銀の星   作:ししゃも丸

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受け取れ
これが総文字数約65000文字だぁ!

※追記
一部ルビを入れた単語がなぜか反映されておらず、そのまま続く形になっています。
ほんとなんで?


第39話 P

 

 

 

 

 

 

 

 意識が覚醒する。

 無意識のうちに瞼が開く。

 でも何も見えない。

 だんだんと見えて……いや、突然それは現れた。

 目の前に一人の女が立っていた。

 周囲は暗闇で、自分がちゃんと立っているかも怪しい。それなのにその女がいるところだけは光がある。

 けど、誰かははっきりと見えない。顔がうまい具合に暗闇によって隠されている。

 どういう訳かその女のことを知っているような気がした。

 女はじっとこちらを見ている。

(――あなた様)

 何かを言っているような気がするがわからない。

 口が動いているのはわかる。

 でも声が聞こえない。

 それでも不思議と、いつも聞いていた言葉のような気がするのはなぜだろう。

 聞こえない言葉を何度も女が言っている。

 何度も――何度も何度も何度も。

 頭に残っているはずなのに、忘れることなんてあるわけないのに、その言葉を思い出せない。

 一瞬、女の頬を何かが流れた。

 それでもじっと女はこちらを見つめ、そして振り返るとどこかへ歩いて行ってしまう。

 女に向けて右腕が動いた。

 理由はわからない。

 体が動こうとしているのがわかる。でも動かないんだ。

 そして女は目の前から消えた。

 暗転。

 再び暗闇の世界。

 けど光がある。

 目の前にはまた女がいて、顔は見えない。

 女は体に跨っているように見えたので、きっと仰向けで倒れているのだろう。

 確証はない。

 ここはまるで宇宙だ。どっちが上で下なのか分からない。

 女は両手を伸ばして……首を絞めていた。

 痛みはない。

 苦しくもない。

 呼吸をしているのかも判断がつかない。

(――うそつき)

 女が何かを言った。

 やはりまた聞こえない。

 でも、どこかで大切な約束をしたような気がする。忘れてはいけない約束だったのに、思い出せない。

 女は首から手を放そうとはしない。

 なぜ抵抗しないのだろう。

 体が動かないから?

 わからない。

 そんな時。

 動かない頭が、横に勝手に動いた。

 暗転。

 それから何度も同じ光景が繰り返された。

 暗闇の世界にぽつんと光る女。顔も声も分からない。

 どれくらい繰り返したのだろうか。

 数えることすらしていない。

 はっきりと覚えているのは最初の二人だけで、それ以外は霧がかかったようにまったく思い出せずにいた。

 そしてまた暗転。

 今度は違った。

 光だ。

 一面の光。

 そこに大きく光るモノがある。

 直視できない。

 眩しいのとは少し違う。

 光が近づいてくる。

 目を細めてようやくわかるのは、それが人のような姿をしているということだった。

 それは目の前に来る。

 すべてを照らしているというのになにも感じない。

 暖かいという印象を抱いていたがそうではないらしい。

 人の形をした光が顔に手を伸ばしてきた。

「大丈夫」

 いままで一度も聞こえなかったはずの声が聞こえた。

 鮮明ではっきりと。

 なんで目の前の存在の言葉だけが聞こえてくるのか。そんな疑問など微塵も湧かなかった。

 ただ――

 その言葉を聞いて無意識に安心したのは――間違いなかった。

 

 

 

 

 

 

 第39話 P(プロデューサー)

 

 

 

 

 

 

 意識が覚醒する。

 ここはどこだろうか。

 島村卯月と別れたあと、スタッフから宛がわれた〈リン・ミンメイ〉の控室にある椅子に座った所までは覚えている。自分は寝てしまったのだろうか。

 ならばここは夢の世界ということになる。

 普段見る夢にしてはとても鮮明に意識を保っているし、はっきりと認識できている。

 だからだろうか。

 ふと、あいつの勝敗に関して脳裏をよぎった。

 相手はあのシェリルだ、実力なら誰よりも知っている。普通なら控室で寝ているなんてできないだろう。

 しかし。あれが、〈リン・ミンメイ〉が負けることはないだろうとどこかで確信している。だから寝てしまったのだろう。

 まあ問題ない。あれのことより今はこの状況の方が重要だ。

 すると目が慣れてきたのか、はたまたこの空間に光が差し込んだのかはわからないが視界がはっきりしてきた。

 上を向けば天井があって、照明がある。前を向けば横一列に椅子がずらりと並んでいた。すぐにはわからなかったが自然とここがどこなのかがわかった。

 ここは、地元にある小さな映画館だった。

 映画館にしては少し狭く、上映している映画も数本。幼少のころよく母親に連れて行ってもらったから覚えていたのだろう。なんといえばいいのか。当時にしては小さな町に一つはあったであろう映画館で、都市部に大きなショッピングモールや映画館ができるまではよく通った場所。自分と同じ年の子供はよく通っていたと思うし、大人向けというか有名な映画を見るために大人達も通っていた。しかしそれも時代の波にのまれて消えていった。

 いつ閉館したのかは覚えていない。気づけば取り壊されて、更地になっていたはず。一番新しい記憶を掘り起こして思い出す。たぶん、ドラッグストアかなにかになったと思う。

 それでもこうして館内の風景を鮮明に覚えているのは、大事な思い出の名残なのだからだと思う。自分でもよくわからないが。

 背後で音がする。映写機が動き出したらしい。

 深く考えるのはやめて、気晴らしに見てみよう。座る場所はいつもの場所。中央のちょっと後ろの席。ここがちょうどよく見える位置で、自分専用の特等席というやつだった。

 ただ、成長した自分が座るとやはりあの頃とは見える位置が違う。場所を変えようかと思ったがまあいいかと曖昧な判断をして動かなかった。

 照明がゆっくりと消え始め。スクリーンに映しだされる映像がだんだんはっきりと見えてくる。

 どうやら始まるようだ。

 3

 2

 1

 ――誰かの視点でそれは始まった。

 どこか見覚えのある教室。

 目の前には高校時代の担任が座っている。

 これがなんの映画なのかわかった。

 これは、俺の過去の記憶の映像だ。

 

 

 

 

 

 

 1998年 4月

 

「で。大将は進学か? それとも就職か?」

 

 学校の自分のクラスの教室で担任の教師が言ってきた。

 高校二年生となり進路のプリントに特になにも書かなった自分に、先生が建前上の進路相談として放課後の貴重な時間を使ってたずねる。

 しかし、彼は教師のくせにこれっぽちも心配している素振りが見えない。本当に進路相談としての形だけの質問をしてきている。

 それもそうだなと思う。

 先生は自分の家庭が自営業を営んでいて、尚且つ一年時の成績を知っているからというのも理由の一つ。それにこうして生徒である自分を『大将』と呼んでいるように、あまり心配はしてないというのもあるし、信頼しているという面が大きいのだろう。

 

「答えはまだないです」

「んー。まあ、他の奴なら心配して色々と先生も動くんだが、大将なら問題はないし平気だろうなんて思ってしまうわけだ。教師としては失格だけどな」

「だったら、こうして貴重な放課後を使わなくたっていいじゃないですか」

「一応建前上な。大将以外はちゃんと進路を決めているし。それが本気かどうかは別としてだ。他の先生も大将のことは信頼しているから心配はしてないんだけど、さっきも言ったように建前上はしなくちゃいけないし、本人の意見も聞いておかきゃいけないわけだ」

 

 それは初耳だった。これといって呼び出されるような問題は起こしてはいないし、授業中は普通にしているだけだったのに。

 

「あの、そんなに俺って信頼されてるんですか? マジで自覚ないんですけど」

「職員室ではたまに話題にあがるぞ。なにせ、『大将』なんて呼ばれてるぐらいだしな。クラスメイトからの信頼もあるし、面倒見もいいから余計に好印象だ」

 

 そういう風に呼ばれ始めたのは中学の時からだったと記憶している。身長は全体で上から数えた方が早い方で、体格もがっしりとしているから目立つというのもある。あとは面倒見がいいから、周りから親しみを込めて『大将』なんて呼ばれたのがきっかけだったはず。

 それは高校に上がってからも変わらなかったし、なぜか先生達まで自分をそう呼ぶものだから不思議な感覚だった。

 

「先生なんだから普通に名前で言えばいいじゃないですか」

「まあそれもそうなんだがな。大将って身長はあるし、体格もいい。それに年の割にはとても落ち着いているからなんていうか、生徒、もっといえば子供に見えないんだよ。他の先生達もそうで、なんていうかその、大将には遠慮がいらないって思っちゃうんだろうな」

 

 それは育った環境が原因で身に染みていた。年の近い子供が少なかったのもあるし、なによりも大人ばかりの環境で育ったので、自然とそういう風になってしまったのだ。

 

「けど、それは悪いことじゃないと先生は思うぞ。社会に出れば一つの武器になるだろうしな」

「はあ……」

「いまはそれでいいさ。さて、話を戻すか。先生達としても早い段階で進路を決めてもらえると対応がしやすいし、相談されてもアドバイスができる。大将は実家が自営業だから就職には困らないだろうし。実際のところ、ご両親はなにか言ってきているのか?」

「父は家に就職させる気はないです。就職するなら別のところへ行けって。社会を学んでこいって言ってます」

「うんうん。その意見はわからなくもないな。で、進学は?」

「行きたいところがあるなら、行けって」

「そうか。進学ならいまからでも部活に入ったらどうだ? 多くの部活を担当する先生が言ってくるんだ。大将は部活に入らないのかって。一年の際、あちこち部活を転々としたのは興味があったからだろう?」

「いや。それはちょっとその技術というか、基礎が学べればそれでよくて。あとは独学でできるし」

「それまたなんで」

「趣味って言えばいいのかな。体を鍛えるのが自然と好きになってて」

「なんだ。自衛隊にでも入る気か? 大将ならいけそうだが」

「まあそっち方面の技術を学びたいってのもなくはないです。銃とか撃ってみたいし、戦車とかヘリとか操縦してみたいってのもあります」

「変わってるな。聞いてもいいか? なんでそういう風になったんだ?」

「映画の影響だと思います。映画に出てくる強い男に憧れて、自分もああなりたいって」

「それが今の大将を作っているわけか。ちなみに、憧れている俳優って誰?」

「シュワルツェネッガーとスターロン」

「カッコいいもんな。その二人」

 

 その通り。男なら誰もが憧れる男と言っても過言じゃないだろう。

 変わっているとよく言われるが、初めて二人が出ている映画を見たときとても夢中になって見ていたのだ。何度も巻き戻しては再生していた。あの筋肉。悪党を倒していく強さ。アクションも理由の一つ。自分もああなりたい。気づけば筋トレをはじめ、それだけじゃだめだと思って柔道や剣道とか身近なものから手を出した。

 近所にないものはしょうがないので、お小遣いで本を買って独学で学んだ。例えば合気道とか色々。あとはひたすら映画を見た。二人以外にもジャッキーチェンとか、さすがに彼の生死を分けるようなアクションを真似するには命がいくつあっても足りないので控えた。

 

「けど、あれだ。大将は……何かになりたいのかもしれないな」

「どうしてそう思うんです?」

「大人としての、経験というやつだな。就職と進学は置いといて、色んなことにチャレンジするのは自分に合うかどうかを確かめているんだろう。無意識のうちにな。先生も最初は教師を目指すつもりなんてなかった。けど、あるきっかけがあって教師を目指そうと思ったんだ。大将もいまやっていることはきっと無駄じゃない。ふとしたきっかけで道が切り開けるさ」

 

 先生の語る言葉をこの時はまったく受け入れることはできなかった。自分の人生は流れるまま決まっていくんだと思っていたからだ。いまもこうして就職か進学で悩んでいるが、その時になればどちらかを選ぶに決まっている。そしたらその内彼女でもできて、いずれは結婚でもするんだろうと。

 だから、人生を左右するようなきっかけなんてあるはずない。そんなのは理想論で、夢の見すぎではないのか。自分の考えも理想論のようなものだけど先生よりはマシだと心の中でつぶやいた。

 

「それと、大将にはなにか夢や目標はあるのか?」

 

 先生は突然たずねてきた。

 

「いえ。特にないです」

「夢を持てとは言わないが、人間っていうのはなにか目標があればそれに向かって頑張れるもんさ。それがどんなものでもだ。それが見つかれば、大将の進路も見えてくると思うぞ」

「先生の言ってること、なんだか飛躍しすぎだと思うんですけど。進路相談から夢とか目標とか。そんなの一握りだし、俺にはそんな大層なもんきっとないですよ」

「かもしれない。けど、夢っていうのは制限はあるけど自由で無限大だ。子供だけの特権じゃないし、大人が見ちゃいけないなんてことはないんだぞ」

 

 やけに熱く語る先生に一つ、その制限について訊いた。

 

「その、夢の制限ってなんなんですか?」

「それは時間だよ。叶えられるかどうかは別として。夢は、生きている間ならいつでも見れる。けど、死んだら夢を見ることはもう二度とない」

「夢を叶えるのって大変なんですね」

「大変さ。夢を叶えるのは」

 

 結局、話は脱線したまま進路相談は終わった。

 途中から進路のことよりも夢について語る先生の話の方が頭に残ったぐらいだ。

 先生にもきっと夢があったのだろう。ふとそんな風に思えて仕方がなかった。本当は教師になる気なんてなかったのではないか。そのきっかけとやらの所為で教師になっただけではないのか。自分は夢を諦めたから、何もない自分に熱く語ったのではないのか。

 もしくはその反対かもしれない。

 ただ、夢について語る先生の姿はとても教師らしく見えたのはたしかだった。

 それから高校生になってから二度目の6月がやってきた。

 あれから進路についてはまだ決まっていなかった。有耶無耶になっていて、あまり考えても仕方がないと思って無意識のうちに考えないようにしてたのかもしれない。

 6月のとある土曜日。彼は趣味のようなものである散歩に来ていた。いや、正確にはツーリングに近いが彼にとっては散歩だった。

 親戚が買ったはいいが時間がなくて結局乗ることのなくなったホンダのホーネット250を譲り受け、去年に自動二輪免許を取得した自分にとってはタイミング的にはちょうどよかった。それからバイクに乗って東京に出向き、そこから街を散歩するのがこの趣味の始まりだった。

 なぜ東京なのかといえば、一番時代の流れを感じることができるから。街の風景、看板とか広告とか目に付くもの。他には流行のファッションとか色々。それらを間近で見て肌で感じるのがなぜか好きだった。仲の良い友人にすら話していないし、話せばきっと変わった趣味と言われるのだろうと予想がついていたので言わずにいたのもあった。

 この趣味は毎週というわけではない。バイトもしているので月に一回か二回訪れる程度。東京以外にも行こうと思って地図を開くが、遠くて面倒だし金もかかるから断念していた。だから近場の東京ばかり行っている。

 この日も適当に気になった場所へ行き、近くの駐車場にバイクを停めて散策をしていた。もう慣れたが歩けばすれ違う人の視線が突き刺さる。

 身長は190あるかないか。それに体格もいい。それだけでも彼が異質な存在なのだろう。同じ日本人に見えないというのは言い過ぎだが、ここまでの人間が身近にいないから余計に人々の注目を浴びる。さらに年は16だと告白してもきっと信じてはくれないだろう。本人がどう思おうと10代の少年として見られるはずがなかった。

 最初は気になって仕方がなかったがいまでは気にならないぐらいには成長した。諦めたともいえるけど……彼は小さなため息をついた。

 そんな時だ。背後で男が誰かを呼んでいる声がする。これだけ人混みが多いと誰が誰を呼んでいるかなんてわかるはずもない。まして、東京に友人や知り合いなんていない自分にはまったく関係のないことだ。

 それでも、声は止まず誰かを呼んでいる。

 だんだんと声が近づき――その主はまるで自分に言っているかのように聞こえるのだ。

 どうすべきか。

 一瞬悩んだその瞬間。

 

「キミキミ、そうキミのことだ。突然だが、プロデューサーになってみないか?」

 

 

 

 

 

 そう。これが高木順一朗との最初の出会いであり、すべての始まりだ。スクリーンに映る若き日の順一朗を見て、彼は当時のことを思い出し始めていた。

 このあと近くの喫茶店で順一朗さんから説得という名の説明を聞いたのだ。〈プロデューサー〉なんて単語は番組のテロップに載る単語ぐらいにしか認識していなかったし、それもアイドルの〈プロデューサー〉になれなんてさらに実感が湧かなかった。

 でも、話を聞いて俺が出した答えはYESだった。

 まだ半信半疑だったのにも関わらずそう答えたのは、きっと興味が湧いたからだと思う。さすがに当時のことはうろ覚えだ。

 けれど、今でもはっきりと覚えていることがある。

 これが先生の言う「きっかけ」なのだろうか。ならば、一歩前に踏み込んでもいいのかもしれない。

 今だから言える。この「きっかけ」こそが、俺の人生を決定づけたのだと。

 映し出されている風景が変わった。

 俺はどうやらバイクに乗ってどこかへ向かっているらしい。流れる風景にも見覚えがある。ああ多分、この日は金曜日だ。休日だと言っておきながら学校が終わり、家に帰り身支度をするとすぐに事務所に向かって行ったのだ。それも通い始めてから2、3週間目からだったと思う。それだけ興味を惹かれ始めていたのだ、この時の俺は。

 それと問題がなかったわけではなかった。

 両親に説明はしたが中々納得はしていない印象で、それもそのはずで仕方のないことだった。アイドル事務所でアルバイトすることになったなんてすぐにわかる方が驚きだ。別に反対はしなかったが、給料はいいし交通費も出してくれるからというと渋々頷いて許してくれたのを覚えている。

 ただ、この時の俺は同時にあることを予見していた。はたして、卒業後に事務所に正式に入社することを許してくれるだろうか。特に父は古いタイプの人間だ。アイドルの事務所なんてよくわからないところに就職など許す気はないかもしれない。

 まあ結果から言えば、俺は〈プロデューサー〉になっているのだからそれが答えだ。

 

 

 

 

 

 

 1998年 8月

 

 〈中村プロダクション〉で見習いプロデューサーとして働くようになってから早2か月。金曜の夕方から日曜の夕方までという短い日数の中、彼は必死に仕事を覚えていた。

 仕事内容は極端に言えば雑用。書類整理とか机仕事が多いのは当然であった。働き始めた新人にできることは限られているのは当たり前。それでも順一朗が現場に連れていってくれたのは、彼にはとても新鮮で勉強になっていた。

 しかしそれも7月までだ。先月末から学生にとって最高の舞台。そう、夏休みが始まったからだ。それに伴って順一朗は彼に安いアパートを紹介し、そこから事務所へ通うようになった。この長期休暇で多くのことを学び実践するのが目標だ。もちろん、学校の課題も同時にこなさなければならないのが現役の高校生としての悩みの種ではあった。

 働き始めて2か月が経とうとしている中、ようやく落ち着いて余裕を持つことができたのでこの中村プロ全体を見渡すことができるようになった。

 所属している人間は自分を含めた5人。

 一人は自分をスカウトした高木順一朗。二人目は彼の従兄弟の高木順二朗。三人目は黒井祟男。四人目は中村プロのアイドル音無小鳥。そして最後が見習いプロデューサーである自分である。

 彼にとって衝撃的だったのが順一朗と順二朗の二人だった。声は違うのだが見た目がどうしても似通っていて顔や後ろ姿だけでは区別がつかないのだ。

 事務所において順一朗は小鳥のプロデューサーという立場になっている。主に営業やアイドルのケアがメイン。おっとりというか浮かれているような顔をしているがとても真面目な男だ。ムードメーカーという言葉がよく似合う人だ。

 対して順二朗は人手の問題か事務員の真似事をしているのが多く目立つ。アイドルである小鳥はそれなりに売れているらしく、人手が足りないときは彼も営業回りをしている。順二朗といる時間のがいまは長いため彼から多くのことを学んでいる最中だ。

 前の二人と同様黒井の仕事は小鳥のもう一人のプロデューサーである。順一朗や順二朗よりも黒井は優秀な男だ。共に働きだしてからまだまだ未熟な彼にすらそれははっきりと分かる。ただ彼にも欠点があると同時に気づいた。口当たりは強いし、きざったらしい部分も目立つ。順一朗ともよく口論になるし問題児のようにも思えた。でも、誰よりも先見の明を持っている。音無小鳥の可能性、魅力を引き出している。まあつまり、彼はとても素直じゃないことがよくわかった。

 音無小鳥は自分の二つ下の中学三年生。緑色のロングヘアと口角の下あたりにあるホクロがとてもかわいい女の子。初めて会った時に「私のことを知っていますか」と尋ねられ、知らないと素直に答えたら「見習いくんはプロデューサー以前に男の子としてダメダメです!」と言われた。

 後日。彼は学校の友人に彼女のことを聞いてみたら驚きの答えが返ってきた。なんでも今人気のアイドルの一人で、最近ではよくテレビにも出ているというのだ。かわいいと思っていたがまさかこれ程とは。人は見かけによらないのだと初めて思い知った。

 実はもう一人中村プロによく入り浸る男がいる。男の名は善澤充昭。とある芸能雑誌を出版している会社に所属している記者だ。彼は三人と旧知の仲らしくよく仕事という名のさぼりとして事務所でよく談笑している。順一朗が言うには有能な記者らしいのだが、まだ若い彼には善澤の実力を見図ることはできなかった。

 よって自分を含めた計6人が中村プロで働く人たちだ(一人は違うけど)。まだ短い期間であるが、本当の家族以上の関係になりつつある。

 そんなことを俺は思い始めていた。

 

 

 

 

 

 今日も彼は順一朗の紹介でそれなりに愛着が湧いてきたアパートを愛車のホーネットで出勤する。事務所までは30分とかからない。中村プロは多くの建物が並ぶ街中にある。4階建ての小さなビルであるが、そこの3階に中村プロは存在する。他の階には別の事務所などが入っている。一応駐車場はあるがバイクの自分には関係ない。入り口付近の邪魔にならない場所に停めておく。こういうところはバイクの便利なところだ。

 事務所に挨拶をしながら入るとすでに順二朗がいて、冷たいお茶を飲みながらのんびりと過ごしていた。

 

「やあ。おはよう」

「おはようございます。順一朗さんと黒井さんは?」

「二人はちょっと外に出てるよ。小鳥君はまだだね。午前中は仕事がないからゆっくり来るんじゃないかな。それはそうと君。これをまた頼むよ。おじさんにパソコンはちょっと難しいよ。はっはっは」

「構いせんよ」

 

 事務所に一つだけ存在するノートパソコン。それは順一朗や順二朗にとっては携帯電話以上に扱いの難しい存在であった。年齢というのもあるが一番の理由はその性能をうまく発揮できないことにあった。

 書類を作るのにWordは便利だし、経理などで役に立つExcelはわざわざ頭を使わずとも計算をしてくれる。しかしそれも、使い方を熟知していればの話。現に見習いである彼が来るまでは黒井がやっていた。パソコンを導入しようと言い出したのも彼で、これは絶対に必要不可欠な存在になると言って購入したのだ。その価格は30万以上。

 1998年7月25日にMicrosoft Windows98が発表されて以来、今まで下火だったパソコンの存在に火が付いた。個人用から仕事用まで幅広く購入する者が増え、仕事簡略のために導入する個人や企業も少なくはなかった。

 17歳になったばかりの彼にとっても、パソコンという存在は少し気になる存在だった。同年代で所有しているのは一人いればマシで、持っていたとしてもそれは富裕層の人間だ。スタンダードクラスのパソコンでも30万前後。ノートパソコンに至ってはまだデスクトップよりも技術が発展途上だったためにノートの方が30万から40万前後と高価。さらに上のハイエンドパソコンともなると50万はくだらなかった。ノートパソコンが持ち運びできる便利なアイテムだとしても、働いてもいない学生が持つ代物としては度が過ぎていたわけだ。

 使用目的が仕事とはいえ、彼にとってはラッキーなことだった。最初はキーを打ち込むのも一苦労だったがいまでは両手で行えるぐらいには成長した。使い方も黒井からの指導と本屋で売っている分厚い説明書を読みながら日々勉強している。

 

「いやー、若いからどんどん覚えていくねえ。うんうん。いいことだ」

「黒井さんの教え方がうまいんですよ」

「それもあるかもね」

「俺からしたらパソコンを使わせてくれるだけじゃなくて、まさか携帯電話まで支給してくれるとは思ってませんでしたよ。安くないのに、本当によかったんですか?」

「問題ない! とまではいかないけどね。まあ連絡手段としては最適だよ。だからって私利私欲のために使わないでくれたまえよ!」

「わかってますって」

 

 実際携帯電話の支給はとても助かっていた。仕事のことに関してもそうだし、実家に連絡をするのにとても重宝していた。

 8時前に出社してからだいたい1時間ほど彼はパソコンの画面と向き合ってデータを入力していた。あとは事務所の掃除や順二朗からプロデューサーとして必要なことを教えてもらっていた。

 時間にして10時前。事務所の扉が開くと中村プロのアイドルがやってきた。

 

「おはようございまーす」

「小鳥君、おはよう」

「おはよう。小鳥ちゃん」

「順二朗さんおはようございます。見習いくんもおはよう!」

「なあ。いい加減見習いくんってやめない? 黒井さんだけで十分だって」

「だめですぅ。見習いくんは、見習いくんで十分なのです」

「はは。頑張りたまえよ、見習い君」

 

 小鳥のファーストコンタクトはいいと呼べるものではなかった。しかしそれからの対応は至って普通で、彼としても助かってはいたし、年が近いということもあって二人の仲は良好であった。

 小鳥はソファーに座ると、目の前にテーブルになにやら勉強道具を広げだした。

 

「小鳥ちゃん。それって夏休みの課題?」

「うん。仕事もあるし、できるうちにやっておかないと。それに今年受験だから余計に多くて。そういう見習いくんは?」

「もう終わった」

「え! 早くない⁉」

「だって高校の課題って中学より楽だし。まあ、あれだね。面倒なのは読書感想文ぐらいかな。それももうちょっとで終わるけどね」

「うう。普段レッスンやお仕事で忙しいかわいいアイドルのために手伝ってくれる人はいないんでしょうかー。ちら」

 

 わかりきった視線が突き刺さる。助けを求めようと順二朗さんに視線を向けるが気づけばいない。

 こういうところは流石だなと尊敬すると共に大人はずるいと思ってしまう。彼は呆れながら小鳥の隣に座った。

 

「やり方は教えるけど、答えは教えないよ」

「わーい。見習いくんのそういうところ小鳥、大好き」

「ありがと。それじゃどれからやる?」

「じゃあ、数学から」

 

 分からないところを教えてあげたり、間違っているところを指摘したりして数十分ほど。彼は隣に座る音無小鳥を見た。

(アイドルだけあって、かわいいよな)

 同年代の女の子、身近で言えばクラスメイトの女子になるが小鳥と比べるとやっぱりそこはアイドルなだけあってレベルが違うと実感できる。彼からしてもここまで距離の近い女子は滅多にいなかったし、普通に隣に座っている自分にも驚いていた。

 今の小鳥は短パンに半袖のTシャツとシンプルであるがおしゃれなデザインをしている。Tシャツの色が白なのでよく目を凝らしてみるとうっすらと下着の色が見える。いや、見えてしまった。その割にはあんまりドキドキしていない。そうなると、自分はあまり彼女を女として意識していないのだろうかと思ってしまった。

 何度も言うが彼女はアイドルで、とても魅力のある女性だ。好きか嫌いかと言われれば好きだし、たぶん好みの女性だと思う。しかしここまでドキドキしないとなると、自分ははたして女に興味があるのかと我を疑ってしまう。

 まあそれ以前に彼女はまだ中学三年の子供だ。恋愛対象になるほうがどうかしている。

 

「見習いくん。ここは?」

「ああそこはね。これをこうするわけ」

「あ、そういうことか。ところで、見習いくんもそろそろここに慣れてきた?」

 

 小鳥は手を動かしながらたずねてきた。

 

「そうだねえ。それなりに慣れてきたかな。プロデューサーらしい仕事以外は板についてきたんじゃない?」

「ふふ。ずっとパソコンと睨めっこだもんね。私にパソコンはちょっとまだ早いかな。全然わかんないもん」

「黒井さんじゃないけど。近い未来これが一般的なものになるんじゃないかなって、俺でも思い始めてるよ。便利だしね」

「そういうものかなあ。あ、そういえば見習いくんってバイク乗ってるんだよね?」

「そうだよ」

「今度後ろに乗せてよ!」

「え、やだ」

「ぶぅー。アイドルの頼みを断るなんてひどいプロデューサー」

「見習いね。それに人を乗せるとかちょっと怖いし、ばれて捕まりたくない」

「平気だって。ね、お願い!」

 

 手を合わせて笑顔でお願いしてくるその姿は、普通の男ならころっと受け入れてしまうものだ。ただ、生憎自分には通じていない。しかし断るのも気が引けたので彼は条件を出した。

 

「じゃあ高校に受かったらお祝いで乗せてあげる」

「だいぶ先なんですけどー」

「それぐらいやる気出してもらわないと困るよ。一応勉強を教えてる身としてはね。おまけでご飯も奢ってあげるよ?」

「む。その言葉たしかに聞きましたからね!」

「ああ。約束だ」

 

 彼としては小鳥がこのまま約束を忘れてくれないかなと僅かな期待を抱いていた。ただ、目の前の彼女の様子を見るからにそれは無理そうだった。

 それから時計の針が12時を指し始めたころ。気づけば事務所に戻っていた順二朗と二人はお昼をどうするかという話になっていて、ここにいない順一朗と黒井はどうするかと話し合っていると事務所の扉が開いた。

 

「諸君、おはよう!」

「もうこんにちはだぞ、順一朗」

「はははっ。まあ細かいことは気にしないでくれ」

「それにしても遅かったですね。黒井さん、何かあったんですか?」

 

 彼がたずねた。

 

「仕事は特に問題なかった。打ち合わせも予定より早く終わった。ただ、このバカがいけないんだ!」

「む! お前がこっちがいいとか言うから余計に時間がかかったんだぞ!」

「お前の意見は参考にならないんだ!」

「まあまあ。二人とも落ち着きなさい。で、何に時間を取られてたんだ?」

「もしかして、その荷物ですか?」

 

 小鳥が黒井の手に持つそれに指をさしながら言うと、順二朗にはそれが何かわかったのか妙に納得し始めた。

 

「それ、なんです?」

「これはね。私達から君へのプレゼントだよ」

「え?」

「ふん」

 

 黒井はそれを彼の前に差し出した。紙袋に入ったそれを受けとると、見た目に反して少し重かった。開けてみなさいと順一朗が言うので開けてみると、そこには三人が着ているスーツ一式とYシャツにネクタイ、そして黒の革靴とおまけにベルトが入っていた。

 

「え、これって」

「見習いとはいえプロデューサーだからな。せめて格好だけでもちゃんとしておけ」

「いやあ。君にあうスーツが中々見つからなくてね。主にサイスが」

「どうせ、ネクタイとか細かい所で黒井と口論になったんだな。しょうがない」

「わあ、すごくきれい。ねえねえ、見習いくん着てみてよ!」

「それはいい!」

「たしかに見てみたいな」

「更衣室使っていいですから! ね⁉」

「わ、わかったよ」

 

 勢いに負けてスーツ一式を持って更衣室へ向かう。ただこの更衣室は実質小鳥専用の更衣室で、男子は入室禁止なのだ。しかし今回はその本人からお許しが出たので問題はないのだが。

 

「あ、ロッカーとか覗いちゃだめですからね!」

 

 こういうことを言ってくるから気が乗らないのだ。彼は平静を装い言い返した。

 

「興味ないから安心しろって」

「それってどういう意味ですか!?」

 

 何かを言われる前に彼は更衣室へと逃げていく。中に入ると、そこは思っていたより狭い空間だった。広さとしては畳三畳ぐらいだろうか。彼女の言うロッカーはすぐ目の前にあったが、宣言した通り興味はないので無視する。

 スーツなんて初めて着るものに少し手が震える。上着を持つと意外と重いことに驚く。とりあえず着ている服を脱いで着替える。

 着替え終えてみると、これがなんとも不思議な感覚。妙に体にフィットするのだ。サイズはちょうどいいし、いつも着なれている服と同じような感触。ただ一つ問題もあった。

 彼は唯一身に着けることができなかったネクタイをもって更衣室を出た。

 

「……すみません。ネクタイってどうやるんですか?」

 

 正直に言うと真っ先に黒井が動いた。隠す気のない小さなため息をつきながら彼からネクタイを手に取った。

 

「ネクタイぐらいできないでどうする。……いいか、最初にこうして長さを調節して――」

 

 目の前でネクタイつけながら説明してくれて頭があがらないのだが、さすがに一度だけではすぐに覚えられない。なんとなくこうやるんだというのは理解できた。あとでアパートで練習しようと心に誓った。

 

「よし、できたぞ」

「……どうです?」

「いやあ。なんというか、分かってはいたが」

「ああ。似合い過ぎて困る」

「……自分で煽っておいてなんですけど。本当に私の二個上の人には見えない」

「それ、褒めてる?」

「褒めてるよ。けど、似合い過ぎて逆に違和感が」

 

 みんな期待していた割には酷い言い草だ。褒めているのか貶しているのかよくわからないではないか。自分的には似合っていると思って、彼は黒井にも聞いた。

 

「黒井さんはどうです? これ」

「ふん。見た目だけは一人前だが、まだまだだ」

「ですよねー」

 

 色々と思うことがあるけど、このプレゼントは最高に嬉しかった。プレゼントなんて子供のころに両親が用意したクリスマスプレゼントぐらいだったから。

 その時、事務所の扉をあけて記者の善澤がやってきた。

 

「どうもー。あれ、みんなして何をしてるんだ?」

「やあ。なに、ちょっと彼のスーツ姿を鑑賞していたところさ」

 

 順二朗が答えた。

 

「おお……おお⁉ 本当に見習い君かい⁉ いやあ、初めて会った時から高校生には見えないと思っていたが……。むしろ、こっちのがらしく見えるよ」

「はいはい。俺は高校生には見えませんよー」

「拗ねるな拗ねるな。そうだ。記念に写真を撮ってやろう!」

「お、いいね!」

「じゃあ私、見習いくんの隣!」

「ほら、黒井もこっちに来いって」

「お、おい! 引っ張るな!」

「はーい並んで並んでー。よし、撮るよ……。じゃあ、今度私とね」

「なんでですか!」

「だって、私だけいないのは寂しいじゃないか」

「大の大人が何を言ってるんだ」

 

 呆れながら黒井は置いてあったノートパソコンを持って自分のデスクに座ると、彼が入力したデータをチェックしはじめる。

 その横で渋々と善澤とツーショットを撮ると、今度は小鳥が彼の腕を組んで写真を撮ってとせがんでいた。

 

 

 

 

 

 この時プレゼントしてもらったスーツ一式は、今でも大事に保管してある。着なくなったのはたしか3、4年経ってからで、理由は高校を卒業してから毎日着始めたために、それまでより早くスーツの寿命が訪れてしまったから。

 それからは自分で購入したスーツを着始めた。最初はごく一般的なスーツを購入していたが、安定した収入を得始めてからはオーダーメイドで作ってもらっていた。

 それでもあのスーツは初めて家族以外の人間からプレゼントしてもらった品物で、大切な思い出の品なために特別な思い入れがある。職人に補修をしてもらったあと、押し入れではあるが常に身近なところに置いている。

 あの写真もアルバムに保存はしていて、最後に見た時は少し退色していた。今見ても、写っているみんなはやはり若い。老け顔だと自覚している自分でさえ、年相応になったのだとわかる。小鳥ちゃんには口が裂けても言えないことだが、当時は若々しくとてもかわいらしい女の子で、年をとったいまは大人の女性として魅力のある子になったと思う。きっと本人は認めないだろうけど。

 しかし――

 いまにして思い返せば、あのプレゼントしてもらったスーツがあったからこそ、あの場面を乗り切ることができたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 1998年 8月下旬

 

「ちょ、ちょっともう一回言ってください⁉」

 

 夏休みが間もなく終わりになるころ、中村プロで一人留守番をしていた彼の携帯に突然順二朗がかけてきた。彼の言う内容に、すぐに頭が受けいれることができないでいた。

 

『いいかい。落ち着いて聞いてくれ。本当に急で申し訳ないが、これから私達の代わりに打ち合わせに行ってきてくれ!』

「いや、絶対に無理でしょ⁉ そもそも順一朗さんと黒井さんは⁉」

『順一朗はいま小鳥君と一緒で現場。黒井はどういうわけか打ち合わせが長引いている。そして私は黒井がその時間に行くはずだった打ち合わせに向かってるんだ。この仕事は先ほど急に来てね、相手が相手だけに断れないんだ』

「……わかりました。それで、打ち合わせの場所は?」

『ああ。場所は――」

 

 事務所から近い最寄りの駅で電車に乗り、打ち合わせ場所に近い駅で降りて、そこからタクシーを使って向かった。初めて領収書をきってもらうのは、少し社会人らしいなと感傷にひたっていた。

 初めて訪れる大手企業に驚きながらも、受付で打ち合わせの件を伝えると指定された待合室で待つことになった。待つこと5分ぐらいだろうか。今回の打ち合わせの相手が訪れた。

 

「いやー今回は急ですみません! あれ、中村プロの……プロデューサーだよね? 初めて見る顔だけど」

「あ、どうも。自分は中村プロに新しく入ったプロデューサーでして。今回はじゅ、高木と黒井の代わりで参りました」

「ああそうなの。まあ、こっちが悪いし。じゃあ、打ち合わせを始めましょうか」

「はい」

 

 この時の気分は、かつて高校受験で体験した面接と同じ感覚だった。部屋に入る前はとても緊張していたのに、いざ中に入って面接が始まると先ほどまでと違ってやけに冷静になって受け答えしていた自分を思い出す。

 いまもそうだ。

 現にいまも目の前の彼と冷静に、しっかりと話を頭に入れて会話を続けられている。

 

「どうでしょうか。うちとしては、小鳥ちゃんにはこういうイメージでと考えているのですが」

 

 仕事の内容は新しいCMに関することだった。彼とは別の仕事で中村プロが関わったらしく、その縁でうちに話が回ってきたらしい。CMに出れるのは相当名が売れていることだと最近分かり始め、だからこそ彼女の人気がどれ程の物なのかを改めて再認識させられる。

 向こう側の提案も悪くはないが個人的には不満な点がある。もっとこうすればいいんじゃないか。彼女ならと頭がフル回転する。

 口を出すのを少し躊躇う。

 しかし、いまは自分が打ち合わせをしているのだ。意見の一つ言ってもいいはず。あとで怒られるのを覚悟して言った。

 

「そう、ですね。それも悪くはありませんが、うちの小鳥でしたらこちらの方がよりいい印象を与えるかと」

「ふむ。言われてみるとたしかに」

 

 通った。なら、このままいこう。

 彼は続けて進言する。

 

「あとはこれをこうして、こんな風にしてみるといいかもしれません」

「そうなると、こちらはこうした方がよりいいかも」

「はい。実際には本人を通してやってみてから、また判断すればいいかと。イメージはこれでもだいたいは伝わっているはずです」

「映像の大まかな流れはこれでいいですね。あとは細かい点か。服装なんかはこういうのを予定していますけど、どうです?」

「うちの小鳥にはちょっと刺激が強いと思います。もう少し抑えめで、ちょっと背伸びした服装のが」

「むぅ。言われてみると、そっちも……」

 

 それからどれくらい経ったのかは覚えていない。とりあえずある程度話がまとまって、後日順一朗さんか黒井さんとしっかりと固めると言ってその場は解散となった。部屋を出て、その会社をあとにして再びタクシーで駅に向かって来た道を戻る。

 どういう訳か、その、言葉にできない変な感覚なのだ。もう打ち合わせは終わったはずなのに、その時と同じようなすごく冴えた状態で、中々普段の自分に戻ることができなくて。それが解けたのは事務所に入ったときだった。

 例えるなら緊張の糸が切れたような感じで、普段の感覚に戻るとソファーに倒れた。彼はただ口を開けて、ただうつ伏せにぼーとしていた。指一本も動かすことをしなかった。体を動かしたのは、順一朗たちが戻ってきた時だった。

 扉を開けて彼らは叫ぶと、きごちない動きで体を横に動かし、バッグの中にある書類を手に取って宙に持ち上げながら彼は言った。

 

「これ、言われた仕事の大まかな概要と当日のスケジュールをまとめたやつです。後日話をまとめるんで連絡よこすそうです。あと、なんか適当に話し合わせてたら、別の仕事紹介されたんで、とりあえず話だけは持ち帰ってきました。あー、今度は一緒にいかせてください。一人はいやーきついっす」

 

 それが精いっぱい出せる声だった。言うだけ言うとがっくしと彼の右手は落ちていった。

 彼にはソファーの背もたれで見えないが、順一朗達はただただその場で硬直していて、そんなのを知らずに彼はふと思い出し家のように言った。

 

「あ、今度名刺作ってください。なんか、求められたんで」

 

 

 

 

 

 これがたぶん〈プロデューサー〉としての、初めての仕事だったはず。最初に見習いがつくのだが。

 ただこれがきっかけで、翌日からただの見習いから本当の意味でプロデューサー見習いとしての生活が始まったのはたしかだ。しかし残念なことに、肝心の夏休みが終わりに近づいてきたせいでまともに仕事できる時間は限られていた。

 まあ、これも若さというべきか。夏休みが終わった後も重要な仕事には仮病を使って仕事に付いていったのはいい思い出だ。

 これを境に俺は、黒井祟男と共にいる時間が多くなった。同時に彼をよく知るようになり、順一朗さんとの違いを明確に分かり始めていた。黒井さんは、特に営業やレッスンにおける指導は順一朗さんより数段上だった。

 逆に順一朗さんは対照的というべきか。アイドルに関することは彼の方が勝り、信頼関係も上だと思う。それに、最大の違いは人柄の良さだ。二人の人脈にはそれほど差はないだろうが、一人一人の繋がりなどは順一朗さんのが強い。対して黒井さんは繋がりというよりは支配に近かった。

 俺は二人の良いところも悪いところも両方見て、学んできた。〈プロデューサー〉として、アイドルとの関係や在り方を順一朗さんに。営業や仕事としての〈プロデューサー〉の生き方を黒井さんに。だから、今の俺があるのは二人のおかげだ。ただどちらかというと黒井さん側に長くいたせいか、黒色に染まったのは当然なのかもしれない。

 感傷にひたっていると映像は変わっていた。時間がかなり飛んだらしい。

 ああ。そうなのだ。この頃にはもうあいつが、あの女が現れたころだ。

 アイドルアルティメイトを二連覇した伝説のアイドル。

 日高舞――

 

 

 

 

 

 1999年 3月下旬

 

 この時期は春休みもあって、アパートに泊まって事務所に通っていた。いまは事務所で事務仕事。三人はちょっと外に出ていて、ここには俺と小鳥ちゃんの二人。彼女はいまソファーで仮眠をとっていた。

 かわいい寝顔だ。けど、その少し前までは暗く浮かない顔をしていた。

 原因は分かっている。

 仕方ないとも思う。

 でも、少しずつ元に戻ろうとしてた。

 それは良いことだけど、根本的な解決は難しい。これは当人にしか解決できないことで、〈プロデューサー〉がなんとかするとかそういう問題ではない。

 彼女がこうなってしまったのは、二つ原因があった。

 一つは、アイドルアルティメイト。真のアイドル――Sランクアイドルを決める一年に一度の祭典。アイドル達にとって無視できないそれは、12月に開催されるので紅白の前の大きなイベントでもあった。それまでは名前だけは知っていただけで、それ以外の知識は皆無。でもいまは違う。これがどれだけ重要なイベントなのかは身をもって知った。

 今年はかなり激戦だったらしく、予選ですら突破は困難だった。それでも小鳥ちゃんは予選を突破。ただどういう訳か、一大イベントの割には予選にはあまり注目が浴びてなかったらしく、テレビでは放送されずその日の速報としてニュースで発表がある程度だった。

 別にそれは大した問題ではなく、重要なのは本選に出場することができたことだ。これには全員が喜んでいた。あの黒井さんですら笑みを隠せずにはいられなかった。俺だって喜んだ。本選に出れることは名誉なことであるから。

 これからが本番。小鳥ちゃんだけではなく順一朗さんも黒井さんも気合が入っていた。遠目で見ていただけでも、仕上がり具合はいいものだったし、優勝だって夢じゃない、そう思った。

 だが、本選の前日。不運なことが起きてしまった。

 今までの反動なのか、小鳥ちゃんが体調を崩してしまったのだ。翌日の本選には体調が回復することを祈ったが、それは叶うことなく。結果は本選を辞退することになってしまった。

 この結果、事務所に電話やファンレターではなくクレームや苦情の手紙が届くようになった。

 そしてその日を境に小鳥ちゃんは自分を責め始め、仕事も少し減った。減っただけで減り続けることはなかったのは不幸中の幸いで、けれど小鳥ちゃん自身の問題は解決するには少しの時間を要した。

 その理由が二つ目の理由でもある。

 昨年から急激に伸びてきた人気急上昇中のアイドルであり、昨年のアイドルアルティメイトの優勝者。

 名を日高舞。

 年齢は小鳥ちゃんとそれほど差はない。だからこそ、彼女と比べてしまった。

 誰かが言った。あれは次元が違うと。俺も同じことを思ってしまった。思ってはいけないのに、そう思わざるを得なかった。

 歌も踊りもアイドルとしての魅力も、すべてが上の存在。勝てるわけない。誰もがそう胸に抱いた。

 だが、黒井さんは違った。最初は驚いたものの、すぐに思考を張り巡らせて小鳥ちゃんに言ったのだ「問題ない。時間はかかるが、お前なら日高舞の隣に立てる」そう言ったのだ。

 順一朗さんでも順二朗さんでもない。あの黒井祟男が言ったのだ。

 その言葉を受けてか、今日まで小鳥ちゃんは少しずつ元気になっていき、仕事にも身が入るようになっていた。

 いまは三月で来月になれば四月。俺も来月からは高校三年で小鳥ちゃんは高校生。それが心機一転、まあ気分転換になればと願っている。

 彼女の、順一朗さんたちの夢はトップアイドルを目指すこと。俺もその夢を願う一人であるけれど、俺だけの夢を最近持つようになった。

 いつか自分で最高のアイドルを見つけ出し、その子とトップアイドルを目指す。〈プロデューサー〉だったら誰もが夢に見そうな夢だけど、あの人たちに負けないぐらい立派な〈プロデューサー〉になってみせる。

 そう願っていた。

 あの時までは――

 

 

 

 

 

 この時の俺は、とても満たされていたのだと思う。

 周りを尊敬し目指すべき人たちに囲まれ、アイドルだけど年下な妹のような存在の小鳥ちゃんがいて、その中で自分は夢を持つことができた。

 幸せだった。

 楽しかった。

 学校など早く卒業して毎日事務所に通いたい。そう思うぐらいには。

 けれど、悲劇は二度起きてしまった。

 結果からいえば、彼女は二度目のアイドルアルティメイトに出場すらしなかった。

 

 

 

 

 1999年 10月

 

「もう、だめです。私にはもう、できません」

 

 小鳥がついに口に出した弱音を、誰ひとり責めることはしなかった。

 なぜ、こうなってしまったのか。

 理由はわかっている。

 今回もまた、日高舞が原因だからだ。

 ある歌番組に出演することが決まった小鳥ちゃんではあったが、そこである問題が起きてしまった。それは日高舞も参加するという非常にまずい事態で、それでもなお彼女は出演を辞退することなくこの仕事を受けた。幸いだったのは彼女より先に歌うことができたこと。自分が知る限り最高のライブだった。だが、それでも日高舞はその上をいってしまう。

 日高舞のライブをその眼で間近で見て知った彼女は、簡単に折れてしまった。それまでは彼女に負けるもんか、自分だって負けていないはず、そう意気込んでいたのにも関わらずダメだった。

 厳密に言えば、それは彼女だけに当てはまることではなかった。音無小鳥だけでなく、日高舞に圧倒され自身との力量の差を思い知らされたアイドル達は少なからず、姿を消していった。

 俺は、何も言えなかった。

 まだやれるとか、がんばろうとか。そんなありきたりな言葉をかける余裕すらなかった。

 悔しかった。

 なによりも、この中で一番無力で何もできない自分がどうしようもなく悔しくて、腹が立っていたから。

 彼女が、音無小鳥は負けていない。そう確固たるものが俺にはあった。

 だが、それが何になるというのだ。

 見習いで、ようやくこの世界を知ったような子供になにができるというのか。

 もう少し早く生まれていれば、もっと早くに彼らに出会えていれば、もっとうまくできていればこのような悲劇を回避できたのではないか。

 諦めたくない。

 でも、俺には何もできない。

 ただその中で、あの人だけは違った。

 黒井祟男だけは違っていたのだ。

 俺たちと同じように歯がゆい思いを噛みしめながら、それでも冷静にこの状況を分析して言ったのだ。

 

「音無。まだやれるぞ」

「黒井?」

「以前にも俺は言ったな。すぐには無理だ。だがもう少し、ほんの少しの時間をかければきっとお前はあの女の隣に立てる。そう、お前もあのステージに立てるんだ!」

 

 今まで見たことない黒井の姿に困惑しつつも、この中で誰よりも希望を捨てていない彼の姿に驚いていた。

 

「やめないか黒井! 小鳥君本人がこう言っているんだ。彼女の意志を尊重すべきだろ!」

「離せ順一朗! お前にだってわかっているはず! わかっているはずだ! あの女は、日高舞は天才だ。文句なしのな! だが、俺達の音無小鳥はまだこれからなんだ。これから、本当の力を引き出していくんだ! わかるだろう!?」

「わかっている! しかし、本人がこうして――」

「俺達は思想も考えも違う。だが音無小鳥をトップアイドルにするという夢は、一緒のはずだろうが!それをここで投げ出すのか! たかがアイドル一人に、俺達の夢を終わらせていいのか⁉」

「私だって終わらせたくはない! けれど、小鳥君は道具じゃない。アイドルであろうとか弱い小さな女の子だ。それを、私達が無理やり強要させてまですることではないと言っているんだ!」

「お前はなにもわかっていない!」

「わかっていないのはお前の方だろ!」

 

 激しい口論から一転、黒井は順一朗の襟をつかむと今にも殴り合う態勢に入った。それをすぐさま順二朗が間に入った。

 

「二人ともやめないか! ここでお前たちが言い争っても仕方がないだろう!」

「そういうお前はどうなんだ!? 大方順一朗と同じ考えだろうが!」

「ああ、そうだ。だがこんなところで言い争っても意味がないんだよ、黒井!」

 

 順二朗が入ったことでさらに状況が悪化していく。

 誰も間違っていない。

 悪いことなんて誰も言っていない。

 けど、いまの彼らに明確な答えは存在しなかった。

 そんな状況の中で、俺は拳を握りしめていた。ずっと、その光景を見つめながら気づけば爪が皮膚を破って血が出ていることすら気づかずに。

 そしてこの状況を止めたのは誰でもない、彼女だった。

 

「もうやめてください! お願い、ですから……やめて、ください」

「小鳥君……」

「音無、俺は――」

「黒井さんの言うことは正しいのかもしれない。けど、私は……無理なんです。だから、アイドルはもう……できません」

 

 泣き崩れる小鳥を見て、黒井もこれ以上何も言ってはこなかった。それから彼は無言で自分の私物をまとめると荷造りをし始め、去り際に一言だけ言った。

 

「……これでもう俺達は、同じ夢を見ることはない」

 

 事務所を去る黒井さんを止める人間はいなかった。同時に俺も事務所を飛び出し、黒井さんを追いかけた。追いついても彼は歩みを止めることなく歩き続けた。それに合わせるように隣を歩く。

 

「なんで付いてきた」

 

 黒井はさして驚いた素振りもしていなかった。

 

「だって黒井さん一人だけじゃ寂しいかなって」

「ふざけるな」

「冗談です。まあ黒井さんについていくのがベストだと思いまして。俺はまだ見習いですし、一人前になるならあなたと一緒にいるのが近道ですから」

「ふん。勝手にしろ。だが、当分はなにもできん。しばらくは実家に帰って、学業に専念しろ」

「わかりました。それと連絡をよこさないふりをして、俺を置いてくなんてことしないでくださいよ?」

「これから忙しくなるんだ。使えるものは使うのが俺の信条だ」

「知ってますよ」

「生意気なやつだ」

 

 1999年10月。中村プロダクションは所属しているアイドル音無小鳥の引退により事実上の解散。彼女に至っては引退ライブも行わずにアイドルを引退。

 中村プロダクションは二度目のアイドルアルティメイトに参加せず、2000年という新しい時代を迎えることなく、その幕を閉じることとなった。

 この年、日高舞がアイドルアルティメイトを二連覇し、その表彰式でアイドル引退を宣言。引退の理由が彼女のプロデューサーとのでき婚だという噂が流れ炎上。

 この時代はアイドルの恋愛はタブーであったし、それが身近なプロデューサーとなればなおさらで、これがきっかけでアイドルブームは一気に冷めのちに氷河期とも言われた。

 そして皮肉なことに、これが原因でアイドルの恋愛は暗黙の了解となった。

 

 

 

 

 

 日高舞の引退宣言の直後、多くの報道陣や記者が彼女に詰め寄った。普段から彼女は報道陣などの質問に答える女ではない事でちょっとした有名で、そんな彼女が唯一答えた質問がある。

(理由を、アイドルを引退する理由を教えてください!)

(つまらないから)

(え?)

(張り合う相手がいないから、アイドルをやっててもつまらないの。まあ相手になりそうな子はいたんだけど、いなくなっちゃったし。ただそれだけの話よ)

 その相手が誰なのかは一つの謎となされていた。

 そしてその言葉が、俺をさらに動かす要因でもあった。日高舞が言う相手が音無小鳥なのは、明確だった。その言葉を聞いて黒井さんの言っていたことは間違いではなかったのだと。だからこそ、余計に悔しくて惨めな思いをしてきた。

 気づけば俺の夢は、夢というよりも野望に近いものに変質していたが、自分にとっては夢に違いなかった。

 最高のアイドルを見つけ、過去の遺産となったアイドルアルティメイトを復活させ、その舞台に日高舞を引きずり出し、彼女に勝利するという限りなく無謀な夢。

 いつだったろうか。恩師の言葉が脳裏をよぎった。

 夢には時間がある。

 そう。俺の夢にはタイムリミットがあった。まず最高のアイドルを見つけなければならなかったし、そしてなによりも日高舞の年齢という期限があった。彼女が年をとってアイドルとしての力が老いるという考えはなかったが、人には年相応に限界がある。可能な限り若い年齢で勝利したかったのだ。

 このことについて焦りは少なからずあった。けど当時の俺は冷静で、まずは〈プロデューサー〉として見習いを卒業しなければいけないのだと、目の前の仕事をこなしていた。

 

 

 

 

 

 

 2001年 

 順一朗さん達と袂を分かってから約二年が経った。あのあと俺は学業に専念し、無事に高校を卒業した。進路としては就職となっていて、たぶんクラスの誰よりも気楽に過ごしていたと思う。しかし問題がなかったわけではなかった。

 黒井さんが新しく立ち上げた芸能事務所〈黒井プロダクション〉後の〈961プロダクション〉に就職することを両親、特に父が反対した。生まれて初めての親子喧嘩だったと記憶している。父も自分も冷静ではなくて、本当のことを言えない俺からしたら、父は夢を叶えようする自分にとって迷惑以外の何物でもなかった。だから俺は半ば家出という形で飛び出した。いまも順一朗さんから紹介してもらったアパートで生活している。

 その順一朗さんと順二朗さんとはいまでも黒井さんには内緒で連絡を取り合い、たまには会って食事をしたりしている。問題ない程度の黒井さんの近況報告というのもあるし、俺としてもアイドルと〈プロデューサー〉との関係について教えを乞うのに二人が適任だったのだ。現在二人は無職ではなく色々と手を出して活動しているらしい。いずれはまたアイドル事務所をやると意気込んでいた。

 記者である善澤さんとは意外なことにまだ付き合いがある。彼の記者としての能力を黒井さんは認めており、よく使っていた。だが、後に事務所が大きくなるにつれ善澤さんとは疎遠になり、スクープといった汚い仕事をしている人間を多く使うようになった。

 問題の黒井さんではあるが、意外なことに彼は既婚者だった。指輪もしていなかったので全然気づかなかったし、そんな素振りも見せていないから余計に気づかなかった。つまり彼は単身赴任ということになるのだ。

 相手の女性はオーストリア出身の女性で、直接会ったがすごく美人だった。2000年は一時期活動不安定だったのは子供が生まれたためで、少しでも傍に居たかったのだと思う。

 子供の名前は詩花。女の子で、奥さんに似て将来美人になることは約束されているようなものだろう。

 いまは二人も日本で黒井さんと一緒に暮らしている。小さい内は一緒にいたいという考えなのだと思うが、二人の考えは日本より向こうでの生活と教育を考えているので、いまの生活がどれくらい続くかはまだわからないでいた。

 気づけば俺は黒井家によく招待されご飯をご馳走になっている。意外と奥さんは気さくな方なので、試しに聞いたのだ。

(こういっちゃあれですけど、よく黒井さんと結婚しましたね)

(あら。わたし、彼から告白されたのよ)

(え!?)

(意外でしょ? 彼、結構かわいいところあるのよ。人に見せないだけでね)

 たぶん尻に敷かれているんだろうなと思った。

 それとまだ幼い詩花であるが、意外と好かれている。父である黒井さんよりも。

 そして、アイドルを引退した小鳥ちゃんはいまでも定期的に連絡を取り合い、一緒に出かけたりしている。アイドル引退直後は大変だったらしいがいまでは普通に暮らしているらしい。今年で高校三年になる彼女は、どうやら大学を目指すとのことだ。就職を選んだ自分には想像もつかないが、無事に合格することを願っている。

 小鳥ちゃんとの関係は、まあ昔と変わらない感じなのだと思う。傍から見れば、ものすごく変わっている関係なのは自覚がある。彼女の誕生日である9月9日には誕生日プレゼントを贈っているし、ていうか欲しいものを買ってあげていて、食事もしてその日は一緒に過ごしている。それ以外でも、まだ学生である彼女には時間の都合がつくから、自分に合わせてもらって出かけたりもしていた。なんとまあ、不思議な関係だ。

 あと、新しく加わった事務員がいる。名を赤坂智恵24歳。なにやら就活に失敗していたところで事務所の募集の張り紙をみつけて応募したらしい。黒井さんが認めただけあって、事務員としてのスペックは申し分ない女性。ていうか普通に優秀だった。ただ、自分を美少女だと自負している自信家でもあり、そこは黒井さんと似ていた。あとスタイルはモデル顔負けなのであながち嘘ではないのだ。

 赤坂さんとは4つも離れていることもあり、彼女は年下である自分をよくからかってくる。というか楽しんでいる。まあいつも俺にやり返されているのだが。

 肝心の俺はというと、いまは主にテレビ局へ出向していてその手伝いという形になっている。これも黒井さんの伝手で、俺にテレビ局がどんな場所でどんな人間がいるのか学んでこいと言っているのだろう。時には黒井さんの補佐で〈プロデューサー〉らしい仕事もしている。現在の情勢はアイドルに関しては氷河期といってもよく、アイドルをやっている子なんて数えるぐらい。いまはアイドルよりもアーティストやタレント、俳優といった分野に手を出している。さすがは黒井さんというべきか、人材を発掘するのはお手の物で、わずか1年ながらも大きくその名を轟かせている。

 俺個人の心境の変化といえば、5つ年上の彼女ができたぐらいだった。

 

 

 

 

 

 まあその彼女とは半年も持たなかったけどな。肩をすくめながら、懐かしそうに彼は映像の自分に言ってやった。

 そもそもの話、彼女と付き合った明確な理由がまったくといっていいほど思い出せない。ただその時に活動していたテレビ局でスタッフである彼女と出会い、なぜかそこから気づいたら付き合い始めていたのだから。

 彼女と交際していた期間、これといっていい思い出はない。やはりというべきか、互いの職種上忙しくて会う機会は限られていたからだ。まあしいてあげるなら、童貞を捨てたということだろうか。我ながら最低である。付き合い始めた理由がそうであるなら、別れ方もそうであった。

 その日は偶然一緒の現場になって、休憩中に彼女から言ってきたのだ。

(ねえ)

(ん?)

(別れよっか)

(わかった)

 これだけ。

 本当に、これだけ。

 ここから少し先になる。たしか、ハリウッド研修から帰ってきた年だったと思う。送ってくる相手なんていないのに、なぜか溜まっていた郵便物の中に彼女からの手紙があった。結婚式の招待状が。

 日程はその日からそう遠くない日で、でも俺はいかなかった。むしろ首を傾げた。もう2、3年も前の話だし、たった半年しか付き合っていた元彼になんで招待状を送ってくるのか。だからいかなかった。

 だが驚いたことに、テレビ局で偶然彼女と再会して言われた。

(どうして結婚式に来てくれなかったの?)

(いや、いかないだろう普通。それに、なんで招待状を送ったのか疑問だった)

(あなたには、来てほしかったの。そして見てほしかった。私を)

(なんで?)

(だってあなた、私のこと好きじゃなかったでしょ)

(……)

(少なくとも、私はあなたのことが好きだった。年下だからとか関係なく、あなたに惹かれていた。でも、あなたは私のことをちゃんと見てはくれなかった。どこかいるはずのない人を望んていたような気がした。それに気づいて、考えることすら嫌になって別れたの)

(俺は――)

(言わなくていい。聞きたくもないから。それと、元カノとしてではなく、人生の先輩としてアドバイス)

(それは?)

(あなたはいますぐこの仕事を辞めた方がいいわ。普通の仕事に就いて、どこかで知り合った女性と結婚する。それがあなたにとっての幸せよ)

(どうしてそう思う?)

(女の勘)

(そう。だが、俺は辞める気はないよ)

(知ってるわ)

(俺からも一つ聞いてもいいか?)

(ええ)

(いま、幸せかい?)

(幸せよ。あなたにこの気持ちを分けてあげたいほどに)

 それが彼女と交わした最後の会話だ。

 彼女はきっと、見抜いていたんだろうな。この仕事を辞めろといったのは、俺の夢が叶うかも分からないものだから。いま辞めれば新しい道を見つけることができる。このまま続ければあなたはきっと苦しむだろうと。

 だけど俺は、辞めるなんて、諦めるなんて選択肢を選ぶつもりは毛頭なかった。

 そしてそれからの俺は、ただひたすらに仕事に取り組む機械(マシーン)のような感じだった。もちろん感情はあったさ。でも、仕事をしているときが一番集中していられるし、なにより他のことを考える必要がなかったから。

 その状態は2003年頃まで続いた。この頃には各テレビ局を行き来し、多くのスタッフや芸能人とも交流が構築され始めたころだ。同時に自分から動き出し始めたころでもあり、俺の名前が広がり始めたころでもあった。

 発端はたぶん、ある番組の企画を自分でやったことだと思う。正確には乗っ取りといった方が正しいかもしれない。

 その番組のプロデューサーの企画がどこから見ても面白いと呼べるものではなく、自分をはじめとした多くのスタッフも首を傾げるほどだったのだ。だから、その時仲がいいと呼べるぐらいには親しかったスタッフ達と共に、俺が提案した企画を強行した。

 結果からいえば反応はよかったし、視聴者からの評判もそれなりに好印象。初めて自分が作り出したものが正当に評価されたのは、とても嬉しかったしそれからの自信にも繋がった。

 テレビ局などで俺の名が広まる頃。〈961プロダクション〉はそれなりの地位を確立しはじめ、以前よりも黒井さんの補佐としての仕事が多くなった。その所為かはわからないがいつしか『黒井の腰巾着』や『黒井の後継者』なんて呼ばれるようになった。中村プロの頃から黒井さん個人の評価は高くて、言い換えれば恐れられていて、独立したあとも彼自身の評価は変わっていない。そんな黒井さんの下で働く俺がそう呼ばれるのは、ある意味自然な事だったのかもしれない。

 さらに自白すると、この年で23歳になる俺は同年代からすれば異常な若者だった。いくら961プロが売り出し中の事務所だからと言って休みが全くない訳ではない。あの黒井さんですらちゃんと休みはあった。でも、俺は先のように機械のような人間になっていた。仕事が楽しくて、頭の中で色んなアイディアが湧いてくるのを止めたくはなくて、休みの日ですら事務所かテレビ局へ足を運んでいた。疲れはない。感じていなかっただけかもしれない。それでも黒井さんは俺を止めなかった。

 彼が俺を止めたのは祖父に死期が迫っていると、数年ぶりにきた実家からの連絡だった。それに偶然居合わせた彼に俺は淡々と内容を伝えると、初めて彼に怒鳴られた。

(この馬鹿が! 仕事は俺に任せて、さっさと実家に帰れ!)

 反論すら許されなかった。アパートにすら帰らず、いまだに愛車のホーネットを狩り地元へと向かい、祖父が入院している病院へと向かった。

 祖父がいる病室に入ると、家族だけではなく親戚もいた。入ってきた俺に向けた視線は複雑だった。色んな感情が入り混じっていて、よくわからなくて、それよりもベッドで静かに眠っている祖父の姿から目を離せなかった。

 祖父は白血病だった。輸血はもう限界で、手の施しようがなかった。祖母が俺の名を祖父に語りかけると、静かに俺の手をとった。その時に考えていたのは、最後に会った祖父の姿だった。あの時はもっと元気で、仕事だって普通にしていた。それがいまではこんなにやつれている。現実をうまく呑み込めなくて、でもこの時のことをよく覚えていた。

 それから葬儀が終わるまで実家に滞在し、その最後の夜。父と再び話をした。

(帰ってくる気はないのか)

(ないよ。家の仕事なら、あいつにやらせればいいじゃん。今年で高校卒業だろ、あいつ)

(自分は好き勝手やっているくせに、弟にはさせないんだな)

(好き勝手やってるから、最後までやり遂げなきゃ、意味ないんだよ)

(それは死ぬまでやることか?)

(……40)

(なにが)

(俺が40歳……ごめんうそ。30から40の間にそれが叶わなかったら、いまの仕事やめてこっちに帰ってくる。これは、嘘じゃない)

(随分と先だな。それに帰ってきたって、お前ができることなんかありゃしないぞ)

(その時はその時)

(わかった。それと、たまには帰ってこい)

(善処するよ)

 これを和解といってもいいかはわからない。まあ結局、年に一回実家に帰るか帰らないかという状態なのは仕方がないことだった。

 仕事に戻った俺は、少し変わった……というより普通になった。休日はちゃんと休むようにしたし、仕事以外のことにも目を向けるようにした。

 人はいつか死ぬ。自分だって例外じゃない。病気かあるいは事故か、今日かもしれないし明日かもしれない。それは彼女もそう。この限られた時間の中で俺は夢を叶えるための方法を模索し、実行しないといけないのだ。だから、最悪の形となっても悔いが残らないようにしょう。そう心がけていくようになった。

 映像が変わる。

 どこかの空港らしい。文字は日本語ではなく英語。

 ああ、ついにここか。

 あれから一年が経ち、この映像の頃には2004年。俺は生まれて初めて異国の地へと降り立った。

 それは俺の人生でもっとも過激で刺激的な毎日であり、忘れられないハリウッド研修での思い出だ。

 

 

 

 

 

 2004年 アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス 某所

 

 昼間のロサンゼルス市内の道路を、現在アクセルペダルをベタ踏みで猛スピードで走っている。運転しているのは俺。オープンカーではないのにもろに風が当たる。それも当然だ。フロントガラスはさっき無数の穴が開いたせいでヒビが入って、ろくに前が見ないので壊した。おまけと言わんばかりにバックミラーもどこかへ消えてしまった。

 しょうがないのでサイドミラーに視線を向ける。一台の車が同じく全速力で追ってきて……見えなくなった。どうやらサイドミラーもどこかへ飛んで行ったらしい。

 困った。これでは後方確認のしようがない。

 しかし先ほどからうるさい。

 背後から容赦なく銃弾のシャワーが車体を削っている音かと思っていたら、問題はとなりの白人野郎だった。

 

「ほら見ろ! 俺の言った通りだ! じゃなきゃいまごろ二人は天国でランチタイムだ!」

「だからお前に感謝しろってかスティーブ。冗談じゃねえ。てめぇがとっとと手を打ってればこうはならなかったんだよ!」

「おいおい、聞き捨てならねぇなチェリー。もしかして俺が悪いって言ってるのか?」

「ああそうだよ、このハゲ!」 

「ハゲだとこの野郎……。人が優しくしてれば調子に乗りやがって! 俺がこうして来なきゃ二人は今頃ハチの巣なんだぜ⁉ ていうか、なんで俺の車をチェリーが運転してんだよ!」

「俺の方がうまいから」

「なにを!?」

「現にこうして俺のドラテクのおかげで五体満足なんだから感謝しろ。まあ、車は重傷だな」

「ちくしょう。今月で三台目だぞ。いくら政府から予算もらってるからって、領収書を渡してはいどうぞじゃ終わらねぇんだよ!」

「文句なら後ろの疫病神にいえ」

「なんだ、それ」

「あー。あれだ、悪魔だ」

「ふむ。ちらり……納得」

 

 すると、いままで黙っていた後部座席にいる悪魔こと、アンバーが文句を垂れてきた。

 

「誰が悪魔よ。天使の間違いでしょ?」

「天使だったら頭に手をついて、ピザを食いながら野球見てるおっさんのようなポーズはしねぇ。ていうか見たくもなかったぜ」

「あら。私のサインを死ぬほど喜んだのは誰だったかしら?」

「うぐっ」

「そんなことより喋ってないでお前も撃てよ!」

「私が銃を握るのは映画の中だけよ」

「すっごい女優ぽいこと言ってんな」

「曲がるぞ!」

 

 猛スピードで車は左折し、スティーブとアンバーは車から乗り出しそうになるのを必死にこらえる。いきなり進路を変えても依然と追手は迫っていた。

 

「坊や。早くなんとしなさい」

「うるせぇ! そもそもお前が撒いた種だろうが!」

「とにかく、このままじゃ埒があかねぇな」

「よし。このあいだの撮影でカースタントから教えてもらったあれ、やってみるか……」

「なにそれ」

「ちょっと坊や。それちゃんと成功するんでしょうね」

「大丈夫だって安心しろよ。……いくぞ!」

 

 彼の掛け声とともに車は突如スピンし、180度回転。追手の車は突然のことで驚き減速、彼らの車とぶつかりそうになるかならないかの距離で、車はバックしながら互いに向き合う形で走行する。

 スティーブは驚きながらも冷静に状況を判断し、目の前の車にめがけてサブマシンガンを構え9ミリ弾を撃ち込み、運転席に座る彼も片手で拳銃を構えて発砲。防弾ガラスではないため銃弾の雨が容赦なく降り注ぎ、無数の銃弾が運転手や他の人間を捉える。車は操縦が利かなくなってそのまま電柱へと激突するのを確認すると、車は再び回転し普通に前を向いて走り出した。

 

「ほら。俺に任せて正解だろ?」

「最高だね。もう、お前の運転する車には乗らないって俺、神に誓った。今この瞬間!」

「この間もそんなこと言ってなかったか?」

「それは……あそこのピザの注文はしないって誓った。だってありえないだろ⁉ ピザのトッピングにカナディアンベーコン頼んだらジャーマンソーセージ乗っけてきやがったんだぜ詐欺だよ詐欺」

「スティーブのことはどうでもいいわ。坊や、さっさと現場に向かいましょ」

「は? 普通このあとはアンバーの家で助かってよかったーっていいながらビールだろ?」

「坊や、次の仕事は――」

「番組収録だな。映画の宣伝を兼ねた」

「そうだったわね」

「あ、そうだスティーブ。また警察とかの対応は頼んだぞ」

「へいへい。お前らといると仕事が捗ってたまらねえや」

 

 スティーブの皮肉を込めた言葉など気にかける素振りもせず、風通しがよくなった車を彼は次の現場へと向かわせた。

 

 

 

 

 改めて見ると、まるで映画のようだと錯覚する。いや、あの一年を振り返ると映画みたいな生活を送っていたのは間違いない。それも続編もので映画三本分ぐらい。

 スティーブとはいまでも付き合いのある……悪友とでもいうべきか。身長は俺と同じぐらいで、白人のハゲ。年齢は30半ば、頭部のつるつるを隠すために常に帽子をかぶっている。チェリーと呼ぶ理由は急に思いついたらしい。ぶっちゃけると殺してやろうかと思った。元々は米軍の特殊部隊にいたとかなんとかで、出会ったころにはCIAかどっかの直属の組織に所属していて、潜入捜査という形で普段は別の仕事をしている。彼の表向きの会社は貿易業者。その裏では表では運べないものを運んでいるらしく、その情報をリークあるいは彼自身の手でなかったことにするのが仕事らしい。どこまで本当なのかはわからないが、ところどころは本当だと思われる。先の事も、彼が事前に情報を察知したので助けに来てくれたというわけだ。

 そしてもう一人女性の名はアンバー。今なお現役で活躍し続けているハリウッド女優。スターである彼女との関係は簡単に言えば、俺は彼女のマネージャーという役目を仰せつかった。年は俺より3つ年上の26歳なのだが、26とは思えない成熟した精神の持ち主でなんというか、大人なのだ。だから、俺のことを坊やと呼んでいる。

 そもそもの話、このハリウッド研修は至って普通のものになるはずだったのだ。黒井さんの勧めでハリウッドにいくことになり、彼の知り合いの事務所でお世話なりながら現地で直接学んでくるのが当初の予定。それがどういうわけか、その事務所が契約している売れっ子女優のアンバーのマネージャーに任命されたのが一つ。

 もう一つは宿泊先のアパートの隣がスティーブだったのが最大の不運だったことだ。滞在一日目にして隣の部屋から銃撃音。そのあとはまさに映画のような出来事が起こるのだ。どういうわけか俺の部屋に来て、そのまま巻き込まれて一緒に逃亡するはめに。そこから色々あって妙な縁ができて、これにアンバーが加わって手の施しようがない状態になってしまうのである。

 その結果が先ほどの映像。この生活を一年も続けたのだから誉めてもらいたいぐらいだ。

 ただ常に波瀾万丈な生活だったわけではない。アンバーとの仕事は有意義なことばかりだったし、最新の撮影機材の使い方からメイクアップまで当時の最新技術を学んだ。最初は見ることしか許されなかったがアンバーの計らいもあって、監督をはじめとした多くの人間と交友を深めたことでプロの技術を教えてもらえたのはいまでも感謝している。

 特に思い出に残っているのは、一回だけ映画のアクションスタントとして出演させてもらえたことだろうか。中盤の主人公との戦闘シーンでそれなりに見せ場があるシーンがあって、身長と体格がちょうどいいと急遽監督が俺を指名したのだ。ほぼ独学で学んだ武術やら技を披露する機会が訪れて最高に舞い上がったし、すごく楽しかったのを覚えている。

 他に多くのことを学び、怖いマフィアから逃げたり秘密組織を潰したりと退屈しない一年を過ごした。

 研修最終日。ロサンゼルス空港で二人と別れる際、どういう訳か俺の年を聞いてくるので、23歳と教えてやったら目を丸くして口を開けたまま硬直してしまった。

 どうやら俺の年を知らなかったらしい。

 なんというか最後にいいものが見れた。いままで散々振り回されたのだからこれぐらいは許されるだろう。

 二人の顔をカメラに収め、俺は故郷である日本に帰国した。

 帰国した翌日には事務所に行っていままでの報告書を提出し、自分が不在だった一年分の資料を読み漁り、これからの予定や仕事を頭に詰め込んだ。その日はそれだけで一日を過ごし、そのあとは黒井さんに連れられてある場所で夕飯をご馳走になった。

 その名は〈超神田寿司〉。

 まあそこでまたまた奇妙な出会いを果たすことになるのだがこれは割愛しよう。まあ彼とは友人でもありビジネスパートナーでもあるとだけは言っておこうか。

 さて。2005年は一つの分岐点とも言っていい。俺のこれからの未来を決める選択肢。

 帰国してから約半年だろうか。

 俺は社長室で黒井さんに告げたのだ。

 一人で生きていくことを。

 

 

 

 

 

 2005年 961プロダクション 社長室

 

「辞めるだと。今の地位を捨ててか!」

 

 俺は退職届など出さず直接彼に伝えた。他の人間ならこうはいかないだろうが付き合いの長い俺と彼なら言葉だけで十分だ。

 しかし案の定黒井さんの答えはNOだった。

 本心までは読み取れないが、俺がここを去ることは961プロにとっても、彼にとっては大きな痛手のはず。

 961プロにおいて彼の立場は特殊だ。黒井と共に事務所を立ち上げてからの人間で、能力においては誰よりも群を抜いている。なによりも黒井が社内で心を許す人間の一人というのが大きな部分を占めている。正式な形としての彼の役職は〈プロデューサー〉となっているが、表面上だけしか知らない人間からすれば、彼はここにおいては副社長と言っても信じる者は多い。

 

「はい。自分の力がどこまで通用するか、やってみたいんです」

「馬鹿が! 今までは961の肩書があったからいいものの、フリーになればそれがなくなる。一人で生きていけるほどこの世界は甘くないんだぞ!」

「わかっています」

 

 そうだ。今までは『黒井の腰巾着』と呼ばれていたように、彼がいたから俺は半分認められていたようなものだ。

 でも、それではダメだ。遅すぎる。

 夢を叶えるためにここに残るという選択肢もなくはなかった。でも考えた末に独立することを選んだ。今より過酷な生活が始まるだろう。収入だって不安定になる。それでも、構わなかった。

 961プロに残るという選択肢は将来が約束されているのはたしかだ。だが、そんなものなど最初から欲してはいない。

 夢を叶える――

 たったそれだけなんだ。それだけのために俺は動いている。

 そのために準備もしてきた。一人でやっていくための術を身につけ、力を持つ人間との交流だってしてきた。

 黒井さんや赤坂さん、961プロと別れるのは辛い。だけど、ここでは見つからないんだ。自分から動きださなければ、始まらない。

 だから俺は……決断したのだ。

 

「……貴様は大馬鹿者だ。好きにしろ」

「ありがとうございます」

 

 生まれて初めて、心から感謝して頭を下げたのはこの時が初めてだった。

 それから手続きを済ませ正式に961プロを退社し、フリーのプロデューサーとして歩みだした。

 彼が最初に足を運んだのは、順一朗と順二朗の元だった。二人には事前に話を通しており、今後の活動について彼らに相談していのだ。久しく会っていなかった二人と話に花を咲かせながらこれからのことについて話し合った。

 その結果、すぐに再就職先が見つかることとなった。

 二人が紹介したのはとある芸能事務所で、その社長が二人の知り合いなのだという。そこで新しくアイドルとして売り出す子がいるので、腕前を試す意味合いも含めてプロデューサーをやってみないかという話だ。

 2005年のアイドルブームというのは、例年よりマシという程度の認識である。日高舞の電撃引退後は氷河期と例えられるぐらいの状況ではあったものの、ここ最近になってようやく普通より少し下程度まで戻ってきた。

 現にアイドルを売り出している事務所は少なからずあって、今の情勢でどれ程売れるかという確認も込めてやっている。

 そんな状況の中で、いくら知人の紹介とはいえ名も知らぬ人間にアイドルを任せてもらえるというのは、正直言ってわくわくしていた。まさに自身の力量が問われているのだ。これ以上ない魅せ場だ。さらに自分の力がどれだけ通用するのか。それも気になっていたのでこの上ないチャンス。

 二人に引き受けると即答し、後日その事務所へと足を運び初の顔合わせとなった。

 

「初めまして。私がここの社長を務める速水だ」

「よろしくお願いします。俺みたいな無名の人間にここまでしてもらえて感謝しています」

「いいんだよ。あの二人からは君のことは聞いていたからねえ。さて、私のことよりも彼女だ。彼女が君に担当をしてもらう――」

「はじめまして! アイドル……候補生の千鳥恭子です! よろしくお願いしますね、プロデューサーさん!」

 

 

 

 

 アンバーはマネージャーという扱いだったので、彼女こと千鳥恭子が俺が初めて担当したアイドルということになる。

 今年で高校二年生の17歳。髪は茶色のロングヘア。おっとりとした顔立ちで丸渕の眼鏡をかけているのが特徴的な子。しかし仕事となれば眼鏡からコンタクトになり、髪はまとめてしばってポニーテールに変身する恭子には最初驚かされた。女は化粧で化けるというが、こうまでイメージががらりと変わるとは思っていなかったのだ。

 恭子のアイドルとしての素質は十分にあった。身近なアイドルであった音無小鳥と比べると、ランクは下という評価になってしまうものの、俺は彼女にアイドルではなく歌手として歩むべきだと見出していた。

 別にアイドルが合っていないのではなく、単純に歌手としてのが道が開いていると思ったからで。特に今のアイドル情勢の中でこれからの活動を確約できるものではないし、周りからの反応もアイドルよりは幾分マシなのだ。

 当時の俺もそれは理解しつつも、自分の力で彼女をどれだけ輝かせるのかが重要だった。

 結果だけ話せば、千鳥恭子はわずか一か月で注目を集めた。あの情勢下ではあるものの、ネット環境の普及おもに2ちゃんねるや掲示板などで話題を集めたというのも大きいし、自慢ではないが自分の営業の成果も十分にあったはず。

 この時たしかに俺は実感していた。

 自分の力は確実に通用している。この情勢下であっても、衰退していたアイドル文化を再び盛り上げることができるのだと。

 そのこともあってさらに自信がついた俺は張り切っていた。気づけばわずか2、3か月余りで恭子は今でいうアイドルランクのCからBへと上がり始めたころ、悲劇が起きてしまった。

 事はそう上手くは運ばない。

 だがあれはそういう類ではない。

 時代が、当時の悪しき風習がそうさせたのだ。

 

 

 

 

 

 2005年 千鳥恭子のデビューから数か月後

 

 恭子の異変に気付いたのはあるテレビ局の仕事の帰りだった。

 車のバックミラー越しに映る彼女の様子が最初は変だと気づいたが、たぶん仕事の疲れか車酔いでもしたのかと思い心配になってたずねた。

 

「すまん。運転が荒かったか?」

「いえ。そういうわけじゃないんです。心配しないで、ください」

「……わかった」

 

 どうも歯切れが悪い。先程の仕事が始まる前はいつものように明るく振る舞っていた。収録中も別段変わった様子は見受けられなかったのに、恭子が着替えのため控室に居る際少し仕事の打ち合わせで離れたあと、用意が整った彼女と合流した時にはもうこの状態だった。

 なにかがあったのだとすぐに考えるのが妥当だ。

 彼の性格上、分かっていてそれを黙って見ているということはできず、車を脇に寄せて恭子に問いただした。

 

「恭子。お前が何かを隠しているのは分かっている。それも不自然なぐらいに。教えてくれ。俺と離れている間、何があった?」

 

 彼女はすぐには言ってこなかった。ただ下を向いて俯いてた。その状態が30秒ぐらい続き、恭子は体を震わせ、泣きながら告白した。

 

「着替え終わったあと、プロデューサーさんを待っている間にあの人が部屋に入ってきたんです」

 

 嫌な予感がした。だが、まだ最悪の状態ではない。

 プロデューサーは続けて聞いた。

 

「誰だ」

「……」

「恭子」

「テレビ局の偉い人、だと思います」

「名前は?」

 

 その問いに彼女は首を横に振った。

 彼は顔を片手で覆った。

 ここまで聞くと、もう話の全容が見えてしまった。

 けれど、聞くのを止めることはできない。

 

「じゃあ、容姿は? どんなことでもいい」

「年は、60を過ぎてると思います。頭は……ハゲてて、身長が低くて小太りなおじさんです」

 

 あいつだ。あのテレビ局のお偉いさんで、あちこちによく顔が利く男。それに黒い噂も絶えない。

 そのあとの続きをたずねるのか少し迷った。なにせ、担当であるアイドルに最低の言葉を言わせるのだから。それでも、聞くしかなかった。

 

「なにを、言われた」

 

 恭子は先ほどまでとは比べ物にならいぐらい体を震わせながら、少しずつ語った。

(千鳥、恭子くんだったね。君はいま中々売れているね。けど、もっと売れたくはないかい? 私ならその力を持っている。なに、私のお願いを聞いてくれるだけでいい。一晩だけ――私のモノになりなさい。断っても構わんよ。ただその場合、君の事務所に所属するタレント達の仕事が少し減ってしまうかもしれない。事務所にあらぬ疑いがかかるかもしれない。脅しているかって? 違うよ。これは、お願いだ。私はどちらでも構わないがね。すぐには無理だろう。もし決めたのなら、この電話にかけるといい。改めて連絡するよ。ああそうそう。このことは他言無用だ。では、待っているよ)

 よくもまあすらすらとありきたりな台詞が出てくるものだ。

 プロデューサーはかつてない怒りを抱きながら、泣き崩れている恭子を慰めていた。

 枕営業は、実際にいまでも平然と行われている。それも当たり前のようにだ。一番最悪なのが恭子のような若い世代のアイドル候補生やアーティストや女優を目指す子を、それ専用に採用し使っている事務所が平気でいることだ。

 かつて961プロ、主に黒井にそういう勧誘があった。今では上位に入る事務所である961プロに取り入ろうとそういうことを平然としてくる企業もいたし、立ち上げたばかりのころも売れたければという謳い文句を言いながら脅迫してきたこともある。

 しかし黒井はすべてを一蹴した。彼からすれば身内以外は敵だ。逆にこちらが喰う勢いで周りを制圧していったのだ。

 彼と同じ力があるとは言えない。だが、このまま黙っているほど俺は優しくない。

 

「いいか恭子。お前が不安になるのは分かる。きっと俺や事務所のみんなを思って、自分だけ犠牲になればと考えているのだろうが、そんなことしなくていい。俺がなんとかする。俺がお前を守る。絶対に。だから、信じてほしい」

「……いくらプロデューサーさんでもこればかりは、無理ですよ」

 

 絶望していた。彼の言葉は気休めにすらならなかった。

 それでも、俺が言ったことは嘘じゃない。絶対に恭子を守れる自信があった。だが、今回はあまりにも時間がなさ過ぎた。

 枕営業といえど確実にそれを証明する証拠がない。そしてなによりも、自分にどれだけの力があろうと彼女にはそれがわかってもらえないのが、一番申し訳なくて仕方がなかった。

 結局その日はそのまま解散となった。

 

 

 

 

 恭子を送ったあと彼は新しく引っ越したマンションに帰宅した。以前の順一朗から紹介されたアパートも名残惜しかったのだが、生活ぐらいには金を使おうと思って引っ越しを決めた。家具も一人暮らしに必要最低限のものしかおいてなく、寂しいという言葉が似合う部屋。

 リビングに入ると荷物を床に置いてソファーにもたれかかる。疲れるような仕事ではないのに、体中が重い。それに頭痛のような痛みもある。

 最悪だ。

 まさに酷いの一言だ。明日の仕事のことなんて頭にこれっぽっちも入らない。考えているのは恭子のことばかり。

 あの子とはたったの7歳しか違わない。少し前までは自分だって高校生だった。その学生が請け負うはずのない苦悩を彼女は抱えている。

 かわいそうだと言うのは簡単だ。では、どうするか? 

 俺が守らなければならないのだ。

 彼は折りたたみ式の携帯電話を開き、電話帳に登録しているある男へと電話をかけた。

 少し応答待って、

『現在電話に――』

 切ってすぐにもう一度コール。

 とっくに仕事は終わっているはずだ。迷惑だと思われても何度もかけなおしてやる。そう思った矢先繋がった。

 

『なんだこんな時間に』

「すまない両さん。でも、大事な話なんだ」

『おっ、うまい話か⁉』

「違う。個人的な、お願いだ」

『……訳ありか?』

「ああ」

『他ならぬお前の頼みだ。言ってみろ』

「盗聴器を手に入れてほしい。特にコンクリートマイクを」

 

 元々は壁に埋め込まれて配管や水道管の点検などに使わる装置。しかしその特性ゆえ、情報収集や調査、ようは盗聴目的に使われることも少なくはなかった。

 個人でも購入やレンタルはできるが、生憎そっち分野の知識は疎く、彼ならば知識は豊富だし手に入れることも簡単だと知っていた。

 

『なにぃ! 仮にも警官だぞ、わしは』

「わかってる。礼はあとで必ずする。頼めるのは両さんだけなんだ……!」

『……わかった。お前がそこまで言うということは、余程のことなんだな?』

「ああ」

『いつまでに必要だ?』

「できれば早く」

『そうだな。明日の午後までには用意しておこう。また連絡する』

「ありがとう」

『かまわん。その代わり、あとでたっぷりと礼をはずんでもらうからな!』

 

 電話が切れると、今度は別の相手にかける。相手は国内ではなく国外。

 先程とは違い少し経って相手とつながった。

 

『よぉチェリー! この間ぶりだな。この間のはよかったろー。結構安く手に入ったんだぜ? そうそう。お前、最近ボルトアクションのライフルが欲しいって言ったよな。ちょうどそれが――』

 

 こちらが言う前にスティーブはペラペラと話を切り出してくる。小さなため息をついて、無理やり話題を変えた。

 

「スティーブ、それはあとでいい。今回は別の用件だ」

『ん? そうなのか? まあいいが。で、なんだ』

「……足のつかない銃を一丁、すぐに用意できるか?」

 

 電話越しなのにスティーブの雰囲気が変わったことに気づく。彼は真剣な声でたずねてきた。

 

『何かあったのか?』

「まだ、かな。用心のために一応な。コレクションは使えない」

『……わかった。すぐに手配する。いいかチェリー。ヤバくなったらすぐに連絡をよこせ。なんとかしてやるからな』

「ありがとう。用意ができたら連絡をくれ」

『了解だ』

 

 我ながらイカれていると思う。友人に盗聴器と銃まで用意してもらうなんて。

 たぶん、今の俺は冷静じゃない。

 アイドルを守るからと言っても、これは少し度が過ぎているかもしれない。だが、誰だって同じ怒りを抱くだろう。今すぐ乗り込んで殴ってやりたいに決まっている。

 周りは仕方がないと言うかもしれない。権力には逆らえないと怖気づくだろう。

 けど、担当のアイドルが枕営業なんて、俺なら絶対に許さない。

 

 

 

 

 

 あれから一週間ほどが経った。あの日の翌日、頼んでいた盗聴器を手に入れた俺は恭子が住むマンションへと足を運んだ。

 彼女は都民ではなく、地方から東京の学校に合格してからいまでは一人暮らしをしている。幸いだったのが彼女が住む隣の部屋は空いていたことだ。そのマンションの管理人を金で買収し、しばらくそこで生活するようになった。他の住民にはバレぬよう細心の注意を払って。

 仕事が終わるといつものように恭子をマンションの前まで送り、そのあと少し離れたレンタル駐車場に車をおいてすぐにマンションへ戻る。それからは常に壁越しで監視していた。彼女からなにもアクションを起こしていないのか、相手から特になにもなかった。それでも、彼女の携帯に着信がある度に身構えてしまっていた。

 さすがに相手も諦めたか。そう油断した時、問題が起きた。

 それは恭子ではなく、同じ事務所に所属する者たちにだ。彼らはそれなりに売れている部類で、仕事だって途切れず続いてけるほどの実力を備えているのにも関わらず、突然仕事が切られ始めてた。

 俺は、馬鹿だ。

 考えが甘いなんてものじゃない。相手は何度もこの手口でやってきたのだ。目的の人間が巌に渋い反応してくるのであれば、その矛先は別の人間にいく。

 気づけたはずなのに、俺は恭子のことばかり見てしまった。それが原因で、恭子以外の人間を巻き込んでしまった。

 もっと酷いのが、恭子だけは仕事が途切れていないことだった。他の子達も裏では枕営業や汚い接待があることは薄々と分かっている。だから自然と、視線が彼女にいく。邪魔者を見るような、ごみを見るような目で恭子を見てしまう。

 これが引き金となってしまった。

 その日は仕事が終わって彼女のマンションへ送迎中、突然言ってきた。

 

「プロデューサーさん。ここで、降ろしてください」

 

 平静を装い彼も彼女に合わせ始めた。

 

「なんでだ。マンションまでまだあるぞ?」

「ちょっと、友達と会う約束をしてるんです」

「わかった」

 

 後方を確認して車を路肩に止め、降りる恭子に言った。

 

「恭子。何かあったら、連絡しろ。迎えに行くからな」

「……はい!」

 

 たぶん、精いっぱい作れる笑顔で元気よく答えたのだろう。

 酷かった。

 泣くのを必死に我慢してる顔だ。

 あの子は選んでしまった。自分が犠牲になれば、事務所のみんなは今まで通りに戻るのだと。

 控えめに言って、最低な選択肢だ。

 だが、それをさせた俺も最低の糞野郎だ。

 自己嫌悪に陥っている中、ポケットの携帯電話の着信が現実に引き戻した。

 相手はスティーブ。

 

「スティーブ」

『待たせたなチェリー。少し手間取った。受け渡しはいつもの場所で、合言葉も例のあれで問題ない』

「この礼はいつかする」

『それはいい。けど、本当にいいのか?』

 

 おそらく、彼の組織の支部が日本にもあるのだろう。自分のコネを使って協力要請しようと言っているのだろうが、その必要はないし助けてくれとも思っていなかった。

 

「ああ。自分のケツは、自分で拭くさ」

『……ほんと、お前を怒らせる相手の顔を拝みてぇよ』

「やめとけ。余計に目が腐るぞ」

『違いねぇ。……じゃあ、またな』

 

 電話を切って、彼は車を急発進させた。後ろを走っていた車がクラクションを鳴らしてきたが、今の彼に聞こえるはずもなかった。

 

 

 

 

 

 東京都 某所

 

 そこは東京湾がよく見えるとある店で、主に輸入品を扱っており国外の小物から食品、雑貨や家具とあらゆるものを販売している。

 存在すら知らなかったその場所を、ハリウッド研修から帰国してから頻繁に訪れるようになった。向こうに滞在している際色んな出来事に巻き込まれてせいもあって、本物の銃と触れ合う機会があった。スティーブや彼の戦友に銃器の扱いから本格的な訓練、おまけにヘリや戦車の操縦も習った。ただ免許はもらえないのは残念だった。

 本音を言えば、漫画の影響が一番大きいのかスティーブに問題ないレベルで欲しい銃を手に入れてもらっていた。法律違反だし密輸なのはわかっているものの、欲望に負けた。

 そして今回も頼んでいた荷物を取りに来た。

 店の中に入ってなにも商品をとらずそのままレジにいる男に言う。

 

「チェリーパイを取りに来た」

「はいよ。こっちだ」

 

 男は別の店員を呼んでレジを任せ、事務所に案内する。彼はここの店主で、何度か訪れているがそこまで仲がいいわけじゃない。

 事務所に入ると、店主は小さな段ボールをテーブルにおくとカッターでテープを切って目の前に渡してきた。

 箱を開けると、紙くずが入っていてその中に頼んでいた銃――拳銃とマガジンが3に消音機が入っていた。銃を手に取る。底を確認するとマガジンは入っていなかった。本体を軽く見回したあとマガジンを装填してスライドを引いて初弾を装填。店主に向けないよう構えて、感触を確かめてたずねた。

 

1911(ナインティーン・イレブン)か」

「の、どこかの盗品らしい。時間がかかったのは色々と処理をしたからだそうだ。ほれ、一番目立つ製造番号がないだろう」

「ああ。それでか」

「マガジンは3つ。サイレンサーはおまけだそうだ」

「感謝する。で、いくらだ?」

「いい」

「なぜ?」

「今回はあいつ持ちだ。だからいい」

 

 銃一つとはいえ安くはないだろうに。遠い異国の地にいる友人に心から感謝した。もちろん、実際に面とあえば、こんなに素直には言えない。

 銃と予備のマガジンを腰に差して消音機をポケットにしまっていると、店主がいつものごとく言ってきた。

 

「わかっていると思うが」

「わかってる。ここの名前は出さない。俺はここの存在を知らない」

「それでいい」

「邪魔したな」

「ああそれと」

「なんだ」

「たまに普通の物を買いに来い」

 

 言われて納得した。表向きは普通の店だ。いくら目立たない位置に店を構えているとしてもだ、本来はそれが普通なのだ。まあ、店の売り上げは密輸品などの売り上げなのだろうと薄々勘づいているのだが。

 何か菓子でも買ってやろうかと思ったが時間がない。適当に相槌をうって店を出る。車の後部座席に入り、念のために用意していた服装に着替える。黒のズボンに黒のパーカーと帽子を被り、運転席に戻って車を出した。

 

 

 例の男が開いているパーティーについての情報は、すでに情報屋から手に入れていたので目的地には迷わずたどり着けた。恭子と別れた時間はまだ夕方の5時前。おそらく一度連絡して家に戻ったのは間違いないはずだ。

 それから会場の入り口が見える建物から少し離れた場所に車を停めて待つこと4時間。その間に多くの車が行き来している。見るからに高級車がそこに停まると、服装からして富裕層の人間が多く建物に入っていく。それだけじゃない。見たことのある芸能関係者の顔も遠めだが見えた。

 はっきり言って、反吐が出る。

 だが、あいつらはどうでもいい。

 問題は恭子だ。あの子さえ、ここに足を運びさえしなければ、それで構わない。心から願う。

 しかし、それは儚い願いだった。

 タクシーが一台停まると、そこから彼女が出てきた。

 学生が、成人すらしていない子供がこんな危険な場所に。しかも制服のままで。

 入口に待機している黒服の二人の内の一人が恭子を止めさせたが、何もなかったのようにすんなりと中に通していく。

 それがラストチャンスだった。

 怒りを抑えていた安全装置が完全に壊れた。

 車を出て車道を走行している車など確認せず向こう側に渡る。左車線を走っていた車がクラクションを鳴らしたが、止まる理由にはならない。

 騒ぎに気づいた黒服二人がそちらに目を向けた。彼からすれば、こちらに一人の不審者が歩いてくるようなものだ。

 だが、もうどうでもいいのだ。

 黒服達との距離が目と鼻差の先に迫ると、右手で俺の肩を掴んで歩みを止めさせた。

 

「おい、止まれ。聞こえないのか、とま――!」

 

 うるさい。

 そのまま右手で目の前の男の顎を下から殴った。身長は俺より少し低いが、それでも大きい方の割には簡単に後ろに倒れて、気を失った。

 

「お前!」

 

 もう一人の男がようやく異変に気付いて、殴りかかってくるが体を反らして避ける。そのまま男の腹めがけて蹴りを入れる。その反動で男は背中からコンクリートでできた歩道に倒れ、受け身もまともにとれていないためかなりの痛みが伴うだろう。そのまま倒れている男のスーツの襟を掴んで起き上がらせて、先ほどより優しめの拳を顔に食らわせた。

 

「知っているが、一応聞くぞ。パーティーの会場は何階だ」

「な、なんの――」

 

 とぼけたことを。

 襟を掴んでいた左手を離し、強引に男の右手の人差し指を問答無用で曲がるはずのない方へ曲げた。鈍い音とともに、汚い男の声が響き渡る。非常に耳障りだ。

 

「で、でめぇ……!」

「もう一度聞く。会場は何階だ」

「じゅ、11階」

「そうか」

 

 同時に力を込めた拳を振りかざし頭を殴る。気絶したのを確認すると建物中に入る。

 どうやら情報屋の情報は間違っていないようだ。何分、信用するには値しない男の情報だったので、念のため確認した。

 エレベーターに入って11階のボタンを押す。それまでにどこにも止まることなく、エレベーターは11階にたどり着いた。

 廊下に出て、道は左右に分かれていた。廊下やその壁も普通とは違って豪華な装飾だ。ここで間違いないらしい。

 人の気配が大勢するのは、右側か。

 少し歩くと、大柄の男が一人。その後ろにガラス張りの自動ドア。

 

「貴様、ここは関係者以外立ち入り気禁止フロアだ。とっとと戻れ」

 

 耳障りな声だ。ああ、帽子が邪魔だ。普段から帽子を被らないから変な気分なのかもしれない。邪魔なので放り投げた。安物なので金銭的喪失はほとんどない。

 

「聞こえないのか? 痛い目に遭いたくなかったら――⁉」

 

 走り出す。久しぶりの全力疾走。男の少し前で跳ぶ。思い浮かべたのは、特撮のヒーローの必殺技。自分でも驚くぐらいに跳んだのか、テレビのように真っすぐ男の顔目がけて進み、右足は

 ちょうど鼻のあたりを捉えて、そのまま扉を突き抜けた。

 ガラスが割れる音というのは、意外と心地いいものだと初めて気づいた。この男よりはマシだ。視線を男に向けると、「あ、あ」と声を漏らしている。辺りには破片が飛び散っていて、男の後頭部から血が流れているのがわかる。それよりも、彼の鼻はダメだろう。変な風になってる。でも、息をしているから、そのまま踏みつぶした。

 そしてようやく部屋を見渡した。

 部屋は広くて、イメージとしてはキャバクラの内装に近い。丸いテーブルに、それを囲むようなソファー。テーブルには酒に氷、それと白い粉。ドラッグだろうがさすがに種類はわからない。他にも裸の女がいたり、抱き合ったりしている男女が大勢いる。どれもこれも見覚えのある人間ばかり。金と権力を持っている者から、名のある者からふとその存在が消えたモデルや女優もいた。

 その中の中央に目が留まる。

 あの男がいた。右手はロックグラスを持ち、左腕は女を肩を抱いている。

 

「ッ」

 

 一瞬にして怒りが爆発した。目を開き、奥歯をかみしめた。男が抱いている女は、千鳥恭子だった。

 先程見た制服ではなく、チャイナドレスより露出の多い服を着せられていた。

 限界だった。

 腰に隠していた消音機をつけたM11911を手慣れた動作で手に持ち、撃った。プシュッと小さな音が出る。狙ったのは男の太もも。銃弾は見事、彼の右足の太ももに命中。

 

「きゃぁあああ!

「銃を持ってるぞ!」

「逃げろ!」

 

 次々悲鳴を上げながら俺の横を通り過ぎていく。こんなにも怒り狂っているのに、頭はやけに冷静で通り過ぎている人間の顔をしっかりの脳裏に焼け付けていた。

 だいたい10数人だろうか。この場にいた自分と、男と恭子以外の人間は全員部屋を出て行った。

 邪魔者はもういない。歩みを始めると、男が何かを叫んでいる。

 

「き、貴様! 私にこんなことをしてタダで済むと思うなよ! 私には警察や政治家の友人だっているんだ! 貴様など――」

 

 今までで一番うるさいのでとりあえず殴った。ああ、恭子もいたんだ。今できる笑みを浮かべながら声をかける。

 

「恭子。もう少し待っててな」

「ぷ、プロデューサー……」

「プロデューサー? そ、そうか。お前、この女の――ぐぇ!」

「うるせぇ」

 

 スーツとYシャツの襟を片手でつかみ引っ張って、この部屋の個室らしき場所へ向かう。たぶん、こいつ専用のお楽しみ部屋だろう。

 

「い、痛い!」

「黙れ」

 

 撃たれた太ももを抑えながら訴えてくるが、知ったことではない。それにしても重い。無駄に抵抗するから余計に運びずらい。

 やっとの思いで個室までたどり着く。中には大きなダブルベットにラブホのような内装。他には小さなテーブルに一人用のソファーが二つ。壁際にはワインセラーやウイスキーといった高そうな酒類が並んでいて、その上に絵画も飾られていた。この部屋にはいささか場違いなもので、絵が泣いているようだ。

 

「で、どこにある」

「な、なにを」

「惚けるな。パーティーの参加者と顧客のリストだ」

「し、知らない。そんなもの、私は知らな、い―――!!」

 

 撃たれた傷口を靴のかかとで押し付ける。男にとっては想像を絶する痛みが襲うが、彼には関係ない。

 

「どこだ」

 

 再度促すと、男は床を這いつくばりながら壁に手をついて立ち上がる。壁に飾ってある絵画の一つを取り外すと、よくある隠し金庫が出てきた。男は一度こちらを向いたので、開けろと催促。ダイヤル式の金庫でわざと時間を稼ぐだろうと思っていたが、意外なことに男はすんなりと金庫を開けて中身を取り出し渡してきた。

 ファイルに収まっているのでそのまま受け取り、中身を確認していると男が命乞いをするかのように言ってくる。

 

「い、言われたものは渡した。は、早く病院に」

 

 無視しながらリストを確認し続ける。これを警察やマスコミにリークすれば一日にしてがらりと世界が一変するだろう。芸能関係者や富裕層の人間ばかりかと思っていたが意外なことに、スポーツ選手やその関係者、政界の人間の名までちらほらと。

 ファイルを閉じて銃を構えながらたずねる。

 

「これで全部か」

「そうだ」

「……片足じゃかわいそうだ。反対側にも穴を開けてやろう」

「ま、待ってくれ! わかった! 白状する。残りは職場の、私のオフィスにある金庫に入っている!」

「番号は」

「え……」

「番号だけ聞けば、それでいい」

「番号は……」

 

 男が言う番号を記憶する。これが正しいのかは不明だが、この状況で嘘を言えるなら大した男だ。

 

「こ、殺すのか……⁉」

「それぐらいの罪は犯してきただろう? なら、問題はない」

「や、やめてくれ! 金なら払う! お前が一生手に張らないほどの金をやる! それだけじゃない。お前の事務所と永久契約を結ぼう、な⁉ うまい仕事は全部回すし、レギュラー番組だって――」

「興味はないな」

 

 銃を突きつける。悲鳴を上げながら、頭を抱え怯えながらその場に座り込む。

 人を殺すことに対して葛藤なんてものはなかった。

 ただ目の前のこの男が、生きているのが気にくわない。それだけだった。

 引き金に指をかけゆっくりと引いていくその瞬間、人の気配を感じ取った。一人ではない。それも複数。

 銃口を向けたまま顔だけ後ろを向けると、二人の男が同じように銃口を向けている。それも自分に。

 先程無力化したのと同じように黒のスーツを身にまとい、顔を隠しているのかサングラスもかけている。それには見覚えがあった。その内の一人の男の名を嫌味を込めて言う。

 

「斎藤か。何の用だ」

「そこまでです。銃をこちらに渡してください」

「なぜ」

「これでおしまいです。あとのことは我々がすべて処理します。その男も」

「なら先に俺が処理しても問題はないだろうが」

「なりません」

「……あいつか。余計なことをしてくれる」

 

 元々機嫌が悪く、さらに斎藤達の登場でもっと悪化したのか、恩師でもあり尊敬する黒井の名を吐き捨てるかのように言う。

 

「どうしますか? 続けますか?」

 

 二回目の催促。ここでやりあうメリットはない。両手を上げ、銃のグリップから銃身を持って後ろに渡す。斎藤が銃を受け取ると、振り向いて面と向かう形になった。

 

「彼女のところに行ってあげては?」

「……」

 

 言われて駆け足で部屋を出る。心配だったのか個室の方に立って見ていたらしい。出てきたことに気づくと恭子は泣きはじめ、俺は恭子にかけよりパーカーを脱いで彼女に羽織らせたあと、優しく抱きしめた。

 

「もう大丈夫だ。心配することはない」

「ごめん、なさい……ごめんなさい! 私の、私のせいで!」

「いいんだ、いいんだよ恭子。俺が悪いんだ。だから、泣かないでくれ」

「違います、私のせいです。私が、私が……」

 

 何度も繰り返し自分を責める恭子に、慰めの言葉は意味がなかった。できたのは優しく抱きしめ、髪を撫でてやることぐらい。

 俺は最低だ。

 何がプロデューサーだ。何がアイドルを護るだ。言葉だけで、何も護れていないじゃないか。

 プロデューサーとして一番やってはいけないこと。それは、アイドルを泣かすこと。

 どんなに力を持っていても、どんなに自信があっても、結局無意味だった。自分だけを護れる力じゃ、意味がない。

 恭子を慰めながらソファーに座って少し経った。

 961プロの掃除屋は手慣れた手つきで割れたガラスや血痕、彼が起こした騒動の前の状態に直していく。いつの間にか姿が見えなかった斎藤が、黒井を連れてやってきたことに彼も気づ、初めて彼に怒りを込めた言葉を放った。

 

「なんで、邪魔をした」

「答える気はない」

「ッ!」

 

 何も感じていないかのように言う。それが余計に腹が立った。

 

「……それはどうするつもりだ。もうアイドルは無理だろう」

「アンタには関係ない」

 

 意地を張って言うが、彼の言う通りだった。

 どれだけ隠そうがこのことは広まっていくだろうし、なにより恭子はもう事務所にすら戻れないのはわかっていた。邪魔をしなくても、彼女に事務所での居場所はない。むしろ、アイドルとしていられるはずもない。穢れることこそなかったものの、ここに来ることを選択したのは恭子本人。それだけでも、彼女にとっては大きな罪で、トラウマになるだろう。

 恭子がもうアイドルとして活動できないのは、彼女自身以上に俺も辛かった。最初に担当したアイドルだ。ずっとではないが、彼女といけるところまで行きたかった。なによりも、プロデューサーとしてのプライドがあった。そのプライドも今日までだが。

 

「これの片づけは私がやっておこう。お前には無理だ」

 

 黒井は応急処置を受けているあの男を見ながら言ってきた。

 

「……俺が感謝するとでも?」

「礼が欲しい男に見えるか? 今のお前にはできないことをやってやるだけだ。それと、それは何だ?」

「アンタが来る前に問い詰めて手に入れた……リスト」

「顧客のか」

「ええ。参加している人間から薬の売買、それと……この子のような人間の名前が入ったものまで。警察が欲しがるようなやつですよ」

「それをどうするつもりだ?」

「どうするかって? アンタがやってきたように、利用するだけだ! これに載ってる人間、ここにいたあいつらの顔はしっかりと覚えている。どんな手を使っても死ぬまで利用してやる」

「……まさか、正義のヒーローにでもなったつもりか?」

「ヒーロー? 俺が? 馬鹿馬鹿しい」

 

 ヒーローなら、ヒロインを泣かせはしないし、傷つけはしないだろう。だから、俺はヒーローじゃない。子供のころから憧れてるだけの、そんな存在なのだ。

 

「もういいでしょう」

 

 彼と話すのはもう嫌だった。この空間にいるのも嫌だった。

 恭子を連れて外に停めてある車に向かう。

 その間もずっと恭子は何度も「ごめんなさい」と謝っていた。

 それを止めることは、俺にはできなかった。

 

 

 

 

 

 翌日。

 彼は恭子のマンションで夜明けを迎えた。

 一緒にいてほしい。

 そう言われてずっと傍に付き添っていたのだ。彼女が眠りについたのはほんの少し前。ようやく眠ることができたのだ。寝顔だけはいいように見える。けれど、時折何かをつぶやいていた。

 眠気がない俺は、勝手に彼女の部屋にあるテレビを消音にしてつけた。朝のニュース番組を見ても、昨夜のことは何もなかった。黒井さんが根回しをしたのだろうと思った。相変わらず見事な手腕だ。

 寝ている恭子を再度見て、そっと傍を離れる。ちょうどメモ帳があったので書置きをして彼女のマンションを出る。向かうのはあの男のオフィスがあるテレビ局。車の中に放っておいたスーツを再び着込み、車を走らせる。

 比較的近い位置にあるのか、彼女のマンションからテレビ局までは左程時間はかからなかった。駐車場に車を停めてあの男のオフィスへと目指す。部屋には秘書がいるかと思ったがちょうど不在だった。誰も来ないことを確認して扉の前に立ちドアノブを回す。案の定鍵がかかっていた。スティーブに教わったピッキングを試す機会のようだ。

 もう一度周囲を確認し作業を始める。少し手間取ったがすぐに開いた。

 中に入ってあの男が言っていた金庫を探す。ここもあそこと同じように絵画の後ろに金庫を隠していた。

 教えてもらった番号通りにダイアルを回す……開いた。中には同じようなファイルがあった。中身を軽くパラパラとめくる。たぶんリストで間違いない。金庫を扉を閉じて絵画を元に戻したあと、気づかれないようにテレビ局を後にした。

 心配になってもう一度恭子のマンションを訪れた。一応呼び鈴を鳴らして、俺の姿を確認したのか扉を開けると同時に飛びついてきた。

 どうやらすごく心配、というよりも一人でいることに不安だったらしい。優しく頭を撫でながら部屋に入り、これからのことをどうすべきか考えていると、ふとテレビつけてるとあの男のニュースが流れていた。

 意外でもないが薬物所持の線で逮捕という形で処理されたらしい。

 主催者が逮捕されたことにより参加者達はビクビクと生活をすることになるだろう。警察が欲しがっているリストは俺が持っているから、そこから次に繋がるのは難しい。

 ただ俺自身これをどう使うのかは、まだわからないでいた。

 今は恭子のこれからのことを考えなければならなかった。事務所には戻れない。彼女自身、アイドルにはもう戻れないとわかっている。だけど歌だけは捨てきれない。

 ならば残された道は、歌手しかなかった。

 そして、選ぶべき選択肢は一つしかなかったのだ。

 さらに翌日。

 恭子を連れて961プロへと足を運んだ。

 久しぶりに入る社長室。黒井さんは何も言わず俺達を迎え、頭を下げながら俺は頼んだ。

 

「この子のことを、お願いします」

「――分かった」

 

 一言。それ以上のことは追及も言葉もなく、二人の間にはそれで十分だった。

 部屋を出ようとすると恭子が呼んだ。

 

「プロデューサー……」

「ここなら大丈夫だ。ちゃんと護ってくれる。心配するなって。たまには顔を見に行くよ」

 

 恭子に別れを済ませ、961プロを後にする。ふと 足を止めてビルを見上げた。

 どう思おうと、どんな言い訳をしても、彼の言葉は現実のものなった。

 一人で生きていけるほどこの世界は甘くない。

 自惚れていた。

 一人だけなら生きていける。そんな自信があった。

 たしかに生きていけるだけならそうかもしれない。でも、時には一人ではどうしようもできない時がある。

 それが今回の件だ。

 あの夜の場を切り抜けることはできたかもしれない。ではそのあとは? 俺には力がある。けどそれは一個人で出来る範囲のレベル。組織という力には到底及ばない。

 なら、どうすればいいのか。

 簡単だ。組織を勝る個人の力を身につければいい。

 今日まで多くの人間と触れ合ってきた。友と呼べる人間だってできた。なら、今以上に作ればいい。自分の利益になる者とのコネを作り、信用に足りうる友と親交を深める。時には汚い人間を使えばいいし利用するだけすればいい。

 もっとシンプルに金や脅迫といった手段を行使すればいい。そのための力は、手に入ったばかり。

 俺は一人だ。一人で十分だ。

 再び歩き出そうと一歩前に踏み出して、あることが脳裏をよぎった。

 だが、プロデューサーとして生きていくならそれでいい。

 夢はどうする? 俺の夢は、けして一人では成しえない。

 協力者が必要だ。

 金だけでは作れない、真の意味での協力者が。

 しかしすぐには無理だろう。今度こそ歩き出してその視線の先に、最近会っていなかった人物が立っていた。

 恭子が所属していた事務所でもあり、俺を雇ってくれた男。

 速水社長だ。

 

「どうしてここに」

「ニュースを見てね。私が言うのもあれだが、君が恭子君を預けられるのはここにしかないからね。だから、君が来るのを待ってた」

「まず、貴方には謝らなければいけない」

 

 常識の範囲内として事務所を勝手に休み、所属していたアイドルを勝手に移籍したこと。だが、今回ばかりはそうするしかなかった。事務所にすら顔を出したくはなかったのだ。

 

「その必要はない。むしろ、謝罪をしなければいけないのは私だろう」

 

 被っていた帽子を取りながら、速水は言った。

 

「君と恭子君の処分については通常の手順で行ったよ。彼女の口座にも振り込んでおいたが、君にもこれを渡したくてね」

 

 渡してきたのは少し厚みのある封筒。中を開けてみると1万円札が詰まっていた。枚数的には10万どころではなかった。

 

「これを受け取るわけにはいきません」

「いや。それは、正当な報酬だよ。正社員ではないが君を雇って依頼したのは、新しく活動させるアイドルのデビューだ。結果、君は短期間でそれを成し遂げた。他に所属する者達にもその力を貸してくれた。だから、受け取ってくれ」

「……社長は、これからどうするんですか?」

「実はもう、社長じゃないんだ」

「え?」

「辞任してきた。ちゃんと後継者もいたし、そこは手がかからなかった。……私にも人としての一線がある。今回のことは、頭にきていたよ。相手にも、自分にも。だから辞めた」

「これからどうするんですか?」

「さてね。定年まで働こうを思ったが、それは叶わなくなった。しばらくはゆっくり休もうと思ってるよ」

 

 帽子を再び被り今にも立ち去ろうとしている彼を見て、何かがささやいた。

 ちょうど、いるではないか。優秀で尚且つ信用に足りるような人材が。

 ささやきを受け入れる迷うが、彼なら問題だろう。そう判断し彼は言う。

 

「速水さん。もしよかったら、俺に協力しませんか」

「協力? なにに?」

「実は――」

 

 彼は話した。自分の夢を。

 最高のアイドルを見つけ、あのアイドルアルティメイトを復活させてあの伝説のアイドル日高舞を表舞台に連れ戻し、彼女に勝利する。

 そんな途方もない夢を聞いて、速水は当然の反応を示した。

 

「随分と、無茶な夢だ。いや、夢だからこそか」

「そうでしょうね」

「まず君の夢を叶えるための前提条件がどれも高すぎる。アイドルアルティメイトの復活は、できなくはないだろう。だが、アイドルと日高舞については……可能性が低い。私も彼女のライブを見た人間だ。だからこそ、彼女と同等あるいはそれ以上の存在となる者を見つけだすとなると……」

「わかっています。ですが、もしですよ。もし、日高舞以上のアイドルを見つけだせたらどうです?」

「それは――最高に楽しそうだ」

 

 自分にも負けないほどの笑みを浮かべる速水の姿を見ただけで、それが彼の答えだと感じ取った。

 

「では?」

「ああ。君に協力しよう。どうせ、暇だしね」

「ではこれは、当分の給料ということで」

「いや、それは貰えんよ」

「いいんですよ。俺が、協力者とはいえ貴方を雇うわけですから」

 

 言うと彼は盛大に笑った。

 

「あはは! 先日までとは立場が逆転だ! いやあ、雇用主にそう言われれば、断れんな」

「はい」

 

 そして――それから少しの月日が経ち。

 以前のように事務所に雇われてアイドルをプロデュースするか、テレビ局に雇われて仕事をするかの日々が続いた。

 自分の持てる力を行使して依頼された仕事を完了してきた。

 合法だが時には非合法に。

 褒められることではない。罵声を浴びせられるのも当然だ。

 だが、俺が甘かったからあの悲劇が起きたのだ。たった一人の、アイドルとしての将来を閉ざした。

 だからあの日から俺はサングラスをかけ、タバコを吸うようになった。

 サングラスは仮面、タバコはただの見かけ倒し。恭子の一件以来、素顔をできるだけ見せたくはなかったからだ。冷徹に、あるいは鬼になろうとした。演技は得意な方でない。

 でも、言われるのだ。以前より怖くなった、近寄りがたくなったと。

 それでいい。そうすれば、誰も手出しをしてこなくなる。

 アイドルを護れる。そう、思った。

 そして気づけば俺は、親しみと畏怖の意味を込めて、こう呼ばれた。

 〈プロデューサー〉と。

 

 

 

 

 

 この日のことは今にも夢で見る。現に今も見ているわけだが、一種のトラウマと言ってもいい。

 あの部屋にいる恭子の顔が鮮明に見えるのだ。それだけならまだよかった。酷い時は最悪のビジョンが見える。ベッドの上で、あの男に犯され泣いている恭子が。

 まさに悪夢だ。

 最悪の事態は回避したのに、それでも夢に出てくるということは、あの出来事は自分にとって脳に深く刻まれてしまった出来事なのだと思う。

 ただ昔に比べれば比較的悪夢を見ることは減っていた。数年ほど前から急に前触れもなく。

 逆に言えば、今はこうしていつもより鮮明に見えているということは、あの子らがいないからというのが答えか。

 いや、この話はやめよう。

 速水さんという協力者を得た俺は、年に一、二回。多くて三回ほどオーディションを開催した。〈サテライト〉という実体のない事務所を作って。

 この時から協会側にも協力者はいた。金で雇ったのもいるし、個人的に協力してくれるやつも。

 歌田もその一人ではあるが、彼女は本当にごく最近だ。夢のことを話したわけではないがアイドルアルティメイトを開催させるにあたって、日高舞を連れてくる。その報酬の見返りとして〈リン・ミンメイ〉に会わせることを許した。

 彼女には申し訳ないと思っているがすでに軽口と山崎には直接見てもらっていた。軽口にはダンスを、山崎には実際に彼女が着る衣装をデザインしてもらうために。

 話が逸れた。

 年に数回行ったオーディションはどれも不作で、それと並行して仕事場や現場先や街中を歩きながらでさえ探したが、日高舞を超える者はいなかった。

 その中で例外があるとすればシェリル・ノームと東豪寺麗華の魔王エンジェル。

 前者に関しては、彼女でもよかったと当時の俺は思っていた。だが、それをしなかったのはたぶん、甘さなのだと思う。シェリルはこの先ずっと先頭で輝き続けるアイドル。それを潰したくはなかったのだ。彼女の歌に対する想いは本物だった。アイドルになるために単身日本に訪れ、何回かきな臭い勧誘に遭ったことで事務所のオーディションにもいけず、それでも諦めたくなくて小さなバーの歌い手をして生活をしていたのだ。

 半年とはいえ、彼女を深く知ってしまったら、辞めさせるわけにはいかなった。

 魔王エンジェルは、はっきり言って見ていられなかったのだ。麗華には才能がある。自分でプロデュースし事務所も経営していくだけの力も十分に。だが彼女の性格が、デビューしたばかりの彼女達にとってスタートはよいものではなかった。態度がデカいなどという陰口は普通にあった。ようはテレビ局や業界からは嫌われていたのだ。それを知人の伝手で知った俺は、自分から麗華に売りにいったのだ、『俺を雇わないか』と。

 シェリルと同じ半年ほど彼女達に生きていく術を教え、特に麗華には多くのことを学んでもらった。その貴重な半年も時間を無駄にしたとは思わなかった。あの悲劇を繰り返すことさえなければ、それで満足していたから。

 その他に関してはこれと言って大きな出来事はない。いや、繋がりを作っていたことで得したことはあった。

 そう、〈346プロダクション〉からの仕事の依頼だ。

 時期的には2008年か2009年辺り。大手プロダクションからの依頼は別にこれがはじめてというわけではなかったし、あの346プロほどの事務所が自分に依頼をしてくるのは少し興味も惹かれた。346プロは芸能界においては古参に入る事務所で、昔は多くのモデルや女優といった売れっ子を出していたものだが、ここ最近はあまり話題のある話は聞いていなかった。予想としては大々的に活動しようとしているのは、当時のその雰囲気で察することはできた。

 実際に依頼されたのはまあ346プロと相手先のパイプ役みたいなもので、それ以外は新人の育成も頼まれたことぐらい。

 その時の俺の面倒役が今西さんだった。当時はまだ若く、今よりはもっと活発だったと思う。彼以外に深く出会いのある人物は、入社してから左程日が経っていない武内と千川ちひろだろうか。他にもいたが触れ合った人間は二人より機会があまりなかったので、印象に残っていない。

 武内は真面目で不器用な男。それに不愛想というのがいまでも変わらない第一印象。それに老け顔でそれなりシンパシーを感じてたりもする。まだ各部署をたらい回しにされていたので、教育も含めて俺が面倒を見ていた。

 ちひろはとりあえず総務部の普通の若手事務員で、周りの人間と少し年が離れているのもあってあまり馴染めていなかったのを覚えている。たまたま総務部に用があって、それが彼女と出会ったきっかけ。現在若いながらもベテランの風格を出しているが、それを教えたのも俺だ。

 あとはまだ常務にすらなっていなかった美城だろうか。俺はよく会長の娘ということでお嬢と呼んでいて、どういう訳がそれなりに交流があってなんというか、仲間以上友達未満な関係だったと思う。

 346プロにはそれほど長い期間滞在はしなかったわりには、それなりに充実したものになった。やはり伝統のある事務所だけあって歴史を感じることができた。

 たった一度の仕事ではあったがまさか再び仕事のオファーがくるとはこの時思っていなかった。今西さんからの連絡にも驚いたが、アイドル部門を設立するという話はとにかく興味を惹かれていた。なにせ俺にそれなりの立場と権限を与え、アイドルのスカウトからプロデュース方針に関して一任してくれたのだ。特にアイドルのスカウトはとても魅力的だった。スカウトという名目でオーディションは開けるし、全国各地に赴くこともできる。それは非常に都合がよかった。

 けれど、結果だけいえばアイドルとして才能や魅力を持つ子は大勢いても、日高舞を超える逸材は存在しなかったのだ。

 そして何の因果か、今西さんからの電話のあとに順一朗さんから連絡がきたのだ。『我が765プロでアイドルをプロデュースしてみないか』と。

 本当にタイミングが悪かった。先に346プロの話を聞かなければ、喜んで765プロで仕事の依頼を受けたのに。

 順一朗さんには悪いが、夢のために選ぶ道は346プロだった。それでも恩師でもあるので頼みを断ることはできず、無理を言って765プロで先に仕事をする形となった。

 いま思えば、それは間違ってはいなかったのだろう。

 俺はそこで、二人の逸材に出会ったのだから。

 ――ふと我に返る。

 感傷にひたっていたとでもいえばいいのか。過去の映像を見てから、なんというかおかしくなっていたような気がする。

 まるで当時の自分が見ていたものを、いまの自分が見ているような、ようは意識の共有あるいは憑依に近いなにか。夢の中で夢を見ている、そんな感想が出てくる。

 俺は写真が嫌いだ。もっといえば、写真に写る自分が嫌いなのだ。写真だけじゃない。いままでのように映像や何かで自分がいるのが嫌い。過去の自分が嫌いと言ってもいい。見るたびに思ってしまうから、ああすればよかったとか、なんでこうしなかったのか、そんなことばかり思ってしまうから。

 自分の夢ながら、本当にここは最悪の場所だ。

 だから声に出して言った。

 

「……もういい。もういいだろう」

 

 自分しかいない空間に、誰かに語り変えるように言う。

 気づけばスクリーンは765プロと346プロでの日々がランダムに流れている。ここからは比較的最近の話だ。わざわざ思い返して見る必要はないし、なにより早く起きなくてはいけない。

 座席から立ち上がり、この空間から出ようと周囲を見渡す。もしもここが幼い頃の劇場のままなら、後ろに出入口があるはず。

 彼はそこから移動しはじめたその時、聞こえるはずのない声が頭の中に響いた。

 

『どこへいくんだ?』

 

 後ろから声をかけられたわけではない。頭に直接声が届いたというわけのわからない現象だが、反射的に体が振り向いた。

 

『肝心なところをまだ見ていないじゃないか』

 

 自分が先ほど座っていた席に、それはいた。

 顔がうっすらと黒くて誰だか一瞬わからなかった。ただその服装や頭に響いてくる声から、若い頃の自分なのだとなぜかわかった。

 

「肝心なところ? 何を言っている?」

『まあ座れって。もう始まるから』

 

 〈自分〉がスクリーンに向けて指をさした。先ほどまで真っ黒だったスクリーンに再び映像が映し出され、〈自分〉が言う。

 

『これが、最後の分岐点さ』

「分岐点……?」

『そう。夢を叶えるための、最後の選択さ』

 

 

 

 

 

 

 2017年 9月某日

 

 今年で36を迎えた彼は、少し参っていた。諦めかけていたと言ってもいいかもしれない。

 346プロに雇われてから約3年が経ち、この頃になるとほぼ現場には出向くことはなく、大手の取引先との仕事の打ち合わせなどで出向くか、オフィスで仕事をするかの二択だった。

 それも武内をはじめとした若いプロデューサー達が立派に成長し、仕事を任せられるようになったのが大きな要因で、指導者としてはそれを喜ぶべきことでもあるのだが、その結果自分の役目はほぼ終わりつつあるのではないかとも思い始めていたからだ。

 依頼内容は新設されるアイドル部門のチーフプロデューサーとしてアイドルのスカウトおよびプロデュースと、人材の育成に部門として地盤を固めること。

 そう見てみると、自分はその依頼内容を果たしているはず。

 同時に大きな理由としては、事務所側としてはもうアイドルを新規に獲得する気はなく、同時にスカウトやオーディションを開くこともしないことを美城専務がはっきりと述べたからだ。それを告げられた時には、とくに不満はなかった。なにせ、もう半分諦めかけていたから。

 夢を成就するための『最高のアイドル』を見つけるのに、ここはもっとも最適な場所ではあった。しかし残念なことに普通のアイドルとして輝く者ばかりで、日高舞を超えるような逸材は存在しなかったのだ。

 346プロにいながらも、協力者である速水と共にオーディションを開いていたがそれも不作。もっとも懸念していた時間の制限が刻一刻と迫っている中、特に日高舞の年齢も30を超えているということもあって、彼はある決断をした。

 あと一回オーディションを開いて、見つからなかったら夢を諦めよう。そう俺は決心した。同時に諦めたらどうするかも考えてしまう。346プロは、まず辞めようとすぐに思い浮かぶ。18年以上も仕事と夢のことばかり考えていたんだ、ここで少しゆっくりと今後のことを考えるために休んでもいいのではないか。あるいは……そう、貴音と美希と一緒にどこへ行こう。三人だけで、のんびりと何処かの旅館にでも泊って、美味しいご飯食べにでも。ならばいっそ、一緒に暮らしていいとさえ思い始めている。

 思案するたびに、どんどん弱気な逃げの考えになることに気づき、顔を横に振りながら考えるのを止めた。

 肝心の最後のオーディションは生憎速水さんは私用で来られず、毎度のようにアルバイトして雇っていた彼の孫娘である未沙と二人で行うこととなった。

 事前に送られてきた履歴書はどれもぱっとしない子ばかり。他の人間が見れば、容姿は整っているしスタイルもいいと好印象を受けるのだろうが、毎度のこと過ぎて事前の評価の時点で左程期待はしていなかった。

 しかしそのためのオーディションである。直接見なければ正しい評価を下せない。

 そして当日。俺は、運命と出会った。

 無神論者である彼にとって、神なんてこれっぽちも信じてはいない。さらに言えば、運命なんて都合のいい言葉も好きではなかった。物事はすべて必然、そんな持論を持っていたから。

 それでも、今回ばかりは認めざるを得なかった。

 飯島命との出会いは、まさに神が自分に与えた運命なのだと。

 彼女の面接はたまにあるものだった。友人がオーディションに勝手に送ったから、それが理由な子は意外と少なくない。

 面接だけでは判断はできず、一曲披露してもらってそれで判断するのが決め手。彼女が選んだのシェリルの歌で、自分にとっては懐かしく聞きなれた曲。

 だが実際は、オリジナルと比べ物にならないモノだった。

 その歌声は、本当に同じ人間から出ている声なんかと疑った。今まで考えていたことが一瞬にして忘れてしまうほどの衝撃。

 それは綺麗でもあり美しくもあり、魅了される声。

 多くのアイドルや歌手と出会い、それだけの歌声を聞いてきた。それぞれ独自の声がある。

 歌は時に、多くの感情を生み出してくれる。それを喜怒哀楽というべきか。

 目の前で歌う飯島命には、それを超越したモノだ。

 まさに神が与えた歌声とでも言うのか。それとも神に愛された女だろうか。

 彼女の歌に、生まれて初めて見惚れていた。

 Aパートだけだったはずが全部聞いてしまった。

 戸惑う彼女が訊いてきた。

 

「――終わり、ですけど……」

 

 その言葉でやっと我に返る。

 未だに先程の歌声の余韻が残りながらも、たずねた。

 

「お前は、誰だ」

「えぇ……。飯島、命ですけど」

 

 彼女は当たり前の回答をしてきた。

 

 

 

 

 

 飯島命との出会いがこれからの行動を決定づけた。

 彼は速水にも彼女の歌を聴いてもらい、結果自分と同じ答えを見出した。彼女こそ、自分が追い求めていたアイドル。日高舞を超える逸材だと。

 それからの行動は早かった。

 幽霊のような存在だった〈サテライト〉の正式な活動拠点の確保やデビューするための根回し。手配だけはしていたので、速水さんには事務所の方を任せて俺は後始末を始めていた。

 それは346プロを辞めること。

 命が見つかったいま、あとは時間の勝負。同時に346プロにいる理由も最早存在しなくなったのだ。専務とは口論になることは予想していたものの、比較的スムーズに退職の準備は完了した。あとは周辺の整理と引継ぎだけ。

 避けられないことだったが武内をはじめとしたプロデューサーらには言い寄られつつも、一蹴し引継ぎを終わらせた。社員らには辞める噂が流れ始めたものの、アイドル達の耳には入らなかったのは僥倖だった。知れば面倒になるのは目に見えていたからだ。

 だから、退職する当日もかなり穏便にオフィスを出ることができた……はずだった。

 偶然。ほんの偶然、卯月と鉢合わせてしまった。隠しても仕方がないので素直に告白し、案の定彼女は取り乱して色々言ってきた。それでも他の子と比べれば比較的楽な対応だったと思う。

 ただ島村卯月には、一つ心の残りがあった。

 あの時の答えの返事をまだ聞いておらず、だからなのか俺はつい言ってしまった。

 

「結局、お前の答えを聞くことはなかったな」

 

 陰湿で最低だと思う。

 けれど今の俺には彼女もまた、夢を叶えるための障害でしかなかった。

 それからは本格的に〈サテライト〉を拠点に仕事を始めた。

 同時に本格的な飯島命のレッスンも始め、歌は誰もが文句なしの結果ではあるがダンスはまだ確認していなかったのだ。

 トレーニングルームを借りてそこで試しに見本を見せて、それから一回踊って見ろと言うと、再び信じられない光景を目にした。

 そのダンスはわざと難しいものを見せたのだが、命のそれは文句のつけようがない出来栄えだったのだ。

 本人曰く、意外とできたとのこと。

 身近な例えを言えば、美希がそれに近く、彼女の上位互換というべきものだろうか。

 神は歌ではなく、踊りの才能も与えていたらしい。

 いや、まさに“俺が望んだアイドル”そのものだった。

 自分の目に自信はあるが実際にプロにも見てもらう必要もあった。

 その適任者が軽口だった。

 彼にも夢のことと計画を伝えたうえで、軽口はそれを了承し協力してくれた。結果を言えば、彼はなにも文句を言うどころか、指導というよりアドバイザーに近い立場になった。彼としても、彼女のダンスは見ていて飽きないものであるし、多くのイメージが湧いたらしい。

 アイドルデビューするにあたって、それ以降の衣装を同じく山崎にも依頼した。彼がデザインした衣装を知り合いに作製してもらうのが流れになった。やはり彼も軽口と同じ印象を抱いたらしい。なのですぐに多くのデザインが送られてきた。

 その二人ともう一人、歌田はアイドル協会に属しており彼女には後の計画のための手伝いをしてもらうことを予定していた。三人はよく審査でも顔を合わすので仲はよく、彼女だけが最後なのはあとで文句を言われるのを覚悟していた。

 そして12月の眼玉である新人アイドルの番組でデビューさせる時がきた。

 その名は〈リン・ミンメイ〉。

 最初に命と会った際に、彼女に聞かれて出た名前。

 なんでその名なのか。

 俺にもわからないでいた。ふと、頭の中にすっと思い浮かんだのを口にだしただけなのに、妙にしっくりくる名前だったのは確かだ。

 さらに命には〈リン・ミンメイ〉になるべく、見た目も変えてもらった。セミロングである彼女の髪にエクステンションをつけてロングヘアにし、髪の色も変えさせた。

 それは俺が〈リン・ミンメイ〉の名を思い浮かべたと同時に湧いてきた彼女のイメージそのものになった。

 それから番組本番。

 ついに〈リン・ミンメイ〉が生まれた。

 歌った曲は日高舞の歌で〈ALIVE〉。

 かつて貴音がデビューする際にも歌った曲。それを意味するのは、日高舞本人へ向けたメッセージでもある。

 そして見事、彼女は圧倒的な差をつけて優勝し、その名を知らしめた。

 同時にそれは、俺の中で一つの決断を迫られていた。

 貴音と美希。

 二人との決別を、俺はしなくてはいけなかった。

 

 

 

 

 〈リン・ミンメイ〉の誕生から数時間後。

 彼は自宅へ帰宅し、リビングでただ座って待っていた。

 家についたのはほんの数十分前。それなのに、もう何時間も待っているような感覚を味わっていた。

 まだ迷っていた。

 あの二人に言えるのだろうかと。

 だが言わなくては。

 もう計画は始まってしまった。止まることはない。止めることもない。

 なら突き進むだけだ。

 そのために、二人は邪魔になる。

 〈リン・ミンメイ〉の、そして自分にとっての。

 ガチャリと玄関が開いた。二人はいつものようにこちらに向かってくる。

 もう考える時間はない。

 俺は二人がただいまと言ってくるが、それを無視して告げた。

 

「いますぐこの部屋から出て行け」

「……え?」

「あなた様、いま、なんと仰ったのですか?」

「聞こえなかったかのか。いますぐこの部屋から出て行けといったんだ。金輪際ここには来るな。それと、お前達に渡していたスペアキーも返せ」

 

 

 当然のように事はうまく運ばなかった。

 無理やりキーを奪い取り、出ていけと言っても聞かない二人とかつてないほどの口論を繰り広げた。

 そして、

 

「わたくしたちが邪魔なのですか!? どうしてそんなことを仰るのか理由をお教えください!」

「そうなの! これじゃ、納得できないよ! ミキたちが何か悪いことをしたらちゃんと謝るから!」

 

 そうだ。

 お前達は邪魔なんだ。ミンメイの、俺の夢を叶えるための障害でしかない。

 そうだ。

 お前達は悪くない。悪いのは俺だ。お前達は俺の弱さで甘さだ。だから、謝る必要なんてどこにもない。

 爪が食い込むほど自然と手を握り締めていてた。

 暖房はつけておらず部屋はたしかに寒い。けれど、それ以上に体が震えていた。

 そんな状態でもなお、俺は決別の言葉を告げた。

 

「ああ、そうだよ! お前らは邪魔なんだよ! 目障りだ、お前らは必要ないんだよ! だから……出ていけ!」

 

 後のことは、うっすらとしか覚えていない。

 貴音と美希を強引に部屋から追い出した後、未だに寒さで震える体をなんとかすべく、ウイスキーを瓶のまま吞んで、気持ち悪くなって台所で吐いて、あらかじめ用意していた着替えなどが入ったバッグを持って事務所に向かったあと眠りついた。

 翌日の朝は、頭痛が酷かったがそれ以外は普通だった。

 貴音と美希のことも忘れているぐらいに。

 そう。それからの俺は、いつも通りだった。

 四条貴音が活動休止するというニュースを聞くまでは。

 

 

 

 

 

 貴音が活動休止したということを、動揺あるいは困惑したという言葉に当てはめるならその通りだった。それを事務所で聞いた彼は、一瞬すべての思考が停止した。意識が戻ると、仕事のことより貴音のことばかり考え始めた。

 体調不良でしばらく活動を休止しますというのが事務所側の発表。

 原因は間違いなく俺だ。

 どうして。なんで。あいつはそんなに弱い女ではないのに。違う。あの子も本当はか弱い女の子だ。知っているだろうに。

 頭の中でぐるぐると思考が錯乱し、気づけば手がスマホを掴んでいた。

 電話をかけて、ごめんと謝ればすぐにあの子は元気になる。

 そんなことを一瞬考えた。

 結局のところ、俺の決意はいとも簡単に一人の女によって決壊するというのが己の正体なのだ。

 ただそれに加えて、さらに不機嫌になる要素がいる。

 飯島命だ。

 ミンメイというよりは命にはかなりイラつかされていた。彼女は人のことを見ればどんなことでもわかるらしい。考えていることとか特に。現にオーディションではそれを目の当たりにした。

 だから、いまもこうして俺のことを見て何かに感づいているのだろう。

 現にからかうように言ってきた。

 

「あれー? 相棒、どうかしたの? 顔色悪いよ?」

 

 普通な言い方なのに、なぜかイラつく。

 俺の素性を知っている速水は複雑な心境を感じ取って何も言ってはこないので助かってはいるが、対して命がこの始末。なんとか苛立ちを隠し、平静を装うのが精一杯だ。

 

「だまれ。次の仕事にいくぞ」

「あー! 待ってよ!」

 

 命に苛立つ理由は数あれど、俺には彼女が必要だ。

 苛立っているのも、自分が犯した罪をわかっているからだ。

 つまり、罪悪感を感じているから余計に自分に対して腹が立っている。だから、その矛先が命に向けられているのだ。

 自分は悪くない。悪いのは煽ってくるこいつなのだと。

 ただそういった感情を抜きにしても、飯島命あるいはミンメイを俺は道具として扱っていることに何の罪悪感も抵抗もない。

 それは彼女も了承済み。ただ必要な仕事を与え、彼女はそれをこなす。

 俺にはそれがとても楽で、たぶんそれこそがシェリルや貴音に求めることができなかったこと。言い換えれば、それを二人にはできないというのが俺の弱さなのが露呈していることを表している。

 なによりも彼女は俺のすべてを見透かしている、理解しているからこそ遠慮なく道具として扱っているのかもしれない。だからこそ、飯島命は俺にとって非常に都合のいい存在だったのだ。

 そんな彼女には始めから苛立ちと同時に理解できない部分もあった。

 あの子は彼のことを『相棒』と呼ぶ。理由をたずねた際に言ったのが、『私達は共犯者。だから、相棒』と呼ぶのだと。

 

 

 

 

 それから一週間経ったぐらいだろうか。

 未だに貴音のことが頭の隅でちらついている中、普段のように仕事に没頭していると電話がなった。それもプライベートの方で。

 相手は美希で、すぐに切った。

 だがすぐに再びかかってきたのでまた切るが再度着信がくる。

 仕方がなく三度目のコールで電話に出た。

 

「なんだ」

 

 いつも彼女から電話がかかってくる時と同じ対応だが、声は違っていた。はっきりと怒りを露わにしている。

 それでも美希は気にしない素振りで言ってきた。

 

『ちょっと、今から会ってほしいの』

 

 美希は続けて言う。

 

『どうせ時間なんて作れるでしょ? いまからいつもの公園で待ってるの、じゃあね』

 

 電話は切れ、俺はイラついていた。その理由はあとでわかった。

 だがそこで命が煽ってくるのが余計に腹立たしいので、逃げるように事務所を出た。

 

 

 

 

 

 美希と別れてタバコを買って事務所に戻る最中、別れ際に言った彼女の言葉を思い出していた。

(言い忘れたけど。貴音を選ばなかったこと、後悔しないでね)

 その所為で爪が食い込んだ掌が痛む。

 先程は熱くなって冷静ではなかったので、いまはふとその言葉の意味を考えていた。

 あの言い方はまるで、何かを見返すような言い草だ。

 なぜそこは自分ではなく、貴音と言ったのか。

 その言葉の意味をこの時は理解できず、それがわかったのはそれから少し経ってからある情報が飛んできた。

 星井美希がアイドル活動を休止し、同時に四条貴音のプロデューサーとして今年一杯活動することを事務所が発表した。それを聞いて俺は安堵していた。そんな資格ないのに。

 同時に美希がプロデューサーとして活動することになんの疑いも抱かなかった。

 あの子は天才だ。だからできるし、なによりその仕事を常に傍で見てきたから、ある程度は理解している。あとは赤羽根などから指導を受ければ問題ない。

 ここで美希が言った言葉を理解した。あいつはこう言ったのだ。『ミキが貴音をプロデュースして、優勝させる』たぶん、こんな感じだと思う。だから後悔するなと言ったのだ。

 色々と考えることはあった。

 しかし結局のところはっきりしているのは、あの二人はやはり障害だということだ。

 それからアイドルアルティメイトの参加申し込みが始まり、協会にいる協力者からリストを受け取った。数にして200はかるく超えていて、いまのアイドルブームがどれほどのものかが伺える。

 リストの中には貴音ももちろんいたが、他のメンバーで俗に言うAS(オールスターズ)は参加せず、後輩たちだけが参加していた。346プロからは大勢参加しており、そこには島村卯月の名もあった。他にも有名どころではシェリルや魔王エンジェル、少し前から活動し始めた黒井さんの一人娘である詩歌の名もあった。久しぶりに開催となるアイドルアルティメイトであるが、今回はかつて以上に激戦になることが容易に想像できる。

 同じ頃。アイドル協会と日高舞の所属していた事務所が正式に彼女の現役復帰を発表し、アイドルアルティメイトの開幕セレモニーを彼女が担当することも告知した。

 犯罪者のような真似事で日高舞に直接連絡を取り、歌田をはじめとしたアイドル協会の協力者の力で見事日高舞を現役復帰させ、アイドルアルティメイトを復活させることができた。

 この時点で彼の計画の半分以上は遂行されていた。3月時点ですでに〈リン・ミンメイ〉が出したCDは完売し、常にランキング1位を独占し始めていた。

 アイドル文化といってもいい環境が現代に浸透しているのもあって、すでに世間では〈リン・ミンメイ〉という存在は大きなものとなっている。

 同時にそれはかつて日高舞が生み出した状況と酷似していて、それも狙ってのことだった。

 あとはミンメイが決勝戦まで勝ち進み、そこでもう一人のファイナリストと日高舞の二人に勝って優勝すれば、すべてが終わる。

 そして6月から予選が始まり、ミンメイは予定通り予選を通過。10月の本選も突破していま、その準決勝を迎えていた。

 

 

 

 

 映像が終わる。

 ここ最近の映像はまるで、いまの自分がそこで語っているように錯覚する。

 暗闇だった空間が少し明るくなる。上映が終わったことで照明がついたようだ。

 俺は立っていたが隣に座っていた〈自分〉はそのままの姿勢で何食わぬ顔で言う。

 

『そのファイナリストも四条貴音に決定し、リン・ミンメイも勝ち上がったことにより、ここに日高舞を加えた三人で決勝戦というわけだ』

「何が言いたいんだ」

『何って。最初からわかっていたことじゃないか。決勝戦はこの三人になると』

「……」

『ミンメイは言わずもがな。四条貴音は絶対に来ると、心のどこかで確信していたはず。だけど、“俺”はそのことを受け入れられなかった。いや、受け入れたくなかったんだよな』

「黙れ……」

『なんてったって、それを受け入れたら今まで自分が選んだ選択がすべて無駄だったと――』

「黙れぇ!!」

『おいおい。怒鳴ることないだろ、“俺”」

 

 座ったまま足を組み両手を広げながら言う自分の姿が余計に怒りを助長させた。

 

『“俺”が怒りを抱くのはわかる。なんてったって“俺”は、はじまりで“俺”は数多くの選択した結果だ。いい変えれば“俺”は穢れていないということでもある。だから、そんな“俺”に自己嫌悪しているんだな』

「だったら、俺が選んだ選択が全部間違いだっていうのか! じゃあどうしたらいい⁉ あの時、黒井さんのところにずっといればよかったのか⁉ それとも、346プロでずっと働いていればよかったのか⁉」

『いいや。“俺”の選択肢は間違っていないぞ。むしろ正しいと言えるな。だからこそ、いまこうしていられるんだ』

「何が言いたいんだ」

『言い換えれば、運命を自分のモノにした。飯島命。彼女がいなければここまでくることはなかった。だから、今日まで“俺”がしてきたことは間違いじゃない。常に正しい選択をしてきた」

「だから?」

『だからこそ“俺”は聞きたい。お前(・・)にとって、あの子はなんだ?』 

 

 〈自分〉スクリーンの方へ向く。釣られて同じように視線を向けると、そこには彼女がいた。

 

『あなた様』

 

 貴音だ。

 彼女が俺の名を呼んでいる。何度も俺を呼んでいる。時には笑顔で。時には悲しそうに。時には

 怒りながら。

 もう久しく見聞きしていない貴音の顔や声が、なんだかとても懐かしく思えた。

 

『さっき、運命を自分のモノにしたと言ったけど、あれは嘘。それは飯島命じゃなくて、四条貴音のことなんだよ』

「貴音が?」

『四条貴音という存在が“俺”のこれからの運命を決定づけるんだ。そしてそれは彼女も』

 

 映像が変わる。

 

『ハニー!』

 

 美希だ。

 抱き着こうとこちらに走ってくる。最後に会ったあのとき以来、彼女のこんな笑顔を見ていない。それは貴音も同様だった。

 

『二人の出会いが“俺”を導いてくれた。二人がいたから“俺”はありのままの“俺”でいることができた。二人は“俺”にとって、かけがえのない存在なんだ」

「じゃあ、どうすればよかったんだよ。命ではなく、貴音と美希を使えばよかったって言うのかよ!」

『その選択もあった。でもさっきも言ったように、“俺”が取ってきた選択は常に正しいんだ」

「もう訳が、わかんねぇよ」

『“俺”がしてきたことは、間違いじゃない。それだけさ。だから、悔やんだり悩む必要はない。だからその上でもう一度聞きたい。四条貴音は、星井美希はお前(・・)にとってなんだ?』

 

 回答が一つ増えた。

 答えなければ何度も〈自分〉が聞いてきそうだ。ここは夢の中で、誰にも聞かれることない場所。聞かれてもそれは、目の前の〈自分〉ぐらいだ。だから言ってやった。

 

「大切な、存在だ。貴音と美希の前なら、自分でいられた。自分を偽る必要もなかった。いつしか気づいたら好きになってた。愛しているんだ、二人を。だけど、夢のためにそれを殺してきた。気づかないふりをして、何度も誤魔化してきた。二人と決別したとき、辛かった。苦しかったんだ。今すぐ謝りたかった。けど、俺は夢を選んだ。なあ、教えてくれよ。この選択も、お前は正しいって言うのかよ……!」

『そうだ。正しい選択だ』

 

 〈自分〉は真摯に答えた。

 

『それが“俺”の真に願う想いであり、本当の姿だ。それが聞きたかった』

「お前は俺だろうが。わかるだろう」

『言ったろ。“俺”ははじまりだって。……今日まで“俺”は正しい選択をしてきた。けど、これからはわからない。常にそれが正しい選択なのかはね。でも、これだけは言える』

「なんだよ」

『“俺”の夢は叶う』

「それって……」

 

 すると世界が明るくなってきて、〈自分〉が名残惜しそうに言った。

 

『またな』

 

 

 

 

 

 意識が戻るのがわかる。なんだか長い夢を見せられていた気分だ。

 同時に目の前に人の気配を感じた。

 重い瞼を開けようとする。しかしどういうわけか、俺はおかしいことに気づく。

 泣いているのだ。

 いや、涙がこぼれそうでそれを手で拭く。

 ゆっくりと目の前にいる人間を認識する。

 〈リン・ミンメイ〉、飯島命だ。

 

「――最悪だ」

 

 寝ているところは何度も見られているが、今回だけは見られたくない。なぜか、そんな風に思ってしまった。

 

「ちょっと、起きていきなりそれはないんじゃない⁉」

「うるさい。で、勝ったんだろうな」

「勝ちましたー。あとシェリルから伝言」

「なんだ」

「あとで一発殴らせろだって」

 

 あいつらしい。ふと彼女と過ごし日々を思い出しそうになる。

 

「それは無理だろうな」

「まあね。……相棒」

「なんだ――」

 

 立ち上がろうとした時、彼女がいきなり抱き着いてきた。

 

「おい、離れろ」

「――大丈夫だよ」

 

 その声は命ではなかった。まして、普段の〈リン・ミンメイ〉とも違ったような気だした。

 それなのに、その声にはどこか安心感を覚えた。身を委ねたくなるような、そんな暖かい声。

 

「相棒の夢は、私が叶えてあげる」

 

 だかこそなのだろうか。相棒と呼ぶのは命で容姿はミンメイだというのに、あの時と同じことを言ってしまったのは。

 

「お前は、誰だ?」

 

 そっと彼女は離れて、笑顔で言う。

 

「私はリン・ミンメイ。あなたが望んだアイドル(偶像)」

 

 俺は命に好きなようにやれと言った。

 彼女のやることが〈リン・ミンメイ〉そのものになるのだと。

 けど、それは違っていた。

 彼女そのものが、〈リン・ミンメイ〉だった。まさに今の彼女が、俺の望んだ偶像。

 だがそれを知るのは俺だけで、世間が見ている彼女とはまた違ったものだろう。

 彼は苦笑し、椅子から立ち上がり外へ向かった。

 

「相棒?」

「着替え終わったら呼べ。外で待ってる」

 

 扉を閉め、壁に寄り掛かる。

 ここまで来たら、これと言って何も考えが湧かなかった。

 ただあと少しで終わる。それだけ。

 近くで人の気配を感じる。そちらに顔を向けると、久しぶりに見る男が、そこに立ち止まっていた。

 

「……先輩」

「赤羽根か」

 

 

 

 

 

 鏡の前に座る命に彼は仕上げの作業に入っていた。今までもすべてのメイクは彼が一人で行っており、そしてこれが最後のメイクアップでもあった。

 目をつむりながら、命は知っているような素振り言ってきた。

 

「外で待っている間、何かあった?」

「ああ」

 

 彼は誤魔化さなかった。命にはなんでもわかる。だから、誤魔化したところで無駄なのはもうわかっているからだ。

 

「お前も知ってるだろうが、765プロにいたときに教えていたやつで、そいつと会った」

「じゃあプロデューサーなんだ」

「そうだ」

「可愛がってたんでしょ」

「真っすぐで、真面目で、若くて元気なやつだよ。俺とは大違い」

「相棒には勿体ない可愛い後輩なわけだ」

「その通りかもな。俺なんかよりもずっと、いい人間だ」

「でも、そんな後輩君になにか言われたんでしょ?」

「た……アイドルを泣かせてまで、貴方は何をやってるんだって、言われたよ」

「その通りじゃん。ま、それは私もだけどさ。それで? 相棒はなんて言い返したの? あ、やっぱ言わなくていいや。なんとなく、わかった」

「なら、聞くな」

 

 本当に癇に障る女だ。

 だがそれも、今日で終わりだと思うと少し名残惜しいと思うのは、彼女と会話することをどこかで求めていたなのだろうか。

 

「ところでさ。相棒は全部が終わったら、どうするの?」

「いまは、これといって考えてないな。そういうお前はどうするんだ? 一応印税が入ってるし、給料もそれなりの額だ。しばらくは働かなくても暮らしていけるだろ」

「たしかにね。でも、やっぱり休息かな。ゆっくりと休みたい」

「休息か。それもいいかもな。……終わったぞ」

「うん。ありがとう」

「これで、俺の仕事は終わりだ。あとは、お前の番」

 

 そう。もう自分にできることはないのだ。

 あとは彼女が優勝すれば、それで全部が終わる。

 

「任せなさいって。ねえ」

「ん?」

「もしもね、相棒が望むなら……続けてもいいよ」

「なにを?」

「〈リン・ミンメイ〉を」

 

 その台詞を、命が言うとは思っていなかった。

 彼女にとって、〈飯島命〉としての生活はほとんどないに等しく、本来の自分でいられたのも事務所や自宅、彼と二人きりという限られた状況。別の名を与えられ、別人を演じろと言われて早一年。普通なら嫌になってもおかしくはないのに、彼女は常にミンメイであり続けた。それもあと少しで終わり、もう本来の生活に戻れるのに、彼女はそれを続けるという。

 変わり者だと自分で言っていたが、これはそれ以上だ。

 

「日本はもうだめだから、ハリウッドでデビューでもする? そしたらきっと、一躍大スターかもよ」

「……もしかして、俺を気遣ってるのか?」

 

 一転、笑顔で振るまっていた彼女の顔からそれが消えた。

 

「それもあるかな。でも、本当は……これも悪くないかなって。別に飯島命でなくたって、私は私だしさ。それに」

「?」

「相棒を一人にしたら、何処かに行っちゃいそうだしね」

 

 それは遠回しに言っているのだということは、彼にもわかっていた。彼女なりに言葉を選んだのだ、本当は死ぬつもりなんでしょと。実際、その考えはあった。死ぬかはともかく、消えるつもりだった。かつて父に約束したことを果たすために、いまの仕事や生活を捨てて実家に帰ろうとも思った。けど、日本にはいたくないなんて思い始め、旅に出ようと考えていたから。

 ここは、多くの人間が俺を縛っている。

 だから何ものにも縛られない場所へ行こうと。たとえ、あの二人を置いていくことに後悔しても。

 

「……だったら負けるか? そうすれば、俺はもう一度同じことをするぞ?」

「まさか。負ける気はないし、それに相棒はそんな気はないでしょ」

「ああ」

 

 本当に見透かされている。だからこれ以上、何も言うことはできなかった。

 それに、時間だ。

 

「そろそろだな。行こう」

「ええ。最後くらい、ちゃんと見てくれるんでしょ?」

 

 彼はうなずいて、部屋の扉を開けた。

 

「見届けるさ。最高の瞬間を」

「うん。きっと、ステキな光景が待ってるよ」

 

 二人で並んで部屋を出て、最後の舞台まで一緒に歩く。この一年、毎日のように彼女の隣を歩いてきた。しかしこれも最後。いつもと変わらないはずなのに、今日だけは違っていた。

 彼女は俺のことを『相棒』と呼ぶ。共犯者だから、互いに必要な存在だからだと言う。今まではそれを呼ばれるたびに、あまりいい気分ではなかった。

 それはなぜか。

 自分にとって『相棒(パートナー)』と呼べる人間がすでにいたから。本当の意味でのパートナーが。それを無意識の内にわかっていて、でも実際はそれを認めたくないから、彼女の呼び方に嫌悪していた。

 だけど、俺と彼女は共犯者だ。一心同体ともいえる。俺がいなければ、彼女は存在しなかった。彼女がいなければ、俺の夢は終わっていた。

 ならば最後くらいは認めよう。お前は俺の相棒だ。紛れもなく、俺の夢を叶えるための最高のパートナーだ。けれど、それを口に出すのは嫌だ。別の言葉で、いままでの感謝の言葉を込めて伝えよう。

 最後らしく、お前のプロデューサーとして。

 

「頼んだぞ、ミンメイ」

「ええ。任して、相棒」

 

 最後の最後で意見が合致したのか互いに顔を合わせ、彼女が笑みを浮かべたのがわかると、彼も小さく微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけの落書き(ちょっと遊んだ)

【音無小鳥(1×歳)】 

 なんだかんだで初恋の男性からは誕生日プレゼントをもらっていた。一応一番身近な女ではあった。しかし、女としては見てもらえなかった模様

【黒井詩花】 

 ステラステージの発売した年である2017年から逆算して、作中では18歳。つまりは、そういうことなのだ。

 控えめに言って好きなキャラクター

【黒井の嫁】

 公式な設定ないけど(たぶん)、うちじゃこんな感じ。あの黒ちゃんが結婚する相手なんだから相当すごい人なんだろうなって

【元カノ】 

 なんだかで、主人公の本質を見抜いていた。という設定

【スティーブ】

 悪友とかいて親友のハゲ

【アンバー】

 ハリウッド女優にして、主人公のことをとても可愛がっており、抱き心地がいいのかよくハグさせていた

 一応元になった実在の人物の名前をモチーフにしていてる。イメージモデルはギアスのCCかDTBのアンバー。

【千鳥恭子】

 彼が初めて担当したアイドル。将来的にはAランクアイドルとして活躍できるほどの才能はあったものの、それを潰されてしまい961プロに移籍し、アーティストとして活動を再開する。

 あと名前に深い意味はないです

【とある警察官】

 本編第〇話で伝手があるといったそのどうでもいい伏線回収

【夢の中の自分】

 彼は、はじまりである。だからこそ数多くの自分を認識することできて知っている。だが同時に自分が終わりを得た時、その先を認識することはない。(要は彼は夢の始まりの存在で、どんな形であれ夢が終わった時点でその先の観測はできない)。 

【飯島命=リン・ミンメイ(神)】

 彼が望んだ存在。飯島命と出会ったことで彼女は誕生した。

 飯島命が演じて彼女になるわけではなく、彼女自身こそが〈リン・ミンメイ〉である。ただし、本当の彼女を理解(あるいは認識)しているのは彼のみで、人々が認識しているのとは別の存在である(生み出したのが彼なので、本人にしか分からない)

 人々が彼女を認識したことにより、初めて顕現し、存在を固定しはじめた。

 作中最強(作品を終わらす的な意味)であるが、唯一勝てるのは全盛期の日高舞か超覚醒した美希と別ルートの貴音のみ(貴音(本編)は愛の力でも無理だけど、カリスマだけは彼女に勝ってる。その点のみ作中最強)

【星井美希(超覚醒)】

 設定のみ。元ネタである覚醒美希のさらに上

「自らの限界を超えたその先、真の愛によって目覚めた超戦士(アイドル)」

 強さ:∞ (愛の力は無限なので) 

 解放条件:あとがきにて公開

【没ネタ】

 ・冒頭の二人目のシーン。最初は首絞めじゃなくて、刃物で刺される予定だった

 ・35話で小鳥の電話のシーンを入れる予定だったのですが、下記の理由もあって書いててうまく入れられる場所がなくて仕方なく削除

 ・これでも一部妥協した(主にシェリルと魔王エンジェルの話。あとハリウッド研修とかはたぶんあまり必要ないけど、話だけは一杯思いついてた)

【彼】

 主人公。内容は本文のとおり

 

 

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