人たる所以を証明せよ、と魔法師は言った 作:ishigami
海外SF小説の台詞が引用されています。詳細は後書きにてご覧ください。
――微笑みながら、彼女が言った。
――「あした。私が死んじゃうとしたら、あなた、一緒に死んでくれる?」
◇
「
大げさな、大仰な言葉だと思った。「助ける」よりもどこか意味深長で、俗世の手垢に塗れる前の響きがあると感じてしまうのは、目の前の魔法使いが、くすりともせずに口にしたからか。
「オレが?」
「ええ」
暫時。
「……正直……」
沈黙があり、先に破ったのは織の引き攣った笑い声だった。
「あんまり急すぎて、戸惑ってる。ほんと、いきなりだし――」
わらっているのかと、思いもしたが。今は、どこか悲しみを帯びているようにも見える。
――オレが、救うって?
――からかってるわけ、じゃないんだよな。
こぼれたのは、深い溜息だった。織は次第に冷静を取り戻すと、手荒になりかけた絹江へと謝った。
「いいのよ」
そんな、見透かしたような言葉。
――いいや、穿ち過ぎか。
まだ、頭が混乱している。無理もないことさ、急に言われたんじゃあな――自分に落ち着けと言い聞かせつつ――それでも、訊いておかなくてはならないことがあった。
「何が起きるんだ? どうしてトーリが」
「ごめんなさい。今回の予知では、そこまで詳しくは説明できないの。いつ、何が、如何してだとかはね。断片的な光景ばかりだったから私にもよくは分からない……ただ」
――ただ?
「どこかの部屋のなかみたいだったわ、彼が倒れていた場所は。それに彼は傷ついていた。
「……いつ起こるのかも分からない、どこで誰が狙ってくるのかも分からない。分からないことだらけじゃないか。部屋なんてどこにだってある。どうやって警戒しろって?」
皮肉るような言い方になった。傷つけたかもしれない。絹江は、何も言い返さない。
「このこと、トーリには」
「黙っているべき、というのが私の判断。本人にどんな影響があるかもわからない、未来にもね」
「……オレなら、できると?」
「恐らく、
織は。口にしたことはないし、口にされたこともなかったが。
佐島絹江は、両儀織の正体に気づいているのではないかと考えていた。あらゆる
ともすれば、低い姿勢で毛を逆立てている黒猫の正体も、察しているのかもしれない。
「断言できることもある。これは、そう遠くない未来の話よ」
「その
「まだ、言えないのよ」
もう、わらうしかなかった。
笑えなかったが。
「……忠告として、受け取っておくよ。ああ、
オレ、絹江のこと、少し嫌いになりそうだ。
言いかける直前、オーブンが甲高く鳴った。
「クッキー、焼けたみたいね」
◇
テーブルには、茶器が並べられている。恐らくは工房で造ったものだろう。メイド・イン・シネクアノン。焼きたてのクッキーも。
お茶にしましょう。絹江の提案に、気まずさから織は文句も言わずに手伝うことにした。もうじき、セルゲイたちも戻ってくるはずだ。
「織ちゃんは、演奏会とか、興味ある?」
急だった。もしかすると彼女も、セルゲイたちが戻ってくる前にこの空気を変えたいと思ったのかもしれない。
「ピアノの腕前。本当に上手になったから、織ちゃんもどうかと思って」
「……先生がいいからさ。けど、流石に人サマに聴かせられるほどの腕じゃないしな」
「内々のお披露目会よ。みんな趣味でやってる人たちだもの、そんなに堅苦しく考える必要はないわ」
「そう言われてもね。まあ参加するにしても、もっと上達してからだよ」
こんがり色の、クッキーに手を伸ばす。サクッとしていて、ふんわりな仕上がり。
――美味い。
冷房の効いた部屋で飲む、アツアツのお茶。
――うん。美味い。
「……ふふ」
「なに」
「いいえ、ちょっと昔のことをね。弟のこと、話したことあったかしら。あの子も私の作ったクッキーが好きだったのよ。それにピアノも。一緒に演奏したりしてね……」
「弟さん、今は?」
「分からないわ。ずっと昔にいなくなったきり……生きているのかどうかも。探したのだけど、見つからなかった。今では私も、本家とは縁を切っているから」
甘味のおかげもあるのだろう。織のなかの、怒りのような感情は、既に静まりつつあった。
理由がある。そう思うことにした。言えないということは、それなりの事情があるのだ。〈未来〉を見るということは、絹江にとっても様々な制約を課す/されるということなのだから。
「……やっぱり、会いたい?」
「そうね。会って、あの子に謝ることができたなら……でも、無理ね」
遠い眼差し。悔恨と、
これも、
「ごめんなさいね、誰かに聞かせることじゃなかった」
もう、怒ることなどできそうになかった。
「今日の絹江は、謝ってばっかりだな。いいよ、オレ、絹江の声って好きだ。聞いててぜんぜん苦じゃない」
「……ありがとう。織ちゃんは、優しいわね」
笑って遣り過ごす。
「そうだ織ちゃん、実は蔵のほうに、使ってないピアノがあるのよ。あなたにあげるわ」
「はァ!?」
誤魔化せなかった。
流石に急すぎる。
「冗談――」
「で、言ってるわけじゃないわよ。ピアノだって倉庫の奥で埃をかぶっているよりも、誰かに使ってもらったほうが幸せじゃない。サイズも、そんなに大きくないから邪魔にならないと思うわ」
なんだか逆らえなさそうな流れ。
「……トーリとかに訊いてみなくちゃ何とも言えないよ」
「なら訊いてみましょう!」
「アグレッシブだなあ」
結局、もらうことになった。
―――。
「今日はありがとうございました」
「楽しかったわ。またいらっしゃい。今度、用意しておくからピアノを取りに来てね」
「……はい」
「織ちゃん」
「ん、なんだよ」
火艷に続いて乗り込もうとした間際、絹江が織を呼び止めた。こちらには聞こえない声で。
「―――」
「織?」
「ああ。今いく」
「それでは、失礼します」
「ええ。さようなら。気を付けてね」
向かい合って座ると、車体が動き出す。
「それ、なにが入ってるんだ?」
隠すようなものではなかった。自慢げに取り出して見せる。
「セルゲイに貸してもらったんだ。
「にゃー」
「あ、火艷のは忘れてたな……痛い痛い、噛むなよ」
「ひどい。にゃあ」
「
「にゃぁぁぁぁふぅぅぅぅぅぅぅぅ……」
人型であったなら、そうとうヒワイな表情をしているに違いなかった。
「……さっき、何か言われてたろう。なんだって?」
「ん。いや、なんでもない――」
神妙な表情、心あらずといった受け答え。言いたくないということか。
――「二人きりで話をしたい」、とは。余程の話をしたらしいな、あの人。
十理の佐島絹江に対する印象は、聡明で鋭く、しかし根本では醒め切っている人物というものだった。彼女の作品に対する理念はひた向きで技法にも学ぶべき点は多いが、手がけた作品にはいずれも「諦観」の表情が夜霧のように
そして注目すべきは、佐島絹江の創作欲求は彼女の体験――殊更その悲劇性――を
十理は自らも「創り出す側」の人間として、彼女の言う〈未来視〉が嘘であるという可能性を、ほとんど疑っていなかった。
あるいは。佐島絹江は本当は〈未来〉を読むのではなく別の、
そんな〈未来視〉の女から、御嵜十理はかつて警告されたことがある。
――「今のままだと、あなた、破滅するわ」
「シカオ・ユリス」であることは、話してはいなかった。御嵜十理が時おり「狂う」ことも。だが絹江は、十理のなかの「狂気」に何らかの確信を持っているようだった。その理由は、彼女が〈佐島〉の人間であることを明かした理由と、何か関係があるのかもしれないが。
――「才能がある。無類の、比較できない、誰にも到達できないような才能があるのね。だけど、あなたは才能を発揮するための装置じゃないのよ。才能の奴隷になるということは、いつか、人生に取り返しのつかない破滅をもたらすことになるわ」
深刻な表情をしていた。似たような顔を見たことがあるような気がして、すぐに思い至る。祖父母、銀子、織。彼らの、歯痒さと心配の入り混じったような眼差し。
これまでも御嵜十理を止めることのできなかった、眼差しだった。
――「私は二十歳も生きていない若輩者ではあるが。ある時から考えるようになった。人間は生まれたときから肉の躰を得て、
――「命を、落とすことになると知っても、同じことが言える?」
あのときから、今も。
自分の考えは、変わっていない。
――「寿命を燃焼剤に、魂を燃やす。煙草と
――「
生きて死ねば当然のことを、さも悲劇であるかのように女は言った。
――「どれだけ立派な灰だとしても。灰は、灰よ」
――「納得できるのなら、後悔はしないさ。
◇
「大丈夫か?」
夫が、何かを言っている。AIタクシーが見えなくなったあとも動かない自分を心配したように。
「………、」
――「要するに、奈落に飛び込むのが好きなロクデナシなんだ」
考えていた。ある若者の未来について。
――「若さね。無謀。それは、確かにあなたたちの特権だわ。でも、本当に大事なのは、着地よ」
あの子はきちんと、考えてくれただろうか。私の言葉を。
「どうかしたのか。何か……」
なんでもないわ。安心させるため、笑顔を作ってそう言った。そうだ、もう「私」にできることは何もない。背を向ける。
「戻りましょう」
声には出さず、呟いた。
――さようなら。
◇
◇
「『諸君』」
画面は、黒く暗転している。
「いいか、『諸君』」
画面は暗転したまま、男の声が聞こえた。
「――『諸君は
次世代立体音響が、ずっしりと、下腹に響くように流れ始める。
「『豚みたいに阿呆だ。諸君は自分のなかに貴重なものを持っている。それなのにほんのわずかしか使わないのだ。諸君、聞いているか?』」
熱帯びてゆく男の演説。
「『諸君は天才を持っているのに阿呆なことしか考えない。精神を持ちながら空虚を感じている。諸君の全部がだ。諸君のことごとくがだ……』」
大ヴォリュームの重低音。
「『戦争をやって消耗しつくすがいい。
闇の、水底に辿り着いたような暗い画面から――
「『いいか、呪われているんだぞ! おれは諸君に挑戦する。死か生か、そして偉大になるがいい。
ヒステリックな熱情に浮かされた、男の宣告が「世界」に噴出する――
「『
刹那、
「『
◇
◇
七月三〇日。
京都、某所。
御嵜十理と織は、十理の両親が眠る墓場を訪れていた。
いくつもの墓石が並んでいる。維持費用を支払うことで管理者の手によって定期的に掃除されている墓石には、苔などといったものは生えておらず、刻まれている「名」もしっかり読み取ることができる。
「――行こう」
手を合わせていた十理は、藍染の和服を翻すと、それとなく周囲に視線を巡らせていた織に言った。
「もういいのか?」
「うん。言いたいことは、伝えたから」
「……そっか」
コミューターは使わない。自分の足で回りたい気分になっていた。織もそんな十理の心理を心得たように、無言で歩調を合わせ、暫く二人して申の刻の陽の下を歩くことになった。
風がのんびり吹いている。どこからか風鈴の音が聞こえている。
雲の切れ目から差す日差しは手を休めることを知らないが、都市部のようにコンクリート路面に熱烈な紫外線が照り返ることもないから、耐えられないほどの暑さではない。
無論、普通ならば汗の一滴も流れるであろう気候なのは間違いなかったが、そこは魔法師の端くれとして、対策を取っていた。汗の水分と成分を、皮膚と衣服から「発散」させる魔法――ではなくて。
角帯に提げている巾着のなかの、
着物姿で並んで歩く二人組の絵に、観光客らしき人たちが擦れ違いざま好奇な視線を向けてくることもままあったが。織にとっては慣れたものであり、そして十理もまた、今は墓参りを終えたばかりで感傷に浸っていて、気にすることはなかった。
「……ん、なに?」
土産物店が増え始める街道を進んでいたとき、軽く袖を引っ張られた。
「アイス、二割引きだって」
ほら、と指で差す。ゆるりとした笑みで。
十理もつられて、笑っていた。
「……そうだね。少し、お腹も空いたし。おやつにしようか」
「やったぜ」
「ひとり一個までだよ」
「わかってますよーっと。夕飯前だもんな」
「そう。食べきれないで残したら、お祖母さんが気を使うし」
「安心しろって。ちゃんと食べるよ」
「ならいいんだけど。……だからって、言った傍から三つも取るなよ」
「えェー? いいじゃんか、ちょっとくらい。な?」
「な、じゃねーよ」
「わっ、怒った? 怒ったの、トーリ?」
「怒らせたいの、君?」
「ちぇー、けちっ!」
「クチ尖らせたって駄目です」
何だかんだで、道中は賑やかになり。
―――。
家に着くと、来客があった。
「やっ、二人とも」
「――銀子さん?」
まるで待ち構えていたように。
赤間銀子は頭を下げ、開口一番に言い放った。
「お願い。シュウくんに会ってほしい人がいるの」
◆
――「一つ、言い忘れていたわ」
〈未来視〉の女が、言った。
――「なにを?」
――「彼を、
【降霊物紹介】
泣き雪鉄(しろがね) … かつて人ならぬ無名の鍛冶師が鍛えた武具と同等の霊格(伝承)を獲得した降霊物。短刀の他に野太刀と脇差が作られたとされているが、御嵜十理はそれらを所持していない。
また「泣き雪鉄」の対になる武具として、「笑い童子」という大斧が存在する。
【引用文献】
「虎よ、虎よ!」アルフレッド・ベスタ―作 中田耕治訳
該当箇所:「諸君~」から「星をあたえてやるのだ」まで。
2095年ともなれば、傑作SFは軒並み映画化されてそうです。