二〇一三年 三月中の出来事
それは三月に起きた些細な出来事である。その日貴音は事務所でプロデューサーのパソコンを使ってインターネットを使用していた。使い方は苦戦したがプロデューサーにも教わり今では普通のことはできるようになっていた。
丁度そこに居合わせた響が貴音の隣に来て画面を覗き込んだ。
「貴音、何をみているんだ?」
「ああ、響ですか。いえ、少しマンションやアパートなどをみてまして」
「なんだ、引っ越しか? 別に今の所ででも大丈夫じゃないか?」
響は貴音と仲がいい。何度か貴音の家に行ったことがある。一人暮らしにしてはそれなりにいい所に住んでいたはずだ。
「まあ、色々ありまして」
「ふーん」
貴音のことだ。どうせアレ関係だろうなと響は推察した。
そのアレとは今丁度事務所に帰ってきた、
「ん、貴音と響じゃないか。俺の机でというかパソコンか。なにしてるんだ」
それはプロデューサーのことだった。プロデューサーが来て早四ヶ月。その間、少しずつ貴音に変化が起きていた。
鈍感な方だと思っている響でもそれはわかった。
特にそれを自覚し始めたのは貴音の誕生日の時だったはず。電話であの人からプレゼントにペンダントをもらったことを聞いていた。その時は物凄く嬉しそうに語っていた。けど、次の日になると一転不機嫌になった。
まあ、わかりやすかった。
「プロデューサー、貴音が引越しするんだって」
「引越し? なんでまた突然。お前のマンション、徒歩じゃ時間かかるが電車とか利用すればかなり近いはずだが」
プロデューサーも響と同じ意見だった。
「いえ、最近なにやら視線を感じるもので……」
「まあ、貴音もかなり人気が出てきたからなぁ。しょうがないさー」
「ふむ」
響の言う通りそれが一番の原因だろうとプロデューサーも同調した。
「あの参考までにあなた様はどこに住んでいらっしゃるのですか?」
「俺か? ○○区にある○○ってマンション。知人の伝手でな、普通より安い家賃で少し助かってる」
といっても月○○万もするかなり高いところだ。一人暮らしにしては持てあます、2LDKの駐車場つき。車は所持していないが現在は765プロが所有する営業車がたまに停まるぐらいだ。有名人なども利用していた時もあるため情報管理や安全対策も問題ない。
管理人が「守護らねば……」と口ずさむぐらいには安全だと思われる。
「ふむ……参考になります」
「プロデューサーってお金あるんだな。いや、深い意味はないぞ?!」
「まあ、仕事初めてから散財とかしてなかったからな。貯まる一方で、住むとこぐらいには金を使うかって思ってな」
「ちなみに給料いくらなんだ?」
「秘密」
「ケチー!」
「大人はケチなんだよ」
そう言って彼は荷物を置いて社長室に向かった。
残された二人はそのままプロデューサーのパソコンで通販サイトを見始めた。
後日。
(今日は早く終わったな。ビール、ビール)
時間は既に十八時を回っていた。普通のサラリーマンならすでに帰宅ラッシュか夜の街に繰り出している頃だろう。
しかし、プロデューサーという職業はとても忙しい。アイドルが人気ならその分もっと忙しい。
そのアイドルは、本日は休みで一度も会っていない。売れっ子アイドルと言っても休みがないのはヤバイ。逆にプロデューサーはしょうがないのだ。
ともあれ今日は仕事も既に片づけ、明日のスケジュールに関しても問題なく確認済み。久しぶりの早仕舞いとなった。
(飯なんかあったけな……。米はあるが今から炊くのはなぁ)
冷蔵庫の中身を思い出しながら帰路につくプロデューサー。すると我が家があるマンションが見えてきた。24階建。エレベーター完備。都内にしてはそこそこ値が張るが金はあるので問題ない。
マンションに入ると管理人の本部がいた。
彼は歳もとっているし男のわりには髪の毛を少し伸ばしている。ただ、やたら風格があるのは住人の共通認識であった。
「あれ、本部さん? なにやってるんですか?」
「お前を待っていた」
「俺?」
「ああ。今日お前の隣の部屋に新しい入居者がきたんでな。一応、前もって伝えようと思って待っていた」
「わかりました」
「何か困ったことがあったら助けてやれ」
「ええ、わかりました」
伝手の紹介と言っても事実目の前に本人の了承を得て家賃を少しまけてもらっている恩もある。なにより、自分も若いころは他の住民に助けられたなと思いだし了承した。
エレベーターに向かって自分が住む18階のボタンを押す。入口が閉まる直前本部が、
「お前も……彼女も、俺が守護らねば」
その声は彼には届くことはなかった。
チンと音が鳴りエレベーターが止まる。自分の部屋に向かって歩いて行く。すると一人の見覚えのある女性が目に映る。
いやいや、そんな馬鹿な……と首を横にふる。
そして、もう一度みる。その手には何やらお盆らしきものを持っていた。
目頭を押さえる。
(頭が痛くなってきた……)
どうみても服装からして普段の彼女が来ている服。見間違えることのないその銀色の髪。
自分の部屋の前に立っているのは紛れもなく、四条貴音であった。
(……事務所に帰ろう)
決意。右足を一歩後ろに向け、撤退しようとしたが遅かった。
「あら、あなた様ではありませんか。どこへ行かれるのですか? あなた様の部屋はここですのに」
彼は諦め彼女の下へ歩いて行く。その足取りは重い。
「どうしてここにいる、なんでここにいる、どうして俺の部屋の前にいる。ついでにそれはなんだ」
「質問が滅茶苦茶です。まあ、答えは至ってしんぷるです。私があなた様の隣の部屋に引越してきた、それだけです。ついでにこれは引越し蕎麦です」
(そういうことか……)
プロデューサーは少し前に事務所でのことを思い出した。あれは全部計算して行われたのだ。あの場で自分が来ることを前提に引越しの話をする。理由も理由だ。それに自分でこの場所を教えたのがそもそもの間違い。あの時点で貴音の勝利だったのだ。
「色々と考えていらっしゃると思いますが、誰かの視線を感じたというのは本当です。恐らく、ごしっぷ記者も含まれていると思いますが」
「……理由はわかった。だが、どうして俺の住んでるマンション……。いや、その理由を聞く権利は俺にはないな」
アイドルとしてではなく、一人の女として行動した。理由はっきり言えば自分が関係している。ペンダントの時もそうだったし、あの時の返事もちゃんとしていないのだ。
「わかった。じゃあ、それは貰っていくからお前も部屋に帰れ」
「……一緒に食べるのではないのですか?」
「……」
「……」
暫し、見詰め合う二人。折れたのは結局プロデューサーの方だった。鍵を開け、自分の部屋へと招いた。
貴音はお邪魔しますと玄関で靴を脱ぎ、未知の領域へと一歩踏み出した。間取りは自分の部屋とはあまり変わっていない。
一人暮らしと聞いていたので置いてあるものは少なかった。キッチンへと視線を向ける。意外と片付いており綺麗な状態だ。
リビングへ来ると奥にテレビとテーブルが一つにソファーが一つ。普通だったらキッチンの前にもう一つテーブルと椅子があるのだろうが一人暮らしのため不要だったのだろう。
意外とスペースは余っていた。
「ちょっと、電話してくるから待ってろ」
「はい」
プロデューサーは荷物を置いて再び部屋の外へ出た。電話の相手は当然社長だ。
何回かコールしたあと繋がった。
「あ、社長ですか。すみません、お疲れのところ」
『ああ、そろそろだと思っていたよ』
「え?」
『貴音君のことだろう? 彼女から話は聞いているよ』
この人は何を言っているんだろう。つまり、グルだったのか。
「いや、いやいや! 流石に不味いでしょ!」
『君のいう事もわかる。だが一個人としては君にもそろそろ身を固めて欲しいと思っているし、貴音君もその気みたいだし構わないと思ってね』
「駄目でしょ」
『それに今はアイドルとそのプロデューサーが恋仲になるのは左程問題でもないのは君も知っているだろう』
確かに知っていた。ある日を境にアイドルとそのプロデューサーが電撃結婚とかするのは最近ではよくある話だった。ただ、その時点でアイドル活動は不可能なり、引退ライブのあと歌手かタレント、専業主婦として新しい生活を送ることになる。
これの意外なところがファンからの苦情とか批判があまりないことである。
つまり、どうかしているのだ。
『私も今後の事を考えて営業車を一つ手配しようと思っている。その方が便利だろう』
確かに一緒に住んでいるなら車があれば移動も楽だし、すぐに仕事場にも行ける。確かにそうなのだが……。
『社長として言えることがあるとすれば』
『すれば……?』
『流石に今はやめてくれよ? 今トップアイドルの四条貴音が引退というのは今後の765プロとしても……』
さっき言った一個人と左程内容は変わらなかった。
用はアイドルと恋仲になってもいいけどオイタはしないでね。そういうことだった。
それから少し社長と話をして電話を切った。
「(もう)アカン」
彼は諦めた。部屋に戻るとデーブルの上に引越し蕎麦を並べ、箸も用意している貴音がソファーに座って待っていた。
「終わりましたか?」
「ああ、終わったよ(色んな意味で)。あー、ビールビール」
冷蔵庫からビールを取り出す。残りが一つだった。視線を下に向ける。潰されたダンボールしかなく買い置きはなかった。
視線を戻す。一つだけしかないビールが俺を見つめてくるようだ。
〈残念だったな。まあ、腹くくれよ。これから毎日一緒にいるってことは仕事の効率もあがるんだ。悪くないだろう? それに考えてみろよ。世間が騒ぎたてているアイドルが今、自分の部屋にいて飯も一緒に食えるんだ、最高だろう。ま、今は地獄かもしれんがその内天国に早変わりさ。さあ、今はそんなこよりも俺を飲んでみんな忘れちまえよ……〉
酔ってもいないのに幻聴が聞こえ始めた。バンッと冷蔵庫の蓋を閉じる。
そのまま貴音の隣に座る。いつもだったら横になってテレビをみるぐらいには幅があるこのソファーも何故か今は狭く感じる。
「お注ぎしましょうか?」
笑顔でそういう素振りをしながら聞いてきた。瓶じゃないからいいと断る。
蓋をあけ一口飲む。
(不味い……)
ビールがこんなにも不味いと思うのは学生の頃、興味本位で初めてビールを飲んだ時以来だと思いだした。
「「いただきます」」
そのあとは無言でただ蕎麦を食べているだけだった。
蕎麦は美味かった。普通に。
蕎麦を食べ終わったあと、貴音は自分の部屋へと帰っていた。
プロデューサーは精神的疲労のあまりそのまま寝た。
それから暫くして……。
社長はもう一台営業車を用意。それをプロデューサーがメインで使うことを許可された。
つまり、
「貴音、今日はこのまま収録現場までいくぞ」
「わかりました」
またある時は、
「貴音、今日はこのまま直帰な。俺も今日の仕事は終わらしてあるから丁度いいしな」
「はい、お願いします」
ということになった。
確かに仕事の効率は上がった。
プロデューサー本人も慣れてきたのか、それとも毒されたのかはわからないが、
「あなた様、朝ご飯の用意ができました」
「おう」
「あなた様、今日の夕飯はかれーを作ってみました」
「うん。うまいな、これ」
貴音は通い妻と化していた。
このことを知っているのは社長のみ。尚、内容は知らない。
いつしかプロデューサーは、食事を作ってくれる貴音に申し訳がないと思い月々の食事代を渡した。また、玄関の前で待っていても困るので合鍵も渡していた。
プロデューサーも最初の不安やら怒りなどとうに忘れ、一方貴音は毎日が楽しくて仕方がなく、日々笑顔で過ごしているという。
余談ではあるがこの先。さらに一人増えることになろうとは、二人も思っていなかった。
プロデューサーは女性(アイドルが)を自宅に連れ込んで(合鍵で入ってきて)、その上金銭的取引(食事代を渡している)は不味いですよ!
恋愛要素ありなんでこんな感じでぐいぐい迫る貴音もアリかなと思って書きました。
もしタイトルをつけるならば
『プロデューサー危うし! 貴音、始動の巻』
でしょうかね。
次の幕間はプロローグでかいたカツラとか眼鏡とかの話も書こうと思ってます。