。

 

律は強い快感に眉間にしわを寄せ「俺は快楽だけの心の無いセックスなんてごめんだ。」と喘ぎながらも拒絶の意思を表す。

 

「だからお前と寝ようと思ってんだけど。さっきからずっとお前が好きだって言ってる。俺の言葉なんて信用できないか?」

律をまっすぐに見つめて言った政宗のその言葉に律は息を飲んだ。

 

そして「なんで・・・、そんなこと今更言うんだ・・・。散々・・・。」と両手で顔を覆い何かを守るように体を丸めると小さく震えて嗚咽を漏らし始めた。

 

そんな律の姿に、政宗は攻める手を止め、背を向けた律の髪を梳きながら思い出したように「リツ、お前さあ、好きな奴がいるの?」とつぶやいた。

 

「・・・んで、そんなこと・・・。」

 

「お前の婚約者って奴がリツには好きな人がいるって言ってたから。

っつっても、そいつにリツをやるつもりは無いけどな。一応聞いとこうって思って。」

 

「・・・。」

 

「どうなんだよ?」

 

律はしばらく鼻をすすっていたが息を整え政宗に背を向けたまま消えるような小さい声で話しをはじめた。

 

「・・・、イギリスは冬が長くて寒くて毎日毎日曇天で、気持ちが沈むんだ・・・。

 

でも帰ってきた日本は桜のシーズンで、どこもかしこも桜でものすごく綺麗だった。

 

俺は一目で桜の花が好きになった。」

 

政宗は相槌さえ打たず静かに聞いていた。

 

 

「そして・・・。桜吹雪を背に一人俯いて読書をする人に恋をした。あの図書室で・・・。」

 

「え!?」

 

「何にも知らないやつなのに、話しもした事もないのに。」

 

「桜が綺麗だったからって・・・。おかしいだろう自分?」

 

「しかもあいつは男だって・・・。なんども諌めた。」

 

 

「でもダメだった。いつだってどこに居たって一番に見つけてしまうんだ・・・。」

 

「同じ図書室(空間)で過ごしたいのに、帰りがうっかり一緒になるなんて無理だって、帰り時間をわざとずらしたりした。」

 

「なのにお前、あの時勝手に俺に近づいてきたんだ。」

 

「しかも、大好きな宇佐美秋彦が好きだって・・・。」

 

政宗は意外な展開に驚いていた。

 

神仏など信じていない政宗だったが律との出会いだけはその何かに礼を言ってもいいと感じていた。

 

そう、律はいつだって自分のすぐ側にいた。

自分を励まし、自分の代わりに泣いてくれた。

友人にはその関係は共依存だと言われたがこれを何かに置きかえる事などできない・・・。

 

 

 

 

なぜ自分は気づかなかったんだろう。間近にあったこれほどの暖かさに・・・。

 

仕方が無い、自分の気持ちさえ気づかなかったんだから。

でもわかってよかった。取りこぼさなくて・・・、手遅れにならずに済んだ。

 

政宗は今度こそ何もかもに満たされている自分を感じていた。

 

 

 

「リツ、顔見せて。」政宗は背後から律の手を掴む。

 

すると律は「嫌だ・・・。」と更に身体を守るように丸めて一層顔を見えないように腕で覆った。

 

「リツ、お願い。」

 

「う・・・。」

 

政宗は律が自分の「お願い」に弱いことを知っていた。

律は政宗と目を合わせないようにそっぽを向いたまま腕の力を抜いた。

 

そんな律に「とにかく一回抱かせて。」と政宗は耳元で囁いた。

律はそんな政宗に今までの抗議はなんだったのかと花畑脳の政宗に心底呆れた。

「お前、俺の言ってること少しもわかってない・・・。」

律が脱力して言うと

 

「好きだから一番近くに行きたいってお前は思わねーの?それっておかしくね?」

と強い力で両腕を掴んで顔をぐいっと近づけてきた。

 

「お前が俺にしたいっていうんだったら次には相談に乗ってやる。」

 

「ま・・・」

『政宗』と言おうとした唇は政宗の唇でふさがれ、頭の中では『次はってなんだよ』と思いつつも一方で惚れた弱みだ好きにしてくれと思っている自分もいた。

 

どのみちこのフィールドでは分が悪いからと政宗に身を預けるように律は体から力を抜いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「俺はもういい」

事後のだるさからうつ伏せになったまま身をシーツにうずめて律がつぶやいた。

 

「なに?」

 

「こんなに大変だとは思わなかった。」

 

「ははは、それ?」

 

「笑いごとじゃない・・・。」

 

「何でだろうな?実質の運動量はする側のほうが大きいだろうにされる側の方が大変らしいな。」

 

「ヒトゴトだと思って・・・。」

 

律は身をよじるのも苦痛なようで更に声にもいつもの勢いはなかった。

 

「俺はすっげー幸せだった。リツと溶けあって一つになれた気がした。」

政宗は律の横で仰向けのまま手を宙に浮かせグーパーと動かして電灯にかざした。

 

「何言ってんだよ、男となんて・・・。散々女の子と浮き名を流して来たくせに。」

 

律が自嘲気味につぶやく。

 

「そうだな。悪い事したって今日はじめてわかった。」

 

「?」

政宗は後ろから律を掛布ごとそっと抱きしめてその首筋に顔をうずめた。

 

「今まで自分ばっかり好き勝手して、リツにするみたいに痛くないようにとか気持ちいいようにとかなんて相手に考えたこと一度もなかった。」

 

「でも今すごい痛いけど・・・。」

 

「慣れれば気持ちよくなる。」

 

「・・・。」

 

「あ。そう言えばお前が俺にする側になるんだっけ?」

 

「無理・・・。」

 

「へえ、珍しい。お前がそんな風に音を上げるなんて。」

 

「・・・。」

 

「じゃあ役割分担決定で解決?」

 

政宗が掛布の上から律の尻の割れ目に沿って指を這わせる。

 

「やめろ! っつ・・・!!」

 

声を荒げた拍子に体に力が入った律は身体の痛みに小さく悲鳴をあげた。

政宗はその姿に声を上げて笑い、律はキッと睨んだ。

 

- 明日やらなければいけないことがきっと何にも出来ない。

 

「次はもっと気持ちよくしてやるから安心しろ。」

 

- やらないって選択肢はないんだな・・・。

 

 

寝こみを襲われ大いに狂った明日の予定と人生の予定を想い、せめて明日の家事ぐらいはやらせてやる!と律は強く思ったのだった。

 

 

 

 

 

 

その部屋には普通のそれとは少し異なる形状のロッキングチェアーが置いてあった。

 

もともとは律の祖父が愛用していた品だったが小さい律がお気に入りとなって以来その椅子は律の部屋にあった。

 

そして一人暮らしとなった際にもその椅子だけは実家から運んで来ていたのだった。

 

見てくれとしてはアームの付いた大きな布張りのソファーの一人用のように見えた。

一般的に見られる木で出来た足に湾曲した板のついたものとの絶対的な違いはスイングが水平だと言うことだろう。

椅子の座面の下あたりに揺れる為の器具が付いているのだ。

 

政宗は例に漏れずこの椅子がいっぺんで気に入り律の部屋にいる時間はほぼ独占していた。

 

政宗の大きな体でもすっぽりと覆うほどそのロッキングチェアーはしっかりしたものだった。

 

 

「そう言えばお前進路ってどうすんの?」

 

政宗の手土産のケーキを皿移していた律が「へ?」と台所から気の抜けたような声を発した。

 

「俺?」

「お前。」

 

律はケーキとコーヒーを盆に載せ政宗の前に置きながら

 

「小野寺に入るよ。」とあっさりと言った。

 

「え!?」

 

政宗は息を飲んで切れ長の目を丸くして律の顔を見つめる。

 

「まあ受かればだけど・・・、普通に受験するつもりだし。」

 

「それは、英米文学?」

「そうかな。やっぱり好きだし、あきらめ切れない。」

 

政宗は少しほっとしつつ「なら小野寺じゃなくてもいいんじゃないか・・・。」

とコーヒーをすすりながらつぶやくように言った。

 

 

律は口に運んでいた自分のカップをテーブルに置き椅子に座っている政宗の前にかがんで座り、顔を下から覗きあげた。

 

「ねえ政宗。二人で出版社をやらないか?」

 

 

「え!?」

 

「もちろんすぐってわけじゃなくて・・・。将来ね。」

 

「・・・。」

 

「俺も政宗も色々な事を本に救ってもらってきた。

だから世界中の素敵な本や素敵な物語を書く作家を見つけてさ、日本の子どもたちに提供したいんだ。」

 

「・・・。」

 

「そのために俺は小野寺で修行する。そして色々な俺の恵まれた環境を利用させてもらう。」

 

「・・・。」

 

「小さかった頃の政宗に俺は好きな絵本を読んであげたいよ。」

 

「律・・・。」

 

「だから俺たちの本を作ろう?」

 

政宗が「じゃあ俺たちの同じ穴のムジナ社って社名でどう?」としょうもないことを言って笑うと

 

「社名はいいよ、何でも。でもロゴは決めてあるんだ・・・。」

 

律は読みかけの本からラミネートされた愛用の栞をはずして政宗の目の前に差し出した。

 

「?」

 

「気がつかないだろうね、これ政宗に一目ぼれした日にお前の髪に付いていた桜の花びらなんだ。」

 

「え!?」

 

そこには茶色く変色したハートの形のモノが挟まっていた。

 

「花びらはまるで吸い寄せられるようにお前の前髪に触れてからふわふわと落ちた・・・。」

 

律はその栞を感慨深げに優しく見つめた。

 

「俺も恋に落ちた・・・。」

 

政宗は立ち上がり後ろから律をそっと抱きしめる。

 

律は政宗の自分より少し高い位置にある肩にもたれかかるように頭を預けた。

 

「出版社の名前はそれまでに俺が決めて置いてやるから、せいぜい親の金をうまく撒き上げられるような実績を作れよ。」

 

政宗はにやりと悪く笑った。

 

「実績作りはお互い様だ。政宗もいいプレゼンできるような編集者になれよ。」

 

律も品の良い坊ちゃん顔からたくらんでますという風に笑った。

 

 

 

 

 

振り返ればそこにできていた道は葉脈のように細かく枝分かれしていただろう。

 

でもこれから先、二人の道は一つになって未来につながる。

 

 

そんな二人のクロスロード

 

 

 

おしまい。

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