ひとりひとりと、女神と人と。 作:sigma
・追記
うちの主人公は、ルパン三世からハードボイルドさを消して、犯罪性と強烈な性欲を3割減らし、そこにノーゲーム・ノーライフの空のような語り口を入れたら完成します。
2015年6月26日。
―――ピンポンパンポン。
『―――2年1組、神城くん。2年1組、神城くん。至急、理事長室へ来なさい』
東京都内、私立
―――ふむ、と。周りで「おいおい」ともてはやす友人を尻目に、柊哉ははて、怒られるようなことをしたか、と己の行いを振り返ってみることにした。しかしどうにも心当たりがない。進路関係でも、他のことでも、呼び出される理由がない。
―――理事長室への呼び出しということは、待つのは確実に理事長本人からの話だ。
しかし柊哉は理事長に因縁はあっても、呼び出されるような試しはないのだ。
(…ほーん、あの
「ちょっくら行ってくる。何があったのかは知らんが、面倒くさそうだな、ったく」
柊哉は、放送の意味を問い質すために理事長室へと直々に乗り込んでいく。それがつい3分前のことだ。あのときの自分には、まだ余裕があった。理事長を論破してやろう、という変な正義感を持つキャパシティーがあった。
―――だが、結果はこのザマだ。
「は?…転校、だぁ?」
今の柊哉は、空気どころか意識すら逃がせるくらいに口を半開きで、目の前の元凶―――私立安津学園理事長(72・ハゲ)をぼんやりと見ていた。天井のシャンデリアも、部屋に入って手渡された『神城柊哉様』と書かれた封筒も、何もかもが気にならない。耳から入って来た音をそのまま口から出したように、理事長のセリフがリプレイされた柊哉の言葉は、空気中で弾けて消える。
『単刀直入に言おうか、神城。…お前は7月1日をもって、この安津学園高校を、去ってもらう。まぁ端的に言えば、転校だ』
―――一切の予備動作なしで告げられたその言葉に、柊哉の脳裏に浮かんだのは、理解できない、理解したくないなんて生易しい言葉ではない。ただただ、理解不能だった。あまりに唐突すぎて。あまりにふざけた要求過ぎて。怒り、驚きといった感情を通り越して、もはや無我の境地に入りつつある柊哉は、意味わかんねぇよ、と天を仰ぐ。
「―――そうだ」
「いやそうだじゃねぇよ、反応が淡白すぎるよ。何故俺が転校しなくちゃならん?理由も前兆もなしにいきなり転校?…オイオイ、何の冗談だよ」
「残念ながら冗談ではない。転校先の学校の理事長とも、お前の親御さんとも話はついている。あとは神城、お前が承諾するだけだ」
「だぁからその承諾する
敬語を那由多の彼方にかっ飛ばしてでも言った柊哉の言葉は、何よりも柊哉の心情を物語っていた。しかしそれは目の前の男にすら届いていない。眼前の男は、不機嫌そうにひとつ鼻を鳴らすと、用は終わったとばかりに仕事に戻ってゆく。
「何ナチュラルにジョブに戻ってんだよ。俺の疑問は完全無視ですかコノヤロー」
「…何か、文句でもあるのか?」
「大ありだ。
「…いつ、かは言ったはずだぞ?」
「じゃあ訂正するわ
「―――なんだ、そんなことか。それならその封筒に書いてあるから読みやがれ」
「さっさとそれを言えよ…」
およそ教育者とは思えないセリフに中指を立ててから、柊哉は近くのソファーに深く腰を沈める。そして封筒を開け、中に入っていた資料に1度ざっと目を通した。書いてある文字はいたって普通の明朝体だ。内容がぶっ飛んでんじゃねぇか、と警戒しつつ、今度は注意深く1回読み返す。
~神城柊哉様
貴殿は■■■■■■■■の『共学化試験生』に選ばれました
登校日時は2015年7月1日から2016年3月31日までとなります
つきましては下の注意事項をご覧ください~
「オイテメェふざけてんのか」
「何がだ」
読み終わった瞬間、柊哉は書類をソファーに叩きつけていた。
「しばらっくれてんじゃねぇよ」
「4W1Hは解決しただろう?」
「解決してない。…ただまぁ、
読んでみて分かったこと。柊哉は『共学化試験生』である。
共学化とは、生徒数が減少し、経営の危機に陥っている男子校、ないしは女子校がとる政策のことだ。つまりは生徒数の向上を目指すために、男子校は女子、女子校は男子を試験的に投入し、徐々に男女共学へと近づけていくのである。その試験的に投入される一握りの生徒が、今回柊哉が選ばれた『共学化試験生』である。ただ候補となった者は成績、性格、素行などを徹底的に調べ上げられ、転入先ではいくばくかの行動を制限される。
―――それをあえて端的に言うなれば、「ハーレムの主」。
それは別にいい。柊哉はむさ苦しい男子校から、華やかな女子高へ転入するのだから、それに文句などあるはずがない。ただ、と前置き。
「それ以上によくわかんねぇとこがあんだよ」
「ほう」
「第一に一番大事な
頭が、スウッと冷えていくのが分かった。どう考えてもおかしいのは向こうだ。明らかに、理事長は何かを隠している。この場では―――否、これまでは聞かれると不味かったことが絶対にある。だから、
柊哉は遠慮なく敬語を消し去って、最初から気になっていたことを聞いた。
「
理事長は変わらずに何も言わない。だが本質は違う、と柊哉は見抜いていた。あれは言わないのではない。言えないのだ。恐らく柊哉の3つの疑問の中に、言葉通りの『図星』があったに違いない。ゆえに柊哉は待つ。じっと待つ。理事長を睨みつけながら、理事長自身の口で語られるのを待つ。
―――心で数えて、15秒。
「―――そうだな、話さなければならないようだ」
理事長がようやく口を開いた。確認するまでもない、と柊哉はほくそ笑む。
「基本説明を渋るテメェが説明か、まるで
「――――――」
「もしくは、俺が
「…勘のいいガキは本当に嫌いだよ」
どうやら本当に図星だったようだ。ため息をつく彼の顔にはありありと不機嫌の3文字が見える。やりぃ、やりこめた、と柊哉は意地悪く笑った。その笑みに、おおよそテンプレにしてはあまりにもポピュラーなテンプレセリフを吐いたのち、間にひとつため息を挟んで、理事長は再び口を開く。机の上で腕を組み、威厳たっぷりにこちらを見つめるその様は、柊哉に「これは冗談ではない」と語っているように見えた。
「ここに盗聴器や録音機器の類はない―――安心しろ、この話は俺とお前の秘密だ」
「70過ぎたジジイにまさかそれを言われるとは思わなかった。つうか物騒」
「それくらいの話なのだ…最悪うちの学校が根こそぎ暴徒化するレベルの話だからな」
「そんだけの話かい………本当にないんだな?確認したのか?」
「ずっとしたと言っているだろう。―――さて、本題に移るとしよう」
唐突に。
「―――神城。君の、好きなアイドルは?」
「μ's」
裏に潜む意図もすべてを無視して、無条件反射で柊哉は応えた。
μ's―――彼女らはアイドルだ。スクールアイドルだ。去年…2014年、まるで彗星のごとくアイドル界に現れた新星。9人の女神。彼が―――いや、
「それがどうかしたか?」
「聞けばわかる。お前の通う学校を聞けば。…そうだな、1番目と3番目の質問に答えよう」
「?」
もったいぶるように前置きした理事長は、首を傾げる柊哉に一言、言い放った。
「―――神城、お前が1日から通う学校は、国立音ノ木坂学院だ。…嘘は言っていないぞ」
―――時が数秒停止する。
つい先ほどまで不遜な態度だった柊哉は、今や完全に動きを止めていた。まるで体が理解に追いついていない、といった具合に。もしくは不具合であるかのように。
数秒後、強制的に再起動。
「―――………あー、ひとつ言ってもいい?」
「いくらでも」
「正直、俺の予想の270度上をいったわ。あえて聞くけど、嘘だろ」
「嘘ではない。現に俺は、向こうの理事長から通達も貰っている。封筒の中に入っている『共学化試験生』のプリントも証拠だ」
「―――あぁ、分かった分かった。これはリアルリアル、限りなく不信しかねぇけどきちんと
「…まぁ、これで分かっただろう。何故俺がお前に、このタイミングまで転校を伝えなかったか」
「そりゃもうバッチリと。―――要するに、タイミングがなかった、ってことだろ?
「来るたび来るたびここに盗聴器があったからな…生徒にバレずに、すべてを排除できる日が本当に今日しかなかった」
「ほんまもんの生徒が敵か…ま、この情報と
―――私立安津学園高等学校には、少し変わった校風がある。
何せ
そんな同志を持つ者が、ひとりだけ聖地に旅立つとしたらどうだろう。
アイドルファンが数多集まったうち、1人だけアイドル本人と交友を持っていた、または交友を持ち始めたらどうだろう。答えはひとつ。
「…これを知らせたら確実に暴動が起こる。とても俺じゃ対処できない、最悪
「テメェが昨日今日と、2日連続で学校にいることのできるときにか。…はー、ようやく納得、納得ー」
「はぁ、分かったか。…あとは、これで2つ目の質問も解決すると思うのだが」
「あぁ、分かってるよ…あー、なるほど。これは拒否できるはずないわ…」
そしてこれにより、2つ目の質問も解決する。
「―――だから今すぐここでその書類を書け。認可も俺がやる」
「おっ、気が利くな…ってああ、そうか。よく考えたら、この書類、事務にも回せないのか」
「事務職員もμ'sのファンだからな、下手すれば一瞬で校内にバレるぞ」
「うへぇ、それは勘弁」
「分かったらさっさと書け」
「へーへー。…今更だけどやりづれぇな、うちの学校」
軽口をたたきながら、いくつかの書類をサラッと書いて、その場で理事長に提出する。理事長も2つ3つハンコとサインを書いてから、即座に柊哉へと書類を放った。
「これで手続きは以上だ。あとは今日中にその書類を持って市民課へ行け」
「りょーかい」
「絶対にその書類を失くすな、あとこの校内の人間には見られるなよ。封筒に入れて封をしてやるから、そのまま墓場まで持っていけ。…見られたら諸共終わりだと思え」
「まぁ、演技には多少自信がある。任せろ」
理事長もここまで怯えているあたり、人の子なのだな、と柊哉は何故か考えた。しかしこれがバレると理事長の首が飛びそうだ。それはそれで面白いが、今目の前にある書類は、それ以上に面白い。いくつか質問をしてから、柊哉は椅子から立ち上がる。
「じゃあ、俺は行くよ。らしくもない気遣いありがとな」
「おぉ、神城が礼を言うとは珍しい。明日は槍でも降るかな」
「止めろ…俺はまだ死にたくねぇ。あとしゃらっと
「それはこっちのセリフだ…さっさと行け」
捨て台詞のように理事長に別れを告げて、柊哉は理事長室の扉を開けた。
瞬間チャイムが鳴ったのは、何かの思し召しだろうか…。
★
(…やー、神保町の駅から近くて助かった。半蔵門線万々歳だぜ)
そしてついにやってきた、7月1日、水曜日。天気は爽やかを通り越して普通に暑い、ピーカンの空だ。そんな炎天下の中、神城柊哉は1人、女子高・国立音ノ木坂学院の前に立つ。若葉に色づいた桜の下、高2なのに新品の制服を纏い、まるで転校生のように。当然視線の嵐だ。「なんじゃコイツ…」という奇異と殺意の嵐。
(―――ま、そりゃ注目食らうよな…)
だが、まぁそれも納得はいく。なんせここは天下往来の神保町なのだ。人も車もわんさかお通りするのだ。そしてここは、μ'sのおひざ元、国立音ノ木坂学院。そんな女子高の前に、男が1人、7月初め、プロローグモードをバリバリ漂わせながら佇んでいる。周りから見ればどう考えてもおかしい。当然、柊哉の心は狂っていた。緊張と不安、それに少しの恐怖で。だが、それらを自己暗示で無理やり押さえつける。
「―――俺は大丈夫、俺は大丈夫。別に僻まれるようなこたねぇ、俺は普通に通うだけ、視線なんぞに負けてたまるかっての。どーせ安津の連中は、理事長が押さえてるんだ、だから俺は、大丈夫っ!!」
そう結論付けて、柊哉は強引に思考を切った。それ以上、考えないようにする。考えたら、また不安のどん底に落ちそうだ、だからもう、これでおしまい、と話を切る。この状況の時点で、もはや「普通」とは呼べないことに、柊哉は気づかない。それよりも、と柊哉は時計を睨む。
下手したら最悪の展開をも生みかねないこの今の状況。
端的に言うと、
「あー、やらかしたなぁ。10時52分なぞとは」
―――ただいま、絶賛大遅刻中である。
ゆえに、それは容易に想像できた。
「なんかいろいろヤベェ気がしてきた…」
生徒からの「チャラそう」「遅刻魔」「軽そう」「約束破り」などとなじられる未来。だが事実なのだから改変しようもない。きっと遅刻理由を言っても、簡単には信じてもらえないだろう、遅刻したことには変わりないのだから。
「こりゃ
残された可能性は、渾身の土下座と最高の好印象を引っ提げて、教室と理事長室に滑り込めば、運良く、信用が戻るかもしれない、というだけ。だが確率はほぼ0だ。いくら考えても、ここから失われた信用が簡単に戻るとは思えない。柊哉だって許さないだろうから、自分に置き換えればというだけの話。
「あるえ?高すぎないすか、俺の女子高ライフの難易度?…やっぱ遅刻なんてすんじゃなかったな…」
ぶつぶつと独り言をつぶやきながら、
―――だからこそ、彼は一度で気づかなかった。
『………………っ!!』
雰囲気が変わる。どこか物々しい雰囲気から、風雅な雰囲気に。ゆっくりと、歩みを進めるひとりの美少女。それも、どこかハーフの感じ漂う、綺麗な金髪美女だ。そのあまりの美しさに、周囲の人は思わず息を呑む。
さらにいくばくかの人間は、憧れの人の登場に、時間を停止させてしまうほどに驚いていた。ただ現れただけなのに、彼女に見惚れてしまう。空気を入れ換えてしまう。それほどまでに、美しく優雅で、人目を惹く行動。
これぞ、柊哉の愛してやまない、最上級の、「美少女」。
「―――随分と遅かったわね。貴方が、理事長がおっしゃっていた神城柊哉くん、かしら?」
大逆走。
その澄んだ声が聞こえた瞬間に、柊哉は華麗なるバックステップをとった。陸上自衛隊員も真っ青のその「回れ右」は、だがその回転をも上手く使い、F1もかくやの鮮やかなターンを決めて、校門近くまでの猛ダッシュを可能にしていた。
(…おい、あれは、まさか)
それは、聴いたことのある声だったから。
それは、久しく聴いていなかった、女子の声だったから。
それは、大好きな歌手の歌声に、そっくりだったから。
気付けば長く門から遠ざかっていたらしい、既に門は実際よりも小さく見えている。しかし柊哉は気にせず、門までの20メートルを、息切れもする暇も無く走りきった。音ノ木坂学院の正門がようやく実寸大まで見えたとき、目の前に、悠然と立っていたのは。
「―――但し、初日から遅刻とはどういう意味かしら?神城くん」
―――それは天啓のようなものだったのかもしれない。
柊哉の前に立っていたのは、ひとりの、美少女。彼女は、見間違いでなければ。
柊哉の大好きなアイドルグループ、「μ’s」のメンバーのひとり。
「9」の点呼をとる3年生、
思わず柊哉は見惚れてしまう。立ち姿に、髪色に、纏うオーラに。瞬間、立つ2人の間を、初夏の爽やかな風が吹きぬけた。
―――この日が、
7月1日。
彼は「美少女」に、夢を見る。