人たる所以を証明せよ、と魔法師は言った 作:ishigami
◇
男が
「二分の遅れです」
「これでも急いで来たんだ。責められる謂れはないね」
「……飲んでいるんですか?」
「ほんの少しだ。そんなに臭うか」
到着し出迎えるや否や険しい視線を向けてきた、使用人服姿の、男よりも少し若く見える女に受け答えしつつ、書斎に案内される。
扉を開けると、卓上の投射型PCを操作していた、屋敷の
「来たのね、セラ」
「御用だとか。何かトラブルでも?」
「いいえ。問題はないわ、貴方の仕事は完璧よ、〈インビジブル〉。おかげで邪魔者は排除できた」
「それが俺の仕事ですから」
女は満足げに頷くと、
「それでね。立て続けになるのだけれど、もう一つ、仕事を頼みたいのよ」
「ご命令とあらば」
そつなく答えつつも、しかし珍しいこともある、と
――何かあるのか。
ちらと横を見た。使用人の女は、女の会話の邪魔にならないよう控え、
「これを」
引き出しにしまわれていた封筒を、女が差し出した。記憶デバイスではない、
「確認しても?」
「もちろん」
入っていたのは、
「……カーマイン」
「
世良が敬称を付けずに呼んだ瞬間、使用人の女が威圧する気配を放っていたが。
本人は気にしたふうもなく、見るものを慄然とさせるような、凄艶な笑みをしてわらった。
「ずっと情報を集めさせていた。いつか殺してやるために。でもまさか、今、その機会が来るだなんて。運命かしらね」
女はゆっくりと立ち上がると、長いブルネットの髪を揺らしながら、本棚に立て掛けてあった、一枚の写真を手に取った。
「これは試金石なのだそうよ。私に、組織を上り詰めるだけの実力があるかどうかの。伯父様も人が悪いわよね……」
写真はどこかのテーマパークで撮られたものらしく、あどけない表情のスカート姿のカーマインと、微笑みながら彼女の肩に手を回している、優しげな男の姿が写っている。
「猶予はないわ。マシュー・ウォシャウスキー。ヴィンセント・ギリアム。名前は知っているわね。この二人が動いている、競争よ。遅れるわけにはいかない。万が一にも」
振り向いたとき、カーマインは既に、笑っていなかった。
冷徹と、憎悪と、愉悦が入り混じったアマルガムの瞳で。
酷薄に、告げる。
「――行きなさい。行って、殺してきなさい。あの二人よりも早く、お父様を殺したあの薄汚い殺し屋どもを撃ち殺してきなさい」
世良は、目を伏せてそれに応えた。
―――。
「サポートチームと合流後、そのまま現地へ入ってください」
「ベラ。カーマインの伯父と、話したことはあるか?」
「カーマイン
「殺し屋が上司を気に掛けちゃおかしいか。……カイン様には世話になった、その娘だ、心配の一つくらいするさ。それで、お嬢サマはそんなに伯父に心を許してるのかな」
「……カイン様の死後、エドモンド様には様々な面でお嬢様にご助力頂きましたので。何も不自然なことはないと思いますが」
「そうか」
「なにか気になることでも」
「あまり、あの男を信用し過ぎるべきじゃない」
「………、」
「と、思う。信じてないって顔だな。いいさ別に。ただ、気に留めておいて欲しい。お嬢サマの傍にいる君に。それだけだ」
じゃあな。
「――ああそれと、向こうにいる間のペットの世話も。頼んだぜ」
「はい――?」
◇
離陸時の浮遊感が収まると、世良は少し強張っていた緊張を解き、匿名性を確保できるフードつきビジネスシートの座席で身を楽にした。
空の合間の暇は、それなりに長い。乗客たちは暫くすると各々、航空機に搭載されている無線LANを利用してインターネットを楽しんだり、娯楽用に完備してある映画や音楽、または
世良の場合は、持ち込んだ書類の確認である。屋敷で渡された資料とは別の、カーマインが独自に用意した内容のもの。電子機器は持ち込んでいなかった。キャリーバッグにも入っていない。必要機材の調達は、後方支援の担当なのだ。
シートについているフードを下ろすと、柔らかな光が点灯し、手元を照らした。
サングラス越しに、目を走らせる。
資料には、男の顔写真が添付されていた。
――
眩暈のように、唐突に記憶が蘇る。
――砂漠で偽装された先端魔法研究所【記憶の墓】を、多くの第四世代魔法師で編成された実験部隊の一員として強襲した、あの日。
応戦する敵と、味方が、次々と死んでゆくなかで、
――「炎」の
火山流に呑み込まれるようにして、気が付くと人間は、灰すら残さずにこの世から消えていた。
最強の近接魔法兵士をコンセプトに設計された「災害」には、誰一人として。手も足も出なかった。
部隊が壊滅してゆく。そのあいだ、世良は。
ただ――崩壊が過ぎ去るのを待ち続けていた。
隠れて。息をひそめて、震えながら。エナメル質の歯をしきりにかちかちと鳴らして、恐怖で気が狂いそうになりながら――どうか、あゝどうか見つかりませんようにと生きていて初めて何かに懸命に祈りながら、心臓の鼓動や自分の呼吸が外に漏れ聞こえてはいないだろうかと怯えつつ必死に抑え込み、惨劇の行方を眺めていた。自分が殺してきた彼らと同じような目にあう時、自分が何を思うのか。その答えが、
そして、部隊を見殺しにして逃げ帰った矢先の、担当官の裏切りが、
――向けられた「銃口」の暗がり。「雨音」。
――肌を打つ雨の感覚が、止んで。
――「大丈夫ですか? ひどいケガ……」
――ひび割れ、毀れ出してゆく躰に染み込む
「……運命か」
今なお生き延び、互いに殺し屋という身分になっている「怪物」の、遠巻きに撮影したと思われる写真を、眺めながら。
父親の敵討ちを命じた女の言葉が、不意によぎった。この奇妙な
自然と、笑みがこぼれていた。
「どちらでもいいさ」
あの男の裏切りが、結果として今の世良の立場に繋がっている。しかしカーマインは知らないことだったが、いずれ型落ちとして使い潰されていたはずの未来に狂いが生じたのは、間違いなくあの件が原因だった。
恩人ではない。恐らく、あの「怪物」は世良のことなど覚えてさえいないだろう。一方的にこちらが知っているだけだ。それでも、憎しみとは少し違っていた。なんせ一二年に及ぶ因縁だ、そんなに単純なものではない。お嬢様が知れば憤るだろうな、俺を撃ち殺そうとするかもしれない。だがこんな日が来ることを、心の何処かで待ち構えていたような気もする。あの日、逃げ
――死ぬはずだった、安い命だ。
――元より先など無い。
あったとしても――
「どうせ、最期は同じだ」
世良に課せられた仕事は、いつもと変わらなかった。それは、世良の感傷とは何の関係もないことだ。二枚目の資料をめくった。
「怪物」の隣に、アルビノの少年が写っている。
今回の
――〈サラマンドラ〉と〈スノウフェアリー〉を暗殺する。
ただ、それだけだった。
◇
「――到着っ!」
純白の髪、純白の肌、そして紅瞳の双眸をした少年――あるいは少女とも判じれる容姿の、まだ幼さが抜け切れていない印象の人物――が、被っていた帽子を直しながら、空港の混雑に負けないよう、はしゃぐような声をして隣を向いた。
「日本に来るのってさ、初めてだよね」
喋り掛けられた大柄の男は、投射型案内板を確認すると、受け取ったキャスター付きスーツケースを引きながら、さっそく移動し始めている。
「って
「観光しに来たんじゃねえんだぞ」
「でもさあ、仕事が終わったら、少しくらいいいでしょ?」
少年――
「それよりも、出迎えがいるはずだが」
海外移動の経験は少なくないが、海外からの依頼はそう多くはない。そもそもゲーテが所属する〈組合〉に依頼するためにはいくつかの手続きを踏む必要があった。
今回の報酬は500万ドル。内容は、日本の十師族の一人の殺害。依頼人は、ゲーテとアルアレフを指名していた。
視線を感じる。アルアレフとゲーテへの好奇の視線とは別種の。
男が近づいてきた。
「ハロー、ミスタ・『ベイリー』」
スーツ姿の男。中肉中背で、黒髪。良く言えば優しげだが、悪く言えば意志の弱そうな笑みを浮かべた、平凡な顔立ちの男が口にしたのは、今回の仕事でゲーテたちが使う偽名だった。
「誰だ?」
「はい。『本日はクラブ・スターゲイザーの日本絶景絶品堪能満喫ツアーへのご参加、誠にありがとうございます。私が今回お二人のご案内を務めさせていただきます、クルスと申します』」
「そうか」
合言葉。「クルス」。どうやら、サポート役はこの男で間違っていないらしい。
「車をご用意しております。まずは、宿泊地のほうへご案内いたします」
「お前のことは、何と呼べばいい?」
男は。
歯を見せぬまま笑い、振り返って言った。
「私のことは、カウンセラー、と。そうお呼びください。お会いできて光栄ですミスタ。お互い、短い付き合いになるかとは思いますが、よろしくお願い致しますね」
◇
とある施設。魔法関連の研究資料が机にも積み上げられた書斎にて。
男が、グラスを傾けていた。暖色の明かりが照らす表情は、何かを待ちわびるような、あるいは悪事が露呈するのを恐れているかのように強張っており、そんな自分をなだめるようにして、オン・ザ・ロックを呷っている。
端末が、鳴った。
緊張を悟られないよう、一呼吸はさんでから、秘匿回線で開く。
「私だ」
相手は、思った通りの人物だった。
「分かった。そちらも分かっている。だが、本当に大丈夫なんだろうな」
相手は、男の焦りを見透かしたように、くつくつと笑い声を上げた。
「五月蠅い、黙れッ。……分かっていると言ってるだろう」
私を、若造と侮っているのか。相手がたしなめるように言った。何も心配することはない。契約を守る限り、契約は常に守られる――
「ああ。では」
通信が切れる。
息を、深く吐き出した。肩が凝りそうだった。かぶりを振る。
視線を感じる。
夜の窓に反射した男が、いびつな笑みを浮かべている。