インフィニットストラトス-仮初めの称号《004》 作:ドカン
インターホンを押すと、すぐに扉が開いて友人が顔を出した。
「ハイ、ヴェロニカ」
「こんにちは」
「にしても、日曜なのに制服? IS学園の制服ってたしかに可愛いけど、日曜くらい楽にすれば?」
「ちょっと図書室に用事があったものですから」
「ふーん」
友人がラフな部屋着なのに対し、ヴェロニカの服装はIS学園の基本的な制服だった。IS学園の制服はそれぞれが好みでカスタムできるのが売りだが、ヴェロニカは目に見える改造は施していない。肩で切り揃えた黒髪にアイスブルーの瞳は自分では気に入っているが、学園の中では目立つものではない。背も低く成績もぱっとしないため、地味な生徒としてヴェロニカは通っている。
「ま、入ってよ。今日はセシリアいないし、気使わなくていいから」
「失礼します」
ヴェロニカは慣れた調子で友人のあとに続いた。IS学園の寮室はほとんど同じ造りになっている。せいぜい向きが違うか、建物の構造上いくつか特別な部屋があるくらいだ。誰の部屋も似たようなものとも言えるし、同じだからこそそれぞれの個性が見えるとも言える。だが、この部屋だけは別格だった。
「やはり、何度見ても壮観ですね」
「あはは、あたしはもう慣れたよ」
部屋の中には巨大な天蓋付きのベッドが設置されていたのだ。ベッドだけではない。クローゼットも、机も、証明も、壁紙も。すべての調度品が一流ホテルのスイートもかくやという品々で占められているのだ。寮のベッドもけして安物ではないのだが、この城のようなベッドと並べられると簡素なものに見えてしまう。
「ま、ちょっと狭いけどその分あたしも高級な家具を使えたりするし、別にいいかなって。セシリアもあれで面白い子だし。お茶っ葉なんかは勝手に使っちゃってるしね」
「私もそれが目当てで遊びにくるようなものですから」
「あ、ひどー」
話題の人物。この部屋の住人の片割れであるセシリア・オルコットは一年生ではちょっとした有名人だ。英国の代表候補生であり学内でも数少ない専用機持ち。これで注目されないはずはない。
「でも、ヴェロニカ。同じイギリス人なのに、あんまりヴェロニカはセシリアと話してるとこ見たことないよね」
「ん、んー……。英国人同士、というのもそれなりに気を使うんです。そっちだって、同郷ってだけでみんなと仲いい訳じゃあないでしょう?」
「そういうものかぁ」
英国は階級社会である。同じ英国人、といってもヴェロニカとセシリア・オルコットではかなりの違いがあるのだ。学校ひとつとっても、セシリアが通っていたのは長い伝統を誇るパブリック・スクールで、ヴェロニカはちょっと特殊な公立学校に通っていた。そこで培ってきた価値観にもかなりの違いがある。セシリアとしては外国人と割り切れる相手と話しているほうが気が楽だろう。
それだけではない。セシリア・オルコットは上流階級の娘としては少し特殊な立ち位置にいる。セシリアの両親は事故で他界しており、彼女は若くして莫大な遺産とオルコット家という伝統を一身に背負っているのだ。このIS学園にやってきたのも家と財産を守るためだった。両親の死後、セシリアのもとには金と権威目当ての人間が大勢つめかけたという。IS学園でも、英国出身の生徒たちがセシリアに近づこうとするのをヴェロニカは見たことがある。
他にもあるが、ヴェロニカがセシリアと距離を置いているのはこういう理由からだ。無論、わざわざ言うことでもないので黙っている。
「あ、忘れてた。お茶入れるね」
「はい。お願いします」
しばらく談笑したあとに、友人がそういった。ヴェロニカが持ってきた菓子でこの部屋のお茶を飲むのが二人のいつものパターンだった。
友人が席をたった瞬間、ヴェロニカは自分のISを起動させた。
(起きろ、ゴールデン・アイ)
ヴェロニカの専用機『ゴールデン・アイ』が展開される。頭部の周囲にのみ限定展開されたG・Eが周囲の情報を貪欲にかき集めていく。
(……机の下に2つ。照明の中に1つ。ペンに仕込まれたものが1つ)
“虫”の位置を確認するとすぐにISを待機状態に戻す。G・Eは普段は腕時計になってヴェロニカの左手に待機している。
「ヴェロニカー、たまにはレモンティーにしてみない?」
「おまかせしますー」
「はいはーい」
友人の声を聞きつつ、ヴェロニカは照明、机の下へと手を伸ばしていく。そこに設置されていたものを素早く取り除く。ヴェロニカの手の中に握られていたのは小型の盗聴器である。英国の次世代機の能力を少しでも盗もうという間諜の仕掛けたものだ。虫、というスラングが似合うほどに取っても取っても湧いてくる。ハンカチに包んでポケットに放り込むと、最後に机の上にあるボールペンを手に取る。この中に盗聴器が仕込まれているようだった。
(これは……壊すわけにはいきませんね。セシリア嬢の持ち物ですし、なくなれば騒ぎになるかもしれません)
別に高級品ではない。どこにでもある普通のボールペンだった。日本の学生も使うような品だ。同じものを用意してすり替えるのが最良だが、今は手持ちがなかった。
ヴェロニカは少し考えたあと、胸元から一本のペンを取り出した。盗聴器のペンとすり替えるわけではない。ヴェロニカは盗聴器を机の上に置くと、自分のペンを握りペン先を盗聴器に向ける。カチリと、ペンの尻を押すとペン先から青白い火花が走った。同じことを数回繰り返す。
ペン型のスタンガンである。電流を流すことでボールペンの中に仕込まれた盗聴器を無効化したのだ。
(Qのつくる玩具もたまには役に立ちますね)
念のために、もう一度ISを起動させて盗聴器の状態を確認する。思ったとおり無力化できていたのを確認して、ヴェロニカはもう一度ISを待機状態に戻した。
「おまたせー」
盗聴器のペンをもとあった位置に戻したとき、ちょうど友人が紅茶を淹れて戻ってきたところだった。
「ありがとうございます。ではいただきましょうか」
ヴェロニカは持ってきた焼き菓子を広げて微笑んだ。
ティータイムを済ませるとヴェロニカは部屋を辞した。そのまま寮舎を出て人気のないところまで携帯電話を取り出す。
『なんだ』
相手は1コールで出た。鉄のような冷たさの声が通話口から響く。
「ラブロックです。織斑教諭。セシリア・オルコットの寮室において盗聴器を発見しました。無線式3・録音式1。無線式の1つは回収不可能だったのでその場で無力化しました」
『ああ、適当に処分しておけ。虫くらいで休みにわざわざ電話してくるな』
「了解です」
通話の相手は織斑千冬。このIS学園の教師であり、過去にはISの国際大会で活躍したこともある世界有数のIS乗りの一人である。
ヴェロニカはポケットから盗聴器を取り出し、地面にぱらぱらと落とした。踏みつけて少し力を入れるとたやすく潰れる。
『他に何か報告することはあるか』
「ISが東南の海上から視線を察知しました。船舶かISかはわかりませんがなんらかの斥候が潜んでいるものと思われます」
『分かった』
「あと」
『まだ何かあるのか』
「明日の実技ですけど用意するのは体操服で大丈夫でしょうか?」
『……明日は実機での訓練だ。ISスーツで来い』
「了解です」
『たまに、貴様は学生なのか諜報員なのか判断に苦しむな』
「両方であります。織斑教諭」
『ふん、ヒヨッコが。MI6でどんなぬるま湯に浸かっていたのか知らんが、ここの訓練は甘くないぞ。覚悟しておけ』
「了解しました」
ヴェロニカはそう言って通話を終える。
ヴェロニカ・ラブロックはIS学園の一年生である。黒髪にアイスブルーのひとみ。少し背が低くて成績も中の下。クラス内でも目立つタイプではない普通の少女。そういうことになっている。
だが、ヴェロニカには一介の学生とは別の、もう1つの顔があった。英国情報局秘密情報部、通称MI6の諜報員という顔である。
英国が誇る情報機関、その名も名高きMI6が少女の棲家だった。米国中央情報局(CIA)と並ぶ超有名情報機関であり、誰でも名前くらいは聞いたことがある組織だろう。しかし、その著名度に反して実態を知っているものはほとんどいない。少女はその謎に包まれた組織の一員である。
このIS学園の周囲は世界でもっともスパイの多い場所の一つだ。華やか学園生活の裏では血で血を洗うような諜報戦が繰り返されている。MI6はIS学園を中心に諜報員を多数配置してきたが、諜報員を生徒そのものとして送り込むのはこれが初めてだった。MI6とIS学園保安部との交渉で、保安部に一定の協力をすることを条件に『004』ヴェロニカ・ラヴロックの入学が認められた。
『004』それがヴェロニカのコードネームだ。MI6には通常の局員以外にゼロゼロナンバーと呼ばれる特殊諜報員がいる。彼らは特別な権限を与えられたエージェントで、任務に対する報酬も桁外れだ。無論、その分危険度も重要度も高い任務を任されている。英国内から優秀な人材が選ばれるのが基本だが、外部からスカウトされることも時折ある。過去には他国のテロリストや犯罪者すらも手駒として使ってきた。
ヴェロニカのような小娘がゼロゼロセクションのメンバーに選ばれることは極めて異例である。ヴェロニカはたしかに英国の養成校で優秀な成績を収め、すでにいくつかの任務もこなしている。だが、才能だけで選ばれるほど生やさしい称号ではない。それでは、ヴェロニカにはそれを覆すほどの才能があるのか。否、少女とは関係ないところでこの称号は与えられた。
今年の新入生の中に諜報員を潜りこませるのはもともと決まっていたことだった。その理由はセシリア・オルコットにある。両親を亡くしたあと、独りで家を守ろうとする健気な少女。彼女にはひそかにファンが多い。英国の社交界ではすでに話題になって後援会などもできつつあったが、ISの代表候補生として名前を売ったことで庶民層にも爆発的に人気が高まった。そのセシリア・オルコットを陰ながら守り支えるために送り込まれたエージェント。それがヴェロニカ・ラブロックである。
この時点でヴェロニカは004ではない。そのきっかけとなる事件が起きたのは今年に入ってからだ。それまでISは女性しか動かせないとされていた。その常識が壊される大事件が起きたのだ。ISを動かした男性というのは日本の少年だった。少年の存在は瞬く間に世界に激震を起こした。それは、諜報の世界も例外ではなかった。
ISを動かした少年はIS学園に入学することになった。それによりIS学園を中心とした諜報戦は一気に激しさを増したのだ。MI6も予算と人員を増強してそれに対応した。その資金繰りに困った上層部が打った苦肉の策が、ゼロゼロセクションの資金に手をつけることだった。ゼロゼロセクションの予算は通常の情報局の予算とは別に用意されており、ゼロゼロナンバーの任務のためならその膨大な資金を使うことができる。IS学園の任務に付いている諜報員の誰かに空席のゼロゼロナンバーを与え、資金を流用する計画だ。
こうして、史上最年少のゼロゼロナンバー。『004』ヴェロニカ・ラブロックは生まれた。その過程を知る者はヴェロニカを『仮初めの四番』と呼ぶ。