銀の星   作:ししゃも丸

55 / 60
第40話 風花

 

 

 

 一人の少年がいた。

 少年には夢があった。

 彼が目指している者ならば、誰でもその夢に憧れるそんなありきたりな夢が。

 その夢はまさに純粋で、若さに満ち溢れていた。まさに、穢れのない夢。

 しかしそれも、一人の女によって変わってしまった。

 女は一つの時代を作り、同時に一つの時代を終わらせた。

 少年の周りも例外ではなかった。

 結束とは言い難くも、一つの夢に共に向かっていた者達は散り散りなり、その関係は壊れた。

 同時に少年の夢も、穢れてしまった。

 少年はその女に怒りを抱き、純粋だった夢は気づかぬまま憎悪に変化してしまう。

 夢という目標が怒りを、憎悪を癒す手段になってしまった。

 それでも、少年にとっては夢だった。

 大人になったいまでも、誰もが抱く夢そのものだった。

 諦めるという選択肢はなかった。

 けれど、何度もこの道を選んだことに恐れや不安があった。

 今日まで多くの選択肢があって、選んだ結果のいまに後悔がなかった訳ではなかった。

 はっきりと正しかったと言える自信はなかった。

 だが、いまは正しかったのだと彼は言う。

 自分は常に正しい選択をしてきたのだと。

 そして19年という長い年月を経ていま。

 夢の成就は目前に迫っていた。

 

 

 

 

 

 第40話 風花

 

 

 

 

 

 アイドルアルティメイト会場

 

 運営が用意したとある観客席には、大勢の記者団がずらりと座っていた。位置的にはステージから遠いため、仕事道具でもあるカメラでステージを見る者もいれば、シャッターを押している者もいる。そんな一団に同じ記者である善澤もいた。

 主にアイドルを題材に記事を書く彼にとって、〈アイドルアルティメイト〉は外せない今最も熱いネタであるのは当然で、それは周りの記者たちも同様だということは重々承知している。

 軽く見渡せば、自分のような年取った記者が多いように見える。意外だった。若いと言っても30代辺りのことを指すのだが、それ以上に50を過ぎたまさにおっさんと呼ばれるべき人間と、その若い世代が半々ぐらいだろうか。普通なら現場ではなくデスクの上で怒鳴り散らしているのが仕事な人間なのに、それが現場に出ている。

 彼らの気持ちはわかる。たぶん、自分と同じなのだ。

 若い子らには中々理解してもらえるとは思っていない。しかし、私と彼らに共通することがある。それは、私も彼らもかつて同じ体験をしているのだ。

 かつて日高舞が作り上げた伝説をこの目と耳、肌で目の当たりした。それから19年の時を経て、同じような体験を再びすることできる。つまりそれは、新しい伝説が生まれるということ。

 だからこうして普段からデスクの上だけで仕事をしているような者たちが、現場に出て仕事をしている。

 それは我々記者だけではなく、こうして会場に足を運んでいる観客の年齢層も高いのがわかっている。言うなれば、日高世代というべき彼女のファンがまだ大勢いるということだ。まあ彼らからすればもう二度と見ることも聴くこともないだろうと思っていたアイドルが復活となれば、こうなるなと気持ちも共感できていた。

 善澤はこの状況を直に感じて改めて思う。これをすべて彼が行ったなどとは、未だに信じられない。なによりも〈リン・ミンメイ〉は本当に存在しているのかとさえ。

 しかし現に彼女は存在している。先ほどもシェリル・ノームとライブし、勝った。これにより決勝戦は日高舞、〈リン・ミンメイ〉、四条貴音の三人に決定した。

 分かる者には周知の事実であるが、三人の内二人を彼がプロデュースしている。四条貴音に関しては過去形にはなるが些細なことで、二人だけにはとどまらずこの大会に参加している多くのアイドルに彼が何からしらで関わっていると思うと、彼の凄さが分かる。

 彼のことは昔から知っている一人だから言えるのだが私は、あの子はてっきり四条貴音を選ぶと思っていた。中村プロが解散し、961プロに移籍してそのあとフリーになってからも彼との交流は続いていて、その中でも順一朗達が765プロで本格的にアイドル活動をする際にプロデューサーとして過ごした日々が一番、あの子が生き生きとしていると善澤は感じていた。

 だからこそ、346プロに移籍したあともいつかは765プロに戻ってくるのではないか、そんな淡い期待もしていたりもした。

 ただ現実は違った。仲間同士で伝わってきた情報に彼が346プロを辞めて、〈リン・ミンメイ〉というアイドルをプロデュースしはじめ、さらに確定情報ではないもののアイドルアルティメイトが復活し同時に日高舞の現役復帰、それを彼が裏で手引きしたという情報が流れていた。現にそれは現実のもとなって、善澤はそれを素直に彼が行ったのだと認めた。

 順一朗達にはかなり前から話していなかったことがある。それはあの子の黒い噂だ。黒井と同等に彼に恐怖する者は大勢いて、同じくらい忌み嫌う者もたくさんいた。つまり力があるのだ。だから、あの子が裏で手を引いていたと聞いたとき、それを素直に受け入れた。

 だからといって、それが自分の彼に対する対応はなにも変わらないのは事実である。

 むしろ、この状況を作ってくれたことに感謝しているほどだ。

 どんな目的であの子がこの状況を作り出したのかはわからない。ここまでのことをしでかしたのだから、余程の執念があったに違いない。私利私欲ともいえるだろう。

 ただ結果はどうであれ、善澤はいまこの状況を楽しんでいる。仕事としてここに来てはいるものの、自分も一人のファンだ。サイリウムやかけ声をあげることはできないけれど、会場にいるファン達と同じ気持ちだ。

 これは最高の舞台だ。

 はたしてこの先にこれ以上のライブが見られるだろうか。いや、見られないだろう。自分の直感が告げている。なにより日高舞も年であるし、それは自分も同じでそろそろ潮時だ。

 ファンであると同時に私は記者だ。ゆえにペンを取る。この感動と熱気を文字におこし、大袈裟だか後世に残るような記事を書こう。

 将来このライブを知り、実際に見られなかったことを悔やむぐらいに。

 そして、〈リン・ミンメイ〉という存在がいたことを、伝えるために。

 

 

 

 

 

 都内にある小さなバーがある。そこは音無小鳥が月に数回ほどライブを披露しているところでもあり、順一朗達と黒井が和解してから彼らが一緒に時間を過ごす数少ない場所。

 バーでありながら今日はこの空間に不釣り合いなものがある。大きさにして43型の液晶テレビが置かれていて、店内にいる人間はその手に各々が頼んだ酒が入ったグラスを持って視線はテレビに向けられている。この店にとってそれは初めてのことではなく、オリンピックやワールドカップなど日本や世界中で盛り上がっているイベントには毎回テレビを出すだけではなく、普段はつまみ以外メニューにないがこのような日だけは料理を振る舞っている。

 そんな特別な日に順一朗、順二朗、そして黒井がカウンターの前に座っている。その手には他の客と同じように片手にロックグラスを持っている。

 かつては口論ばかりする三人ではあったがこの空間だけは違っていて、特に今日は彼らにとって特別な日。さらに酒が入っているのか、普段は口に出さないことまで出てしまう。

 

「あの日から、どれくらい経ったかな」

「ふん。ついに順一朗も老いたか」

「黒井も人のことは言えないだろう。昔より老けて見えるぞ」

「お前もな、順二朗」

「まあお互い、いい歳だからなあ。この場にいないあの子も、一人前になるぐらいだからね」

 

 順一朗はテレビの方へ向けて言う。まだ決勝戦は始まっておらず、司会とゲストとのフリートークが続いていた。

 

「小耳に挟んだが、色々と動いているようだな」

「耳が早い」

「自然とな」

 

 順二朗は順一朗に視線を送る。企業秘密とまではいかないが素直に話していい案件でもない。ただそれも黒井にはあまり意味のないことは二人にもわかっているのか、順一朗はうなずいて話し始めた。

 

「どこまで知ってるんだ?」

「ある場所にいち事務所が建てられるとは思えないものを建てている、とかか」

「お前には隠しても仕方がないしな。……新しいことに挑戦しようとはじめたんだ」

「新しいこと……?」

「既存の考えに囚われない、ある意味では、一つの到達点であり夢かもしれない」

「深くは聞かん。ただ、それにあいつを使うのが前提じゃないだろうな?」

「ま、まあ……それも視野には、入ってたな。な、順二朗」

「いやな? あの子にはぴったりだと思って……。ま、それは当面無理そうだがね」

 

 肩をすくめる二人に黒井は、ああ、と小さく相槌をうった。

 

「それにしても、詩花君も惜しかったねえ」

「それは嫌味か?」

 

 961プロ唯一の女性アイドルである詩花は本選で惜しくも敗退してしまったのに対し、765プロからソロ一人、ユニット3組が出場した内四条貴音が決勝戦に駒を進めたのだから、黒井の言い分は正しい。

 

「そういうわけじゃないさ。彼女だって正式にデビューしたのは去年からだろう? それで本選まで残ったのは凄いじゃないか」

「当たり前だ」

「さすが黒井の娘なだけある。知ってるか、順一朗。こいつはな、裏で色々と計画してたんだぞ!」

「ほぉ」

「順二朗、俺はお前に何かを言ったつもりはないが?」

「言わなくてもわかるさ。どうせお前のことだ。本当はあの子に詩歌君を任せるつもりでいたんだろう?」

「……知らん」

「付け足すと、ゆくゆくは事務所も継がせる気だったろ」

「あいつが言ったのか?」

「まあ、あの子とはなんだかんだ言って連絡は取りあってたからね」

 

 二人は彼がよく話題にしたのは黒井のことと自分のこと、あとは詩歌が可愛いとよく話していたのを今でも覚えいていた。そのことで順一朗はあることを思い出し黒井にたずねた。

 

「ところでその詩歌君は、あの子のことどう思ってるんだい?」

「なんだ。藪から棒に」

「ああ。それは私も気になってたな。幼い頃から好かれていたんだろ、お前以上に」

「うるさい。……まあ一時期向こうにいて、こっちに来るときは必ずと言っていいほど会ってた。連絡も個人的に取ってたらしい」

「で、本音は?」

「なにが」

「そんなの、決まってるじゃないか。なあ、順一朗?」

「その通り」

 

 同時にグラスをカウンターにトンっと置き、マスターにおかわりを頼む二人はにやついた顔で黒井の顔を見ている。先に口を出したのは順一朗だった。

 

「実際のところどうなんだ? 本当はあの子を詩花君とくっつけようとしてたんじゃないのか?」

「……あいつのような男は、他にいないからな。それに、どこぞの馬の骨に詩歌をくれるつもりはない。で、お前らはどうなんだ?」

「なんだ、気づいていたのか」

「それぐらいわかる。お前らはお前らで音無を応援していたのだろうが」

「その通りだよ」

 

 順二朗が両手を挙げた。

 

「これでもかなり小鳥君の背中を押したつもりだったんぞ? あの子がうち(765プロ)にきた一年は特に」

「その年は同時にかつてないライバルがいたがね」

「なんだ。お前らは気づいてなかったのか」

「なにをだい?」

「あいつは、音無を女として見てないぞ。本人に聞いたから間違いない」

「おぅ……」

「やっぱり、妹的な感じかい?」

「らしいな」

「近すぎるもいけないのかねえ」

「ただ、あれだな。音無が積極的だったら、違ったかもしれないがな」

「というと」

 

 順一朗が聞いた。

 

「あいつのファーストキスだけは、音無が奪ったからな」

「なんと!」

「それは本当かい⁉」

 

 音無の誕生日の日だけは余程のことがない限り休みをとってデート(建前上)しており、彼女の20歳の誕生日は成人したということもあって初めてお酒を振る舞った。案の定初めての飲酒なのでペースも分からず酔ってしまい、彼が彼女の家に送った時に酔っぱらった音無がキスをしたと、その翌日赤坂に問い詰められ本人が告白したらしい、と黒井は二人に語った。

 

「ということは、小鳥君はもちろん覚えてないと」

「悲しいかな。うん」

「その時初めて、音無を女として意識したとも言ってたな。いまではそれすら昔のことに感じる」

「となると。あの二人は相当特別な女性なんだろうな。あの子にとって」

「四条貴音と星井美希か」

「そう」

 

 彼らの半同棲生活を唯一知っていた順二朗は、最初は面白半分の気持ちでいたのだが、まさか彼が二人に対してそういう感情を抱いていたとは当時気づかないでいた。なにせ彼だからと勝手に思い込んでいたのが大きいのだろう。それとなく聞いていた順一朗も同じであった。

 

「今ならわかるかな。おの二人は女性の中では極上だ。男が求める欲求すら満たしている。けれどあの子は、それ以上に人間としての魅力に惹かれてたんだろうね」

「あの子が尻込みするぐらい、ぐいぐい迫ってたからなあ」

「どこにでもいる女とは付き合えないと、前から思ってはいたがな。現に最初に付き合った女とはなんで付き合ったかも自分でもわかっていないぐらいだった。あいつには、あれぐらいの女がちょうどいいんだ。まあ、二人なのは驚いたが」

「当時もまさか貴音君があんなに積極的な子だとは思わなかったよ」

「美希君はわかるがね」

「で。あいつは二人に手を出したのか?」

「それはないだろう」

「ないなあ」

 

 二人は一緒に答えると、だろうな、と黒井もそれを肯定した。

 

「だからこそ、あの二人が大事な存在だと言えるよ。お前は知らないが、ミンメイのプロデューサーが彼だと知ったときの貴音君といったら、見てられなかった」

 

 その時のことを順二朗は未だに覚えている。事務所で、赤羽根が苦しそうに伝えた直後、全身から力が抜けたようにその場に倒れたのを。

 

「さすがにあればかりは、私も我慢の限界だった。だが同時に思い出してしまったよ。あの子が、こうまでして果たしたいことがなんなのかを」

「私達は協会がアイドルアルティメイトの開催で気づいたんだが、お前はいつ頃から分かってたんだ?」

 

『気づく』ではなく、まるで知っていたかのように順二朗は訊いた。誰よりも身近にいたのは自分たちではなく、黒井なのは二人にも分かっていたからだ。

 

「……あの日。お前たちのもとを去って、俺に付いてきたときから、何か目的があるのは薄々とな。プロデューサーとして一人前になる、たしかにそれだけで道理がつく。俺も最初はそれで構わなかった。だが、あいつが独立したいと言い出しとき、それが見えた」

「それとは?」

「当時は分からなかったが今なら分かる。あいつは、夢を叶えようとしていた。誰もが持つ夢を」

「アイドルを見つけ、その子と一緒にトップアイドルを目指す。懐かしいな」

「そうだな」

「しかしそれも少し違うと、気づいた」

「違う? 何がだ?」

「それは日高舞が現役復帰すると知ったときだ。それで納得がいった。あいつは、俺達が果たせなかった夢も、叶えようとしているんだと」

 

 それを聞いて二人は黙った。

 彼らの夢、それは『音無小鳥をトップアイドルにする』という夢。けれど、それは叶うことはなかった。それが潰えたのは、日高舞の存在。黒井は言った。お前ならあいつに勝てる、時間はかかるがもう少しすれば、お前もあの場所に立てるんだと。

 

「俺達はバラバラになった。思いも、時間も、夢も。音無もアイドルじゃない。ならば、自分が見つけたアイドルで、トップアイドルを目指す。だがそれだけじゃだめだ。アイドルアルティメイト、そして日高舞、これらが揃ってあいつの夢が始まる」

「結局、私達があの子にそうさせてしまったのだな」

「どうだかな。結局のところ、日高舞が原因でもあるな。当時はあの女がしでかしたことは、大小なり忘れることのできない傷跡を残した」

「どちらにせよ、もう始まったことは止められんさ」

 

 順一朗の言葉に、二人もうなずいた。

 

「……今だから言うが。順一朗、お前には感謝している」

 

 いつものような言葉に棘があるような言い方ではなく、普段からは考えられないような優しい言葉で黒井は言う。

 

「突然どうした?」

「お前が、あいつを見つけて連れ来たことにだ。あいつがいなければ、こうして一緒にいることはなかっただろうし、今でも一人だったに違いない。だからこそ、あいつと過ごした日々は、悪くなかった。それだけは、感謝しているんだ」

「……それは私達も同じさ。なあ、順二朗」

「そうとも。私達では、うまくあの子を導くことはできなかった。お前だから、あの子はああして一人前になれた。だから、お互い様さ」

「そうだな」

 

 彼がいなかったら、こうして三人が揃うこともなく、他愛のない会話をしながら一緒に酒を飲むことすらなかったのだろう。もしかしたら、今より酷い関係だったのかもしれないし、今とは違うことをしていたかもしれない。あの子は、自分を育てたのは私達と言うだろう。だがあの子がいたからこそ、今の自分たちがある。誰ひとり、欠けてはいけないのだ。

 

「さて。辛気臭い雰囲気はおしまいだ」

「そろそろか」

「ああ。やっとだ」

 

 三人だけではなく、店内にいる全員がテレビに視線が向けれている。

 グラスを持って、順一朗がテレビへ向けて言った。

 

「さあ。見届けようじゃないか。私達の自慢の息子である、あの子の最後の仕事(プロデュース)を」

 

 

 

 

 

 シェリルとミンメイの勝敗を見届けた日高舞は、その時が来るのを待っていた。しかしそれも限界が近づいている。体が、本能が早くステージに立てと警笛を鳴らしている。

 現役復帰したといっても、ライブをしたのはほんの数回。アイドルアルティメイトのセレモニーを除けば、歌番組で一、二回歌った程度。

 これで満足しろというのが無理な話だ。

 私は飢えている。

 抑え込んでいた飢えがもう限界を迎えているのだ、今日は特に。

 先のライブバトルも歴史に残る一戦と言っても過言ではない、なによりシェリルとミンメイのライブはまさに見応えのあるライブ。シェリルは以前からも目をかけていた。いまのアイドルの中では、結構いい線いってるなと。もしも彼女が私の現役時代にどれほどよかっただろうか。よきライバルになってくれたかもしれない、そんな空想を抱いてしまう。

 ふと昔のことを思い出したのか、名前を忘れてしまったあの子のことを思い出す。

 その子を知ったのは、たぶん偶然だったはず。

 アイドルデビューする前はただ歌が好きなだけで、アイドルとかそういうのには無知で興味がなかった。そんな自分を彼が見つけ、アイドルとしてデビューするようになって視野が広がり、歌以外のことにも興味を示すようになった。アイドル活動をしていくにつれて、他に活動しているアイドルのことを知り同時に落胆してしまう。

 たぶん天狗になっていたのだ、私は。

 自身の力についてはっきりと認識していたがゆえに、他のアイドルはこうなのかと勝手に嘆いていた。当時では当たり前だったライブバトルで両者の力量がはっきりとわかってしまう。自分だけではなく見ているファンも。

 あの時代はまさに優勝劣敗という言葉をよく表していた。アイドルランクはまさに力の象徴そのもので、アイドルアルティメイトは力を魅せる祭典でもあり力を得る近道のようなもの。そしてその言葉通り、私は頂点に立った。

 たった一年で、この世界の頂点に立ってすでに自分と肩を並べることができるアイドルがいないということに気づいて、無性に飢えるようになった。

 そんな時だ。とある歌番組に出演した際に、その子を知った。私は一番最後で、その子はその前にライブをしていた。

 私はそれに魅入っていた。

 ああ、この子だ。この子なら、私の飢えを満たしてくれる。

 言葉では言い表せない、アイドルとしての直感が示してくれた。ただライブに夢中になっていたせいで、その子の名前も所属していた事務所の名前も耳に入らず、覚えているのは緑の髪をしたロングへアで、唇の下にあるホクロがやけに印象に残った。あとで彼からその子の名前も聞くことはできたのにそれをしなかったのは、彼女に興味がなくなってしまったから。

 あの子はこの世界から消えてしまった。ふらりと、他の子と同じように。

 そのまま彼女がいない二回目のアイドルアルティメイトに出場し、史上初の二連覇を果たして、私もこの世界から去った。

 なぜ今頃あの子のことを思い出したのだろうか。年はだいたい同じだから、たぶん私と一緒で結婚でもしてれば子供がいてもおかしくはない。まあ、会える機会なんてありはしないのだから、考えても無駄。けど、もし会えたのなら話がしたい。ふとそんなことを思ってしまった。

 今日まで、普通の日常を送っていた。アイドルとしてではなく、一児の母として。けど、愛が大きくなってしまえば、子育てに時間を割かれるのは減るしゆとりができる。それはそれで悪くなかった。でも、再びあの飢えが戻ってしまったのだ。

 その中で何度か動こうと思った時がある。

 それはシェリルでもあるし四条貴音でもあり、同時に『今さら……』だとか『こんなおばさんが』なんて脳裏にちらついて、結局なにもしてこなかった。

 それでも本気で立ち上がろうとしたのだ。たとえそれが、仕組まれたことであっても。

 真偽はどうであれ、あの男はこの日高舞を理解していたのかもしれない。苛立ちはあれど怒りもなく、むしろ感謝しているといってもいい。

 最高の環境、完璧な舞台、これ以上ない状態で私は復帰することができた。

 ただまあ、直接謝礼する気はない。

 なんだかんだで、なぜかムカつくから。

 どうやってあの男に一発食らわせてやればいいか舞が悩んでいると、扉が開き彼女のプロデューサーでもあり旦那がやってきてたずねる。

 

「舞ちゃん準備できた?」

「ええ、ばっちりよ」

 

 振り向いて答えると、彼の顔はどこか嬉しそうに見えた。

 

「あなた、なんでそんなに嬉しそうなのよ?」

「そりゃあ嬉しいに決まっているよ! 舞ちゃんがまたアイドルをやって、僕がまた君のプロデューサーになれた、これほど素晴らしいことはないよ」

「そういうものかしらねえ」

「そうさ。僕はなんてたって、アイドルをやってる舞ちゃんが一番好きだからね! でも……」

「ん?」

 

 彼はなぜか体をじっと観察するように見てくる。普段から毎日見ているくせに、なによりもっと深いところまで知っているのにだ。

 

「昔よりちょっと増えたよね」

「言うに事を欠いてあんたって人は……!」

「幼さはなくなって年相応に佳麗にはなったけど、やっぱり急場しのぎのトレーニングだとこれが限界か」

「こ、これでもカラオケでのどだけは鍛えたし……」

「声に関しては、舞ちゃん別にトレーニングしなくても常に維持できてたよね。体だけ鈍ってただけで」

「あなた、自分の妻をなんだと思ってるのよ……。そりゃあ、これでもまだ若さを保ってるわよ? でも……でもね、体力だけは限界があるのよ、だって私今年で3×歳……。ああ、自分で言ってて悲しいかな」

「……それでも、楽しいんだよね。今までで一番」

「うん!」

 

 満面の笑みで舞は応える。

 

「僕もさ。でも、今夜でアイドルの日高舞は、おしまいなんだね」

「前から言ったじゃない。むしろ、このタイミングで助かってるのよ。年のこともそうだし、なにより結婚して一児の母がアイドルって、さすがに無理があるでしょ? 愛のこともあるし」

 

 二人の子供であり同じくアイドルとして活動している愛は、今回の件については特にこれといって何も言ってこなかった。罵声の一つや二つは覚悟していたのだが、意外と平然として『え、別にいいんじゃない?』と言うぐらいだった。そもそも身近な母が元アイドルだったことすら気づかなかった子なのだ、ある意味図太い神経は遺伝しているようだ。

 

「じゃあやっぱり、タレントとして芸能界に残るの?」

「愛も大きなったし、さっきも言ったけどタイミングもいい。家にいるだけなのは退屈だしね。それに、あなたと近い場所にいられるんだから」

「それは嬉しいことさ。たとえアイドルじゃなくても、僕は君のプロデューサーであり続けるよ」

「ありがと、あなた」

 

 満面の笑みを浮かべるがすぐにそれは消えた。舞としても年甲斐もなく恥ずかしかったのだろう。彼女は無言で右手を出すと、彼は微笑しながら左手で握り、二人並んで控室を出る。

 昔はこんなことすら許されなかった。

 アイドルは神聖なものとして崇められているようなもので、恋人がいるとか、男と二人並んでいるところの写真を撮られれば炎上し、結果から言えばそれを自分で壊してしまった。同時に愛する彼の辛い生活が始まってしまったことでもある。

 皮肉なのは、そのおかげか今ではアイドルの恋愛は暗黙の了解となっている。夫婦だということもあるが、こうして手をつないで歩くことも堂々とできる。

 そんな時舞台裏向かう道中、彼が訊いてきた。

 

「で。勝てそう、あの二人に」

「もちろん! って、言いたいんだけど、私にも分かんないわ。あなたはどう思ってる?」

「君と同じだよ。ミンメイに関してはもうなんて言っていいかわからないし、四条貴音はまさに今のアイドル界におけるトップアイドルかもね。彼女に関しては、舞ちゃんにはないカリスマがあると思ってるけど」

「カリスマかぁ。あの子、本当に23歳なのかしら。正直信じられないんだけど、まあそれを言ったらミンメイもだけどね。彼女ぜっったいに若いわよ! 成人したてよ!」

「そこ、大事?」

「だってぇ……若い中で、一人だけおばさんなのって、辛くない?」

「舞ちゃんはいまでも可愛いよ」

「あ、ありがとう……」

 

 夫婦になっても彼は平気で恥ずかしいセリフを言ってくるのが長所であり短所でもある。むしろ、それに耐性がない自分に問題があるのは舞も自覚はしていた。

 そのあとなぜか会話が続かず、気づけば舞台裏の出入口付近にまで来ていた。そこで一旦足をとめ、彼がそっと握っていた手を離した。名残惜しいのか思わず声が漏れそうになったが、なんとか我慢した。

 

「さ、いよいよだ」

「……ふぅ。ねえ、昔みたいに言ってくれない? いつものあれ」

 

 かつてライブをやる前にいつも彼にかけてもらっていたあの言葉。何気ない、ごく普通の台詞だけど、私にはそれが何よりの活力になる。

 彼はふぅと息を吐いて昔のように私に向けて言う。

 

「行ってらっしゃい、舞ちゃん」

「しっかり見ててよね、プロデューサー!」

 

 先に舞が歩く。ここから先はアイドルの日高舞だ、けれど再びここを出るときは、もうアイドルの日高舞じゃない。

 思わず口角があがる。

 ならば見せてやろう、その胸に刻んであげよう、あんた達が言う伝説のアイドル日高舞の、最後のライブを。

 二度と見られないライブを。そのために、私はここにいるのだから。

 

 

 

 

 

 予想通り決勝に上がってきたのは〈リン・ミンメイ〉だった。相手はあのシェリル・ノームで、これまで何度か一緒に仕事をしたことがあるのではっきりと理解している、あの人は強い。アイドルとしても、一人の人間としても強い女性なのだと。そんな彼女とライブバトルをできなかったのは、正直に言って残念だと美希は密かに胸にしまっていた。

 ミキだってアイドルで、そのアイドル同士が歌で競い合うというのは慣れるものではないけれど、意外なのか自分より格上の、強者と戦いたいというのが本音だった。身近な人間をあげればまず真っ先に浮かぶのが貴音で、歌なら千早さん、ダンスなら真くんや響といった仲間がいる。だけど、こういう場でなければ仲間という先入観が邪魔をするし、なんというか学校のテストの点を競うような感じになってしまうので意味がない。

 アイドルアルティメイト――そういう意味では、とても意義のある存在だと思う。自身の力量がどれだけ通じるのか、どちらが多くのファンを振り向かせるか、勝つために闘争心が芽生えてそのために向上心も高められたのではないか。

 とどのつまり、昔の頃のアイドル時代のが性に合っているのではと、美希は考えていた。かつてはアイドルなど『つまらない』、『簡単』、『退屈』と口には出していなかったが日々毎日のように抱いていた。その頃ならば自分はきっとその反対の思考を抱き、もっと早くにアイドルに夢中になれたのではないか。

 そう。きっとそんなミキだったらあの人も……。

(……なに考えてるの)

 気が緩んできたのかナイーブになっている。

 そんなの自業自得だ、そう自分で貴音に言ったではないかと言い聞かせる。

 この道を選択したのは誰でもない自分。貴音を決勝まで連れていくと誓ったのも自分。

 そしてその目的である決勝までやってきた。この時点でミキたちの目的はほぼ達成しているようなもので、あとは貴音自身がやるだけ。そして、プロデューサーの星井美希も今日でおしまい。

 一年ではないけど、プロデューサーとしての生活は意外と楽しかったのは本当。アイドルの目線からしか見えていなかった世界が、プロデューサーという場所に立つことでより広い視野で世界を見ることができた。

 これが、あの人が見ていた世界。

 だからだろうか。

 あの人のように、赤羽根Pが前に言っていたように、『トップアイドルを目指す』なんて夢を抱くのは、自然に抱いてしまうものなんだと。

 けれどそれは簡単な道のりじゃない。自分には元々用意されていたのだ、アイドルも、事務所も、仕事を得るための手段も、細かく上げればキリがないが全部ミキにはあった。

 これを一から始めようとするのは並大抵の努力では不可能だし、きっと無理だと思う。自分がもしゼロから始めろって言われても、できない(あの人がいれば別の話だけど)。諦めるというよりも、夢という結果を最初は追い求めていたのが、気づけばそれが過程になって、別のモノが結果にすり替わってしまうのだ。口では大きく掲げても、心の奥底では無理だと理解しているのからだ。昔でいえば日高舞の存在であり、現在ならば〈リン・ミンメイ〉という存在がそうさせる。『Sランク』なんていうゴールがあっても、人はきっと現状で満足してしまう。『トップアイドル』=『Sランク』、その前に大きな壁、勝てないと理解しているならば、いまのままでいいじゃないか。それはけして悪いことじゃない。誰も非難はしないだろう。

 けどあの人は違った。

 数多く同じ夢を抱く人間の中で、彼だけは諦めていなかった。

 長い年月をかけて、その中ですごく苦しくて辛い目にもあっても、多くの人脈を作り、資金も手にし、アイドルを見つけ、最高の舞台を作り出して、さらには元凶ともいえるアイドルを再び連れ戻した。

 並大抵のことではない、最初はそう思ってた。

 でも違うんだ。きっとあの人は誰よりも努力家で、頑張り屋さんで……誰よりもきっと純粋で臆病な人。だからミキたちを巻き込みたくなかったんだと思う。たとえ傷つけても、大勢の人から憎まれても、夢を叶えるために一生懸命な人なんだ。

 でもね、貴音は泣いてるの。ミキもそう。

 たった一言。

 その一言を言ってくれれば、ミキたちはそれでよかった。でもあなたは、臆病だからそれができなかったんだよね。本当に優しい人。だから、ミキたちは……ううん、ミキは貴音を連れてきたよ、あなたの夢の舞台に。

 ミキは行きたかった、そこに立ちたかったけど、貴音に譲ってあげたの。だって、貴音はあなたが選んだアイドルから。ミキはそれを手放してしまったから。ミキの想いも、貴音が一緒に伝えてくれる。貴音が歌にミキたちの想いを籠めて、歌ってくれる。

 だからミキはね、それだけでいいの。

 さてと。感傷にひたるのはこれでおしまい。

 控室で待っている貴音を迎えにいかなくてはいけないのだ。歩みを早める美希の前に、重い足取りで歩く男性の背中を見つけた。

 

 

 

「赤羽根P? どうしたの?」

 

 美希の声に赤羽根は振り返る。背中だけではなく、顔もどこか重い表情をしていた。何かあったのかと思ったが、問題など起きるはずはないのだ。ここにいるのは彼と小鳥の二人で、仲間のみんなはチケットが取れた子だけはこの会場の一般席にいる。会長と社長が自分たちに気をつかってくれて、だから765プロの関係者でここにいるのは先の二人だけなのだ。

 

「美希か。いや、ちょっとな」

「ふーん」

 

 じっと彼を観察する。彼がここで問題など起こすはずもないし、起きるはずもない。なのにどうしてこんな辛い顔をしているのか。

 答えは、意外と簡単だった。

 

「もしかして、あの人に会ったの?」

「わかる、のか?」

「だって、それぐらいじゃなきゃそんな顔なんてしないの。あの人に、何か言ったの?」

 

 赤羽根は肯定した。

 

「偶然、ほんのたまたまなんだ。そこがミンメイの控室で、その扉の前に先輩が立ってて、目が合ってさ、俺思わず言っちゃったんだよ」

「うん」

「あなたは、アイドルを泣かせて何をやってるんだって。貴音は泣いてるんだ、それでもここまで来て、それなのにアンタは何をしてるんだ。自分のアイドルを泣かしてまで、アンタは何がしたいんだよって」

「……」

「もっと色々思うことがたくさんあったのに、その言葉が出た」

「それで、あの人はなんて?」

「……『もう少し、なんだ。もう少しで夢が叶うんだ。だから……頼むから、最後のライブが終わるまでは、邪魔をしないでくれ』そう言われたよ、いまの俺以上に辛い顔をしながら」

「そっか、うん」

「あんな顔をする先輩を初めて見て、だからなのかなにも言い返せなかった」

「でも、どうした赤羽根Pが辛そうだったの?」

「……わからなく、なったんだ。あの人と過ごしたのは短い時間だったけど、それとなく理解しているつもりだった。それが先輩のあんな顔をみたら、あの人は一体誰なんだろうって」

 

 赤羽根がそう思うのは仕方がないと美希は同情した。自分と貴音はあの人の本当の姿を知っている。強いところも弱いところも。彼が見たのは、あの人の本心で弱いところだ。他人に弱みを見せないあの人のそういう所を見た人間は、いまの赤羽根と同じ感情を抱くだろう。

 

「やっぱり、美希と貴音は気づいていたのか?」

「確信があったわけじゃないよ。色んな人から話を聞いて、ミキたちの知らないあの人を知って、それが決め手だといえばそうかもだけど、結論としてはあの人は変わってなんかいないってこと。赤羽根Pには、ちょっと理解できないかもしれないの」

「それは、うん」

「あのね。いまだから言うけど、ミキと貴音は誰よりもあの人と一緒に同じ時間を過ごしていたの」

「あれ、それって」

「そこは想像に任せるの」

 

 口に指を当てて意地悪そうな笑みを浮かべて美希は言う。

 

「一緒にいる中でたくさんのことを知ったの、あの人の癖や仕草に嫌いなこととか好きな食べ物だとか、可愛いところだってあるし怒ったりする姿も知った。でもね、本音というか弱い部分は見せてはくれなかったの、あの日までは」

「それで、ミキは貴音のためにプロデューサーになったのか?」

「まあ……そうかな」

「それはミンメイ……先輩と戦うためか? いや、戦うって表現は変かもしれないけど」

 

 赤羽根の問いに美希は首を横に振った。

 

「じゃあなんのために?」

「秘密なの」

「本当、美希たちには秘密がいっぱいだな」

「へへ、ごめんなの。じゃあ、もう行かなきゃいけないから」

「わかった。俺も小鳥さんと応援してるから」

「ありがとうなの」

 

 歩き出した美希は赤羽根の前を通り過ぎると、何かを思い出したのか、あっ、と声を出して振り向いた。

 

「赤羽根P」

「ん?」

「あの人のこと、嫌いにならないでほしいの。ちょっと難しいかもしれないけど」

「……嫌いになんてならないよ。ま、色々と思うところはあるけどさ。それでもあの人は、俺の先輩だから」

「ありがとう」

 

 心を込めて、もう一度伝えた。

 

 

 

 

 

「貴音、入るよ」

 

 控室の扉をあけてすぐに貴音の姿が目に入る。彼女は鏡と向き合うように座っていて、すでに決勝用の衣装に着替えていたのがわかる。それは後ろから見ても、アイドルの衣装と呼ぶには少し不釣り合いなもの。

 どちらかと言えばそれは演奏会ドレスあるいはパーティードレスのようなデザイン、色は彼女のイメージカラーである臙脂色を基本色としている。何度かライブで着ている〈トワイライトエタニティ〉の上位互換とでも呼べばいいだろうか。

 数多くのアイドルが着る衣装を見てきたが、彼女のようなましてアイドルが着るには少し上品すぎるとはっきりとわかる。率直に言えばアイドルではない。

 それもそうだ。

 なにせ、このあとに立つ彼女はアイドルとしての四条貴音ではないからだ。

 

「準備できた?」

「はい。あとはこれだけです」

 

 そう言って取り出したのは化粧箱。箱をあけるとそこには美しく輝くムーンストーンが嵌められたペンダントがある。あの人が貴音の誕生日に贈り、それを知った自分にも同じく誕生日に贈ってもらったもの。

 

「ミキがつけてもいい?」

「はい。お願いします」

 

 優しく手に持ち貴音の首に着ける。鏡に目を向ける。うん、似合ってる。今からパーティーにいくには最適だろう。

 けど、これから向かうのはステージだ。舞踏会といえばあながち間違いではないかもしれない。

 膝を曲げて貴音の顔と並ぶように一緒に鏡に映る彼女を見て美希は言った。

 

「綺麗だよ、貴音」

「美希にそう言ってもらえるなら、とても名誉なことですね」

「ほんと。お姫様みたいなの」

「ふふ。そうですね」

 

 会話が続かない。いや、多くのことを語る必要がないからだ。互いに何を思い、何を考えているかなんて言わなくてもわかる。一つの目的のためにここまで一緒にやってきて、それももうすぐ終わりが近づいている、なので語ることは少ない。

 ただこれだけは、どうしても口にだしてしまう。

 

「やっと、ここまで来たね」

「はい」

 

 美希は後ろから貴音を抱きしめ、彼女も美希の手にそっと触れた。

 

「これが終わったら、いっぱい甘えて、いっぱい困らせてあげなきゃなの」

「そうですね。失った時間をたくさん埋めてもらわなくてはなりません」

「やりたいこといっぱいあったんだもん」

「できないことも多くありました」

「今年の誕生日プレゼント、ミキもらってないの」

「そういえば、わたくしもです」

「……貴音も、ミキも、がんばったよね?」

 

 ついに本音が漏れてしまう。いままで抑えていた感情がどこから押し寄せてくる。

 

「もちろんです。美希はわたくしのために尽くしてくれました。あなたがいなければ、わたくしは立ち上がることすらしなかった。だから、ありがとう、美希。あなたは、わたくしの最高の友です」

「えへへ。響が聞いたら嫉妬しちゃうね」

「響にはあとで構ってあげなくてはなりませんから」

「うん」

 

 貴音から離れて美希は涙を拭いた。貴音も椅子から立ちがあると、彼女と向き合うように立ち訊いてきた。

 

「美希。一つ、訊いてもよろしいでしょうか」

「なに?」

「あなたがあの方のことをそう呼ばなくなったのは、一つのけじめでしょうか?」

「……たぶん、そうかな」

 

 あの日以来、彼のことを『ハニー』とは呼ばなくなった。深い理由があるわけじゃないし、まあ貴音の言うように、これはたしかにケジメと言える。いまの彼はミキたちの知る彼ではない、そこまで言う訳ではないが言葉にするのは中々表現が難しい。ただ、この一連の騒動が終わるまでは『ハニー』と口に出すのはやめようと思ったのはたしかだ。

 

「最初はね、持たないかなって思ってたの。でも案外、これと一緒でうまく演じられたって思ってる」

 

 美希はかけていた伊達メガネを外しながら、どこか影のある表情をして言う。

 

「プロデューサーになるって決めた時も、まずは形から入ろうって。だからメガネをかけて、髪をしばって、スーツも着て、自分でも驚くぐらいに役にハマってた」

「ええ。赤羽根Pよりも、威風堂々とした出で立ちでしたよ」

「本人がいないからって辛辣なの。まあでも、楽しかったよ。世界が広がった感じがして、アイドル以外の道もあるんだなって」

「人には、多くの可能性があります、けして道は一つではありません。ですがわたくしは、アイドルをやっている美希が一番好きですよ」

「ありがとうなの。貴音の言うように、ミキはやっぱりアイドルがいいの。今回のことが片付いたら、ちょっと休んでアイドル復帰なの」

 

 キラキラしたい、そのためにアイドルを目指して頑張ってきた。あの人が言った言葉を信じて。

 

「はい、そうですね」

「……貴音は、どうするの?」

「どうするとは?」

「ま、あえて聞かないであげるの。けど、一日経ったらミキの番だから」

「はて、何の話でしょうか?」

「とぼけちゃって。さて、お喋りはここまでにして、いきますか」

「はい。では、エスコートをお願いできますか?」

 

 手を差し出す貴音。美希は頭を下げ、その手を取った。

 

「喜んで、お姫様」

 

 

 

 

 

 決勝戦がもう間もなく始まる舞台裏は、かつてない張り詰めた空気を漂わせている。ステージへと向かう入り口の前には、四条貴音と日高舞が並んで立っていて、その後ろにはステージスタッフが一名待機している。彼女達だけではなく、多くのスタッフや関係者、美希に舞のプロデューサーである彼も貴音と舞の背中を見守っている。その中には赤羽根や小鳥も貴音を見守るために訪れていて、すでに敗退した卯月やシェリルも足を運び、全員が三人目の主役を待っていた。

 準決勝とは違う空気に慣れない者は唾を飲み込んでは平静を装い、余裕のある者たちは平然としている。誰一人言葉を漏らさない。隣に立つ貴音と舞も互いの顔を見合わせることすらせず、その時を待っている。

 ステージではまだ司会者やゲストたちによるトークが続いており、彼らからすればまだかと言う気分だろう。彼らの焦燥は舞台裏まで伝わっているのだが、彼らよりも貴音と舞の雰囲気……オーラによってかき消されているためか、いまにも一触即発しそうな二人に震えている。

 そして主役は最後に登場と言わんばかりに、二人が舞台裏へとやってきた。ミンメイとプロデューサーの二人は並んで歩いてくる。二人の登場に貴音と舞を除く人間らの視線が向けられ、美希らも一度は目を二人に向けてはすぐに元に戻していく。

 ミンメイが一歩前へ出て、彼と向き合いワザとらしく言った。

 

「それじゃ、勝ってくる」

「当然だ」

 

 彼もまた発破をかけるように言う。二人のたった二言だけで周りがざわめく。

 プロデューサーはそのままモニターが見える壁際まで歩くと壁に背中を預けた。ミンメイは貴音と舞が立つ場所まで歩き、その気などないように告げる。

 

「遅れて申し訳ございません。私、歩くのが遅いので」

「別に。気にしてないわ」

「わたくしもです。なので、お気になさらずに」

「それはありがとうございます」

 

 近くにいたスタッフがそのやり取りを聞くと、内心すぐに逃げ出した気分に陥るがなんとか自分の仕事をこなす。司会にアイドル三名が揃ったことを伝え、ステージに立つ司会から視線が向けられるとサムズアップをして答える。

 司会の男は小さく深呼吸をして高らかに宣言する。

 

『さあ、皆様! 長らくお待たせいたしました! これより、アイドルアルティメイト決勝戦を開始いたします! それでは、アイドルの登場です!』

 

 

 

 

 

「まずは銀色の王女四条貴音!」

 

 ステージ端から貴音が登場すると大きな歓声が飛び交う。サイリウムも彼女の色で統一されている。

 

 「続いて、期待の新星リン・ミンメイ!」

 

 ミンメイの登場に先程と同等とかそれ以上の歓声が会場に響き渡る。サイリウムの色が一瞬にして切り替わり、その色は白。

 

「最後に復活した生ける伝説、日高舞!」

 

 それは歓声ではなく、雄たけびのようであった。特に声を上げているのが30代以上のファン達。いったいどこからその声量を出しているのだろうかと言わんばかり。

 ステージ中央に三人が並ぶ。左から貴音、ミンメイ、舞の順。

 

「さて、さっそくライブといきたいところなのですが、まずは順番を決めていただきたいと思いますが……」

「じゃあ、私一番で」

 

 沈黙を破ったのは舞で、残りの二人は特にこれといった反応はせず、続くようにミンメイが言う。

 

「なら、私は二番で」

「となると、貴音さんが三番手になりますが」

「わたくしはそれで構いません」

「わかりました! では、一番日高舞! 二番リン・ミンメイ! 三番四条貴音の順で進行させていただきます! では、お二人は出番来るまで後ろで待機をお願いします」

 

 貴音とミンメイが舞台裏へと戻り、残された舞がステージ中央で構える。

 

「では、アイドルアルティメイト決勝戦! 一番手日高舞さんです、どうぞ!」

 

 司会が告げ即座にその場から離れる。ステージ上の照明が落とされ、舞だけを照らしている。

 

「色々と言いたいことはたくさんある。けど、多くは語らないわ。アイドルとして最後の新曲〈RESURRECTION〉さあ、付いてきなさい!』

 

 

 

 

 

 これを含めて、日高舞のライブを生で見るのは三回目になる。それ以外はテレビ越しのライブで、一度目のライブは小鳥ちゃんが出演した歌番組の時。二度目は本大会のオープニングセレモニー。

 彼女が引退してから約19年経ったいま、改めて思い知らされる。

 この女は化け物だと。

 幼さは消え、一人前の大人として復活した彼女にはどうやらブランクなんて言葉はないらしい。アイドルアルティメイトのセレモニーでライブを披露した際も声の張りや声量は変わらないし、衰えを感じさせないまま見事セレモニーを歌い切った。ライブを行ったのはその一回のみで、あとは取材や番組出演のみ、その間にトレーニングを積んだのだろうと推測はできるが、それでも彼女は規格外だとわかる。唯一衰えていると分かったのは、少し動きが鈍いということで、体力だけは落ちたらしい。プロのスポーツ選手ですら何もしなければ体力は落ち、能力も下がるのは明白だが彼女の場合は体力だけで済んでいる。というもよりも、そこだけは人間らしく衰えている。

 曲名もそのまま『復活』ときている。それはこれからも、表舞台で活動していくという表明でもあると、彼は思った。

 言えた義理ではないが、日高舞を連れ戻したのは自分だ。そんな彼女がアイドルとして復活して、今後も活動できるかと言えば無理だ。隠れて交際しているアイドルはいても、結婚してまでアイドル活動をしている子なんていない。まして一児の母で、その子供もアイドルなのだ。きっとこのあとはタレントとして活動をしていくのだろう。そのあとは、別段興味もない。

 俺にとって、興味があるのはアイドルの日高舞。それだけなのだ。

 彼女からすれば、この感情は自分の一方的なものでしかない。勝手に怒り、身勝手な憎悪を抱いた。本当にいい迷惑だろう。

 だが……だけど、それを抑えることはできなかった。大人になったいまでさえも、青年だったころの自分の感情をコントロールできなかった甘さがいまでも続いてしまっている。

 そう。これは一方的で、身勝手なのだ。

 アンタがいなければ、俺達はずっと一緒にいられた。

 アンタがアイドルにならなければ、小鳥ちゃんがアイドルをやめることなんてなかった。

 正しい怒りだと、俺にはその権利があると声をあげたい。俺だけじゃないだろう、アンタのせいで消えたアイドルは、人間はけして少なくない。

 日高舞は時代を作り、壊した。

 アンタにはその責任がある。いやあったのに勝手に放棄して、消えた。

 なら俺も、アンタを同じ目に遭わせてやろうと思った。アンタを超えるようなアイドルを見つけ、育てて競い合わせてやろうと。

 その所為で、俺は歪んだ。自分で自分の夢を穢した。

 自業自得、自意識過剰だと人は言うだろう。

 それでも構わない。

 アンタを負かせれば、それでよかった。

 そのための準備に19年かかったよ。子供が生まれて、大人の一歩手間になるまでの時間を。それに後悔はない。この19年は俺にとって、無駄ではなかったよ。少し前なら人生の選択を間違えた、時間の無駄だった、青春を捧げたと罵声を吐いた。

 けどな、いまはそうじゃないんだ。その19年があったから今の自分がいるんだって。多くのことを学び、多く人と出会い、友と呼べるやつもできた。運命とも呼ぶべきアイドルにも出会えた。

 そして――愛しいと思える、大切な存在もできた。

 それでもそれを捨ててここに立っている。目の前にいるアンタと戦うために。

 この日をどれだけ夢に見たか。

 これは、なんと表現したらいいのだろう。

 達成感? それとも愉悦?

 だがどうしてだろうか。こんなにも嬉しく、喜びに満ち溢れているというのに罪悪感を感じるのは、あるいは心のどこかでは本当に満足していない?

 わからない……苦しい。その何かに押しつぶされてしまう。

 頭を振ってリセットする。

 ライブは終盤に差し掛かっている。

 ステージの上で踊る彼女のダンスは激しく、目が釘付けになる。

 やはり日高舞のライブは力強い。自分が何をしたいかがハッキリと伝わってくる。これを王者の風格とでも呼べいいのだろうか。

 昔はまだ年相応の幼さに可愛らしさがあって、いまはその逆で大人の凛とした風貌、可愛さとかっこよさの両方を兼ね備えている。私情を除いても、彼女のライブは惹かれ、魅了される。この感覚は直に感じないとわからないものだ。

 多くのファンに夢や希望を届けたアンタが孤独になったのも、少しはわかる気がする。ただのアイドルならそれでよかったんだろうが、アンタは違った。より高みへ、自分を奮い立たせる強者を求めた。だから去った。自分と肩を並べるアイドルがいないから。

 だがな日高舞。

 俺は、見つけたぞ。そして連れてきた。お前を超えるアイドルを。

 今の時代を終わらせ、新しい時代を作るアイドルを。

 なによりも、俺の夢を叶えるために。それでやっと、アンタとの関係を断つことができる。

 遠くで、会場に歓声があがる。

 どうやら、日高舞のライブは終わったようだ。

 

 

 

 

 

「以上、日高舞さんでした! 舞さん! いやー、ほんと、なんて言葉にしたらいいのか」

「ふぅ……。まあ、言葉は不要ね。言葉にしなくてもわかるもんだから。あと、もうちょっとだけいいかしら?」

「ええ」

「みんなー! 私のライブ、どうだったー⁉」

『いぇええええええ!!』

 

 彼女の問いにその声で答える。

 

「ありがとーー!! さて。みんなも気づいていると思うけど、私のアイドル活動はこれでおしまい! 昔、勝手に辞めてまた帰ってきて、図々しい女だけど! これからは、新しい日高舞の応援よろしくーー!!」

 

 再びの歓声。舞は後ろに下がり、司会に呼ばれてミンメイがステージ中央に。すぐには始めず、まず一言尋ねた。

 

「僅か一年足らずでこの舞台に上がってこられましたが、いまどんなお気持ちですか?」

「特にはありません。私はただ、歌うだけですから」

「本当に新人とは思えないほど落ち着いていますね……。では、歌っていただきましょう!」

「今から歌うのは、今日出た新曲〈愛・おぼえていますか〉です」

 

 照明が暗くなり、曲がはじまる。

 遂に、伝説がはじまる。

 

 

 

 

 

 ミンメイに関して語ることは、もう多くはない。

 彼女については、ファンたちがみなそれぞれ理解していると思う。説明するのはなんとも難しいし、言葉でうまく表現できないのだ。あの子ならばどんな曲だって歌ってみせるし、ダンスだってこなしてしまう。

 言い換えれば、誰もが求めるものを体現できるということでもある。これだから言葉では信じてはもらえないと、すぐに思ってしまう要因でもある。

 しかし。モニターに映る彼女は、いまどんな気持ちで歌っているのだろう。彼女の頭の中は本当に読めない。

 いま歌っている曲は一応ラブソングの分類される。しかしその当人に恋愛経験があるのかと言えば、本当の恋はしたことがないと言う。それなのに表情はその歌詞のような表現で歌っているのだから、器用な子だ。そもそも恋をしたことがない子に、こんな素晴らしい歌詞は書けないだろう。

 いままでの曲のほとんどが飯島命自らが作詞作曲したものだ。もちろん名義は変えてある。そんな時、とある作詞作曲家の夫妻がやってきて『彼女の曲を書かせてほしい』と頼まれた。最初は断ろうかと思ったが、すでにサンプルまで作ってきたらしくそれを聞いて考えを改めた『ああ、この二人に任せれば最高の曲が出来上がるなと』。

 CD発売も今日であるものの、大方は予約分で終わってしまっていると連絡がきていた。今後二度とミンメイのCDは出ないし、アルバムという形で出すこともない。これで最後。DL版はさすがに販売停止にはしないが、CDほどの価値はないだろう。所詮はデータだ。別に円盤にプレミアを付ける気はない。ただ、〈リン・ミンメイ〉という存在を強く残したいからなのだと思う。

 〈リン・ミンメイ〉

 今まさしくあのステージにいるのは、彼女だろう。俺が望んだアイドル(偶像)。

 そこに派手さはなく、ただ小さな動きではあるが華麗なダンスを踊り、揺れる髪でさえも小さな光を放っているかのように、一つ一つの動きに無駄はなく繊細で、おそらく誰よりも聴いてきたであろう彼女の歌声はとても心地よく、耳を委ねるだけで幸せになれる。

 これが俺の求めたアイドル。

 彼女こそが、日高舞を超える存在。

 もう二度と現れることはない夢幻。

 俺には、わかる。

 今まで積み上げてきたものが崩れる音が、新しく時代が生まれる息吹が。

 かつて日高舞がしてきたこと同じ感覚。

 俺とお前が壊して、創っているんだよな。

 なあ、命。

 絶対に口にはしないけど、俺はお前に感謝しているよ。これは本当だ。口にしたらお前は何かとつけて構ってくるから、絶対に口にはしないぞ。二回も口に出さず言った。

 お前とは一年ぐらいの付き合いだっていうのに、どこかずっと傍にいるような感覚に陥る時があるんだ。いけ好かない小娘のくせして、人のことは何でもお見通しで、一言で言えばウザい奴。道具としか見ていなかったのに、それだって分かっているのにお前は何も変わらなかった。何一つ偽らず俺に接していた。俺はどこかでお前のその行動を求めていた、あるいは救われていたのかもしれない。彼は思い出す。鬱陶しいと目障りだと口にしても、彼女にはそれが自分にとって必要なことだとわかっていたのかもれしれない。

 ほんと、最後までお前のことがわからなかったよ。

 命、いまお前はどんな気持ちで歌っているんだ? 楽しいか? それとも、いつもと同じようにやるべきことをこなしているだけなのか?

 彼女だけは、本当に何を考えているのかすらわからない。けれど変わらないものがある、それはいまでも俺の夢を叶える。それだけは、たしかだと思う。

 そして――ミンメイの歌が、終わった。

 先程の日高舞以上の歓声が会場に響き渡る中、ミンメイは後ろへと下がっていく。

 最後。次で、最後だ。

 そのアイドルは四条貴音。

 自分から手放したアイドルが、彼女らと同じ夢が叶おうとしているその舞台に、貴音は立っていた。

 

 

 

 

 

 

『四条に生まれたからには、お前はいずれ民を統べることになる。そのためにお前は常に頂点に立たなければならない。わかるな、貴音』

 幼い日。お父様がわたくしを抱きかかえながら、言ったその言葉が何を意味しているのかさえわからないでいた。

 民を統べるなどと言われても、子供のわたくしには何を言っているのかはわかるはずもない。民とは親しき隣人のように思っていた。みんな、わたくしを見れば笑顔で接してくれた。みんな優しい、温かい人達。大切な家族のような存在。

 子供の頃のわたくしはそれだけで十分で、それ以上の理由はいらなかったし、必要ではなかった。

 お父様は厳しくどちらかというと、古いタイプの人間だった。でも、誰も怖いと恐ろしいとは言わなかった。わたくしもそうであり、同時に優しい父親だった。

 だから、わたくしはいつものように『はい、お父様!』当たり前のようにそう返した。

 けどそれ以上に印象に残っているのは、その後ろで見ていたお母様の表情が忘れられずにいた。

 なんで悲しい顔をしているのだろう? なんでいまにも泣きそうなの?

 口に出す前にお母様はスッと表情を変えて優しくわたくしを抱きしめた。

 昔は分からなった答えが、今ならわかるような気がする。

 きっとお母様は、わたくしに背負わせてしまうことを悲しんでいたのだ。貴族として、四条としての役目を。けれどわたくしは後悔やまして恨んでなどはいません。むしろ、感謝しているんですよ。

 だって、あの方に出会うことができたのですから。

 

「アイドルアルティメイト決勝戦! その最後を飾るのは銀色の王女四条貴音さんです! 貴音さん、どうぞ前に」

 

 司会の男が盛大な前振りを言いながら呼ぶのでゆっくりと前へ歩く。多くの視線が自分に向けられているのを貴音はたしかに感じ取っている。ステージの両端にいるゲストの、会場にいる多くのファン。数台のカメラのレンズでさえ、彼女にはその奥にいる人達のことも。

 貴音の底知れぬ雰囲気を感じ取ったのか、隣立っていた彼はすっとその場を離れる。彼女はゆっくりとマイクを口に近づけて、告げた。

 

「……わたくしはいまアイドルとしてではなく、一人の女としてこの場所に立っています。そしてこの歌を、想いをあなた様に届けます。聴いてください――〈風花〉」

 

 

 

 

 

 四条貴音には使命があった。この地に降りたのも、その使命を果たすため。頂点をとる、それは至って“しんぷる”で困難なものだった。

 地球の文化、特に故郷と呼べる日本で生活をしながらこの時代の文化を学びつつ、使命を果たさなければならないのである。虎穴に入らずんば虎子を得ず、という言葉があるようにまずはここの生活に慣れることからはじめた。普段から爺やに婆や、他の使用人達の手を借りてやっていたことを、いまから自分一人の力で生きていけなければならないのは、最初は不安だったがすぐに適応した。これも二人の教育の賜物、心から感謝をした。

 地球の文化は故郷に比べれば、少し劣っているのは知識では知っていたが、実際にそれを目にすれば街自体が博物館のようだと錯覚さえした。どれも最初は新鮮で、外を歩くだけで楽しかった。しかしそれだけでは使命を果たせないし、なにより一つの問題が浮上した。

 それはお金である。

 当面の貯金と生活拠点はあらかじめ用意されたもので、これからは一人で自給自足の生活をしななければならないのだ。これも四条としてできなくてはならないこと。

 問題はどうするか。仕事に就くにしても、はたしてそれで使命を果たせるのか。大きな壁にぶつかったころ、それは突然舞い込んできた。

 高木順一朗。後の765プロの会長に出会ったからだ。

 “あいどる”それは娯楽の少ない故郷でも話題になっているのは知っていた。といっても、自分の知識は歌って踊るぐらいのもので、実際になにをするかはこの時はまだ知らなかった。

 スカウトされてからの数か月は、まあレッスンをしているだけの日々が続く。その中で律子はアイドルを辞めて、プロデューサーなるものを目指すと言っていた。

 たぶん、この頃は少し上の空だったかもしれない。退屈ではないがかといって充実した日々というわけでもない。心の中の不安がまだ拭いきれていないのが原因のは、誰よりも自身が自覚していた。それでも年の近い仲間ができたことは一番嬉しかった。

 そんなある日の日曜日。小鳥から事務所に来てほしいと言われてわたくしは足を運び、出会ったのです。

 そう、あなた様に――

 たった少しの会話。その中で彼は訊いた『やりたいことはあるかと』その質問に、わたくしは同じく質問で返した。いままで多くその単語を耳にしたものの、理解できなかった“とっぷアイドル”という言葉を。彼の答えを聞く中で、わたくしの心に火がついたような気がした。使命を果たすにはアイドルがもっとも近道だと思ってアイドルになった。けど、それは本当にできるのかという不安が募り始め、だがそこにこの方が現れたことで変わった。

 自慢できるほどのものでないが人を見る目はあるつもりでした。わたくしの眼は、彼からただならぬ“おーら”を感じ取った。この殿方は他の者とは違う。この人ならば、わたくしの使命を果たせるところまで導いてくれるのではないかと、何かが囁く。

 そしてわたくしは、彼の差し出した手を取ったのだ。

 よくよく思えば、お父様と爺やを除けば殿方と初めて触れ合ったことに気づいた。

 後に先にも、一人の殿方に釘付けになったのはあなた様だけなのですよ?

 それからデビューするまでは本当に大変でしたね。あなた様はとても意地悪な方でした。人の限界を把握すると、それをうまく調整してレッスンをさせるのですから。これでも体力はある方だと自負しておりましたものの、真や響を見てしまえば自分の体力など恥ずかしくてなりませんでした。

 時間が許す限り二人だけの時間を一緒に過ごしました。この頃が一番目的のために一緒に頑張っていた時期かもしれませんね。

 そして見習いでもなく、候補生でもないちゃんとしたアイドル四条貴音がデビューし、たぶんそこからでしょうか。あなた様を意識しはじめたのは。

 この頃に感じていた彼の印象としては、ただ優秀な方というのが真っ先に浮かび上がっていた。あとは不愛想で、けど時折見せる笑顔が可愛らしい方だなと。なによりも、常に一緒に時間を過ごすのが彼というのが一番の要因。

 気づけば社長から彼の住む場所を聞き出し、隣に引っ越しをしたのだから、我ながら行動が早い女だと思う。ただ当人はとても困っている様子だったのは面白かった。

 それからの日々は毎日が楽しみで仕方がなかった。朝起きてあの人の部屋にいって、朝食を作って、一緒に食べたあと仕事にいく。恋人を通り越して夫婦の関係のようで内心酔いしれていた。

 誰にも邪魔されない空間、二人だけの時間。これにまさる甘美はありません。

 その年の夏、初めて地球の海にも行きましたね。すでに名が知れ渡ってしまったお前は泳げないと、わたくしはそれに駄々をこねました。しかし諦めの悪いわたくし、夜に泳げばいいという名案を思い付き、あなた様もそれを許してくれましたね。月明かりだけが照らす海辺で、初めて一人の殿方に見せる水着。あなた様は気づいていないかもしれませんが、あの時のわたくしはとても緊張していたのです。

 この日、わたくしはあなた様に告げました。自分の使命を、そのためにアイドルになったのだと。それに応えるようにわたくしに教えてくれましたね。今思えば、この時にあなた様の本音というものを目の当たりにしたのかもしれません。

 そして、あなた様がわたくしに言ってくれた言葉は、いまでも心に刻まれています。あれほど、嬉しいと思ったことはありません。いつも大事な答えをはぐらかすあなた様が、唯一本音を晒けだしてくれた想い。

 わたくしは感じたのです。ああ、あなた様も同じ気持ちなのですね、と。それが嬉しくて、嬉しくて……けど、二人だけの時間も突然に終わってしまいました。

 それもあなた様の所為です。

 あなた様はいい男ですからね。無意識に善意を振る舞って、女性を勘違いさせてしまう罪深い人。

 でも、美希だけは全面的にあなた様が悪いのです。

 ええ怒ってないですよ。いまは。

 彼女が増えてからの日々はなんだかんだ言って、楽しかったです。それはあなた様もそう思っているはず。我儘な美希に振り回されるあなた様。それに対抗心を燃やして構ってほしいわたくし。文句を垂れながらも、わたくし達に付き合ってくれるあなた様はとても楽しそうでした。それがあなた様の素顔なのだと気づきました。

 765プロを去り、346プロに行った時も二人で色々とあの手この手を考えたものです。簡単な変装で346プロに赴いたときのあなた様の顔と言ったら、それはもう可愛くて可愛くて。写真に撮りたいと思ったほどなのですから。

 ……あなた様。美希は、あの子は、わたくしの大事な親友です、あるいは恋のライバルとも。彼女がいなければわたくしはここに立っていることすらしていないでしょう。

 むしろ、あなた様はそれを望んでいたのかもしれません。

 そんなあなた様の想いに、本当は気づいてたのかもしれません。昨年の10月辺りからあなた様の様子が変だと。元気に満ち溢れているときもあるのに、どこか苦しそうな面影。わたくしはそれを尋ねようとしたのにできませんでした。

 怖かったのです。訊けばいまの生活が壊れてしまいそうな、あなた様に迷惑をかけてしまいそうで。

 でも結局答えは変わらなかった。

 あなた様に邪魔だと言われたのは意外と心にきて、先のこともあってどんどん考えることが悪い方向に向き、そしてミンメイのプロデューサーがあなた様と知ってたとき。わたくしは生まれて初めて、自分が壊れたのを自覚しました。意外と弱い女なのですよ、わたくしは。

 目の前の現実を受け入れられず壊れたわたくしは、ただ過去の思い出に縋ることしかできませんでした。

 気力などないに等しく、このまま朽ち果てればいいと、もっと酷い状態になればあなた様が帰ってきてくれるのだと。この時のわたくしは、文字通り死んでいました。

 ですが、美希が言うのです。泣いているだけの女じゃないでしょって。美希がわたくしをここまで連れてきてくれました。あなた様が最初に美希を選ぼうとしたのも、身を以て痛感することができました。

 そんな彼女の支えがあって、わたくしはここまで来ましたよ。あなた様が夢見た場所に。

 あなた様を知る多くの人達と話をしました。あなた様の知らない過去を知り、あなた様がやろうとしていること、即ち夢を叶えようとしていることはわかっても、その核心までわかりません。なぜ〈リン・ミンメイ〉なのか。どうしてわたくし達を捨てたのか。後者に関してはきっと巻き込みたくなかったからなのでしょう。

 それでも、あなた様の口から言ってほしかったのです。

 何をとは言いません。

 ただ悔しいのです。こうまであなた様を苦しめたのはわたくし達の存在。それさえいなければもっとあなた様は気楽で苦しみを感じることなどなかったのだと。だからその苦しみを和らげてあげたかった、共に背負いたかった。結局あなた様は一人で背負ってしまった。

 本当にあなた様は優しい人なのですね。

 だからこそ、プロデューサーとは関係なくアイドルのためにどんな事でもする覚悟を持っている。共に悲しむ心があるお人なのです。

 わたくしも美希も、今までのことを怒ってないと言えば嘘になります。ですがそれ以上に、あなた様が大切です。そのためにここまで来ました。

 アイドルの頂点を決めるこの場所は、皮肉なことにわたくしの使命を果たす場所でもあります。でも、いまのわたくしには勝利などどうでもいい。

 アイドルアルティメイト決勝戦のステージ、日高舞と〈リン・ミンメイ〉が立つこの場所に立ち、あなた様にこの想いを届けることの方が勝利よりも大事。

 聞こえますか? 聴いていますか? しっかしその目でわたくしを見ておりますか?

 これが四条貴音です。アイドルでも、四条家の女でもありません。

 ここに立つは一人の女。どうしようもなく面倒な男に惚れた女がここにいるのです。

 ……わたくしを見てください。いつものように名前を呼んでください。

 あなた様のことを思うだけで胸がいっぱいになります。

 いますぐ歌など止めて、マイクを思いっきり握りしめて伝えたい。

 でもいまは止めておきます。

 この気持ちを、わたくしの想いを告げるのはあなた様と二人きりのとき。

 けど我慢できないから、言っちゃいます。

 愛しております。

 誰でもない、あなた様を心から。

 これが終わったら、あなた様に会いにゆきます。

 逃げますか? それともまた誤魔化しますか?

 それもいいでしょう。ならわたくしは何度でも追いかけます。何度でも同じ問いかけをします。

 ねぇ、あなた様。

 もう自分から逃げなくてもいいのですよ。過去の自分を言い訳に、明日という未来から目を背けなくても。

 恐いのですか? ならばわたくしは傍にいます。震える手を握り、ずっとあなた様の隣に立ち共に歩きます。

 わたくしだけでは不満ですか? それなら美希もいます。二人でも足りないなら響やみんなも連れて来ましょう。これなら恐くはないでしょう?

 だからあなた様。泣くのはやめて帰りましょう。

 わたくしたちの帰るべき場所へ。

 ね、あなた様――

 

 

 

 

 

 

 貴音。

 毎日のように呼んでいたその言葉ですら、いまでは遠い過去のように思える。いますぐに触れ合える距離にいたのに、あそこにいる彼女はとても手の届かない場所にいる気がする。

 貴音。

 ああ、なんでお前の名前を呼ぶだけこんなにも苦しいのだろう。自分で捨てたのに、手放したのに。

 ステージにいる彼女は、今まで見た中で一番逸脱している。あれは、アイドルなんかじゃない。ふとそんな言葉が出てくる。先の二人に比べれば、どう見てもアイドルには見えない。

 ならあれは誰だ?

 あれは四条貴音だ。ただの貴音だ。

 いまこの瞬間、ありとあらゆるものをすべて俺に向けて歌っている。彼女が言いたいことが歌から伝わってくる。耳を閉じて目を背けるなんてできるわけがなかった。

『どうして?』

 “何か”が語りかけてくる。それはいまも自分の隣にいるような所から声が聞こえてくる。でも、自然とそれを受け入れてるのか、当たり前のように答えた。

『無理だとわかっているからだ。俺がそうしようとしても、きっとあいつはそうさせまいと別の手段を講じてくる。なによりも、そんな事をする必要がない。わかるだろ』

『ああ、わかるとも。彼女はお前のことを理解している、だからお前がその行動をしないと本能的に感じ取っている。たとえ、お前が逃げるという選択をとっても、きっと彼女はお前を追うよ』

『だろうな』

『お前には分かるだろう。彼女は、あの場所に立っている、それが意味することは一つ』

『……その先は言わないでくれ。分かってる。分かってたんだ。でも俺は、命を、ミンメイを選んで、貴音を切り捨てたんだ』

『彼女達はそうは思ってはいない。そうならあそこにはいないぞ』

『どうすればいいんだ』

『そんなの簡単だ。聴けばいい、彼女の歌を。そして決めろ、最後の選択を』

『最後の、選択?』

『それはもう間もなくだ。それにしても』

『なんだ』

『これ程最高の光景はないだろうな』

 

 “俺”はどこかほほ笑んだように言う。

 

『ああ、そうだ』

『長かったよ、本当に。けど、それもおしまいだ』

『……』

『もう会うことはない。消える前に最後に一つだけ伝えておく』

『ああ』

『“俺”の夢は叶う』

『知ってるよ。だから、もう邪魔をしないでくれ。この一瞬ともいえる時間に、最後まで浸っていたんだ』

 

 返答はなかった。ふと横を向いた。そこには荷物が置かれているだけで、人などいなかった。

 モニターに振り返って数十秒後、貴音の歌が終わった。

 残るのは静寂。少しして、小さく拍手が聞こえてくる。それはだんだんと大きくなり、会場にいる全員が貴音に喝采が送られる。それは舞台裏であるここも例外ではなかった。

 一礼して後ろに下がる貴音。まだ拍手はやまない。

 壁から体を離し、ゆっくりと動き出す。向かうのは正面ではなく後ろ、来た道を戻り始める。彼には分かっているのだ。その答えを聞かずとも、誰が勝者なのか。

 なぜなら、もう夢は叶ったのだから。

 

 

 

 

 

 貴音のライブが終わると会場に照明が照らされる。すでに裏では集計が始まっていて、時間は左程かからない。それなのに誰も口を開かない。司会者ですら、沈黙を保っている。

 アイドル三人には全員その場で瞳を閉じ、ただ待っていた。

 そして、沈黙は破られた。

 司会の男がステージの中央に歩きながらスクリーンが下りてくる。彼のもとには一枚の紙きれ。そこに答えがある。彼は一度大きく息を吸って、告げた。

 

「では発表させていただきます! アイドルアルティメイト決勝戦! 2位四条貴音! 3位日高舞! よって優勝は、リン・ミンメイ!!」

 

 大きな歓声。会場では紙吹雪やら風船が飛び交い始める。

 用意されたテーブルの上には金色に輝くトロフィー。審査員の一人であったアイドル協会の会長が、トロフィーを手にしてミンメイに渡した。

 

「おめでとう、ミンメイさん」

「ありがとうございます」

「今日から君は〈Sランク〉アイドル。名実ともにアイドルの頂点だ」

「そうなりますね」

 

 本来なら喜ぶべき瞬間だというのに、ミンメイはそんな素振りを魅せず、まるで興味がないように言う。反応に困る会長をフォローしようとしたのか、司会の男がマイクを差し出してたずねた。

 

「ミンメイさん。今のお気持ちは?」

「そうですね。あ、マイク借ります」

 

 トロフィーを抱えながらマイクを持ち、さらに前へ出るミンメイを見て再びの静寂が訪れた。

 ようやく終わるのだ。〈リン・ミンメイ〉の最後の仕事が。

 

「皆さん、今日まで応援ありがとうございました。ですが、そんな皆さんにお伝えしなければいけないことがあります」

 

 その言葉にざわつく会場。誰かの声をマイクが拾ったのか『まさか……』小さな音でそれは聞こえた。

 

「私、〈リン・ミンメイ〉は、今日でアイドルを引退しまーす! 応援ありがとうございました! では、さようなら!」

 

 マイクを司会に投げると、ステージを走りながら舞台裏へ向かうミンメイ。静寂から一転。混乱に戸惑う声が相次ぐ。ネット配信では突然のことに、ネットの会場にはコメントが打てるため、コメント欄に視聴者の嘆きの声が一斉送信されたのか、サーバーに負荷がかかり落ちた。

 対して会場は、一人の女が笑っていた。

 

「あはははは!」

 

 日高舞だ。彼女は笑いながらミンメイのあとを追うように走り出した。

 

「やってくれるじゃない!」

 

 それに続くように貴音もステージを後にする。二人と違うのは、彼女はゆっくり歩いているということだろうか。

 どういうわけか、一瞬にして会場はお通夜状態、いや、地獄絵図と化した。これを治める力を持つ者は、果たしているのだろうか。

 

 

 

 

 

 会場の廊下を走る。全力でライブを挑んだけど、一番最初だったのが幸いして体力は少し回復している。それでも30過ぎのおば……お姉さんには、これは少しキツイ。

 だがそれでも走らねばならない。走りながら昔にも同じような悲鳴ともいえる奇声を無視し、夫の言葉ですら私は止まらないのだ。

 舞台裏にはすでにあの男はいない。つまりは何処かへ移動しているということ。自分のように走っていなければ追いつけるはず。行先はわからない、舞は己の直感を信じで走る。

 次の角を右――いた!

 スーツ姿の大柄な男性。間違いない、あの男だ。

 舞は足を止めさせるために叫んだ。

 

「見つけたわよ! この野郎!」

 

 元アイドル……いや、復帰して今度は正式に卒業だから合っているか? とにかく、我ながら汚い言葉が出たことに舞も驚いていた。

 

「日高舞か。何の用だ」

 

 彼は振り向かず訊いてきた。

 

「別に。ただ、アンタに言っておきたいことがあっただけよ」

「……俺には何もない」

「アンタにはなくても、私にはあるのよ! ふぅ、まあいいわ、勝手に話すし。アンタなんでしょ? 私に電話してきて、発破をかけてきたのは」

「話がまったく分からない。人違いだろう」

「そう。なら、それでも構わないわ。やり方は気にくわないけど、アンタには感謝しているのよ、私は。あのままだったらきっと死んでた、ただの女として。でも、最後にアイドルとして最高の舞台でちゃんと終わることができた。旦那にも言ったことはないけど、19年前にアイドルを卒業したこと。そりゃあ愛のこととか、相手がいなかったこともある。本当はステージの上で、最高に競い合える相手とやりあって、終わりかった。だから、ありがとう」

「何度も言うが。礼を言われることはしていない」

「黙って聞きなさい」

 

 力強く、相手を跪けるかのように声で舞は言った。

 

「アンタは、日本で一番のプロデューサーよ。一応最高は私の旦那。きっと、アンタ以外のプロデューサーはこんな事実現できない。アイドルアルティメイトが復活することも、日高舞が復帰することもない。そしてあの子、ミンメイなんてとんでもない子を連れてくるなんてね。けど、最後はしてやられたわ。人のことは言えないけど」

 

 ミンメイがしたこと。それはかつて自分がしたことだ。アイドルアルティメイトを二連覇したその表彰式で同じことをした。

 

「ほんと悔しいわ。歯がゆいともいえる。煮え湯を飲まされたってこのことね。張り合える相手がいなくて消えて、今になって張り合える相手と出会えたと思ったら、互いに消える。ほんと、最悪」

「そうか」

「そうよ! まあ、この気持ちをあの子や他のアイドル達も味わわせたと思うと、少し最低なことをしたと思ってるわ。反省はしていないけどね」

「……」

「何か言ってみなさいよ! 勝ったんだから笑いなさい! 私に、ざまあみろって。俺の勝ちだって!」

 

 未だに振り向かず、ただ淡々と反応する彼に舞は我慢できなかった。腹が立つのだ。もうそんなことすらどうでもいいのかのように、私と話すことすら面倒だと言わんばかり。人を苛立てさせるのがこいつの特技なのかと疑いたくもなる。

 

「もういいわよ。言いたいことは全部言ったし、あ、最後に一つだけあったわ」

 

 彼の頭がピクリと反応したような気がしたが、一向に顔はこちらに振り向かない。最後までそれなら、それで構わない。どうせ、これで最後だ。もう会うことはない。

 

「よかったじゃない。アンタのアイドルが二人(・・)も、私に勝ったんだから」

「そう、だな。たしかに……あんたの言う通りだ」

 

 顔だけこちらに向けて彼は言った。それでも横半分しか見えない、けれどそれ以上に彼の表情が余計に気に障った。

 そして彼はそれだけ言うと再び歩き出した。逞しく大きな背中だというのに、それをまったく感じさせない。無気力で、いまにも自殺しそうな雰囲気すら思えてしまう、いや、自殺というのは言い過ぎか。しかし本当に実行しそうな状態に見えてしまうほどなのだ。いまの彼は。

 だがまあ、たとえそうしようとするなら勝手にすればいい。自分と彼は他人だ。私は名前とほんの少しの素性しか知らないし、彼は私のことを知っているだけに過ぎない。私達の関係といえばいいのか、あるいは縁、繋がりは途絶えたのだ。

 アイツのことを考えることもないし、思い出すこともない。

 それでも、最後までムカつく奴だ。

 

「だったら……泣いてんじゃないわよ」

 

 最後と言わんばかりに舞は、吐き捨てるように言った。

 

「さて。尻ぬぐいってわけじゃないけど、ステージに戻るか」

 

 さすがにここまでは会場の声は聞こえてはこないが、きっと今は地獄絵図なのは容易に想像できる。ネットでもきっと大炎上だろう。これを治めることができるのは、私ぐらいだろう、うん。

 来た道を戻り歩き出してすぐにある角を曲がろうとしたとき、いきなり飛び出してきた人間に気づかず、舞はそのまま後ろに倒れた。

 

「いたた。ちょっとあんた、どこ見てんの、よ……」

 

 怒鳴ろうと思った矢先、すぐに怒りはどこかへ行ってしまった。

 彼女の髪の色、唇の下にあるホクロ。

 目の前で自分と同じように廊下に尻もちをついているのは、かつて名前も知らない少女の面影がある女性だったのだ。

 

 

 

 

 

 突然の引退宣言のあと、ミンメイはステージから走って戻ってくるとそのまま何処かへ行き、そのあとを追うように舞がやってきて、二人と違ってゆっくりと歩いて二人のあとを追う貴音を見た小鳥を含めた舞台裏にいた人間はただその場で棒立ちしていた。

 はっ、と目の前に起きた現状を把握した小鳥はすぐに周囲を見渡した。決勝が始まる前にいたプロデューサーがいないのだ。

(もしかして、三人とも?)

 彼を追うために三人があんな行動をしているのだとすれば、たしかに筋は通っている。同時に出遅れた自分を責める。

 本当は彼と話すつもりでここにきた。一介の事務員である自分はここに来るのは場違いであるのだが、順一朗さんと順二朗さんが『行ってきなさい』と背中を教えてくれたのだ。けれどタイミングがなく、ずるずるとここまで来てしまった。

 もう諦めよう。今さら追いつけっこない。それにあの三人がいるのだから、自分のような人間が行くべきではない。

 そんな小鳥を動かしたのは、隣にいた赤羽根の言葉だった。

 

「小鳥さん。遠慮なんかしちゃダメです」

「え?」

「いま行かないと、絶対に後悔しますよ」

「でも今さら……」

「あの三人に気を使ってるなら、それはお門違いだと俺は思ってる。アイドルがどうとか事務員だからとか、こういう時は自分のためだけに動けばいい。小鳥さんのしたいことをすればいいんです!」

 

 思わず小鳥は少し離れた位置にいる美希を見てしまった。彼女は他の人達と違って冷静だ。まるで想定していたかのように平然としている。なんでまだここにるだろうか、彼女ならすぐに貴音を追いかけるはずなのに、まだ動かない。

 ふと美希と視線が合った。たった一瞬だけど、彼女は私に向けてほほ笑んだような気がした。

 理由はわからない。その笑顔には『行かないの?』そんな意味が込められているようだ。

 小鳥は首を横に振った。彼女は関係ないではないか、ここは我儘を通していいのだと、彼が言うようにしたいことをすればいんだと。

 だから、走り出した。

 

「赤羽根P! あとはお願いします!」

「はい」

 

 優しく力強い声が背中から聞こえてきた。

 さて。走り出したのはいいが、あの人はどこにいるだろうか。少し時間が空いたと言っても、歩いていた貴音の姿が見つからない。それも道は限られているのにだ。考えてもしょうがない。

 ただ走る。するとどこから話声が聞こえ、その方へ向かう。

 あの角を曲がった先?

 でもすぐに話し声は聞こえなくなってしまった。急がなくては思って角を勢い曲がろうとすると、向こうから歩いてきた人影にすぐに反応できず正面衝突しまう。

 そのまま勢いよく後ろに倒れて尻もちをついてしまった。すごい痛い。

 

「いたた。ちょっとあんた、どこ見てんの、よ……」

「ごめんなさい、ごめんなさい! 急いでて全然気づかなくて……え?」

 

 言われてすぐにその場で正座をして謝り、ふとその声の主に聞き覚えがありゆっくりと顔をあげた。

 そこには日高舞がいた。

 面を食らったような顔している彼女。それは自分も同じだった。互いに、いや、こちらが一方的に思っていることが因縁のある相手が、すぐ目の前にいるのだ。困惑してしまうし、落ち着けと言う方が無理だ。けれど、どうして彼女がこんなにも驚いているのかが不可解だった。

 頭はそう考えていても体はすぐに立ち上がり、何度も謝りながら小鳥は彼女に手を差し伸べる。

 

「本当にごめんなさい! お怪我は、ありませんか?」

「平気よ。ちょっと勢いよく尻もちついただけ」

「よ、よかったー。じゃ、じゃあ私はこれで!」

「ちょっと待ちなさい」

 

 その場からすぐに逃げ出そうした小鳥を、舞はガシッと彼女の腕をつかんで離さない。

 一体全体これはどういうことなのだろうか。

 私と彼女には直接の面識はないのになぜ引き留めるのか。もしや、口ではそう言っていても本当はかなり怒っているのでは。そう考えると思わず汗が出てきた。

 しかし彼女の考えとは裏腹に、舞が口に出した言葉は予想外のものだった。

 

「あなた、もしかして19年前アイドルやってなかった? ていうかやってたわよね? うん、絶対に間違いない」

 

 彼女の人となりは当時のテレビでしか知らなかったし、いや、結構強気な性格をしてるなとは思っていたが、まさかこんなにも強引な人だとは思っていなかった、うん。

 それはともかく。この状況で誤魔化すことは無理に決まってる。正直に言うのが正解だろう。小鳥は彼女の問いに答えた。

 

「たしかにやってました。けど、舞さんとは面識はなかったですよ」

「そうよね。私があなたを気になり始めたころに、あなたはアイドルを辞めてしまったし」

「……え? 気になった? 私を?」

「自覚ないのも無理はないもの。私、あなたのことが気になって仕方がなかったの。あなたのライブを見てね」

「ど、どうして」

「どうしてって。あなたなら私を満足させてくれるかなって」

 

 信じられなかった。あの日高舞が私を気になってたと言っているのが。小鳥は思い出した。かつて黒井さんに言われた言葉は本当だったのだ。だからこそ、余計に自分が惨めになってしまう。結局、誰でもない自分がみんなとの関係を壊してしまったのだと。

 

「差し支えなかったら教えてほしいの。どうして、アイドルを辞めたの」

「それは……」

「あ、ごめん。うん、そうよね、私か。ごめん」

 

 舞は小鳥の表情を見て取ったのかすぐに謝罪した。別に彼女が謝る必要などないというのに。

 

「だから私は、舞さんが望んでいたような存在じゃ……」

「そんなことないわ」

「え?」

「たしかに当時の私は、あなたが居なくなったことで興味をなくしたわ。だからアイドルを辞めたの、張り合う相手のいない、あなたのいない世界にいてもつまらないから。それからは子育てとかが急がしくてアイドル時代のことなんか思い出す暇もなかった。けど、復帰してから最近になって、あなたのことを思い出した。たった一度のライブ、顔もあわせたことのない子だったけど、しっかりと覚えている。それだけ、あなたの存在は私にとって大きかったの」

 

 なぜか涙がこぼれ始めた。悲しい訳じゃない。痛いわけじゃない。後悔と嬉しさが入り混じっている感覚。未だに過去の自分の選択を許せない葛藤と、伝説のアイドルと呼ばれている彼女から称賛の言葉を言われては、こうなってしまうのは仕方がないではないか。

 

「ちょ、ちょっとなんで⁉ え、私⁉ 私の所為⁉」

「ち、違うんです。別に舞さんが、悪いわけじゃないですから」

「そ、そう?」

「はい、そうです」

 

 それから落ち着くのに数分ほどかかり、改めて小鳥は舞に訊いた。

 

「結局のところ、舞さんはいまの私にどうしてほしいんですか?」

「え? ああ、そうね。もし、もしまたあなたに会えたなら、話がしたいって]

「話、ですか?」

「自分でもわからないの。ただ話がしたい、そう思った。あなたがどんな人で、今までどんな人生を歩んできたのか。まあ、あれね。色々とあるけど、きっと私は……あなたと友達になりたいの。今も、昔も」」

「友達……私と?」

「そう。だめ、かしら?」

 

 たった数分間だけで何度驚けばいいのだろうか。自分は彼女の足元にも及ばない人間だと思っていたら、実際はその隣にいて、友達になろうと言ってきている。

 30も過ぎたというのに、こんな出来事があるものだと思った。まるでドラマみたいだ。

 どうすればいいのだろう。

 私は彼女について何も知らないし、知ろうとさえしなかった。ただ彼女を言い訳にして、自分はアイドルを諦めただけ。これっぽちも日高舞を見ようとせず、背中を向けていただけ。黒井さんとプロデューサーは向き合っていた。向き合い考えた末に答えを出した。やっぱりすごいなって思う。

 だから変わらなきゃ。

 過去の自分は変えられないけど、今の、これからのことは変えていける。

 彼女が差し出している手を取った。

 

「こんな私でよかったら」

「あなたじゃなきゃだめよ。ああ、ごめん。私、あなたの名前知らないのよ。だから、私は日高舞、あなたは?」

「小鳥です。音無小鳥」

「小鳥……うん、私よりかわいい名前ね。あ、ところで小鳥はどうしてそんなに急いでたわけ?」

 

 彼女の言葉で思い出した。そうだ。私はあの人を追いかけていたんだ。

 舞がいる廊下の奥を覗く。残念ながら誰もいない。彼女はそんな小鳥から察したのか言った。

 

「もしかして、アイツのこと探してたの?」

「あいつ? まあ、プロデューサーさんを」

「そう」

 

 言うと舞の顔が少し曇った。

 

「私の所為ね。たぶん、もう見つけるのは無理。それに」

「それに?」

「会えたとしても、ううん。会わない方がいいと思うわ、いまのアイツには。けど、小鳥はそれでも会いたいってこっちにも伝わってくるのはわかる」

「……そんなに酷いんですか?」

 

 会わない方がいいと言っているのはつまり、そういうことなのだろうと小鳥は察した。どういう意味で酷いのかは、想像のしようがなかったのだが。

 

「色んな意味で酷いかもね。ていうか、あんな奴でも結構弱いんだって感じかしらね。だから、無理に止めはしないけど、電話ぐらいで済ましたほういいと私は思う。いまから追えるかも分からないって意味でもね」

「……分かりました」

「敬語なんていいのよ。それじゃ、私行かなきゃいけないから」

「え、どこへ?」

「ステージに決まってるでしょ。ミンメイに対して人のこと言えるわけじゃないけど、あの場を治められるの私ぐらいだしね。あ、私の事務所知ってるわよね?」

「え、ええ。知ってますけど……」

「落ち着いたら連絡ちょうだい。時間を作って一緒にご飯でも食べながらいっぱい話でもしましょう」

「は……ええ、喜んで」

「じゃ、またね」

 

 手を挙げながら舞は会場へと走って戻っていた。その走りには疲れなどは感じられなくて、素直にすごいと称賛した。同時に自分の体力のなさを痛感した。

 さて。

 小鳥は進もうとしていた先を見て少し悩んでから、ポケットからスマホを取り出した。電話帳にある彼のプライベート用の番号。昔から変わっていない彼の番号に昔はよくかけていた。誕生日が近い日には毎年。けど、ここ数年はかけていない。

 出てくれるだろうか。不安が胸を締め付ける。ただ押すだけのに、なんでこんなにも辛いのだろうか。

 

「……」

 

 後悔はしたくない。番号を押してスマホを耳に近づける。

 数回ほどコールが続く。

 いつもならすぐに出てくれたのに、こんなにも待たされるのは初めてだ。やはり出てくれないだろうか。

 諦めかけたその時、しばらく聞いてなかった彼の声が聞こえた。

 

『……小鳥ちゃん』

「ぷろ、でゅーさーさん」

 

 先程収まった涙が再びこぼれた。声を聴いただけなのに。

 

『見て……くれた?』

「うん、見たよ」

『やっと叶ったよ、みんなの夢が……俺の夢が。本当はみんなでこの場所に立ちたかった。でも、俺が見つけたアイドルで、俺が育てたアイドルが、代わりに叶えてくれた。長かったよ』

「うん……うん」

『でもさ、結局夢がなんだって言ったって、都合のいい憂さ晴らし……復讐みたいなんものだ。大勢の人を巻き込んだ、大切な人達を傷つけた。最低なんだよ、俺は』

「違う。それは違うよ!」

『どうして』

「だってプロデューサーさんは……見習いくんは変わってないもん! 今も昔もみんなのために、そして夢のために頑張ってきた! 諦めた私達の夢を、あなたは見せてくれた! だから、最低だなんて言わないで、自分を責めないで!」

『……』

「さっきね? 舞さんに会ったの」

『え……?』

「舞さん、私のこと知ってたの。名前は知らなかったけど、私のことを認めてくれてた。色々話して、友達になろうって。私、それがすごく嬉しくて……」

『うん』

「私は過去の自分を許せなかった。今でも許せない、けど変わろうって思ってる。だからね、見習いくんもいいんだよ。もう私達のことじゃなくて、本当に自分のしたいことをして。誰かとか関係ない、自分のためだけに生きて」

『俺は……』

「ありがとう。きっと、順一朗さん達も同じだよ」

『小鳥ちゃん……俺』

「いますぐには無理なのはわかってる。けどね、きっと帰ってくるって信じてるから。じゃあ、またね」

 

 ピッと停止のボタンを押した。いきなり切ったのはまずかっただろうか。でも、きっと答えが返ってこないの分かってる。

 けれど私には分かるのだ。きっと、あの人は帰ってくるって。

 

 

 

 

 

 

 向こうから電話を切ってくれたことに感謝しながらポケットにスマホを戻した。彼女の言葉はとても嬉しかったけど、最後に答えを言えたのかは正直に言って無理だった。今はただ脱力というか、体全体が冷めているような感覚で。

 夢が叶った。そう、叶った。嬉しかった、最高だった。

 だというのに、一気にその何かが押し寄せてきた。何も考えれられない、まさに無気力状態というのだろうか、これは。

 今はすでに外で、会場からも少し離れたところまで気づけば歩いてきてしまった。そしていまになって寒いことに気づく。12月なのだから、当然だ。

 コートは……ああ、控室におきっぱだ。

 まあいいか。どうせ命が化粧道具とか色々ともって今頃逃げているころだろう。逃走ルートはあらかじめ決めてあるし、本当は合流する手はずだったのだが、面倒になって適当に歩いている最中だった。心配していないのは、命だから平気だろうという確信があるから。だから心配していない。

 辺りはもう暗い。真夜中だから当然で、さらにサングラスをかけているせいか余計に暗いが慣れているので問題なく歩ける。ふとサングラスを外した。なぜか、当たり前でありきたりな風景なのに、綺麗だと思った。そのままサングラスを胸ポケットにかけて歩き続ける。

 少しして開けた場所に出る。今まで木々が並んでいたのに対して囲うように並んでいる。

 池か。ああ、あったな、そういえば。

 近くにはベンチが並んでいて、その一つに座る。空を見上げた。東京から見える空は、正直に言ってあまり綺麗じゃないと思う。でも、夜の街は好きだった。多くのビルや建物が夜でも照らす光が、この街は生きているのだと思えるようで。

 突然、無性にタバコを吸いたくなった。この余韻に酔いしれながらタバコを吸う、なんとも格別なことだろうか。都内(ここ)は決められた場所でしかタバコを吸えない。なに、誰もいないしいまは夜だ。多くの喫煙者は隠れて吸っているんだ。俺だっていいだろう。

 内側のポケットからタバコを手による。蓋を開けると数本吸ったあとがある。当然だ。すでに今日の3本(・・)は吸ってしまったのだから。

 最後くらい、夢が叶ったこんな時まで、守らなくてもいいか。

 タバコをくわえて安いライターで火をつける。いつものように大きく煙を吸って、

 

「ゴホッゴホッ! ……おかしいな、こんなにも不味かったかな……」

 

 昔、タバコを吸い始めた最初の一本は、うまくも不味くもなかった。ただ『あ、普通に吸えた』ぐらいの感想でしかなかった。何度か銘柄を変えたりもしたし、今まで吸っていた銘柄は一応お気に入りだったやつ。

 それなのに今は不味い。糞不味くて、こんなのを吸っていたのかと自分を疑っている。

 

「……まあいいか。この機会にやめれば」

 

 タバコを地面に落として足で火を消す。辺りを見回しすと、珍しくゴミ箱があった。距離はざっと五メートルの位置。ちょうどポケットティッシュがあったので、一枚とって吸い殻を包んで捨てに行った。

 再びベンチに座ってまたタバコを取り出す。

 

「一緒に捨てればよかった」

 

 もう立ち上がるのも億劫だ。座ったままゴミ箱に向けて投げた。理想的な弧を描くのを見てすぐに背中をベンチの背もたれに預けて、また空を見た。

 どうするかな。

 これからのことではなく、このあとのことが彼にとって重要なことだった。なにせ泊る場所を探さなくてはならない。事務所はもう閉鎖されている。最初からそういう手はずになっているから。では一年ほど帰っていない自宅に帰ればいいとも思った。けどすぐに否定。となると近場のホテルにでも泊ればいいかという結論に至った。財布はあるしカードもある、なにも問題はない。

 いや、なにかおかしい。

 彼はある疑問点に気づいた。それが何か最初はわからなかったのだが、すぐにそれが何なのか分かった。

 音がしない……そう、タバコの箱が落ちた音がしない。

 先程吸殻を捨てた時、ゴミ箱の中はほとんど空っぽで、ちゃんと入っていれば音がするし、地面に落ちても音は聞こえるはず。それなのになぜ?

 視線を上から前に戻し、思わず目を見開いた。

 そこには投げたはずのタバコの箱を手に持って、ライブ衣装を身に纏った貴音が立っていたからだ。

 なぜ貴音がここに? どうして、いや、どうやってここまで?

 様々な疑問が頭の中でうずまくなか、そんな彼のこと気にしていないのかように彼女は箱の中身を確認して訊いてきた。

 

「てっきり約束などを破って、毎日一箱ぐらい吸っていたと思っていたのですが。もしかして、ずっと3本しか吸っていなかったのですか?」

 

 すぐには答えなかった。いや、答えられなかった。モニター越しではなく、間近でみる貴音の姿に目を奪われていたから。アイドル衣装に見えないそのドレスは、肩から腕にかけて肌が露出している。寒くはないだろうか。それにドレスの裾は地面ギリギリだ。汚れてもいいのだろうか。

 そんなことを考えていて、彼女が「どうしました?」と言ってくるまで続いた。

 

「いや、破った。さっき4本目を吸った。けど、すぐに捨てた」

「あら。それはどうしてですか?」

 

 たずねがら貴音はこちらに歩いてくる。

 

「不味かったから。だから、今から禁煙。……別に、約束なんて律義に守る必要なんかないのに、さっきまで守ってた。自分でもわからない」

「ふふっ」

 

 彼女は笑いながら何食わぬ顔で、いつもの……かつてのように隣に座った。真ん中に座っていたので体が反射的に横に動いた。

 

「それは良い兆候です。これも、わたくしの教育の賜物ということになりますね。鼻が高いです」

「言ってろ」

「なら、これは必要ありませんね。思わずきゃっちしてしまったので。……えい」

 

 貴音が投げた箱はそのまま吸い込まれるようにゴミ箱に落ちた。正直、意外だった。

 

「外すかと思った」

「失礼な方ですね。わたくし、狙った獲物は必ず射止める性質(たち)でして」

「初めて聞いた」

「だって、いま初めて口にしましたから」

「それもそうだ」

「ええ」

「……これ羽織っておけ。少しはマシだろ」

 

 スーツの上着脱いで貴音の肩にかけた。先程より少し体が冷え始めるが、こいつが風をひくよりはいいはずだ。

 

「寒くはないのですか?」

「俺はいい。鍛えてるから」

「強がっていても……ほら、手はこんなにも冷たいではないですか」

 

 右手を触りながら貴音は言うと、そのまま彼女の左手がぎゅうっと握りしめてきて、それに自然と返すように握り返した。すると右腕が温もりを感じ取った。どうやら体を寄せてきたらしい。

 

「こうすれば少しは暖まりますよ」

「たしかに、暖かい」

 

 ほんの一年前なら手を繋いだり、向こうから体に抱き着いてくるなんて日常茶飯事。それすら遠い昔のことうに思えてきた。

 あれや、これや。たくさんの思い出がフラッシュバックしてくる。

 その間互いに口を開かない顔も見ようすらしない。ただ手を繋いで温もりを感じているだけ。

 この沈黙を破ったのは意外にも自分だった。

 

「夢が、あったんだ」

 

 それは懺悔なのだろうか。とにかく、貴音に知ってほしくて、聞いてほしくてそう口に出してしまった。彼女は何も言わず、耳を傾けてくれていた。

 彼は話を続けた。

 

「よくある、プロデューサーなら誰もが夢を見るやつ。自分のアイドルをトップアイドルにする、ありきたりな夢。最初は普通だったんだ。そんな時、日高舞が現れて小鳥ちゃんがアイドルを辞めるはめになって、事務所のみんなとバラバラになって、なんて言うか……復讐心が芽生えた。いつしか俺の夢は、復讐のための手段になっちまった。日高舞を俺が育てたアイドルで倒す。それも最高の舞台で。そして今日、夢が叶った。叶ったのに……」

「実感がない、ですか?」

「違う、いや、それも当てはまるかもしれない。でも、本当に分からないんだ」

「……」

 

 きっと答えがほしくて、あるいは罰してほしくて、貴音にこの話をしたんだ。多くの人間に迷惑をかけた、その中で誰よりも傷つけた彼女と美希には、自分を咎める権利がある。そうだ、非難してくれ。罵声を浴びせろ。そうしてくれた方が、今より楽になれる。そんな気がした。

 しかしそんな彼の想いとは裏腹に、貴音はすぅと息を吸うと、歌い始めた。

 

「夢を初めて願って今日までどの位経っただろうずっと一日ずつ繋げよう夢は自分を叶える為に生まれた証だからきっとこの心で私のM@STERPICE」

 

 その曲は彼が346プロに移籍し、ちょうど765プロに新しいアイドルが初めて参加したライブで披露した曲。この曲は彼女達全員を表している、そんな曲だと当時は思っていた。それをなぜ今歌ったのかいまいちピンとこなかった。

 

「なんだ。急に歌いだして」

「この歌詞が、ちょうどいまのあなた様のようだと思いまして」

「俺に?」

「はい。自分がどうしたいかの証が夢。自分があるから夢が生まれる。この歌詞を見てわたくしはそう思いました。そしていま、この光景こそがあなた様の夢の証そのものだと思いませんか?」

 

 貴音は会場を、いや世界を指しながら言った。

 木々で見えるはずのない会場を照らすライト。聞こえるはずのない歓声聞こえるくる。

 きっとテレビやインターネットでもまだこの興奮は収まってはいないだろう。

 それを俺が仕組んだ。

 俺が成し遂げた。

 これを、そう呼んでもいいのか。

 

「夢の……証」

「そうです。あなた様の名が歴史に残ることはないでしょう。今この瞬間を体験している人々があなたのやったことだとは知らないでしょう。知れば誰もがあなた様を非難し、軽蔑するかもしれません。ですが――わたくしが、美希が、日高舞が、島村卯月が、あなた様を知る者たちは知っています。あなた様はこれ程の偉業を成した、ですから誇っていいのです。胸を張っていいのです。だから、そんな悲しい顔をしないでくださいな」

「俺は……」

「あなた様はプロデューサーとして最高の仕事(プロデュース)を成し遂げたのです。まさにあなた様のM@STERPICE」

「……最高傑作? これが? 違う……こんなの、最高傑作であるものか!」

「なぜ? それはどうしてですか?」

 

 彼は叫び、立ち上がる。貴音に向け、彼女が言ってきたことを否定するように隠していた本音を吐いた。

 

「お前が……いない。お前を、最後までプロデュースしなかった。だから、こんなの、マスターピースであるものか」

 

 矛盾していた。自分から手放したのだ。貴音ではなく、ミンメイを選んだ。結局は、自分の弱さが招いたことだというのに。

 

「あなた様……」

 

 その場に膝から崩れ、ベンチに座る貴音の膝に頭が乗る。

 なんとも弱く、儚い男なのだろう。

 彼を知る者が今の光景を見たらそう思うに違いない。

 しかし、貴音は違った。

 彼女は優しく彼の頭をそっと胸に抱きよせた。

 

「何を申すのですか。ちゃんとわたくしはあなたの夢の舞台にいたではありませんか」

「わかっているだろう。俺は、嘘をついた。お前を傷つけた。俺はお前を、捨てたんだぞ」

 

 貴音は優しく彼を頭をなでた。何を言っても受け入れてはくれない。今の彼はそんな状態なのだと察した。

 それでも、彼女はたずねた。いままでのことを問い詰めるのではなく、たった一つの答えを聞くために。

 

「あなた様。一つ、教えてはくれませんか」

「……なんだ」

「どうして、〈リン・ミンメイ〉を選んだのですか? 本当にわたくしが邪魔だったから、必要ないから彼女を選んだのですか?」

「違う」

 

 彼は真っ先に否定した。

 

「お前を、お前を道具のように扱いたくなかった。そうだ! お前を選んでもよかった! けどダメだった! 俺には無理だ! 俺の夢のためにお前を道具のように、モノのように扱うなんてできなかった! 俺は、お前にはアイドルとして輝いていてほしかった。いつか来る終わりの日まで。だから、お前を選ばなかった……。お前が、大切だから」

「馬鹿な人なんですから」

 

 貴音の腕にさらに力が入る。先ほどとよりずっと近く、彼女に抱きしめられている。頬には彼女の胸の感触が伝わってくる。それを通して彼女の心臓の鼓動が耳に聞こえてくる。鼓動は早い。緊張しているのか。けど、声は温かく優しい。

 すると貴音は抱きしめるのをやめ、彼を見つめて告げた。

 

「あなた様のためなら何処へでも参ります。あなた様が一緒に地獄へ堕ちてくれと言うなら、わたくしも共に堕ちましょう。ですからたった一言、俺と一緒についてきてくれ。それでよかったのです」

 

 嘘偽りのない本気の言葉だった。

 わかっていた。だから、

 

「きっとお前はそう言うから、嫌だったんだ」

「そんなことをするから、こうまで回りくどくなってしまったのですよ」

「なにが?」

「あなた様。以前、あの日の夜。月が照らすあの浜辺で、わたくしに言ったことを覚えていますか?」

 

 それを聞いて大きく目が開く。

 ああ覚えているとも。忘れるわけがない。片時も忘れた日なんてない。静かにけど時には大きく聞こえる波の音。人工的な光はなく、月の光が俺たちを照らしていたあの浜辺。力強く、俺の左手を握っていたお前の手の温もり。今にも泣きそうだと言わんばかりに震える声。初めて聞いたお前の本音。

 そして、きっとお前だけに告白した俺の本心。

 

「ああ……ああ! ちゃんと、覚えてる」

「では、もう一度言ってはくれませんか」

 

 声がうまくでない。気づけばちゃんと前が、貴音が見えない。

 泣いているのか、俺は。

 でもそんなことはどうでもいいんだ。

 今まで言えなかったことを、ようやく伝えられる。

 

「お前は、俺の最高のアイドルだ。誰でもない、俺のトップアイドルは四条貴音だ。そして――お前が好きでたまらない。愛してやまないんだ。この想いに気づいてから、お前の想いを知ってからずっと我慢してきた。けど、それももう終わりだ。貴音、お前を愛してる」

「やっと……言ってくれましたね」

 

 涙でうまく貴音が見えない。でも、彼女は自分と同じように涙を流しているように見えた。

 

「ずっと、ずっとその言葉を待っておりました。初めてあなた様に恋してからずっと、この気持ちを伝えたかった。あなた様――愛しております」

 

 貴音を抱き寄せ、返答を聞くことなく唇を重ねた。

 たしかに彼女の唇の感触を感じた瞬間、すべてが馬鹿らしくなった。

 もっと最初からこうしてればよかったとか、そうじゃなくても意地を張らずお前のことが好きだと告白すればよかったとか。とにかくなんか色々と。

 でも、違うんだよな。

 今までのことがあったから、ここに至ることができたんだ。

 きっかけは順一朗さんに会ったあの日だ。あそこで俺の人生は始まった。

 それから20年。

 たくさんのことがあった。良いことも、時には最悪のことだってあった。

 大勢の人と出会いと別れを繰り返した。尊敬する人、親友と呼べる者、人間の屑にも。

 多くの人やアイドルに手を差し伸べてきた。同時に汚いこともしてきた。

 それらの道はけして無駄ではなく、すべてはこの日のためにあった。

 そして夢は叶った。

 俺の夢の証はたしかにここに成った。これで終わりだと思った。

 でも、終わりじゃないんだよな。

 俺が何かをしたいと思う限り、それが夢になり、続いていく。

 けど、なにをしたいかなんていまは全然思いつかない。

 少し名残惜しいが唇をそっとはなした。

 まだ物欲しそうに貴音は見てくる。

 苦笑しながらこつんとおでこを当ててつぶやいた。

 

「夢が叶って、これからことなんて全然考えられない」

「いいのですよ。あなた様はこれまでずっと自分の夢を叶えるために生きてきたのですから。矛盾してしまいますけど、ずっとあなた様は夢に縛られておりました。でもそれは解けたのです。ですから、これはあなた様が本当にしたいことをすればいいのです。あなた様がどうしたいかの証、それこそが」

「俺の夢、だろ?」

「はい」

 

 我慢できなくて、今度は貴音を抱き上げながら立ち上がり再び唇を重ねた。彼女の腕が首の後ろに回るのがわかると、もっと近くに体を抱き寄せた。

 先程より貴音が不慣れながらも求めているのがわかるがまた唇をはなして、聞かなくてもわかっている答えをたずねた。

 

「貴音。もし、俺のやりたいことが見つかったら、その時は傍にいてくれるな?」

「もちろんです。あなた様の歩む道が、わたくしの歩く道なのですから」

 

 

 

 

 

 

 貴音と彼の二人が抱き合っている場所から少し離れたところに美希はいた。肩の荷が下りたらしく、その表情は今まで以上に優しい笑みに満ち溢れていた。それも一年ぶりだろうか。やっと、心から笑うことができたのだ。

 髪を縛っていた髪留めを外し、眼鏡を外す。プロデューサーの星井美希は、これでおしまい。

 今までありがとう。そしてさようなら。

 久しぶり。アイドルのわたし。

 そんなことを一人で思いつつ、再度遠くにいる二人を見た。抱き合って、熱いキスをしている。嫉妬は……しないと言えばうそ。けど祝福もしている。

 

「今日は貴音に譲ってあげるけど、明日はミキなんだからね」

 

 このあとの二人がナニをするかなんて容易に想像がつく。いまの貴音を自分に置き換えても、きっと同じ行動に移るのは間違いない。だから今夜だけは貴音に譲ってあげるのだ。誰にも邪魔されない二人の時間は必要だ。今までの分も埋めるためにも。なのでそれが終わったら、次はミキ。問題がある? そんなの関係ない。

 愛してる。ミキも貴音も、あの人のことを。あの人は貴音を愛している。ミキのことも愛している。だから問題はない。

 そう。もう、自分の想いに蓋をすることなんてない。

 

「だから。おかえりなさい、ハニー」

 

 涙がこぼれる。

 彼が本当の意味で帰ってくること。これ程嬉しいことはない。やっと私達の止まっていた時間が動き出す。この一年。短いようで長い一年がようやく終わりを告げた。これから、今までの時間を埋めるのだ。一日一日を大切に過ごそう。できなかったことをたくさんチャレンジしたい。

 もっと言えば、ハニーと一緒に愛を育みたい。

 ああ。すごくいい気分。明日から楽しみだ。あ、二人は今からお楽しみか。

 美希は苦笑しながらその場を離れようとする。約束通りいまからは貴音の時間。後始末はあるけど、きっと赤羽根Pと小鳥がなんとかしてくれるだろう。

 とにかく今は家に帰ろう。実家ではなく貴音の家だが。たぶんないと思うけど、二人と鉢合わせなんてことはないだろう。遭ったら最悪。

 歩みを早め今すぐにでもここを離れようとしたとき、ガサガサと草木が騒ぎ立てる音を聞こえてきた。音の方に目を向けると、突然人影が飛んできた。

 

「よっと!」

「……りん……みんめい⁉」

「たく。相棒の奴どこにいるんだよー。相棒の荷物重すぎぃ! ……あ、どうも」

 

 突然現れたミンメイは美希の存在に気づくと普通に頭をぺこりと下げて挨拶をしてきた。彼女がここにいることにも驚きだが、その姿はまるで夜逃げのようだ。ライブ衣装の上にサイズが合っていない大きなコートを羽織り、肩に大きな荷物をぶら下げている。

 

「あ、ちょっと聞きたいんだけど。身長は190cm、髪は黒、サングラスをかけた筋肉モリモリマッチョマンなスーツ姿の男知らない? もしくは日本版ターミネーター」

「あ、それってハニーのこと?」

「はにー? え、もしかてあなた……あれ、あそこに居るのは……」

 

 どうやら彼女は目がいいらしい。この暗闇の中でも小さな光だけが照らしている二人を見つけた。それも誰だか分かっているときた。

 

「相棒に四条貴音……。あ、ふーん。あれ? でも、ハニーって……」

「そのまま意味なの」

「三人はどういう関係なのかな?」

「うーん。一口では言えないの。まあ、あれかな。相思相愛の仲ってやつなの」

「まさか一人じゃないだろうなとは思ってたけど……。相棒ってかなりのプレイボーイだったのか」

「否定しないの。ところで、もしかして夜逃げの最中?」

「そうなんだよぉ。相棒と合流してとんずらするはずなのに、その本人はいまラブシーンだし。どうしよ」

「だったらミキの家に来る?」

「え、いいの?」

 

 貴音の家だけどここから近いし、実家に連れて行くわけにもいかない。なによりもこれは自分にとっても、貴音にとってもタイミングがよかった。

 

「いいのいいの。ミキもあなたと話がしたかったしちょうどいいの」

「じゃあお言葉に甘えさせていただきます!」

「うん。あ、ミキは星井美希なの」

「私の本当の名前は飯島命なんで、よろしく」

「やっぱり偽名だったの」

「え、バレバレ?」

「うん。分かる人には分かるんじゃないかな?」

「これでも名演技だったと思うんだけどなぁ」

 

 まるで長年過ごしていた友達のような会話をしながら、二人は夜の世界へ消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2081年 月刊アイドルマガジン特集号一部抜粋

 

 今の世の中のほとんど電子媒体になったというのに、こうして紙媒体で発刊され続けている本誌に再び記事を書かせてもらうことを本当に光栄に思う。私の幼少の頃はギリギリ時代の節目というべきか、まだ紙媒体によるものが本屋やコンビニにずらりと並んだのを覚えているが、今ではほとんどが電子媒体。

 たしかにデバイス一つで気になるものだけ購入すればいいのだから、それはたしかに便利であるしこれだけで十分と言える。しかしいまだに本誌がこうして出ているように、これは今でも続く古き良き文化の一つと言えるかもしれない。

 ただ残念なことに、過去の音楽メディア――記録媒体は骨董品と化してしまった。若い子には知っている者は少ないと思うが、昔は丸いディスクだったのだ。CDからDVDまで。当時ではそれが一つの完成系ではあった。

 それがいまではそれは見る形もない。今ではカードより少し小さいコンパクトなものになってしまい、それに伴って再生機も生産中止で過去の遺物となってしまった。

 私のような古い世代の人間はいまでも過去の音楽プレイヤーを愛用しているし、アンティーク好きといえばいいのかそういった人間の間では過去のCDやDVD、それに再生機も高値で取引されているらしい。

 さて、少し話が逸れてしまった。いや、そうでもない。

 現在の我が国おけるアイドルというのは一つの文化となっている。その中で私は、現在ではなく過去について語ろうと思う。

 レジェンドアイドル――今なお語り継がれているアイドルが存在する。

 その名は〈リン・ミンメイ〉

 今でいう〈ミンメイショック〉と呼ばれた事件を起こした張本人。僅か一年の間で出したCDはすべて新記録を出し続け、その活動は伝説として未だに語られている。まるで災害のようなアイドル。

 そしてかの有名な〈アイドルアルティメイト〉を優勝。同じく伝説として語られている日高舞を倒して〈Sランク〉アイドルになった存在。

 しかし彼女は何を血迷ったのか突如引退宣言をして、消えた。言葉の通り消えたのだ。彼女が所属していた事務所は跡形もなく消えた。ミンメイの情報は今と昔も変わっていないので、当時からしても消えた彼女を探すのは不可能だった。

 ミンメイが及ぼした影響は、1999年に日高舞が引退した時と若干異なる。アイドル氷河期と呼ばれた時代が日高舞によって訪れたがミンメイは違うのだ。むしろその逆。彼女は新たに火をつけた。それをどう解釈するかは各々によって異なるだろう。

 そんな謎の多い彼女であるが、今では『本当にそんなアイドルがいたのか』なんて言われている。映像は少なく、CDはほぼ絶版。オークションでは相当な額がついている。映像などは限られていて数もない。実を言うと、ミンメイは過去にサイン会などは一度もしていないらしい。以前彼女の友人だという親族がそのサインを見せたが、世には一枚も出回っていないのでそれが本物かどうかすら不明とされいい笑いのネタになったのも新しい。

 ようは本物の彼女を見たことがない我々からしたら、彼女はまさに虚構であり偶像だったのではないか。一種の都市伝説なのではないかとすら言われている。

 しかしそれを裏付けるように、過去の雑誌にある一文がある。

『私は幸運である。日高舞、そして〈リン・ミンメイ〉と二度も新しい時代の終わりと始まりを目撃することができたのだから。あれから少しの時間が経った。今ではもう過去のことのように扱われてしまうのは、そういう時代なのだろうか。今でも私は考えていることがある。それはリン・ミンメイとは、はたして本当に存在していたのか、ということだ。

 いずれはミンメイの名前すら出てこなくなるだろう。もしかすれば、いつかはリン・ミンメイなんていうアイドルは存在しなかった、なんていわれる時代が近いもしれないだろう。別にそんなの今も昔も珍しくないだろうが。

 だが私は知っている。あの会場にいた一人として、断言しよう。

 〈リン・ミンメイ〉はあそこに、あのステージの上に確かに存在していたのだ。二度と見られぬ彼女の姿を、この目で。

 だからせめて、私は文字に記録しよう。リン・ミンメイがいた証を少しでも残すために』

 これを書いた記者の名は善澤という男らしい。私は彼に嫉妬する。正直にいって羨ましいからだ。彼は本物の彼女を知っている。彼女の歌を聴いている。こんな便利な世の中になったのに、未だにタイムマシンがないのだからどうかしている。

 私もネットでダウンロードした(すでに権利が切れてフリーになっている)ミンメイの曲を今でも聴いている。素晴らしい歌だ。彼女だけではない。あの時代に輝いていたアイドル達の曲は、どれもいい歌ばかり。

 けれど、その後の時代に日高舞や〈リン・ミンメイ〉と肩を並べるアイドルは存在していない。いや、例外があるとすれば、そこに新しく名前が入るだろう。かの〈銀色の女王〉と呼ばれ、〈フィクサーの女〉と噂された新しい伝説四条貴音。ミンメイショックのあと、事実上彼女がアイドルの頂点として君臨し、アイドルを引退、タレントして最後まで活動するまで彼女が今日までを支えていたといっても過言ではないだろう。その彼女も数年前に旅立った。

 そして今はどうだろう。

 現実の存在ではなく、二次元的なアイドル――バーチャルアイドルが今の主流であるが、はたしてそれらにかの三人や過去のアイドル達に名を連ねる者はいるだろうか。

 近いのはシャロン・アップルであろうが、私は彼女の歌はあまり好きではない。理由はわらかない。彼女の歌もいいとは思いつつも、過去のアイドル達の歌の方が好きなのが現状だ。

 私情を挟んでしまったが結論としては、やはりミンメイほどのアイドルは存在していないのが私見だ。

 しかしこれは絶対ではない。いずれ、ミンメイのように突然とその存在が現れるかもしれない。

 ならばと、私はその瞬間を目撃するまではペンをとろうと思う。先の善澤氏のように、私も後世に記録を伝えるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけの落書き(最後なので遊んだ)

【四条貴音(愛)】

 最後に立ったのはアイドルとしての自分ではなく、どこにでもいる一人の女であった。それでも彼女は勝った。アイドルではなく、一人の女として

 一応日高舞に勝てたのは、彼女自身の力である

 尚、無意識にカリスマ(オカルト)を発揮しており、ガチでやれば完全掌握できた。ただミンメイに勝てるかは能力発動で五分五分ぐらい? 

 オカルトだけの力比べなら勝ってる

【四条貴音(極)】

 設定のみ。「己という存在を自覚しすべてを捧げた末、愛を得て極限に至った女帝」

 解放条件:あとがきにて公開

 強さ:能力的にはカリスマ全振り状態。カリスマの副産物でステータスが底上げされており、設定だけの超覚醒美希と渡り合え、かつ能力全開放ならミンメイに勝つ(確定)。尚、勝利すると極から神になる模様

【オカルト】

 隠し要素(後付け)

 ぶっちゃけ特殊能力。アイドルなら誰でも持ってる(ゲーム的な意味で)

 後付けになるけどヘレンが唯一このオカルトをちゃんと認識しつつ能力を使っている。

 無意識組 四条貴音、日高舞

 常時発動かつチート リン・ミンメイ

【もう一人の彼】

 それは多くの選択の結果、夢を叶えることができなかった無数に存在する彼の無意識の集合体か、あるいは彼の罪悪感が生み出した存在か。どちらにせよ、夢を叶えたことで、彼はもう二度と現れない

【RESURRECTION】

 適当に考えた日高舞の新曲

【ミンメイショック】

 一年でSランクアイドルになり、なった瞬間に引退した事件。同時に多くのアイドルらが、ふざけんな!と声をあげ、以前よりもアイドルブームに火をつけたことによりそう呼ばれている

【そのあとの二人】

 ぶっちゃけR18なので書きません。要望があれば書くかもしれないし書かないかもしれない

【シャロン・アップル】

 元ネタマクロスプラスより

 特に“現時点”では関係ない

【フィクサーの女】

 未来における貴音の肩書の一つらしいが……?

 

 

 ※一部歌詞を載せたのですが。マズいようでしたら修正しますので、詳しい方がおりましたら報告お願いします。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。