相次ぐ異民族の侵攻に喘ぎながら、自殺行為とすらいえる部族同士の内戦を繰り返す暗黒の時代。異民族に殺され、同国人同士の内戦で殺され、国中には数えきれないほどの怨嗟と死骸の山が積まれた。
このまま何も変わらずに延々とこんなことを続ければ、いずれブリテンは異民族の侵攻に耐え切れず滅び去るだろう。そして国土に雪崩れ込んだ蛮徒によって女子供は犯され、男たちは皆殺しにされる。
〝ブリテンの滅びは近い〟
それは学があり文字を読める騎士のみならず、一日を農耕に費やし文字も読めない民草にまで分かるほど自明のことだった。
だからこそ国に住む全ての騎士たちと民草が願っていたのだ。新たなる王の誕生を。
ウーサーを継ぐブリテン王としてブリテンの皆を導き、蛮族たちを追い返せる――――そんな理想の王を。
そして遂にその時はやってきた。
――――我こそが王たらんと思うものは集うがいい。
今朝方、その報告がブリテン中を駆け巡った。ウーサーに仕えた清廉なる老騎士エクターの下にも当然それは届く。だからというわけでもないが今日は日課となっている鍛錬も勉学もなく、エクターと母もまた家を出ていた。
家に残るのは彼女と彼の義兄妹だけ。
静かな夜だった。
いつもならば強く吹いている風もなく、空には雲一つない星空が広がっている。星々の海の中心には息を呑むほど美しい月が暗闇に明かりを灯していた。
彼は一人、家の隣りにある木に背中を預けながら、煌々と光る星々と幻想的な月明かりを見上げる。
明日の選定の儀。それでこの国の新しい王が決まる。
まだ年若いとはいえエクターの子息であり、幼い頃より厳しく教育を施されてきた彼には〝選定の儀〟に挑む資格があった。故にもしも彼が〝選定の儀〟で王に選ばれれば、彼こそが新たなるブリテン王となるのだろう。
しかし彼は知って、いや確信していた。王に選ばれるのが誰であるかを。
彼は知らない。彼の弟として育てられてきた義妹が、この国で最も恐れられる魔術師より『ウーサーを超える最も偉大なるブリテン王となるだろう』と予言されていることなど。これを知るのは仕掛け人を除けば、彼の父であるエクターのみ。当の本人である義妹すら知らぬことだ。
だが彼は自分の義妹こそが王となるだろうと確信していたし、義妹も〝王〟になろうと誰よりも腐心していた。
王の素質や器については諸説あるだろうが、騎士ではなく〝王〟として人々を導くには、少なくとも武勇に秀でているだけでは意味がない。王が相手取るのは目の前の一人の兵士ではなく、万を超える蛮族と、国内の貧困と飢饉なのだから。
その点、彼女は非常に優れているといって良かった。エクターの優れた教育により彼女は成人に達していないにも拘らず、聡明な大人を黙らせるほどの利発さを持ち合わせているし、なにより理屈なく人を引き込む有無を言わさぬ魅力がある。
そして騎士としての武勇も彼女は天下一品だった。彼女が剣の鍛練を始めて一年半を超える頃には、不意打ちや罠などを弄しても彼は彼女と木剣による戦いでは勝てなくなっていた。彼の師であったエクターも二年の月日で彼女に追い抜かされた。彼が悪辣極まる奇策を弄した時は勝利を収めたが、その奇策にしても一年後には通じなくなった。
武勇に優れ知性に優れ――――だがそれだけではない。
自ら王になろうという者の中に、心の奥底からブリテンを救いたいと思っている者は少数だろう。大凡の騎士などは王となることそのものに憧れる者たち、王になるために王たらんとする者ばかりだ。
しかし彼女は王になりたいから王になろうとしているのではない。
王になるのは一つの手段。戦火に喘ぎ苦しむ人々を救うには王となるしかない。だからこそ彼女は王になろうとしているだけだ。もしも宰相になれば民草を救えるなら、彼女は迷わず宰相になろうとするだろう。宰相を騎士や兵隊に置き換えても同じだ。
彼は彼女以上に優しい人間を見た事がないし、彼女ほどブリテンを想っている人間も見た事はない。
だから彼女がブリテンの王となるのは必然だ。
なにせ彼女以上に王に相応しい者はいないのである。彼女が相応しくないのであれば、過去・現在・未来を探しても相応しい者は見つからないだろう。
「―――――――――馬鹿め」
それは果たして誰に向けられた言葉だったのか。
自分は王になれないというどうしようもない現実を受け入れ、こうして夜空を祈るように眺めている彼自身か。
それとも家の中で一人震える少女に対してだろうか。
王となる運命を背負った彼女は、彼の何十倍も『王になる』ことがどういうことか理解していたのだろう。
誰よりも多くの人を救いたいという道は、誰かを救いたいという思いを心の奥に押し殺して、誰よりも沢山の人を殺す道なのだ。
王となった彼女は誰よりも偉大なる王となるだろう。だがきっと多くの人に恐れられるのだろう。そして誰よりも嫌われ疎まれるのだろう。
それが恐くないはずがない。だから彼女は誰も見ていないところで、その日が来ることを脅え震えているのだ。
「父上ならいざしれず、俺が気付かないとでも思ったか」
夜は更けていく。
恐怖に耐え一人で震える少女。だがきっと彼女は明日になれば震えるのは今日まで、と静かに覚悟して選定の場に赴くことだろう。幼い頃よりずっと寝食を共にしてきたのだ。凡庸たる眼では王やブリテンの未来について見通せずとも、義妹のことくらいは分かった。
その覚悟を尊いと思う。けれど、
――――そして朝がきた。
広場には国中の領主と騎士達が王となるために集まっていた。
だが選定の場にあったのは岩に突き刺さった抜き身の剣だけ。朝焼けに照らされ、黄金の名剣はじっと佇んでいる。
剣の束には黄金の銘。
〝この剣を岩から引き出した者は、ブリテンの王たるべき者である――――〟
それを見た誰もが驚いた。
王となり騎士と民草を束ねるべきは最も優れた者。故に集まった者達は馬上戦による選定を予想していたのだ。
集まった騎士の中で一際年若い彼だけが嘲笑する。
馬上戦にて分かるのは騎士としての武勇と精々が礼儀作法だけ。王として政務をこなす賢さなどはまるで分かりはしない。
しかし現実問題、頭が良いだけの者に腕に覚えのある騎士たちは従いやしないだろう。そうなるとやはり馬上戦にて己が武勇を証明するのが王として選ばれる一番の方法といえる。
だから彼が嘲笑したのは騎士達一人一人ではなく、この国そのものに対して。彼は力が強い者が一番偉くなるなど、全くの時代遅れとすら思っていた。
騎士達がざわめく。岩から剣を抜くなんていう全く予想外の選定に静まり返っていた者達が我を取戻し始めたのだろう。
それからは早かった。一人また一人と剣を掴んだ。だがどれだけ力自慢の騎士達が力を込めて剣を引っ張ろうと、岩に突き刺さった剣はうんともすんとも言わない。
一人で百人を斬った豪傑がいた。
一人で悪竜を屠った勇者がいた。
選定の場に集った誉れ高き騎士達は、いずれも英雄に至る器量を持つ者ばかり。
けれど名のある領主が掴もうと、武勇において名を馳せた騎士が掴もうと、頑として剣が応えることはなかった。
彼はあの剣が待つ者の名を知っている。そしてその少女は今この場にはいない。だからこの場にいる者には決して剣を引き抜くことは出来ないだろう。
そしてとうとう彼の番が来た。
彼は自分より年上の騎士達が見守る中、ゆっくりと剣を掴む。
果たして光の反射のせいか。それとも彼の手に残る彼女の手の感触を察してか、岩に突き刺さった名剣が淡く輝いた。
騎士達が動揺するが、それも一瞬のこと。直ぐに剣は無口になった。
「――――――やはり、そうなのか」
だがあの一瞬で彼は自分の考えが間違いでないことを悟る。
やはり剣が待っているのは彼女、彼の義妹唯一人。他の誰にもこの剣は抜けないだろう。いっそ台座ごと引き抜いてやろうかとも思ったが、これを仕掛けたのは花の魔術師マーリン・アンブロジウス。その程度のトンチでどうにかなるほど緩い仕組みにはなっていないだろう。
それでも諦め悪く彼は思いっきり手に力を込めるが、やはり剣はもう応えてくれなかった。彼は諦めその場を次に待つ騎士に譲る。
そして遂に誰一人として剣を抜く者がでないと、騎士達は予め用意していた馬上戦による選定を始めに行ってしまった。
先程は馬上戦による王の選定を内心嘲笑した彼だが、今度ばかりはそれも良いと考えていた。さっさと馬上戦で勝利者を決めて、適当な誰かが王になれば良いと思った。もしそうなればこの国が一年と保たないと知っておきながら彼はそれを良しとした。
だが〝運命〟というのは人の身では抗いがたいもの。
他の騎士達に混ざって馬上試合へ赴こうとする彼の下に、彼の槍を持った少女がとことこと近づいてきた。おおかた王の選定が馬上試合だと勘違いし、彼の為に槍を持ってきたのだろう。彼が忘れたのだと思って。結果的には勘違いではなくなったわけだが。
「他の騎士の視線を避けているつもりなのだろうが、あれで目立たないようにしているつもりなのか。ばればれだぞ」
この場に義妹が来てしまった苛立ちから、彼は不機嫌さを隠そうともせずに眉間に皺を寄せた。
そんな彼を恐がりもせず、少女は彼に槍を差し出す。
「ケイ兄さん。選定の剣はいいのですか?」
「いいも悪いもない。誰にも抜けない以上、あるだけ迷惑な置物だ。これから騎士達で
「王に選ばれなかったのに、ですか?」
「マーリンとウーサー王の夢物語には付き合えない。目に見えない王の証より、今どれだけの手勢と金、力を持っているかで測る方が人間的だ。強力な統率者はいらない。お互い利害目的で協力し合う方が気楽でいいし、打算も働かせやすいし。なにより、いざとなれば責任の所在をウヤムヤにできる。誰だって〝すべてを救う神の代弁者〟なんてもの、見たくもなければなりたくもなかったのさ」
「ケイ兄さんもそう思うのですか?」
「勿論だ。お前も親父のところに戻れ。他の騎士に見付かればまたからかわれるぞ。いちいち割って入る俺の心労も考えろ。いいか。これが最初で最後のチャンスだ」
彼は願うように、縋るように言った。
「おまえは、おとなしく家へ帰れ」
彼は槍を受け取ると、他の騎士達と共に農園に向かっていった。
それは彼が口にした最初で最後の忠告であり、懇願。けれど彼は確信もしていた。
彼女の意思はこれくらいでは止まらない。否、そもそも彼女の決意を妨げられる言葉なんてこの世に存在しないだろう。
いっそ背後から不意打ちして選定が終わるまで気絶させてしまおうか。そんな考えが彼の脳裏を過ぎるが、直ぐに却下する。選定の剣は相応しい者に抜かれるその日まで、あの丘にあり続けるだろうし、そもそも彼の腕では不意打ちしたところで少女を倒せない。
結局のところ彼は運命に流されてしまった。
そしてこれより始まる馬上戦に沸き立つ中に、まだ騎士見習いだった少女がゆっくりと歩いてくる光景を見た時、彼は運命が結実したことを悟った。
少女の手に握られていたのは岩に突き刺さっていた選定の剣。
全てを知った彼は馬上戦に湧く者達に背を向け、義妹に近付いていく。
昨日まで少女だった顔にもう少女としての面影はなく、ただただ王たるものの威風がある。彼の義妹だったアルトリアはもはや消え、そこに立つのは国を牽引する騎士王だ。
だがまだ誰も――――彼以外の騎士は少女が剣に選ばれたことに気付いていない。
彼はにべもなく強引に少女の手から選定の剣を奪い取った。
「聞け、選定されしは我なり!」
奪い取った剣を掲げて、高らかに宣言する。
別に王になりたい訳ではなかった。彼には王になるほど人望がないし、騎士達を黙らせるほどの武勇もありはしない。彼が玉座についても数日で臣下達は彼から選定の剣を取り上げるだろう。
そうなれば死にゆくだけの国は本当に死を迎える。
王となるのが他の者も五十歩百歩。死にゆくだけの国を救えるのは目の前にいる少女だけだろうと確信している。
そうと知りつつも彼が妹から王座を奪おうとするのは、きっと彼がこの国全ての命よりも――――
「故に俺が今日より新たなるブリテン王だ」
瞬間、記憶に流れ込む。
「――多くの人が笑っていました。
それはきっと、間違いじゃないと思います」
そして彼女の出した答えに、彼は打ちのめされた。
「嗚呼……」
彼女は彼が思った以上に全て知っていたのだ。魔術師が見せた未来の光景、あらゆる命が死に絶えた剣の丘。これが彼女の最期だとすれば、あまりにも哀し過ぎる。その最悪の末路を知りながらも、彼女は王になろうとしている。
戦うと決めた。それが彼女の誓い。例え避けられない孤独な破滅が待ち受けていようと、それでも、戦うと決めたのだ。
「ケイ」
いつの間にかそこに立っていた父であるエクターが静かに首を横に振った。幼い頃より彼と彼女を見守り続けてきた老騎士には、彼女の覚悟も彼の嘘もお見通しなのだろう。
だが父に言われるまでもなかった。彼女の気高い誓いを知って、どうして自分こそが王などと憚れようか。彼は黙って剣を義妹に返した。
「申し訳ありません、愚かな虚栄心から無礼を働きました。もしも王の慈悲を賜れるのであれば、私は身命を賭して貴方に仕えましょう」
彼が昨日まで義妹だった王者に跪いて礼をした。彼がそうすると父もまた義娘だった彼女に跪いた。
昨日までなら「恐れ多い」と恐縮したであろう義妹は当然のようにそれを受け入れる。
「良い。卿なりの考えあってのことだろう。貴方程の人物を我が臣に得られる幸運の前には、一時この剣を手にした非礼など泡と消えよう。この国のために力を尽くしてくれ」
「御意」
人としての心を捨てた少女は、妹ではなく彼の王としての言葉を告げた。
「剣をお掲げ下さい。そしてどうか貴方がブリテンの新しき王となったことを他の騎士達にも知らしめ下さい。その輝きに騎士達も御身の王聖を知ることになりましょう」
「忠言、感謝する。サー・ケイ」
絵にかいたような王と騎士の会話。そこに人間としてのアルトリアもいなければ、人間としてのケイもいなかった。
彼女が理想の王として人間を捨て去るのであれば、自分もまたそれに倣おう。先に待っているのが避けられぬ破滅だというのであれば、己が全てを賭してそれに抗おう。
例え世界の全てが敵に回ろうとも、この身は永遠にアルトリアという少女の味方であり続ける。
いずれ全ての責務を終えて、この国に平和が戻った時にこそ――――きっと彼女は穏やかに笑えるのだ。
だからその時までサー・ケイは少女の義兄ではなく王に仕える一人の騎士。
「では行きましょう、アーサー王」
あの小さな家で家族として育った兄と妹の運命は別れる。
彼は口は達者な癖に腕っぷしは大したことのない道化役の騎士に、彼女は人々から畏怖され崇められる理想の王に。
選定の剣を抜いたアーサー王と、義弟の抜いた剣を自分が抜いたと主張したサー・ケイ。
二人の物語をプロローグに――――アーサー王伝説は幕を開けた。