人たる所以を証明せよ、と魔法師は言った 作:ishigami
学校生活三日目――
教室に入ると、どうにも様子が変であった。
「おはようございます」
声をかければ反応は返ってくる。しかしどこか余所余所しい。
「おはようございます御嵜さん」
「おはよう」
光井ほのかと北山雫に変わりはない。それがまた疑問を助長させる。
「おはようございます」
そして司波深雪がクラスメイトに周りを囲まれる中で振り返って言った途端、僅かな瞬間であったが、教室に奇妙な沈黙が挿入された。
昨日の見学時に挨拶は済ませてあったから何ら不自然な点はないはずであり、しかしその反応を見過ごせるほど鈍感な
――悪感情。
――なんだか知らないところで面倒なことに巻き込まれたような気がする。
予鈴が鳴り、隣に北山雫が着席したときにこっそり「何かあったのか」と尋ねると、声を低くして教えてくれた。
「昨日の放課後、帰る途中で……」
端的に言えば。森崎グループが司波深雪を巡って仲良くしていた二科生グループに対し、返却されたCADを駆使して魔法攻撃を放とうとしたらしい。その場で介入した風紀委員長と生徒会長が発動を阻止し、かつ達也が空々しい言い訳――なんでも森崎家の代名詞らしい魔法「クイック・ドロウ」を見せてもらおうとしたとか――で事態を収集すると、事なきを得たそうだが。
――達也は大人だ。
――そして森崎くん、言ったそばから君ってば何考えてる。
自然と目つきが剣呑なものになる。視線が合った瞬間、逸らされた。
――これは、お話ししなくっちゃですね。
◇
「ねえ森崎くん森崎くん。森崎くん森崎くん森崎くん。ろくに考えもせずにいきなり突撃して振られたらそれで我を忘れて危うく犯罪行為で退学するかもしれなかった森崎くん」
「やめてくれ……」
「やめてくれじゃないでしょう昨日僕が言ったことちゃんと覚えてますか? 僕なんて言いましたか? 突撃しろだなんて言いましたか? 一言でもそんなこと言いましたか? ねえ森崎くん答えてください覚えているならちゃんと答えて、さあほら」
「い、言っていない……」
「ですよねえ? そんなこと僕一ッ言も言ってないですよねえ? ではそのうえでお聞きします森崎くん。――なんでそんな馬鹿な真似やったんですか」
「………………………、」
小休憩時。教室の隅にて。
十理は笑顔で森崎駿の肩を掴んでいる。司波深雪を取り巻くグループの筆頭である森崎駿は周囲からは見えないが真っ青な顔をして震えている。一昔前のカツアゲのような光景である。そして近寄ってくる勇気ある者はいない。
「昨日の行動によって自分がどういう印象を司波さんに与えたか理解してますか? 犯罪ですよ犯罪。それに、君はこう言ったそうですね――『
「そ、それは……」
「もう一度、改めて聞きたいんですが森崎くん。君は本当に司波深雪さんのことが好きなんですか?」
「………、」
「本当に好きなら相手のことを慮るものです。なのに君は自分の欲求ばかりを見て、相手がどう思っているかという点にまるで見向きもしない。惚れたどうだと言ってますけど、彼女のことを高級なアクセサリーか何かと勘違いしているんじゃありませんか?」
答えはない。
森崎駿は答えられない。あまりの突然だったから、
一秒が何分にも引き伸ばされたような沈黙が森崎駿の両肩にのしかかる。
「……分かりました」
彼が顔を上げたとき、御嵜十理は
「どうやら急ぎすぎたようですね。余計な口を挟んだようです、失礼しました。でも気をつけなくてはいけませんよ、森崎くんだって、こちらの事情を考えずに勝手に従わせようとする暴君は好かないでしょう?」
軽く背中を叩かれる。森崎駿は十理の態度の変化に戸惑いつつも、自分の席に着いた。グループ内では十理と何を話していたかを聞かれるが、追求されないよう別の話題でごまかそうとしたとき、ちょうどチャイムが鳴った。
午前最後の授業は座学。しかしこの程度なら教本を読み返すだけでも理解できるような内容であった。第一高校に入学して初めての授業は一言で表すなら「退屈」であり――初日なのだから当然とも言えるのだが――周りの生徒も似たような反応を示す中で、森崎駿はちらと気に掛かり、十理の席のほうを盗み見た。
不満げな生徒たちの様子と違い、彼は冷静な表情で向き合っている。
―――。
授業が終わると、司波深雪はすぐに姿を消した。聞いたところによれば生徒会に入るらしい。新入生総代が生徒会に所属するのは慣例のようなものであり、森崎駿としてもそれは当然の成り行きに思えたが……、
――あれ、御嵜もいない。
「森崎、食堂行こうぜ」
顔馴染みになってきたメンバーで食堂に向かうと、
「おい、あれって――」
メンバーの一人が指差した。
「そのお弁当って、御嵜くんが作ったんですか?」
「いえ。家族が」
「すっごく凝ってる……」
「ねー。すっごくおいしそう!」
北山雫、光井ほのか、御嵜十理が同じテーブルについている。そのすぐ傍では、昨日争ったばかりの二科生――司波達也の姿はない――が座って談笑している。
「あいつら二科生なんかと一緒に――」
「行こう」
「あ、おい……」
彼らの言葉を無視して進み、注文する。追いついてきたメンバーがなにか話しかけてくるが、森崎駿の胸中では、なんでだよ、という怒りに加えて。
言いようのない、焦りのような感情が生まれていた。
◇
その日以降も、御嵜十理の態度は特に変化しなかった。森崎駿への対応はむしろ最初の頃のほうが特殊であり、数日が経過した頃には彼は「北山雫」「光井ほのか」「司波深雪」のグループに属する唯一の男子としてクラスから認識されるようになり、男子たちからは羨望嫉妬の視線も集まったが、基本的にクラスメイトたちとの関係は良好だった。
そもそも御嵜十理は優等生なのだ。次第にペースを上げる座学にて時折り混ぜられる高度な質問も指名されればすらすらと答えられるし、実技においても成績優秀者が集まるA組で実力は上から数えたほうが早いほどである。
物腰も柔らかくそれでいて陽気であり、女子からしても男子に向けられるような「下心」を感じさせない自然な振る舞いと、また余裕ある気配り、加えてルックスも好いとあっては、その紳士的な行動は大勢に「御嵜かよ、まあ御嵜だもんな」と奇妙な納得を抱かせるほどであった。
そして。
そんな御嵜十理に対し、一人。
第二小体育館。全一科生合同実技授業にて――
「僕と戦え、御嵜十理」
実力者から選ばれる風紀委員の一年生枠に入り込んだ、森崎駿その人である。
◇
「僕と戦え、御嵜十理」
第二小体育館。通称「闘技場」と呼ばれている施設では、全一科生合同実技授業が行われていた。
ほとんどの生徒たちはCADを持参しており、二/三年生にとっては鍛錬を目的とした、一年生にとっては上級生との交流を主とした授業内容――というのは表向きであり、端的に述べて
眼前で繰り広げられる魔法戦闘は一般人が目にすることのできない苛烈なものであり、閃光が走る、爆音が轟く、激しい格闘戦、呻き声と勝者の
十理は現在行われている戦闘の行く末を観察していると、このところ避けられていた節のある森崎駿が近づいてきたことで――また彼が決意を湛えた双眸をしていたことで――なんとなく予感して身構えたが、隣で観覧する光井ほのかからすれば発せられた内容はアリエナイ申し出であり、北山雫の目つきも普段より険しかった。
「一年生同士の戦いはできないみたいだけど」
森崎駿の視線は十理にのみ向けられ、北山雫の言葉は無視される。まるで眼中に入っていないとでも言いたげな態度にますます剣呑な顔になるが、当の十理は不思議と笑顔だった。
「……君の目は何かを決心した人の目だ、森崎くん。君は僕に戦いを降りることを許さないでしょう。けれど。それを僕にさせるだけの理由が君にあるのですか?」
「なんだと……」
「僕が君と戦うことで得られるものは? 確かに魔法を行使して戦うというのは爽快ではあるのでしょう、しかし僕はあまりそのことを重視していないのです。あるいはこの場で僕が断れば、君は僕が臆病者であると吹聴して回るつもりでしょうか? 申し訳ないがそれも効果はない、むしろ君の評価を下げるだけだ。君と戦うことのメリットは?」
まさか口説き文句の一つも用意しないで言っているわけではないのでしょう?
森崎駿は唇を戦慄かせて睨みつける。
十理は次第に冷ややかな目つきになり、
「魅力が。足りないと言っている。どんなものにも
何も言えない。森崎駿は震えるほど強く拳を握り、それでも言葉一つ紡げない。
十理のなかの、仄かな
森崎駿は。
結局のところ、何も言い返すことが――
「っ――
「―――」
それは、溜め込んでいた鬱憤が爆発したかのような大声で。
普段の森崎駿を知る人物であればありえないと驚く程の形相で。
叫んだ本人でさえも。自分がそんな啖呵を切るだなんて思いもよらず。
しかし――
「はははははははははは!」
少年は笑った。それは愉しげに。
周囲の人間は何事かと振り返る。
御嵜十理のクラスメイトたちは、初めて聞く彼の声に目を丸くして。
しかし当の少年は。愉快〃々と声高に。
「意地を見せたか。それに
眼鏡を外すと、凄絶な笑みを浮かべた。
――
……ちなみに。
急に乗り気になった相手を見て、一番驚いたのは他ならぬ吹っ掛けた張本人であったりしたのだが、幸いというべきことに、誰も気づいてなかった。