インフィニットストラトス-仮初めの称号《004》   作:ドカン

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 ヴェロニカはビルの陰で酔を覚ましていた。ビル風がアルコールと狂騒で火照った肌に心地いい。

 無理やりビールを数杯飲まされた。英国では子供の頃から酒を嗜むので、ヴェロニカも初めての飲酒というわけではない。ただ、日本に来てからは飲む機会がなかったため、久々のアルコールに身体が驚いてしまったようだ。

 ミネラルウォーターをちびちびと飲む。これを飲み干したら任務に戻ろう。ヴェロニカはそう決めてビルに切り取られた空を見ていた。

「む」

 ヴェロニカの耳にひたひたという静かな足音が聞こえてきた。普通の足音ではない。訓練された人間の足音だ。そこらで浮かれている連中が騒ぎを抜けてきたのなら、もっと荒っぽい足音になる。ヴェロニカは足音から相手の特徴を読む訓練も受けていた。

(何者でしょう)

 はじめはドロシーが来たのだろうかと思った。だが、すぐにその考えは消える。ドロシーは足音を消すこともできるが、普段荒っぽい足音をさせて歩いている。それに、今日ドロシーが履いていたブーツではこんな足音を出すことはできない。

 街にはヴェロニカたちのような諜報員が大勢潜んでいる。もちろん、警備の人間はそれ以上に居るだろう。そういった人間の誰かだろうか。

(なら、取り立てて気にする必要も―あ)

 ヴェロニカは今の自分の立場を思い出した。完全に日本人に見えるメイクを施しているのだ。英国ではいざしらず、日本では未成年の飲酒はご法度である。もし警備の人間なら補導されてしまう。英語で話して外国人だと証明してもまずい。身分証を提示させられたらMI6に連絡が行ってしまう。任務中に酒を飲んでサボっていたなどと分かったらMI6のいい恥さらしだ。周りにはまた『仮初め』だと馬鹿にされてしまう。

 ヴェロニカは慌ててどこかに隠れようとした。だが、通り抜けられると思ったビルの合間にはフェンスが張ってあり袋小路になっている。仕方なく近場にあったビルの通気孔へと潜り込んだ。ちいさなヴェロニカの身体はこういうときに便利だった。

 ほこりっぽいダクトの中でヴェロニカが息を殺していると、足音がダクトのすぐ近くで止まった。ダクトから外は見えないが、ごそごそと何かを取り出す気配があった。

「フォックスか。今どこだ……ああ。俺の携帯の位置は分かるな、誰にも見られないように来い」

 男の声が聞こえてきた。早口の英語でどこかに電話をしている。内容からして、明らかに普通の人間ではない。

 ヴェロニカは思わず手持ちのボイスレコーダーを取り出した。彼がどんな人間なのか、どんな話をするつもりなのかはわからない。だが偶然手に入れた情報でも英国のために役立てる。それがMI6であり、ゼロゼロナンバーだ。

 心臓が高鳴る。諜報員というと映画や小説の中では華やかな活躍をしているが、そんなものはごくごく一部だ。ほとんどの人間は地味で汚い裏方仕事に徹している。ヴェロニカが今日までやってきたように、不毛で本当に役に立っているのかと思えるような仕事ばかりだ。

 子供のようにわくわくしながら出方を伺う。不謹慎だが、できれば大規模なテロの計画でも話して欲しいとヴェロニカは思った。自分が手に入れた情報でテロが未然に防がれる。きっと、仲間たちもヴェロニカを『仮初め』などと言わなくなるだろう。子どもっぽい空想だが、期待するのを抑えられなかった。

 さっきとはちがう、こつこつと硬い足音が近づいてきた。

「来たか。周りには誰も居なかっただろうな。ああ、ならいい」

 男が何かを相手に手渡したようだった。がさり、と軽い紙袋のような音が聞こえる。

「計画は予定通り実行する。開会式でIS学園の注目度が上がっている今が好機だ。派手に爆破してやれ」

 ヴェロニカは思わず息を飲んだ。まさか、IS学園に対するテロの話が出るとは思わなかった。予想外の事態に鼓動が速くなる。

「標的はこいつだ。前回のような失敗はするなよ、フォックス」

 ヴェロニカはテロリストの顔が見たいと思った。誰かが分からないとテロの目的もはっきりしない。男の声紋だけでもかなりのことがわかるだろうが、『フォックス』と呼ばれている相手の声も欲しかった。

 IS学園は世界で唯一のIS教育機関ということで、良くも悪くも注目されている。テロの対象になるのも無理は無い。例えば一部の国では、女性だけが扱えるISを宗教的に導入しづらい現状がある。必然的に軍事バランスが乱れ、ISのせいで国際的な地位が下がった国はいくらでもあった。そういった不満をISの象徴ともいえるIS学園に対してぶつけられることもあるだろう。

 犯人の顔を想像しながら、ヴェロニカはじっと息を潜めていた。

「あぁ、大丈夫だよ。もうヘマはしねえ。つうか前回はてめえらの不始末でこっちまでバレるハメになったんだろうが。上手くごまかしたからいいものを」

 フォックスと呼ばれていた相手が初めて喋った。その声に、ヴェロニカは愕然とした。

(ドロシー……)

 いつもとはまるで違う怜悧な声だったが、間違いなかった。

(何故? CIAが? それとも……二重スパイ?)

 頭の中にいくつもの可能性が浮かんでは消える。そうであって欲しくないという願望がありえないようなことまで持ち上げてくる。

「で、なんでこいつなの? セシリア・オルコット」

「注目度に比べて殺して恨みを買う所が少ない。二年後ならわからんが、今ならただの代表候補生だ」

「ふぅん。ま、いいさ」

 セシリア・オルコットの名前が出てきて、ヴェロニカは現実に引き戻される。

 さっき、ドロシーは『前回』と言った。それはきっと、ヴェロニカが解体したあの爆弾に違いない。一連の爆弾騒ぎの首謀者はCIAだったのだ。そして、どういう目的かはわからないがCIAはIS学園に爆弾をしかけてセシリア・オルコットを殺そうとしている。それは、ヴェロニカにとって絶対に阻止しなければならないことだった。そのためにヴェロニカはIS学園に送り込まれ、『仮初めの称号』を与えられたのだ。

 だが、あまりにも大きすぎる問題を目の前に、ヴェロニカは震えるばかりだった。CIAの男とドロシーが行ってしまったあとも、通気孔の中でじっとうずくまっていた。

 

 数日後。

 開会式は無事に終わった。開会式ではIS学園の生徒たちが各国の代表チームに花束を贈呈した。その瞬間に開会式の中継は最高視聴率を記録し、世間のISに対する注目度が明らかになった形だった。

 参加した生徒は学内でちょっとした人気者だ。普段は世間と隔絶された環境で暮らしているだけあって、こういうニュースは格好のネタになる。そんなこともあってIS学園にはサッカーブームがやってきていた。寮の娯楽室のテレビではいつ行ってもサッカー中継が写っている。

 娯楽室にほとんどの生徒が集まってサッカーを見ているのを横目に、ヴェロニカは人気のなくなった寮へと歩いていった。

 とある寮室の前に立ち止まり、インターホンを押す。

「あぁ? なんだ、てめえか。珍しいな」

 ドロシーはすぐに出てきた。いつもどおりのぶっきらぼうな態度だ。

「ちょっと、いいでしょうか?」

「おぅ、まあ入れよ。散らかってっけど」

 あとについて部屋に入る。ドロシーのベッドは通路側だと一目で分かった。メタルバンドのポスターやギターなどがあったからだ。ポスターは以前、ドロシーが好きだと言っていたバンドのものだった。

「ルームメイトの方は?」

「サッカー観戦だとよ。お国のチームの試合だってんで同郷の連中と一緒に見るんだってさ」

 知っている。さっき娯楽室にいるのを確認してきた。

「あなたは、サッカーには興味は?」

「あんまねえなあ。ウチの国じゃそれほど人気ねえし。見るなら野球、やるならバスケかね」

「私も、それほどサッカーには興味ないですね。やるならテニス、見るならモータースポーツが好きです」

「へえ、英国人はみんなサッカー狂いだと思ってたぜ」

「米国にだって野球に無関心な人は居るでしょう?」

「そらそーだ」

 ヴェロニカが椅子に座って待っていると、ドロシーは冷蔵庫からコーラの缶を二本だしてきた。コーラはよく冷えていて、美味しかった。

 それから、とりとめのない話をした。どんな音楽が好きか。子供の頃やった遊び。最近見た映画。行ったことのある観光地。二人の嗜好も経歴もバラバラだったが、なぜは話が弾んだ。

 まるで、友達のように。

 冗談を言って二人で大声で笑いあったあと、名残惜しそうにドロシーが言った。

「なあ、なんかあんだろ。世間話しに来たわけじゃ、ねえだろ」

「……はい」

 二人の間には常に一定の距離があった。近づきすぎてもいいことはないと、お互い分かっていた。一緒に掃除をしたり、酒を飲んで騒いだりしていても、超えてはいけないラインをお互いで引いていた。

 その一線を、ヴェロニカは今日超えた。それが意味することを、ドロシーも分かっているのだ。

 ヴェロニカはポケットからオーディオプレーヤーを取り出した。イヤホンがなくてもスピーカーから直接音を出せるタイプだ。

『標的……フォックス……前回は…………セシリア……計画……』

 雑音まじりの音声が流れる。先日、通気孔の中で録音した音声だ。ドロシーと、CIAの男のやり取りが入っていた。

「フォックスというのは、貴方ですね?」

 ヴェロニカがまっすぐに目を見て聞くと、ドロシーは目を閉じて軽くため息をついた。

「そうだ」

「私が貴方と初めてあったとき、貴方は爆弾を解体してたんじゃない。設置していたんですね」

「そうだ」

「セシリア・オルコットを、爆弾で殺そうという計画を立てていましたね」

「その通りだ」

 ドロシーはよどみなく答えていく。否定や言い訳の一つもして欲しかった。だが、ドロシーは当たり前のことのように計画のことを明かしていった。

「で、あたしはどうすればいいんだ? 保安部に行けばいいのか? それとも、警察に直行か? CIAからなんにもねえとこ見ると、もう全部話はついてるんだろ?」

 捕まることを覚悟している様子だった。命令とはいえ、IS学園に対するテロ行為を行ったのだ。彼女の処分は軽いものにはならないだろう。CIAが取引するかもしれないが、そうだとしても学園に彼女の居場所はなくなる。

「……まだ、誰にも言ってません」

「はぁ?」

 MI6にも、IS学園にもドロシーのことを報告していなかった。重大な規則違反だった。今すぐ、004の資格を剥奪されてもおかしくないほどの。

「何も、なかったことにできませんか。命令なんかなかったことに」

「できるわけねえだろ」

「い、今から一緒に保安部に報告に行きましょう。そうすれば、あなたは」

「馬鹿かてめえ!」

 ドロシーが袖口からナイフを抜いて斬りかかってきた。オーディオプレーヤーでとっさにそれを受け止める。オーディオプレーヤーに半分ほど食い込んでナイフは止まる。ナイフ越しにドロシーの視線が刺さる。

「ヴェロニカ。てめえには失望した。てめえになら捕まってもいいと思った。てめえがちゃんと、国のためにあたしを告発したなら、それで満足だと思った」

 ドロシーの目には、はっきりとした怒りと侮蔑が浮かんでいた。向けられたナイフは脅しではありえない力が込められている。ヴェロニカはオーディオプレーヤーのシリコンカバーで絡めとるようにナイフを奪った。武器を奪われ、ドロシーは椅子を倒しながら距離を取る。ヴェロニカもベッドの脇にそって移動する。基盤やカバーが絡みついたナイフは使い物にならず、ヴェロニカはそれを部屋のスミに投げ捨てる。

「何故……ですか。なんでこんなことするんですか」

「理由なんて知らねえよ。命令だからだ。決まってるだろ。あたしは組織っていう巨大な機械の末端の歯車だ。お前だってそうだろ」

「だからって、理由も分からずにこの学園を壊すんですか、同じ学校に通う仲間を殺すんですか!」

「ああ、殺す。命令されれば子供だって殺す。それが合衆国のためになるならなんでもする。あたしは、そういうモノだ。あたしは、お前も同じだと思ってた。この学園で、唯一対等な相手だと思ってた。そういうお前になら、捕まって良かった。だけどな、違った。おまえは情にながされて任務を忘れるクソ野郎だ。学園のほとんどの生徒と同じクソガキだ。覚悟もできてねえハンパ者が、偉そうにあたしに情けをかけるんじゃねえ!」

 ドロシーが逆の袖からナイフを引きぬく。倒れている椅子をものともせずに飛びかかってくる。紙一重。ナイフはヴェロニカの制服を切り裂いたように見えた。だが、軽く切れるはずの制服は存外に硬く刃を受け止める。ヴェロニカの制服は防刃繊維を編みこんだ特殊仕様だ。隠しナイフ程度で切り裂けるものではない。

 防刃繊維でナイフが一瞬止まったのを見て、ナイフを持つ手に拳を落とす。痛打された手首が落としたナイフを、ヴェロニカはすぐにベッドの下に蹴り込んだ。

 隠し武器がなくなったドロシーが殴りかかってくる。ヴェロニカもムキになったように掴みかかる。

「命令、命令って! 自分で判断してないことを偉そうに言わないでください!」

「自分の甘ったれを棚にあげてんじゃねえ!」

 ほとんど子供の喧嘩のような取っ組み合いだった。髪をつかみ、服を引きちぎり、頬に爪を立てる。もともと足場の悪い室内での戦闘はそういうものになりがちだ。だが、この二人の場合。剥き出しの感情がぶつかり合って自然にそうなっていた。

 二人が満身創痍のぼろぼろになったころ、部屋のドアが勢い良く開いた。数名の足音が足早に室内に入ってくる。

「そこまでだ!」

 織斑千冬が、数名のSPを引き連れて立っていた。この学園の生徒なら誰しも震え上がる状況だが、ふたりはそれも無視して殴り合っていた。

 マウントをとっていたドロシーが殴り飛ばされる。ごん、と鈍い音が響いてドロシーの頭が壁に激突する。返す刀でヴェロニカの頭を片手でつかみ、子猫のように軽々と持ち上げる。

「そこまでといったぞ」

 万力で締め上げるような痛みで、ヴェロニカはようやく我に帰った。ドロシーも頭を押さえながらベッドに座っている。解放されたヴェロニカは千冬に言われるままにドロシーの隣りに座った。

 ヴェロニカもドロシーも、状況がつかめていなかった。

 大げんかをしていたから誰かが千冬を呼んだ、という雰囲気ではない。それなら保安部の黒服が何人も来ているはずがない。これは明らかに、保安に関する事態だ。

「ペトレイアス。貴様の上司であるハワード・バリスは死亡した。拳銃自殺だ。現在、CIAの一部と軍高官数名を拘束して取り調べ中だ。貴様にも召還命令がきている」

「そう、ですか」

 ドロシーは全てを諦めたのか、糸のきれた人形のようにうなだれた。

「我々としても詳しい事情が知りたい。少し、話を聞かせてもらうぞ」

「……はい」

 保安部の黒服数名に囲まれ、ドロシーは部屋を出ていった。手錠こそされていないものの、その姿は連行される犯罪者そのものだった。部屋を出ていく際、ヴェロニカの方に少しだけ視線を送ってきた。

「……じゃあな」

 何も言えないまま、ドロシーは去っていった。

 部屋には、千冬とヴェロニカだけが残された。

「事情を、教えてください」

「……あいつの組織が一枚岩ではないことは知っているな」

「はい」

 CIAには複数の作戦部署が存在し、それぞれが独自に動いている。末端のエージェントには限られた情報しか与えられず、ときに同じCIA同士で殺しあうことすらあるという噂だ。同じ合衆国の機関であるペンタゴンとも対立することがあるという。

「ペトレイアスはCIAの中でも軍よりのところにいてな。軍とCIAの一部が暴走して今回のことを計画したらしい」

「あの、なぜ米国がここを狙うんですか?」

「IS学園を米国に欲しい連中がいる、ということだ」

 IS学園は各国の思惑が重なった上で日本という国に作られた。世間的には『押し付けられた』という形になっているが、実際は違う。最先端のIS技術の実験場を、手元に置きたがらない国などないのだ。各国の間で奪い合いが起こった。そんな中、EU諸国は早めに折れた。もともとまとまりのない寄り合い所帯である。そこにIS学園などという火種を持ち込まれてはかなわないと早々に辞退した。他の国々も同じような理由で折れていったが、最後まで粘った国があった。それが米国である。結局、国連での票数を集められずにIS学園は日本に作られることになった。その鬱憤晴らしかのように、運営費の大半を日本は押し付けられることになる。

「ここでテロが起きれば、日本国にはIS学園を運営する能力がないとして、米国に移される。そういうシナリオですか? セシリア・オルコットを殺せば、英国も米国に同調して日本を非難すると」

「だろうな」

 そうまでして、自分の庭にIS学園が欲しいのか。手元に置いておかないと不安なのか。

「……そういえば、なんでこの計画が露見したんですか? CIAで自浄作用が働いたんでしょうか」

「いや、外部からのリークだ。独自に情報を察知したエージェントが証拠を盗み出したらしい」

「……すごい人がいるんですね」

 CIAの機密を盗み出すなど、まともな人間の仕事ではない。仮にG・Eの封印を解かれたとしてもヴェロニカはやりたくなかった。

「何を言ってる、貴様の同僚だ」

「はぁ? あ! あー……」

 脳裏に一人の男が浮かぶ。

 女王陛下の切り札。最高のゼロゼロナンバー。MI6きっての伊達男。ヴェロニカも数回しか会ったことはないが、あの男ならやるだろう。そういう風格がある男だ。

「あらかた片付けてからこっちに情報を流してきた。相変わらずキザな男だ」

「え、織斑教諭、お知り合いですか?」

「……昔、少し世話になっただけだ。弟のことでな」

 千冬はやや遠い目をしていった。そこには、ヴェロニカが簡単に触れてはいけないものがあるように思えた。

 ヴェロニカの疑問はあとひとつだった。MI6が、なぜこのタイミングでCIAの暴走を察知できたのかということだ。露見すれば英国との関係に亀裂が入る行為。CIAがそう簡単に尻尾を出すとも思えない。ヴェロニカが知ったのもほとんど偶然のようなものだ。いかにあの伊達男といえども、情報のないところから解決したのでは手際が良すぎる。

「織斑教諭……MI6は、私について何か言っていましたか」

「ああ。貴様のISには発信機がついているそうだ。向こうの意志で貴様の言動をチェックすることができる。それで、今回の件を知ったらしい」

「やっぱり、そうですか」

 腕時計になっているG・Eを見る。自分にも知らされていない機能があると思っていたが、裏切りに備えた機構も入っているとは思っていなかった。

「安心しろ、今後は私の許可無く使用することがないよう釘をさしておいた」

「今後って……私は、お咎めなしですか、てっきりMI6に召還されるものだと」

「Mからの伝言だ。『これを教訓にしてはげみなさい』だそうだ」

 Mとは、MI6の最高責任者の通称である。MI6は、ヴェロニカが情に流されることも計算済みだったのだ。組織にも信頼されず友人を守ろうとしても裏目に出る。だから自分は『仮初め』なのだ。

「先生は……怒らないんですか? 私を。私は、私情に流されてIS学園を危険に晒すかもしれない行動をしました」

「貴様が私の部下ならそうしている。ここが情報機関ならそうしている。だが、ここはMI6でもCIAでもない。学校だ。諜報のことでとやかく言う筋合いは私にはない」

 あの厳しい千冬ですら、ヴェロニカを責めない。MI6も誰も、自分には期待していないのだ。唯一責めてくれたのはドロシーだけだ。それも、裏目に出てしまった結果でしかない。

「叱って、ください」

 叱られるのなら、責任を取らされるのなら、覚悟していた。だが、自分が無力な子供だと思い知らされるのは、耐えられなかった。

 千冬が、ヴェロニカの肩に手を置く。いつも力強いその手は、触れてみると意外なほどに柔らかい。

「ラブロック。私は教師だ。上司でも、上官でもない。他のなによりも友だちを優先したお前を、褒めることはあっても叱ることはできん。誇れ、ラブロック。友情を選んだ自分を、恥じる必要はない」

「私は……組織の人間です。ドロシーにもそう言われました」

「お前くらいの歳じゃ組織や国に忠誠を誓うことなどできん。できた気になったとしてもそれはそう思い込んでるだけだ。本物の忠誠や愛国心というのは、組織や国に対して持つものじゃない。そこにいる家族や友人との絆を、それを育んできた場所を愛するということだ。そういう意味では、友達を大切にする奴はいい諜報員になれるさ」

 相変わらずの硬い声だったが、その優しさは十分に伝わってきた。鉄のような女性だと思っていた千冬が、こんな声も出せるのだとヴェロニカは思った。

「ありがとうございます、織斑先生」

 まだ自分を誇ることはできなくても、前を向けるだけの力は出てきた。世界有数のIS乗りの言葉は、ヴェロニカにたしかな力を与えてくれた。

「まったく、手のかかるガキだ」

 千冬がそう言ってかすかに微笑んだとき、IS学園に轟音と衝撃が走った。

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