インフィニットストラトス-仮初めの称号《004》 作:ドカン
英国のサッカー好きは有名である。もとより欧州ではサッカーは人気のあるスポーツだが、近代サッカーの母国と言われる英国ではその熱気は特別なものとなっている。ときおりその熱がいきすぎてフーリガンのような社会問題になるほどだ。
ヴェロニカは英国人だが、さほどサッカーには興味はなかった。ヴェロニカの好きなスポーツはモータースポーツである。サッカーはせいぜい、プレミアリーグで地元のチームが勝つと嬉しいといった程度のものだ。選手も有名どころしか名前をしらない。
なので、今回日本で開催されるサッカーの国際試合もあまり関心がなかった。
『ひどいと思わない? 私がせっかく苦労して手に入れたチケットを任務用に回せって言うのよ? それなら最初から用意しておけばいいのに、まったく』
「はぁ」
ヴェロニカは『ユニバーサル貿易』に定期連絡を入れていた。ここのところ電話をするたびにサッカーの話題で辟易する。相手の話を遮るように強引に話を戻す。
「それで、任務に関してなにかありますか」
『ああ、近々ちょっと大きなミッションがあるわよ。それもサッカーがらみの』
「はい? 選手の護衛でもしろって言うんですか?」
いつもどおり『変更なし』との答えが返ってくると思っていたヴェロニカの声が裏返る。
『開会式の会場警備のお手伝い。せっかく日本開催なんだからってことで、IS学園の生徒さんたちが花束の贈呈をすることになったのよ。それで警戒レベルがちょっと上がっちゃって』
「うっわ、本当ですか」
注目度の高いスポーツの大会はただでさえテロなどの対象になりやすい。そこにIS学園の生徒という別の爆弾を放り込むのだ。警戒度は上がって当然だろう。
『最初は生徒さんにISで開会式の演出に加わってもらうって話もあったんだけどね。IS学園側が突っぱねたらしいわ。爆弾騒ぎもあったから慎重になっているんでしょうね。被害が実際に出てたら生徒の開会式の参加自体取り止めになってたかも』
「そういえば、爆弾について何か分かったんですか。学園側からも何も情報が降りてこないので」
爆弾は街と学園内で1つずつ見つかった。ヴェロニカはそのうち1つを解体したが、構造はわかっても出所や犯人などの見当はつかない。何度か学園側に問いただしてみたが梨の礫だった。
『それがさあっぱり。どこもやっきになって犯人探ししてるけど中々尻尾を出さないの。CIAも相当手こずってるみたい』
MI6はヴェロニカに嘘は言わない。隠し事がたまにあるだけだ。なので爆弾について分かっていないのは事実なのだろう。
「上は、今度の開会式でも同様の犯行があると?」
『可能性のひとつとしては考えているわ。もちろん、あらゆる敵を想定して動けとのお達しよ』
「分かっています」
敵を限定してしまっては判断がブレる。想定の外側から来る攻撃に弱くなる。
『当日の状況にもよるけど、貴方は会場の外で友軍のような扱いになると思うわ』
「ISの使用は?」
『不可。G・Eはまだ実験段階の部分も多い試験機。誰が見ているかも分からない場所では使わせられないわ』
「了解」
他、細々としたことを確認してから電話を切る。国際レベルのスポーツイベントの会場警備という大きな任務に、ヴェロニカは我知らず胸を高鳴らせた。
過ごしやすい陽気の日だったが、街は燃え上がるような熱気に包まれていた。開会式の会場はかなり離れているというのに街中にユニフォームを来た若者が溢れている。外国人の姿もよく目につく。外国人に対してシャイな日本人もこの時だけは別だ、祭りの熱狂に任せて一緒になって騒いでいた。
開会式のあるスタジアムにほど近い駅前広場だった。巨大なビジョンに映しだされた開会式の映像を囲み、階段や歩道、陸橋とところ狭しと人がごった返している。
ヴェロニカは遊軍として街の中を歩いていた。不審者や不審物の探索をしながら、どこかで問題が起きればそこのフォローが役割だ。
今日はもちろんIS学園の制服は着ていない。あんな目立つ制服では自由に動くことができない。街に溶け込むのに相応しい変装をしている。日本のティーン・エイジャーで流行している服装。安っぽくて目がちかちかしそうな色の服だが、この人混みの中に紛れるにはもってこいの記号だった。メイクで肌の色も日本人風にごまかしている。ヴェロニカはもともと日本人の祖母によく似ているので、それだけで十分日本人に見えた。アイスブルーの瞳は目立つためキャスケットを深くかぶってごまかしている。
(なるほど……これはこれで、悪くないものですね)
祭りに熱狂している街を見て、ヴェロニカはそう思った。ヴェロニカはサッカーにあまり興味はないが、この熱だけは伝わっている。F1の観戦をしているときのあの興奮。タイヤの焼ける臭いとオイルの臭いの中で汗だくになって騒いでいるあの感覚を思い出す。見ている夢が違うというだけで、そこにある熱狂は同じものだ。その実感がヴェロニカのやる気に火をつける。
(……といっても、この群衆の中では不審者というのもなかなか判別がつきません)
もとより異国人のヴェロニカは日本の街をよく知らない。どういう人物が普通なのかも判別が難しい。IS学園にきてから周辺の街に何度か足を運んだが、まだ慣れるものではない。さらに、今の街はイベントで世界中から人が集まっている。この混沌とした群衆の中から不審なものを探すのは至難の業だろう。
仕方なく駅前広場をぐるりと散策する。目に付くのは至る所に出ている屋台だ。移動販売車や自転車で引いている流し売など、色々な食べ物の店が出ている。人が集まるところにこういう店が集まってくるのは万国共通のようだった。
開会式の様子も見ないで、周りと騒ぐわけでもなくひとりでブラブラしているだけでは目立つかもしれない。ヴェロニカはそう判断して屋台で食べ物を買うことにした。
(怪しまれるといけませんからね。うん)
ヴェロニカが買ったのはたい焼きだった。好きなバンドのメンバーの好物だという話を聞いたことがあったからだ。魚の形をした愛くるしい焼き菓子を袋に詰めてもらった。人混みから少し離れた陸橋の下で食べる。頭から食べるのか尻尾から食べるのか作法が分からず、割って半分づつ食べていく。
(ほう。ほほう……これは、なかなか……)
焼いた衣で豆のペーストを包んだだけの素朴な菓子だ。衣は表面はカリッと固く、中はしっとりとした食感が楽しい。アンコという豆のペーストも、食べてみると美味しかった。ヴェロニカは一部の西洋人と同じく、甘い豆のペーストというものに苦手意識があったのだが、それが食わず嫌いだったと証明された。
(考えてみればピスタチオクリームも同じようなものですしね)
これで大福やおはぎなど、これまで敬遠してきたアンコ系の和菓子群と向き合うことができる。次々とたい焼きを食べながらヴェロニカはそんなことを考えていた。
ヴェロニカがたい焼きをあらかた食べ終えたとき、片言の日本語で話しかける者がいた。
「はい? なんでしょう」
話しかけてきたのは三人の白人男性だった。ひとりがたどたどしい日本語で道を尋ねている。ヴェロニカを日本人の女の子だと思っているようだった。
ヴェロニカもこの街に詳しいわけではないが、任務前に大まかな地理は頭に叩きこんである。日本語もおぼつかない外国人よりはマシだろう。国際的なスポーツイベントの開催ということで街の至るところに色々な言語で観光案内などが書かれているものの、それでも異国の街というのはわかりにくいものだ。
「良いですよ、ちょっと待ってくださいね」
親切心から地図を広げる。そのとき、自分が自然と日本語で受け答えをしていることに気がついた。母語といっても数ヶ月使わないだけで出てこなくなるものかと苦笑する。彼らがどこの人間かは分からないが、日本語よりは英語のほうがマシだろう。
英語で話しかけようとしたとき、ヴェロニカの耳に三人の会話が飛び込んできた。
(ハハハ、日本人はお人好しってホントだな。ノコノコついてきたぜ)
(でも日本のポリスは優秀だって言うぜ、大丈夫かな)
(大丈夫だって。この人混みだぜ、バレやしねえよ)
ヴェロニカが理解できないと思って堂々と話している。訛りからして米国人のようだ。英国人にはありえない南部訛りだ。
金目的かそれ以外が目当てかは分からないが、人混みに紛れて犯罪をしようという不逞の輩だ。人の数が増えればこの手の人種も増えるのは仕方のないことだった。
「ふう」
路地裏に三人を連れ込んでほどよく殴り倒したあと、警察に連絡を入れておいた。頬についた血をハンカチでぬぐいながら街の巡回に戻る。
テロリストとは違うが、ああ言った連中も紛れ込んでいるのが現状だ。イベントを成功させるため、不逞の輩の排除もヴェロニカの仕事といえる。
「ねえ君! どっから来たの?」
「チケット一枚余ってるんだけどさあ、一緒にいかない?」
ワンボックスカーに乗った大学生風の日本人の青年たちだった。ヴェロニカが無視していこうとしても、徐行しながら延々とついてくる。
(面倒くさいなあ……)
車に半ば強制的に連れ込まれながら、ヴェロニカは心中でぼやいた。
そんな風に祭りに乗じて浮かれた馬鹿どもを4グループほど立て続けに潰した。いい加減に面倒になってきてどこかの店に落ち着こうと思ったがどこも満席である。
(……これじゃただの辻斬りでなんの警備にもなっていない気がする)
ヴェロニカがそう思い始めた時、駅前で酒盛りをしながら騒いでいる若者の一人がこっちにやってくるのが見えた。
「いよーうチビガキ! てめえも来てたかーあーははは!」
革とチェーンだらけの派手なファッションの赤髪の女がビール片手にやってきた。なぜか頭にはテンガロンハットをかぶっている。
「ンだよてめえもそんな服装できるんじゃねえか。いっつも制服しか着てねえからそれ以外もってねえと思ってたぜ」
「どちら様でしょう。私は笹川藤子という日本人の女の子ですけど」
「なァーにふざけてんだよ。てめえも警備がてらここに呼ばれたクチだろ? ウチの連中に聞いたぜ」
「……任務中に話しかけないでください」
馴れ馴れしく肩に手を回してくるドロシーをはねのける。
「つーか笹川ってなんだよ。それに珍しく化粧なんかしてやがんな、色気づきやがって」
「祖母の名前です。メイクは日本人に紛れ込むためにやってるんです」
「あ、へえー。そうなんだ。日系なのか。どーりでツラが乳くせえわけだ。ケケケ」
「大きなお世話です。あと、酒臭い息を吹きかけないでください」
ドロシーは街の若者たちと酒を飲んではしゃぎ回っていたようだ。周囲には人種性別問わずたくさんの人たちでごった返している。みな、祭りの狂騒を心から楽しんでいる様子だ。
「任務中に何やってんですか貴方は」
「現地調査の一環として酒盛りをしておりました! キャハハハ!」
「この酔っぱらいが……」
任務中に酒に酔うその無神経さにヴェロニカは苛つ。こんなのと一緒にいては自分の仕事ができない。さっさと向こうに行こうとしたそのとき、数人のグループがドロシーたちのグループに近づいてきた。
さっきまでヴェロニカが殴ってきたのと同じような連中だ。向こうも酒が入っているようで、ひとりがむりやりヴェロニカに抱きつこうとしてきた。
「あ、ありゃ?」
酔っぱらいの素人に捕まるようなヴェロニカではない。わずかなステップで男の手から逃れる。抱きつこうとした男は足を滑らせてその場にこけた。それをみたドロシーの連れたちがどっと笑う。
それが気に入らなかったのだろう。絡んできたグループの何人かが声を荒げてドロシーたちに喰ってかかった。
(ああ、もう)
もともとタチの悪い連中だ。酔っ払っていては周りに迷惑をかけるだけでなく勢いで犯罪にも走りかねない。何人か声の大きい連中だけでも眠らせてしまおう。
ヴェロニカが掌打の構えをとろうとしたとき、広場に流れていた音楽が大きく変わった。開会式の会場からの中継の音だ。さっきまで荘厳な重苦しい音楽だったのが、陽気で楽しい祭りに相応しい曲になっている。
一瞬、街の空気が止まる。ヴェロニカも、騒いでいた若者たちも、音の変わりようにあっけにとられる。
止まった街の中で、踊りだした少女がいた。中継の音楽に合わせ、赤い髪を振り乱して軽快にステップを踏んでいく。音に弾かれるように次から次へとリズムを変化させていく。
踊りや、歌にはもともと力がある。人間がまだ動物だったころから伝わる最古の表現手段だ。力のある踊り手のダンスは、それだけで人を惹きつける。ヴェロニカを含め、広場にいた若者たちはドロシーの踊りに一瞬釘付けになった。
ドロシーが叫ぶ。言葉じゃない。ただの叫び。動物の鳴き声のような原始的な。それだけで十分伝わってくる。騒ごう・楽しもう。踊ろう・歌おうと。
広場の空気がひとつになる。混然としていた空気がひとつにまとまって騒ぎ始める。まるでシェイカーで混ぜ合わされたカクテルみたいに。さっきまでいがみ合っていたふたつのグループも、もはやそんなことはどうでもいいとばかりに騒いでいた。
「ハッハーっ! 飲んでるかオラー!」
「飲みません!」
一瞬だけ広場の空気を支配したドロシーは、すぐにもとの酔っぱらいに戻ってヴェロニカに絡んできた。
「ダンスでも、やってたんですか?」
「あん? あんなのガキの遊びだ。ウチの近所の連中なら誰でもやれたぞ」
げらげらと笑いながら隣にいた男のもっていたポップコーンを勝手にひとつかみ食べる。いきなり食べ物を取られた男は少しびっくりした顔になるが、ドロシーが笑顔を向けてハイタッチをするとそのまま騒ぎの中に消えて行ってしまった。
ヴェロニカはそれを羨ましそうに見ていた。どんな場でもすぐに溶け込んでしまうこの快活さが、ドロシーの諜報員としての最大の武器なのだろう。それはきっと、自分にはないものだ。ISの操縦がいくらうまくても、人の倒し方をどれだけ学んでも、本当にすぐれた諜報員にはなれない。ただ暴漢を殴り飛ばしているだけの自分では。
「……あなたの馬鹿さ加減がたまに羨ましくなります」
「あぁん? 喧嘩売ってんのかチビガキ」
「褒めているんですよ」
尊敬できる先達が近くにいる。それはとても幸せなことに思えた。口が裂けても言わないけれど。