第38話
2017年 某日 都内にあるファミレス
「あんたってさ、ほんっとうに変わってるわよねえ」
目の前でグラスにさしていたストローを口にくわえながら、器用に物申してきたのは友人である七羽だった。
松岡七羽は女というよりも男勝りなところが多い。顔はどちからと言えばシュッと整っていて、眉毛も長く目つきが鋭い。長い橙色の髪を一つにしばっているところは女らしさを感じるし、胸は本人曰くD以上あると言っているように体つきは男を奮い立たせるような体つきをしている。ただ、今まさにファミレスのソファーで片足を乗せている格好は、どうみても女子力を感じない。
そんな彼女の問いかけに、飯島命はドリンクバーで適当にミックスしたジュースを飲みながら返事をした。
「えー。そうかなあ」
「あたしが言うんだから間違いないの」
「七羽さんに言われてもなあ……。あ、物足りないからガムシロいれよっと」
「そういうところが変わってるって言ってるの」
言われながらもグラスにガムシロップを入れるのをやめずに命は不服そうな顔で言った。
「いやいや。これはファミレスにきたらよくやりますよね⁉」
「そうだな。よくやる。しかも、お前が適当に作るやつはなぜか不味くない」
「そこは美味いじゃないの?」
「別に美味くはない。普通に飲めるってだけ」
「さいですか……」
ガムシロップを加えたミックスジュースを飲むと、彼女は美味いと言いいながらグラスを七羽に差し出した。
「飲む?」
「いらん!」
「美味しいのに。そもそも、変わってる変わってるって七羽さんは言うけどさ。七羽さんだって変わってると私は思うわけですよ」
「ほお。言ってみ」
「まず、見た目からして男っぽい。どうみても『あ、こいつ女子力ねえな』って言われるのが落ちなのに、女子力めっちゃ高い。これは世界への冒涜です!」
「何が冒涜じゃい。普通だよ、ふつうー」
「普通のくせして私より女子力あるのが納得いかない」
「まああれよ。普段からの心がけってやつ? あたしはちゃんと常に自分を磨いているわけ」
「彼氏を満足させるためのテクニックを?」
「そうそう。新しく刺激的な下着を――って、なにを言わすんだ、このバカ!」
ドンとテーブルを叩いて乗り出す七羽に命は動じることなくジュースを一口飲み、
「みんなの視線釘付けだよー」
「ッ!」
顔を真っ赤にして座りなおす七羽を見ながら命はしたり顔で、
「かわいいよ、七羽さん」
「それ以上言ったら殺す」
「サーセン」
謝りつつ内心楽しんでいた。
命にとって一番納得がいかないのが七羽の彼氏の存在であった。
七羽の彼氏と言ったらすぐに思いつくのが同じタイプの人間だった。彼女との付き合いは中学時代からと長いのだが、その同じタイプの男には拳一つでダウンさせてきたので、まああり得ない話だったのだ。
彼女の彼氏を直接知ったのは高校生の時で、偶然デート中の二人を見たのが最初。それ以前から色々あって存在だけは知っていたし、彼女の振る舞いからも察してはいた。
その相手というのが七羽の幼馴染だというのだから余計に驚いた。純情というか純粋というべきなのか。顔に合わずピュアな女性なのだ、松岡七羽は。
ちなみにその彼というのがこれまたビックリ。チャライイメージをしていたのだが実はその反対。好青年という言葉がぴったりな男の子なのだ。彼の前では、普段豹のような七羽でさえ猫になるというものだ。
「なんで七羽さんに彼氏(将来を誓った)がいて、私にはいないのか。これがわからない」
「かっこのはなんだ。ていうか、あんたいつのまに別れたのよ?」
「え、付き合って一週間ぐらいだったかな」
「一週間? はあ。大方、初デートしたあと相手から別れたいって言われたんでしょ?」
「ちっちっち。今回はデートすらしてない」
「うわあ。歴代最高の別れ方だな。あんた、大学に入ってからやけにモテるようになって告白されまくったけど、長く続いたのどれくらいだっけ?」
「一か月も続いたことはないですな」
それを聞いて七羽は大きなため息ついた。
高校時代はそれほどでもなかったのだが、大学生になってからやけに命はモテるようになった。それは体目的というのもあったし、純粋に命が美人だからというのもあった。
先程も一か月と言ったが、実際には有耶無耶になってそれぐらいの日数が経ったにすぎない。相手からの連絡も適当で、同じ大学なのでそこで顔合わすから余計にそこで何かをするたびに終わってしまっていた。
体目的の男ってわかりやすいんだよね。
ようはセックスがしたいという下心で近づいた男の方が数が多い。なので命はお得意の観察眼で相手を見透かしてやるのだ。
初めて会った女にあんなことやこんなことを暴露され、相手の本質を見抜かれてしまいには気味悪がられておしまい。
初対面の相手ですら、すべてを見通してしまう命の眼の力を七羽は知っていたうえで訊いた。
「あんたのその眼はすごいとあたしも思う。けど、その所為で彼氏ができないってわかってるだろうに」
「だって、見えちゃうんだもん」
「じゃあ、あたしが今何を考えてるかわかる?」
「彼氏ができなくてざまあみろって言ってる」
「ほんと、よく見ていっらしゃる」
嘘を言うならはぐらかせばいい。なのに七羽はそれをしなかった。命にはそれがわかっているから何を言い換えても無駄だと彼女は知っているからだ。
「ちなみに、最近別れた男になんて言われた?」
「何を考えているか分からなくて、全部見透かされているようで怖いって」
「残当だよ。あんたを普通に見れるのはあたしぐらいのもんさ」
「七羽さんはね、いい人だからね。好きだよ、七羽さんのこと」
「あんがと」
「心がこもってなーい」
「あんたにはこのぐらいがちょうどいいのよ」
笑って言う七羽を見て、命はそんな彼女に感謝していた。彼女が思っている以上に、命は七羽の存在がとても大切だった。
気づいたときには相手の目を見るだけで、その人がどういう人なのか、何を考えているのかが自然と分かるようになってしまった。自分の意志ではなく、何処からか勝手に情報が入ってくるような感覚。
以前それについて考察したのが、見るという行為は一つのプロセスで、それを行うことで私自身が元々持っていた情報が開示されているのではないか。そんなSFのような頭のおかしいことを考えた。しかしそうとなると、私の脳には全人類のデータがリアルタイムで存在していることになる。つまり私は生きる人間データベースになるわけだ。うん、頭がいかれている。
いまはそんなことを考える余裕があって、多少の制御はできるのだが幼いころは違った。
それが当たり前で、普通のことだと認識していたからだ。
幼い私は所かまわず口を出した。そのせいで近所から変な子だと言われ、友達などできるわけがなかった。
そんな私が生涯の友を手にしたのが中学時代。当時の七羽はちょい悪的な女子生徒で、そんな彼女とクラスが一緒になったのがきっかけ。
どうやって彼女と友達になったのかといえば。いつものように彼女を見てしまい、つい言葉を漏らしたのがはじまり。それで喧嘩になって、あとは雨降って地固まるみたいな感じ。
最初で最後の喧嘩だったなあ。
なぜか初めて喧嘩したわりにはうまく戦っていた。うん、あの七羽さん相手に。
昔のことを思い出していると、七羽が思い出しかのように言ってきた。
「ところであんた。卒業後なにするか決まったの?」
「え、全然」
「来年で卒業だぞ、あたしたち」
「そうだねえ。どうしよっか」
「あんたねえ」
呆れと怒りが混じった声で言う七羽。
「そもそも。なんであたしに付いてきたのよ」
「だって、七羽さんと離れるのいやだし」
「はあ」
盛大なため息をつかれた。
二人が通っているのは都内にある製菓専門学校。専門学校なので二年制であり今年度で卒業となる。
七羽は実家がパン屋で、そっちの技術は幼い頃教わっていたので折角だからお菓子方面を学ぼうという理由で進学した。対して命は高校在学中大した目標もなく、就職か進学を選ぶ際に七羽が進学するという理由だけで同じ学校を受験し見事受かった。
「なにが驚いたって。あんた料理は自分でしてるのは知ったけど、まさかお菓子作りまで平気でやってのけるとはねえ。まあ家にきて、パンを平然と作った時の方が驚いたけど」
「なんかできるんだよね」
「いまだって大した理由じゃないんだろ?」
「私、パティシエに憧れてたんだぁ」
「それで資格と色々取ったのか? 簿記とかいろいろ」
「うん。資格は取れるやつ全部取った。なんか必要な気がしたから」
「それはお得意の予知?」
「違うよ。ただの勘」
「変わらんでしょ」
「変わるの」
興味なそうに相槌を打ちながらジュースを飲む七羽に向かって命は顔を膨らませた。彼女はそれを無視して空になったグラスを持ってドリンクバーへ歩いていき、戻って脱線した話を戻した。
「で。進路どうすんの? 就職? それともニート?」
「わかんないよ、まだ」
「どういう意味でわかんない訳? 卒業はするんだろ?」
真剣な顔つきで七羽は訊いてくる。長年の付き合いだけあり、「わからない」の意味をある程度理解していた。
思い当たるところを一つ一つあげていき、答えにたどり着けるように自然と誘導してくれている彼女に命は感謝している。
「うん。さっきもパティシエに憧れてたなんて言ったけど、パティシエになりたいわけじゃないの」
「それはなんとなくわかってた。で、あんたは自分でなにかをする気はいまのところはないと」
「ない訳じゃないんだけど。ただちょっとうまく言えないんだ。なにかしそうって感じはしてるの」
「ふむふむ。カッー、やっぱりここは私の出番かー。いやはや、できる女は違うわ!」
命は首をかしげた。いきなり何を言っているのだろうとか冷めた視線を七羽に送る。
すると彼女はバッグから一枚の紙を渡してきた。
「なにこれ?」
「いいから読みなさいって」
「いい加減なんだからさ。なになに。アイドル募集……合格者は一名のみ。面接ありで歌を披露してもらう。場所は東京都○○……」
上から順番に飛ばし飛ばしで読み上げた命は口を大きくあけて、もう一度言った。
「なにこれ」
「アイドルオーディションの告知をコピーしたやつ」
「いや、だから私が言っているのは、これを私に読み上げさせてどうしてほしいのかってことなんだけど」
「命。アイドルになれ」
「は?」
このちょい悪ヤンキーくずれは一体なにを言っているのだろうか。しかもなにか胸を張ってやけに誇らしげにしているのが鼻につく。
機嫌を取るかのよう七羽は言ってきた。
「ほら。あんた、歌すげーうまいじゃん」
「うまくないよ。普通に歌っただけ」
「普通に歌うだけでカラオケで100点はでないんだよなあ」
「それは、まあ……そうかもしれないけど」
「ジャンル問わず、一度聞いたら完璧だし。なんで音大いかなかったってレベル」
「行ってもしたいことないし、教わるほどでもないかなって。歌は好きか嫌いかって言われたら好きな方だけど、そこまでマジじゃないもん」
「歌だけで食っていけると思うんだけどなあ、あたしは」
「お金には困ってないよ」
「知ってるわ。で、話を戻すがアイドルやれって。絶対すげーから」
「なれって言われたって……」
もう一度紙を見る。応募方法は簡単な履歴書の送付だけなのだが、応募締め切りはとっくに過ぎている。先ほどは流し読みしてよく見ていなかった開催日が、
「オーディション明日じゃん!」
「そうだよ」
「じゃあ無理じゃん。やったぜ」
「だいじょーぶ。履歴書はあたしが書いて送っておいた」
ぐっと右手でサムズアップをする七羽を見た命はドン引きするように顔を引きつらせた。
ああ、そうだった。この人は私を完全に把握している。だからこうして話題を振ってきたのだ。それもわざと今日このことを話したに違いない。そのための入念な下準備もしっかりとしたうえでだ。普通なら冗談で済ますことをマジで実効してくるのだ。
命は七羽の目を見た。頭に新しい情報が送られてくる。
やったぜ――
そんなことは見ればわかる。
お前の慌てふためく姿が見たかったんだよ――
それが本音か。
そのあとに次々とリアルタイムで彼女の内なる笑い声が聞こえてきそうになるので瞳を閉じて、意識を切り替える。こうすることで情報を止めることができるようになり、目のコントロールも今ではそつなくこなせる。
「ああでもな。結構ふざけているかもしれんないけど――」
「いや。実際にふざけてるでしょ」
「まあ落ち着けって。これはあたしなりにお前にとっていい機会かもしれないって思ったからやったことなんだぜ」
「それまたどうして」
「だってさ。このまま何もしないよりかマシだろうが。どうせお前のことだ。ずるずるとその時を待っているだけなんだから、たまには自分から動け」
「ま、まあ……そうかもしれないけど」
指摘されたことはすべて正論で、言い返せない命はそれを渋々受け入れることしかできなかった。
たしかに彼女の言う通り自分から動こうとしたことはない。自分の勘というやつでなんとかなるだろう、まあいいかなどとそこまで真剣に考えたことはないからだ。
これはいい機会なのかもしれない。七羽の言うように待っているよりかはマシだし、卒業後の進路についても真剣に考えなければならない。後者は特に大事だ。卒業は問題なくできるけど、そのまま就職をしなかった場合、ニートコースだ。これは非常によくない。
「わかった。今回は七羽さんに従いますぅ」
素直に受け入れるのはいやなのか、命は頬を膨らませながら言った。
「なにその態度。まあいっか」
どこか勝ち誇った様子で七羽はジュースを飲んでいる中、困った様子で命は恐る恐る彼女にたずねた。
「けどさ、明日普通に学校なんだけど」
「そこは仮病を使え。一日ぐらいなんとかなる」
再びサムズアップ。
彼氏とのデートのために平然と学校をサボっている彼女の言葉には妙な説得力があった。だが、そんなことりよも大事なことが命にはあった。
「私の皆勤賞が……」
「そこ、拘るところか?」
翌日。
最寄りの駅から電車を乗り換えて徒歩で少し歩いたところにオーディション会場はあった。
(ここ?)
命は会場に着くなり違和感を覚えた。どちらかというと不自然とも言えるかもしれない。
外には「サテライト アイドルオーディション会場 2F」と書かれた看板があるのだが、その建物2階はどうみてもアイドル事務所とは思えない風貌をしていた。
ほんの少し前、ここにはテナント募集の張り紙が先ほどまで付いてたに違いないと命は謎の自信が込み上げてきた。
そもそもの話。〈サテライト〉なんてアイドル事務所は聞いたことがなかった。
アイドルにはそこまで詳しくないまでも、今では有名どころの〈765プロダクション〉や〈346プロダクション〉に〈961プロダクション〉ぐらいは知っている。好きなアイドルでもあるシェリル・ノームが所属している〈ギャラクシープロダクション〉も自然と覚えてたぐらいのにわか知識ではあったが、〈サテライト〉なんて事務所は初耳であった。
ここを薦めてきた七羽本人にも昨日問いただしたが彼女も知らないときた。ネットで調べてもまったく出てこない。
いや、まともなサイトで一つだけあったのを思い出した。
たしか、アイドル協会のホームページのアイドル事務所一覧のところの一番下付近にあったような気がする。
アイドル協会のホームページには、ランク別に活動しているアイドル達の紹介ページやライブ情報からイベント情報など告知している意外と珍しい部類であった。大本である教会がそこまでやっているとなると、いまのアイドルブームの凄さが伺える。ただそこから調べようと思っても、事務所の名前からのリンクで飛ぶのは先のアイドルオーディション募集のサイトだけで、事務所自体の紹介がほとんどない。
つまり出来立てのアイドル事務所になるわけだが。これがどうてみも怪しい。
普通に自社のホームページぐらい簡素ながらもあってもいいはずだ。それすらないとなると、真っ当な事務所なのかも当てにはできない。
アイドル協会に申請している事務所だからある程度の信頼はできるので、さすがにAV関連ではないことは間違いないのだが。
考えても仕方がないと命は取り敢えず2階の会場へと向かった。中に入ると受付があって、そこには自分と左程年の変わらない女性が受付係をしていた。
彼女は命が入ってくるのを確認すると名前をたずねてきた。
「お名前は?」
「飯島命です」
「飯島命さん……はい。確認しました。飯島さんの番号は10番になります。呼ばれるまで中でお待ちください」
「あ、はい」
受付嬢から何かを探ろうと思って目を見ようと思ったがすぐにやめた。あえてストレートに怪しいオーディションについて聞いてやろうとも考えて、これもやめた。
とりあえずオーディションを受けてからでも遅くはないだろう。
命は暢気に事を構えながら待合室へと入っていく。
中に入ると9人の女の子がいた。
たぶん、自分が最後なのだろう。10人というだけでも多いと命は感じたが、大手事務所になるとその倍以上はいることを彼女は知らなかった。
今がアイドルブームで、アイドルを目指す子が多いことは命もネットのニュースなどで目にはしていた。まさかその中に自分が入るとは思ってもみなかったが。
命は自然な感じで部屋にいる彼女達を観察してみた。
見た目から判断すると、大半が自分より年下の子が多いのが第一印象。おそらく高校生かその辺りが多いのだろう。顔立ちも悪くないし、かわいい方だと思う。中にはイヤホンをして音楽を聴いている子もいた。オーディション内容に歌を歌うことがあったのでそれの確認だろう。音楽を流さずその場で披露するのだから、たしかに大事だ。
まあ自分は頭の中に全部入っているので特にすることではない。
高校や大学入試の際、驚くほど面接にはかなり強くて特に緊張したことは一度もない。なのでこの待機時間は暇だし、退屈でしかない。
時間をつぶす用に持ってきた小説でも読もう。そう思ってバッグから本を取り出すと、先ほどの受付嬢が一番の子を呼んだ。どうやら始まったらしい。
一人当たりどれくらいの時間を割くかはわからないけど、おおよそ5分から長くても10分だろう。
オーディションが始まったことで部屋の空気が変わったことを命は感じ、それも自分には関係のないことだという素振りで彼女は読みかけていた小説を読み始めた。
部屋で待機しているのが自分だけになると、命も読書をやめて座って待機していた。時計を見ては天井を眺める作業の繰り返し。単に暇なだけであった。
扉が開き、受付嬢が何食わぬ顔で言う。
「10番、飯島命さん。どうぞ」
予想より早い。自分の名前を呼ばれた命は荷物を持って部屋を出て隣の部屋に向かう。
やっぱ、普通にやらないといけないだろうか。
このまま扉をあけて「失礼しまーす」と言いながら入るのはたしか非常識であるけど、アイドルのオーディションも世間の面接と同じようにしなければいけないのだろうかと悩む。
数秒考えぬいた結果。普通にやることにした。
扉をノック。
(どうぞ)
よし、入る。
「失礼します」
部屋にはスーツ姿の大男が座って待っていた。さながらゲームのボスといったような感じ。
なによりも体格がいい。座っているので正確な身長はわからないがたぶん、190はあるのだろうか。それに加えてサングラスときた。普通の子ならたじろいでしまうに違いない。
しかし自分は違うのだと命は心の中で誇らしげに言う。
「名前は……飯島命さん、ですね」
「はい。そうです」
「ではまず、どうしてアイドルに?」
予想通りの質問だった。
命は備えた答えを言った。
「いやあ。友達が勝手にここのオーディションに送ったもので」
「……」
彼はすぐに言ってはこなかった。
呆れているのだろうかと思ったが違うと命は気づく。彼はじっとこちらを見ている。そう、自分が誰かにするようにこの私を観察しているのだ。
ならばと命も彼を観察し始めたが、
(不思議な人だ)
実を言えば、サングラスなどで直接相手の瞳が見えない場合はなにも分からないのだ。なので彼に対してはなにも情報は得らない。
ただ、命には彼の目を見ずとも少しずつ分かっていた。いや、理解し始めている。
こんなにも見た目は強そうな人なのに、どうしてか哀しい雰囲気を感じとってしまう。
誰も寄せ付けない一匹狼のような男なのに、彼は一人でいることが苦しいようにも見える。
目を見ずとも色んなことを理解していることに驚いているが、なによりどうして自分がここまで彼に対して興味を惹かれているのかが分からないでいる。
意識が彼に集中していると、先ほどと変わらぬ声質で言った。
「ならばここに来る必要なかったはずだ。なのに君は来た。つまり、何かしらの興味あるいは好奇心があったということになる」
「まあ……そうなのかな? たしかに興味は湧いてる」
「?」
貴方にとはさすが言わない。それが分からない彼にとっては首をかしげるしかできなかった。
「変に質問をするのはやめだ。なんでもいい。君が歌える曲を歌ってくれ」
「じゃあ……。シェリル・ノームの〈インフィニティ〉を歌います」
小さく深呼吸。
一人で口ずさむように、カラオケで歌っているときのように歌えばいい。
それだけでいいんだ。
あとは口が、声が自然と私を動かしてくれる。
「―――」
歌いながら命はあることに気づいた。
それにしてもどこまで歌えばいいのだろうか。たぶん、そこまでとか言ってくるからそれでやめればいいか。
疑問が解消し再び歌に集中する。
歌詞の1番を消化。
あれ? まだ?
合図がないので歌い続ける。
ちょっと、もう2番なんだけど。
それでもまだ合図はこない。
「――終わり、ですけど……」
結局最後まで歌い切ってしまった。
目の前にいる彼に視線を向けると、どういうわけか口元を隠してなにか驚いたような風に見える。すると彼はサングラスを取った。初めて見た彼の素顔は想像を絶するような、目の前の現実を受け入れられないようなそんな顔をしていた。
「お前は、誰だ」
「えぇ……。飯島、命ですけど」
彼の言葉の意味を理解できない私には、ただ自分の名前を言うことしかできなかった。
10分程度で終わると思っていたオーディションは未だに終わらないでいた。面接官の男は突然部屋を出ていってしまい、命は部屋で一人で椅子に座って待っていることしかできなかった。
数分後彼はすぐに戻ってきて、ペットボトルのお茶を渡してきた。
どうやらまだ続くらしい。
プロデューサーは椅子を命のすぐ近くまで移動してそこに座った。
「君には悪いと思うが、もう少し付き合ってもらう」
「はあ。別にいいですけど」
歌ったせいかのどが渇いたのでもらったお茶を早速飲んでのどを潤す。
「単刀直入に聞こう。君は、今までなにか特別なことをしてきたのか?」
「特別って、なんのこと?」
「簡単に言うとボイストレーニングとかだ」
「したことないよ。歌なんてカラオケとかで歌うぐらいだし」
「本当か?」
「うそ言ったってしょうがないじゃないですか。一応、友達からはすごいうまいって褒められてるぐらいですよ、これでも」
ふむ。そう言って再び黙り込む。
はっきり言って、先ほどから彼の雰囲気は妙だ。歌を聴いてから彼の対応がすごく変わったように見える。彼は自分について何かを探っている。先程の質問からみて、これは間違いないだろう。
命には彼がまるで、自分の存在が信じられない。そう言っているように思えて仕方がなかった。
「あの。私からも聞いていいですか?」
質問ばかりされて不満だった命はたずねた。
「構わない」
「このオーディションは何なんですか?」
「質問の意味がわらかない。これはただのアイドルオーディションだ」
「本当に? きっと私だけじゃないだろうけど、〈サテライト〉なんて事務所はまったく聞いたことがない。裏の怪しい事務所かと思ったけど、アイドル協会にはちゃんと登録されているからそこは信用できた。できたばかりの事務所なのかと思ったけど、ここだって一日だけ借りたような場所で事務所には見えない。受付の女の人も事務員というよりはアルバイトにしか見えなかった。けどあなたは……そう。そっちの業界の人だってはっきりわかる。でも、事務所の社長には見えない」
「つまり、何が言いたい?」
「このオーディションはおかしいってこと。アイドルは探しているのは確かなんだと思う。けど、見つからなければそれでいい。そんな感じがするの。それだけじゃない。あなたは何かを隠している。それに、あなたは私を求めている」
「前者は認める。けど、後者についてはどうしてそう思う?」
「現にこうして私と話しているから。あなたが私に何を感じているのかは分からない。でも、私はあなたが分かる」
「何を」
こうして話している内に伝わる彼の情報を命は述べていく。
「あなたは今、とてもかつてない喜びを感じている。同時に選択を迫られて、悩んでる。その答えを決めるためにこうして私と話している。私は、あなたを見た時から興味を惹かれている。理由はわからない。でも、きっと意味があるんだと思ってる。だから話してほしいの。隠していることを全部」
とりあえず簡潔で大事な部分をはっきりと伝えた。彼は大きく息を吐いた。その素振りから苛立っているようで、ジッとこちらを見ている。そして、ため息をついた。
「はあ。初対面の女にあれこれ言われて腹が立つ。いいだろう、話してやる」
普通に座っていた彼は、足を組むとポケットからタバコを取り出してジッポライターを手慣れた動作でタバコに火をつけた。
タバコを吸う人に関して特に不満はないが、タバコの煙が命には嫌いだった。ワザとらしく嫌な顔をしてみても、彼はそれを知ったうえで吸い続けた。先ほどのお返しというやつに違いない。
「〈サテライト〉という事務所は存在しているし、存在していない」
「どういうこと?」
「アイドル事務所を立ち上げる際、アイドル協会に入らなければいけない」
「え、なんで? 別にいいんじゃないの?」
「普通のモデルなんかはいいのさ。ただアイドルは別で、事務所が加盟していないと正式なアイドルとして扱われない。主にアイドルランクが原因でもあるし、一時期アイドル事務所と偽ってAVの強要や詐欺事件が多発した時期があったのも要因の一つ。あとはまあ他にも理由はあるがだいたいそんなところだ」
「じゃあ事務所が加盟してないとアイドルになれないってことか」
「いや。地下アイドルとか、ネットアイドルとかはそれの範囲じゃない。ただ本来普通のアイドルとしての区分をするためにそうした感じだな」
「ふーん。なんか複雑で面倒だね」
「まあな」
「でもそうなると、〈サテライト〉はグレーってことになる。いや、違う。ああそうか。アイドルをスカウトするためだけに必要な、そう建前なんだね。この〈サテライト〉って事務所は」
「ああ。そうだよ」
驚くのも疲れたような言い草でプロデューサは言った。
「つまり、あなたはお目当てのアイドルを探すためだけにこんな手の込んだことをしてるというわけだ。でも、それって協会側からしたら目を付けられるんじゃない? 大方今日が初めてって雰囲気じゃなさそうだし」
「協会にも協力者がいる」
「いるの? そんな人?」
「半分が目的を知ったうえでの協力者。残りの半分が金と恐喝」
「うわあ」
業界の裏側を知ったそんな感じだ。世の中綺麗なことばかりではないらしい。
「協力者に書類の偽造と報告を誤魔化してもらっている。だから、正式に活動してもまたはいつ消えてもおかしくないようになっているんだ。ただ、それも今日で終わるつもりだった。お前が現れるまでは」
「私?」
「はっきり言って、お前は異常だ。天才という枠には収まらない」
「いやいや。私は普通の一般人だって」
「そうかな。俺は長年この業界に携わったきたからわかる。お前の声は唯一無二のものだ。神が与えたと言っても過言じゃない。お前はまるで、神にでも愛されているかのように俺は感じている」
「大袈裟すぎだよ。それに私は無神論者、とまではいかないけど神なんて信じてない」
「奇遇だな。俺もだ」
「矛盾してない?」
「自分の意志を変えてしまうぐらいにお前の存在が逸脱しているんだよ。だが、これが運命でなくて必然だとしたら……俺のやってきたことは間違いではなかったということになる。くくっ」
彼は不気味な笑みを浮かべている。でも、とても歓喜しているように命は感じた。
「さて。お前の質問には大方答えた。他になにか聞きたいことは?」
「そうだね。じゃあ率直に聞くけど、あなたの目的を聞きたい。あなたは私にどうしてほしいの?」
彼は携帯灰皿を取り出すと、タバコを押し付け火を消してから言った。
「アイドルになってほしい」
「それだけ?」
「細かく言うと、今の生活を捨ててもらうことになる」
「話が見えてこないんだけど」
「これからずっとアイドルをさせる気はない。期間限定で、たぶん1年ぐらいだ。それまでに俺の計画がうまく運んで、あるアイドルの大会でお前に優勝してもらう」
アイドルアルティメイト――
彼はそう言ってきた。簡単に説明してくれたのは昔にあったアイドルの甲子園みたいなもので、そこで優勝すると〈Sランクアイドル〉つまり〈トップアイドル〉の称号を手に入れることができるらしい。
生活を捨てろと言ったのは、その演じるアイドルとしてやっていくためでもあり、優勝したあとはその場で引退宣言をさせるからだと言う。ようは飯島命の個人情報を漏らさないためで、そのあとの生活に支障をきたさないため。それも徹底していて友人や家族とも会わないでほしいとも言ってきた。
それに異を唱えるわけではないが命は確認すべく聞いた。
「そこまでする必要はあるの?」
「ある。どこからか情報が漏れるのだけは困るからだ」
「まあ友人は少ない方だし、ていうかまともに付き合っているのは数えるぐらい。家族との付き合いは……電話で済ませればいいから平気か。あ、そうだ。いま専門学校に通ってるけど、一応今年度卒業の予定なんだけどそこは?」
「本音を言えばやめてほしい。時間は限られているし、なによりもアイドルとして活動すれば休みはほぼない」
「それぐらい有名になれるの?」
「それは約束されているようなものだ。あとは俺の仕事。まあ、無理にとは言わない」
専門学校を辞めることについては意外なほど不満はない。別にいますぐ辞めてもいい。なにせ進学理由が七羽さんという個人的な要因が大きいからだ。
ただ問題はその七羽さんと、学費を出してくれている家族だ。
前者はなんとかできる。絶交はしたくないけど、最悪の手段の一つ。そこで命は気づいた。気づけば自分がたった一人の親友との仲よりも彼を優先させていることに。同時にここまで大きな不満はないしそれを受け入れつつある。
七羽さんには悪いとは思うけど、きっとこれが自分のすべきことなんだ。
就職をするのかはたまた別の何かを見つけるのか、またニートになるのか。それに迷っていた自分がすべきことが見つかった。だから中途半端はダメだ。
命は七羽との最悪の結果を想定しつつ、あとで彼女に伝える覚悟をした。残る課題は家族だ。それについて彼に相談した。
「専門学校を辞めるのは構わないけど、家族がそれに納得するかわからない。私、行きたくていまの学校に行ったわけじゃないから」
「仮に辞めるとして、家族を説得できるのか?」
「できる。最悪、縁を切ってもいい」
本心からの言葉だ。これも七羽さんと同じ理由。彼を見ても、きっとこれが嘘ではないことは伝わっているだろう。
「……まあいい。それと、専門学校の学費は全部でどれくらいかかっている?」
「え? 正確じゃないけど……」
命は自分が覚えている額を伝えた。彼はうなずいて平然と言った。
「なら、その全額を俺が出そう。それを両親に渡すといい」
「ちょ、ちょっと待って! そこまでしなくても」
「これぐらい安いものだ。一年とはいえ、人の人生を奪うんだからな」
一年。たしかに短いようで長い期間。その一年で人はどれだけのことができるだろうか。まったくもって想像がつかない。
彼の言う言葉に嘘はない。誠実さすら感じる。本当に学費を出す気だ。それだけの覚悟が彼にもあるのだと伝わってくる。
「わかった。それですんなりと納得してくれるかはわからないけど、やってみる」
「ああ」
「じゃあ要点をまとめると。私は学校を辞めて、アイドルになる。そのために飯島命としではなく、そのアイドルを演じる。そして、その〈アイドルアルティメイト〉で優勝する」
「そうだ」
「結論から言ってあなたの目的に協力してもいい。でもまだ聞いてないことがある」
「他になにがあると言うんだ?」
「私が聞きたいのはあなたの本心。それを聞かせてほしい」
「……ッ」
聞こえるように彼は舌打ちをした。今まで以上に苛立ったのか再びタバコを吸おうと箱を取り出そうとする。
「?」
タバコを取り出したと思ったらそれをポケットにしまった。なぜ吸わないのだろうと疑問に思ったが答えは出てこない。タバコを吸えないのかイライラしているのが手に取るようにわかる。命はそれに追い打ちをかけるようにカマをかけた。
「言っておくけど誤魔化そうとしても無駄だよ。私、人を見ればだいたいのことがわかるから」
「だったら聞く必要はないだろう」
「ある。あなたの口から聞くことに意味があるの」
「ちっ」
再びの舌打ちをしたと少しおいて、彼は話してくれた。
「誰にも口外しないと誓うなら」
「誓うわ」
そして彼は語り、命はそれを聞いてアイドルになることを決めた。
(ようやくわかった)
彼が言うようにこれは必然なのだ。
私が生まれた理由。生きてきた理由。
それはすべてこの日のため。
何も目標ややりたいことなど今までなかった。それが見つかった。
神の存在を信じてはいないが今だけはその存在を信じてもいい。
私と彼の出会いに感謝しよう。
私と彼の出会いを祝福しよう。
だが同時にこれは罪でもあり罰。
罪とは私自身。
私という存在が罪そのもの。今日この日に出会わなければ彼はそのままでいられたのに、それを捻じ曲げてしまった。すべてを狂わせてしまった。だから罪。
罰とは彼の選択だ。
まだ引き返せる。まだ踏みとどまれる。でも無理だろう。私に出会ってしまった。だから彼は選ぶだろう。この先に望むものがきっと待っている。でも、その過程で彼は大事なものを捨てる。自分を責め、きっと苦しむだろう。それが彼の罰。
ああ。だから私は彼を見て哀しいと表現したのか。
(可哀想な人)
出会ってしまった。この道を選んでしまった。ならば自分はそれを叶えるのが使命だ。でなければ本当にその言葉通りになってしまう。それだけは回避させなければならない。
ならば演じよう。彼のアイドルを。
最後に彼女は思う。今この瞬間。彼を知る誰よりも自分こそが彼の理解者であり、唯一の味方であるのだと。
予定より30分以上も話し込み、今日はひとまず解散ということになった。彼にはこの部屋の後片付けなどがあるのか特に帰り支度などはしていない。
荷物を持ち部屋を出る際、命はふと気になったことを彼にたずねた。
「ねえ。アイドル活動する際に私が演じるアイドルの芸名? それってもう決まってるの?」
「ああ」
「差し支えなければ教えてもらっても?」
「――リン・ミンメイ。それがお前の新しい名前だ」
〈リン・ミンメイ〉としての生活は思いのほかすぐに馴染んだ。
昨年12月に開催された新人アイドルだけの歌番組で正式にデビューしてから早1か月。以前の生活と違うのはまず住む場所が変わったことだろうか。未だにこの芸能界の空気というか雰囲気を掴めていないので、自分の立場についてもいまいち実感がない。
彼――相棒のプロデューサーとしての手腕はたいしたもので、デビューしてから翌日には仕事が舞い込んできた。これですら彼の計画の一部なのだとしたら底知れない。彼の目的を知った上で協力している者がどれほど存在しているのかはわからない。また不本意ながら協力している人間を含めても、彼を中心とした人脈ははかりしれない。
その所為もあってか、私は早々に進学する際に住んでいたアパートから今住んでいるアパートへと引っ越すこととなった。理由を聞いた際にも報道関係者に週刊誌記者やゴシップ記者対策の一つと言っていた。
漏洩対策はこれだけではなく、自宅に帰宅する際のルートおよび車も毎回変えている。車もレンタカーなのかは知らないがこれから一年間同じ生活をするとなると、彼の資金源も相当のものだということがわかる。
なによりも驚かされたのが相棒の察知能力だろうか。
基本的に移動する際に利用するのは車で、次の仕事先が相当近い場合は徒歩で移動する。歩いているときならまだ納得はできるが、車に乗っている際にも彼は何者かの尾行に気づくのだ。それからは映画顔負けの逃走術で相手を撒くのだがこれまた見事な手際である。アイドルになってからは、そういう視線を向けられるのがわかりはじめたので外でなら自分も気づけるようになった。
ただ尾行はまだいい方で、もっと酷かったのは仕事先の控室に盗聴器と隠しカメラまであったことだろうか。これに関しては仕事先の人間が情報を売ったのは確定で相棒の行動は早かった。それもすごかったが、何よりもすごいのはそれを見つけたことだろう。機材などをなにも使わず部屋に入るとすぐにそれを見つけたのだから、私には到底できないことだった。
デビューをしてから1か月も経っていない間にこのようなことを起きるのは、〈リン・ミンメイ〉の存在を見抜いた人間がいるということと、彼女を担当しているのが彼であるというのが大きい。
プロデューサーと呼ばれている彼の能力は間近で日々実感している。そんな彼の存在はこの芸能界ではかなり影響力のある存在。そんな彼が独立してアイドルをプロデュースしているとなれば、気にならないはずがなかった。
そもそも。〈リン・ミンメイ〉というアイドルは私であり私ではない。彼女を演じるにあたって真っ先に行ったのが形から入ることだった。
エクステンション、ようは付け毛をつけてかなり久しぶりのロングヘアになり、髪の色も地毛も含めてパープルグレーの色になった。それらはすべて相棒がやったのだがこれまたテキパキとこなし、彼から手入れや髪の洗い方も教わった。それを含め他に教わったのは化粧の仕方だろうか。そこまで化粧を本格的にしたことはなくて、女としてはあまりにも無頓着な自分ではあるが化粧の力には驚かされた。同時にそれを平然と行う彼も凄かった。なんでもできるな、この男は。
〈リン・ミンメイ〉という名のアイドルを演じてはいるが、彼から言われたのはそれだけだった。「お前の好きなようにしろ」と彼は言い、私は自分が思う彼女を演じている。
名前以外謎の女である〈リン・ミンメイ〉を知るのは私ではなく彼だ。真の意味でオリジナルの〈リン・ミンメイ〉を知るのは彼だけなのだ。
なぜ〈リン・ミンメイ〉なのか。
その理由を聞ける日が来るのか。
それすらわからない。
色々あるが今の生活中々悪くない。
やることは至ってシンプル。仕事をするか、楽曲を作るのかの二択。
自分に作詞作曲の才能があったのは驚きだったが、これが意外と楽しい。彼からやれと言われてからというもの、暇があれば歌詞をノートに書きだしている。〈リン・ミンメイ〉の活動期間は約一年。つまり時間は限られているわけで、これでもかというぐらいに没頭している。
作詞作曲の名義は別名義になっていて、一応印税は入ってくるらしいがそこまで意識したわけではないし、そこら辺は彼に任している。
作詞作曲を自ら手掛け、そして歌う。うん、まさにアイドルらしい。
アイドルが活動するために必要な事務所。存在自体があやふやだった〈サテライト〉も正式に活動しだした。
2018年 4月頃
〈サテライト〉が事務所を構えるのは都内にある空きテナントだったところの二階で、アイドルオーディションとは別の場所になる。そもそもオーディション会場は不定期に別々の会場で行われていたため、命――〈リン・ミンメイ〉が生まれたことによって正式に事務所を構えると同時に活動を開始することになった。
従業員はアイドルである彼女を除いてたったの3人。
一人は建前上〈サテライト〉の社長になっている速水という初老の男だ。一言で言うなら彼は老紳士という言葉がよく似合う。出歩く際には杖を持って歩いている。日本人にしては珍しいタイプの人間で、フランスとかヨーロッパに行けばもっと様になるのではと命は思っていた。
この老人に対して大きな謎があった。命自身、昔に比べれば無暗に詮索するようなことはしないようにしていることもあって、直接目を見たりしてないしたずねてもいない。
速水もまたプロデューサーと同じく秘密が多い人間だ。まず、共犯者なのは間違いない。
彼とこうして直接協力している時点でそれは確定事項だった。これもまた推測でしかなかったが、プロデューサーの目的をすべて知った上での協力者だと命は睨んでいた。
ただそうなると、彼と速水の関係というべきか接点がいまいち分からない。彼からすれば建前上の社長という人間は必要だっただろうし、自身が仕事に集中するためにも人手がほしかったのは分かる。推測するにこの業界で知り合ったという説がかなり濃厚なのだがいささか年が離れているし、速水側として見ればあまりメリットが思いつかない。二人の出会いというか関わりについてそれとなく聞いたところ教えてくれたのは、むかし一緒に仕事をしたということだけ。
ますます分からない。
ただもしかすると、速水自身そんなに難しい理由ではなくてもっとシンプルな理由で協力しているのかもしれない。
彼の社長としての能力はこれまた未知数。アイドル事務所の社長がどういう仕事をするのか、それに限らず社長とはどんな仕事をこなすのか知らない命にとっては評価のしようがなかった。だからといって彼が無能というわけではない。
事務所にいる際には常に同じ空間にいるので速水の仕事ぶりは目に付く。事務員が一人ということもあって、社長という肩書に関わらずどんな仕事も手に付けてはこなしている。それを目の当たりにすれば、プロデューサーが速水に計画を打ち明けた時点で有能なのは疑う余地はないのだと気づいた。
速水の人柄は温厚で面倒見のいいおじいちゃん。というのが命の抱いている印象であった。
両親の実家にあまり行ったことがない彼女にとって、速水という男は命が抱く祖父としての理想的な人間のようであった。
毎日おいしいお菓子を持ってきてくれる。これだけでも彼女にとっては速水を信頼する理由としては十分だった。
二人目である〈サテライト〉唯一の事務員である早瀬未沙。
彼女とは顔合わせを含めれば二度目になる。この間のアイドルオーディションで受付をしていたのが未沙だ。あとで聞いたがオーディションの受付けはアルバイトでかれこれ何度もやっているらしい。なんでも給料がすごいいいとのこと。
年は命より上で今年で25になる。航空自衛隊で働いている彼氏と遠距離恋愛を続けているらしいく近々入籍するらしい。本人曰く、大学を出て就職する手間がはぶけたのこと。といっても、それは一年という短い期間だけなのに、そのあとは大丈夫なのだろうかと命は心配していた。
最後の一人が言うまでもなくプロデューサーだ。
彼との付き合いはまだ短い。その短期間で命は彼女なりに彼を知ろうとしていた。目だけではなく、普段の素行や彼自身について。
しかし、これは難航していた。
アイドルとして活動しだして共に行動するようになったのはいいが、それからの彼は最初に出会った時より近寄りがたい男になったからだ。言葉の一つ一つがきついし対応も素っ気ない。別に彼を怒らした記憶はないのだがこれがわからない。
もしや、初めて会った時にあれこれ言ったのがいけなかったのか。そう思いもしたが彼の性格からしてそれはないという答えにたどり着いた。
これでは埒が明かない
そう思っていた矢先、極まれに彼の素顔を見る機会が何度かあった。
ニュースで四条貴音というアイドルが活動休止したニュースを知ると、一瞬顔が青ざめたのは印象に残っている。あとはとある電話で、彼の返答が女がらみのように思ったので試しにからかったら反応がその通りだったことがあった。
これが彼の弱さなのだ。
いや、これは弱さというよりも……甘いというべきなのだろうか。なにをもってそうさせるのかは自分には明確とした答えない。けれど、人のことをよく見ている人間ならば薄々と察せることができるだろう。これにおいては私だけが特別というわけではない。
問題はその『弱さ』あるいは『甘さ』となっている原因。それが気になる。
それを知ることのできる方法はただ一つ。
この場で唯一彼を知る人間である速水に命はたずねたのだった。
「ねえ、社長。ちょっと聞きたいことがあるんだけどー」
「なんだい」
「昔の相棒ってどんなアイドルと仕事してたか知りたいんだ」
「ふむ。ふむふむ。なるほどねえ」
綺麗に剃ってあるはずの顎を撫でながら速水は言う。
命にはそれが彼にとってあまりいい話ではないのだとすぐに見抜いた。あの相棒のことだ。自分のことに関しての情報を自分に教えるなと先手を打っていたに違いない。そこはさすがだと褒めるべきだろうか。
だが、甘い。
速水の性格からして孫には甘いタイプの男。それに近い年をしている自分にも普段から甘いのだから、彼から聞き出すのはそんなに難しいことではないのだ。
「教えてよー、社長ぉ」
「答えが難しいねぇ。彼、多くのアイドルをプロデュースしてきてたから」
「じゃあ、特にこの子! って感じのアイドルって誰?」
「特にかい? そ、そうだなあ……」
速水の目が泳いでいる。ここは彼が反応を示したあのアイドル名を命は言ってみた。
「……この前テレビで話題だった四条貴音とかは?」
「どうだろうねえ」
当たりだ。
やけに声が高くなったし、無意味に体を動かしている。
「あ、たしか命くんが好きなシェリルもプロデュースしていたらしいよ」
「え、マジ? サインほしいなぁ」
「まあ無理だろうね。そうだ。ちょっと用事があったのを思い出したよ。年は取りたくないねぇ。それじゃあ命くん。少しばかり留守番を頼むよ」
「はーい」
特に気にしなければ自然な感じで会話を中断して部屋を出て行ったように見えるが、どう見ても逃げたようにしか見えなかった。
速水が事務所から出ていくのを見届けさっそく行動に移した。
命は未沙のデスクの前に座り仕事で使っているデスクトップパソコンを起動。彼女はいま外に出ていていまこの場にはいない。それに仕事をしていないときは二人でネットサーフィンをしているのでパスワードも知っている。パスワードを打ち込んですぐにGoogleをクリックして「四条貴音」で検索。
サイトの一番上に〈765プロダクション〉のサイト内にある四条貴音の公式サイトがあった。試しにそれを開いてみる。
内容は特にこれといって興味が惹かれるものはなかった。あるとすれば、バストとヒップがすごいというぐらいだろうか。
知りたい情報はこれではない。もっとこう、彼に繋がるような話題がほしい。
(……そうだ)
「四条貴音 活動休止」と先ほど口に出した単語を入力。ブログやネットニュースほかにはまとめサイトがずらりと表示される。いくつか目を通してみたが内容は似たり寄ったり。活動休止は体調不良が原因とある。それだけで彼が青ざめるほどのことなのだろうかと命は首を傾げた。プロデューサーである彼ならば顔見知りという線もある。だから心配した。だが、あれは顔見知りというにはいき過ぎている。もっと親しい間柄のように見えた。
サイトを行ったり来たりしていると、とあるネット掲示板のスレをまとめたサイトに行きついた。タイトルは『銀色の王女 活動休止は男が原因⁉』とあった。軽く流し読みしていくと内容はある投稿によってはじまったらしい。
『四条貴音が休んでる理由は男が原因らしいゾ』
『マ?』
『ソースは?』
『俺、テレビ局で働ているんだけど。先輩が言うには四条貴音が休んでいる理由は彼女の元プロデューサーが原因ってことらしい』
『ファ⁉』
『けどなんでよ』
『そりゃああれだろ。男と女の関係よ』
『幻滅しました。貴音ちゃんのファンやめます』
『まあいまどきアイドルとの恋愛なんてそこまで話題にならないけどなあ』
『交際しながらアイドルやってるやつとかたまにいるし』
『それでも好きなやつはおっかける。はい、俺です』
『話戻すけど、貴音ちゃんの元プロデューサーって当時すげー本スレで議論されてなかったけ?』
『たしかあったな』
『今のプロデューサーじゃないん?』
『違ったはず』
『今のはもう一人の男の方だな。りっちゃんはいまアイドルメインだし』
『当時はなんで盛り上がったん?』
『偶然ファンが撮った写真の男の見た目が日本人離れしてたのと、まさかスレに業界関係者が現れて、それでかなり盛り上がった』
『そんな流れだったな。けど、なんで関係者のお前がしらねーんだよw』
『いや、新人だから詳しく知らんのよw。なんかすげー有名だってのは聞いてる』
『有名っていうか、業界関係者じゃめっちゃ名の通ってる人間だってらしいけどな。いい意味でも悪い意味でも』
『らしいな。俺はまだよくわからんけど』
再びGoogleのトップページまで戻り、命は「四条貴音 画像」で再度検索。ずらりと表示される彼女の数々の画像を鑑賞し始めた。
プロフィールでも目にしたが実物を見るとデカい。男が夢中になるわけだ。髪も自分とは違い天然ものだとすれば、滅多に見ない銀色をした髪の毛はとてもきれいだ。
ふむ。男と女の関係か。
そう思って「四条貴音 プロデューサー」と検索。数は少ないがとあるサイトに気になる記事があった。『四条貴音の元プロデューサーとはこいつだ!』というタイトルで写真やいくつかの逸話のようなものから噂話が書かれていた。
曰く、今活動している多くのアイドルやアーティストをプロデュースしたらしい。
曰く、芸能業界では知らぬ人はいないらしい。
曰く、著名人やテレビ局の人間といったあらゆる人間の弱みを知っている。
曰く、上記に関連して政界とも通じている。
曰く、海外とも繋がりあり、マフィアとも交友がある。
曰く、未来からきたプロデューサー型ターミネーター。
上3つは当たっているのでネットの憶測もばかにはできない。残りの半分は知っている情報がないのでなんとも言えなかった。ただ、4つ目に関してはあながち間違いないのかもしれない。彼の協力者には進んで協力している者と、金または脅されて協力している者がいると本人が言ったのだ。つまり、人の弱みを知っているということになる。アイドル協会や業界全体に彼の息がかかっているならば、政界の人間とも繋がっていてもおかしくはない。まあアイドルのプロデュースで政治家を脅して何の意味があるかはさっぱりだ。
数枚ある写真はあまり写りがいいとは言えない。ほとんどがぼけている。プロか素人なのかは区別がつかないが、写真の様子を見るになにかのイベントかオフの写真だろうか。簡単な変装をしている四条貴音に大柄の男が隣に立っている。知っているから言えるがこれは相棒だろう。写真が荒く、遠くから撮ったものなのではっきりとは言えないが、楽しそうに見える。
いくつかある写真の中で気になるのがあった。これも彼女のオフでの写真だと思うが違う点が一つ。たぶん二人の間にもう一人の……少女がいる。髪は金髪だ。偶然なのかはわからないが、命の女の勘が偶然ではないと語っている。相手はさすがにわからない。でもこれではっきりした。
これが彼の『弱さ』だ。
堅物だと思ってたけど、意外と男らしいところもあるのか。まあ年齢差に関しては否定はできない。それでも彼があそこまで感情を露わにするということは、そういうことなのだろ。
(ほんと、不器用な人)
彼の目的を知っているので自然とそんなことを思い浮かんでしまう。本当はこんなことしなくていいのにと、同情すらしてしまう。
両手を上に伸ばして気持ちを切り替える。
頭の中で彼のことを勝手に教えてくれるのはいい。でも、やはり自分で聞いて判断しなければならない。
なによりも、彼をからかうのは楽しいのだ。
アイドルをやっているのはつまらなくはないが退屈だ。なのでこれはいい退屈しのぎの一つでもある。
それに、相棒と話すのは嫌いじゃない。
同年 8月
この頃になると、〈リン・ミンメイ〉は〈アイドルアルティメイト〉の予選をすでに通過していた。大会参加者の規模がかなりのもので、日程やアイドルのスケジュールの関係、さらには会場の確保と多忙な中でこの時点での予選通過は早い方だった。
命にとってもこの予選はそこまで苦ではなかった。むしろ本気すら出していない。
予選が終わったいま、やることといえば日々の習慣になっている作詞作曲にテレビ出演や細かい仕事、そしてライブぐらいだった。
〈リン・ミンメイ〉を演じてからだいたい9か月が経とうしている中、命とプロデューサーとの関係は左程変わっていなかった。むしろ、距離感は遠ざかっているのではと彼女は笑いながら楽観視していた。
彼からすれば命の言葉の一言一言が鬱陶しいに違いなかった。内容が的確で、人の感情を逆なでするようなことを言うのだから、彼からすれば会話すらしたくはないのだろう。
その内容が彼の本心を見透かしているとなれば尚更だ。
あれから命も自宅で色々と情報収集をしていた。四条貴音やプロデューサーである彼自身についても。
ただ、アイドルではなく一人のプロデューサーの情報などたかが知れていた。彼の個人情報と呼べるものはほとんど皆無。得られた情報といえば四条貴音関連で探して出てきた情報のみ。
それでもプロデューサーが自宅ではなく事務所やホテルで寝泊まりしていることは、共に活動するようになってから知ったのでそこは女の勘が働いた。
彼は四条貴音とかなり身近な距離、もっと言えば親密な関係だったのだとわかる。考えられる答えとしては同棲。まさに男と女の関係だ。
だから彼は家に帰らない。それがもっとも決定的な理由だ。
(なら、あれもそういうこと?)
二人の関係が恋人だと仮定するならば、彼のある一定の行動ですら当てはまってくる。
答えを知りたいという好奇心と、純粋に彼をもっと知りたいという想いもあって彼女はそれなとくプロデューサーにたずねた。
「ねえ、相棒」
「なんだ」
車を運転している彼は命の方など見向きもず素っ気ない返事を返した。
「相棒ってさ、たばこ吸うじゃん」
「それがどうした」
「たぶん、間違ってなければ一日三本ぐらいしか吸ってないよね。どうして?」
言うと同時に体が前に揺れる。が、シートベルトのおかげで途中で停まる。
どうやらタイミングよく赤信号になったようだ。それにしては急ブレーキにようにも感じたそれは、彼の今の状態を表しているといってもよかった。
「なんで一々お前の質問に答えなきゃいけない」
「別に。答えなくてもいいよ。ただ、辛そうだなあって、そう思っただけ」
それ以上彼は何も言ってはこなかった。すごいのはイラついているのにそれを表に出さないところだった。例えばハンドルを叩いたり、貧乏ゆすりや舌打ちなどをしてもおかしくないのに彼はそれすらしてこなかった。
辛いと言ったのはたばこを吸えないことではなく、三本しか吸わないことを律義に守っていることを言った。彼が何も言わないのは、彼自身それを自覚しているからのだろう。
例の親密な関係だと思われるアイドル―四条貴音が提示したと思われるその約束は、今の彼にとっては厳守すべきことではない。にも関わらず一日三本しか吸わないのは、傍から見れば呪いに近いものだろう。
だがこの場合はたぶん違う。
やはり彼は、純粋なのだと私は思う。
きっとそれは素直とも呼べるかもしれない。ある意味でそれが彼の本質なのだろか。そこまではさすがにわからない。
分かると言えば、四条貴音という存在は彼にとって大切な存在であり、彼に愛されているということだ。
愛されていると言えば、彼は非常にアイドルにモテるらしい。
予選で多くのアイドルとライブバトルをしたあとに大半のアイドルが駆け寄って言うのだ。
(プロデューサーに伝言をお願いします)
相棒はなんて罪な男だろうか。言ってきたアイドルに同情すら覚えたが、今となっては鬱陶しくて仕方がない。一人や二人ながらともかく人数も気づけば二桁だ。それもライブバトルした相手ではないアイドルも駆け寄ってくるのだからそう思ってもしょうがないではないか。
中には直接言ってこなかった子もいて、多くが後ろでこちらを見ていたその子らはどうみても小学生か中学生ぐらいのアイドルだった。さすがに顔には出さなかったがあれはどう考えても、罪な男を通り越して犯罪者予備軍なのではと思ってしまった。
相棒に魅力がないといえば嘘になる。だが未成年、特に小中学生はだめだろう。今の世論的に見ても言い逃れはできない。ただ彼のことだ。彼女たちに向ける視線や感情はアイドルとしてであって、女としては見ていないのは目に見えている。
まあある一人のアイドルを除けば、だが。
違う見方で考えるならば、相棒を中心に多くのアイドルが関わっていることになる。それは芸能関係者も例外ではなくて、だからこそいま起きている事象に大勢の人間が巻き込まれている。いや、巻き込んでいるのだ。〈リン・ミンメイ〉というアイドル(偶像)を生み出し、今この時代が作り出したアイドルブームを利用して日本中を巻き込んでいる。
この国のみならず他国でもアイドルという文化は異常なまでに人々に浸透している。アイドルという偶像に恐ろしいまでに酔っているとでもいうべきか。男女問わずアイドルという存在に誰もが惹かれ、惹き付けられている。その当事者になっている自分を見ても、それを実感するには十分すぎる体験をした。
ライブ会場を埋め尽くすファンの人々。たった一人のアイドルのために訪れるのだ。アイドルに対するファンの熱意というものを体感するにはこれ以上のものはないだろう。
改めて考えると、相棒がやっていることは並大抵のことではないのだとわかる。
いくら協力者による援助があったとはいえ一人でこの騒動を計画していていたのだ。まさに人の執念というものを感じる。
いつも行き当たりばったりで、自分の意志で選択をしてこなかった自分よりとても眩しい人。憧れもするし、嫉妬もしてしまう。
なんで自分には彼ほどとは言わないが熱意がないのだろう。好奇心が湧かなかったのだろうと自問自答してしまう。
そういう意味では私は彼が羨ましいのだろう。
『夢』のためにここまでやれる相棒が。
たったそれだけのことが、私には眩しかった。
――そして
〈アイドルアルティメイト〉の本選から今日に至るまで語ることは少ない。
本選の一回戦で予想外の出来事はあったが〈リン・ミンメイ〉は見事決勝進出を果たした。
もう一つ語ることがあるとすれば、相棒の変化ぐらいだ。今日という〈アイドルアルティメイト〉の決勝戦に近づくにつれて、彼は徐々にもとに戻り始めた。
気が緩んでいるのとは少し違う。
彼の良心が訴えているのか、罪悪感を今さら感じているのか。こればかりは言葉が見つからなかった。
「……」
驚くほど深い眠りについている彼の頬にそっと手が伸びた。
触れるようで触れられない距離。
よく見なくてもいい顔ではない。多くの人に恐怖という第一印象を与えるような顔だ。
そんな彼に多くの人間が惹かれた。命は思う。もしも、自分がアイドルになるということが必然なのだとしら、彼に惹かれたのも納得がいくような気がする。おまけにこんなよくも分からない能力を授かったのもこのためなのだと。
いや、眼なんておまけで実際のところはこの声なのかもしれないし、自分の存在自体がそういう風に宿命付けられていたのかもしれない。それにただでさえ〈飯島命〉なのか、それとも〈リン・ミンメイ〉なのか自分でも分からなくなってしまっている。
ただ、それも今となってはどうてもいい。
自分がどんな存在であれ、定められた宿命を持って生まれたなんてもう興味はない。
彼の夢は目前だ。
それを叶えるのが私の――〈リン・ミンメイ〉の役目だ。
〈リン・ミンメイ〉にとって最後の仕事で、最後の舞台。
それは彼にとっても同じ。
これが終着点になるはずだ。
終わるのか。はたまた解放されるといえばいいのか。少なくとも〈飯島命〉にとっては解放なのだと思う。
なら彼は?
分からない。
この先の未来が視えない。教えてもくれない。
少なくとも確定している未来は一つ。
彼の夢は叶う。
「……ん」
相棒の声が漏れた。
長い眠りから覚めたらしい。
すぐに意識を取り戻したのだろう。目の前にいる命の存在を認識すると、サングラスをかけたまま右手で目を覆った。
(……涙?)
直感だけど、たぶんそんな感じがした。相当嫌な夢か、悲しい夢を見たのだろうか。
目を覆ったのも一瞬で、彼は即座に言ってきた。
「――最悪だ」
相棒の寝起きの第一声は相変わらずだった。
おまけの落書き
【サテライト】
元ネタ マクロスの制作スタジオ。
ミンメイを生み出したと同時に事務所の名前がこれに決定。
【速水】
元ネタ声優のあの人から。
サテライトの社長であり経歴が不明なキャラクター(あまり深く考えてない)。事務所をサテライトにした時点でこれも同時に決定。
【早瀬未沙】
元ネタマクロスで以下同文
夫は航空自衛隊のパイロット
【飯島命(新)】
マロクスミンメイの中の人から名前を決定。作詞作曲も中の人ネタです。
一言でいうと訳の分からないキャラクター。あるいは美希の上位互換(数段上)
作中においては、彼女がいなければこの物語は始まらないし、彼の夢も叶うことはなかった。神に愛された女であり、彼にとって運命の分岐点となる女
【リン・ミンメイ】
彼が考えたアイドルで、命が演じている存在。命がいなければただの空想でしかない
あるいは概念的存在(彼女の名前に一々〈〉がついていたのはそのため)
【松岡七羽】
命のただ一人の友人でありよき理解者。